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ジブリ映画とオカルティズム ナウシカ編Ⅰ

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 ジブリ映画とオカルティズム ①

  ナウシカ編Ⅰ 時代の落とし子


アニメ大国日本を代表するアニメ映画であり、広く世界にも名を馳せる
宮崎駿監督映画作品をはじめとするジブリ映画。

……

海外におけるディズニー映画のごとく、国内では大人から子供まで
広く親しまれ、TVでも毎年のように放送されている。

だがそれらの根底におどろおどろしい、不気味なオカルティズム
地下水脈となって色濃く流れている事を知る人は少ない。
そしてこれを知らなければ作品の本当の姿は見えない構造となっている。

ここでは各作品ごとに、そうした隠されたオカルティズムについて簡単な説明をしよう。

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『風の谷のナウシカ』


1984年3月11日に公開されたトップクラフト (スタジオジブリの前身) 製作のアニメ映画。
興行的にはあまり振るわなかったのだが、爾後ジブリ映画の知名度が
広まるに従って再評価され、世代を超えて語り継がれる一大名作となった。

ぶっちゃけ、原作版はその終盤に明かされる設定やストーリーその他の多くが
「鉄腕アトム」のファイナルエピソードのパクリ…もといオマージュなのだが
そこには目をつぶるねとして、私は個人的に
「ナウシカ」こそ宮崎映画の嚆矢にして頂点だと思っている。

この映画が高く評価されたのは、当時のアニメ映画にしては
非常に目新しい世界設定もさることながら、
久石譲氏による神がかった音楽、隅々に見られる宮崎監督の傑出した才能、
優れた脚本と、ただの感動物語に終わらぬ根底に流れるメッセージ性だろう。

……

ナウシカが世に出たのは1945年から1989年まで続く冷戦の最晩期である。
20世紀は科学による理想社会の到来を待望したユートピア幻想の時代であったが、
人々の期待とは裏腹に、大戦が終わってなおも世界各地で戦火が消える事は無かった。
それどころか科学は公害問題や、その最悪の鬼子である核兵器を生みだした。

……

20世紀、急速な工業化によって自然はかつてないほどの速度で破壊され、
汚染されていき、更にこの時代登場した核兵器は
地球上の大部分の生命を抹殺する危険を孕んだ、恐るべき鬼子であった。

世界はダーウィニズムという“宗教”の呪縛に囚われており、
弱肉強食、適者生存の名のもとに戦争が正当化され、軍事費の増大の名目となり、
列強は不毛な核開発競争に走る事となった。

……

その果てに膨大な核兵器を抱えて怪物のごとく肥大化した
米ソふたつの超大国が、互いに照準を向け合って対峙し合うという
緊迫した構図を生み出した。

こうした不気味な国際情勢とより身近に感じられる核戦争の不安から、
核戦争の愚かしさと核廃絶を唱える運動が世界的に起こり、
核戦争の恐ろしさをこれでもかといわんばかりに喧伝する作品が現れる一方で
核廃絶のメッセージを含んだ作品が幾つも生み出された。

……

1983年には核によって現代文明が崩壊した後の世界を舞台とした、
マッドマックスがモデルの漫画「北斗の拳」が週刊少年ジャンプで連載開始。
翌年には核戦争で未来世界が壊滅する米映画「ターミネーター」が封切られ、
どちらも大ヒットしている。

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ターミネーターと同年に公開されたナウシカもまた、「核」とは明記していないものの
超科学兵器によって全土が焼き尽くされ、世界人口が激減し、
工業文明が崩壊して科学技術が大きく後退した未来世界を舞台にしている。

その世界は地中の毒物を吸い上げて有毒な瘴気を発する、巨大な菌類による
「腐海」と呼ばれる領域に大部分が覆われ、
これらは人類の住める地ではなくなっている。
人は既に地球の支配者ではなく、ごく僅かだけ残った生存領域にへばりつき、
細々と暮らしを繋ぐだけの存在にまで凋落していた。

……

なお、この物語のバッググラウンドストーリーに登場する、世界を火で焼き尽くし、
文明を崩壊させた超兵器である「巨神兵」とは、
核兵器、原子炉、またはそれらを積んだ巨大兵器の暗喩である。
核による恐怖がいまだに生々しい時代であったからこそ、
巨神兵の恐ろしさは当時の視聴者に嫌というほど伝わった事だろう。

……

巨神兵の遺骸の中には人間が内部に乗り込める構造になっており、
かつ操縦席があるものまである。
おそらく人工知能により自動運転するタイプと、巨大ロボットのように
人間が乗り込みコントールできるタイプとがあったのだろう。
あたかも凄まじい火力を誇る戦艦である。

……

巨神兵は映画版ナウシカの終盤近くで、放出した光線により
凄まじい大爆発を起こしている。
これは名目上プロトン(陽子)粒子光線とされているため、
核とは無関係だという意見もあろう。

しかしこれもまた、子供向け映画の中で盛大に核兵器を
ぶっ放すわけにもいかないがための方便であって、
実際は核爆弾の暗喩以外の何者でもない。

……

実際に原作版のナウシカでは、オーマと名づけられた巨神兵の一体は
恐ろしい毒の光を発し、その毒性によってナウシカを衰弱させ、
キツネリスのテトを殺している。
「毒の光」とは「放射線」のメタファーである。

……

映画版の巨神兵は急いで孵化させたため体が出来上がっておらず、
恐らくプロトン粒子を放出した際にオーバードライブした原子炉の超高熱により、
自己崩壊(メルトダウン)してしまった。

……

実際にアニメ版巨神兵の心臓部の設定を見ると、
「放射性物質が臨界状態である」事が記されている。

……

原子炉を動力源とし、毒の光を無差別に撒き散らす存在。
一面を焼き尽くし、天に沖するほどの爆発を引き起こす超兵器。
これが原子炉と核兵器の暗喩でなくて何であろうか。

その力を戦争に利用しようとする原作の侵略国家トルメキアは
現実の核武装した国家の暗喩である。

……

その力を持って腐海を焼き払い、対抗すべく来襲した大自然の尖兵である王蟲を
無慈悲に殺戮する映画版のトルメキアは、重工業化と乱開発による
自然破壊を繰り返す近代国家。
同時にメルトダウンのリスクを省みず、原子炉を建設しようとする国家政策の暗喩である。

……

また、プルトニウム239は半減期に約2万4000年かかるというが、
毒によって汚され、浄化まで膨大な年月を要する
ナウシカ世界の大地もまた、放射能によって汚染された
核戦争後の世界のメタファーであろう。

原作版の終盤において、一見人間であるように見えるナウシカたちは、
その実こうした汚染された環境に絶えうるように造られた人造人間であり、
この世界は到底かつての人類が棲めるようなものではない事が明かされる。

世界全ての除染作業が終わるのは、まだまだ先の時代だというから、
ここから世界の殆どが、かつての戦争によって
相当に強い放射能によって汚染されていた事が伺える。

……

また、そこに棲まうのはかつてのようや哺乳類や鳥類、魚類ではなく、
それらが生態系の上に立っていた時代はとうに終焉を迎え、
かわってごく小さなものから小山のごとく巨大なものまで、
何千何万となく腐海のうちに蠢きかえる、
「蟲」と呼ばれる、獰猛で強靭な体躯を持った異形の節足動物である。

……

工業文明時代、絶大な力を持っていた国家群は消滅してしまい、
人類はもはや地上の支配者ではなく、腐海の瘴気と蟲の来襲に脅かされ、
細々と生活圏を守るだけの惨めでか弱い存在でしかない。
そしてそれにも関わらず、寸土を巡って醜い戦争を繰り広げている。

……

いわば宮崎監督はこうした荒廃して毒に覆われた世界と異形の生物、
そこに住まう人々の惨状を描く事で、核戦争の不毛さと放射能の恐ろしさを
ファンタジー映画という暗喩を通して視聴者に訴えかけていたのである。

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「ナウシカ」に見られる政治的メッセージは上記に述べた反戦と、
もうひとつ環境問題が大きな柱となっている。

環境破壊の歴史は人類の文明の萌芽とともに始まった。
これは現存する世界最古の物語であり、同時に環境破壊への警鐘を鳴らした
最古の作品である「ギルガメッシュ叙事詩」にも暗示されている事である。

宮崎駿はこの「ナウシカ」出発点として環境問題を世に問い、
後にこのギルガメッシュ叙事詩を「もののけ姫」という形でリメイクして
更なる問いを投げかける事となる。

……

さて、西洋庭園と日本庭園との特徴の対比に着目して、
「西洋においては自然は征服すべき存在であり、
東洋において自然は慈しむべき存在であった」とする比較論は有名である。

しかし実際のところ自然を征服すべき存在と捉えていたのは東洋も同じで、
それ故に遥か太古から今に至るまで、西洋以上の苛烈な環境破壊が続けられていた。

……

太古の中国はゾウが住む緑の国だったという。

だがそこに住まう者たちは自然に対し何の敬意も抱かず、
人殺しのための金属の武器や要塞用の煉瓦を作るための燃料として、
数千年に渡って森林を伐採し、自然を破壊し尽くしてきた。

そのため今では内陸部を中心に著しい砂漠化が見られ、大規模な砂嵐見られるようになり、
黄砂の害が海を越えた日本にまで及ぶようになった。

……

「中国は100年後、1000年後の出来事までも考えて方針を決める、
偉大な国家だ」などと嘯いているが、全ては近視眼的な視野しか持たず
愚かなエゴを優先し続けてきた結果である。

近代に入ってからもそうした誤った歴史を悔い改めるばかりか、
環境問題を考慮しない著しく無茶な工業化により更に自然破壊が加速した。
そうした事情はお隣の朝鮮半島も同じで、日韓併合後に日本が
大規模な植林を行うまでは、草木が刈り尽くされた禿山ばかりだったという。

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対して日本は森羅万象全てに神が宿るというアミニズムの精神を保ち続けてきた国であり、
自然に対して敬意を払い、これを保護する事に努めてきた。

……

しかし敗戦後の教育と政策によって考え方が著しく西洋化し、
さらに「アメリカに追いつき、追い越せ」という経済発展と重工業化が政治の目標に、
金儲けが庶民の最大の関心事になるに至って、
こうした昔ながらの自然保護の精神は脇へ追いやられてしまった。

また高度経済成長期のツケとして、50年代から70年代にかけて
公害が深刻な問題となり、更に人工増加に伴う山林伐採や
ゼネコンの懐を肥やさんがための景観を損なう過剰な護岸工事など、
全国で著しい自然破壊が見られた。

……

1962年に出版されたレイチェル・カーソンの『沈黙の春』は
農薬などの化学物質の危険性を「鳥達が鳴かなくなった春」という
出来事を通し訴えた作品で、大きな話題を呼び、
後に起こる様々な環境保護運動の嚆矢となった。
(現在ではこの本の主張には多くの疑問符がついているが)

国内でもこれに続くようにして、過剰な自然破壊に対する批判運動が盛んになり、
60年代に作られた『ゴジラ』、70年代に連載された
『ブラック・ジャック』をはじめとする様々な作品の中に反対論が見られる。

……

そうした時代の流れを汲んで、1984年に生み落とされた
環境保護メッセージアニメ「ナウシカ」が、大きな反響を生み、
そして今なお人々の心を捉えて離さないのは、
この作品が単なる自然破壊の反対にとどまらず、
更に一歩踏み込んで、森羅万象全ての繋がりに視野を広げ、
環境と人間との関わりを改めて考え直した作品だからである。

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宮崎駿によるとナウシカという人物のモデルの1人は、
平安時代の短編集『堤中納言物語』に登場する『虫愛ずる姫君』だという。

……

「美しく気高い按察使大納言の姫。
 彼女は裳着(元服に相当)を済ませたにも関わらず、化粧も学業も行わず、
 可憐なものの代わりに毛虫を愛する風変わりな性癖を持ち、
 子供たちを使って虫を集めていた」

…という話だが、その話は風の谷の支配者の娘であり、
年頃ながら化粧っ気が無く活発な性格で、子供たちに愛され、皆が忌み嫌う蟲を愛し、
腐海の植物を集めて研究する、主人公のナウシカの姿にも重なる。

……

映画版ではナウシカが腐海の奥に分け入るのは「石化の病を直す方法」を探すためらしいが、
原作版では特にそのような理由づけはなされていない。
多くは好奇心のためと思われる。

また、ナウシカは蟲に対し、あたかも人に接するように話しかけ、
また蟲の声を聞くことができる。
あたかも人と蟲の中間の存在、2つの世界の橋渡しでもあるかのようだ。

……

人々の忌み嫌う腐海の奥深くにまで入り込み、そこから持ち帰った生物を自ら育て、
研究に勤しむナウシカ。
親しく、戯れるように自然と接する幼児のように、彼女は
峻険で恐ろしい自然と接し、その中にあって深い理解や愛情を育む。
自然を凌駕するための対象としてではなく、理解し、語り合う相手として捉えるのだ。

人がなぜ自らは存在するのかと問いかけるように、彼女は同じいのちである
腐海についても、何かしらその存在意義があるものと考え続けきた。
そしてテロリストのアスベルを追い、迷い込んだ腐海の底で、
大自然のサイクルが生み出す自己治癒のメカニズムを見出して感動し、
森が大地を蘇らせる事のできる唯一の存在である事を知って、
これを焼き払う事に反対する。

……

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地球の歴史を俯瞰すれば、人類は森から生まれ、
数万年に渡り豊かな自然によって育まれてきた。
そうして今の社会を築きあげた。

にも関わらず現在、人は自然に対して感謝を忘れ、一方的な破壊を続けている。
毎日繰り返される森林伐採や焼畑による自然破壊は二酸化炭素の上昇を齎し、
温室効果ガスは地球温暖化を促し、世界中の生物圏に危機を齎す。

そうした環境破壊のツケは人類にも返ってくる。
人は自然が無いと生きられない。
ゆえに、こうした乱開発を中止し、自然とともに共生すべきなのである。

……

「自然とともに共生すべきだ」というテーマはナウシカ作中でも、
腐海の保護による環境回復を、まったく聞く耳持たぬ人々に対して
ナウシカが孤軍奮闘の形で提唱する事を通じて強く訴えられている。

このテーマは次回作『天空の城ラピュタ』でも
クライマックスシーンで、ヒロインを通じて唱えられている。

「今、ラピュタがなぜ滅びたのか私よくわかる。
 ゴンドアの谷の歌にあるの…

『「土に根を下ろし、風と共に生きよう。
 種と共に冬を越え、鳥と共に春を歌おう』

 どんなに恐ろしい武器を持っても、
 沢山のかわいそうなロボットを操っても、
 土から離れては生きられないのよ」

……

重工業化、科学万能の社会は、便利で一見煌びやかに見えても
やがてはシステムに無理が奈じて滅ぶだろう。
対して人は、土と共に生きる昔の生き方に回帰すべきだと
宮崎監督はシータを通じて訴えかけているのだ。

オリジナルの『虫愛ずる姫君』はただの変わり者と
言えるかも知れないが、宮崎は彼女に日本古来の
自然保護の精神を見ていたのかも知れない。

そして彼女をモデルにして作った主人公を通し、核開発に狂った
軍事国家への警告や反戦メッセージ、また、自然を愛しともに生きる、
古代の精神性への回帰を説いた映画を製作したのであろう。
それが『風の谷のナウシカ』であり、続く『天空の城ラピュタ』である。

……

もっとも、こうした急進的な自然環境保護運動と
あまりにも奇麗事にすぎるその理想については、
宮崎は原作末期においてナウシカを通じて否定している。
それは本質的に矛盾と欺瞞を孕んでいるからだ。

これについてはまた後に述べる事にして、
次章ではナウシカという作品に秘められたオカルト構造を見てみよう。











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