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『入試と大切な人達とバレンタインと』:(直接投稿)

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匿名ユーザー

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だれでも歓迎! 編集
Happy Vallentine!!黒にゃん!

……から2週間も過ぎてしまいましたが。バレンタインデーを題材にしたSS
『入試と大切な人達とバレンタインと』を投稿させて頂きました。

この話は原作12巻から1年後の話として書き始めた拙作

『光のどけき春の日に』
『かわらないもの』
『呪いの果て』
『父の教え』
『黒騎士の微笑み』
『朝の光輝けり』
『夢と絶望の果て無き戦い』

から話が続いています。

相変わらずオリジナルキャラが多数出ている上に、Cute描き下ろし小説の
黒にゃんが学校で作った新しい友人を自己解釈で出してしまいました。
そんなオリジナル設定満載な話でも差し支えなければ
少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。

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夕飯の片付けも終わり、私は予め用意しておいた材料を
冷蔵庫から取り出すと、明日のためのチョコレート作りに取り掛かった。

本来の意味でのバレンタイン当日は明後日なのだけれど。
明後日は土曜日になってしまうし、本命の志望校の入試を10日後に
控えている私は週末においそれと外出するような余裕なんてないものね。
だから学校で渡す分も考えると、今日中に作っておかないといけないから。

私は早速ミルクチョコレートとスイートチョコレートを包丁で細かく刻んだ。
そしてラズベリーピューレと水あめをお鍋にかけて沸騰させる。

さらに刻んだチョコレートをボウルに移してからピューレを注いで
溶き混ぜると、無塩バターを加えて全体が滑らかになるまで
丹念にゆっくりと練り込んでいく。

まずはフランボワーズの生チョコを作るつもりなのだけれど。
ある程度の大きさで作って、3cm角に切れば数を揃えられるから。

高校生活を通していろいろと世話になった人たち。
付き合いのあるクラスメートやコン部のメンバーなど
皆に渡すとなると、やっぱりある程度の数が必要になるもの。

まあ所謂世間で言う、義理チョコ、友チョコ、などというと
聞こえは悪いのだけれども。1年に1度くらい、そんな人たちに
感謝の気持ちを形に出来る日、なんてのも悪い事じゃないわよね。

ふふっ、でもまさかこの『夜魔の女王』たる私が
こんなリア充イベントにチョコレートを作る日がくるなんて、ね。

思い返せば今までの私の仮初とはいえ『此方の世界』の人生において
バレンタインなどはそれこそ『リア充爆発しろ!』と言うべき
忌むべきイベントだったはず。毎年、年越しの各種行事がひと段落着くと
途端に世間がその日に向けて、一斉に様変わりするのを
いつも憎々しげに見ていたものだったわ。

まったくこの日の本の国に生まれたのなら
2月には節分なんかにももっと力を入れるべきではないのかしらね?
近代の商業主義に乗せられた愚民達の浅ましい姿には
本当に呆れたものだと心底思っていたのだけれども。

とはいえ、日向や珠希には毎年必ずせがまれるし、
私の作ったチョコレートをお父さんやお母さんも喜んでくれるので
結局家族用にと毎年欠かさず作ってはいたのだけど、ね。

だから家族以外の人のためにチョコレートを作った事なんて、
昨年が始めてだったのだけれど。それもこれも思い返せば
きっかけはいつものように桐乃の無茶振りからだったわね……

『ほら、せっかくのバレンタインなんだからさ、あんたもチョコ
  作ってきなさいって。あたしも友達の分作ってくるんだから、
  それで皆で交換っこしようよ!」

あの時、いつものようにお昼休みにうちのクラスにやって来て。
翌日に控えたバレンタインの話題に、私がウンザリしながらも
自分には関係のない話ね、と吐き捨てたのを見咎めた桐乃は
そういって私にもチョコ作りを催促してきた。

そんな暇は無いわね、と一度は突っぱねては見たけれど。
一緒にお弁当を食べていた秋美は勿論のこと、いつの間にか
桐乃の話を何気なく聞いていたクラスの女の子達まで
あれよあれよと集まって盛り上がってきて。

気が付けば私も引くに引けない状況まで追い込まれてしまっていた。

え、どうしてか、っですって?今の話の流れで
その理由を察せられないなんて、本当、浅慮で残念な輩ね。

だって、桐乃の作り上げる自称『友達の間で評判の高いチョコ』
などという『暗黒物質』によって、我が級友達が悶え苦しむ
無残な運命を迎えるのを、黙って見過ごすわけにはいかないでしょう?

だから私は桐乃たちの話しに強引に割り込んでいって
クラスメート達には私がチョコレートを作ってくる、と啖呵を切ったのよ。

桐乃にはひとまず目配せをして黙っていて貰ったのだけれども。
この辺りは常日頃、主に桐乃が原因で学校で騒動を起こした時に
二人で何とかしてきたときの阿吽の呼吸が役に立ったのは幸いだったわね。

一先ず皆には桐乃はモデルや部活で忙しい時期だから
私が代わりに作るわ、とか何とか言い包めてなんとかその場を収めた。

桐乃はその場は私の言い分を大人しく聞いてくれてはいたけれど。
元からの丸顔をさらに膨らませて私を睨みつけていた表情を見るまでもなく
皆とのチョコ交換を邪魔されてすっかり機嫌を損ねてしまっていたわ。

とはいえ、本当の理由を言い出すわけにも行かず
私はもう一度さっきの理由を繰り返した後に。

『あなたがそこまで言うのだから、たまには人間風情の
  慣習を体験しておくのも悪くはないと思っただけよ』

なんて我ながら苦しい理由で嘯いておいたのだけれどもね。

案の定、それを聞いた桐乃はにやにやと嫌らしく笑っていた。

『ま、瑠璃がそこまで言うなら、せっかくの機会は
  あんたに譲ってあげるからあたしに感謝してよねー』

狙い通りの反応を引き出せたとはいえ
恩着せがましくそんな事を言われるのが本当に心外だったわ。

さらには桐乃の大好物である、フォンダンショコラまで
私がお詫びと称して作ることまで約束させられた。

まったくお詫びというのなら本来あなたの世間体が
『暗黒物質』で崩壊するのを未然に防いだ私こそが
あなたから貰うべきものではないのかしらね?

とはいえあの時の私はそれでしつこく絡んでくる桐乃から
逃れられるなら、と半ば打算的にその条件を飲んでしまったわけだけど……

精々この『夜魔の女王』が手ずから創出した『神魔餡晶』を食して
己の『暗黒物質』との違いを思い知るがいいわ。
それが『宿敵』へのせめてもの情けというものでしょう?

そんな風に自分を納得させながらね。

え?何だかんだ言っても、バレンタインを友達と
チョコを交換して楽しみたかっただけだろう、ですって?

物事には結果の一面だけでは判断出来ない因果の律というものがあるのよ。
神魔の宿命すら解せぬ哀れな俗人共には無理からぬことでしょうけど
それならば分不相応な疑念を抱いたとしても口になどしないで頂戴。

まあそれはともかく、そんな理由で昨年のバレンタインは
クラス中の女の子の分のチョコを作って皆に配ったのだけど。

弁天高の頃と比べればマシになったとはいえ、なかなか話す機会も
持てなったクラスメートにも思いの外喜んで貰えて。
それがきっかけで、普段から気後れせずに話せるようにもなったのよね。

それに料理部の部長をやっていた花楓と、料理やお菓子作りの話題で
良く話すようになったのも確かあの時からだったからしね。

さすがに部長をしているだけあって、花楓は私の知らないような
レシピや知識も多くて料理の腕も確かなものを持っている。
私としてもそんなオタクではない「普通の女の子」の花楓との
やりとりは何もかも新鮮で楽しいもの。

花楓は普段は物静かで。引っ込み思案といってもいいくらい
慎ましい女の子なのだけれども。こと料理に対する情熱は私達オタクが
好きなものにかけるそれと同じくらいのものがあるのよね。

だから、料理コンクールに出場する部員が急病で欠席になった時には
普段のしおらしさが嘘のように、必死になって私に代役を頼み込んできたり
今年の学祭ではいつの間にか名誉部員にされていて、料理部の出し物の
喫茶コーナーでは私の料理まで出品する事になったりもしたけれどね……

ふふっ、こうして思い返しても昨年のバレンタインを
きっかけにして、いろんなことがあったものよね。
どれも私の中で掛け替えのない思い出になるくらいに。

だから10日後には志望校の本試験を控えている身とはいえ
今年もバレンタインのチョコ作りには我ながら気合が入ってしまっている。

まあ、さすがに今更目の色を変えて勉強する時期でもないものね。
センターの自己採点でも英語以外は想定以上の結果を出せたのだから
後は当日に向けて体調を崩さないように気をつける方が先決だし、ね。

私は止め処なくあふれ出す追憶を軽く頭を振って追い払うと
目の前のチョコレート作りにもう一度集中し直した。

ぼんやりと練り混ぜている間にすっかりと粗熱が取れた
チョコにフランボワーズのリキュールを加えていく。
木苺独特の爽やかな香りがふわっと立ち昇り、その名に違わず
酸味の程よく効いた美味しさを引き立ててくれることでしょうね。

私は改めて丹念に混ぜ合わせてから、シートを引いたバッドに
チョコレートを流し込んで表面を平らに均すと、冷蔵庫に静かに収めた。

これでしばらく冷やして固めればほぼ完成ね。
後はカットしたりココアパウダーを塗す必要もあるけれど。

その間に、今年もやっぱり桐乃に催促されている
フォンダンショコラの作成にも取り掛かることにしたわ。
材料となる薄力粉や砂糖、ココアなどを戸棚から取り出して
用意する人数分になるように計り分けていく。

頼まれた張本人である桐乃は勿論の事、私がオタクっ娘や
学校生活の公私で世話をかけている沙織や秋美、ユウの3人と
今年も互いのチョコの交換を約束している花楓と。

それから……先輩の分、を作るために。

でも女の子たちはともかく、ユウや先輩には
一体どんな顔をして渡せばいいというのかしらね……

結局昨年はクラスや友人の女の子の分しか作らなかったから
私が男性に直接チョコを渡すなんてことは、お父さん以外では
これが初めての事になるのだもの。

しかも形としては友チョコや義理チョコであるはずの
それが持つ本当の意味を心の中にずっと秘めたままで。

それを意識した途端に、先に使ったフランボワーズの
リキュールもかくや、というほどに自分の顔が紅潮していくのが判った。
そのことを意識するとますます狼狽えてしまって、砂糖を掬い上げていた
軽量スプーンを、思わず取り落としそうになってしまう。

い、いえ、なにもそんなに深刻に考えることなどないわ。

いつものように『夜魔の女王』の『マスケラ』を被って艶然と構えて。

『桐乃に作ってあげたついでに、オタクっ娘のメンバー分も用意しただけよ。
  煦々たる女王の施しに精々感謝することね?』

髪を悠然と掻き上げならが、瞑して言い捨ててしまえばいいだけなのよ。

私はそんな『展望』を強く心に描いて言葉にして呟き続けた。
自身への暗示を誘起させ、静穏を促すための古の呪術のように。


「って、ルリ姉、なにぶつぶつ言ってんの?チョコ作りもう終わった?」

突然背後からかけられた声に私は文字通り飛び上がらんばかりに驚かされた。

「ち、違うのよ。これはちょっと材料の配分を考えていただけで。
  ふっ、『神魔の処方』を深淵より導き出す過程において
  思わず『真言』が口を突いて漏れてしまっていたようね……」

慌てて振り向いてから、訝しげにこちらを見ている日向に対して
私は右手を顎の下で添えて毅然と応えていた。

「はいはい、あたしだって明日のチョコ作んなきゃいけないんだから
  なるべく早くしてね。……ま、ルリ姉が初めて作る
  本命チョコに思わず気合が入っちゃうのもわかるけどねぇ?」

肩を竦めてやれやれといった仕草から一転、擬音が頭の上に
浮かんでいそうなくらいに、にやにやと日向は笑っていた。
日向らしい好奇と冷やかしをたっぷりと込めた半目でこちらを見据えて。

「なにを勘違いしているのかしら?これは所謂『友チョコ』というものよ。
  桐乃が今年もとしつこくせがんでくるものだから仕方なく、ね。
  それに桐乃に作るのならば他の友人の分も用意するのが
  『此方の世界』の義理というものでしょう?まったく面倒な事だけどね」

私は日向の視線を軽く受け流しながら素知らぬ顔で髪を掻き上げた。
下手に反応すればより絡まれるのは目に見えているもの。
ふっ、私もすっかり成長した大人の対応ができるようになったものよね?

「あー、キリ姉、確かにフォンダンショコラ大好きだっていってたもんねぇ」

私の話と並べられた材料を見て、日向は得心が行ったのか大きく頷いていた。

それだけで判断が付いた日向の成長具合に私は内心驚かされていた。
学校でも部活で頑張っているようだし、ここの所、受験で手一杯の私のために
率先して家事を引き受けてくれていたものね。

でも私が感心している暇も有らばこそ
日向はすぐに元の悪戯っぽい、いえ、厭らしい笑みに戻って。

「でもさぁ~本当にそれだけでいいの、ルリ姉~?
  春から高坂君と同じ学校に入学したらさぁ
  また引っ越し前みたいに学校で二人っきりの水入らずになれるんでしょ?
  それなら今からだってアプローチするべきなんじゃな~い?」

所謂人のコイバナ、などというものは女子にとっては訴求力No1の話題で
勿論日向にとっても興味津々な内容でもある。中学生になってその傾向に
より拍車が掛かっていて、我が家の中でもやれクラスメートの誰それが
いい雰囲気だの怪しいだの話している時も多いくらいに。

そしてこと私に関しては今みたいにあからさまに煽ってくるのよね……
知れずため息が漏れるくらい、お決まりの物言いに呆れてしまうけれど。

まったく、私は『真・運命の記述』に応じて慎重に事を進めている最中なのよ?
あなたの興味本位に付き合っておいそれと応えるわけにはいかないわ。

「はぁ、あなたがその件に関して気になっているのもわかるけれど。
  同じ大学に入れたといって、私達の関係がすぐに変わるものではないわ。
  ……前にあなたにも話したとおりに、ね」

2年前のあの時。『審判の日』に打ちひしがれた私を
日向がその小さな身体一杯に受け止めてくれてからというもの。

日向は今みたいに冷やかし半分ながらも私の気持ちを都度確かめてくるし
私も表向きはうんざり見せながらもそれに出来る限り応えるようにしていた。

それがおちゃらけた態度の中に隠している日向の心配りへの礼、
と言うものでしょうからね。

「……そっか。ま、急がば回れっていうしねぇ。
  それに高坂君の事だから、情熱的に迫ったら余計に動揺しそうだもんね」
「まったくね。自分の事となるとてんで覇気がなくなってしまうもの。
  それに……『盟約の刻』に至っていない以上、そもそも無駄というものよ。
  まったく、そんなところだけは強情なのだから。兄妹揃って、ね」

それに案外と、最近は日向とのこういう会話を楽しんでいるのも自覚している。

ふふっ、世の中の姉妹というものはこういうものなのかもしれないわね。
気兼ねなくお互いの恋心を話し合って、励まし合って、助け合って。
それが女の子というものだと、今の私なら理解できるもの。

「……だから焦らずに行くわ。私も。先輩も。そして勿論桐乃も。
  自分の気持ちと、互いの想いと。もう一度真っ直ぐに向き合える
  その時までは、ね」

日向はもう一度そっかと軽く頷くと、先の癇に障る表情が
嘘のように朗らかな笑顔で頑張ってね、ルリ姉、と続けた。

私もそれに不敵な笑みで、ええ勿論よ、と胸を張って応えた。
掛け替えのない妹の思い遣りを我が事のように誇らしく思いながら。

もっとも、今でこそこうして私の考えを尊重して
あの娘なりに私たちを応援してくれている日向だけれども。

『審判の日』の後で、私は日向に自分と取り巻く状況や
私の目指す『真の理想の世界』に関して余さず伝えていたのだけど。
それが日向のしてくれた事への礼儀だと思ったから。

でもそれを聞いた日向は烈火の如き勢いで私に激情をぶつけてきた。

私の記憶している限り、日向にそんな剣幕で怒られたのは
初めての事だったから、私は呆気にとられてしまって
ただ日向のお説教を聞き続ける事となったわね……

でも、確かにそれも当然のことなのでしょうね。

私と日向の立場が仮に入れ替わっていたとしたら
私だって日向を全力で思いとどまらせようとしたでしょうから。

親友のために想い人を振って。親友のために想い人から振られて。
親友と想い人が互いの秘めた気持ちに本気で向き合い、つき合った後に。

それでもなお、親友と想い人と共に何時迄も歩んでいくのだと。
家族の愛情を昇華した想い人と何れは添い遂げて見せるのだと。

そんな戯言を大切な家族から本気の想いで聞かされたのなら、ね。

曰く、もっと自分を大切にして、とか。
そのままじゃお互いに苦しむだけだ、とか。
素敵な人ならこれからの人生でいくらでも巡りあえる、とか。

日向は必死に言葉を尽くして私を説得しようとしてくれたけれど。

それでも私の気持ちは決まっていたから。
何度も諦めかけた本当の願いを全てを賭して追い求めると誓っていたから。

それも絶望に憂慮に悲嘆に打ちひしがれた私を日向自身が、
そして大切な家族や親友達が支えてくれたおかげだものね。

だからその時、私は涙すら流して叱ってくれていた日向の身体を
精一杯の想いを込めて抱きしめると、ゆっくりと頭を撫で続けた。

日向が珠希くらいだった頃、自分の思い通りにならないと
決まって癇癪を起こした日向をそうやっていつもあやしていたものだった。

もっとも、この時に聞き分けのない子供だったのは
間違いなく私の方だったのでしょうけれども。

『ごめんなさい、日向。あなたの気持ちは本当に嬉しいのよ。
  でもね、私は信じているの。この先に必ず暖かな未来を掴むんだって。
  そこでは私達皆が笑っていられる世界が待っているんだからって』

妹の精一杯の心遣いにすら応えらてあげられないこの不甲斐ない姉が
せめて謝罪と感謝の気持ちだけでも伝えられるようにね。

『……まったく、ルリ姉があたしの言うことなんて
  全然聞く耳持ってくれないなんていつものことじゃん。
  だったらそんなことに謝ってないで、それこそいつものように
  偉そうな態度で自分の好きなようにすればいいんじゃない?』

目を赤く腫らしながらも日向はどこか晴れやかにそう言っていた。

台詞そのものはまるで愛想を尽かされたかのような内容だったけれど
私はもう一度日向の華奢な身体を強く抱きしめていた。

結局その時の言葉通りに、日向はそれからの私の行動を
特に諌めるようなことも、ましてや怒り出すようなこともなかった。

まあ、今のようにあの娘自身の好奇心から煽ってきたり
私達の話をちょくちょく聞き出しては、からかってきたりはするけれども。

その意図するところも重々承知しているつもり。

「でも、そういうあなたこそ、その恰好といい、揃えた材料といい
  今回のバレンタインにはとても気合が入っているのではないかしら?」

だから私もそのお返しを日向にしなくてはね。

日向は普段の家事の時に愛用しているのとは違った、可愛らしい桃色の
エプロンをつけていた。確かあれは昨年の誕生日でお母さんから
プレゼントされたものだったかしらね。

それに戸棚や冷蔵庫に入っていた、私のものではないチョコの材料も
なかなか値の張ったものを用意していたようだし。日向が今回の
バレンタインに相応の意気込みを持って挑むということでしょうからね。

「や、それがさぁ。クラスで唯一の料理部員として
  クラスの友達になんだかやけに期待されちゃっているんだよねぇ。
  みんなの期待に応えるためにもそりゃ気合も入るってもんでしょ?」

まったく料理が出来るのもそれはそれで困っちゃうよねぇ、
なんて言いながら全然困っているようには見えないのは良いとしても。
むしろ悪戯を思いついたような活き活きとした表情をしているものね。

そしてその顔を日向がしているということは。

「ふぅーん、そう。それで皆に渡すチョコをカムフラージュにして
  本命のお相手に渡すわけね?お相手はサッカー部の期待のエースさん?
  それとも一緒に園芸委員をしているという秀才君かしら?」

勿論常の日向のように何か悪巧みをしているのでしょうからね。

私の台詞を聞いた日向は、ぎくり、と効果音が聞こえるくらいに
顔を引き攣らせて目を見開いて私の顔を見返していた。

「ル、ルリ姉……?その作戦の事を見透かされたのはともかく
  どうしてその二人のことを……?」
「何を言っているの。あなたが学校の話しをする時に出てくる
  クラスの男子はその二人が圧倒的じゃない。むしろ私の方が
  あなたがその事を隠すつもりだった、と言う事に驚きを覚えるくらいよ?」
「くっ……あたしとしたことがそんなミスをしていたなんて……」

いえ、どう考えてもあなたは日ごろからよからぬ事を企んでは
必ずどこかでミスをして自滅するのが関の山でしょうに。
そもそも日向の性格からして隠し事なんて端からできるわけないのだから。

「まあ別にそういうことなら私がとやかくいうことではないわ。
  あなたの持てる力の全てを注いだ『魅惑の晶餡』で
  見事意中の相手をあなたの虜にしてみなさいな」
「いやいや、いきなり何を言い出してんの、ルリ姉!?
  あ、あたしはただ、少しは女の子らしいところも
  意識してもらえればいいなぁ、なんて思ってただけで……」

日向の声は普段のそれが嘘のように、聞き取れないくらいに
ぼそぼそとした小声になってしまっていたわね。

まったく普段は私達のことをあれだけ焚き付けているというのに。
いざ自分が同じ立場にこんなに取り乱しているのだから。

でもまあ、そんな日向の気持ちもわからないではないけれど。

だって、顔を真っ赤にしてしどろもどろに言い訳をしている日向の様子は。

こんなにも意地らしくて可愛らしくて微笑ましいのだから、ね。

「常の溌剌な姿から一転、特別な日には女の子らしい一面も垣間見せる……
  成程、あなたもこの期に駆け引きの粋を尽くして獲物を狙うと言うわけね」
「だ、だからルリ姉じゃないんだから、そんな悪巧みなんてしてないって!」
「あら?いつも私にやれそんなんじゃ押しが足りないだの
  もっと積極的にいかないと、なんて言ってたのはどこの誰だったかしら?
  その当人はさぞかし素晴らしい見本を私に見せてくれるのでしょう?」
「そ、それはその、一般論というかセオリーというか……ね?」

でも、そんな可愛い妹を困らせるのはこれくらいにしておきましょうか。

「……まあ、そのあたりのことは一先ず置いておいて。
  材料を見る限りあなたはガトーショコラを作るのでしょう?
  私が一緒にチョコを湯煎するから、日向はメレンゲを作っておいて頂戴」
「……え、あ、うん、そうだね。分けやすいようにカップケーキ型にするけど
  チョコ150gほどよろしくね。あ、一緒にバターも混ぜておいてくれる?」
「ええ、その辺りは任せなさい。先にオーブンは使わせてもらうけれど
  その間に生地を丁寧に混ぜ合わておけば滑らかな仕上がりになるわよ」
「らじゃー。でもそれじゃルリ姉は生地を作る時間がないんじゃない?」
「クククッ、我が『冥闇の技倆』を侮って貰っては困るわね?
  あなたがチョコとメレンゲを混ぜ合わせているその刹那、
  我が杯器は疾く焼窯に納まっていることでしょう」

私は幾分誇張交じりにそう言ったものの、まるきりの嘘というわけでもないわ。
最近の日向の料理の上達振りには確かに目覚しいものがあるけれど。
その手際、というか、調理のスピード自体は今だ経験不足な所が否めない。

その点に関しては場数をこなして行けば自然と身につくものだけれど。
逆にいえば今の日向と比べればさすがに私の方が一日の長があるものね。

「はーい。でも見ててよね。あたしだって部活や家事で腕を磨いて
  すぐにルリ姉くらいには手際良く出来るようになってみせるんだからね!」
「フッ、いいでしょう。その若気故の暴虎馮河なれど
  練磨の意気を買って、何れは訪れるその時を楽しみに待っているわ」

出来れば私が五更家から離れる前にね、と続けようとして、私は慌てて
その言葉を飲み込んでいた。無事に志望校に合格できたときには
実家から大学に通うから、そんな心配は卒業まで無いのだし。

何よりきっとその時には本当に言葉通りになっているのでしょうから。

「じゃ、早いとこルリ姉の分から作っちゃおうよ。
  きっとたまちゃんが居間でラッピングの準備して待ちくたびれているよ」

今年のバレンタインも私や日向が友人たちに手作りのチョコを作ると聞いて
珠希はチョコのラッピング役を自分から買って出てくれている。
きっと珠希なりに受験を控えた私の負担を減らそうとしてくれたのでしょう。

先週末、珠希と一緒に買い物に出かけた時には、透明なフィルムや
マスキングテープ、リボンなどラッピングに必要な小物各種を
珠希の希望に沿って買い足しておいたし、ここ数日はそれらを組み合わせて
綺麗にチョコを包めるようにと一生懸命に試行錯誤していた。

きっとこのチョコも珠希のような愛くるしい姿に仕上げてくれるに違いない。
その様子を想像するだけで幸せな気持ちが溢れてきてしまうくらいにね。

「そうね。湯煎が一区切り付いたら、先に冷蔵庫で冷やしてる
  生チョコを切って珠希のところに持っていく事にするわ」
「あ、それならそっちもあたしに任せておいてよ。
  その間にルリ姉は自分の作業進められるでしょ?」
「それは助かるけれど……でも、大丈夫なの、日向?
  生チョコを綺麗に切り分けるのは案外難しいものよ?」

ここ1年でめきめきと料理の腕を上げている日向だけれども
全般的な手際と同じく、包丁捌きの技術に関しては
なかなか身についていないものの一つなのよね。

元々の手先の器用さ、というものもあるのかもしれないけれど。
日向の場合は恐らくは集中力、というか性格的な問題なのでしょうね。
一所に焦点を絞り込むような事よりも自由に柔軟な発想が得意なのだから。

「ふっふっふっ、勿論あたしだってその難しさは承知の上で、だよ。
  でも実は秘密兵器があったりするんだよねー。ほら、見てよ、これ!」

日向はこれ以上ないくらいのドヤ顔になって
真新しいエプロンのポケットから取り出したものを私に示した。

「これは……ミシン糸?成程、そんなやり方も確かに聞いたことがあるわ」
「御名答~これをぴんと張ってチョコに押し込めば、包丁を使うよりも
  綺麗に切れるってわけ。包丁を温め直したりする手間もいらないしね!」

基礎技術の向上よりも、小技に走るあたりが如何にも日向らしい。

私としてはまずはしっかりと基本を固めて欲しいと思うけれど
自分の弱点を鑑みた上で、その対策を工夫してくるのは
紛れもない日向の長所でもあるから無下にもできないでしょうし。

それに日向自身が生チョコを作るわけでもないのに
あらかじめそんなものを用意していた意味を考えてしまうと
私個人の考えを押し付ける気もすっかり失せてしまう。

ふふっ、こんな甘いようでは姉として失格かしらね。
よくよく先輩の事をとやかく言えるような資格は私にはないわ。

まあ、そんな似たもの同士だからこそ、互いの気持ちを、
立場を思いやって惹かれていったのも理由の一つでしょうけれど。

それにそれは私たちがこの先に待ち受ける運命を乗り越えたとしても、
理想に至ることができたとしても、ずっと変わることはないのでしょうから。

むしろそんな『かわらないもの』こそが私の目指したものかもしれない。

どんなに月日が流れ、立場も変わり、互いが離れ離れになったとしても。
一つの『家族』として何時までも慈しみあい助け合っていくことが、ね。

「それならあなたにお任せするわ。……いつもすまないわね、日向」
「おっと、それは言わない約束ってもんだよ、ルリ姉」

そんなことを考えていたからでしょうね。つい口を突いて
出てしまった謝罪の言葉を、日向は時代がかった調子で切り返した。

そして互いに顔を見合わせて一頻り笑い合う。

まったく本当に情けないお姉ちゃんよね。
せめて料理の腕くらいは姉らしいところを見せないといけないわ。

私は生チョコのカットを日向に託すと、湯煎したチョコと
メレンゲを混ぜ合わせ、卵と薄力粉も加えてフォンダンショコラの
生地を手早く仕上げていった。

きっと私の作った中でも一番の美味しさのチョコレートになるはず。
だって大切な妹達にこんなにも支えられながら作るのだから。

そんな確かな想いを胸に抱きながら、ね。



    *     *    *



翌朝、珠希に丁寧に一つ一つラッピングしてもらったチョコレートを
大きめの保冷バッグ2つに分けて詰めてから学校へ向かった。

既に私大の受験の始まっている私達3年生は朝のホームルームも
任意出席になっているので本格的に入試が開始された今月入ってからは
半分以上の席が空いているのが常なのだけれども。

今日に限っては大半のクラスメートが集まっていたので、担任の藤原先生も
驚いていたわね。もっともすぐにその理由に気が付いたようだけど
『受験控えてるのもいるからあんまり羽目外すなよー』とだけ釘を刺された。

もうすぐ卒業だけど、いい意味でも悪い意味でもおおらかな先生だったわ。
余ったら後で先生にもチョコを渡してもいいかもしれないわね。

その後、ホームルームが終わった直後や、受験対策の講座の休み時間に
クラスの女子は勿論、昨年の話を聞いていた男子までもが私の席にきて
チョコを受け取っていった。

そんなこともあろうかとクラス全員に渡しても問題ないだけの量は
昨夜用意しておいたのよね。その分の費用もクラスの有志がいつの間にか
カンパして集めていたものを事前に渡されていたから問題なかったし。

まあ『夜魔の女王』の誇りと威信にかけて
その予算はきっちりと全額材料に使わせて頂いたわ。

「やっぱり五更さんのチョコはおいしよね~試験に向けて沢山元気出るよ~」
「そ、そう。それなら作った甲斐があるというものだわ」

甘いもの好きの樋口さんは、彼女らしくのんびりと礼を伝えてくれた。
彼女も国立大が第1志望なので言葉通りにその力になれるなら嬉しいわね。

「わぁ、この凝ったラッピングまで五更さんの手作りなの?」
「いえ、それは下の妹が一人で全部やってくれたのよ。私の自慢の妹よ」
「いいな、いいなぁ。私もそんなお姉さん想いの可愛い妹が欲しいなぁ」

元手芸部でファンシーグッズ収集家の野本さんは
ラッピングの出来栄えに頻りに関心していた。
ベーキングトレーに並べた生チョコをフィルムで包み、マスキングテープと
シールで可愛くデコレートした出来栄えは私から見ても可愛いものだったわ。
もっともその後の珠希の話が一番盛り上がっていたけれどもね。

「くそー、この旨いチョコが食えるのも今年限りか。さんきゅーな、五更」
「ふふっ、来年はあなただけのチョコを貰える様に精々頑張る事ね?」

彼女欲しい!と良く級友と話していた葉山君は悔しそうに言っていた。
まあ本来の性格は悪くないのだから、その本心駄々漏れの癖を直せればね。

そうして昼休みまでにはあらかたクラスメートにも渡し終わった。

皆に喜んでもらえたのは悪い気はしないし、それもこのクラスでは
最後の機会だと思うと私だって名残惜しいものは感じてしまう。

一昨年、弁天高からこの学校に転校してきたときには
それまでの学校生活と同じようになかなかクラスに馴染めなかった。

私が『運命の訣別』の直後の事もあったし、それから立ち直った後も
先輩の一人暮らしや沙織の『骨肉相食』の問題で奔走していたものね。

そして迎えた『審判の日』と、それを乗り越えた『真・運命の記述』を
紡ぎ出すために、我が『創世の魔力』の全てを注いでいたからでもあるわ。

だけど昨年春のクラス換えで今の級友達と一緒になってからというもの。
桐乃や秋美と過ごす騒がしいけど賑やかな日々の中で
気が付けばクラスにすっかり溶け込んでいる自分に気が付いていた。

おかげで今では花楓は勿論、気軽に話せるクラスメートも増えていた。
体育祭や学祭、修学旅行や合唱コンクールなど、このクラスの一員として
今まで過ごしてきた様々な出来事だって色鮮やかに思い出せる。

これでクラスの皆が揃って顔をあわせる機会は
もう卒業式を残すだけになってしまうのでしょうけど。

きっとこの2年間は生涯忘れることがない。
そう言い切れるほど、私の心に永遠に刻み込まれたことでしょうね。

「なーにたそがれちゃってんのよ。まさか今になって
  入試に怖気づいてきた、なんてわけじゃないでしょうね?」
「……なんでもないわ。そろそろあなたが来る頃だろうから
  チョコレートの用意もしておこうとか考えていただけよ」

自分の席でお昼のお弁当を広げながらそんな物思いに耽っていた私に
当然のようにやってきた桐乃が不躾な声をかけてきた。

「やたー、さっすが瑠璃。で、あたしの分はどこ?どこ?」
「そんなに慌てなくてもチョコは逃げたりはしないわよ。
  落ち着いて席にでも座って待っていて頂戴」
「はーい」

桐乃がいつものように私の前の席を正反対に向け直している間に
私は2つめの保冷バッグから、こちらも透明フィルムに包み
テープやシールで綺麗にラッピングされたフォンダンショコラを
中身を確かめながら3つほど取り出した。

「そうしてると本当の姉妹みたいだよねぇ、キミたちは」
「いつも仲がよくて羨ましいね、2人とも。
  それからみんなの分のチョコ、お疲れ様。五更さん」

そんな私たちのやり取りに、秋美は半ば呆れながら、
花楓は反対に微笑を浮かべながら私の席に集まってきた。
勿論、一緒にお昼を食べるためにね。

そういえば花楓もこうして一緒になってお弁当を食べるようになったのは
昨年の春、料理部の代役をした時からだったかしらね。

丁度1年前のバレンタインがきっかけで
花楓とは少なからず話をするようになっていたけれど。

昨年のゴールデンウィークも明けた頃、普段の物静かな様子が嘘のように
切羽詰まった表情と声音で『五更さん、折り入って相談があります!』と
詰め寄られた時には、いつぞやの瀬名の気持ちがわかった気がしたわ。

結局その剣幕に押し切られて、急病で入院した部員の代わりに
コンクールに出場することになった私だけれども。

その時に互いの料理の傾向や癖を手っ取り早く掴めるようにと
コンクールまでの数日間、お昼はそれぞれのお弁当を交換して
食べ合いながら、当日の打ち合わせを行うこととなった。

そして結局、コンクールが終わった後も、そのまま花楓は
私達と一緒にお昼を食べるようになっていたのよね。

本人が言うには『だって五更さんのおかず、ヘルシーでおいしいから』
とのことで、桐乃だけでもやっかいだというのに、花楓も一緒になって
私のおかずが狙われる日々がそのときから続いている。

闇の眷属たる私は元より、桐乃や秋美と日頃から一緒にいようものなら
いい意味で『一般人風情』の花楓にとってためにならないのでは、
などと危惧することもあったけれど。

存外、花楓の『潜在能力』は高いらしく、しばしば暴走する桐乃や
こちらまで怠惰に堕ちそうになる秋美のダメ人間な言動に晒されても
『へぇ、みんなすごいんだね』なんて感心しながら平然と受け止めていた。

その度量の広さは田村先輩やお母さんを彷彿させるくらいにね。
まったく人は見かけにはよらないものよね。花楓への認識を改める必要を
感じた私は、彼女に『豊穣母神』の称号を与えていたわ。

「ま、これも長年の付き合いの浮世の義理ってやつ?」
「……そう、それならあなたにはこっちの義理チョコで十分ね」
「わーゴメンゴメン。ちょっとした照れ隠しだって!
  だってあたしと瑠璃は毎日お昼を一緒に食べるような親友でしょ!」

八重歯をむき出して胸のすくような笑顔でそう言ってのける桐乃。
まったく魂胆も何も丸見えなのに、悪びれることもない態度が取れるのは
ある意味才能と呼べるわよね。

それに言葉通りにあの娘の偽らざる本心でもある、と今の私には解るから。
ここは不問に付すのが年長者としての寛容さ、というものかしらね。

え?笑顔一つで懐柔されるなんて典型的なチョロインだ、ですって?
この『夜魔の女王』と『熾天使』の永劫に渡る宿縁は
あなたのような下賤な尺度で推し量れるようなものではないわ。
それ以上不埒な台詞を吐くのならその口ごと五感を封呪するわよ?

「まあ、自称私の親友らしいあなたにはこの友チョコを授けなければね」
「そうそう、そうこなくっちゃ。で、今年もフォンダンショコラ?」
「ええ、レシピは昨年とは違うけれどもね。
  あなたの希望通りにふっくら仕上がるようにメレンゲを使ってみたわ」
「そうそう、こってり系も悪くないけどちょっと後味がしつこいんだよねー」
「私はどちらでもおいしいと思うけれどもね。じゃあこれが皆の分よ」

私は中身を確認しながら、目の前ではしゃいでいる桐乃と
既に隣の席をくっ付けてお弁当を広げていた秋美と花楓にも
順々にチョコを差し出した。

「これラッピングも凝ってるし、中に宛名とかわいい猫のイラストを描いた
  カードも入っているんだねぇ。これは五更ちゃんの下の妹ちゃんが?」
「ええ、珠希が我が『盟友』に是非にっていうものだから」
「わぁ、裏に『姉さまとずっとなかよくしてくださいね』って書いてあるよ。
  下の妹さん、確か3年生なんでしょ?しっかりしてるんだね」
「そ、そうなの?あの娘ったら……」
「た、たまちゃん手書きのイラストにメッセージ!
  『またあそびにきてくださいね』だって!ふぉぉぉぉぉおおおお!!
  行く!明日にでも遊びに行くから待っててね、たまちゃん!!」
「あなたは少しは自重しなさい!珠希には初詣の時に会ったばかりでしょう!」

3人は受け取ったチョコの包装を空けては中を確認していた。
お昼前だというのに、秋美はそのままフォンダンショコラに
かぶり付いていたけれど、結構重いのにあなたそれでお弁当は大丈夫なの?

「じゃあ私のも受け取ってね。ガトーショコラを作ってきたんだけど」

花楓はランチバッグと合わせて持ってきていた巾着の中から3つほど
小さな紙袋を取り出した。レースペーパーで飾られたその紙袋の柄も
結えたリボンもシックな色合いで如何にも花楓らしい落ち着いたイメージね。

「あら、あなたもガトーショコラなのね、花楓。
  日向も昨日、クラスの友達のためにガトーショコラを作っていたのよ」
「へぇ、手作りチョコを用意するなんて上の妹さんもお料理得意なんだね。
  私も日向ちゃんのチョコレート、一度食べてみたかったな」

花楓はいつものように微笑みながらも、どこか遠い目をして言った。

花楓が志望しているのは勿論私とは違う大学で、
本格的に食に関しての知識と経験を身に着けるのを目指している。
来月にこの学校を卒業してしまったら、必然的に花楓と会えるような
機会も少なくなってしまうことでしょうね。

だから花楓の抱いている気持ちが私にも手に取るように良くわかる。
せっかくこの1年でこんなにも親しくなれたというのにね。
返す言葉に迷った私は、何も言えずにただ視線を落とすだけだった。

「別にこれからだっていくらでもチャンスあるでしょ?
  受験だってもうすぐ終わるんだし、進学してからだって連絡つくんだから」
「そうそう、こうしてクラスメートとして毎日会えなくはなるけど
  実家はすぐ近くじゃん。ま、あたしは春から晴れて自由の身だし
  五更ちゃんや二村ちゃんがよければいつでも遊びに行けるからヨロシクね」

そんな私に代わって桐乃や秋美が揃って応えてくれていた。

「確かに2人の言うとおりね。花楓さえよければ試験が終わったら
  うちに遊びに来てくれるかしら?日向や珠希もきっと喜ぶわ」
「五更さん……うん、喜んで!私もお菓子、沢山作って持っていくね」
「あー、ひなちゃんのチョコ、あたしだって欲しい!」
「もちろん、あたしも呼んでくれるんだよね?
  試験の終わった打ち上げにみんなでぱーっと盛り上がろうよ!」

それまでの物憂げな雰囲気はすっかりと晴れて
私達は試験の終わった後の話題で散々に盛り上がっていた。

試験で満足の行く結果を出せるとも限らないうちから
なんとも気の早いことでもあるけれど。こうして皆で
賑やかに話していればそんな心配は何もなくなってしまうものね。

そのことを教えてくれたことに。そんな団欒の場をこうして持てた事に
その時の私は改めて感謝したい気持ちで一杯だったわ。


「そういえば、あなたにはこれもお願いするわね」

お弁当も食べ終わり、デザートとして皆で交換したチョコを食べていた所で
私は保冷バッグからもう1つフォンダンショコラを取り出して
桐乃の机の上においた。

「え、あたしの分、2つもあんの?」
「そんなわけはないでしょう。あなたのお兄さんに渡しておいて頂戴」
「え~、そういうのは自分で渡すのが礼儀ってもんでしょ?
  ただの義理チョコってわけでもないんだしー」

昨日散々悩んだ挙句、結局先輩の分は桐乃に託すことに決めたのだけど。

桐乃が心底嫌そうにしながら私の机にチョコを置き返した。
まあそうくるのでは、とは思っていたけれどもね。

「先輩にはクリスマスの時に誰かさんのわがままでわざわざみんなの
  プレゼントを持ってきてくれたでしょう?その時のお礼、というだけよ。
  それに先輩も期末試験中と聞いたから、お互いにそんな暇はないでしょ?」

だから引き受けてくれないかしら、と再度頼んだ私だけれど、
桐乃は頑として聞き入れてくれなかった。文句の1つや2つ言われる事は
折込済みだったけど、さすがにここまで断られるとは思っていなかったわ。

「え、ひょっとして五更さんは桐乃ちゃんのお兄さんと?」

そんな私達のやり取りを聞いていた花楓が目を輝かせながら尋ねてきた。
この目はとても見覚えがある。日向が時折向けるそれとそっくりなのだから。
普段はお淑やかな花楓とはいえ、年頃の女の子らしく
この手の話題にはやはり興味津々ということなのでしょうけど。

考えてみれば、花楓には私達の微妙な関係を話したことはなかった。
まあ説明するのも一筋縄ではいかないし、そもそも私自身、
色恋の絡む話を改めて友人に話すことに抵抗があったのも事実。

だから花楓にはそんな話題にならないように注意していたわ。
とはいえ花楓以外は全員当事者であるようなこの場にいる限り、
いずれは解ってしまうものと思ってもいたけれど。

「以前ほんの少しの間、付き合っていた時期もあった、というだけよ。
  その後も例のコミュニティの繋がりはあるし
  色々とお世話にもなっているからまあこんなとき位はね」

だから私は用意していた台詞を落ち着き払って言い切った。
それが偽らざる私達の現状でもあるし、何も疚しいことなどないもの。

「なるほど、そうだったんだ。五更さん、私は応援しているからね!」
「あ、あなたは私の話を聞いていなかったの!?」

でも花楓は納得してくれるどころか、やけに嬉しそうにそう返してきた。
今の説明で何をどうすればそんな結論になるというのよ、あなたは。

「うん、しっかり聞いてたよ。おかげでずっと
  不思議に思ってたことがようやく納得出来たんだから。
  うんうん、やっぱり恋する女の子が綺麗だっていうのは本当なんだね」
「な、ななな何を言い出すのよ、あなたは!?」

テンション高く捲くし立て後に、とんでもない事を言い出したと思えば
今度は夢見るようにうっとりとした表情を浮かべる花楓。
もはや完全に自らの『固有領域』を展開して己の思考に埋没しているのか
私の非難の声すらまるで届いていないようだった。

くっ、まさか花楓がここまでの『恋愛思考』の持ち主だったなんて。
色恋沙汰の話を避けろと感じ取っていた私の本能は
やはり正しかったということね……

「だって、そうでしょ?五更さん、昨年の夏ごろからとっても
  優しい表情になって何気ない仕草もすごく可愛らしくて。
  つまりは五更さんの心ではあの時から恋の炎がもう一度」

そこまで聞いた瞬間、私は黄金の聖なる闘士もかくや、
という速度で動いて斜め向かいの花楓の口を右手で塞いだ。

「あなたの妄想語りもそのくらいにしておいて頂戴!
  周りのクラスメートにだって聞こえているかもしれないのだから
  根も葉もない憶測だけで実しやかに話されても困るわ」

物理的に制止を受け、漸く私の剣幕にも気が付いてくれたのでしょうね。
私に口を塞がれたまま花楓は2度ほど大きく頷いて了解の意を示してくれた。

「まったく花楓も少しは落ち着いて人の話を聞きなさい。
  今現在、私と先輩は『馴染みの同胞』それ以上でもそれ以下でもないわ。
  お互いの目標を果たすために、今はそれどころではないのだし」

改めて私と先輩の関係について花楓に説明する私。
そして先の言葉と同様、その内容は言い訳でもなんでもなくて
明確に私達のありのままを言い表している。

ただ、己の心の内を明らかにしていない、という点を除いては。

「でも、実際のところは二村ちゃんの言うとおり
  五更ちゃんだって高坂の事は全然諦めてないもんね。
  でも二村ちゃん、五更ちゃんの応援をしてもそれは無駄ってもんだよ。
  なぜなら高坂のハートはあたしが掴んで見せるんだからね!」
「ええ!?櫻井さんも桐乃ちゃんのお兄さんの事を好きなの?」
「ふっふっふっ、驚くのは早いよ、二村ちゃん。何を隠そう
  そこにおわすその高坂の妹たる桐乃ちゃんだってそうなんだから!」
「ぶはっ!?な、なにを言ってくれちゃってるの、あっきー!!」
「ええええ、桐乃ちゃんまで!?」

……やっぱり私の危惧していた通り
このメンバーで隠し事なんて土台無理な話なのよね……

言う必要の無い事まで洗いざらいぶちまけ続ける秋美と
それを嬉々として聞いている花楓の姿を見て
もはや何を言い繕っても後の祭りと私は悟らざるを得なかった。

ふと桐乃の方に目を向けると、片手で顔を抑えて深々と溜息を
付いていたところだった。そして顔を上げた桐乃と私の視線とが重なりあう。
込み上げた感情が無意識に口元を緩めていた事に気付いたのは
対面の桐乃がまさにその表情をしていたから、かしらね。

まったく傍から聞けば単なる喜劇よね。私達の辿った運命なんて。
普通の兄妹ならば自然と解決してしまうような問題に
こんなにも右往左往させられているのだから。

だからこそ、私も桐乃も当事者として苦笑いが止まらないのだし
秋美にしてもあんなにも楽しそうに話すことが出来るのかもしれないわね。

ああ、成程、だからあの時、ユウに自己紹介をした時の先輩も。
場を盛り上げようとか精一杯の強がりのためだけではなくて。

本当に可笑しいからこそあんなに楽しそうに話せたのかしら、ね。

とはいえ、そんなところに感心している場合でもないわね。

「……まあ、そんなわけなのよ、花楓。
  いろいろと言いたい事もまだまだ聞きたいこともあるでしょうけど
  もうすぐ昼休みも終わるわ。気になるならまた次の機会に、ね」

未だに夢中で話し続ける2人の会話の途切れを見逃さずに割って入って
一先ずこの場は収めることにした。そうでもしないと次の講座の先生が
入ってくるまで話し続けていそうだったもの。

「ええー、せっかく明日、高坂にあたしの渾身のチョコを渡して
  今度こそ付き合ってもらうって話で盛り上がってたのにー」
「はいはい、その話の続きは放課後にでもゆっくりしないさいな。
  ……って秋美、明日先輩に会うの?」
「ん、そだよ。午前中は試験だっていってたから丁度午後のお茶時にね」

いつもは秋美の直接的なアプローチを、なんだかんだと
やんわり断っていた先輩にしては珍しい事もあるものね。

その理由が気にならないといえば嘘になるけれども。
今はそのことに関して言及している時ではないわ。

「それなら秋美、先輩にこのチョコを渡しておいてくれないかしら?」

桐乃が頑なに拒む以上、先輩の分のチョコは沙織と同じように郵送で
送ろうかと思っていたけれど。秋美が明日先輩に会うというなら『渡りに船』
というところでしょう。もっとも、その舟は『呉越同舟』でもあるけれど。

「ちっちっちっ、残念だけど五更ちゃん。目下最大のライバルの一角の
  キミのチョコをあたしが高坂に届けるわけにはいかないってもんでしょ。
  ま、ここはあたしを見習って、五更ちゃんも自分自身で
  高坂に手渡すチャンスを作りなさいってば」

でも、秋美は人差し指をリズミカルに振って私の申し出をすっぱり断った。

確かに秋美の言い分ももっともであるし私の考えが甘かったのも否めない。
常々先輩との距離感に留意している分、逆に他の人にもそのイメージで
捉えれているはず、と無意識に安心しているのかもしれない。反省しないと。

だけどそれ以上に秋美の態度が、表情がやけに挑発的で。
それでいて教え子を諭す教師のように私を励ましてくれた気がしたから。

「そう……ね。ごめんなさい、秋美。今のは私の早計だったわね」
「そうそう、あっきーの言う通りだってーの。あんたも人に預けて
  楽しようとか思ってないで、自分のことは自分でしなさいよね」
「チョコを貰って食べているだけのあなたに言われたくはないわね?」
「ま、まあまあ。本当に昼休み終わっちゃうよ、みんな」

花楓の急かされて慌てて動かしていた席を元の位置を戻すと
桐乃は自分の教室に、秋美と花楓は自分の席へと帰って行った。
3人ともいかにも話し足りない、といった様子だったけれどもね。

これに関してもまた試験が終わった後に、かしらね。

気の重いであろうそれに私は軽く溜息を付きながらも。
なぜか口元には込み上げる笑みを抑える事が出来なかったわ。



    *    *    *



今日受講するつもりだった講座も一通り終わり
私は通学用の鞄と中身を1つにまとめた保冷バッグを持つと
久しぶりにコン部の部室へと足を向けた。

1,2年生の期末試験まではまだ1ヶ月近くあるし
現在も部活で作成を続けているゲーム『シュバルツリッター』は
年度末のバージョンで春のゲームコンテストに出品する予定だから
きっとほとんどの部員が出席していることでしょうね。

「こんにちは」

4ヶ月前までは毎日のように出入りしたドアをあけると
私は久しぶりにコン部の部室へと足を踏み入れた。

部室に入った途端、その場にいた部員の皆が弾かれたように
顔を上げて、その全てと思しき視線が私に集まっていた。

今にもギラリと音を立てそうなその鋭い視線の圧力に押され
この『夜魔の女王』ともあろう私が、思わず一歩後ずさってしまった。

え……え?この異様なまでのプレッシャーは一体……?
私達3年生が引退してからの4ヶ月間で、コン部になにがあったというの……

そんな面妖な雰囲気に飲まれ、私は暫くの間二の句も告げずに立ち竦んでいた。

「お久しぶりです、五更先輩。今日はどうなされたんですか?」

そんな中、唯一といっていい柔らかな瞳のユウが声をかけてくれた。
それで漸く呪縛の解けた私は一度大きく呼吸を整えると用件を伝えた。

「え、ええ、次のコンテストに向けて作業も佳境に入っている頃と思って。
  そんな皆に差し入れを作ってきたのよ。皆に1つずつくらいは
  あるはずだから、良ければ食べて貰えるかしら」

私は保冷バッグから藤のバスケットを取り出して、机の上に置いた。
そして上蓋を手間に開いて中に入っているものを皆に見えるようにする。
勿論中には1つずつラッピングしたフランボワーズの生チョコが
入っているのだけれども。

その間にもずっとこちらを凝視していたコン部のメンバーの皆が
バスケットの中身を確認した途端、その場に重く渦巻いていた
『霊圧』が臨界に達したかのように爆発的に変化していた。

喝采が狭小な部室の中を駆け巡り、耳を劈く咆哮が響き渡る。
何もかも灰燼に帰せずにはいられない破壊神の如き眼差しは
その役を終えた後に世の理に則り『創世』への鋭気へと昇華していった。

そう、つまりは。

「「「「「「ありがとうございます!五更先輩!!!」」」」」」

皆があらん限りの声を張り上げて、感謝の言葉を贈ってくれていて。
一瞬前までの剣呑な空気はすっかりと晴れ渡り、代わりに歓喜と熱狂に
その場は包まれていたわ。

「俺、家族以外からチョコ貰ったの生まれて初めてだ……」
「うぉぉぉ、コン部に入った俺の判断は間違っちゃいなかった!」
「見える、俺には今、先輩の背中にはっきりと後光が見える……」
「僕にはまだチョコを貰える場所がある……こんなに嬉しい事はない……」
「めちゃうまいっす、五更先輩!噂通り料理上手だったんすね!」

次々とチョコを手にとっては大袈裟に燥いでいる後輩たちを見ていると
こちらとしても気恥ずかしさで一杯になってしまうけれども。
苦楽を共にし、戦い抜いてきた『同胞』たちの喜んでいる姿に
私も自然と顔を綻ばせながらその気持ちを受け止めていた。

ふふっ、この『夜魔の女王』たる私が、柄じゃなく差し入れなんて
持ってくる気持ちになったのは、あなたたちのおかげでもあるものね。

ここで皆と過ごした日々があまりにも満ち足りて、輝いていたから。
心からの感謝の気持ちを形として顕しておきたかったのよ。

そしてもうすぐこの学校を卒業してしまうことで、ここから完全に
離れなければならない一抹の寂しさを埋めるために、かしらね。

「そうだ、五更先輩、せっかくだからこのボス戦、プレイして貰えませんか」

そんな感傷に浸っていた私に、『シュバルツリッター』の
新規ボスの『ナグルファル』担当の竹内君が声をかけてきた。

「先輩、そちら終わったらデモシーンのコンテで質問があるんですけど」
「ステージ4の幽霊船の背景物はこんな感じで大丈夫でしょうか?」
「新規ボスの曲、あらかた仕上がってきたので聞いてもらいたいです」

それを呼び水にして、今までチョコで盛り上がっていた部員も
作業に戻ったり私のところに来ては次々に意見や感想を求めてきた。
私としても先の感傷を拭うためにそれは望むところでもあるけれど。

さ、さすがにそんなに一斉に来られても困ってしまうわね。

「おいおい、五更先輩はこれから本命の入試が控えてるんだ。
  俺たちの都合でここで時間を取らせるわけにもいかないだろ。
  先輩の試験が終わったら改めて機会を設けるからその時にしようぜ」

そんな所に、北條君がよく通る声で湧き立つ部員たちを諌めていた。

その一声だけで部室は途端に静寂を取り戻し、私に詰めかけていた
部員達も私に謝罪の言葉を口にしながら各々の席に戻っていった。

さすがは私たちが引退した後、立候補で満場一致で認められた副部長、ね。
山上君の後継を望んで引き受けただけあって、『鬼の副部長』は
この世代でも健在、というところかしら。

「いえ、大丈夫よ、副部長。確かにあまり時間を取られるわけには
  いかないけれど。私も今の進捗状況が気になって仕方がないもの。
  だから一通り皆の成果を見せて貰いたいのだけど……いいかしら?」

私の提案に北條君は横に座っているユウに視線を向けた。
それに頷いてみせるとユウは北條君の変わりに私に応えていた。

「解りました。そういうことでしたらこちらからも是非ともお願いします。
  でも定例の進捗確認のように、一人あたり5分を目安にさせてください。
  詳しくはまた後日にゆっくりと見ていただければ、と思います。」
「ええ、そうしましょう。配慮感謝するわ、部長」

如何にもユウらしい思い遣りを見せながらも、てきぱきとした指示を
出す様子を見る限り、すっかりユウも部長が板についてきたようね。

北條君に推薦された時には、見ていたこちらが気の毒になってくるくらいに
動揺していたユウだったけれど。1年生全員の賛成と、北條君が副部長に
なって補佐するとまで言われたのに押されて、今期の部長に就任していた。

引退する3年生にはユウの性格的に荷が勝ちすぎると考えていた人もいたわ。
実際に最初はほとんど北條君が部を引っ張っていたようなものだったわね。

でも北條君が自身で言っていた通り、彼の真を付きすぎる言動では
部内の雰囲気もモチベーションも長く維持していくのは難しかった。
でも次第にユウの柔らかな応対や、コツコツと積み上げる努力と情熱とが
部員達を感化していくうちに、私達の代以上に高い結束力を見せていたわ。

ふふっ、男子の友情なんて小説やドラマでしか見たことはなかったけれど。
こうして目の当たりにするとなかなか悪いものではないわね。

まあ、だからといって瀬名のようなベクトルに走る気は
私には毛頭ないのだけれども、ね。

脳裏に浮かんだ親友の顔に我ながら律儀に断りを入れた私は
早速竹内君の席に向ってボス戦の確認をするのだった。


結局、その後全員分の作業状況を一通り見せてもらい
私がコン部の部室を後にしたのは、それから1時間はゆうに経過していた。

まだまだ確認したいことは山ほどあるし、後ろ髪引かれる思いだったのも
正直なところだけど。とはいえ、私としても本来は長居している場合ではないし
せっかくのユウたちの配慮を無下にするわけにもいかないものね。

最後に試験が終わった翌日にまた来るわ、と約束して
私は夕暮れに覆われ始めた校内を昇降口を目指して歩いていたのだけれども。

「待ってください、五更先輩」

そんな私に不意に後ろから声がかけられていた。
振り返れば案の定、ユウが駆け足で追いかけてきたところだった。

「どうしたの、小川君。何か言い忘れた事でもあったのかしら?」
「は、はい。とりあえず、歩きながら、で、いいでしょうか」

ユウは私に追いつくと、真横よりも少しだけ私の後ろの位置で
歩調を合わせて少なからず乱れていた息を整えていた。

まったくそれなら立ち止まって話してもいいでしょうに。
でもユウの気持ちを慮ってそんな事は口に出さないでおいたけれど。

「まずは……すみません、みんなすっかり浮れてしまって」

わざわざ走って追いかけてきてまで、ともなると
何か重要な話なのではと身構えていたのだけれども。
そこへいきなり謝られてしまい、すっかり拍子抜けしてしまった。

「……いいえ、私としても有意義な時間だったのだから
  そんなことは気にしないで頂戴。それに……皆にあんなに
  喜んでもらえたのは、その、悪い気分でもなかったわ」

だからかしらね。素直にユウに自分の気持ちを伝えていたのは。

「それならなによりです。五更先輩が来るまで、皆でバレンタインの事で
  恨みつらみを言いあっていて部内がすっかり盛り下がってましたからね……
  でも先輩のおかげでそれがプラス方向に変化して士気も上がってくれました」

改めてありがとうございます、と歩きながらユウは再び私に頭を下げていた。
そこまで感謝されてしまうとこちらとしても何とも面映ゆいのだけれども。

「それも結果として、でしょう?私は単に自分のしたいことをしただけよ」
「はい。でも部長としては先輩のチョコに助けられた事に違いないですから。
  それにその後もわざわざこの時期に時間を割いて頂いて貰いましたし」

だから私も癖になってしまっている口上が自然と出てしまっていた。
もっともユウのほうも慣れたもので笑ってそれに応えていたけれども。

本当、すっかりと私も毒されてしまったものよね。
私の周りには人の世話を焼くのが生きがいのような人ばかりだから
それも仕方ないことかもしれないけれど。

「チョコと言えば、小川君にはこれを渡しておかないと。
  さっきの部室の様子だとさすがにあの場で渡すのは憚られたから
  帰ったら郵送しようと思っていたのだけどね」
  
私は一旦足を止めると、中身もすっかりと減った保冷バッグから
2つだけ残されたフォンダンショコラのうちの1つを取り出した。

「ええ!?わざわざ僕に、ですか?」

普段の穏やかな振る舞いが嘘のように、素っ頓狂な声をあげて驚くユウ。

「な、なにもそこまで驚くことではないでしょう?
  今年も桐乃に頼まれていたから、それなら一緒に
  オタクっ娘のメンバーの分もと思って作ったのよ」
「ああ、なるほど。そういうことなら喜んで頂きます」

自分でもやけに言い訳じみた物言いになってしまったと思ったけれど
それでユウは合点がいったように大きく頷いていた。

「保冷バッグには入れてあったけれど、1日こうして
  持ち歩いているから、なるべく早めに食べておいて頂戴」
「はい、気を付けます」

『そういうこと』というのが少し気にはかかったけれど。
にこやかにチョコを受け取るユウの姿を見せられれば
そんなことまで追求するのは野暮というものでしょうからね。

チョコも渡し終わり、私達は再び昇降口に向けて歩き出した。
その間も歩きながらコン部のことやオタクっ娘のことを
取りとめもなく話していたのだけれども。

「最後に、僕からももう一つ。こっちは完全に僕の個人的な話なんですが。
  五更先輩の入試までに顔を合わせられるのはこれが最後だと思いますから」

部室棟から本棟に入り、昇降口に続く廊下に出たときに
ユウはすっと私の右側から前に出てこちらに向き直った。

「もう一度、黒猫さんに『目標に向って頑張ってください』
  って伝えておきたくて」

じっと私の顔を見据えたままで、常のユウらしく穏やかな声で。
それでいて熱となり伝わるほどの真摯さを込めた瞳で
ユウは私の『真名』で激励してくれていた。

「ええ、ありがとう、ユウ。私の命運を賭して挑んでくるわ」

だから私も紛れもない覚悟を口にしてそれに応えたわ。

それもみんなのおかげで、ね。

心の中だけでそう言い添えながら。



    *    *    *



翌日、私は志望する大学のキャンパスの中にいた。

試験前に会場の下見をしておきたいと前々から思っていたから。
天の時は地の利にしかず。10日後には戦場となるここの地形を
実際にこの目で見ておくことは戦士として必要不可欠なことだものね。

とはいえ、私は試験会場となる工学部の校舎を確認するでもなく
正門から入ってすぐにある木々に囲まれた広場のベンチに腰掛けていた。

2月の中旬ではまだ春の暖かさには程遠いけれど。
木々の合間から零れる陽射しに当っているのも中々心地よいものね。
キャンパスに入ってすぐにこんな憩いの場所があるなんて
なかなか日の本の学府も侮れないわ。

もっとも工学部には南門から入ったほうが近いらしいから
後でそちらのルートも確認しておかないといけないわ。

周りには在学生の姿も見えていたけれど、今の時間帯はまだ
期末試験の只中でしょうから、その数は僅かなものだった。

もっともその方が、スクールコートを上に着ているとはいえ
セーラー服のスカートをその下から覗かせている私が
あまり好奇の目に晒されなくて助かるというものだけれどもね。

約束の時間にはまだもう少しあることもあり
私は鞄の中から今まで使い込んできた英語の参考書を取り出した。
そして何度も繰り返し確認したはずの問題を再び頭の中で答えて行く。

センター試験では英語だけが自己採点で想定点に届いていなかった。
その結果通り、高校の授業でも模試でも苦手意識が拭えなかったものね。
だからこそ入試では同じ徹を踏まないようとヒマさえみれば
こうしていまだに対策を続けている。

苦手なものだからこそ、こうして何度でも繰り返して克服を目指す。
自分の追い求めるもののために私はそうして今まで来たのだから。
それが実を結ぶ事が少なかったのも事実ではあるけれど
だからといって何もせずに諦めるわけには行かないわ。

それにしてもどうしてこんな合理的でない言語が
世界の標準語として認められているのかしらね……
まあ優れているものが必ずしも市場に支持されるわけではないのは
製品にしても創作にしても世の常ではあるけれども。

やはりこの世は『夜魔の女王』たるこの私こそが統治して
愚かな人間風情を正しく導いていかなければならないようね。
さすればこんな無駄な語学の習練をする必要もなくなって、洗練された
『闇魔語』によって『此方の世界』もより高みに至れると言うものだわ。

昨年のここの過去問も合わせて一通り確認し終えた私は
小休止の間、『神眼』の力でそんな未来線を垣間見ていたのだけど。

「すまん、待たせちまったか、黒猫。ん、なんか随分楽しそうだな?」
「……そんなことはないわ。それに私から頼んだ事なのだから
  私が先に来てあなたを待つのが筋と言うものでしょう?」

そこにいつの間にか私の前まで来ていた待ち人の声で
椅子から飛び上がらんばかり驚かされてしまったけれど。
それでもなんとか『マスケラ』を被って平静を取り繕って顔を上げた。

「相変わらずそういうところは真面目だよな、黒猫は。
  正直いつもすげえな、って思ってるよ。俺も見習わんとなぁ」

真顔でそんな事を言い出す先輩。表情通りにきっと本心から。
私はそれに心が大きく動かされそうになって慌ててそれを引き戻した。

代わりにと私は大きく溜息を付いて見せた。
先輩のその無思慮な物言いに対しても。それと同じ位に己の弱さにも、ね。

「……まあ、あなたももう2年程で社会人になるのだから
  もう少ししっかりしたほうがいいのでしょうけれど。
  今はそんな事を話している場合ではないでしょう?
  お互いに時間はないのだから、用件を済ませておきましょう」

私は大理石のテーブルの上に広げていた参考書を鞄にしまうと
立ち上がり、改めて先輩と向き合いたおやかに頭を下げた。

「先輩、今日は私にキャンパス内を案内してくれるかしら?」
「おう、ってメールでも任せとけって書いておいただろ?
  それじゃいこうぜ。まずは近くの食堂からかな」

先輩は笑いながら踵を返すとゆっくりと歩き出した。
私も遅れない様に小走りで先輩の隣に並ぶと歩調を合わせた。

先輩の普段のものとは違う、私と先輩だけの歩度。
2年前のたった10日間だけのものだった筈なのに
それからも私達が並んで歩くときには自然とそうなっていた。

まるで……いえ、それは今は意識するべきではないのでしょうね。

私はそんな想いを振り払うと先輩の説明に集中し直した。

「ここが大学会館だ。中に食堂とか購買があるからどの学部でも
  良く来る事になると思うぜ。といっても黒猫はやっぱり弁当か?」
「そうね。毎朝両親の分も作っているから1人増えても同じことだもの」
「だよな。でも中で友達と一緒に弁当を食べている人も
  よく見るから黒猫だって昼飯に使っても問題ないと思うぜ」
「ええ、気が向いたら、ね」

その後も図書館や事務局など一通り正門前の共同施設を紹介された。

今回の入試では恐らく関係の無い場所ではあるけれど
無事に合格した暁には何度もお世話になるはずの場所だもの。
私は脳裏にその建物をしっかりと焼き付けておいた。
それでこの大学の一員になる資格を得られる、なんて
虫のいい話はないのでしょうけれどもね。

さらに、私達は本来の目的である、正門から右手奥側に
学棟を構える工学部の敷地へと入っていった。

「とはいえ、正直俺もあんまりこっちには来る機会ないんだけどな」
「確かに学部が違えばそうなってしまうのでしょうね。
  でも講義次第ではこちらの講義室も使うのでしょう?」
「ああ、そうだな。あとは学祭とかイベントの時とかな。
  まあ1年の時には一般教養がほとんどだから
  黒猫も最初は総合校舎の講義の方が多いとは思うぜ」
「成程、そういうものなのね。まあ今回の入試ではそちらは
  使わないでしょうし、工学部の校舎を一通り案内して貰えるかしら」
「おう、任せとけって」

先輩はまず校舎の脇にある、大きな掲示板に足を運んだ。

「まずは掲示板だな。何かしら大学からの連絡事項はみんな
  ここに貼られるから、通学したら習慣づけて見ておいた方がいいぜ。
  それに合格発表は学部ごとに出るから黒猫はここで確認することになるな」

確かに募集要項にも合格発表は学部ごとに張り出されると書かれていたわね。
在学時の心得を聞かされたこともあって、このなんの変哲もない掲示板から
只ならぬ『霊圧』や『理力』を感じるような気もするわね……

「ま、黒猫がここで見る最初の連絡は
  『五更瑠璃』って自分の名前になるんだろうぜ」

私がじっと掲示板を見ていたから、なのでしょうね。
先輩はそれこそ今日の天気の話しをするくらいに
何気ない調子でそんなことを言っていた。

「ふっ、当然ね。私がこの大学に合格するのは、既に我が
『真・運命の記述』において約束されたことなのだから。
  例えこれが『神命の掲示板』と言えど、その投影に過ぎないわ」
「お、おう、よくはわからんがそれでこそ黒猫ってもんだ」

まったくそんな気の使われ方をしたら、私だって
相応に振る舞わなければならなくなるでしょうに。
気を使われた方が逆に気を使っていてどうするのかしらね。

でも考えてみれば。

こうしてあなた達とずっと一緒に支え合っていくことを
私は目指しているのだから、それこそ本望なのかもしれないわ。

それはきっと甚だ大変で骨が折れて……そして心躍ることなのだから。

私達はその後、先輩の案内の元に工学部の校舎を一通り見てから
元にいた広場に戻っていた。校舎内には部外者は許可なく入れない、
との事なので本当にぐるりと回っただけだったけれど。

「本当は実際に試験会場になる校舎や
  講義室とかも見ておきたいところだろうけどな」
「いいえ、位置関係が把握できただけでも十分よ。
  これで当日、電車が遅れたり不測の事態で
  時間が無くなっても迷わずに行動できるでしょう?」
「やっぱ普段から日向ちゃんや珠希ちゃんの面倒みてるから
  そういう保護者視点が自然と身についているのかね、黒猫は」
「ふふっ、そうかもしれないわね」

それにきっと……私が臆病だから、でしょうね。
だからいつだって事前に情報を集めて対策を講じて
物事に臨む癖がついてしまっているのだもの。

でも今日はそんな自分に発破をかけてここに来たのだから。
有らんばかりの勇気を振り絞ってでも目的を果たさないといけないわ。

私は鞄の中に入れていた保冷機能つきのランチポーチを取り出すと
さらにそこからラッピングされているフォンダンショコラを
両手で包み込むように手に取った。

「今日はわざわざありがとう、先輩。そのお礼といってはなんだけれど。
  私からのお返しを受け取ってもらえるかしら?」

そして先輩の顔を真っ直ぐに見詰めながら差し出した。
出来る限り自然に振舞おうとしたのだけれども、やっぱり私の気弱な心は
腕を小刻みに震わせ、顔も次第に熱くなってくるのが解った。

「そんなこと気にすんなって。と、言いたいところだが
  せっかくの申し出なんだから、喜んで頂くぜ。ありがとうな、黒猫」

対して先輩はいつも通りの笑顔で私のチョコを受け取ってくれた。

最初こそ、気兼ねなく貰ってくれた事に安堵していた私だったけれど。

でも、まるで私だけが変に意識していたようで不公平よね?
そんな八つ当たりだと解っていても恨み言の一つも浮かんできてしまう。

「あら、随分と嬉しそうね。あなたのことだからバレンタインには
  他の人からも沢山チョコを受け取っているものだと思っていたけれど」
「んなわけねーよ。皆この時期は試験でぴりぴりしてるしな。
  それに昨日は桐乃がおまえのチョコを旨そうに食べてるのを
  これ見よがしに見せびらかせてくれたからなぁ。本当、楽しみだよ」
「そ、そうなの。本当は桐乃にあなたの分も頼むつもり
  だったのだけど、桐乃がどうしても言う事を聞いてくれなくて。
  まさかあなたに自慢するためだった、なんて事もないでしょうに」

そう自分で言いながらもその理由にも察しは付いていた。
だからこそ、私もこうして行動するつもりにもなったのだから。

「そういや今朝方、桐乃の作ったチョコは貰ったけれどもな。
  まあ相変わらずな出来だけど、今年はしっかりチョコの味が
  したものにはなってたんだぜ。あいつも頑張っちゃいるんだろうが
  お前のチョコと比べられるのが嫌だったのかもしれないなぁ」

だけどあなたはてんで見当違いの理由を口にしていた。
しかもやれやれだぜ、といった体を装いながらも、
頬が緩みっぱなしになっていたのを私は見逃さなかったわ。
まったくシスコンここに極まれり、ね。

「あの娘が本気でそんなことを嫌だと思ってるならもっと真剣に
  料理に取り組んでいるわよ。でもまあ、あの完璧主義の桐乃にしては
  そんな腕でもあなたにはチョコを食べてもらいたいのでしょうね」

だからそれを指摘した私の言葉も事実が半分、そして揶揄が半分
といったところかしらね。それでも先輩は嬉しそうに頷いていたけれど。
まあ、あなた達にはそんなことは今更言われるまでもないのでしょうけどね。

「それはともかく黒猫のチョコはやっぱり旨そうだな。
  早速ここで頂いちまってもいいのか?」
「そのままでも食べられるけれど、フォンダンショコラだから
  レンジで20秒くらい暖めて中のチョコを蕩けさせた方が美味しいわよ」
「そっか、じゃあ生協においてあるレンジでも使わせてもらうかな。
  黒猫も昼飯まだだろう?せっかくだからここの学食で何か食っていくか?」
「いえ、興味深い申し出ではあるけれどお断りしておくわ。
  土曜日だから早く帰って日向たちのお昼を用意しないといけないもの。
  それにあなただってこれから用事があるのでしょう?」

それは昨日学校からの帰りがてら、メールで今日のキャンパス案内を
先輩に頼んだときに聞いていたものね。今日は2限にしか試験がないけど
午後は用事があるから試験が終わってすぐなら大丈夫、との事だったけれど。

そして午後の用事というのは昨日秋美が言っていた事なのでしょうしね。
今回ばかりは発破をかけてくれた秋美に対して、足を引っ張るような事に
なってしまっては申し訳ないどころでは済まないし。

「まあそっちの用事にはまだ余裕があるんだけどな」
「午後のティータイムに、だものね。それで秋美とはどこで会うのかしら?」

私の言葉に一瞬きょとんとした表情を見せた先輩だったけれど。

「なんだ、櫻井から聞いてたのか?」
「ええ、昨日皆でチョコを交換していたときに、ね。
  あなたにチョコを渡すのだと張り切っていたわよ?」
「そ、そうなのか。櫻井からは大事な話があるから
  今日是非とも会って欲しい、って電話で言われたんだ。
  櫻井にしてはやけに真剣な様子で頼んできたから俺も約束をしたんだが」
「……そう」

それは昨日の秋美の明るい話しぶりからは、とても想像できない内容だった。
勿論、何かと先輩に正面からアタックを続けては玉砕を続けている秋美が
変化をつけるためにそんな搦め手に出た、と言う可能性もあるけれど。

きっと秋美は本気で。それが私には痛いほどに理解できた。
そしてこの高校生活も終わろうと言う時期にそんな行動に出た理由にも。

昨日、そんな秋美に自分がしてしまった事を、して貰った事を考えると
今すぐにでも秋美の所に飛んでいって謝りたい気分だったわ。

「まあだからといっていつものように付き合ってくれ、って
  話だったらさすがに断るしかないんだけどな」

先輩は素っ気無く、それでいてはっきりとした口調で宣言していた。
それで自分がいつの間にか無言で俯いて、下唇を噛んでいた事に
今更ながらに気が付かされていたわ。

「……それでもあなたは秋美と約束して、それを果たしにいくのね」
「まあ、全然違う話の可能性だってあるしな。
  何か深刻な悩み事の相談とかなのかもしれないし
  櫻井は俺にとっても中学以来の友達だからな」
「そう……よね、確かにあなたならそうなのでしょうね」

あなたはたとえ地雷があると解っていても、自分の蒔いた種に、
いえ蒔いた種だからこそ突き進んでいくのよね。いつだって全力で。

「それに櫻井は一緒にいると面白いだろ?
  普段はあんなにやる気ないのに、楽しむことにかけては目聡いしな。
  それにこれだと思ったことには本気で取り組む姿は
  いつもとのギャップもあって正直すげえって思ってるぜ」

先輩は時たま見せるとても優しい表情で私達共通の友達の事を語っていた。

「ええ、そんな事は私にも解っているわ。秋美は私にだって友達なのだから」
「そうだな、だからお前が俺の立場だったらきっと同じことをするだろうさ」

そして先輩はいつものドヤ顔で私に同意を求めてくる。

でも私はいつものようにはそれに応える事が出来なかった。
普段なら虚勢だったとしても私も意気揚々と返すというのにね。

「さあ、どうかしらね……『闇の宿世』から逃れられない私は
  その資格を失って『光の使徒』と共にあるあなたとは違うもの。
  何時までも『此方の世界』での縁を望むことなど適わないわ」

私は先輩の問い掛けをはぐらかすようにそう嘯く。
先輩は少しだけ驚いた表情をしたけれど。私のそんな返事に
呆れることなく黙ったまま軽く頷いて私の話の先を促してくれた。

まるで私の心の奥まで見透かしているように。

「昨日もバレンタインで、桐乃や秋美の友達には勿論
  クラスメートや部活の後輩たちにもチョコを作って持って行ったわ。
  皆喜んで受け取ってくれたし、正直に言えば私もとても嬉しかった」
「ああ、そりゃ黒猫の作るチョコだしな」
「今の学校に転校したときにはまた孤高な学生生活に戻ると思っていたのに。
  気が付けば毎日騒々しいくらいにドタバタした日々を送っているわ。
  まったく誰かさんたちのお節介のおかげかしらね」
「いや、そうでもないだろ?黒猫が頑張った結果だって聞いてるぜ。
  この前写メを見せてくれた二村さん、だったか?は
  オタク抜きで友達になったくらいなんだろう?」
「そう、ね。まあ、花楓も私達と一緒にいるうちに
  すっかり桐乃や秋美の影響を受けてしまっている気もするけれども」

先輩もそりゃ仕方ないな、と笑いながら同意していた。
まあ秋美は大人しそうに見えて、何でも受け入れてくれるような
度量があるから心配は無いとは思うけれども。

「まあ、それはともかく、そうして仲の良い人たちが
  家族やオタクっ娘のメンバー以外にも出来て、だからこそ思うのよ」

私は一度言葉を切るとずっと胸の奥に澱んでいた不安を先輩に打ち明けた。

「私はあなたのように皆に報いることが出来るのかしら、って。
  ずっと身近な人だけいればそれでいい、と割り切っていたような私が。
  それに、大学に進学してしまえば今の友達とは疎遠になって
  結局そのまま何も無い関係に戻ってしまうんじゃないかって」

卒業の日が近づけば近づくほど、昨日皆にチョコを
喜んで貰えれば貰えるほど、一層そんな気持ちに私は囚われていた。

そしてそんな悩みが、秋美への誠意を見せる先輩の姿を見て、一気に
湧き上ってしまった。果たして自分も秋美や花楓に同じように出来るのか。
それに秋美や花楓は卒業しても私と友達でいたいと思ってくれるのか。
クラスメートやコン部の後輩達と同じように付き合っていけるのか。

先輩や桐乃のようにたとえ学校が別々になっても以前の友達と
旨くやっていきたいと思っても、そんな経験さえない私がいくら
自問自答してみても一向に明確な答えを見つけられなかったのだから。

だから先の先輩の問いに応えられずに、今もまた自身の言葉を
続けることも出来ずにただ私は顔を伏せるだけだった。

「はぁ、本当、お前は変なところで真面目だよな、黒猫」

でも先輩はそんな私に向って大きな溜息を一つついて。

「普通そんな事で心配するようなやつはいないと思うぜ?
  今のご時勢、何時でも連絡はつくし、友達だって続けられるさ。
  それにそもそも、報いるってのはなんだよ。
  そんな肩肘張ってまで、友達付き合いするもんじゃないだろ?」

そうして私の頭にぽんと右手を乗せた。
まだ2月の中旬らしい冷えた空気がそれだけで暖かく変わった気がした。

「気のあったもの同士、好きな時に好きなように楽しめばいいんだよ。
  そりゃ仲良くなったみんなとずっとそうはいかないだろうけどさ。
  それでも暫くぶりに顔を合わせりゃ、すぐに昔のように
  馬鹿話の一つも出来ると思うぜ」

最初こそ呆れたような口ぶりの先輩は、いつの間にか優しく私を諭していた。
まるでお父さんや先生のように。だから私も柄でもなく素直な気持ちで
それを受け入れていた。

「それが友達ってもんだからな」

先輩は再びいつものドヤ顔でそう締めくくった。
普段は録でも無い事をしでかすときの合図のようなそれが
今の私には心から頼りになって安心できるように思えたわ。

「それに、黒猫の友達ならそんな心配いらないだろ?」

ずっと感じていた胸のつかえがとれた開放感を味わっていた私に
さらに先輩が言葉を続けていた。

「お前の人見知りな所や、取っ付きの悪さを乗り越えて
  友達になってるんだろうからな。黒猫の本当は情が深くて優しいところや
  こんな風に友達をすげえ大切に考えてるのを解ってくれてると思うぜ」

またあなたは臆面も無く真顔でそんな事を言ってくれて……
面と向って本人がそんな台詞を言われたら、恥かしいだけじゃない……

「……悪かったわね。どうせ私は人付き合いも友達作りも不得手よ。
  あなた達と会うまで友達の一人もいなかったくらいだもの」

だから仏頂面を装いながらぷいっと先輩に背を向けた。
先輩は慌てて失言をフォローしようといろいろと弁明をしていたけれど。
先輩には悪いとは思うけど、もう少しだけ続けてもらえるかしらね。
私の気持ちが落ち着くまでは、ね。

「まあいいわ。あなたも悪気はなかったのでしょうしね。
  それじゃあ先輩、今日はわざわざ試験期間中に私のために
  時間を割いて貰ってありがとう。残りの試験も頑張って」
「そりゃ俺の台詞だろ。黒猫こそ、入試頑張れよ。
  無事に合格して春から同じ学校になれるのを楽しみにしてるぜ」
「ええ、勿論よ。それも私の目指す理想への1つの通過点だもの。
  こんなところで躓いているわけにはいかないわ」
「そうだな。それとわざわざチョコ、ありがとうな」
「喜んで貰えるなら作った甲斐があるというものよ。
  このラッピングをしてくれた珠希からのメッセージカードも
  入っているそうだからそれも楽しみにしていて頂戴」
「へぇ、さすが珠希ちゃんだな。今度あったときには
  珠希ちゃんにもお礼も言っておかないとな」
「そうね、あの娘も喜んでくれるわ」

その後、私達は先ほど歩いてきた道を戻って南門へと向った。

そこでもう少し学校に用事があるという先輩と別れた私は
すぐ近くにある最寄り駅から帰りの電車に乗り込んだ。

出発してすぐに電車の中から見えた志望校のキャンパスを見つめながら
今日のそこでの出来事に、そしてこれからの自分に思いを馳せていた。

自らの名前が掲示板に張り出されるのを一緒に見届けて。
ここの学生になってから今度こそ学校中を案内してもらって。
時にはあなたと学食で席を並べてお昼を食べて。

学年も学部も違うけれど、講義の合間やサークル活動の中で
きっと何度も顔を合わせる機会だってあるでしょうね。

そんな大学生となった自分を想像していた私は、今日と同じように
いつもあなたが隣にいる事ばかり想い描いていた事に気が付いて
慌てて私は頭を振って『未来視』を中断した。

まったく、我ながら『古竜の鱗算用』にも程があるわね。
先ずは目の前の事に集中し直さないと。

10日後の入試、そして来月に入ってすぐには高校の卒業式。
大学への進学は勿論だけれども、もう残り少なくなった
高校生活だって大切に過ごしておきたいもの。

掛け替えのない存在となった友達の、後輩達のためにも、ね。

私は窓の外の風景から視線を戻すと、鞄の中からもう一度
参考書を取り出して、再び英語の問題に目を走らせたのだった。

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