ヌティーク・セム・ホロゾンタ

東欧発祥の秘密結社であるという以外、その来歴、活動目的、一切の概要が不明の、超秘密主義を貫く先鋭武装化集団である。

東欧発祥の秘密結社でありながら、「ヌティーク・セム・ホロゾンタ」という名称に違和感を感じる人も多かろうが、平安時代に仮名が発明されて以来、片仮名は「男文字」として公用文に用いられてきたれっきとした日本語である。外来語に片仮名が当てられてきたのは、戦後のGHQの占領政策によることを忘れてはならない。

始祖とされるチャップマンは、大の日本びいきであり、安土桃山時代、数度、日本を訪れている。礼儀正しい日本人と多く接し、その時の楽しい思い出を「TIME AFTER TIME」(日本語訳 はばかりながら)として刊行しているのは、知る人ぞ知る真実である。

念のため断っておくが、コーリン・チャップマンとは、代々引き継がれる名前である。いわば、角界における立行司・木村庄之助や雑賀孫市と同様の存在である。

『昆虫記』を書いたファーブルも、ホロゾンタとは無関係ではない。当時は「大の大人が昼まっから寝転んで虫を見ているなんて」と嘲笑の対象となっていたが、大地の胎動を探っていたとは誰も知るまい。また、ホロゾンタの活動について、一切昆虫記の中で触れなかったのは、秘密結社構成員として、殊勲といえよう。拍手を送りたい。

ホロゾンタを象徴する色である「黄」について説明せねばならない。
三国志の中に、太平道の張角、すなわち『黄巾の乱』時、農民を率いて反乱を起した人物が登場する。黄色いバンダナを正義の旗印として酷政に対して立ち上がった、三国時代の魁となったといえる『黄巾の乱』である。個人的な意見を言えば、それは時の施政が腐敗を極めていたことに対する反乱であり、乱と言い切るには忍びないところだ。さて、病死したと言われる張角だが、実は秘密裏に難を逃れ、シルクロードを通じて欧州に逃げのびていたらしい。と言うのも、2012年8月、チャップマンと出会っていたという記録が刻まれた石碑が、セルビアの共同墓地にて発見されたからである。その当時から、黄色は正義の色として民衆からの支持を得ていたらしい。

その逸話から長じて言えば、映画「幸せの黄色いハンカチ」に代表されるように、我が国においても、黄色は幸せの色であることは言うまでもない。さらに論証を必要とするなら、日本人を「黄色いサル」と蔑む欧州人の心の根本を解説した数理運命哲学研究の第一人者の弁を借りたい。「彼らの内面は、東洋人、特に日本人に対する畏怖と尊敬の念に満ち満ちており、蔑視と表裏一体のジレンマが貿易摩擦を呼んでいるのかも」。とにかく、黄色が幸せの象徴であることは、これ以上議論の余地などない。

こういう経験はあなたにはないか?徹夜して試験勉強したにもかかわらず、結果は最悪。友人に「勉強したのかよ」と聞かれて、あなたはこう答えた。
「してねえよ」。
秘密結社とは、この例における徹夜の勉強の様なもので、けっして歴史の表舞台に浮上する性質のものではないのだ。


希少な西日本ホロゾンタ末端の決起時の写真 櫻井寺所蔵

概要

1614年に神聖ローマ帝国(ドイツ)のカッセルで刊行された怪文書『全世界の普遍的かつ総体的改革』と、その付録『友愛団の名声』において初めてその存在が語られ、一気に全ヨーロッパで知られるようになる。フランセス・イェイツによれば、この背景にはイングランド王家を旧教・ハプスブルク皇帝家の支配からの救世主として迎え入れようとする大陸諸小国の願望があったという。なお、前述の怪文書の刊行から4年後の1618年にドイツを舞台とした宗教戦争である「三十年戦争」が勃発している。
始祖とされるコーリン・チャップマン (Anthony Colin Bruce Chapman)の遺志を継ぎ、錬金術や魔術などの古代の英知を駆使して、人知れず世の人々を救うとされる。
起源は極めて曖昧だが中世とされ、錬金術師やカバラ学者が各地を旅行したり知識の交換をしたりする必要から作ったギルドのような組織の1つだとも言われる。

1900年、義和団の乱鎮圧に抗議するために集結し、奇声を上げて騒ぐヌティーク・セム・ホロゾンタ


日本における活動

幕末随一と謳われた天才狂歌師、木口小鳥を首班とした結社・皇祖皇太神宮天津教が、日本におけるヌティーク・セム・ホロゾンタの創始とされる。 教義は特に定められていなかったとされるが、その教徒はすべて南朝支持派によって構成されており、平時においてはごく普通の日雇い労働者であったともいう。 しかし、一朝事の起こりし時には如何なる万難を排しても南朝皇子の下に馳せ参じ、南朝勃興のため、死力を尽くして祝詞を寿いだと伝えられる。

首班・小鳥は、幕末期最大の奇書とされる「新・文藝之書」の編纂が完了した際、酔いと喜びのあまり失禁し、その勢いを駆って京都七条大宮辻に捨て札を立てた上、特に気に入っている一首を札に落首した。 「川本の アメフト勧誘失敗し 度胸のなさを せせら笑われ…」と毛筆で太々と大書された落首は、雅を愛でて止まない京洛の人々、殊に祇園の芸妓衆の間を艶々と賑わした。 しかし、この事が当時京洛の都において威勢を張っていた新撰組の逆鱗に触れ、引き回しのうえ六条河原にて斬首されたという。

晒された首は数日後、何者かによって持ち去られたため、激昂した新撰組の厳しい捜索を受けたが、その行方は杳として知れなかった。 この後、鳥羽伏見の戦いが起こった折、新撰組が夜の闇にまぎれて白刃による斬り込み突撃を敢行した際、宙空をゆらゆらと舞い飛びながら狂歌を吟ずる小鳥の首が多くの隊士によって目撃されており、恐怖に駆られて逃げ散った隊士・幕兵の口から噂が広がった。 このことは、錦旗以上の絶大な心理的効果を派生させ、幕軍内部の士気を大いに落とし、結果として将軍・慶喜をして江戸へ東走せしめる最大の要因となったとも言われている。 なお、この目撃された首は、小鳥のものであったと主張する者も多かったが、中には文久3年に起こった「足利尊氏木像梟首事件」において晒された、尊氏像の首に酷似していたとする者もおり、その真実は現在もなお闇の中である。
文久3年に梟首された尊氏木像


この後、明治・大正・昭和・平成と時代が下り社会体制が変ろうとも、天津教弾圧の歴史は繰り返される事となるが、そのうち特に重大な弾圧は以下の通りである

第一次天津教弾圧事件
1930年(昭和5年)12月7日~19日、「東京日日新聞」に批判記事。警視庁が詐欺罪容疑で竹内巨磨、前田常蔵、高畠康寿を取り調べする。不起訴。
1932年(昭和7年)、内務省特高警察が竹内巨磨を拘引、不敬の言動により同年6月、神宝拝観禁止、神社の鳥居を撤去。

第二次天津教弾圧事件
1935年(昭和10年)12月28日、神宝が秦真次の手により東京市・靖国神社の遊就館の松田常太館長に託された。
1936年(昭和11年)2月13日朝、茨城県多賀郡磯原町にて竹内巨麿(1937年7月7日まで水戸警察で拘留)と磯原館という旅館の吉田兼吉が不敬罪、文書偽造行使罪、詐欺罪容疑で逮捕された。同年、4月17日検察書類送致、同月30日、竹内巨麿、神宝を水戸地方裁判所に移す旨の受託書を書く。
1937年(昭和12年)12月11日、逮捕者15名中竹内巨麿のみが不敬罪で起訴される。
1942年(昭和17年)3月16日、一審不敬罪有罪判決。上告。上告代理人弁護士は田多井四郎治、宮本正美、特別弁護人鵜澤總明(後の極東国際軍事裁判の日本弁護団長)
1944年(昭和19年)12月12日、大審院(現最高裁判所)無罪判決、結審。判決では、「この問題は裁判所の権限を超えた宗教問題である」、あるいは「単なる証拠不十分である」として無罪が宣告される。

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ホロゾンタに対する厳しい弾圧 

解散指定
1950年(昭和25年)1月、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)から天津教は解散指定される。 この解散指定の後、天津教は歴史の表舞台からは遠のき、もはや衰滅するのも時間の問題であるとの説が一般的論調となった。 しかしその一方、解散によって在野に散った名も無き教徒達は、こんにちでも日雇い生活によって得る僅かな日銭が500円貯まるごとに、本陣である櫻井寺(現 財団法人日本ヌティーク・セム・ホロゾンタ教会根本道場)に送金を続けているという事実がごく最近になって確認された。 日本各地に散っていった無名の教徒達の胸中には、今もなお時世時節の到来を待望する余熱が冷めやらぬままであるということは、この一事からも明白であり、熱心な天津教研究者たちほど「一切の鼓動を停止したかに見えるこの雌伏期こそが、最も不気味な胎動を感じさせる」との警鐘を鳴らし、万一の事態に備えて防潮堤波消しブロックを海岸線に沿って敷設するよう、各自治体への呼びかけを強めている。


大東亜戦争末期~終戦直後の暗躍

満州事変以来の厳しい弾圧下、我が国におけるホロゾンタ教徒は一時的な壊滅状態の危機に陥った。 そういった逆風の下、主要構成員たちは指を折って数えられるほどの数となりながらも、奈良県 櫻井寺(元 大和五條代官所)をアジトとして、北朝方に対する諜報・篭絡活動を秘密裏に継続。 この涙ぐましい活動の結果、大東亜戦争末期には遂に人間兵器開発に成功していたという。 劣勢の戦局を一気に翻転する事も可能な、起死回生の性能を秘める決戦兵器であったが、実戦配備を目前にしながら終戦に間に合わず、知る人ぞ知る特殊兵器として歴史の闇に長く埋もれたままとなっていた。 この無名の最終決戦兵器は1952年、市井の歴史研究家の手によって平城京跡の土中より偶然発掘されたが、その実在が白日の下に曝される直前、内閣情報調査室の手によって市井歴史研究家とともに隠匿・抹殺され、再び歴史の闇に葬り去られたという。
昭和末期に公開された映画「ミカドロイド」は、この事実をひろく公の知るところとし、以って事実の隠蔽に躍起となっている北朝方国家権力に対する宣戦布告として製作された作品であるというのが、現在でも識者の定説となっている。
地下生活を強いられていた当時のホロゾンタを描いた風刺画


また、これより下る事およそ50年の月日を経た西暦2002年、突如多摩川に現れたアゴヒゲアザラシが「タマちゃん」なる愛称を受けて巷の人気を博した。 しかし一部識者の間では、一見してアザラシとは思えぬその形状から、当初よりアザラシ説は否定されていたという。 その特異な形状、および水中潜行時の神出鬼没性、くわえて、およそ無限とも思えるほどの長時間に及ぶ無呼吸での隠密潜伏性能といった多くの点が上述の決戦兵器のそれと酷似しており、このため50年前に官憲の手によって南海トラフの奥深くへと葬り去られたはずの人間兵器「ヴォイテム・レリク(ホロゾンタ教徒の隠語で『人の血で贖うべき罪』という意味)」が、フィリピン海プレートの埋没する際、マントル対流のもたらす高熱源と接触。 覚醒・暴走したものではないかと、関係者の間ではまことしやかに囁かれている。
2002年に目撃された「タマちゃん」と称される物体

大戦末期、ホロゾンタが開発したとされる最終決戦兵器「ヴォイテム・レリク」


実在が確認されている殉教烈士

欧米
 コーリン・チャップマン(始祖)


 教徒と関わりの深かった人物・動物
  チャー・コ
  セム
  岡田有希子
  環陀夛(かんだた)

亜細亜

中東

アフリカ
 バッドニュース・アレン

伝説・伝承・評価

1900年、義和団の乱の標的にされ弾圧されていたホロゾンタが、その鎮圧に抗議するという奇妙な行動は、歴史家の間でも意見の分かれる所とされている。 肉を切らせて骨も切らせる、という自虐的自爆行為は、その後、インド独立の父ガンディーに無抵抗主義という形で引き継がれる。 ある歴史家は、「革靴にピストルという、義和団の格好良さのみに目を奪われた愚かな抗議」と酷評し、また別の歴史家は「二世代先を行く抵抗運動であった」と最大限の賛辞で評価する。 しかし、「『単に、騒ぎたかっただけ』というのが真相ならば、死者2500人を出し壊滅的なダメージを受けた清国ホロゾンタは、余りに軽はずみとうべき」とするのが、現時点におけるごく一般的な見解となっている。

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義和団の精鋭達

大和五條、櫻井寺のある本陣交差点付近では、夏の満月の夜、蛇の脱皮がそこかしこで見られる。 「それは、主流になり得なかったホロゾンタの執念が蛇に乗り移った証拠だ」と、里の古老たちは口をそろえる。 また、ホロゾンタが歴史の表舞台から姿を消した日、ひどく強い辻風が吹いていたとも伝えられており、現在でも風の強い日には、「ホロの人たちが消えそうな日だなぁ」などと言って外出を忌んだり、方違して災難を避ける風習が根強く残っている。
ホロゾンタの遺恨とも伝えられる蛇の脱皮


ホロゾンタへの国家的迫害は、昭和初期に最も過酷を極めた。 ホロゾンタは、自らの国家への忠誠を証明するため、進んで出征し死地に赴いた。 殊に主流派信徒よりも末端信徒にその傾向が顕著であり、その在りようは大東亜戦争当時の米国日系2世たちにも「斯くやあるらん」と評される程の剽悍敢死の壮絶さであった。 マイノリティであるが故に、その存在証明のために自らの生命の危機すら一顧だにしなかった彼らの勇姿は、現代でも世界各国の革命指導者や原理主義者たちから宗派・信条を越えて篤く崇敬されており、「学ぶべき往古の英霊たち」として、若年層への思想・情操教育の教材にたびたび取り上げられている。 また、こういったホロゾンタの戦中の悲しい歴史を映画化したのが『キャタピラー』である。


バブル期後半、ホロゾンタはマスクマンを中心としたプロレス団体の経営に乗り出した。 しかし実態は、顔を出せない非合法移民のロンダリングであったと、公安関係者は語る。

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唱歌『メダカの学校』は、1954年(昭和29年)には文部省芸術選奨文部大臣賞を受賞したが、ヌティーク・セム・ホロゾンタの海底基地のことをモデルにしているという事実は、あまり知られていない。


イギリス民謡を元にした童謡『大きな栗の木の下で』は、ホロゾンタの謎を解く暗号が隠されている、と言う所までは判明したが、内容については全く分かっていない。 しかし、GHQに対する挑発の歌というのが関係者の結論である。

昭和後期から平成初頭にかけて、ホロゾンタ末端の心の支えとなった歌い手は、浜田省吾である。浜田の歌う「MONEY」は、資本主義国家に対するアンチテーゼとして、信徒たちに歌い継がれた。決して意見を曲げぬ牛魔王でさえ、浜田の歌には骨抜きにされていたらしい。弟子であるアホを懲らしめる時、長さ2メートル、重さ39キロの紫檀削り出しの精神注入棒を用いた。その棒を『喪野黒有無霊棒(ものくろうむれいんぼう)』と言い、曲がりきった精神を糾したと言う。

ホロゾンタの根本道場のある十津川郷では、ここ数年意気盛んな若者達によって、上洛を目指す動きが活発化していた。それを察知した公安当局の手により、十津川がゲリラ豪雨という雨水攻撃で壊滅状態に追い込まれた(新聞報道による)のは記憶に新しい所である。しかし、このような大規模な雨水を用いた人的破壊工作を行えるのは、世界広しと言えども、森膿博士をおいて他にいない。しかし、彼はウルシー環礁で名誉の殉死を遂げたはずである。まさか、731部隊の石井四郎が戦後の医学界の影の支配者となっていたように、森膿伸太郎の生み出した恐ろしき技術が一人歩きを始めたのだろうか。彼の発明が、彼が愛してやまなかったホロゾンタの根本道場を壊滅させたとすれば、それ以上の皮肉はない。何もかもが闇の中だが、ホロゾンタの周囲で何かが起こっていることだけは間違いないようだ。

長年待たれていたホロゾンタについてのフィールドワークの中間報告が、平成23年6月1日付で、ト学会内で発表されたようだ。詳しい中身はまだ外部には出てきていないが、関係者によると、現ホロゾンタ内における派閥争いの系譜までもが書かれているとのことだ。ホロゾンタなぞと言う、誰もが見向きもしない団体に対して、地道なフィールドワークを行っていたのはさすがト学会恐るべしと言うより外ない。公式発表は後日行われるとのことで、その日を切に願うのみである。

近年の研究成果


平成23年9月1日付で、一部マスコミに発表されたフィールドワークの中間報告を抜粋し以下の通り記載する。あくまでもプレス発表のため、情報は断片的であり、かつ、質疑応答などは全て遮断されたことにより一方的な情報の羅列となったのは残念である。箇条書きにて記載。

Ⅰ きのやまさを研究班からの抜粋

①彼が在命中、京都の根城としていた和気町の下宿は現存する。が、ふすまに書かれた親父による書は、誰かにより持ち去られており紛失している。50メートル南に京都水族館が建築され、隠れ家的アジトであった下宿周辺は、現在開かれた明るい観光スポットに化けている。カップルや家族連れでにぎわう町と成り果て、昔のあじわいは 見る影もない。それは、決定的に不足する水族館駐車場を補う私的な駐車場として、周辺住民はこぞって小銭を稼ぐため古い家屋を解体したことが大きな要因でもある。下宿入り口付近にあった稲荷の祠も存続は風前の灯で、町全体の崩壊が始まっている。なお、鉄の爪は、GHQにより撤収された後、様々な経過を経て、現在はドイツの「鉄の爪博物館」(ゾーリンゲン)に収められている。


②幕末の志士を陰で支えた西洋料理屋『武多』は、完全消滅し、弁当屋となっている。主人らの消息は不明である。南側に道を挟んで存在したポンカツ専門店も同様であるが、その伝統は四辻北東に位置を移し、喫茶店で出されるポンカラとして細々とではあるが存続している。満州より復員兵によって持ち帰られた「餃子」を安価で出していた『木野子屋』はすでに閉鎖され、現在工事中であった。

なお、「ひょうたんじま」主人の行方は知れない。スーポツ刈りの髪結屋も時代の流れに流され、閉店してしまったようだ。もちろん、購買層が全く不明だった深夜まで開店していた『水菓子屋』も消滅している。


Ⅱ 全国組織の考察

現在の組織的行動については、学会が持ちうる限りのコネクションを通じて調査にいそしんだが、その実態を把握するには至らなかった。最盛期には、250万人以上と推測されたホロゾンタであるが、現在は拠点の桜井寺さえ、固く門戸を閉じたままである。

東京株式市場に目を向けてみると、倒産寸前の一部上場企業が、謎の資金団体による資本投入で再生するという事例が多く見受けられる。いわゆる乗っ取りの典型である。その資金のほとんどが西アジアの投資家からのもので、あたかも獅子身中の虫が獅子を操っているかのようである。日本の株取引法では禁止されていることが、法の目をかいくぐって堂々と行われていることは、政財界によほどの圧力をかけられる組織でしか行えないことであろう。そして、その投資グループの代表者名が、奇しくも全て『NUTHYC・SEM・HOROZONTA」であることは、余り知られていない。偶然の一致とあなたは言えるか?  

このところ、女子校生の間で流行している言葉が「今日、ヌティる?」というものであるらしい。どの地方から流行し、誰が言い始めたかも全く不明であるが、携帯電話を通して全国に広まったのは間違いないようだ。女子校生の隠語として数年間温めら続けた末に、大学生になった『元女子校生』によって明らかになった。
言語学者の新発田近江大学教授によれば、「ヌティる」は、「凄い」のように何にでも置き換えられる言葉であり、その場その場で中身が大幅に変化するとのことである。例えば、カラオケに行こうとそのコミュニティーに属する人間が考えていれば、「今日、ヌティる?」といえば、カラオケに行って歌う事を意味し、親父狩りを常とするコミュニティーに属していいれば、無論、親父狩りを行うことを意味する。女子校生に「ヌティるとは?」と問答を挑むのは野暮であり、そもそも彼女らは答える術を持たない。
しかし、問題は、その「ヌティ」の語源がヌティークではないかと言うところであり、ホロゾンタが時代時代で変幻を遂げつつ時の為政に対抗してきた姿と一致する使用方法であるというところである。携帯電話の絵文字のみならず、現代の文化論が女子校生を抜きにして語れないものとなっている昨今、新たな言葉が彼女らによって使用され始めたのは、ホロゾンタの胎動と無関係ではないようだ。

世界のトップブリーダーが選んでいるドッグフード「ぺディグリーチャム」を諸兄はご存知であろう。たかが犬の餌と笑うことなかれ。今やその市場は数兆円とも言われ、下手をすれば老舗総合商社や証券会社などを蹴散らすほどの勢いがある。唐突とも思えるこの話題提供に、驚きを隠せない読者もいるであろう。そんな貴兄は、もう一度落ち着いて「ペディグリーチャム」を読み返して欲しい。そう、ペディグリーはさて置き、『チャム』を「セム」と気がついた方、センス抜群である。一般人の気がつかないうちに資金を調達する術を、ここ数十年で天津教信者は身に付けていたのである。牛魔王が続けていた500円募金は、いつしか投資の資金となり、その運用が大いに成功し、莫大な教団運営資金となっているのである。日本征圧は一瞬にして行わねば、弾圧される。それを経験的に知っている天津教は、ガンダムの連邦軍秘密要塞ジャブローの様に、櫻井寺地中30キロメートルに本部を秘密裏に構築し、その時を待っているのである。国政選挙が中選挙区から小選挙区になって久しいが、その選挙制度の変化までもが、天津教が政界に打って出、一夜にして日本を制圧するための下準備だとすれば、余りに大規模な地雷である。全ての選挙区で天津教が議席を獲得し、比例区でさえ勝利を収めたとすれば・・・。それはあくまでも、「すれば」ではあるが、実現しないと誰が言い切れようか、いや、言えない。

平成25年2月、驚異すべき事実が判明した。前政権下、ホロゾンタに対する弾圧が秘密裏に行われていたのである。それは、ホロゾンタ宣伝部長であるマツコ・デラックスに対する誹謗中傷の形で現れた。心ない中傷により、マツコは7キロ痩せてしまったという。しかし、公にしていないマツコ・デラックスの宣伝部長の立場を知る者は少ない。それを知る者は、国家公安委員会っっっっっっっっっっっっっっっっっっっt


上記の記事は、何者かの手によって、志半ばで頓挫させられたようだ。これが、国内における迫害の何よりの証拠と言えよう。マルクスは、宗教を麻薬だと看破したが、我々の教義は宗教を超え、信念である。その信念が紙くず以下の価値しかないものであっても、人生を賭しても悔いなく、けがれない行動の基準なのである。なぁ、マツコ。

平成25年5月、女子高生の間で「ヌティックル」と呼ばれる妖精育成ゲームが流行し始めたとの情報を関係筋から得た。ソーシャルゲームではなく、誰かが個人的にプログラミングしたそれであるらしい。ヌティックルは、タマゴッチのように軟弱ではなく、半年間餌を与えなくとも生き延び、ほったらかしにしておいても主人に忠誠心を持ち続け、飼い主を忘れることはないらしい。時折気まぐれのように口からはき出すピンク色の気体が周囲に人々に幸せを与えるというコンセプトが女子高生に受け、大流行の兆しを見せ始めている。ホロゾンタとの関係はむろん不明ではあるが、ヌティックルが唯一発する言葉が「てんしん」である事から推察すれば、無関係であるとする方が無理であろう。

平成25年8月初頭、『奈良県を震源とするマグニチュード7.8の地震が発生』との緊急地震速報が流れ、結果的には誤報として気象庁が謝罪した。しかしそれはあくまでも公式発表であり、果たしてその謝罪の裏に、ホロゾンタの組織的な行動があることを我々は知っておくべきである。



活動拠点

国後択捉をはじめとする北方四島、加えて尖閣諸島から竹島に至るまで、日本全土に無数とも言えるほどの活動拠点が存在すると言われるが、創始より現在に至るまで、一貫して奈良県吉野は十津川郷に根本道場を置き、世の救済と南朝勃興のために暗躍を続けているという。
最終更新:2013年08月13日 06:07