川本

生涯

幼少期の記録はない。青年期、毛唐の遊びであった「baseball」に興じていたことは、『由良縁起絵巻』に記録されている。その後、落語家を目指し脱藩。上京後は、何の因果か、木口小鳥と知り合い、交友を深めていく。小鳥が捕縛された後、失踪。ある人は、落語家として艶話を得意とし一世を風靡した「桂 万個狗斉」その人であると言う。またある人は、故郷に帰って牧畜を始めたとも言う。

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桂 万個狗斉

墓所

彼が桂万個狗斉その人であるならば、墓地は上方落語協会名誉会員墓地のC区-52番。ちなみに、右隣は月亭可朝、左隣は笑福亭鶴光の墓所である。
彼が、由良の牧童となっていたならば、その所在は知れない。

逸話

言わずと知れた「川本のアメフト勧誘・・」の川本である。セムをアメフト勧誘し失敗した事実を、小鳥のような小心者に揶揄されるという失態を晒し、人生最大の屈辱を味わうが、基本的にはそつのない行動をする抜け目のない因幡脱藩浪士。夫婦漫才師「アホとめぐみ」のアホの実父。前述した長州脱藩僧とは同じ長屋に住むほどの仲であったと言うことが明らかになっている。小鳥とも親交が深かった。

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楽しいアメフト観戦

友人宅でいくら深酒しても、必ず朝方には帰宅するという用心深さが、小鳥が新選組に捕縛された当日、同じ場所でいたにもかかわらず、奇跡的に難を逃れる奇跡を生んだ。セムに対する恋慕の情は深く、夜な夜なセムの住む大津を眺め、嘘を言いながら涙を流したという。日銭を稼ぐために働いていた商店の余り弁当を大量に友人宅に持って帰る善行を積んだ。基本的に地味なエピソードしか伝わってこない人物であるが、同時代を生きた多くの人から「ルシフェル」とも呼ばれたことから、ただ者ではない臭いは感じ取れよう。

博打に長じ、時折開催された天津教麻雀大会において、かなりの腕を見せたと言う。麻雀の技巧では、あのいんにょうえさえ歯が立たず、地団駄を踏んでいたらしい。敵が大きな手で来そうな時は、すかさず小技で応酬する卑劣とも思えるスタイルに、いんにょうえは翻弄され続けたらしい。

落語家を目指して上京したが、周囲を笑わせる事皆無であった。そのセンスが実子のアホに脈々と受け継がれていたなら、それは負の遺伝と言うしかない。しかし、実態は真逆で、アホの笑いのセンスは卓越しており、『雨の日の水やり』・『父さん、ワンワンワン』を超える漫才はまだ出ていない。

正妻はいたと思われるが、アホは川本74歳の時に、愛人との間に作った子である。ちなみにその愛人はセムQではない。


縁者

最終更新:2013年03月30日 06:02