Scarborough Fair

ジブリ映画とオカルティズム ナウシカ編Ⅱ

最終更新:

scarboroughfair

- view
管理者のみ編集可

 ジブリ映画とオカルティズム ②

  ナウシカ編Ⅱ ナウシカという名の“地母神神話”


                ☤

ここからはオカルト的に『風の谷のナウシカ』という作品を見ていこう。

……………………

この作品は非常に多くのファンによって愛されており、
様々な考察がなされている。

……………………

漫画版ナウシカの1巻巻末に書かれているが、
主人公のナウシカという娘は、『オデュッセア』に登場する
オデュッセウスを助けたバイエケスの王女ナウカシアーと、
平安時代の短編集『堤中納言物語』に登場する
『虫愛ずる姫君』がモデルであるという。

……
………………オデュッセアとナウカシア

しかしそれは表向きに過ぎず、この物語の根幹となっているのは
太古から見られる「ある原始的宗教」であり、ナウシカのモデルはその偶像である。
それについて知らなければ、この物語の結末の意味は
わからない仕組みになっている。

                ☤

さて、この作品について、昔から「主人公が完全すぎる」
「聖人君子すぎる」といった批判がよく見られる。

だがそれもその筈で、そもそもナウシカとは、後に詳しく説明するが、
人ではなく女神の娘、ないし女神そのもののメタファーなのである。

……

この話の本質は「神話」である。
ナウシカの性格が受け入れがたいという話はよく見受けられるが、
仮に彼女をより現代的な価値観を持つ、ありふれた等身大の
人間にしたみたところでそれが何になろう。

……

「現代」など常に移ろい行く時の河のうちにあっては
すぐに「過去」にカテゴライズされてしまう時間の一断面であるに過ぎない。
時代の変遷とともに移り変わる社会の価値観の中にあって、
古色蒼然となり、またその評価は大きく変わっていく。

……

対して「神話」は時代の価値観の変遷によって左右されず、
遥かな太古から連綿と伝えられてきた物語で、
その価値は不変、かつ普遍である。

時代の流れに左右されず、かつ国境や性差を超えて
様々な世代の心の深層にいたるまで響く魔力があるのだ。

……

神話とはあくまで「象徴」の物語である。
その構図は単純であればあるほど良く、
それを見る者がそこから何を読み解くかが重要になる。

そういう意味ではナウシカという作品が単調な構図ゆえ、
時代にそぐわぬ物語となっているという批判もあるが、
ある意味それは本質を捉え損ねた、狭い範囲でしか
見ることができていない鄙見と言えるだろう。

                ☤

神話の話に戻ろう。
宮崎はこの映画を通じ自然環境の保護を唱えるに当たって
ここにひとつのオカルトストーリーを埋め込んでいる。
「地母神の神話」である。

……

そもそも「一度死んだ少女が蘇り、それによって穢れた大地が蘇る」
というのは、古くから世界各地で見られる地母神神話の特徴のひとつである。

地母神神話の多くは似たようなストーリーとなっているが、
これについてまずはギリシアから述べよう。

……

ギリシア神話には「母なる大地」を意味する名を持つ、
デー・メーテール (以下デメテル) という女神がいた。
ローマ神話における大地の神サトゥルヌスと同一視される、
クロノス神の娘の地母神である。

……

このデメテルにはペルセフォネという美しい娘がいた。
彼女は山の中で小さなニンフ(妖精)たちとともに花を摘んでいたが、
闇に見初められ、闇に囚われれ、冥府に連れ去られてしまう。

……

母デメテルは娘を失って嘆き悲しみ、
その結果地上は実りを結ばず荒廃してしまう。

……

しかし冥府に落ちたペルセフォネが生者の世界に帰還すると、
デメテルは歓喜し、大地は豊かな実りを取り戻す。

……

──悪意によって、本来あるべき稔りが齎されず、
植物が成長できない、荒廃した世界。

しかし清らかで美しい1人の少女が、死に、そして蘇る事により、
地母神が彼女を受け入れ、大地が稔りを取り戻す

……といったストーリーがこの神話の骨子となっている。

                ☤

では、翻って宮崎駿の『風の谷のナウシカ』を見てみよう。

ギリシア神話ではハデス(ローマ神話でいうところのプルート)の
我欲と悪行が原因で、大地母神は嘆き悲しみ、大地が荒廃する。

……

ナウシカでは制御不能なほどに発達した科学文明が
人類の愚かさと慾望の極まった果てに
巨神兵による火の七日間を経て世界を滅ぼしてしまう。
恐らく「冥王の物質」ことプルトニウムによる
我欲と悪意が暴走した末の蛮行だろう。

結果、世界は放射能によって汚染し尽くされ、
それまでの動植物は生育できない環境となってしまう。

……

人間の悪事を嘆いた大地の支配者 (墓所の主) は
かわって除染のために作られた、放射能への耐性を持った
人工生命体を播種して、世界の生態系全体をそっくり入れ替える。

(墓所の主はゆくゆくは人間そのものも、一切悪事を働かないよう
 先天的にプログラミングされた、新人類へと入れ替える予定であった)

……

しかしそうして造られた大地は人間にとって
以前にも増して生き辛い過酷な環境であり、
王蟲の暴走によって僅かに残った都市も踏み潰され、
その屍骸を苗床として、人の住めない腐海が広がっていった。

結果、世界は火の七日間以前とは、比較にならないほど荒廃してしまう。

                ☤

ギリシア神話では、荒廃した大地を救う鍵となる、
清らかな少女が登場する。
ニューサ山地で妖精たちと言葉を交わし、
花を摘むペルセフォネだ。

……

彼女は黒い馬に乗ってやってきた冥王ハーデスによって拐われ、
穢れた冥府に幽閉される。

……

彼女を生き返らせようとデメテルがヘルメスを遣わすが、
ペルセフォネは冥府のザクロを食べてしまっため
死の世界の住人になってしまう。
(死亡する)。

……

『風の谷のナウシカ』では、世界を救う鍵となる、
清らかな心を持つ少女ナウシカが登場する。

彼女は風によって腐海の胞子から守られた渓谷に住んでおり、
蟲たちと言葉を交わし、腐海の植物を詰んでは持ち帰って研究していた。

……

だが、バカガラス(巨大な戦闘機)に乗ってやってきた
トルメキアの王女クシャナによって、意に沿わず戦役に参加する事になり、
谷を強制的に去る事になる。
谷の住民からすれば「姫様が悪者に強引にさらわれた」ようにも見えるだろう。

……

そしてその後、闇の化身のごとき姿をした
土鬼(ドルク)の神聖皇弟ミラルバに目をつけられ、
彼の霊体によって闇に捉われる。
彼女は大海瀟に呑み込まれて一度 “死亡” する。

……

                ☤

ギリシア神話では、さらわれたペルセフォネは
冥府を統治する王の妻となる。
そしてゼウスによってタルタロスに落とされた反逆者や、
被差別部族ティターン、そして巨人ギガスなどを夫とともに管理し、
闇の世界の亡者たちを統べるようになる。

……

そのような彼女だが、生者の世界に戻ると、
地母神デメテルはその帰還を喜び、
荒廃した大地は復活し、豊かな稔りを取り戻す。

……

原作 『風の谷のナウシカ』 では、ナウシカは
大海瀟に飲まれた後、王蟲の漿によって守られたものの、
精神(魂)が死亡して仮死状態になる。
冥府に幽閉されたペルセフォネのように。

……

しかし腐海の深奥に住まうという『森の人』の族長の息子である
セルムが、遥かな精神の暗黒の深淵にまで彼女を迎えに訪れ、
彼女を“復活”させる。
蘇生したナウシカは被差別部族である『蟲使い』たちに女王のように祀られる。
また恐ろしい力を持つ巨神兵をおのが息子のように使役する。

……

生者の世界に生まれたナウシカは、さらわれて闇の底へと転落するも、
そこから復活して多くの被差別部族を従え、再び生者の世界に戻り、
従者や友人たちを喜ばせた。
しかし伝承によると、物語の最後には腐海に分け入って消えてしまったという。

おそらく彼女は森の人となり、族長となったセルムの妻になったと思われる。
まるで一度は地上に戻って愛する者を喜ばせたが、再び冥府に帰り、
冥界の王妃となったペルセフォネである。


                ☤

映画版『風の谷のナウシカ』 では、そのクライマックスにおいて、
ナウシカは一旦王蟲に跳ね飛ばされて“死亡”する。
例えて言えば冥府に落ちるのだ。

………

だが彼女の死は無駄ではなかった。
その献身によって王蟲の心を動かし、暴走を食い止め、
奇跡的に“復活”を遂げる。
同時に彼女は、王蟲の暴走による腐海の拡大を防ぎ、
人類の生存権を守る事に成功する。

……

『其の者 青き衣を纏いて 金色の野に降り立つべし
 失われし大地との絆を結び
 ついに人々を 青き清浄の地へ 導かん…』

人々は彼女に翼を持った伝説の「青き衣の使徒」の姿を重ね合わせて見る。
青き衣の使徒とは、腐海の姿は無く、大気は甘く毒を持たず、大地は豊かな稔りを齎すという、
失われた“青き清浄の地”へと人々を導くという伝説上の存在である。

……

つまり伝承にある「青き衣の使徒」とは、大地を蘇らせる“救い主”であるとも言える。
“救い主”が到来するという伝説は聖書のイエス、仏教の弥勒菩薩、ゾロアスター教のサオシュヤント、
アステカ神話のケツァルコアトル、アイヌ神話のオキクルミなど世界中に存在する。
ナアシカの世界におけるそれが“青き衣の使徒”なのだ。

ただ、実際にはそれは、終盤になって明かされる事ではあるが、
彼女たち亜人間の生存できない環境を齎す“死神”であったのだが。

……

物語全体を構造的に見てみよう。
世界の荒廃を生んだ工業文明やそれを滅ぼした巨神兵が冥王の暴挙を、
芽を結ばぬ大地と、世界規模で広がる腐海が地母神の嘆きを意味するのならば、
青き衣の使徒──つまりナウシカとは、一度死んで蘇った存在、
“世界の再生”を司る、地母神の娘のメタファーと言える。

……

つまり『風の谷のナウシカ』とは、
ギリシアの古い地母神の晦(つごもり)と復活の神話──
大地の死と再生の物語を、大地が放射能により汚染された
未来世界において再構築した作品なのである。

……

この物語における「地母神」とは、世界そのものの様相であり、
森に住まう多くの生命である。
それに見込まれた“愛娘”ペルセフォネがナウシカである。

ナウシカが地に住まう様々な生命を差別する事なく公平に愛するのは、
彼女が地母神の使徒であり、化身でもあるからなのだ。

……

もっとも、彼女は決して単純に清浄なだけの存在ではない。
ペルセフォネが死の国の王妃であるように、
ナアシカは後にヴ王に「破壊と慈悲の混沌」と呼ばれるほどの
人類の未来を覆すほどの凄惨な破壊劇を齎す事になる。

                ☤

また別の神話における地母神の姿を見てみよう。
映画版ナウシカでは、ナウシカは王蟲の群れの進軍を止めるべく
幼虫とともにその前に立ちはだかり、跳ねられて死亡する。

……

王蟲は成体ともなると小山ほどの大きさになる、
すさまじい巨体を持った生物である。

……

しかもその図体に似合わずスピードも速く、
強化セラミックの刀でも貫けぬほどの超硬質の甲殻に覆われている。

……

その圧倒的な重量と速度と硬さに任せて繰り出す突進は、
巨大な菌の森をも弊履の如く薙ぎ倒し、高層ビルをも破壊する。

……

王蟲が激突した時の破壊力は大型トラック以上であると予想される。
事実、ナウシカは軽々と宙を飛んで地面に激突した。

トラックに跳ねられればトラック本体との激突と
地面に叩きつけられた時の衝撃により、全身の骨が破砕し、内臓が破裂。
列車との衝突ともなれば、頭部が木っ端微塵に砕け散り、
手足がバラバラに吹き飛ぶという。

……

対してナウシカは、様々な面でリアリティのある映像を作る
宮崎作品らしくなく、あれだけの距離を豪快に跳ね飛ばされながら、
外面上、傷ひとつ負っていなかった。

そのため、クライマックスに来る感動の復活シーンに
いまひとつ説得力が無く、眠っている少女が目を覚ました程度の
カタルシスしか無かったのはやや残念でもある。

……

もっとも、これは子供向け映画であるため視聴者に配慮したのであって、
実際は衝突の衝撃で四肢がバラバラになっていたのかもしれない。

……

あるいはまた逆に、彼女の体は
人間を遥かに越える強度を有していたのかも知れない。

何せ彼女は映画の中でアスベルを追い腐海の深淵に落下しているが、
恐らく30m以上はある高さから落ちたにも関わらず、
骨折ひとつせず元気に動いている。
下が砂地だったという事もあるが、恐らく生来頑強なのだろう。

……

そもそも彼女は本物の人間ではない。
世界の浄化が完了するまで、この過酷な環境の中で生存するよう
設計された人造人間である。
普通の人間の常識で測る事が間違っているのかも知れない。

                ☤

地母神の話に戻ろう。

……

エジプトにも地母神は存在する。
該当する神の名はオシリス
古代のシリア王がモデルであるとも言われ、
小麦の栽培法やパンの作り方、ワインの醸造法を民に伝え、
法律によってエジプトを統治する大神である。

……

彼は大地を豊かに実らせる役割を担っていたが、
ある時彼を妬んだ弟の邪神セトによって、
電車の人身事故の如く全身をバラバラにされて殺されてしまう。

……

セトは嵐と荒廃と砂漠の神でもある。
農耕神オシリスを殺して自らが王位につくも、
その結果世界は荒廃する事となる。

……

オシリスの妹にして妻であるイシス(アセト)は、
夫の死と大地の荒廃を嘆き悲しむ。
そして秘術を尽くし、ペニスを持たない存在として、
奇跡的にオシリスを蘇らせる。

……

蘇ったオシリスは冥界の王となって死者の世界を統治する事となった。
同時に彼の後見によって息子ホルスがセトから王位を奪い、
世界は再び豊かな稔りを取り戻したという。

……

一見してわかるように、このエジプト神話は
ギリシアのデメテルの物語と酷似した構造になっている。

「ある存在が、邪悪な存在の手によって冥府に落ちる。
 聖なる女神はこれを嘆き悲しみ、大地は稔りを失う。
 冥府に囚われたその存在は冥界の王位につき、戻る事はできない。
 この者が復活した後、女神は復権し、大地は稔りを取り戻す」

……

いわばイシスとオシリスは両者一体となって地母神の形をなしている。
あるいはオシリスはペニスを持たぬ存在として新たに蘇ったというが、
これは豊穣の神の彼が冥界の女王になり、同時に大地の女神になった事の暗喩かも知れない。

……

農耕神オシリスの死と復活は、デメテルの物語同様
冬の植物の枯死と春の新たな芽生えを象徴しているとされ、
オシリスの肌が緑色なのも、植物の色を象徴しているからだといわれている。

                ☤

なお、『旧約聖書』のレビ記にはアザゼルという名が登場する。
唯一神ヤハウェがモーセに贖罪日(ヨム・キプル)の儀式の方法について伝えるのだが、
それによるとイスラエルの人々から捧げものとして2匹の雄山羊を受け取り、
1匹を主のものにし、もう1匹をアザゼルのものにするというものである。

……

主のものとされた山羊は屠るが、もう一方の山羊は民の罪を負わせ、
荒れ野のアザゼルのもとへ放逐する。
いわゆる贖罪の山羊 (スケープゴート) である。

……

このアザゼルという名は『第一エノク書』などに堕天使の名として見られ、
中世には悪魔として描かれた。

……

そのルーツはカナン人(古代パレスチナの民)の神アシズにあると言われ、
また一方でエジプトのオシリスに源流があるともいう。
オシリスとはギリシア語であり、エジプトの言葉ではウシル、アセルなどと言う。

……

恐らくはユダヤ教自体が、エジプトのアトン信仰から生じたものであろうが、
エジプトの宗教はモーセの時代よりユダヤ教の敵として描かれ、
そしてキリスト教の時代にあっても、上記のように悪魔として扱われる。

……

しかしこの悪魔とされてしまった側の神こそが、ナウシカという作品の、
否、爾後も続く宮崎駿作品の主人公サイドが属する陣営であるのだ。

宮崎駿はそのシンボルやメタファーを様々な作品の随所に埋め込んでいる。
あたかもキリスト教によって弾圧され、排斥され、歴史の闇に消え去った
かつての世界宗教を、現代に蘇らせようとしているかのように。
この構図はナウシカ以降の他作品を解析する上で明らかになっていくだろう。

                 ☤

さて、このオシリスの妻イシスはを持って空を飛び、
青き“大地の救い主”である。
原作では王蟲や墓所の主の血によって染められたナウシカの
青き衣の元々のアイディアは、おそらくこのイシスに由来するものと思われる。

……

ナウシカとはデメテルの物語であるとともに
イシスの物語の焼き直しなのだ。

……

では、そのイシスによって齎される“清浄の地”とは、
オカルト的に言えば一体何か?

原作ではナウシカたち人造人間が住めない“原世界”の再生であり、
墓所の主が世界の大浄化の末に創造しようとしている“理想郷”だという。
しかしそれもまたメタファーに過ぎない。

……

“オズの魔法使い”が神智学の信徒によって書かれた、
物語の皮をかぶった西洋魔術のイニシエーションの書であるように、
風の谷のナウシカという物語も、その本質はオカルトであり、
“青き清浄の地”の正体とは、物質的なものであるとともに霊的な別の意味がある。

結論から先に言えば、それは“生命の樹”の連鎖である
ヤコブの梯子を登りつめたところにある、
霊的な高次元である“至高世界”の事なのである。

……

宮崎駿は最終的に高潔にすぎるこれらの世界に対して否を唱え、
混沌と情慾にまみれる下層世界に留まるを可とした。

これもまたオカルトに元ネタがあり、『旧約聖書』の『創世記』と
関連しているのだが、それについてはまた後に述べる。

……

翻って見ると、宮崎作品とは表層こそ多くの大衆に愛されるつくりの作品であるものの、
その多くがオカルティズムを根底に据えたものである事がわかる。

そしてこのオカルティズムこそが、多くの人々を魅了し惹きつける、
単なる「良作」という言葉では説明のつかない、宮崎作品の本質であり正体なのである。

                ☤

なお、ナウカシアの登場する『オデュッセア』は、冷酷で残忍な
西洋エリート思想の原点ともいうべき物語である。
これはその実ホメロスの作品ではなく、戦利品を独り占めするため
仲間を皆殺しにしたる卑劣漢オディッセウスによる作り話らしい。

地母神崇拝は古くからオリエント全域で見られるが
キリスト教による大弾圧以降は西洋の秘教結社の間で
連綿と受け継がれてきた思想である。

……

有名な話だが、アニメ映画で有名なウォルト・ディズニーは、
アメリカにおいて最も支配的なフリーメーソンの派閥・
スコティッシュライトの最高位、「33位階」のメーソンであった。


ディズニー映画はメーソン映画でもあり、例えば「ダンボ」で薬物中毒者の
夢めいたものを延々と見せる中、2分20秒のあたりで目玉がピラミッドに変化したりと、
作中に様々なオカルトシンボルを埋め込んでいる。


これは目玉とピラミッドが同一のものである事の暗喩で、
フリーメーソンのシンボルであるピラミッド・アイを示している。

……

ディズニー映画には他にも何気ない場面にペニスや裸の女の写真、
「SEX」の文字など様々なシンボルが埋め込まれ、
無意識のうちにこれらを刷り込まれてしまうつくりになっている。

……

1996年よりディズニーと提携する事になるジブリもまた、
同様の「つくり」になっており、地母神崇拝や
秘密結社の思想めいたものが脈々とその根幹に流れている。
それこそがジブリ作品の語られざる「裏の貌」である。

また日本ではディズニーランドはあるカルト教団によって運営されているのだが
ジブリのプロデューサーも同じカルト教団の信者であり、映画制作に多大な影響力を持つ。
ウォルト・ディズニー・ジャパンの初代社長であり、現ジブリの社長もまた
そのカルト教団の熱烈な信者で、ジブリで設けた多額の金を教団へ寄付している。
またジブリ作品をTVで毎年毎年放送し、新作の宣伝を行い、
日本中に「ジブリは人気作品」という情報を流して大きな祭りを「演出」している
電〇もまた、そのカルト教団と関わりが深い。

早い話が、ジブリとはそのカルト教団の宣伝塔でもある。
それはジブリ作品が教団にとって金の卵を生み出す雌鶏であるというだけではなく
教団の思想が作品の内容にまで関わっている事も意味する。
要するに教団が密接にジブリと関わるようになって以降の諸作品は、
ただのアニメ映画ではなく、「宗教映画」でもあるのだ。

それについては詳しくは名言を避けるが、
このサイトでは他にもジブリ作品別に簡単なオカルト的解析を行っている。
興味のある方は一読してみるもの良いだろう。







─────────────────────────────────────


Amazon:










458412082X


































































END
目安箱バナー