いんにょうえ

深夜の内裏において、懸想叶わぬ想い人の名を絶叫した廉で市中を引き回されるいんにょうえ

生涯

黒船来航当時、最も国内で先進的であった長州藩で生を受けたいんにょうえは、羽賀健寺の長男として何不自由なく育つ。松下村塾に学び、巷で「いんにょうえに並ぶ者なし」と褒めそやされたほどの逸材であった。その後、周囲の期待を背負い、僧籍を獲得すべく上京する。京に到着した日、泊まった旅籠に木口小鳥が同宿しており、意気投合する。小鳥の吐く威勢の良い言葉の数々は、幕府に迫害を受け続ける長州の人間として、玉音のように響いたと言う。行動を共にするようになった二人に、川本が合流すると、おのずと威勢はさらに剛なる方向へと進んでいった。そんな彼らであるから、会津中将に京都の治安を任された浪士集団である新選組に当然命を狙われる存在となる。西本願寺にいんにょうえが身を隠しているという情報を新選組副長土方が知ったというのが、屯所の移転を西本願寺に強引に進めた真相であると言う。小鳥よりも、長州藩出身のいんにょうえの方が、その頃は重要人物として新選組にマークされていたとも、子母沢 寛の「新選組始末記」に記録されているので、その辺りの信憑性は高い。小鳥が皇尊皇と知り合い、何らかの情報を入手して以来、その立場は逆転したようだ。

小鳥が斬首された後、時代は開国へと流れた。勝ち組となったいんにょうえのテンションは最高潮に達し、京の町を大声で漢詩を吟じながら闊歩したという。そして、いんにょうえは長州脱藩ではあるがその咎を許され、長州藩で公式な役目を任ぜられる。

日露戦争に参謀として参加し、乃木希典の懐刀として暗躍するが、偵察に出た203高地で、味方の仕掛けた地雷原に迷い込み、爆死。

未確認情報ではあるが、明治5年にいんにょうえと小鳥が三条木屋町で歩いていたのを見たという者がある。裏が取れていないので、ここに掲載するのも憚られたが、その人物の情報は百に一つの誤報がないとまで言われるもので、今後の調査が待たれる所である。

墓所

地雷の余りの爆発の激しさに、肉片一つ残されていなかったと言う。唯一、発見された彼の遺品とおぼしきものは『マーチスーパーターボ』の文字が染め抜かれた手ぬぐいだけだという。その手ぬぐいは、日本に送られたが、下関港に到着する直前、味方の設置した機雷に接触し、船ごと沈没した。

逸話

「人は死んだら何になる?灰になる」の名言を残した長州脱藩僧が、小鳥の人間形成に大きな影響を与えていたことを知る者は少ない。
日本地理に精通していた脱藩僧による教授が、小鳥の知識全てと言っても過言ではない。小鳥は「沼津(ぬまず)」や「掛川(かけがわ)」というフレーズに対し、異常に興奮を覚えていたとの記録がある。日本最初の新婚旅行は坂本龍馬とお龍であるが、日本で最初にラテン的(「Oh!latinate!」)と西欧人に言わしめた人物が、この脱藩僧だったことは意外と知られていない。小鳥の後ろに見え隠れする脱藩僧がホロゾンタの発展に大きく寄与したのは間違いない。しかし、その真相は、闇の中である。
脱藩僧の名は、音読で「いんにょうえ」としか伝わっていない。様々な漢字、例えば「飲尿重」「陰陽会」「院女餓」などが当てられると想定されるが、 記録にはない。

同郷の高杉晋作は松下村塾の同輩で、親交が厚かったとの説もある。
最終更新:2014年01月03日 23:46