堀タキコ

堀タキコ・滝太郎


「ビタミン」は世界共通語であるが、「オリザニン」と聞いてピンと来る人は希少であろう。日本の科学者、鈴木梅太郎博士が発見した、いわゆる現在「ビタミン」と呼ばれる栄養素が、オリザニンそのものである。本来ならば、オリザニンが世界共通語として広く知られるはずであったが、翻訳のミスから、後塵をはいすることとなってしまった時代の徒花である。その鈴木博士同様、堀タキコ・滝太郎親子は、経済学の世界において、マルクス・エンゲルス以上に受け入れられるべき存在であった。

親子での共著「お隣は払ってらっしゃいますよ」は、資本家と労働者との関係をこれ以上ないくらいシンプルに著した名著であると、後世の研究者は口を揃える。書かれた時期は早くても、いかんせん世に出た時期が「資本論」に後れを取ったが為に、現在ではクイズ番組の最終問題あたりに出題される難問奇問のジャンルに入れられてしまっているのは残念である。

ホロゾンタと、堀親子の関係は、きのやまさをとの関係に尽きる。さをは生前、痛飲するたびに無頼な過ちを多く残したが、どんなに酩酊していても、こと堀親子に話題が及ぶと、虎が猫に化すかの如くおとなしくなったという。さをは多くを語らないが、彼が京都で潜伏していた時代、頭の上がらないような失態を堀タキコの前で犯していたことは容易に想像出来る。タキコの背景から、それは経済学に関する内容であると大方の予想ではあるが、真相は藪の中である。研究が待たれる所である。

倒幕派の間者 さを担当からの話  諸般の事情にて名は伏せる(昭和3年 西本願寺小講堂にて聞き取り)
 「生活の中にほとんど隙を見つけることの出来なかったさをでしたが、一ヶ月に一日だけ、ひどく落ち込んで、または錯乱し、隙が生まれる日がありました。確か、月末だったと記憶していますが、それは決まってさを宅を男女二人が訪れた後でした。その男女二人は恐らく親子、もしくは不貞の関係ではなかったかと。そんな日を狙って何度か襲撃しましたが、さすが幕末を代表する剛の者、逆に痛手を食らったのはこっちの方でした。今思い出してもあの鉄の爪の威力は、震えが来ます。そんなことは良いんでしたっけ。そう、確か、その二人の名前は、『ほろ』とか『ほり』とか言ったと思います。幕府お抱えの学者だと言うことまでしか分かりませんでした。国学者と言うことで、国粋の我々もうかつに手は出せませんでした。二人を尾行していこんな事がありました。さを宅からの帰路、男女の男の方が道に落ちていた何かを拾い上げ、懐に入れました。我々は密書か?と色めき立ったのですが、それは実はミカンの皮でした。彼は懐に手を突っ込み、ずっとその皮を揉みしだいていましたが、そのうち次第にミカンの良い香りが尾行する我々にも匂ってきました。その匂いに釣られるように、家々からこども達が飛び出して来て、いつしか親子を先頭に大行列となっていました。それをそのまま、旧知の八百屋の前まで引き連れて行くと、群衆は自ずとミカンを欲し、前代未聞のミカンの売り上げを叩き出したそうです。私でさえ、職務を忘れて買いましたからね。その様子を見て、女の方が『これぞ、商法の理』とひとりごちたのも、覚えています。さをと二人の間に何があったかは分かりません。しかし、さをほどの人物の心をかき乱すのですから、相当の人物であったと私は思います。」

尊皇尊が戯れに描いた似顔絵が残されていたが、第二次世界大戦中、ナチスに提供された。   
最終更新:2013年04月07日 09:32