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『キリストの墓』の正体と隠された東北古代史

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 『キリストの墓』の正体と隠された東北古代史


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1. 天津教と『キリストの墓』


『新約聖書』の福音書によると、イエス・キリストはエルサレムで磔刑に処された後、
岩窟の墓穴に葬られ、それから三日後に復活。
弟子たちの前に姿を現し、40日間ほど活動した後
「私は再び戻る」と言い残して昇天したとされている。

そのキリストの墓が、何故かエルサレムから遠く隔たった、この日本にあるのだという。
何とも荒唐無稽な話である。

なぜなら、仏教でいうところの、輪廻の輪から解脱した仏陀が
二度と生まれ変わって地上に現れる事が無いように、
聖書の教義に従えば、イエスは復活して不死の存在となり、
天界に上ったわけであって、地上にいるわけではない。
ましてや死んで墓に埋められている事などありえないからだ。

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この『キリストの墓』なる遺構が存在するのは、青森県三戸郡新郷村戸来村(へらいむら)。
「古代史書研究会」なる怪しげな団体によれば、
戸来村という村名はヘブライ(ユダヤ)に由来するのだという。

また日本において「桔梗紋」と言われる、この村の旧家に伝わる家紋は五角の形であり、
ユダヤのシンボル六芒星である「ダビデの星」と酷似していることから、
イスラエルの失われた十氏族やイエスとの関わりを指摘する奇説まである。
尚、現在でも戸来小学校の校章はダビデの星と同じ形の「籠目」である。

また、東京大学の余郷嘉明助教授による、
世界34カ国にわたるヒトポリオーマウイルス分布調査によれば、
コーカソイドに見られるEUタイプウィルスが秋田県で見つかっている。
これはコーカソイドの集団が秋田周辺にやってきた可能性を示すものだ。

ここから話を飛躍して、ヘブライ人もコーカソイドであるとされる事から、
これら遺伝情報調査結果は日猶同祖論の傍証となっているという。

では、この『キリストの墓』なるものは果たして本物なのか?
この遺構が発見されて広く語られるようになった過程を見ると、
その由来を語る上で外せない奇書が存在している事がわかる。
『竹内文書』である。


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『竹内文書』──

平群真鳥(へぐりのまとり)の子孫であるとされる竹内家に、養子に入ったと自称する
竹内巨麿(きよまろ)が1928年(昭和3年)3月29日に公開したもので、
神代文字で記された文書と、それを武烈天皇の勅命により武内宿禰の孫の平群真鳥が
漢字とカタカナ交じり文に訳したとする写本群からなる、一連の怪文書の事である。

内容はまさに荒唐無稽の一言で、
『ビッグバンさえ起こっていない紀元前3175億年に上古初代天皇が存在し、
2代合わせて320億年もの間在位した』だの、
『古代には五色の人間がいたが、これら人類の起源の地は日本である』だの、
『モーセ、イエス、ムハンマド、釈迦をはじめするあらゆる聖人が来日して修行し、
再び母国に帰っていった』だの、
『今から3000年前には「ヨハネスブルグ」「ボストン」「ニューヨーク」といった名前の
16人の弟妹がおり、全世界に散らばった後彼らの名前が地名となった』だの…
ツッコミ所満載の妄想が延々と記述されている。

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むろん、これは近代になって造られたお粗末極まりない『偽書』に過ぎない。
では、なぜこのようなものが作り出され、当時多くの信者を獲得したか。

それは西洋文明の洗礼に晒され、列強の脅威に怯え、
根深い劣等感に陥っていた当時の日本人が、
その劣等感を克服するための精神的支柱を欲していたからである。

そして自分を強く見せる事にこだわり、そのためには手段を選ばぬ国粋主義者たちが
まるで今でいうところの朝鮮のように、「他国にあのような歴史があるのなら、
ウリナラの歴史はもっと凄いニダ!」とばかりに壮大な歴史を捏造した。
その結果が、竹内文書をはじめとする当時の数々の偽書であるのだ。

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なお、よく「モーセの墓やキリストの墓は日本にある」などという妄想が
いわゆる『日猶同祖論』と同一視されているが
これなど実情を全く知らない者の陥る錯誤であり、実態は全く逆である。

『日猶同祖論』とは中国、朝鮮、インド、ペルシア、ローマ等、
シルクロードに連なる様々な国の文化を取り入れて作られた古代日本の文化の
ルーツの一つにユダヤのそれも含まれるという「仮説」である。
いわば「日本文化のルーツは外国にある」という思想が中心となっている。

対して竹内文書のそれは、「全ての民族は日本起源!」「あらゆる宗教は日本起源!」
「世界文明の中心は日本!」「天皇家は世界の帝王!」という、
「世界の文化のルーツは日本である」という、まったく逆の思想を土台に記述されている。

こうした偽書だけで満足するだけならまだしも、竹内巨麿率いる天津教の信者たちは、
この偽書が“史実”である事を“証明”するため、日本各地に“史跡”を偽造していった。

例えば能登半島押水町のモーゼパークには『モーゼの墓』と称する遺物がある。
これは竹内文書に以下の記述がある事から信者によって作られた代物である。

『モーゼはシナイ山に登った後、天浮船(あまのうきふね)というUFOに乗り、
 能登の宝達志水町にある宝達山で“十戒”を授かり、再びシナイ山に戻った。
 モーゼによって始まったユダヤ教は実は日本起源なのである。
 その後彼は数十万のイスラエル人を約束の地カナンへ導いた後、
 また能登まで戻ってきて583歳まで余生を過ごし、押水の地へ埋葬された』

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竹内文書によるとモーセだけではなく、イエスも日本にやってきたという。

『イエスは日本で神道を学び、再びユダヤへ戻ってキリスト教を興した。
 磔刑に処されたのは彼ではなく、実はよく似たその弟のイスキリで、
 本人は中央アジアからシベリア、更にはアラスカを経て、
 4年後に船で青森県の八戸に上陸し、戸来(へらい)村へやってきた。

 その後「十来太郎大天空」と名を改めた彼は、沢口の丘の上に居を定め、
 ミユ子という女性を娶り三女をもうけた。
 鼻の高い赤ら顔で長いマントを着て歩く彼の姿を、村人は「天狗様」と呼んで崇め畏れた。
 こうして彼は106歳の天寿を全うし、遺体は風葬にされ、骨は4年後に家の跡に埋められた』

これが青森県新郷村戸来にある「十来塚」、通称「キリストの墓」なるものの由来で、
その傍らにある「十代塚」は彼が携えていた弟イスキリの耳と、
母マリアの髪を葬ったものだという。

『竹内文書』という根拠皆無の稚拙な偽書をソースに定められた後付け設定の遺構──
これが今日いわれる『キリストの墓』なるものの正体である。

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では、これが本当にキリストの墓だという証拠はあるのか?
何もない。何ひとつ存在しないのである。

キリストの墓にしても「竹内文書に従って調査していたら、
丁度土の盛り上がった墓のようなものが2つあったので、
そこをキリストの墓と呼ぶことにした」という、テキトー極まりない由来が元になっている。
そこを実際に掘り返して骨や遺物を科学的に分析したわけではないのである。

ただ、竹内文書に従って「モーセの墓」や「キリストの墓」がある事にされた村は、
これまで誰も来なかった辺鄙な田舎に観光客が訪れるようになったため、
土産物も売れ、随分と「村興し」になって助かったようだ。

要はこれらの墓は信憑性のカケラもない真っ赤なニセモノであるが、
浅はかなオカルトマニアと地元の人の役には立ったという事である。
そのため今でも集客のために毎年キリスト祭なるものが行われている。

ついでに言えばイエスは本人が伝道していたため顔が広く知れ渡っていたので
弟が代わりに処刑されるなどという事はないし
権力者側にとっても何としてでも消し去りたい存在であった彼を
別人と取り違えて逮捕する可能性もかなり薄い。

本人に多くの兄弟がいた可能性はあっても
「処刑されたのは実はよく似た兄弟だった」とかいうのは
カムイ伝か民明書房レベルの証拠のない仮説に過ぎないのである。

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2. 封印された東北古代史


では、秋田県などで見られたコーカソイド系の遺伝子とは何なのか?
結論から先に言えば、これはユダヤとは全く関係が無いのだ。

そもそもユダヤ人とは中東系の人間であって白人などではない。
こんにちユダヤ人と呼ばれている白人(アシュケナジー系)の多くは、
元来のユダヤ人(スファラディー)が漂浪先の土地の民族と何代にも渡って
混血を重ねた結果、本来の形質を殆ど失ってしまったものや、
ハザール王国などバビロニア系民族が勝手にユダヤ人を自称した結果の子孫、
またユダヤ教への改宗者などであって、古代イスラエル民族とは別物である。

ましてや単純に東北でコーカソイド系白人遺伝子が見つかったからといって、
それをユダヤと結びつける事などとてもできはしないのだ。

では、こうしたコーカソイド系遺伝子はどこから来たのか?
それを知るに当たって、東北の古代史をざっと俯瞰する必要がある。

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東北地方は古くから未開の地であるというイメージがある。
だがそれとは裏腹に、東北には数多くの古代遺跡が点在している。

縄文時代からの稲作の証拠を示した「垂柳遺跡」、
秋田県鹿島市大湯の環状列席(ストーンサークル)、
その他、メンヒル、ドルメンの数々…

同じ大湯の目と鼻の先にある宮野平遺跡の黒又山は、
天然の山に手を加えた人工コピラミッドだという説さえあり、
実際に多くの発掘物や、7~10段もの石組み構造が確認されている。

「縄文文化とは弥生文化以前に存在した未開文化である」というのが一般の通説だ。
稲作中心ではなく、狩猟や漁撈が生活の中心だったというのがその理由である。

だがそれとは裏腹に、縄文文化のレベルは、今までアカデミズムが唱えてきた、
「弥生時代以前の原始時代」などではなく、実際には技術力を含めて
格段に高かった事がわかっている。

土器にしても、華麗な装飾の施された火焔土器が
装飾性の殆ど見られない弥生式土器より、
高度な技術と美術的精神によって作られているのがわかるだろう。

だが、単純に薄いというだけの理由で
弥生式土器の方がよほど高度な土器であるとされてきた。
実のところ両者は装飾性を先行させたものと実用性を目的としたものの
目的の差が現れているにすぎないのだが。

…こうした謎めいた縄文文化は、フォッサマグナを挟んだ西日本側で
多く見られる弥生文化と対照的に、東日本側で多く見られる。
(フォッサマグナ周囲ではその両文化の並存した遺跡が見られる)

弥生文化は縄文文化が発展して生まれたものだとされるが
実際には両者の文化はフォッサマグナを挟んで東西に同時に存在していたようだ。
しかしある時期、急速に東側の人口が激減し、西側の人口が激増する。
大阪の国立民族博物館の小山修三教授が、遺跡調査と遺骨調査から掴んだ事実である。

謎に満ちた東北地方。
ここには先史時代、いったいどのような歴史があったのだろうか。

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石器時代の東日本一帯には複数の民族が住んでいた事が
今日では発掘調査からわかっている。

それを端的に示すのが東北地方の縄文時代晩期の地層から
多数発掘される、『遮光器土偶』と呼ばれる不気味な姿形をした土人形である。

その奇抜な形状から、この土偶の正体については、「宇宙服を着用した
宇宙人の姿を象ったものだ」という説や、「古代東北で広く信仰された
アラハバキ神である」という説、果ては偶然にも似ている事から、
古代シュメールの女神イシュタルであるという説まで幅広い珍説が提唱されている。

では、つまるところこの土偶の正体は何なのか?
それは当時の東北地方に住んでいたらしき、
エスキモー系とアイヌ系の民族の姿を象った呪い人形なのである。

この土偶の名前にもなっている「遮光器」とは、エスキモーが
雪の反射光によって網膜が灼けるのを防ぐために身に着けるゴーグルの事である。
遮光器土偶はこれとまったく同一のものを目に装着している。

また土偶の服に見られる特有の渦巻き紋様は、アイヌ人たちが体に彫る刺青、
またその民族衣装に見られる渦巻き紋様と同一のものである。
つまりこの土偶は、これら二つの民族の特徴を併せて表したのなのだ。

ちなみにエスキモーとアイヌは文化の多くに共通項目が見られる。
その1つがアイヌがムックリ、エスキモーがジューズ・ハーブと呼んでいる
構造の酷似した口琴であり、これらが埼玉県の氷川神社遺跡などから
発掘されている事からも、彼らの一族が東日本に広い勢力を持っていた事を示している。

なお、遮光器土偶を作ったのは、このモデルとなった
アイヌまたはエスキモー人ではなく、彼らと敵対した部族である。
なぜなら遮光器土偶土偶は完全な状態で発見されることはまずない。
多くは粉々に砕かれているか、足や腕など体の一部が欠損していたり、
切断された状態で発掘されている。

というのもこれらは、意図的に破壊する事によって
モデルとなった部族に呪いを齎す事を目的として作られた人形であろうからだ。
わざわざ中空の素焼きとして作られているのも、壊しやすさを追求した結果なのである。

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偽書説が濃厚であるが、大和朝廷の正史とは別視点で
東北地方の古代史を記したとされる、『東日流外三郡誌』という
数百冊からなる古文書がある。

そこには、古代東北には先住民の阿蘇辺(あそべ)族と、
大陸から渡ってきたという、体に刺青を施す習慣のある津保化(つぼけ)族とが、
勢力争いをしていたという事が記されている。

このうち阿蘇辺族が勝利し、東北に王国を築いたが、
大噴火に巻き込まれて滅亡し、結果的に津保化族が生き残ったという。

もし事実だとすれば津保化族とはアイヌ民族の祖先であるのかも知れない。
また、津軽弁では古くから人を罵る際に「つぼけ」と言うが
これは津保化族を罵った事に由来するという説がある。

さて、阿蘇辺族の滅亡から大分時代が下った頃、
近畿地方に「大和朝廷」という強大な政権が誕生した。
彼らは自分たちをを「天から下った神の子孫」と称する一方で、
制圧した土地に住んでいた敵対勢力を賤民の地位にまで貶め、
これを「根」と呼んで差別した。

近畿地方一帯に支配権を確立した大和朝廷は、
更に「桃太郎」に見られるように、中国地方に軍隊を派遣してこれを平定し、
隼人族の反乱が見られる九州地方をも武力で制圧した。

西日本一帯を我が物とした大和朝廷は、同時に東日本への侵略も進めていた。
史書にも見られる通り、東北他方に何度も大軍を派遣しており、
蝦夷討伐と称して先住民族を虐殺し尽くした。

坂上田村麻呂の蝦夷征伐の際、応戦した部族がワラビケ刀
(アイヌが儀式に使う鉄剣)を使っていた事は発掘調査によって判明している。
つまり大和朝廷によって蝦夷と呼ばれ、討伐された部族は、アイヌの祖先であった可能性が高い。

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大和朝廷は単純な勝利では飽き足らず、東北に柵(前戦基地)を築いて
軍隊を駐屯させ、多くの労働力を移民させて東北の支配と開拓を進めた。

移民させられたのは朝廷に対して反抗的な態度を取っていた被差別部落民、
いわゆる「根」である。
今でも青森や岩手などに「一の戸(へ)」「二の戸」…「八戸」などという地名が見られるが、
これらは大和朝廷が彼らを東北に閉じ込めて蓋をし、逃げられないように築いた
バリケード(関所)に由来するという。
「根蓋」(ねぶた)である。

現在でも青森では、大和朝廷が派遣した司令官(征夷大将軍)の
坂上田村麻呂の絵によって、華々しくねぶた祭の山車を飾っている。
要するに現地民の無慈悲な大虐殺と大和朝廷の勝利を、
毎年最大の祭の中において祝っているのだ。
坂上田村麻呂がこの地でどれだけの惨劇を齎したのかに思いを馳せようともせずに。

その後、アイヌの多くは蝦夷地に逃れた。
現地に残った東北の先住民族は、東北に移住させられた根の民と混血を繰り返し、
時代を下るに従い本来の血が薄まり、こんにちで言う大和民族と同化していったようである。

ざっと駆け足で見たが、東北地方の古代史は多くが闇に覆われ、謎に包まれている。
後進地域であり、文化の発達が遅れていたためもあるが、
大和朝廷の手によって故意にその正しい記録が握り潰されてきたためもあろう。

しかし歴史を歪める事はできても、現地に住まう者たちの血までも偽る事はできない。
今日の科学調査によって判明した、秋田県民の遺伝子が伝える事実は、
彼らの遠い祖先となったであろう先住民のうち一種が、
大陸より渡ってきたコーカソイド系白人らしいというだけである。

『東日流外三郡誌』に見られる、東北地方に住んでいたが
絶滅してしまったという先住民族とは、
あるいはこの、コーカソイド系白人であるのかも知れない。


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3. ナギャドヤラの謎


(執筆中)
話題が大きく横へ反れたが、東北とキリスト教の話に戻ろう。

天文18年(1549年)、日本に最初にキリスト教を伝道したという
ヨーロッパから送り込まれてきた工作員であるイエスズ会のフランシスコ・ザビエルは
本国に対して「既にこの国には先にキリスト教が広められた痕跡がある」との書簡を送った。

また、時代が下って鎖国とともに徹底したキリスト教の大弾圧が行われたが
そのような時代にあって、東北は多くの隠れキリシタンが住まう地域であった。
それは伊達正宗などの戦国大名が隠れキリシタンであった事に由来するのかもれしない。

戸来村に伝わる「ナギャドヤラの歌」なども、
天津教の信者によって広められた偽者か、もしそうでなければ
そうした地域にあって隠れキリシタンたちが残した遺産の一端であるのかも知れない。




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END
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