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闇の世界の住人

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はや先月のことになってしまっていますが……
22歳の誕生日、おめでとうございます、黒にゃん!!

今年も生誕祭の前後ではオフやツィッター、Pixiv等で
闇の眷属の皆様と一緒に沢山と祝福と賛辞をお贈り致しました。
特に海外の眷属の方からのイラストも例年以上に見かけられて
我らが黒にゃんのワールドワイドさに感嘆した次第です。

そして遅刻も甚だしいですが、誕生日にちなんだこのSS
『転生の儀』もお祝いの一つとして投稿させて頂きました。

この話は原作終了後の話しとして書いている各SSと設定を同じくしていて
昨年の生誕祭の『たゆたえど』からの続きとなっています。

オリジナルキャラや設定のてんこ盛りな上に相変わらず拙いSSで
読み辛い話しとなってしまい恐縮ですが、少しでも楽しんで頂ければ幸いです。

すでに恒例行事になっていますが、この話に出てくるバースディケーキを
今年も行きつけのケーキ屋さんに頼んで作って頂きました。

https://download1.getuploader.com/g/kuroneko_2ch/894/birthdayCake2018.JPG

こちらも本文に合わせて楽しんで頂けますと嬉しい限りです。

-------------------------

「特殊エフェクト関連もコミットしておきましたよ、五更さん。これで演出周り
は完全に正規データに移行できるはずです」
「ええ、ありがとう、瀬奈。今日中に二章のシナリオを上げたら早速取りかかる
ことにするわ」

 ついこの間、年が明けたばかりだと思っていたのだけど。

 壁に貼られた今年の暦は既に三つ目の絵柄に変わっていたし、季節に合わせて
そこに描かれている桜の花も、現実では早くも桃色の花弁を開き始めている。
 そろそろ皆とお花見の予定も考えておかないといけないかしらね、などと考え
てもいるのだけど。日々が飛ぶように感じられるのは充実している証拠だとして
も、余暇の予定を考える時間すらないのが困りものだわ。
 昔はもっと一日が長いと思ったものだけど。歳を経るごとに時間が短く感じら
れると言われるのは本当のことなのね、と嫌でも実感させられてしまう。

 そういえばその歳にしても、近いうちにもう一つ分積み重なってしまう。
 そろそろその辺りの話も、沙織達と打ち合わせないといけないかしらね。

 既に大学は春季休暇に入っているし、今日は私でも思わず日向ぼっこでもした
くなるような、実に麗らかな晴天に恵まれた日なのだけど。
 真昼からこんなマンションの一室に閉じこもって、モニタと睨めっこな時間を
過ごしているくらいだもの。そんな余裕なんて中々見出せないのだけど。

『瑠璃はそんなだからダメなんだって。まずは自分が何をやりたいか、ってのが
一番大切っしょ?そうすれば時間なんてどうとでもなるっての』

 そんなことを考えていると、決まって親友に以前言われた科白が脳裏をよぎる。
これでもか、というくらいのドヤ顔と一緒にね。
 あなたはそれに振り回される周りの人のことなど、気にもとめないからそんな
ことを言えるのよ、などとその度に心の中で律儀に反論してしまうけど。
 確かにそれも真理なのだと解っているわ。結局のところ、泣き言なんて言って
いるうちは、所詮自分にとってはその程度のものなのだから。

 何にせよ、今は今月末に締めになる作業を終わらせるのが最優先なのだけどね。
このプリプロ版で一定の評価を得られなければ、今後の我が社の計画が大きく損
なわれてしまうのだから。
 もっともまだ正式に会社として発足していないから、今は元弁展高ゲー研出身
者を中心としたゲーム製作同人サークル、という方がより正確かもしれないわね。
 それでも来年には三浦さんを社長として起業する予定だから、その時になって
問題なく仕事が回せるように、今からあれこれ準備をしている最中なのよ。

「それにしても今日はいい天気過ぎて暑いくらいですねぇ。とはいえこの季節は
窓を開けっ放しにすると花粉所の人にバイオテロになっちゃいますし。まあ、今
はあたし達しかいませんからTシャツでも問題ないですよね?」

 言うや瀬菜は椅子から立ち上がって、上着を脱ぎさるとTシャツ姿になった。
本人の性格同様、相変わらず自己主張の激しい部位がその反動で大きくたゆむ。

 まったく、今日は土曜日なのよ?そういうのは、明後日にしておきなさいな。

 瀬菜にとっては言い掛かりもいいところでしょうけど。初めて顔を合わせた時
から、より一層差を付けられているのをこうも目の当たりにさせられては。
 心の中でならそんな悪態の一つ、吐いたところで罰はあたらないでしょう?

「今は私達しかいないけど、すぐにあなたのお兄さんや真壁さんも帰ってくるの
でしょう?そんなラフな格好をしていていいの?」
「その二人なら別に構わないじゃないですか。まあ、誰がいたってここなら特に
問題ないですかね、そもそもとして」

 完全に開き直ったドヤ顔で瀬菜は続けた。
 普段は何かとマメな性格だし、体面や体裁にも必要以上に気を配るのだけど。
気心の知れた相手には遠慮しないというか、素の自分を曝け出すのよね、瀬菜は。
 ましてやこの場は在りし日のゲー研メンバーが中心になって結成されているの
だもの。あれだけの腐女子な性根をカミングアウトしてなお、高校三年の時には
ゲー研の部長まで務めていたくらいだしね。
 文字通り身内であるお兄さんや彼氏の真壁さんに限らず、ここの創設メンバー
には気兼ねなんて必要ないのも彼女の言う通りかしら。

「だとしても慎みというものは必要でしょう?親しき仲にも、と言うのだし」

 まったく、あなただって同級生のころには何かと口煩い学級長だった癖にね。
自分の趣味を出すのに自重しなくなった代わりに、随分と丸くなったものだわ。
 まあ、あれから六年近くも経つもの。瀬菜だって何かと変わっていくわよね。
 果たして私はあなたと同じように、あれから成長出来ているのかしら?

「基本我が道を行く態度なのに、相変わらず変なとこは真面目ですよねぇ、五更
さんは。そんなだから人付き合いとか苦手なんじゃないですか?来月からは他の
メンバーも合流するんですから、もっと親しみやすくしてくれませんと」
「親しみ辛くて悪かったわね!曲がりなりにもここは職場になるのよ。必要以上
に馴れ合っては良いものなんて作れないわね。締めるところは締めないと」
「はいはい、それも判ってますってば。でも、逆にいえば締めないところは精々
ゆるりといきましょうよ。このお仕事、モチベを維持出来るかが肝ですから」

 片目を瞑って見せた瀬菜の言い分も確かに良く判っている。
 ゲーム開発に携わろうと言う人なら、元々ゲームが心底好きなのは間違いない
のだけど。だからこそそれを仕事として毎日続けていくには、それ以外のところ
が重要になってくるものよ。開発環境や人間関係、その他の諸々に煩わしさを感
じてしまうようでは、好きなものだって思うように打ち込めないもの。
 弁展高のゲー研や、松戸に転校してからのコン部でも。今も大学で所属してる
CCSにしても。締切りとか追い込みになればなるほど、モチベーションを維持
出来るかの差が如実に出てくるのは、何度も見てきたことだから。
 かく言う私も私事や私心に囚われて作業に打ち込めないことも、今までに何度
もあったから実体験に基づいた見解でもあるわね。
 勿論、これからはプロとして仕事にする心算だから、そういうムラは極力なく
してしかるべきではあるのだけど。この会社のコアメンバーとしてこれから仕事
をしていくからには、自分だけでなく他の社員にも気を配る必要があるもの。
 瀬菜だってそれを自覚しているからこその今の科白でしょうし。

「確かに正論ね。でも、それもあなたの特殊な趣味を堂々とひけらかす、方便の
一つではないのかしら?」
「そ、そんなワケないじゃないですかぁ~。あ、でも……そうかもしれませんね。
考えてみれば先輩になるあたし達が、まず手本を示すべきかも知れません。最初
から職場の自由な空気を感じられたら、後から入ってくる人たちだって打ち解け
やすいんと思いませんか?」
「それも理解はできるけど。でも、あなたではその手本とやらのインパクトだけ
が強すぎて、逆効果になるのが目に浮かぶわよ」
「いえいえ、あたし程度じゃそんなことないですって。この業界、一風変わった
人が多いと聞きますし。クリエイターたるもの、やっぱり普通の感性じゃ厳しい
ってことですかねぇ。だから」

 ちっちっちっっと人差し指を横に振りながら瀬菜は続ける。
 まるで子供に優しく言い聞かせる、小学校の先生のように。

「五更さんだってここでは遠慮しないで、厨二全開でいてもいいんですよ?ほら、
あの黒いゴスロリ服とか着こんでイタイ台詞を連発したりとか。ここが有名会社
になったら、名物厨二ディレクターとしてその名が轟いたりするかもですねぇ」
「なぁっ!?な、何を世迷い言を言ってるのよ、あなたは……」

 そのくらいの意気込みじゃないと、というも解っているわ。なにせうちの三浦
部長、じゃなくて三浦社長は、高校の頃から言っていた『世界一のゲームを造る』
などという大層すぎた目標を今だに変えていないのだから。
 ならば私達だって、相応の気構えでいなければやっていられないでしょう?
 私達はもう五年近くもその目標を聞かされた上で、ここに集ったのだから。

「大体、あの『闇衣』【シュバルツ】を初め、私手ずから縢り上げた衣装は既に
封じられて久しいのよ。来るべき『最終決戦』【ラグナロク】を迎える刻までは、
現世に再臨することはないでしょうね」
「ああ、そういえば妹さんの悪影響を考えて、でしたっけ?でも、珠希ちゃんも
来月には中学生ですよね。本人の趣味も尊重して上げるべきと思うんですが」
「ええ、私や両親も基本的にはそう考えているのだけど。日向が頑なに珠希には
その道にいかせたくないみたい」
「そりゃ日向ちゃんの気持ちだって、解らないではないですけどね。あたしも親
には自分のやりたいことばかり優先しちゃって、申し訳ないと思ってますし」
「あら、案外と殊勝なところもあったのね。でも自分の道を進む子供の姿を応援
しない親なんていないと思うわ。少なくともうちはずっとそうだったもの」

 だからこそ私だって、今まで自分のやりたいことをやりたいようにしてきたわ。
 日々の生活も趣味も。進学や就職-正式には一年後の話だけどーのことだって
お父さんやお母さんに、アドバイスは貰っても反対されたことなんて、私の記憶
している限り一度たりともないわ。
 それは、ずっと心に留めたままでいる恋愛のことに関しても……ね。
 だからこそ私は両親の思い遣りに、心から感謝しているわ。

「ですかね。わたし達も親になれば、すぐにその気持ちが解かるんでしょうね」
「……え、あなた、まさかもう?」
「いえいえ、そこは流石にしっかり気を配っていますって。今はあたしも、かえ、
じゃない、真壁さんもここを抜けるわけにはいかないじゃないですか」

 時に喧嘩をしていたりはするけれど。同じ大学に進学したばかりか、こうして
同じ職場で働こうというのだものね。あなたと真壁さんの仲は、今更疑うような
ものでもないでしょうけれど。
 長年の友人にさも当然だという顔をしてそんな生々しい話をされると、色々と
精神的にくるものがあるわね……まあ、今に始まったことでもないのだけど。

「それはそうだけど……いえ、周りがとやかく言うものではないかしら。あなた
達のことだから、お互いに納得した上での判断でしょうし」
「ですね。まあ、真壁さんは早く結婚したいみたいですけどねぇ。今だって半分
同棲しているみたいなものですし、学校でもここでも顔を合わせてるんですよ。
あたしはあんまり変わらない気もするんですが」
「真壁さんのことだもの。そこは曖昧なままにしたくないんじゃないかしら?」
「んー、あたしは単に毎日イチャつきたいだけなんじゃとか思っちゃいますけど。
って、話がすっかり逸れちゃってますよ。まあ、そんなわけですから五更さんも
ここなら好きな恰好でいいんですよ。その受付嬢みたいなお堅い服じゃなくて」
「受付嬢みたいで悪かったわね!これは私の仕事に対する気持ちの表れよ」
「確か桐乃ちゃんと沙織さんが、五更さんの大学の普段着にって選んでくれたん
ですよね、その服。確かにストイックな五更さんによく似合ってはいますけど。
こういう恰好で黙ってさえいれば、まるで良いとこのお嬢様みたいに気品もある
ように見えますし」

 桐乃からも良く『黙ってれば素材はいいんだからさぁ』などと言われて憤慨し
ている私としては、実に有り難くない評価だわ。
 私はうんざりだと顔をしかめて、口を開くと品がなくて悪かったわね、とだけ
瀬菜に返した。

「いえいえ、品が無い訳じゃなくて、厨二な口振りで困惑されると言いますか。
まあ、これからのうちの作風にはそういう要素は不可欠ですから、五更さんから
厨二が無くなっちゃうのも困るんですけどね」
「承知しているわ。そも私の中では不可分な領域なのだし、心配など無用よ」
「これでも頼りにしてますからね、五更さんには。だからしつこいようですけど、
体調は勿論、ストレスとか自身のケアにも十分に気を配ってくださいよ?」
「ええ、肝に銘じておくわ」

 社長予定の三浦さんは周りの人を強引にでも引っ張っていく、リーダーシップ
は抜群なのだけど。本人の考えるゲームデザインは悉くプレイヤーへの嫌がらせ
レベルな代物になるので、ゲーム自体のディレクションを任せる訳にはいかない。
 それに豪放な性格な分、細かな事務作業は肌が合わないので、その辺は今まで
通り真壁さんが担当することになる。そして瀬菜はプログラマーの纏め役になる
ので、消去法としてもディレクションは私の役目となっているわ。
 まあ、高校、大学の部活では何度か経験もあることだし、自分の創った世界間
を遺憾なく発揮できるようプロジェクトを進められるから、私としても願ったり
の立場ではある。勿論、やりがいもあるでしょうしね。
 でもその分、今から大きなプレッシャーを感じてもいるのよね……
 こんな風に実際にその期待を表に出されてしまうとなおのことに。

 でも、と、私は萎縮しかけた心を自ら叱咤した。
 まったく、何時まで私はこの程度の『精神圧迫』【プレッシャー】に気圧され
ているのよ。これでは今までの学生生活において、何のために『修練の刻』を己
に課してきたのか解らないじゃない。
 ひいては『理想の世界』に至ることなど、これでは到底叶わないわ。
 来年には大学を卒業して、本格的に社会に打って出ることになる。名実ともに
モラトリアムな時期は終わりを告げ、私も目標に向けて大きく踏み出さねばなら
ないというのに、我ながら情けない限りだわ。

「とはいえ、まだまだ長丁場なんですから気楽にいきましょう。五更さんは思い
詰めると、どんどん突っ走っちゃいますしねぇ」
「それもあなたにだけは言われたくないわね。この前の企画プレゼンだって酷い
ものだったじゃない」

 今後の私達の製作チームの方向性を決めるべく、初タイトルに関しての企画を
皆で話したのだけど。瀬菜の『BL要素を盛り込んだシミュレーションゲーム』
という案は、何時ものようにアイディアとしてはよく練られていたし、シリーズ
化やキャラクター展開なども考えられた見事な企画ではあったわ。
 その嘆美なキャラクター達が、BLというには余りにもおぞましい狂乱の宴を
繰り広げてさえいなければ、ね……
 この広い世の中、それを望むユーザー層も確かに存在すると理解は出来るけど。
 いくらなんでも狭いターゲットを狙い撃ちしすぎでしょうに。ある意味、伝説
としてゲーム史には名を残せるかもしれないけどね。勿論ネタとして。

「熱意の現れ、といって欲しいものですね。結局のところ、あたし達の原動力は
それじゃないですか。後はどうやって市場のニーズに合わせるか、ですよ」
「まあ……そうね。ここが軌道に乗ってくれば、そういうニッチな内容の作品も
作れる余裕が出てくるかもしれないわね」
「そうです、そうです。そう思えばこそ、やる気だって出くるじゃないですか。
それにあたしたちはお客様にエンターテイメントを提供する仕事なんですから。
既成概念に囚われてばかりじゃ、良いものが出来るわけじゃないですよねぇ」

 そう言われてしまうとぐうの音も出ないわ。今まで私も何作もゲームを作って
きたとはいえ、それは全てアマチュアとしてのものだったもの。
 プロとして『製品』と呼べるものを作る為には、『自分の在り方』から変えて
いかなけれならないのかもしれないわ。

 己の流儀を押し通すような。独善に塗れた今までと同じやり方を、ね。

 卒業するまでの後一年の間。名実共に社会に出る前のこのモラトリアムで。
 私の創作への向き合い方をもう一度見つめ直す、いい機会かもしれないわ。

「だから五更さんももっとリラックスしましょうよ。ほら、部屋着にしてるとか
聞いたジャージとかいいんじゃないですか?家で作業してるような気分になれば、
仕事もはかどるかもしれませんし」
「流石にそれは御免蒙るわね……まあ、忠告は有難く受けておくけど、あなたの
暴走を認めるというわけではないからそこは勘違いしないように。それにこちら
も話を戻すようだけど、ここでは真壁さんといちゃつくのも、抑えた方が良いと
思うわ。それこそ職場全体の士気に関わるでしょうし」

 二次元娘が恋人と堂々と宣言する三浦さんや御鏡さんみたいな人達なら兎も角
としても。これから増えるメンバーには『リア充爆発しろ!』な思想の人だって
いるかもしれないじゃない。

「別にみんなの前では、そんなことはないと思いますけど?」
「あれをそう思っているなら、あなたの頭の中はすっかりピンクのお花畑に埋め
尽くされているのでしょうね……」

 仲の良すぎる両親をずっと見てきた私でさえも、あなた達のそれは度を超して
いると思うくらいよ?スキンシップなんてそれこそ日常茶飯事だし、毎度、夫婦
漫才と惚気の固まりのようなやり取りじゃないのよ、あなた達は。
 そもそも、そのTシャツだって真壁さんの希望じゃないかしらね。確かにその
格好なら、より強調されることでしょうから。
 全く私からすれば二人とも呪い殺してあげたくなるような話だけれど。

「ああ、成る程。確かに今の五更さんには目に毒かもしれませんねぇ。まったく
そう思うんなら、いい加減自分の気持ちに正直になって行動したらどうです?」
「大きなお世話よ。その件は兎も角、私もあなたの忠告を前向きに検討する心算
なのだから、あなたも少しはこちらの言い分を聞き入れて欲しいものね?」
「はいはい、気をつけますってば」

 手をぷらぷらと振りながら応える瀬菜。まったくもってそんな心算もないよう
な態度には、思わず溜息の一つもつきたくなったのだけど。
 でも代わりに私の口からまろび出たのは、小さな笑い声だった。

「ん、なにかおかしいところがありましたか?」
「いえ、何時の間にかあなたと私の役割が入れ替わってしまったのかしら、とね。
こんな如何にも風紀委員じみたことを言うのはあなたの役目だった筈なのにね」

 訝しがった瀬菜に私はその理由を説明する。もっとも自分でも無意識に笑って
いたから、多少言い訳じみた言い分ではあったけど。

「ずっとここの人達と一緒にいれば、そうもなりますって。本当、揃いも揃って、
みんな自分のやりたいことばっかりで周りに気が回らないんですから。言うだけ
無駄だって、ほとほと思い知ったんですよ」

 あなた自身もその一人でしょうに、とは思ったけれど。
 その言葉は飲み込んで、同意を示すように私は軽く首を縦に振った。 
 うんざりだと悪態をつく瀬菜の顔は、その言葉と裏腹にとても優しかったから。

 ふふっ、あなたも自分の在るべき場所を、そうして手に入れたと言う訳ね。

「さあ、おしゃべきはここまでよ。そろそろ作業に戻らないと。月末にプリプロ
版を完成させなければいけないのだから」
「解かってますって。それにあたし達は就職活動とかないから、大学が始まって
も他の4年生よりは時間もあるでしょうけど。長期の休みの間には進捗を出来る
だけ進めておきたいですからね」

 私達は互いに目の前の画面に向き直ると、それぞれの作業に戻った。

 これからのここのでの開発作業。新たなメンバーとの交流。
 二週間後には最終学年を迎える私の為すべきことにしても。

 今の瀬菜とのやり取りだけで、色々と考え直さなければと再認識させられたわ。
 未来の何時かではなくて、ここは足元をしっかりと見据えるべきなのかしらね。

 それに、何よりも。
 一年前からの宿題にも、いい加減に答えを出さなければならないこともある。

 私は軽く頭を左右に振ると、大きく息を吐き出して深呼吸をした。お気に入り
のシャンプーの香りが微かに漂って、まぜこぜになった気持ちを切り替えるのに
一役買ってくれる。
 まあ、このシャンプーだってずっと同じものを使い続けているから、日向から
は『もっと大人っぽいのにしたら?』なんて言われているくらいだけど。

 そんな雑念ごと振り払った私は、目の前のスクリプトの修正に専念する。

 私の数少ない自慢できる長所の一つは、ひとところへの集中力だもの。
 仕事に対してその持ち味を、存分に発揮しなければならないでしょう?

 例えその力が、元々は儘ならぬ現実から逃れる為に身についたものでも。
 今だって直近の問題の先送りの為だと、心のどこかで解かってはいても。

 それが今の私だもの。否定しても詮無きことだし、持てる武器は使わないとね。

 そう認めて受け入れられるくらいは、私だって少しは成長出来てると思うから。


        *        *        *


「それでは今年の黒猫さんときりりんさんの合同誕生日パーティは、予定通りに
15日の日曜日に開催致しましょう」
「ええ、そうね。毎年手間をかけるけど、宜しくお願いするわ、沙織」

 私は目の前に親友の姿を思い浮かべて、電話越しに頭を下げた。

 夕飯の片付けも終えて暫し自室で寛いでいた私に、沙織からの電話が掛かって
きたのだけど。丁度こちらから話そうと思っていた、私と桐乃の誕生日パーティ
に関しての内容だった。
 私と桐乃は誕生日が近いおかげで、ここ数年はオタクっ娘で誕生日パーティを
一緒に行うのが恒例行事になっている。元々は『オタクっ娘』の裏メンバーでの
数名くらいの規模だったのだけど。今では私達の友達や知り合い等、沢山の人が
参加する一大イベントにもなっているわ。
 昨年は桐乃の留学先であるパリまで皆で遥々旅行をしてまで、大々的に催した
くらいにね。
 そして幹事としてこういうイベントを取りまとめるのは、昔から変わらず沙織
が真っ先に買って出ることだった。それにすっかり慣れてしまって、ともすれば
沙織に任せっきりになってしまっていることも多いのだけど。

 だからこそ、何時までも感謝の気持ちだけは忘れまい、と。
 私は刎頸の友への敬意として、自らをそう戒めてもいるわ。

「いえいえ、今更水臭いですわよ、黒猫さん。わたしはいつだってわたしがやり
たいことをやっているだけですわ。大切な友人達と一緒になって毎年誕生日を祝
いあう。私にとって、それは昔から夢見てきたことですから」
「……そうだったわね。毎年のことですっかり慣れてしまったけれど、私だって
友人に誕生日を祝って貰うだなんて、中学までは何の夢物語かと思っていたわ。
自分で言うのもなんだけど、本当、不思議な縁もあるものよね」
「ふふっ、この出会いには運命に感謝しなければいけませんね。ああ、ですが」
「ええ、判っているわ。そこからは私達自身がお互いに歩み寄って成しえたもの、
なのでしょう?まあ、改めて振り返えれば、よくぞここまでと思うけどね」

 その意味では実は似た者同士だった私と沙織は兎も角として。
 桐乃とはよくもまあ破綻しなかったものだと、我ながら感心してしまうわ。

 桐乃の根幹の部分は、私達と同じだったとしても。性格的にあの娘が反発する
機会なんて、それこそ今までに星の数ほどあったというのにね。
 いえ、それは私にしても同じことかしら?以前の私は、自分と相容れないもの
を攻撃して排除することでしか、自身を確立出来ない弱い存在だったのだから。

 そんな私達の間を取り持ち、絆を育んでくれたのは。
 何よりも沙織の努力と。そして先輩の献身のおかげだものね。

「でもわたしからすれば、黒猫さんときりりんさんの互いを想う強さには、正直
妬けてしまうこともありますわ。幾度となくサークルの危機を迎えた時も、最後
にはその力で解決してきたようなものですし」
「そ、そんな訳はないでしょう?ひとえにあなたや先輩、それに周りの皆の助力
のおかげよ。そうでなければ、すぐにでも絶縁していたと断言出来るわね」
「ふふっ、まあ、そのあたりは今更語るまでもないですわね。……でも」

 そこまでは弾むように話していた沙織が、唐突に声のトーンを落とした。

「こんな風に自由に誕生日会などを開けるのも、今年が最後かもしれませんね」
「そう、ね。桐乃は海外、先輩も仕事で忙しない毎日を送っているもの。その上、
私達が来年には社会に出るとなれば、今までのように気軽に皆で集まるというの
も難しくなるでしょうしね」

 私や瀬菜は三浦さんがこれから興すゲーム開発会社で働く心算だから、比較的
自由に時間は使えるかもしれないけれど。とはいえマスターアップの前とかには、
デスマーチがお約束の業界でもある。そんな時にはとても誕生日だ、なんて呑気
なことを言っていられる状況でもないでしょうし。
 何より、沙織が卒業後に本格的に槙島家の仕事に携わるとなれば。きっと沙織
自身の自由な時間は、大きく制限されてしまうことでしょうから。
 私達の文字通りの大黒柱である沙織が参加できないとなれば、『オタクっ娘』
の活動は嫌が応無く縮小することになるでしょうね。

「そうであれば、やはり今年の誕生日パーティはどこかの会場を押さえて、昨年
のパリのように大々的に催した方がよいのではないでしょうか?」
「あなたの気持ちも確かに判るけど……でも、私はいつも通りの自分達の手作り
感のあるパーティもとても気に入っているわ。それに、友人の誕生会なのだから、
自分達だけで出来る範囲が相応しいんじゃないかしら?」

 今回のパーティに関して、こんなやり取りは今まで幾度となく沙織としてきた。
結局、沙織は私の言い分を聞き入れてくれた-私の誕生会なのもあるでしょうね-
ので、例年通り先輩のアパートの中庭を会場にする予定なのだけど。
 これが私達の最後の誕生会パーティかもしれないとなれば、やはり沙織として
は思うところも多いのでしょう。
 主催として『オタクっ娘』サークルの管理人として。
 沙織のことだもの、有終の美を飾りたいと考えているに違いないわ。

「それにね、沙織。今後は全員で、というのは難しくなっても、その時に都合の
つく人が集まればいいだけだと思うのよ。そんな風に肩肘張らないくらいの方が、
きっと長く続く集まりになれるんじゃないかしら」
「そう……ですよね。姉さん達の『小さな庭園』【プリティガーデン】を見ても、
確かに黒猫さんの言う通りだとは思いますわ」
「確かに香織さん達の距離感はそんな感じね。そういう点では、やはり私達より
ずっと大人なのでしょうね、あの人達は。まあ、性格とかは兎も角として」
「いえいえ、拙者達とて早々引けを取るものではございませんぞ?キャラの立ち
様ならば五分五分といったところでありましょう」
「いえ、そこは張り合うところでも見習うところでもないでしょうに……」

 互いにそこで噴出したことで、電話の向こうの沈んだ雰囲気も、漸く普段通り
に戻ってくれたようだった。

「まあ、私達は私達向きのやり方もあると思うわ。その辺りはその時々で模索し
ていくしかないのでしょうけど。ああ、でもね、沙織?」

 それに安心してしまったから、かしらね?
 私はつい口を滑らせて、余計な一言を付け加えてしまった。

「あなたが声を掛けたら、私は何時でも万難を排してでも駆けつけるわよ?」
「……はい、勿論判っていますわ。頼りにしていますよ、瑠璃さん」

 如何にもお嬢様然と口元に手を当てて、くすくすと上品に笑っている沙織の姿
が目に浮かぶようだったわ。
 私と沙織が今まで培ってきた『縁』において。そんな今更過ぎる話をされたら、
さぞや滑稽だったことでしょうね。
 まったくこの私としたことが、こんな醜態を晒すなんて。
 春の陽気ですっかり暖かくなったおかげで、我が闇の力が衰えているのかしら?

「ふふっ、こんな『コロニーが落ちてくる』ような心配なんかは、これくらいに
しておきましょうか。では今週末は一度京介さんのアパートに集まって、細かな
打ち合わせをしましょう。予め用意できるものも準備もしておきたいことですし」
「そうね。先輩は恐らくお仕事でしょうから、私から一通り了承を貰っておくわ」
「はい、そちらは宜しくお願い致します。それにしても、京介さんも相変わらず
お忙しいのですね。誕生日パーティ当日は大丈夫なのでしょうか?」
「その日をなんとしてでも開ける為にも頑張っているわね。何せ桐乃もその為に
日本に帰ってくるのだから、それは先輩も必死になるというものでしょう?」

 首尾よく日本での仕事を入れ込んだらしい桐乃は、パーティの前日から一週間
程日本に滞在すると言っていた。パリに留学してまだ2年ちょっとだというのに
そんな個人的要望を通してしまう辺り、流石というか、恐るべしというか。
 そんな桐乃のマネージャーになるのが目標の先輩にしても、ゴールそのものが
自分以上のスピードで突き進んでいるのだから、焦りもあるのでしょうね。
 最近、我武者羅に仕事に打ち込んでいるのも、その分もあるのでしょうし。

 もっとも、それは私にしても同じかしら?
 時には争い、永劫に共に在り続ける筈の『漆黒の獣』や『熾天使』に対して。
 私はいまだ自らの足で地に立つことも叶わぬ、学生にしか過ぎないのだから。

 いえ、そんな立場の問題だけはないかしら。
 二人共に己が道を見定めて、日々邁進しているというのに。
 私は今ここに至っても、自身の踏ん切りすらつかないもの。

「ふふっ、それは頼もしいですわね。では、詳しい話はまた週末に、ということ
でそろそろお暇致しますね」
「あ、あの、沙織……?その、私からもう一つ相談、というか、お願いがあるの
だけど……もう少しだけ良いかしら?」

 そんな焦燥感も、この時ばかりは良い意味で後押しをしてくれたのでしょう。
 ずっと胸の内で燻っていた逡巡を、親友に打ちあけることが出来たのだから。

「はい、勿論ですわ。それで、ご相談とは何でしょうか?」
「ええっと、その、ね……どこかあなたの予定が空いたところがあればで、全然
構わないのだけど……」
「何時でも、というわけには流石に参りませんが。わたしとしても黒猫さんとの
予定を出来る限り優先したいと思っていますよ。ですので、まずはお気軽に相談
してくださいませ」

 沙織の穏やかな声にも助けられて、私は秘めていた『願い』を紡ぎ出していく。

「そ、そう……助かるわ。その、つまりは、ね。来週には新学期も始まるところ
だから、丁度良い機会だと思って……」

 後からこうして思い返してみると、我ながら情けない限りね、本当に。
 親友に頼み事一つするだけで、どうしてこんなにテンパっているのよ、私は。

 そしてそんな体たらくでも、黙って話を聞いてくれている沙織には。
 本当、一生足を向けてなど寝られないわよね、私は……

「そう、たまには新しい服を買おうかな、なんて考えているのだけど……」
「それは……実に素敵ですわね!学生生活の最後を飾る一年だからこそ、この春
から心機一転で臨みたいというそのお気持ち、わたしにも良く判りますよ」
「そ、そう……?それで、出来れば沙織にもそこに付き合って貰えると……その、
とても助かるのだけど」
「はい、喜んで。きりりんさんとは比べるべくもないですが、わたくしでも多少
なりともお役に立てればと思いますわ。そうですね、以前きりりんさんから紹介
されたお店にでも行ってみましょうか?」

 私が大学に合格した時、桐乃に連れられて新しい服を買いに行ったことがある
のだけど。沙織が言ってるお店はその時のもので、私の人生において自身の服を
お店で買った2度目の経験でもあったわ。
 私としては、大学生活の為に兼ねてから製作を進めていた『朔望十二聖衣』を
着ていく心算だったのだけど。桐乃や日向から猛烈なダメ出しを受けてしまった
ばかりか、桐乃に強引に引っ張られて大学用の私服を買わされたのよ。

「い、いえ、実は……その、幾つかはもう、見繕っているの」
「あら、それは何よりですわ。でしたらわたしの役目は、その服を試着した黒猫
さんにどれほどお似合いなのかを、お伝えすれば宜しいのですね?」
「そ、そうなる……かしら、ね?」
「ふふっ、承知致しました。黒猫さんが選んだお洋服、さぞや素敵なものなので
しょう。とても楽しみにしていますよ」

 この私が、いきなり『服を買いたい』なんて言い出したというのに。
 沙織は特にその理由を問い質さないどころか、私が話しを切り出しやすいよう
に配慮さえしてくれていたわね……これが誰かさんだったら、きっと散々に茶化
した上で、根掘り葉掘り聞きだそうとしたでしょうに。
 あ、いえ、でも、そんなことはないのかしら?
 私がお店で初めて服を買おうとした時にも。桐乃は何も解からず途方にくれて
いた私に、黙って協力してくれていたもの。

 つまりはあの時と何も変わらない自分の成長のなさに、情けない気にもなって
しまうのだけど。でもそんな私を、今も変わらず親友達が支えてくれることには
本当に嬉しくもなってしまう。
 その思い遣りに甘えるだけにならないよう、自らを戒める気持ちと共にね。

 その後、当日の集合場所や時間を取り決めてから、私達は通話を切った。

 気が付けば話が終わっても暫らくの間、胸の奥が早鐘を打っていた。
 この歳になって初めて自分で選んだ服を買うというのも、情けない限りだけど。
 でもこの件は、自分にとって単純に『服を買う』以上の意味もあるのよ。

 自分のセンスが一般的なそれとは掛け離れているのも、とっくの昔に思い知ら
されているもの。少しくらいは不安になるのも仕方がないでしょう?

 でも、沙織がいてくれればきっと大丈夫……よね。

 私は繰り返し自分にそう言い聞かせて、ともすれば悪い予感に押しつぶされそ
うになる気持ちを必死に宥めていた。

 まさか当日あんなことになろうとは、その時の私は夢にも思わずに、ね。


        *        *        *


 沙織と約束した当日。私は15分前には待ち合わせ場所に決めておいた、渋谷
駅の定番でもあるハチ公前に辿り付いた。
 平日とはいえ学生にとってはいまだに春休みの真っ最中なのだし、ハチ公像の
周りは私と同じく待ち合わせをしている若者で溢れかえっていた。
 以前の私であれば、こういう場に近寄るだけでもある種の『プレッシャー』を
受けて、尻込みをしていたかもしれないけれど。
 流石に二十歳も過ぎて大学の最終学年ともなれば、こんな場所に身を置くこと
だって造作もないわ。きっと周りの人から見ても、同じように待ち合わせをして
いる女の子として問題なく溶け込んでいる筈。
 ふっ、この私も伊達に今までの学生生活を過ごしてきたわけではなのよ?その
気になれば『闇の眷属』の妖気を完全に抑え込み、一般人に紛れ込むなど造作も
ないことだわ。
 暫くはそんな益体もないことを考えながら、自らを鼓舞していたのだけど。
 待ち合わせまで既に5分を切っても、沙織の姿は一向に見当たらなかった。

 何時もなら沙織は一番に来て私達を待っているのに、珍しいこともあるものね。
 特に遅れるようなメールやメッセージも届いていないことだし、ひょっとする
とこの人ごみでお互いを見つけられていないだけなのかしら?
 私は一目で彼女と判るだろう背の高い女の子を見つけるべく、この人波の中を
注意深く見回していたのだけど。

「そんな『お上りさん』みたいにきょろきょろしてると、こんな風に怪しい奴ら
がカモだと思って声をかけてくるぞ?『そこの可愛いお嬢さん、待ち合わせの方
が来るまでの間、少しお話を聞いて頂けませんか』ってな」

 そんな私の背中越しに、不意に男の人から声を掛けられた。
 もっとも私にとってその声は、科白通りの『怪しい人』などではなくて。
 お父さん以外では、恐らく一番に聞き慣れている男性のものだったけれどね。

「……どうしてあなたがここにいるのかしら、先輩?奇遇だな、なんてお為ごか
しは結構だから簡潔に説明して頂戴」

 振り返れば案の定、高坂京介その人が立っていた。
 スーツではなく先輩が良く着ている私服姿だったから、仕事で来ているという
わけでもないでしょうし。もっとも今日は先輩にとって一か月ぶりになるお休み
だった筈だから、その線は元々薄いとは思っているけどね。

「何故って……それは俺が聞きたいぞ?今朝方になって沙織から『今日は黒猫を
助けてやって欲しい』って頼まれたんだが、間違っちゃいないよな?」

 どういうことなの?と思ったその瞬間を見計らったかのように。愛用のスマホ
が小刻みに振動してメールの着信を伝えてきた。
 案の定、取り出してみれば送り主は沙織その人で。既に嫌な予感がしながらも
開いたそのメールには、想像した通りの内容が書かれていたわ。

『申し訳ございません、黒猫さん。どうしても外せない案件が入ってしまいまし
て、集合時間にはとても間に合わなくなってしまいました。そこでひとまず代役
を頼みましたので、その方とご一緒に本日の目的を果たしてください。わたしも
こちらの案件を済ませ次第、お二人に合流したいと存じます』

 私は読み終えた途端、抑えきれずに深々とため息をついてしまった。
 沙織が全くの嘘をついているとも思えないし、今までこうした緊急の割り込み
が入ることもままあったので、その『案件』とやらは確かなのでしょうけれど。
 でも、それをこの待ち合わせ時間のタイミングまで、私に秘密にしていて。
 偶々お休みだったとはいえ、わざわざ先輩にその代役を託してくるなんて。

 しかも私の今日の目的を把握した上で、なのでしょうから。
 明らかに別の思惑があってのことだとしか思えないものね。

 まったく、これも何時ものことではあるけれど。
 沙織は気が利きすぎて、お節介が過ぎるのよね。

「……成程、ね。今の状況は把握したわ」
「おう、それならこっちも安心だぜ。で、今日は黒猫が服を見たいって話を沙織
から聞いちゃいるが、行く店とかはもう決まっているのか?」
「何を勝手に話を進めているのよ。私は状況を把握したと言っただけで、あなた
の同行など許した訳ではないのよ?」
「そりゃあ女の子が服を買うのに、俺がまともに役立てるなんて思っちゃいない
けどな。でもこの一年で、仕事で沢山のモデルや女優を見てきたり、裏方で衣装
や小道具を揃えたりと、これでも色々と経験を積んできたんだ。試着した服に俺
なりの感想くらいは言えると思うぜ?」

 正直なところ、少なからず驚かされてしまったわ。
 あの先輩がこういう話題に、僅かながらも自信を覗かせて答えてくるなんて。
 殆ど雑用一辺倒だと事あるごとに嘆いていたけれど。伊達に芸能関係で仕事を
していた訳ではないのかしら。

「そ、そういうことではないのよ。今日はあなたにとって、一月振りの休日なの
でしょう?こんなところで油を売るくらいなら、今すぐアパートに戻って身体を
休めなさいな。先輩に関係することなら兎も角、これは言葉通りに私だけの私事
なのだから、あなたが無理に付き合う必要はないわね」

 だからといって、先輩のペースにさせるわけにもいかないわ。
 年明けからこっち、殆ど休日返上で激務をこなしていた先輩にとって、今日は
久しぶりの丸一日のお休みの筈。どうせあなたのことだから、私のことを頼むと
沙織から直々に言われたら、嫌とは言えなかったのでしょうしね。
 その気持ちはとても有難いことだとは思うけど。お節介な人達の行為に甘えて
ばかりでは、今日この日の意義が失われてしまうもの。

 それに、なによりも。
 あなたの決意を未だ棚上げしている私には、そんな資格などないでしょう?

 だから私は有無を言わさず断ろうと、実に素気無く言い捨てたのだけど。

「いやいや、無関係なことはないだろ?俺が何時も仕事に打ち込んでられるのも、
黒猫が家事を手伝ってくれてるからだしな。たまの休日だからこそ、今度はお前
の手伝いくらいしたいんだって。ほら、この通り頼むぜ」

 でも私の思っていた以上に先輩は食い下がってきた。律儀に頭まで下げてね。
 そ、そこまで必死になることなの?人の手伝いをしたい為にそこまでするなん
て、どれだけ妹に躾けられてきたのよ、あなたは。幾ら私でも若干引くわよ?
 世話焼き気質がDNAレベルで刻み込まれているんじゃないでしょうね……

「そ、そう言ってくれるのは嬉しいのだけど……でも」
「でももストもないって。大体、俺の休日を俺が好きなように使おうっていうん
だぜ?何も問題なんてないじゃないか」

 それは常日頃から私達が口癖のように言っていることでもある。
 趣味に、いえ、私の場合はこれからは仕事にもなるのでしょうけれど。
 自分の好きなことを優先して生きる者にとって、それこそが行動原理だもの。

 だからこそ、そう言われてしまえば私からは何も言えなくなってしまう。
 他の人だからと認められないようでは、自己否定をするのと同義だもの。

 な、なにも先輩の勢いに押しきられて、なし崩し的に認めた訳ではないのよ?
 そんな如何にもラノベのチョロインと、この私を一緒になんてしないで頂戴。

「……そう、そこまで言うなら好きにすればいいわ。どうせ私が駄目だといった
ところで、勝手に後を付け回す心算なのでしょう?」
「おう、俺も出来れば周りからストーカーと疑われたくないしな。しっかり合意
を貰った上で、黒猫と一緒にいられるなら何よりだ」
「そんなことを言われたら、脅迫されているようなものだけどね……」

 学生生活も残り一年になったというのに、相変わらず溜息ばかりの毎日ね。
 流石に溜息の度に幸せが逃げる、なんて俗説を信じるわけではないけれど。
 そんな滅入った気分にならないように、日々精進してきた心算なのだけど。

 まあ、先輩が自分を顧みず無茶を言い出すなんて、それこそ何時ものことね。
 それはきっと。今後も私が如何に最善を尽くそうと、変わることはないもの。

 だから私は。そんなあなたを何時でも支える為に、永劫に寄り添っていくわ。
 それが私があの冬の日から己に課した、変わることなき『誓約』なのだから。

「まあ、いいわ。そこまで言うなら今日はあなたに付き合って貰いましょうか。
業界で鍛えた審美眼とやらを、精々期待させて貰うわよ?」
「おう、任せておけって」

 だからこそ、それを全力で支えることこそ私の役割だと定めたのだから。
 何時如何なる時でも。あらゆる状況に於いても未来永劫変わらずに、ね。

 私は小さく、けれど想いを籠めて先輩に頷き返した。

 沙織と先輩の思いやりに応えると共に。

 自身へと課した『誓約』を、改めて律する為にもね。


 先輩を伴った私は、さっそく渋谷のセンター街へと足を向けた。

「それでまずはどこに行くんだ?」
「ある程度はお店や服の下調べもしてあるから、まずはその辺りから当たってみ
ましょうか。もっとも、こういうのはその時々のめぐり合わせやフィーリングが
一番なんだと、桐乃は言っていたのけどね」
「あいつの場合は、黒猫と違って出たとこ勝負ってだけだろ?まあ、今になって
思い返してみると、桐乃のセンスとかってやっぱすごかったんだと、身に染みて
判る時も多いんだけどな」
「ふふっ、それも最初は誰かさんに振り向いて欲しい一心で、頑張ったからこそ
ではないのかしら?」
「そ、そりゃ、きっかけはそうかもしれないけどさ。それこそ世界に打って出る、
なんて話までになったのは、桐乃の努力と才能の賜物だろ?」

 あら、そこは今更否定はしないのね?
 まあ、だからこそ桐乃のマネージャーになるだなんて、言い出せたのかしら。
 桐乃だってそれを了承して-もっとも『なれるもんならなってみなさいよ』と
無謀な挑戦を愉しむ王者といった体だったけど-いるくらいだし。
 お互いの想いや立場、責務や志望。絡み縺れ合うそれら全てを受け止めた上で。
あなた達はこれからも共に在り続けることを選んだのでしょうから。

 まあ、それは良いとしても。それこそ今更のことでしょうけれど。
 桐乃のことを褒めている時のあなたは、本当に心から嬉しそうね?
 ……ほんのちょっぴりだけど。正直妬けてしまうわよ、まったく。

「でしょうね。桐乃の一番の才覚は、現状に決して満足せずにより高みを求めら
れることだもの。最初から非凡な能力を持っていたとしても、ね。まったく強欲
にも程があるわ」
「まったくだな。ほんと、すっかり置いてかれて必死になって追いかける身にも
たまにはなってくれってもんだぜ」
「ふっ、お互いにね。でも、安心していいわ。今日はそんなセンスなんて欠片も
ない私が相手なのだから、あなたの忌憚ない見解を聞かせて頂戴」
「あくまで俺なりの意見だから、そんなに期待はしないでくれよ?それに最後の
ところは黒猫の好みが一番だろうしな。そういや、どんな服を探しにいくんだ?」
「そうね。ちょっとした心境の変化を顕す為に、という名目なのだけど。仔細に
言えば、独り善がりでも、画一的でもなく。個性を如実に示しながら、如何なる
場にも溶け込み、調和と適応を旨とする服装、といったところかしら?」

 私は考えていたことを、実に端的に過不足なく伝えた心算なのだけど。
 先輩は暫らくぽかんとした表情を浮かべた後、盛大に吹き出していた。

「最近はあんまり出さないな、と思っちゃいたが……やっぱりそういうところは
昔から変わらないんだな、お前は」
「せ、成長していなくて悪かったわね!どんなに刻が移ろい外面が変わろうとも、
我が本質に揺ぎなどないわ。今までも、そしてこれからもね」

 自分がいち早く社会人になったから、学生の私がまだ子供じみて見えるのかも
しれないけれど。そんな風に笑われるのは、全く心外というものだわ。
 でも、この時の私にとって、それこそが引け目であったから、かしらね。
 湧き上がる怒気を抑えられず、私はムキになって先輩に言い返していた。

「そう怒るなって。黒猫が何時も通りで、なんかほっとしたんだよ」
「ふん、口では何とでも言い繕えるわ。これだから既に社会の歯車へと組み込ま
れてしまった人間風情は、実に浅ましくて賤しい存在ね」
「本当にすまん!笑ったのも謝るから機嫌を直してくれよ。ほら、下賤な輩の俺
でも判るように、もう少し噛み砕いて教えてくれると助かるぜ」

 人通りの多い街中でなければ、その場に土下座しそうな勢いで平謝りする先輩。
 ま、まあ、そこまでされて臍を曲げているのも大人げないかしら。
 そもそも折角の休日を割いてまで、私の為に来てくれているのだしね。

「いいわ。その謝意に免じて不問に付しましょう。そうね、あなたに判るように
説明すれば……誰にでも、そう、異性ですら目を引く服装かしら?」

 それでも胸の内のどこかで燻るものがあったのでしょうね。後から冷静に思い
返せば、それは私自身の焦りの裏返しだとすぐに思い当たるのだけど。
 けれどその時の私は何か先輩にやり返したい一心で、わざと誤解を招くような
言い方をしてしまっていたわ。
 きっとそれを聞いた先輩はみっともなく動揺するのでしょう。それを何時もの
ようにからかえば、普段通りの私の、いえ、私達のペースに戻れる筈。
 そんな風に考えていたのよ、その時の私はね。

「目を引くって……一体何に着ていく服なんだ?」

 でも、それは先輩の低く抑えた、それ故、無感情に響く声を聴くまでのことで。

「な、何にって……言ったでしょう?様々な状況下の汎用性も考慮して」
「そんなに何度も着る機会があるのか?普段着だけじゃなく、どこかお洒落して
繰り出す時とか?いや、むしろその異性ってのは、具体的にはどんな奴でー」

 言葉を連ねる毎に先輩の声は激しくなっていった。最後には文字通り私に掴み
かからんばかりの剣幕で、詰問をしてきた。
 普段の飄々とした様との余りのギャップに、驚かされたばかりだけど。
 そういえば一度だけこんな様子の先輩を見たことがあったわ。
 陸上で一度目の海外留学をした桐乃から、コレクションを全て処分して欲しい、
などと目を疑うメールを受けた時の、あの狼狽しきった先輩とね。

 そのあまりもの豹変ぶりにすっかり気圧されてはいたけれど。
 私は渾身の力を振り絞ると目の前で掌を打ち合わせて、先輩の言葉を遮った。

「……どう、落ち着いたかしら?」
「……すまん」

 自分だって胸の内では未だに激しく脈動が続いている。先輩にこんな風に詰め
寄られたのは、数年来の付き合いの中でもその時だけだったもの。
 それでも傍目には冷静さを装いつつも反射的に動くことが出来たのは。
 『闇の眷属』と嘯いた強がりも、或いは伊達ではなかったのかもしれないわね。

「いえ、謝るのは私の方よ。わざとあなたが誤解を招く言い方をしたのだから。
本当に御免なさい」
「いや、どう考えても俺の方が悪かったろ?俺達にとってはそんなのいつも通り
のことじゃないか。なのに俺は真に受けて、こんなにも取り乱しちまった。本当
に申し訳ないぜ、黒猫。やっぱ、疲れてんのかね……俺は」

 私と先輩はお互いに自分のせいだと深々と頭を下げ合った。
 天下の往来でのそれは、傍から見ればさぞかし滑稽な有様だったでしょうね。

「だから大人しく部屋で休んでいなさいと、あれほど言ったじゃない」
「いや、それはそれ、だ。今の埋め合わせも兼ねて、今日はなんと言われたって
黒猫についていくからな。社会人には、いや、男には。無理でもやらなきゃなら
ないものがあるんだぜ?」
「そんな大層な話じゃないでしょうに……まったく仕方のない人ね、あなたは」

 そして一緒に上げた顔を見合わせて、今度は二人で笑い合った。
 本当、どうしてこんな道端でコントをやっているのよ、私達は。

 でも、あなたとのこんなやり取りが、私には掛け替えのないものでもあるわ。
 まったく仕方がないのは、きっと私だって同じよね。

「つまり職場に来て行く私服なのよ。私の持っているのは、桐乃と沙織に選んで
貰ったこんなフォーマルな感じのものか、自前で創った服だけだもの。もっとも
後者は殆どが日向に封印されて久しいのだけど」
「最初からそう言ってくれよ……でも、仕事に使うんなら、別に今着てる服でも
問題ないんじゃないか?如何にもキャリアウーマンって感じだし」
「だからこそ、よ。クリエイティブな職場なのに、あまり堅苦しい恰好をしてる
のも問題があるでしょう?私は兎も角、同僚たちの心理的にね」
「ああ、成程な。そういう理由か。確かにうちでも外回りの時以外はラフな格好
をしてる人も多いしな。いいアイディアは机に向かって唸っている時じゃなくて、
ふっと気を緩めた時に出てくるもんだ、なんて話も良く聞かされるよ」
「私自身はあまり実感がないのだけど、きっと創造的な発想はそういうものなん
でしょうね。だから今後はそんな配慮も必要だと思うのよ。それに、ね」

 私はそこで一端言葉を切ると、先輩の顔をちらと伺った。
 当然、先輩は私の言葉の続きをなんの疑問も持たずに待っている訳だけど。

 この流れで私が言い淀んだ理由くらい、少しは察して欲しいものね?

「……折角の機会だから、私が普通の女の子らしい服を選べるか、試してみよう
と思ったのよ。それも自分の趣味ばかりじゃなくて……その、周りから浮かない
ようにも配慮して」

 --私の隣にいる人と並んでも、恥ずかしい思いをさせないように。
 本当に続けようとしたその科白は、流石に口に出せなかったけれど。

「なるほど、な。大体黒猫の考えていることは解かったぜ。と、なると……結構
ガーリッシュやスィート系の服があっているのかもなぁ」
「そ、そう直接言われると抵抗もあるのだけど……確かに私が下調べした服の中
には、そんな名称のものが多かったわね」
「フォーマルなの抜きで黒猫の好みなら、やっぱりそうなるよな。じゃあ、後は
あんまり少女趣味に寄らないようにしていけば大丈夫そうだ」

 事も無げに言い切った先輩の顔が、親友のそれと重なって見えたわ。
 顔立ちは勿論、面影や雰囲気もまったく似てない兄妹だと言うのに。

「そ、そうね。私もその辺りを気を付けなければと考えていたわ。……それにし
てもあなた、まるで全てを見通したような自信満々な言い草ね?」
「いや、別にそういうわけじゃないけどな。ま、黒猫の好みは大体判っているし、
さっきの条件から考えれば、当てはまる系統の服にも見当がつくだろ?」
「正直に言えばとても驚いているわ。まるで桐乃に相談した時みたいに、あなた
が淀みなく答えてくるなんて考えもしなかったもの。ふふっ、常々似た者同士の
兄妹とは思っていたけれど……まさかこういうところでも、だなんてね」

 だからどうしようもなく惹かれ合うのかしらね、あなた達は。
 そしてそれは、私にしても同じことなのかもしれないけれど。

「よせやい。俺は兎も角、あいつが聞いたらそれこそ烈火のごとく怒るだろうぜ?
このあたしを、俺なんかと一緒にすんなっ!ってよ」
「でしょうね。でも、心の中ではとても喜んでいるんじゃないかしら?」

 くすくすと笑いながら見上げると、先輩は返答に窮したのか、憮然とした表情
のままで私からついと視線を反らしていた。

 ただ一言だけ。微かに私の耳に届いた呟きの中では。
 『まだまだ全然だけどな』なんて言っていたけどね。


        *        *        *


 それから私と先輩は、渋谷の街の中をひたすらに歩き回った。
 ある程度は気になったお店や服の下調べはしてきたのだけど。

「目的から考えると、色はもう少し華やかな方がいいんじゃないか?」
「そ、そうはいっても……私にはこういう暖色系は似合わないんじゃないかしら」
「確かに黒猫には黒とか紫がイメージに合って見えるけどな。でも、イメチェン
の狙いもあるんなら、普段と違う色にするのもいいと思うんだ。ほら、こういう
オレンジも、お前の黒髪が良く映えて似合ってるって」

 私が予め目を付けていた服は、次々と先輩からダメ出しを受けてしまった。
 一応断っておくけれど、先輩も試着した私を褒めてはくれたのよ、本当よ?

 でも、確かに先輩の言い分ももっとかしらね。
 私の好みで選んだ服では、今までと代り映えがしなかったのも事実だもの。

「それなら……このくらい冒険してみたらどうかとも考えていたのだけど」
「ああ、そういやこういうフリルの付いた服も好みだったか、黒猫は。そうだな、
数が多いと子供っぽく見えるかもだから……こっちの袖や襟とかにワンポイント
に入ってるのとかはどうだ?」
「な、成程。こういうデザインのブラウスもあるのね……ちょっと試着してみて
もいいかしら?」
「おう、着替えたら撮影するから、後で気に入った服を見比べてみようぜ?」

 ふとしたきっかけで始めた撮影が、すっかり趣味になっている先輩。デジカメ
は常時持ち歩いているようで、今日は私が試着をする度に写真を撮られている。
 折角の機会だから、初めてのボーナスで思い切って購入したちゃんとした一眼
レフのカメラを使いたいよな、なんて言っていたのだけど。
 こうしてデジカメで写真を撮られるだけでも緊張しているのに、そんな大層な
ものを構えられたら、恥ずかしくて堪らないじゃないのよ……
 大体、店内でそんなカメラを持ち出したら、単なる不審者じゃないかしら。

 でも、そうはいっても。正直に言えば、少しばかり残念な気持ちでもある。
 先輩は仕事先でもそのカメラの腕を買われて、ちょっとした撮影なら任される
時も多いと聞いているわ。だからその業を改めて見せて欲しかった気もするのよ。

 ましてや私だけを被写体にして撮影する機会なんて、滅多にないことだもの。
出来るだけ綺麗に撮ってもらいたいのも、人情というものでしょう?恥ずかしい
気持ちや照れなんかはさておいてもね。

 いけない、すっかり話は逸れてしまったわね。

 そんな訳で先輩のアドバイスを受けながら、私達は納得のいく服を求めて次々
と渋谷中のブティックやセレクトショップ、ショッピングモールを渡り歩いた。
 おかげで事前の下調べなんて、殆ど役には立たなかったけれど。自分に似合う
服を求めてお店を巡るというのも、案外楽しいものだったのね。
 世の女性が流行りのファッションに血道をあげている様は、今までの私には実
に理解に苦しむものだったのだけど。
 その気持ちが少しばかり共感できるようになった気がするわ。

 それに、何よりも。
 一緒にいる人がその度に褒めそやしてくれるのも、悪い気はしないわね。

「……お、なかなかいいんじゃないか、その服。デニムシャツの裾にフリルとか、
凛々しさと可愛らしさが同居してるみたいでさ。なんかこう……黒猫だって感じ
がするぜ」
「な、何を訳が解らないことを言っているのよ、あなたは……。でも、そうね。
であれば私にもそれなりに似合っているのかしら?」
「おう、勿論だ。今写真に撮るから、黒猫もゆっくり確認してくれ」

 嬉々としてデジカメを構える先輩に、私は居住まいを整えてから正対した。
 気を抜くと緩んでしまいそうになる表情を、必死になって引き締めながら。

「ほら、ちょっと表情が固いぜ、黒猫。もっと笑ってくれないと、折角似合って
る服だって綺麗に写らないだろ?」
「そ、そんなことを言われても……あなたが普段写真を撮っている人達みたいに
私が上手く出来るわけがないじゃない……」
「いや、そんな難しいことじゃないって。ま、ひとまず撮ってみるぜ?」
「ちょっ、ちょっと!ダメ出ししてから、いきなり撮らないで頂戴!?」
「ん~、おっ、慌ててる黒猫ってのも、実に生き生きしてていいかもなぁ?」
「そんな写真は今すぐ抹消しなさい!あなたの記憶と共に永遠にね!!」

 撮ったばかりの私の画像を確認しながら、如何にも愉しそうに笑う先輩。
 不意を突かれた焦りとそんな姿を評される気恥ずかしさから逃れようと、私は
遮二無二に先輩に詰め寄ったのだけど。

「じゃあ、仕方ないな。ほら、もう一度撮り直すからポーズを取ってくれよ」
「え?そ、そうなの……?」
「被写体に満足して貰える写真を撮るのが、カメラマンの役目だしな。ま、本職
でもない俺が言うのもおこがましいが、何時も心掛けてはいるんだぜ」

 再びデジカメを構えた先輩の何気ない一言に、私はこの一年間の先輩の歩みを
改めて思い知らされた気がしたわ。

「……そう、それなら私も満足のいくものを撮って貰えるのかしら?」
「おう、勿論だぜ。それなら今度こそ笑ってくれよ、黒猫。みんなと遊んでる時
みたいに、心から楽しそうにな?」

 カメラ越しに微笑んだ先輩に釣られて、私も自然と笑みが零れ出た。
 この時の私は気が付いていなかったけれど。きっとその前の悪巫山戯な態度は
私の緊張を解す為だったのでしょうね。

「よーし、良い笑顔だぜ、黒猫。ほら、服と合わせて華やいで見えるだろ?」
「……本当ね。自分で言うのもなんだけど、まるで私じゃないみたい」

 デジカメの小さなモニタに映る自分を見て、本当に驚かされてしまった。
 なんの変哲もなくその場に立っていただけの筈なのに。
 雑誌のモデルのように、その姿がとても自然で決まって見えて。

 それでいて、いえ、それだからこそ、かしらね。
 身に着けてた服も、それを纏う私自身でさえも。

 まるでその為にここに設えた、一つの調度品のようでいて。
 己の雅を顕しながらも、周囲全てとの調和が計られていた。

 私の望んだほぼ全ての要件を、それは十分に満たしていると思えたわ。

「ま、ほとんど被写体のお陰だけど、気に入って貰えたんなら何よりだ。じゃあ、
この服は候補の一つにしとこうか?」
「……いえ、その必要はないわ」
「ん、そうなのか?どっか気に入らないとこでもあったのか?」

 デジカメのモニタから顔を上げた先輩は、頭上にクエスチョンマークが見える
ような表情で私に尋ねた。

 その様子があまりにも可笑しくて、そしてなんだかとても懐かしくて。
 答えを返すよりも早く、私は吹き出してしまっていたわ。

「ふふっ、違うわ。つまりはもう『候補』ではなくて。これで決定ということよ」
「そ、そうか。実は俺も一推しだと思ってたよ。女の子の服を一緒に選ぶなんて
初めてだったが、その人ぴったりのものを探し出すのも案外楽しいもんだな」
「あら?あなたは単に写真を撮るのが楽しかったのではないかしら?」
「確かにそれも半分くらいはあるけどなぁ」
「……そこは慌てて否定するところでしょうに」
「お前の考えくらいはお見通しってことだ。まあ、何にしても中々楽しい休日に
なったよ。ありがとうな、黒猫」

 軽くとはいえこちらに頭を下げる先輩に、私は慌ててそれを押し止めた。

「な、何を言っているの。お礼なら私からするべきでところしょう?」

 そして先輩に改めて向き直ると、私は深々と首を垂れた。

「ありがとう、先輩。あなたのお陰で納得のいくものを見つけることができたわ」
「どういたしまして。こんな俺でも役に立ったんなら嬉しいよ」
「ええ、このお礼は必ず返させて貰う心算だから期待していて頂戴」
「さっきも言った通り、俺も楽しんでたからな?その辺は気にしないでくれ」
「それでも、よ。人からの感謝の気持ちは素直に受け取っておくものだわ」
「お前がそれを言うのかよ!?……でも、そうだな。それなら俺から黒猫へ頼み
ごとがあるんだが。お礼の代わりにそれを聞いちゃくれないか?」

 如何にも今、名案を思いついたといった体でそんなことを言い出した先輩。
 生憎と私だってあなたと同じように、今何を考えたのかなんてお見通しよ?

「……そうね。勿論、私に叶えられる範囲であればだけど。ああ、それと」

 だから私も芝居掛かった口調で答えながら、そこでわざと言葉を切った。
 続きを待つ先輩をたっぷり眇めて勿体付けてから、その後を継いでいく。

「まさかとは思うけれど。この服をプレゼントさせて欲しい、などという世迷言
であれば、きっぱりとお断りするわよ?」
「……相変わらずこういうところはきっちりしてるな、お前は。でも、俺だって
何時も世話なってる礼の一つもしたくなるもんだぜ?誕生日ももうすぐなんだし、
たまにはプレゼントの一つくらいさせて貰っても罰はあたらんだろ?」

 珍しく食い下がってきた先輩を、少しばかり意外に感じたけれど。
 私達の今の関係では、こんな大層な贈り物をされる訳にはいかないわよ。

「お生憎様ね。誕生日プレゼントなら沙織達と共同で用意しているのでしょう?
あなただけからここまで高額な贈り物なんて、受け取れないわ」
「……わかったよ。まったく、人からの感謝の気持ちは素直に受け取るもんじゃ
ないのか?」

 私がきっぱりと言い捨てると、先輩は降参だというように肩を竦めてみせた。
もっとも、そんな負け惜しみも付け加えていたけどね。

「ええ、だからその気持ちだけはありがたく受け取っておくわ。……それと、念
の為に言っておくけれど……その」

 私はそこで、先のものとは違う理由で言い淀んでしまった。
 私達の間の『暗黙の了解』に何時になく踏み込んできたあなたに、掛ける言葉
を迷ってしまったこともあるけれど。
 今更になってあなたにそんなことを口にするのは。
 そんなの、恥ずかし過ぎて堪らないじゃない……

「あなたの気持ちは、正直とても嬉しいのよ?だけど」
「そう言って貰えるなら御の字だぜ。感謝の気持ちだって、押し売りになったら
逆効果だよなぁ」

 途中から先輩が強引に割り込んできて、私の後を引き取った。
 皆まで言うなって。そんな先輩の声が聞こえた気がしたわね。

「お節介の押し売りが信条のあなたから、まさかそんな科白を聞こうとはね」
「俺だからこそ、だろ?伊達に人並以上にお節介を焼いちゃいないんだぜ?」
「ふふっ、確かにそうね。お節介に関しては人一倍の経験値を積んで、とっくに
レベルがカンストしているでしょうしね、あなたは」
「だったら、俺もそろそろ『お節介者』から『勇者』あたりにクラスチェンジが
出来るんじゃないかと思うんだが」
「今だ見習いマネージャーのあなたでは、精々『お調子者』が関の山でしょう?」
「だよなぁ。はやいとこ、せめて一人前と胸を張れるくらいになりたいもんだ」

 私達は顔を見合わせながら一頻り笑いあった。

 あなたが一足先に社会人になって、己の目標に向けて邁進していても。
 私とて『理想の世界』を目指して、努力と研鑽の日々を送っていても。
 そんな私達を取り巻く皆や環境と共に、年相応に変わっていこうとも。

 あなたとのこんなささやかな一時は、何時になっても変わらないわね。

 この時はお互いの立場も柵も忘れて、奥底の本音を晒して笑い合える。
 それが私にとって、どれ程大切で掛け替えなくて愛おしいものなのか。

 ともすればあなたも同じ想いであって欲しい、と願ってしまうのは貪婪かしら。

「それは私も同じ気持ちよ。今の自分をもっと変えていかなければ、自分の夢に
なんてとても届かないもの」
「そう、か。ま、頑張っていこうぜ、お互いに。俺でよければ出来る限りは力に
なるぜ、今日みたいによ。まあ、俺が助けて貰ってる方が多いかもだが」
「ふふっ、これでも頼りにしているのよ、お節介な先輩さん?」
「おう、任せとけって。しっかり者で素直じゃない後輩ちゃん」

 私達は不敵に微笑むと、互いにエールを送り合った。
 今度こそ想いは同じものだと、疑うべくもなく、ね。


        *        *        *


 随分と時間は掛かったけれど。納得出来る品を手に入れた私達は、丁度要件を
済ませてこちらに到着したばかりの沙織と合流した。
 早速、買ったばかりの服を自分の前にかざして、沙織にも見て貰ったわ。

「ほほう、これはこれは……黒猫氏の可憐さと気立ての良さを如実に表現しつつ
も、清廉で凛々しい姿も垣間見せているでござるな。蒼い色合いも黒猫氏の真名
通りに良く映えて、まさにまったりとしながらも、それでいてしつこくなく」
「そ、そこまでにしてくれるかしら、沙織。そんなに持ち上げられたら恥ずかし
さを通り越して、胸中を深く抉られる気がするわ……」
「またまたご謙遜を~。まったく瑠璃ちゃんは何時までたっても恥ずかしがり屋
で困ったものでござるなぁ、京介氏?」
「そりゃその通りだが……って、お前も判ってて黒猫をからかうなっての。気持
ちは良く判るんだが、その腹いせは主に俺や日向ちゃんが被るんだからな」
「あなたもそう思うなら、もっと真剣に止めなさいよ……」

 概ね沙織にも好印象だったようで安心したわ。
 まあその分もハイテンションになった沙織に、散々揶揄われたのだけどね……

「しかし、遅刻してしまったのは誠に遺憾ではござったが。黒猫氏には実に良い
経験になったのではありませんかな?お好みの服を選ぶ楽しみも見出せたようで
ござるし。いえ、勿論、次の機会には最初からお供させて頂きますぞ」
「ええ、ありがとう、沙織。それから……先輩も、ね」

 それでも今日の収穫は二人のおかげだもの。私は改めてぺこりと頭を下げた。
 二人は一瞬、互いの顔を見合わせてから、次に合わせ鏡のように頷くと。
 「「どういたしまして」」と異口同音に返してくれた。

 まったく、こういう時は揃って生真面目に応えるのよね、あなた達は。
 少しは茶化してくれないと、こちらが余計に恥ずかしくなるじゃない。

 本当、似た者同士で良く集まったものだわ、私達は。

 でも、それだけに二人からの心配りが手に取るように伝わってくる。
 まるで心に秘めていた迷いまでもが、全て見透かされていたように。

 だからこそ私は、そんな二人の想いに応える為にも。
 今日この時を以って、固く自身に誓うことにしたわ。

 私にとって、それが決定的な分水嶺を迎えようとも。
 この機に必ずや大いなる決断を下してみせる、とね。


        *        *        *


「で、今年で22歳にもなる誕生パーティだってのに、どうして主役のあんたが
ちょっとは歳考えろってイッタい恰好をしてるワケ?」

 こうして実際に顔を合わせたのは、二か月振りかしらね?
 相も変わらず幼さが残る丸顔は変わりようもないのだけど。目元や面立ちには
前にも増して艶やかな雰囲気が醸し出されていたし、さらに伸ばした髪を緩やか
にカールさせているのと相まって、より一層大人びて感じられた。
 これからここで行われる誕生日パーティは、すっかり毎年の恒例行事になって
いるのだけど。私と共にパーティの主役を務める桐乃は、確かに一年分の成長の
跡が滲み出ていたわ、
 流石は『熾天使』【ウリエル】。その神性を益々取り戻しているわね。
 でもそんな天使様は私の姿を認めるや、久方の挨拶などそっちのけですぐさま
私に罵詈雑言を浴びせてきた。
 まったく、順調にモデルらしい風格を身につけていても。
 その中身は相変わらずのビッチのままなのね、あなたは。

「フッ、我が『生誕の宴』【アドヴェント】だからこそに決まっているでしょう?
とりわけ此度は『学舎』【アカデミア】での『最後の祝宴』【エウカリスチア】。
『此方の世界』と言えども、神魔蠢動せし社会へ飛び立つ為の最後の『通過儀礼』
【イニシエーション】でもあるわ。それ故に」

 私はそこで右手で印を組みつつ口元に引き寄せ、不敵な笑みを浮かべた。その
まま十分に溜めを作った上で、その場で軽やかに一回りしてみせた。
 背中に聳えた『白妙の大翼』【フリューゲル】がしなやかに後を追って、文字
通り羽ばたくように大きく翻った。

「この『最高位の神装』【ヴァイス】こそが、この祝宴に相応しいというものよ」

 そして右手で半面の『マスケラ』を押さえ、印を結んだ左手を真っすぐに突き
出す。同時に左足を引き上げると、渾身の『聖天使の見得』を切って見せた。

「……ま、あんたのお祝いでもあるんだし、好きな格好をすればいいケドさぁ」

 でも目の前の『永遠の好敵手』はこの神威にも全く意に介さずに、深々とした
溜息をついた。まるで子供の駄々を聞き流すように、大袈裟に肩を竦めてね。

「あんた、この間のチャットで服を買いに行ったって言ってたじゃん?てっきり
今日着てくると思って楽しみにしてたのに、紛らわしいことすんなってーの」
「あら、それはお生憎様ね。あれはあくまで『此方の世界』を忍ぶ『仮初の礼装』
に過ぎないわ。何れはその姿であなたと相見える日もくるでしょうけれど、今は
まだその刻ではないわね」
「……なんつーか、あんたさぁ。いつになくイッちゃってない?ここんところは
随分マシになったと思ってたのにさぁ。ねぇ、ひなちゃん。昨日とか瑠璃は悪い
もんでも食べたとかじゃないよね?」
「あー、うん。あたしの見てた限りは、家族とおんなじものしか食べてなかった
と思うんだけど。あ、でも夜は高坂君と今日の準備をしてた筈だから、ひょっと
したらその時になにかあったとか?」
「へぇー。ってぇこーとーはーーー!!」

 振り返った桐乃は、斜め後ろで椅子を並べていた『標的』を補足した。
 そして瞬く間に駆け寄った勢いをそのままに乗せた右足で、哀れな『標的』を
横蹴り一閃に蹴り飛ばした。
 一度は世界を制した格ゲーマーの私が見ても、実に見事なフォルムだったわね。

「いってーな!?つか、折角綺麗に飾り付けたテーブル、どうしてくれんだよ!」
「うっさい!それもこれも、ぜーんぶあんたが悪いんじゃない!」
「はぁ?俺が一体全体、何をしたっていうんだよ!今だってお前と黒猫の誕生会
のために、こうして準備してんじゃねーか!」
「自分の胸に手を当てて考えてみろっての!だいったい、あんたが会場の準備を
するのは、ホストとしてとーぜんの義務ですぅ!」

 桐乃からの『背面奇襲』【バックスタブ】を受けた割には、案外と平気な顔を
して妹と怒鳴り合っている先輩。
 というか、テーブルの装飾なんて後で直せばいいのだから、少しはダッシュ大
キックの直撃を受けた自分の身体の心配をしなさいよ、あなたは……

「まあまあ、きりりん氏に京介氏、ひとまず落ち着いてくだされ。黒猫氏も今日
のパーティの主役に相応しい、絢爛な衣装で場を盛り上げようと張り切っている
でござるよ。さあ、我々もその心意気に恥じぬよう、些事になど囚われずに全力
全開で参ろうではありませぬか!」

 騒ぎを聞いてすぐに駆け寄ってきた沙織が、手慣れた調子でその場を収める。
まあ、この二人の言い争いなんて、当人達には子猫の兄妹がじゃれ合っているの
と何も変わらないものね。騒がしいだけの単なる愛情表現だわ。

「一応、本人の名誉の為に断っておくけれど。別に先輩は何も関係のないことよ。
この恰好は今日この日を迎えた私の覚悟の表れなのだから」

 若干、素の自分に戻って桐乃にはそう弁明しておいた。
 広い目で見れば、先輩からの影響が零というわけでは勿論ないけれど。
 これからの暖かい未来に向けて、自身の確固たる意志で決めたことだもの。

 桐乃は黙ったままで、私を鋭く睨み返していたのだけど。
 わざとらしい程に大きく息を吐きだすと、打って変わって今度は八重歯をむき
出しにして、にかっと笑ってみせた。

「ま、あんたの厨二をいまさら突っ込んだって仕方ないしねー。それに、まあ?
今のうちしか出来ないことも、誰かさんにはあるのかもしれないしー?」

 そして私を流し見たまま、ぱちりと右目を閉じた。
 留学してからこっち、再会する度に大人びていく桐乃のそんな仕草に、私でも
思わずどきりとさせられてしまった。

 いえ、違うのよ?それは別段、私が桐乃に『魅了』されたわけではなくて。
 私の考えなどお見通しだという素振りに、少しばかり狼狽したからだもの。

「しかし本当に大丈夫か、黒猫。久しぶりに見たが、元々それは夏用の服だろ?
今日は結構暖かい方だとは思うが、まだ風はひんやりしてるからな」

 方や先輩はというと、そんな場違いなことを心配してくる。
 久方にこの『聖衣』と相見えて、そんなことを気にするのかしらね、あなたは。

「フッ、それこそ今更のことだわ。『聖天使』に転生した今の私には『妖気の膜』
【ソーサリーコート】をも遥かに凌駕した『神霊の加護』【ディバイングレイス】
によって護られているのよ」
「お、おう、そうだったな。でも、無理はしないでくれよ。折角のお祝いの日に
主役に無理させて風邪でもひかせたとあっちゃ、みんなに申し訳が立たないぜ」

 まったく妹様と違って、相変わらず察しが悪い雄ね、とも思ったけれど。
 でもあなたの瞳の奥の、愚直なまでの真摯な光を見せられてしまっては。

「まあ、忠告だけは有難く受け取っておくわ。……さあ、無駄話はこれくらいに
して準備を進めましょう?パーティの開始までもう1時間もないのよ」

 その気遣いまでも蔑ろにするわけにはいかないでしょう?

 とはいえ、程なく皆も集まってくるでしょうし、これ以上は油を売っている暇
はないわね。一先ずこの場は収めて、私達は会場の飾りつけを再開させた。

 それが今日ここで祝福される者の礼儀というものでしょうから。


        *        *        *


 予定の時間になって、今年も私と桐乃の合同誕生日パーティが始まった。

 集まったメンバーは特に変わり映えもない、何時もの面々といったところね。
とはいえ今では先輩を始め、既に社会に出ている人達だって何人もいるわ。
 それでも毎年でもこうして予定を合わせて集まってくれるのだから。祝われる
側としてはとても有難いことだし、これでも心から嬉しく思っているのよ。
 でも来年になると、私や沙織、瀬菜や花楓達も大学を卒業することになるから、
前に沙織と話したように皆でパーティを開く余裕はないかもしれない。

 だからこそ、何時までもこの縁を大切にしなければならないと。集ってくれた
皆に一人ずつお礼の挨拶を返しながら、改めて強く己に戒めていたわ。


「今までも色んな五更ちゃんのはっちゃけた姿を見てきたけどさ。今日はまた輪
をかけてすっごいねぇ。どこのコミックバンドがきたのかと思ったよ」
「あなただけには言われたくわよ、秋美。その恰好はどんな意図なのかしら?」
「ふっふっふっ、よくぞ聞いてくれました!これは懇意にさせて貰ってる工房の
作業着なんだけどさぁ。これならあたしもいっぱしの匠に見えるでしょ?」

 学校の制服以外は、いつも奇抜に過ぎる格好ばかりしている秋美だけれど。
 今日は紺の甚平をベースにした服に、葉模様をあしらった小さなエプロンと和
帽子を身に付けていたわ。
 そう言われれば、確かにどこぞの職人に見えなくもないかしら?

「いいとこ、旅館の新人仲居さんじゃないかしら?服装だけですぐに本物の風格
まで出せるのなら、苦労なんてないわよ」
「だよねぇ~でも、ま、気分だけでも違うもんでしょ?一人前までまだまだ掛か
るんだし、それくらいはさぁ」
「お互い先は長いわね。でも、何れはそんな服も着こなす立派な古物商になれた
あなたを、私も楽しみにしているわよ」

 確かに秋美の言う通りかもしれない。私だって自分を変えたい気持ちが高じて
コスプレにのめり込んだようなものだったのだし。
 あれから何年も経った今でも、それは変わらないのかもしれないわね。
 今日のこの『聖天使』の衣装も。初めて自分で選んだ服にしても、ね。


「今日はまた随分と気合が入った恰好だよなぁ、五更。んじゃ、さらに景気づけ
にまずは一杯どうだ?」
「あなたも懲りない人ですね。この間のうちの親睦会でもそうやって五更さんに
お酒を飲ませまくって、大変なことになったのをもう忘れたんですか!」
「いやー、あんまり調子よくワインを飲んでたから、すっかり強くないってのを
忘れててよ。でも、こいつは単なるビールだぜ?これくらいなら大丈夫だろ」
「いえ、僕の目が黒いうちは許すわけにはいきませんね!五更さんの名誉のため
にも、年頃の女性にあんな酔わせ方は二度とさせられませんので!」
「……あの、私の心配をしてくれるのは嬉しいのだけど……。出来ればもう少し
声を抑えてくれないかしら……」

 周りを気にせず言い合う三浦さんと真壁さんに、私はたまらずに割って入った。
 でも時に遅し、ね。とっくにここにいる皆の注目を集めてしまっていたから。

「え、黒猫さんって、酔ったら一体どうなっちゃうんですか?」
「それはもう大変だったんですよ。飲み始めてからすぐにやけにテンション高い
なぁと思っていたんですが、かと思うといきなりけたけたと笑い出したりして。
あげくの果てにはですね」
「瀬菜!?余計なことをあやせ達に吹き込まないで頂戴!」
「いーじゃねぇかよ、こんな機会なんだから教えろっての。いっつも澄ました顔
のこの天使サマが、酒飲んでどんだけ乱れまくったか、加奈子も興味あるしな」
「か、かなちゃん。そんな聞き方をしたらセクハラだよ。最近は事務所も厳しく
してるんだから気を付けないと。それにお酒癖が悪いのは、かなちゃんだって人
のことを言えないんじゃないかな」
「うっせーな!まだ酒も飲めないようなお子ちゃまが、いっちょう前にセクハラ
とか言ってんじゃねぇっての!大体セクハラなのはおまえのわがままボディだろ。
いっつも見せつけやがって、なんのイヤミだっての!」
「こら、かなちゃん。ブリジットちゃんをいじめたら、めっ、だよ。そんなにお
酒の話がしたければ、またわたしと一緒にゆっくり飲もうねー」
「い、いえ、今は師匠もお店の書き入れ時で忙しいでしょうから……その、残念
ですが遠慮させて頂きますよ……」
「か、加奈子?どうして麻奈実さん相手にそんなに畏まってるの……?」
「な、なあ、小川。俺も山上もこの前の飲み会には出れなかったが、一体五更に
なにがあったんだよ?まさかあのコスプレと何か関係でもあるのか……?」
「そ、それは……い、いえ、僕は何も見てないですよ、ええ、何も!気になるの
でしたら、くろね、いや、五更先輩に直接尋ねてください、青井先輩」

 おかげで私を肴にしたその騒ぎが収まるまでの間。我が身の釈明と弁護、さら
には未然の火消しに追われて、皆への挨拶どころではなかったわね……
 この集まりも年を追うごとに平均年齢が上がっているから、すっかり飲み会の
場になっている面も強いのだけど。お酒は己の分を弁えて飲むべきだと、色々な
意味で改めて思い知らされた気がするわね……


「この前の飲み会には出られなくて残念だったが、これからまた一緒にゲームを
作れるな。改めて宜しく頼むぜ、五更」
「ええ、あなた達がいてくれるのは、正直心強いわ。うちは技術的には皆、申し
分のないメンバーが揃っていると思うけど。今後チームを纏めて引っ張っていく
面では、青井君と山上君の二人が適任だと考えているのよ」
「そうまで評価して貰えるのも面映ゆいですが、自分達でなくても真壁先輩とか
赤城さんが現場のリーダーシップを十分発揮されているのでは?」
「そうね。でも真壁さんは三浦さんの補佐で手を取られると思うわ。瀬菜は何か
と気が回るし、面倒見も良いからリーダーとしての素養は申し分ないのだけど。
でもそれ以上に、瀬菜のプログラマとしての非凡な能力を存分に発揮させないと、
私達のような小さなソフト会社が生き延びるのは難しいでしょうから」

 私の説明を聞いた後、二人とも黙ったままその内容を吟味していたようだった。

「……なるほど、確かに五更の言う通りかもしれねぇな。にしても、相変わらず
だよなぁ、五更は。前にも言った気がするが、俺としちゃそこまで考えてるお前
のほうが、よっぽどリーダー向きだと思うんだがよ」
「それも前に答えた通りよ。私には人を引っ張るカリスマはないもの。こんな風
にリーダーに裏から意見を具申する、参謀役が関の山ね」

 如何に聖天使に転生しようと私の本質は闇。それは変えようがない事実だもの。
 『此方の世界』で過ごした二十数年で、十分にそれを思い知らされてきたから。
 でも別にそれは恥ずべきことじゃないわ。だって私は一人ではないのだからね。

「だから纏め役には、是非とも二人にお願いしたいのよ。勿論、私も出来る限り
の協力をするわ。それが適材適所というものでしょうから」

 二人は目線だけを交わして、何事かやり取りしているようだった。
 そういえば高校のコン部でも、こんな風だったかしらね。何時も私が無理難題
を二人に要求しては、同じように困らせてばかりだった気がするもの。

 結局、二人は私の提案を受け入れて、後で三浦さんや真壁さんともしっかりと
相談すると答えてくれたわ。
 あなた達にはこれからも面倒ばかりかけてしまうかもしれないけれど。
 でも私とて、高校時代と一緒ではないのよ?あなた達の労に見合う成果を今度
こそ出して見せるのだから、どうか楽しみにしていて頂戴。

「それにしても懐かしい衣装ですよね、五更先輩」
「そういえば、あなたは『fairy』との『決闘』【デュエル】を見届けていたの
よね、ユウ。かつてこの『聖衣』を纏ったのは、あの時を合わせても両の指で事
足りる程しかないのだけど。今日この日には相応しい出で立ちと思ったのよ」
「つまりは私との『決闘』と同じくらいの覚悟でこの場に臨んでいる、という訳
かな、『松戸ブラックキャット』。いや、この姿では『松戸バステト』だったか。
まさか再び見える時が来ようとは、思ってもみなかったぞ」
「ふっ、それは私にとってもよ。けれど力不足な今の私でも目的を果たす為なら、
この衣装の神通力にもあやかりたくなるわ。あの時と同じようにね」

 流石はここの最年長者にして、あらゆる道を極めしものというところかしら?
香織さんにはこの装束の意味をすっかり見透かされていたようだった。

「ほほう、君にしては珍しく弱気だな。『神様だって倒してみせる』と豪語した
君が、その力など借りるまでもあるまいよ」
「そう、ね。その通りだわ。今の私は『聖天使神猫』。闇の者にして、全ての邪
を退けし聖なる存在。故に我が力で排せぬ万難などないのよ」
「それでこそ、だ。『君の実力』で私に勝った以上、中途半端など許されないぞ。
必ずや君の願いを叶えることだ。それが沙織の、いや、ここに集った全ての者達
の想いにも通じるだろうさ。頑張り給え、我が『好敵手』【とも】よ」

 ぴっと親指を立ててエールを送る香織さんに、私は神妙に頷いて応えた。
 この『神猫』の衣装に相応しく、大胆にして不敵な笑みも湛えながらね。

「そうですよ。あの試合の興奮と感動は、今でもはっきりと覚えています。あの
時の五更先輩はとても凄くてきらきらしてて。本当に別世界の人に思えました」
「そ、そこまで言われると流石に恥ずかしいのだけど……でも、そうね。私の全
てを賭して挑んでいたことには違いないわ」
「あれから後輩やサークルの仲間になって、一緒にゲームを造ったりイベントを
楽しんだりしてこれたのは、正直夢のようでした。僕にとってはあの時の憧れは
ずっと変わりませんでしたから」

 あの『決闘』の時と同じように、まっすぐな瞳を私に向けてくるユウ。
 その真摯さと。まるで別離でも告げられそうな話し振りに、私も口を挟めずに
続くユウの言葉を待った。

「これからもサークルや開発メンバーの一員として、五更先輩のお手伝いをして
いくつもりですが……でも先輩には、ご自身で叶える強い目標がありますよね?」
「ええ、私にとって今だに手の届かぬ路の先に、だけど」
「そちらに関しては、あの日みたいに僕はただ見守るしか出来ないんですけど。
でも、だからこそ精一杯応援しています。及ばずながら、ですけれど」

 香織さんといい、ユウといい。どうして今日はそんな話をされてしまうのか。
 いえ、自明よね。最近の私の印象だと、この姿は違和感ばかりでしょうから。
 ……やはり今の私には、この『聖衣』を纏うのは荷が勝ちすぎたのかしら?
 皆に余計な憂慮をさせてしまうのでは、本末転倒にしかならないじゃない。

 でも、それでも。

「……ありがとう、ユウ。そこまで応援して貰える資格が私にあるのか、正直な
ところ自信なんてないけれど。あなたの気持ちだけで、幾万の味方を得た気分よ。
それに応える為に全霊を尽くすと、あなたとこの『聖衣』に誓いましょう」

 いえ、だからこそ、かしらね。
 そんな私にこそ明かしてくれた想いを、無下になんて出来ないもの。
 自身の言葉にあらん限りの篤厚を籠めて、私は高らかに宣言したわ。


「ケーキの元絵にって送られてきた写真を見た時はちょっとびっくりしちゃった
けど。こうして目の前で五更さんが着てるのを見ると、とても似合ってて可愛く、
ううん、綺麗でもう一度びっくりしちゃった」
「ふっ、これは『聖天使』として現世に降誕した姿なのよ。写真などという低俗
な代物では、真なる力の一端すら顕すことなど出来ないわね……なんて言いたい
ところだけど。まあ、私相手にお世辞は要らないわよ、花楓」

 花楓のような至極真っ当な女の子からすれば、こんな奇抜な衣装を友人が着て
いるの見たらさぞかし面食らったことでしょうしね。昨年の誕生パーティで着た
アイドル衣装なんて比較にならないレベルだもの。

「そんなことないよ。多分、五更さんが言った通りなんじゃないかな。写真だけ
じゃ、五更さんの魅力が全然判らなかったもん。きっと着てる人の気持ち次第で、
衣装の雰囲気も違って見えるのかもしれないね」
「そ、そういうものかしら?私自身、そんな心算はないのだけど」

 そんな花楓の思ってもみなかった見識に、正直感心させられてしまった。
 或いはオタク趣味を持たない花楓だからこそ、見える物もあるのかしら?

「ふふっ、五更さんなら特に意識しないでも、衣装に合わせて気持ちを切り変え
てたりとかなのかな?今日の五更さんは、桐乃ちゃんみたいに元気溌剌って感じ
だし、何時もとは違うそういう五更さんも素敵だと思うよ。このケーキもそんな
魅力を少しでも伝えられていればいいんだけど」

 傍らのテーブルに置かれたひと際大きなお皿には、私と桐乃の為に用意された
2つの誕生日ケーキが乗せられていた。毎年すっかりと恒例になっている花楓の
力作で、今年は一般的な円柱のホールケーキではなく、直方体に成型されている
のが目を引いたわ。

 純白に塗り飾られたケーキには、今の私の神猫の姿を模したイラストが。
 もう一方の茶褐色のケーキには、桐乃の笑顔が上面一杯に描かれていた。


https://download1.getuploader.com/g/kuroneko_2ch/894/birthdayCake2018.JPG

 どちらもケーキの出来栄えは勿論、イラストもクリームやピューレでケーキに
直接描いているとは思えないくらいに見事なものだったわ。
 花楓がこの誕生会のケーキを任されるようになって、もう数年にもなるけれど。
 料理の上達に比例して、ケーキの完成度が高まっているのが如実に解かる程よ。

「いいえ、あなたの作ったケーキだって、本人に負けないくらいに素晴らしいと
思うわ。その人達へのあなたの想いがこんなにも込められているのだもの」

 そうでなければ、こんなにも素敵なものにはならないでしょう?
 毎年手の込んだケーキを作ってくれて、本当に感謝しているのよ、花楓。

「ふふっ、どういたしまして。そう言って貰えると、作り手としてはやっぱり嬉
しいものだね。そのためにも、もっと工夫して美味しくしようって思えるもの」
「ふふっ、全くね。そういえばイラストの薔薇とか髪の陰影とかに、昨年までは
なかった紫色も使われているわね。今まで青や茶色で代用していたのに」
「うん、それは紫芋から新しく色粉を作ってみたんだ。思った以上に綺麗な色が
出たから、今年は絶対に使おうって。五更さんにはやっぱり紫色も良く似合うと
思うから。あ、それにこの薔薇のデコレートとかは」
「そうそう、あたしやたまちゃんだって手伝ってるんだからさぁ。ほら、ここの
クリームのデコレーションとか綺麗に出来てるっしょ?何を隠そう、このあたし
が丹精込めて作ったんだからね!ぞんっぶんっに褒めてくれていいんだよ?」

 きっとこの機をずっと見計らっていたのでしょうね。ここぞとばかりに割って
入ってきた日向は、会心のドヤ顔を私に向けてふんぞり返っていたわ。
 滑らかにケーキ全体を塗り上げたナッペの出来映えや、クリームで絞り出した
薔薇やフリルで丹念に全面を飾りつけたその手腕は、確かに日向が自慢するだけ
のことはあるかもしれないわ。
 果たして私が作ったとしても、ここまで綺麗に仕上げられるかどうか。何時の
間にここまで腕を上げていたなんて、正直なところ吃驚したくらいよ。
 ふふっ、知らぬは姉ばかりなり、かしら。あなたもこの春から、もう高校二年
生になったんですものね。

 私がもう一度『理想の世界』を目指して歩み出した、あの時と同じ歳に。
 何れは日向だって自分の夢を見付けて、追い求める時がくるのかしらね。

「……その顔を見せられると、とても褒める気にはなれないのだけどね……でも、
それではこの『聖天使』の名折れね。ええ、とても綺麗に出来ていると思うわよ、
日向。お世辞抜きでお店に飾れそうな出来栄えに見えるもの」
「でしょ、でしょ!これでも高校じゃ料理部次期部長の有力候補なんだからねっ!
部の大先輩な花楓さんにも、こうして直接指導して貰ってるしねー」

 びしっと両腕を掲げてその大先輩の御威光を称える日向に、花楓は少しだけ気
恥ずかしそうにしながらも、穏やかな笑みを浮かべていた。
 それこそ何かと手のかかる困った後輩を、温かく見守る先輩みたいに。
 この分だと私の知らないところでも、花楓に教えを受けているようね。

「成程、日向が上達するわけね。世話の焼ける後輩でしょうけれど、どうか今後
とも宜しくお願いするわ、花楓」
「うん、私なんかで良ければ喜んで。でも日向ちゃんには私から教えられること
はあんまりないんだけどね。頼りになるお姉さんにしっかり鍛えられてるもん」

 そんな穏やかに言われたら、こちらが気恥ずかしくて堪らないじゃない……
 花楓の隣では日向もバツが悪そうにして、視線を宙に彷徨わせていたわ。

「そ、そういえばさぁ。『今年はこの姿で誕生会に出るから』ってルリ姉に言わ
れた時にはどうしようかと思ったけど。羽とか前よりパワーアップしてるし」
「ふっ、この『光翼』【フリューゲル】は『聖天使』たる『象徴』【シンボル】
の『顕現』【マテリアライズ】にして、『神力』【ディバイン】そのものよ。故
に我が『位階』の更新と共にその『威容』【グレード】を増していくわ」
「ふうん、相変わらず胸はパッドが入ってるみたいだけど。どうせ大きくするん
なら、そっちの方が良かったんじゃない?誰かさんのためにもさぁ」
「よ、余計なお世話よ!中学の頃から全然変わってないあなたになど言われたく
はないわ。私は昨年、次の位階へと着実に推移しているのだから」
「い、言ったなぁ……決して言ってはならないことを……大体、ルリ姉だって9
歳も離れた妹に負けてる分際で、偉そうに言わないで欲しいよ!」
「ね、ねぇ、二人とも。姉妹仲が良いのはいつも羨ましいなぁって思ってるけど、
みんなの前であまり大声で言うような話じゃないんじゃないかな……?」

 花楓のおかげで漸く我に返った私と日向は、合わせ鏡宜しくすぐさま口元に手
を当てて、それ以上の失言を塞いだ。
 もっとも恐る恐る振り返ってみれば、ここにいる殆どの人達と目が合ったので、
完全に手遅れだったのだけどね……

「まったくルリ姉のせいでヒドイ目にあったよ……」

 その場の騒めきと奇異の視線が収まるまで、私と日向は只々俯くことでこの気
まずい雰囲気を耐え忍ぶしかなかったわ。

「元々はあなたの謂れない狂言のせいだと記憶しているのだけど?」
「そ、そうだったっけ?ま、まあ、話を戻して……ともかく、ルリ姉も何か考え
があるんだろうけどさ。こういう服は今日限りにしておいてよね?たまちゃんも
もう中学生なんだから」
「ええ、解かっているわ。それも前に約束した通りよ」

 家族会議の裁定によって、『闇衣』【シュバルツ】と共に封印された『聖衣』
【ヴァイス】を再び身に纏う為には、そもそもの発案者である日向の了承が絶対
条件だと思っていたのだけど。
 私の話を聞いた日向は、やけにあっさりと『聖衣』の使用を認めてくれたわ。
まあ交換条件として、今後は一切封印を破らないと約束はさせられたけどね。

「日向お姉ちゃん、お皿とデザートの準備は終わりましたよ」
「ありがとう、たまちゃん。そんじゃ、中央のテーブルにみんな集まって貰って
いよいよお待ちかねのケーキカットといきますかぁ」
「あ、姉さまは主賓なんですから、ここで用意が整うまでお待ちくださいね」

 私も日向と花楓がケーキを運ぶのを手伝おうとしたのだけど。
 珠希が静かに、それでいて有無を言わさぬ『威圧』【プレッシャー】を籠めて
私を制してきた。

「それに姉さまには聞きたいこともあります」
「何かしら、珠希」
「頃来、姉さまは自らの『闇の宿命』を敢えて意識しないように振舞われていた
と思えました。少なくともわたしの前では。けれど今日の姉さまは、その闇の力
を過剰なまでに顕現させています。その理由をどうかわたしに教えて頂けません
でしょうか?」

 我が緋色の『魔眼』と金色の『神眼』をじっと見つめてくる珠希。
 先の言葉と同じく、下手な言い訳など寸毫も見逃さないという意思を秘めてね。

「そう、ね。あなたには余さず真実を伝えておくべきかもしれないわ」

 本来なら、これは私自身のけじめ以外何物でもないけれど。
 趣味に没頭したい欲求と、周囲の意を汲んでそれを押し止めようとする自制と
の間で揺れ動いている大切な妹に対しての。
 今回の『儀式』は、私からの啓示の意味も籠めているのだから。

「これは私が次なる位階へ進む為の儀式。それには『此方の世界』における我が
『闇力』。さらには反転せしこの『神力』をも、最大限に顕してその全てを揮う
必要があるのよ。それは恐らく」

 そこで一端言葉を切ると、私からも珠希を真っ直ぐに見つめ返した。
 愛妹の澄んだ湖の如き瞳は、迷いなく私の次の科白を促していたわ。

「今世における力の一切を、この刻を持って昇華することになるでしょうね」
「ま、まさかそこまでの儀式を執り行っていたなんて……でも姉さま、どうして
そのような危険な真似を!?」
「言った通りよ。次なる位階へ進む為には、私は私の全てを賭す必要があるの。
それは今までの私の存在そのものと引き換えでなければ、決して手に入れること
は出来ないものでしょうから」
「でも、以前姉さまはおっしゃいましたよね?生涯、闇の宿命と共にある、と」
「ええ、その言葉に偽りはないわ。例え力を失おうと、私は闇の宿命からは逃れ
られない。だから今後は私が創り出す全てに、それを注ぎ込む心算よ」

 珠希は話を聞き終えると、暫らくの間、顔を俯けて黙り込んでしまったわ。
 今まで信じていた私に、まるで裏切られた気分になっていたのでしょうね。
 時折目線を上げては、私の顔を伺ってはいたけれど。変わらずに珠希を見つめ
続けていた私と目を合わせては、再び項垂れるように視線を落とした。

「だから珠希。これからは『闇の力』の何たるかを、あなたに教示することは叶
わなくなるでしょう。……だけどね」

 私はそこで張り詰めていた気を緩めた。
 そして今度は一人の姉として、掛け替えのない妹へと穏やかに諭した。

「あなたはあなたの信じる道を行きなさい。己が宿命は自身が全霊で向き合って、
その行きつく先を見出すものよ。私もそうして答えを得たのだから」

 珠希は顔を上げて、私の言葉を小さく反芻しているようだった。

「……はい、姉さま。わたしには自分の『宿命』など未だ見えぬ闇の中ですが。
ただ、それを目指すべき道筋は解かった気がします。最後にわたしに薫陶を授け
て頂いて、感謝します」

 そう言うや珠希は深々と頭を下げた。そして次に顔を上げた時は、小さいころ
からの珠希らしい、爛漫な笑みを浮かべていたわ。

「こらぁ、瑠璃!いつまでそんなトコで油を売っちゃってるワケ?あんたも主役
の一人なんだから、ここにいないといつまでもケーキ切れないじゃないのよ!」

 しびれを切らした桐乃の声に、私と珠希は慌てて皆の元へと駆け寄った。
 桐乃の機嫌を損ねては後々面倒だし、皆をこれ以上待たせられないもの。

 それに、何よりも。タイミングが良すぎたその呼びかけは。

 私達の話が終わるまで、待ってくれていたのでしょうしね。


        *        *        *


「それでは宴もたけなわなところで名残り惜しくもございますが、以上を持ちま
して『きりりん氏&黒猫氏お誕生日パーティ』のお開きとさせて頂きます。本日
は誠にありがとうございました」

 沙織の締めの言葉と共に、今年の誕生日パーティも閉会となった。

 本当、楽しい時間というのは、どうしてこんなに早く過ぎ去ってしまうのかし
らね?こうして誕生日を一つ重ねるごとに、それを強く実感してしまうもの。
 歳を取るに従って身体的な代謝が落ちるので時間が短く感じられるようになる、
とか、そんな科学的な検証も聞いたことがあるけれど。
 でも、この場合は文字通り『時が経つのを忘れる』くらい、楽しいことに集中
出来ているのが原因だと思うわ。
 それは、裏を返せば。私がここに集ってくれた人達と過ごす時間を、それだけ
嬉しく思っていることの証左なのでしょうね。

 だから刹那に流れ行くこの一時を、惜しむ気持ちに間違いはないのだけど。
 そう感じられる今の自分を、少しだけ嬉しく思える気持ちだってあるのよ。

「お疲れ様、黒猫。今日はえらくまたノリノリだったな。なんつーか、学生時代
の頃を思い出して、ちょっと懐かしかったくらいだぜ」

 誕生会が終わった後も暫し余韻に耽っていた私に、先輩が声をかけてきた。
 まったく物思いに耽っている乙女心くらい、少しは理解して欲しいものね。

「クククッ、何を立ち枯れた老樹が如き科白を言っているのかしら?あなたとて
前世の記憶を取り戻して真の力を解放させれば、今すぐに目醒める姿なのよ?」
「お、おう。まあ、その辺は追々と、な。それはともかく、今のうちにその服を
着替えてきた方がいいんじゃないか?日も落ちてぐっと寒くなってきたしな」
「気遣いは嬉しいのだけど、まだ後片付けがあるのでしょう?全てを終えるまで
ここを離れるわけにはいかないわね。今日の主賓だというなら尚更よ」

 どうせあなたのことだから『お前は主役なんだから後は俺達に任せとけって』
とでも言う心算だったのでしょう?
 言いかけたものを慌てて飲み込んだ先輩は、僅かにまなじりを下げて苦笑した。
最近になって良く見るようになった気がするその面持ちは、やはり社会で揉まれ
た経験からくるものなのかしらね。

 あなたには似つかわしくないくらいの物分かりの良い諦観と。
 相手の事情を察する気配りも見せた、嘆息交じりの微笑みは。

「瑠璃は相変わらずせせこましいっつーかさぁ。こういう時の主役は、どかっと
構えて存分に持てなされるのが仕事っしょ?じゃなきゃ、祝う側の気持ちだって
無駄になっちゃうじゃないのよ」

 兄の窮地を見兼ねたのか、妹様がすぐさま横やりを入れてきた。
 自分では散々扱き下ろすくせに、こういう時はお優しいことね?

「それは見解の相違ね。仲間内だけのパーティにホストもクライアントもないで
しょうに。誕生会だって皆で集まって楽しむ為の方便の一つだから、参加者全員
で準備も後片付けも行うべきでしょう?」

 そう、即売会みたいなものよ。私は一言付け加えると、会場に飾りつけていた
お手製のペーパーフラワーやガーランドを片付け始めた。

「ふふっ、確かにそれも一理ありますわね。それではお集まり頂きました各々方。
立つ鳥跡を濁さず。始まる前より綺麗になるように、張り切って後片付けに取り
掛かりましょうぞ!」
「「「「「「「「「「「「おー!!」」」」」」」」」」」」

 皆心得たもので、沙織の号令に従っててきぱきと撤収作業が進められた。
 誕生会だけでなく、こうした集まりはほぼ月一回くらいのペースでやってきた
ものね。それも当然かしら?
 結局30分と掛からずに、おおよその片付けは終わったのだけど。
 ちなみに桐乃も結局はその中に加わって、中庭の掃除やレンタル品の整理をし
ていたわ。何だかんだと口では言っても、根本的に律儀なのよね、この娘は。

「それではわたくし達はレンタル機材を返却して、そのまま帰らせて頂きますね。
参加された皆様方、改めてお疲れ様でした。また次の機会にお逢い致しましょう」
「テーブルや椅子は俺たちがトラックで運んどくから任せといてくれ。じゃあな、
高坂。週明けからまたよろしく頼むぜ、五更」
「あ、そうそう、ひなちゃん。さっき買おうかどうか迷ってるって言ってた春物
のアイテム、早速見に行こっか!」
「ええ、キリ姉?別に今日じゃなくても……って、ああ、そうだね!ほら、たま
ちゃんも一緒にいこういこう!」
「お、なんか面白そうだねぇ。あたし達もご一緒させてもらうよ、きりりん氏」

 帰宅の途に就く人達を見送っているうちに、何時の間にかこの場には先輩と私
の二人だけが取り残されていた。

「今日はみんな、やけにささっと帰っちまったな。普段ならなんだかんだと散々
駄弁ってから解散するもんだが」

 その理由に思い当たる節もないのか、先輩は呑気にそんなことを言っていた。
 こういうところは相変わらずで、悪態の一つも付きたくなってしまうけれど。
 でもこの時の私は、皆にすっかり見透かされていた恥ずかしさの余り、そうね、
などと返すのがやっとの有様だったもの。人のことなど言えないわよね。

「それじゃ、俺は大家さんに無事に終わったって挨拶してくるよ。その間に黒猫
もその服を着替えてきてくれよ」

 私は黙って頷くと、言われた通りに2階の先輩の部屋へと向かった。部屋の中
に預かって貰っていた自分のキャリーバッグから着替えを取り出すと、身に着け
ている『神猫』の衣装へと手をかけた。

 ……これで着納めなのよね。

 けれどそう実感した途端、すっかり手が止まってしまった。
 そしてその代わりとばかりに、自分の姿をしげしげと見回してしまう。

 実際に身に着けた機会は、今日を入れても両手で数えられるくらいなのに。
 それでもこの服には、積み重なった想いが多すぎるもの。

 他の人に見て貰いたい一心で、創り上げたのも初めてなら。
 生まれて初めての逢瀬にも、この服を着て挑んだのだから。

 最初は驚いていたあなたも、次第に受け入れてくれたのか。
 何事にも拙ない私達も、何時しか心から楽しんでいたわね。

 あの時、共に過ごした掛け替えのない日々と想い出は。
 この服を象徴として、深く刻み込まれているのだから。

「黒猫~、そろそろ入っても大丈夫か?」

 ……いけない、そんな感慨に浸っている場合ではなかったわね。

「……未来のトップマネージャー様は、女性の着替えを急かすような無粋な真似
をしてくれるのかしら?」
「す、すまん!?まだ早かったよな。じゃあ、終わったら声を掛けてくれよ」

 私が慌てて答えた責任転嫁に対して、妙に上ずった声で返してきた先輩。
 何を考えたのか、薄々想像もつくのだけど。そこに突っ込むのは藪蛇かしら。
何より、本来責められるべきは自分だものね。
 私は出来る限り急いで-極力丁寧に『神猫』の衣装をバッグに収めて-着替え
を済ませた。

「……もう、大丈夫よ。あなたの部屋なのに、外で待たせてしまって御免なさい」

 玄関前の欄干にもたれながらスマホをいじっていた先輩に私は声を掛けた。

「そんなことは気にするー……」

 スマホから顔を上げた先輩は、ドアを開いた私の姿を認めるやそこで絶句した。

「な、なによ……まさか半月も経たずに忘れたとは言わさないわよ?」

 私が着替えたのはつい先日、先輩と一緒に選んだ服装だった。わざわざここに
着て来た服-家で良く着ている黒のワンピースだったけど-とは、別に用意して
おいてね。
 あれ以来、実際にこの服を着て人前に出たのは今日が初めてだけど。
 まさか改めて見たら、私には全く似合ってなかったなんて言い出さないわよね?

「……いや、勿論覚えているさ。ただ、よ」

 漸く呪縛が解けたのか、先輩はぽつりとその『理由』を語りだした。

「さっきまではあの恰好だったからかな。なんかこう……別人に見えたんだよ。
あんまりも……そう、今どきの女の子みたいでさ」
「あら、服が変わっただけで別人扱いだなんて。曲がりなりにも芸能界で働いて
いる人の科白とも思えないわね?」
「……まったくだ。ここ1年で少しはマシになったって、自分では思っていたん
だけどな……やっぱ全然本質ってものが見えてないんだな、俺は」

 何時もの調子で、戸惑う先輩を少し揶揄うだけの心算だったのに。
 やけに落ち込んでしまった先輩に、私は慌ててフォローを入れた。

「いえ、そうでもないと思うわ。むしろ今の先輩の反応は、この服を着ている私
にとって嬉しいことでもあるもの」
「どういうことだ?」
「何故なら私は……今日限りで厨二を卒業しようと決めているのよ。だから今日
は『夜魔の女王』から『聖天使』になる為だけではなく。一人の『人間の女の子』
になる『転生の儀』でもあったのよ」

 先程のものとは比較にならないくらいの呆けた顔をして。
 先輩は暫くの間、黙って私の顔と服とを見返していたわ。

「……どういうことだ?」

 漸く再起動した先輩から、同音同句の問いがなされる。
 もっとも、より一層、困惑の色を強めてはいたけれど。

「そうね、きっととても長い話になると思うのだけど」
「こんな一大事なら、明日の朝まで掛かっても付き合うぜ?」
「冗談よ。端的に言えば、今の自分の『殻』を破るために、かしら?」

 臆病で内気で人見知りで、それでいて自尊心は高くて負けず嫌いで。
 そんな自分を護る為に、何時しか『理想の自分』を心中に創り出していた私は、
その世界へと没頭した。
 最初は単なる逃避であった筈なのに。何時しか私は過程そのものに魅せられて、
夢想した世界の創作こそを自らの道と見定めていったわ。

 それは本心では望まぬ孤高をも、一層呼び込むことになってしまったのだけど。
 数奇な運命の悪戯が。いえ、私達の意思こそが縒り為し手繰り寄せた縁の糸が。
 今のこの私を。何より私達の関係をも、嫋やかに育み、靭やかに育ててくれた。

 そんな私の拠り所に感謝こそすれ、今更恥じ入ることなど何一つないのだけど。

 それでも『それ』自体の本質は、私を護り覆い隠す為の心の鎧。
 『それ』を纏っていては、全てを賭して向き合うことなど出来ないでしょう?

 私のこれからの人生と。すなわち、あなた達と永劫に在り続ける為には、ね。

「だからずっと機を伺ってきたのよ。私の厨二を締め括るのに相応しい刻をね」
「……そうか、だからその服も」
「ええ、私が普通の女の子になれるかの試金石でもあったわ。もっとも、あなた
にとても助けられたから、本来の目的としては十分ではなかったでしょうけれど。
でも……それも丁度良かったのかもしれないわね」

 私はそこで一呼吸をおいて。全霊を持って最後の、決定的な言葉を紡ぎ出す。
 『闇衣』も『聖衣』も。『心の鎧』をも脱ぎ去って、あなたと正対する為に。

「そのお礼も兼ねて。一年前には聞くことも断ったあなたの『お話し』を、今な
ら聞かせて欲しいと思っているのよ」

 昨年の丁度今頃だったかしらね。先輩は芸能事務所での仕事が始まってすぐに、
慣れない業務に目の回るような忙しさになった。夜遅くに部屋に戻っては、ただ
眠るだけの日々が続いていたくらいだもの。
 それを少しでも助けようと、私は毎日大学帰りに先輩の部屋を訪れては家事
の手伝いをしていたわ。先輩が仕事から帰っているいないに関わらずにね。
 部屋の掃除や食事の作り置き、洗濯、買い物、毎日熟すべき家事は幾らでも
あるもの。そんな雑事に囚われずに仕事に集中して欲しかったから。
 そのかいもあったのか、一月もすれば先輩の仕事も落ち着いてきたわ。
 相変わらず休日なんてあったものじゃない仕事ぶりだったけど、少なくとも
体調を崩したり音を上げるようなことはなかったもの。仕事の話だって楽し気
に話してくれるようにもなったしね。

 この分ならもう心配ないかしら、なんて考えていたその矢先。
 先輩の部屋で夕食を作っていた私は、普段よりも随分早い時間に帰宅した先輩
とばったり顔を合わせた。仕事時間が不規則な先輩には、それ自体は別段珍しい
わけではないのだけど。

 今日は早かったのね、と声をかけた私に、先輩は何時になく真剣な顔をして。
 『話があるんだ』と開口一番切り出してきた。背広を着替える間もなく、ね。

 そのあまりに切羽詰まった先輩の様子から、私は話の内容に薄々察しがついた。
 だから『それは私と桐乃と先輩全員のこれからに関わることかしら?』と問い
質したのだけど。

 その問いかけに、何の躊躇いもなく首を縦に振った先輩に対して。
 『なら今は聞くわけにはいかないわ』と、私は即座に拒絶したわ。 

 だってそんな先輩が私に対して告げることは一つだけ。

 桐乃が先輩の目標を素直に認めた時から、この日が来ると予想していたけれど。
 その目標に漸く道筋を付けられたこの機に、未来への決断をしたのでしょうね。

 でもそれを受け入れるには、私にはやり残したものばかりだったから。
 いえ、違うわね。それに向き合う覚悟が私には出来ていなかったのよ。
 自分の進む道も。自身の在り方も。何より己を恃むに足る自負の念が。

 それを身につける為に、私とて今までの時間を過ごしてきた筈だったのに。
 その刻を迎えてみればその自信がないだなんて、我ながら情けない限りよ。

 意外にもその時の先輩は『わかった。また今度にな』とあっさり引き下がって
くれたわ。それから今日まで、特にその件に触れることはなかったのだけど。

 でも私は、一日たりともそれを忘れることなどなかったわ。
 この一年の間、私はどうするべきかを考え続けてきたから。

 だからあの時には踏ん切りを付けられなかったその決断を。
 今日こそ期する為に、この『転生の儀』に臨んだのだから。

 とはいえいきなり話を振られた先輩にしても、自分自身の気持ちの整理が必要
だったのでしょうね。
 当惑、躊躇、恐れ、逡巡、歓喜、安堵、静謐、懇篤、そして……思慕かしら。
 先輩の表情に現れただけでも、様々な感情が揺れ動いていて見えて。露聊も落
ち着く様子を見せなかったわね。

 それでも最後に小さく頷いた後で、私を見つめ返したあなたの眼差しは。
 あなたが時折垣間見せる、大切な人へと向ける真摯で暖かな瞳だったわ。

「……わかった。じゃあ今度こそ俺の話しを聞いてくれるか?くろ、いや、瑠璃」

 あなたに本名を呼ばれる。それだけで心が騒めき、鼓動が跳ね上がってしまう。
 ただでさえ特別なことなのに。あの冬の日の出来事を思い出してしまうから。
 でもあなたはきっと、厨二を卒業するという私の意図を汲んだからこそ、本来
の名で呼んでくれたのでしょうから。
 だから私はそんな堕弱な心をねじ伏せ、真っ直ぐに先輩の瞳を見詰め返した。
 だって、一年も待たせてしまったのよ。それくらいの矜持は見せなければね。
 それに何より。この機を設けてくれた、皆からの思い遣りに応えるためにも。

「俺はこれからも桐乃を支えていく。兄として、世界相手に飛び出すなんていう
妹のことが心配でしょうがないからな。まあ、俺が本当にあいつの力になれるか
なんて、正直のところ自信なんてないんだが。それでも桐乃が困った時は、いつ
でも出来るだけのことをしたいと思ってる。あいつがそれを望む限りはな」

 まったくここまでお膳立てをしておいて、最初は桐乃の話からなの?
 いえ、それでこそあなたなのだし。それも私の望みでもあるけどね。

「その上で、なんて虫の良い話だとは判っている。だから一度はこの想いを断ち
切ろうとした。自分で言うのもなんだが、酷い方法だったよな。今更だと、瑠璃
は拒絶するかもしれない。でも、それでも。どうか聞いて欲しいんだ」

 一言で伝えればいいだけなのに、どうしてあなたはそうも回りくどいのかしら?
まあ、自分にだけ都合が良いことを素直に享受出来る性格ではないでしょうけど。
私が言えた義理ではないけれど。

 そう、結局は。どうしようもなく似た者同士よね、あなたと私は。

 だから決定的に別たれた時ですら、通じ合えていた気がしたのよ。
 お互いの想いが。想われている実感が。確かに伝わっていたから。
 互いに交わした『最後の嘘』を、時に至るまでの『約束』として。

 都合の良い自分勝手な思い込みと、幾度となく否定したこともあったけれど。
 『二度と大切なものを手放さない』。あの時の言葉を、私は信じてきたから。

「俺はお前が好きだ。あの夏の日からずっと好きだ。あれから随分経っちまった
けど、この気持ちはいつまでも変わらなかった。だから」

 ええ、私もよ。もっとも、私はあなたの一年も前からだけど。

 頼りなくて情けなくて、何時も文句ばかり言ってるあなたが。
 それでも大切な人の為になら、どこまでも頑張れるその姿が。
 私には眩しくて羨ましくて、愛おしくて仕方がなかったもの。

「だから……どうか、待っていて欲しい。俺が一人前になって桐乃をちゃんと
支えられるようになったその時に、今度は俺から瑠璃に告白するよ」

 だからこそ桐乃とあなたとの気持ちだって、私には無下に出来ないのよ。
 あなた達の想いを昇華したその先にこそ、私の望む世界はあるのだから。
 私の愛する全ての人と共に幸せに暮らす、その場所へ辿り着く為にはね。

 そして今。トップモデルへ邁進する桐乃と、そのマネージャーを目指すあなた。
 互いにその目標を受け入れ、何の気兼ねも負い目もなく共にあろうとしている。

 長い間の誤解とすれ違いから、拗れた心の内に秘めた気持ちに向き合い。
 その上で普通の兄妹に戻ろうと、数年にも及ぶ時間をかけて出した答え。

 それは、私がずっと望んできた通りでもあったもの。

「俺と付き合って、いや、結婚してくれ、ってな」

 だからあなたの『願い』に対する答えなど、最初から決まりきっていたわ。
 その全てが、私の願いそのものでもあるのだから。

「----はい」

 あなた達と出会ってから今日まで間、それこそ星の数程の出来事があったけど。
 どれ一つとして私には掛け替えがなくて。宝物のように大切に仕舞っているわ。
 ましてやあなたへの想いとなれば、『運命の記述』でも表しきれないくらいに。

 だから口にすれば、たった一言の返事に過ぎなかったけれど。
 抱いた万感の想いの全てをそこに籠め、私は先輩に答えたわ。

 ただ一筋、抑えようもなく溢れ出た涙の雫を除いては、ね。

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