Scarborough Fair

ジブリ映画とオカルティズム その他編

最終更新:

scarboroughfair

- view
管理者のみ編集可
 ジブリ映画とオカルティズム ⑨


 その他編



『借りぐらしのアリエッティ』。
無断で他人の住処(国家や会社、組織)に入り込み、ひそかに様々なものを盗んで生計を立て、
しかもそれを悪びれもせず当然の権利だと主張し、
かつ自分たちは迫害されている弱者だなどという見当外れの認識を持ち、
悪事がばれたらさっさと引っ越して次の宿主を探し同じ悪事を繰り返す一族──
流浪を繰り返してきたり、あるいは世界中に移民して各地で問題を起こしている
どこぞの迷惑な某民族(ユダヤ,キムチ)を連想する設定ではなかろうか。
この物語ではその一族と一般の人間との間の心の交流が描かれる。
つまり彼らに対する理解と歩み寄りが裏のテーマである。

勿論この世界の人間は、小人族と関わりにならずとも何ひとつ困る事などない。
現実の日本もまた、某民族と一切関わらずとも困ることなどないだろう。
しかしむりやり対話と共感を強いるのがこの作品の眼目である。

                ☤

『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』。
どちらもあまり思い入れの無い作品なので、中に秘められたモチーフは非常に多く
本来それについて語るべきだが、面倒くさいので流す。
なお、トトロの正体は西洋の小鬼トロルであるが、
この作品では鳥類のミミズクわモチーフとしてリデザインされており、
これらの作品については昔から日本に伝わる伝承と、
ひいては世界中に見られる素朴で普遍的なオカルティズムが秘められている。
それが日本人の霊感とノスタルジーに触れ、時代を経ても色褪せぬ名作となったのだろう。
(どうでもいいがトトロは今見るとパンチラしすぎである。
 湯屋=売春宿で幼女を働かせるという設定も際どいところだ)

これに限らず本当に宮崎映画はいろいろなところにオカルト的な元ネタが隠されている。

ついでに言えば、作中で3体登場するトトロのうち
大トトロ(ミミンズク)は1302歳、
中トトロ(ズク)は679歳、小トトロ(ミン)は109歳である。
中トトロは室町時代頃の生まれと考えられる。
さて、映画『もののけ姫』には、コダマという森の精霊が登場し
最後に1体だけ生き残りらしきコダマが闘場するが
実はトトロとは、宮崎駿曰くコダマが成長した姿なのだ。
そういう意味で、もしかすると『もののけ姫』のラストに登場したコダマこそ
『となりのトトロ』に登場する中トトロ本人であるのかも知れない。

また、精霊と悪魔は区別される事が多いが、元々同じものである。
精霊はアラブではジン、ギリシアではダイモーン(デーモンの語源)、
中国では鬼(クイ)、古代日本では隠(おに)、
その他世界各国で独自の名を与えられてきた。
原始宗教ではこれらの中で益を齎すものと災いを齎すものを対極の位置に起き、
別の存在として一方を精霊として崇拝し、一方を悪魔として忌み嫌った。
しかしその実これらは同じものだ。

そうした裏の事情がありながら、この作品はそうした精霊と心を通わせる、
原始シャーマニズム的な側面がある。

                ☤

『紅の豚』。
オカルトとは関係ないが、本人の左翼思想やミリオタ趣味が
最も色濃く現れた作品ではなかろうか。
ちなみに男をナヨナヨしく、女を勇ましく強く描くのが大好きで
タタラ場などといった本来女子禁制の場を女性だらけにしたりと、
既存の男性中心社会(更には父権宗教)を破壊するのが大好きな
左巻きフェミニストの宮崎氏らしく、
この作品でも飛行機の工場に出てくるのは女性だらけである。


                ☤

『ゲド戦記』。
古くから様々な神話や聖典に見られる光と闇の戦い、引いては表層面の戦いだけでなく
自らの内部世界の深奥にある意識と無意識の混沌の戦いを描いた名作であるのだが、
どこぞのボンクラ息子は作品の本質を捉える事ができず、掃いて捨てるほどある
凡庸でありふれたただのファンタジー作品にしてしまった。
やはり人間の深層心理はおろか霊感にまで働きかける作品を作れる父親に比べると
才能に天地の差があると言わざるを得ない。

                ☤

『新世紀エヴァンゲリオン』。

宮崎の下から庵野という監督が輩出し、彼は『新世紀エヴァンゲリオン』という、
やはりこれも聖書の世界を下敷きにした下らないオカルトアニメを作成し、
大きなヒットを生み出した。

この新作ロボットアニメが何故他の新作ロボットアニメの
追随を許さぬほどの大きなヒットを見せたのか。

ヒットしたというのは、ジブリアニメ同様、識閾下に働きかける
様々な洗脳処理が埋め込まれているためでもある。
またこちらもジブリアニメ同様、聖書を下敷きにしながら内容は荒唐無稽の極みで、
聖書の神を蹂躙し、誤った方向へと視聴者を誘導するつくりになっている。

内容を一言で言ってしまえば「神に立ち向かう俺カッケー」な話だ。
登場人物の葛藤や恋愛模様やバトル描写などは、
無くても問題ないような枝葉末節な要素に過ぎない。
そのようなものは他のロボットアニメでも腐るほど行っているが、
それはヒットした本当の要因でも何でもない。
作品がヒットした故に、その枝葉末節が評価されたのである。

さて、かつてヴァチカンはロックやヘヴィ・メタルに苦言を呈した事がある。
それもその筈、これらは悪魔崇拝の歌であり、またそれをヒットさせたのも
悪魔教信者がバックについていたからだ。

(ちなみにビートルズのビートルとはスカラベの事で、魔術国家エジプトの太陽神の暗喩である。
キング・クリムゾンのクリムゾンとは赤い楯(ロートシルト、英名ロスチャイルド)の事であり、
その名は「ロスチャイルドこそが我らの王」を意味している。
その歌詞の中にもメーソン的な暗喩が込められたものがある。)

これらの低俗下劣、暴力的で何ものを生み出さない虚無的な歌は、
若者を中心として世界的なヒットを見せた。
ひとつには芸術とは既存の平坦な価値観の破壊であり、
自身の価値観が構築されきっていない若者には斬新な存在として映るという点があり、
更に根源的な黒い慾望に訴えかけるものがあるという点がある。
また同様に、そこには呪術的なものが込められているからだ。

「エヴァンゲリオン」も内容的に言ってこれらによく似たブームを引き起こした。

「エヴァンゲリオン」は、聖書の名を関した作品名とは裏腹に、
神学的構造から見て悪魔側の視点から描かれた作品である。
聖書では終末の時代に神が世界を一度滅ぼして浄化するのだが、
その神に従う使徒が、あらかじめ人間の選別のために福音(エヴァンゲリオン)を世界へ述べ伝える。
このアニメではその『使途』が世界を滅ぼす手先の怪獣として登場して人類社会を破壊し、
実在の魔術結社と同名の組織に支援された「正義の味方」である主人公たちが
ウルトラマンよろしく「使徒」を退治する。
挙句最後に向かうのは、サタンが全人類をそこへと陥れようとする
永遠の虚無クリフォト(「貝殻の世界」の意)だ。

こうした馬鹿馬鹿しいアニメが、“教祖”宮崎駿よろしく、沢山の熱狂的“信者”を生み出している。
一連のジブリブーム、エヴァンゲリオンブームの裏にあるのはオカルトであり、
しかもその中でも極めて悪質な黒魔術だという事をまったく知らないのだから、
お笑いとしか言いようのない話なのである。

                ☤

ちなみに韓国には「キリストの再来」を自称する韓国人を教祖とした
「統一協会」というカルト宗教があり、韓国のみならず日本の政界に暗然たる影響力を持っている。
かつての安部首相もこの宗教の信徒であり、
それゆえにアメリカから危険視され早々と引きずり下ろされたという噂がある。
その統一教会では日本を「エヴァ国家」と呼んでいる。

日本は韓国にとって一段下の弟の国である、という昔からの韓国の思想がある。
韓国は昔から人間に優劣をつける事で社会を管理したがる「儒教」による社会であり、
兄は弟に対する絶対者であり、弟は全てを兄に捧げ、これに仕えねばならない。
それ故に卑属な日本は偉大な韓国を尊敬しこれに仕えねばならない、というのが感覚の考えだ。

またこの儒教により朝鮮半島では女性は男性に仕ねばならない存在、単なる所有物とされ、
日韓併合以前の時代は、まるで家畜のような聞くに堪えないほどの非道い扱いを受けていた。

「エヴァ国家」とは韓国は夫アダムであり、日本はその妻エヴァであるという考えである。
日本はやがて韓国と結婚(併合)して財産を全て捧げ、これに仕えねばならないという意味だ。
客観的に見て狂った妄想以外の何者でもないが、向こうは大真面目にこれを言っているのである。

エヴァンゲリオンというロボットアニメは他のロボットアニメと異なり、オカルトの塊である。
そのオカルト性故に他のロボットアニメと区別化され、大ヒットを見せた。
ひょっとして製作者は裏でこういったカルト教団から支援を受けていたのかも知れない。


目安箱バナー