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『花は落ちて水は流れる』:(直接投稿)

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匿名ユーザー

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だれでも歓迎! 編集
先月のことになってしまっていますが……
24歳の誕生日、おめでとうございます、黒にゃん!!

全世界規模のウィルスの大流行という、未曽有の災禍に見舞われている中での
生誕祭となってしまいましたが、今年もツィッターやPixiv等では
多くの闇の眷属や俺妹ファンの皆様方から祝福の言葉やイラストが出されていました。

最近は厳しい情勢が続いていて、気の沈むことばかりの日々でしたが
生誕祭でいまだに多くのファンに支えられたコンテンツなのだと実感して
嬉しい気持ちに満たされた一日にもなりました。

来月にはあやせif後編の発売も予定されていますし、
まだまだ盛り上がっていきたいものですね。

その生誕祭から遅れること半月ちょっと。締切りを大胆に破ったことを
我らが女王に罰せられそうですが、今年の誕生日にちなんだSS
『花は落ちて水は流れる』をせめてものお祝いになればと投稿させて頂きました。

この話は原作終了後の話しとしてこのwikiに投稿している各種SS等と
基本設定を同じくしていて、一昨年の生誕祭の『転生の儀』や
コミケC96で発刊した「俺と後輩が新生活を始めるわけがない」の
続編となっております。

原作終了から既に7年。その間に書いてきた原作終了後のSSで
オリジナル要素ばかりの展開になってしまっていて大変に恐縮ですが、
以下の点を踏まえて頂ければ、状況を把握しやすいのではと思います。

  • 2年前の黒猫の誕生日パーティが終わった後、京介から告白(『転生の儀』)。
 その後、フランスに留学中の桐乃から了承を得て正式に恋人に復縁

  • 黒猫が大学卒業後、京介のアパートで同棲を始める
 黒猫は元弁展高ゲー研が中心になったゲーム開発会社に就職する

  • 1年前の黒猫の誕生日に、京介から正式に婚約を受ける
 (『俺と後輩が新生活を始めるわけがない』)


なお、この話に出てくるバースディケーキを
今年も行きつけのケーキ屋さんで作って頂きました。


こちらも本文に合わせて楽しんで頂けますと幸いです。

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「それでは皆さん、明日から業務連絡は全てSlackに流しますので、コアタイム
中は定期的に確認するようにお願いします。この体制は、ひとまず緊急事態宣言
期間の5月6日までを予定していますが、世情を鑑みて延長する可能性も十分に
考えられます。ですので長期戦も念頭において、在宅でも作業を無理なく進めら
れるように、自分に合ったやり方を身につけておいて下さい」

 開発部長兼副社長の真鍋さんの説明も終わり、今日の仕事は解散となった。

 まだ、お昼を過ぎたばかりなのだけど、皆が日頃作業に使っているPCや機材
などは、すぐにでも運び出せるように梱包済みだもの。
 だから会社に残ったところで、これ以上の仕事は出来ないのだしね。

 今年になってからアジア圏を騒がせ始めた新型肺炎は、それから一月も経つと
あっという間に世界中に蔓延して、文字通りのパンデミックとなった。
 緊急措置として世界の各都市が封鎖状態になっていく一方で、日本では比較的
感染者を抑えられていた方だったので、手洗いやマスクの徹底、多人数の集まり
の自粛などで暫くは済んでいたのだけれど。
 先月末に遂に首都圏を中心に感染者が増大。日毎に一日の感染者数の最大記録
を更新していく有様になった。
 それを受け、今月に入ってすぐに政府から緊急事態宣言が発令されている。
 可能な限りの外出は控えて、人との接触を極力減らすようにとの内容でね。

 あくまで要請であり、強制するものではないのだけど。
 流石に事ここに至っては、職場に集まって仕事をするのは、社員にしても落ち
着いて作業に打ち込めるような状況ではないものね。
 だから我が社でも社員の皆が家でリモートワークを出来るようにと、急ピッチ
で準備を進めていたのよ。
 先月の状況を見れば、とても日本だけが災禍を免れるとも思えなかったしね。

 まあ、セキュリティ面やライセンスの問題とか、会社から機材やソフトを持ち
出すには頭が痛い難題も少なくなかったけれど。
 その辺りは三浦社長が直々に音頭を取って進めてくれたので、こうして無事に
明日からは全員が在宅勤務できる体制も整ったわ。
 まあ、社員全員合わせても10数名の小さな会社だからこそ出来る、小回りの
利いた運動性の高さということでしょうね。

「よーし、んじゃ俺と真壁、青井の車で全員の機材を運んでくから、みんなくれ
ぐれも寄り道しないで、家で待っててくれよ。では、これにてかいさーん!」

 三浦社長の号令に、お疲れ様でした、と社員一同で応えて部屋を出ていく。

「まあ、会社としてもこの状況に慣れるまでは、現行のプロジェクトは休止せざ
るを得ないですからね。沙織さんと進めていた企画も、先方から今月一杯は凍結
すると連絡を受けています。五更さんも良い機会だと思って、今のうちに次作の
構想とかゆっくり練っておいてください。確か東洋風ファンタジーな世界観にな
るんでしたっけ?」

 退社していく皆の後に続こうと思った私に、瀬菜が声を掛けてきた。

「ええ、その心算よ。例え私達が開発を滞りなく進められたところで、この分で
はバグ出しやマスターチェックが、無事に出来るとはとても思えないものね」
「そうですね。CEROも業務休止のようですし、一番の商戦期の夏予定のタイトル
は軒並みずれ込みそうですよねぇ。あたしたちの業界はこういうアクシデントに
は強い方でしょうけど、今回ばかりは果たしてどうなることやら」

 眼鏡のブリッジを人差し指で押さえながら、深々と溜息をついて見せた瀬菜。
 少し芝居がかっていたと思ったけど、そこは私も同感なので素直に頷いたわ。

「それに私達のような、中小のソフトメーカーにとっては死活問題でしょうね。
でも私達は、私達のやれることをやるしかないのだし」
「ですね。本当に遺憾ですが、まったく五更さんのおっしゃる通りですよ。まあ、
あなたには言うまでもないことですが、あたしたちは焦らず着実に開発を進めて
いきましょう。何時でもリリース出来るように、ですね」

 それこそ私に言うまでもないことに、瀬名がわざわざ釘を刺してきた理由。
 この自粛要請の状況が長引けば、下手をすればこの会社そのものの存続が危ぶ
まれる事態に陥りかねないから、ということでしょうね。

 瀬菜はプログラマーのチーフを務めてはいるけれど、会社の組織としてみれば、
単なる普通の一社員に過ぎないわ。
 でも瀬菜とずっとお付き合いを続けている真壁さんは、我が社の副社長という
立場でもあるのよ。
 それだけに、この誰にも想定すら出来なかった世界的な災禍にも、会社の運営
に対する手腕や責任をどうしても問われることになる。
 だから瀬菜としてもそんな真壁さんと一緒に、今後の会社の行く末を何よりも
案じなければいけないのでしょうね。

 いまだに重度の腐女子脳で、外面は兎も角として、身近の人には倫理を疑われ
かねない破廉恥な言動を平気で見せてしまう瀬菜だけど。
 性根はどが付く程の生真面目で、想い入れたものにとことん一途な性格だもの。
 真壁さんの為に自分でも出来る限りをしなければと、覚悟しているのでしょう。

 例えば今みたいに。社員に会社の事で余計な不安を抱かせないように、とかね。

「ええ、勿論よ。クククッ、既に我が『魔眼』で垣間見た『情景』【ビジョン】
もあることだから、我が『闇の居城』【ダークパレス】にて『妖力』を高めつつ、
『此方の世界』に現界させてみせるわ」

 今でもゲームのシナリオやイメージの創作をする時には、自らの精神状態を昔
ながらの『闇の形態』【ダークモード】に、切り替えることはあるのだけど。
 こうして会話の中で口にするのは、随分と久しぶりのことかしらね?

 お陰で瀬菜にしても暫くの間、きょとんとした顔を見せていたけれど。
 すぐにっと口元を緩めると、頼みますよ、五更さん、と笑顔を返した。

 本当、口に出さずとも通じ会える、長年のつき合いとは良いものだわ。

「まあ、あなたも在宅勤務だからと、あまり羽目を外しては駄目よ、瀬菜。作業
はしっかり熟していると言っても、気が緩んでしまえばどこかで足元を掬われて
しまうものだわ。特にあなたは、ね」
「そ、そそ、そんなことは、ありませんってば!こう見えても、あたしは公私は
きっちりと分けるんです!だからそういうのは、かえ、じゃなかった、真壁さん
に言ってやって下さいよ。外面だけは良い癖に、あたしと二人っきりになったら、
すぐに調子に乗ってやりたい放題してくるんですから!」

 少し場を和ませようと、取るに足りない茶々を振った心算だったけど。
 私の予想以上の凄い剣幕で、瀬菜は胸の内を一気に捲し立ててきたわ。

 やりたい放題、という内容が少し気になったのだけど。
 まあこれ以上踏み込めば、きっと藪蛇になるだけよね。
 今はそんな女子会トークをしている訳にもいかないし。

「……まあ、この後で真壁さんが家にPCを運んでくるでしょうから、その時に
でもそれとなく伝えておくわ。まだ時間の余裕はあるのでしょうけど、私もそろ
そろ帰っておかないといけないかしら」
「おっと、そうですね。社長にも言われてたのに、余計なお喋りに付き合わせて
しまってすみません。今年は会社で五更さんの誕生日会も出来なくなってしまい
ましたが、この場所でみんな揃って賑やかに仕事を再開出来る時まで、頑張って
いきましょう」
「ええ、あなた達もくれぐれも体調には気をつけてね」
「そうですね、特にあたしたちは、変に薬に頼るのも怖いですし。胎児に悪影響
が出るなんて話も良く聞きますからねぇ」
「え、まさかあなた、もう?」
「いえいえ、流石にそこはしっかり気をつけてますよ。でも用心に越したことは
ないですからね。ちょっとした自分の不注意で、未来の家族に重荷を背負わせる
ような真似は出来ませんから。五更さんたちもくれぐれも気をつけて」

 やっぱり肝心なところでは、誰よりも真面目よね、あなたは。
 私は瀬菜に頷いてから、今度は小さく手を振って別れの挨拶を交わした。
 そのまま職場にしているマンションを後にして、我が家への帰路に着く。

 平日の昼間であることを差し引いたとしても。
 最寄りの駅に向かう道すがらは、出歩く人の姿が極端に少なかった。

 それこそ何かのゲームの中で見たような一シーン。
 何気ない日常の風景から、そこにいる筈の人間だけが消え去った。
 余りに平凡な場所が、それ故非現実的に思えてしまうそんな光景。

 物語の中だけと思っていたそれが、今、私の目の前で起きているだなんて、ね。

 私が学生の頃だったら『此方の世界に数多記されし終末が、遂に現出したわ!』
などと、歓喜に包まれながら嘯いていたのかもしれないわ。

 まるで嵐の到来を、普段と違う祭事が来ると胸を躍らせたあの頃のように。
 それが起こす悲劇を知らぬが故の、蒙昧な子供の如き無邪気さを見せてね。

 でも、今ならば解るもの。
 いえ、今の私の範囲で理解出来る、というのがより正確かしら。
 未来の私から見れば、きっと若気の至りだと羞恥に苦しむのでしょうしね。

 まったく、つくづく『此方の世界』の神とやらは、過酷な運命を課すものだわ。

 愛する人と共に生き、望んだ仕事にも就いて、ようやく夢へ歩み始めた一年前。
 確かに順風漫歩とは言えないけれど。それでも前へと進んでいる手応えを感じ
られたその矢先に、こんな全世界規模の災禍が、立ち塞がるのだから。

 それでもこれを乗り越えねば、目指す理想はそれこそ夢の泡沫となってしまう。

 勿論、そんな未来を甘んじて受ける心算など、毛頭ないわ。
 今までも私の出来る限りの人事を尽して、天命を掴み取ってきたのだから。

 とはいえ今回ばかりは。人一人の手に負えるものではないのかもしれない。

 町中を流れる小川沿い見える桜並木からは、春風に煽られた花弁が吹雪のよう
に逆巻き、水面へと降り積もっていく。
 力尽き、落ちゆく桃色の花達も。それを一時も止めずに運び去る、水の流れも。
 惨禍に見舞われた人の世だけでなく、折角の春の日にこんな光景を見せられて
しまえば、嫌でも厭世な考えが湧き上がってしまうわよね。
 そういえばシナリオの参考にと思って調べた文献にも、こんな春の情景を悲嘆
して詠んだ漢詩が幾つかあったと記憶しているわ。

 落花流水。
 何時の世も自然の有様に時の趨勢を感じるのは、変わらないのでしょうね。

 それでも私は力の限りに頭を振って、そんな憂慮を無理矢理に追い払った。

 今度の事態は、それこそ長期戦を覚悟しなければならないでしょう。
 今からこんな調子では、とてもこの先やってなどいられないわよね。

 自分にそう強くいい聞かせると、私は駅へと向かう足を早めた。
 いまだ心をざわつかせる不安から、文字通り逃れるように、ね。


        *        *        *


「お、そのごついのが会社のパソコンなのか。流石にすごいの使ってんだな」
「ええ、開発中のゲームそのものは、そこまでのスペックはいらないのだけど。
開発に必要なアプリや環境を同時に動かす必要があるから、それなりのパワーが
必要になるのよ。まあ、見た目が大きいのは、単純に頑丈なケースを使っている
からだけどね」

 会社のPCのセットアップ-と言っても、各種ケーブルを繋いで、通信設定を
自宅用に切り替えたくらいだけど-も無事に終わり、早速自宅での作業を始めた
ところで、京介が仕事から帰ってきた。
 もっとも京介にしても、普段と比べれば随分と早い時間のお帰りなのよ。
 こんなご時世では芸能界隈にしても仕事の総量が減るばかりで、マネージャー
やADにとっては死活問題だって、最近よく零しているわ。

「けど在宅勤務がさくっと出来るってのは流石だよなぁ。ま、瑠璃の感染リスク
が減ってくれるんなら、俺も安心出来るけどな」
「あなたの仕事は現場にいく必要が、どうしても出てくるものね……でも、私の
心配をしてくれるのは嬉しいのだけど、私からすればあなたの方が心配よ?」
「いや、それがさ。昨日の政府からの要請を受けて、うちも出勤者の七割削減を
実現するって社長から鶴の一声が出たんだ。だからうちがメインでやってる仕事
は全部休みになるから、俺も週二日くらいの出勤で済みそうかな」

 隣の寝室で着替えていた京介から、予想外の話が飛び出した。
 いくら仕事が減っているとは言っても、まさか芸能事務所までが率先してそこ
までの対策をするとは、私も考えていなかったから。

「そ、そうなの?流石は美咲さんと言うところかしら?」
「だな。良い意味でワンマンっぷりを発揮してるよ。『こんな時に社員の身を第
一に考えられない会社なんて、どのみち先はないわね』って言い切ってたしな」

 着替え終わった京介は私のすぐ横にくると、美咲さんの口調を真似て見せた。

「……確かに特徴は捉えていたけど、裏声はやめて頂戴。まあ、私も美咲さんの
言う通りだと思うわ。目先の利益に囚われて、肝心の人材を逃したら何もならな
いものね。もっとも、この状況も問題なく乗り切れるという、自信もあってこそ
なのでしょうけど」
「ああ、みんなもそう思ってる。そういうとこが実に頼れる社長さんだから、俺
たちも安心して付いていけるしな。まあ、その代わり仕事には超厳しいんだが」
「第一あなたは桐乃のこともあるから、そも美咲さんの下から離れるわけにはい
かないのだしね。彼女の英断には、私からも感謝させて貰いたい気分よ」
「お陰で次の月曜日には、問題なく休みも取れるようになったしな。外に遊びに
は行けないが、その分、家でゆっくりお祝いしようぜ。瑠璃の誕生日を、さ」

 私は思わずキーボードを叩いていた手を止めて、すぐ横の京介の顔にまじまじ
と見入ってしまった。
 学生時代には誕生日はオタクっ娘メンバーを中心にして、賑やかなパーティを
開くのがお決まりになっていたのだけど。
 昨年は私や沙織を始め、多くの友人や仲間達が大学を卒業して社会人になった
ので、大々的な集まりは行いにくくなっている。誕生日には限らずに、だけどね。

 まあ、その代わりに、と言ってはなんだけど。
 昨年は京介が私の為に、最高の誕生日デートを演出してくれたのだけどね。
 流石に今年は皆で集まることも、どこかに出掛けるわけにもいかない状況だし、
今年は当日は月曜日になっているから、京介と一緒に誕生日ケーキを食べるくら
いだと考えていたのよね。

 それがこの時世のお陰で、自分でも思わなかった展開になるなんて。
 人生というものは、本当に何がどこで禍福となるか解らないものね。

 ふと、今日の昼間に見た、水面に落ちて流れる桜の花を思い出した。
 あの時にはそれが、物悲しいものとばかり思った情景だったけれど。
 或いは川にしてみれば、花に彩られ嬉しかったのかもしれないわね。

「そ、そう……それなら久し振りに思う存分、私も腕を揮おうかしらね」
「いや、誕生日を迎える本人が自分で料理を作るってのは、やっぱり何か違わな
いか?なんか毎年、同じようなことを言ってる気もするけどな」
「ふふっ、でも今年ばかりは事情が違うでしょう?外食も気が引けるし、デリバ
リーを頼むのなら、時間を掛けて自分で作った方が、色々な意味で楽しめるわ。
それに……ね」

 私はそこで言葉を切ると、心持ち顔を伏せて京介から一旦視線を外した。

「……その方があなたにだって、美味しい料理を食べて貰えるわ。あなたに喜ん
で貰えることが、私に取っては何よりも嬉しいのだから」

 そこから今度は上目遣いに、京介へゆっくり視線を向ける。
 自分で言うのもなんだけど。実にあざとい仕草だと、自分でも解っているわよ?

「お、おう……そう、だよな……二人っきりの誕生日なんだし、それなら瑠璃の
好きなようにして貰うのが一番ってもんか」

 けれど私の言葉自体に、嘘偽りがある訳ではないもの。
 これもこの一年の同棲生活で身につけた、円滑な交渉術の一つというわけ。
 最初は私も恥ずかし過ぎて、一瞬しか維持出来ないのが欠点だったけれど。
 今では色々な慣れも手伝って、こんな風に効果的に使えるようになったわ。

 まあ、多用すると別の問題も出てくるから、まさに切り札でもあるけどね……

「ええ、あなたにも理解して貰えたなら何よりね。折角だから、私もその日は有
給を取ることにしようかしら。二人きりでのんびりと過ごす誕生日、というのも
たまには悪くないでしょう?」
「のんびり誕生日ってのは実に俺好みだから大賛成だが、瑠璃は完全に在宅勤務
になるんだろ?わざわざ有給を取らなくてもよくないか?」
「仕事をしながらだと、あなたと一緒にのんびりなんて出来ないもの。家にいる
とはいっても、自分の仕事だけじゃなくて、他の人達からの質問や成果物の確認、
会議や打ち合わせでもその度に拘束されるわ。在宅勤務も始まったばかりで、皆、
慣れていない分も余計にね。勿論、私も含めての話だけど」

 でも逆に言えば今は社員全員がこの環境に順応して、普段通りの仕事が出来る
ようになるのが第一だから、私が一日くらい有給を取っても問題ない筈よ。

 私の説明を聞いて京介も納得してくれたのか、なるほどと素直に頷いていた。
 少し屁理屈を捏ねた自覚もあるから、後ろめたい気がないでもないけれどね。

 でも、一年に一度の特別な日だもの。
 これくらいの我が侭は、通させて貰ってもいいでしょう?

 それに、ね。こんな時でも有給を取って祝福してくれる最愛の人に。
 私の誕生日でも私の出来る限りで応えなければと、心から思うから。

 早速当日までに、その為の方策をじっくりと考えておかないと、ね。


        *        *        *


 私の24歳の誕生日は、雲翳から大地へと注ぐ大粒の雫と共に始まった。

 起き掛けにカーテンを開いて見えた天色は、まるで今の世を顕しているようで
少しばかり気が滅入ってしまったけれど。

 もっとも今日は最初から部屋で一日中、ゆっくりする心算だもの。
 『天』【運命】のご機嫌なんて、そもそも伺う必要すらないのよ。

 私はすぐに気持ちを切り替えると、真っ先にやるべきことから手を付けた。
 料理の仕込みや飾り付けなどは、出来るだけ事前に準備してはいるけれど。
 こればかりは誕生日の当日にならないと、用意なんて出来ないものだしね。
 京介が起きる前に済ませないと、今日の計画が最初から躓いてしまうもの。

 私は寝室を後にすると、押し入れに潜ませておいた代物を手早く用意した。

 もっとも結論から言えば、その心配は最初から杞憂に過ぎなかったのよね。
 私が準備を終わっても京介は起きてこないので、寝室に戻ってみたけれど。
 私が目覚めた時と何も変わらずに、京介は安らかな寝息を立てていたから。

「……朝よ、京介。そろそろ起きてくれないと、あなたの大事な婚約者が流石に
機嫌を損ねてしまうわよ?」

 窓の外からは強い雨音が聞こえてくるのに、余程疲れが堪っているのかしら?
 まあ、自然がランダムに創り出すゆらぎのリズムには、逆に心身をリラックス
させる効果があるなんて話も聞いたことがあるわね。

「ん……まだ早くないか、瑠璃。今日はゆっくりするん……って、ええぇ!?」

 重そうな瞼をうっすらと明けながら、こちらに顔を向けた京介だったのだけど。
 ようやく私の姿を認識したのか、目を大きく見開くと文字通り跳び起きたわね。

「そこまで驚くことはないでしょう?これは昨年の私の誕生日にも、あなたが用
意してくれたものじゃない」

 自分でそう言いながらも、私は心の中で会心の笑みを浮かべていたわ。
 予想通りとはいえ、京介の驚いた顔が見られたのはやはり嬉しいもの。

 私は今、桔梗色に染め上げられたドレスを着ている。
 元々このドレスは高校の卒業旅行でアメリカへ行った際、ドレスコードのある
ディナーに参加する為に沙織が誂えてくれたのだけど。
 昨年の誕生日にレストランで食事をした時にも、京介はわざわざそのドレスを
私の為に、サプライズで用意してくれていたのよ。
 初めて着た時には慣れぬドレス姿に、何とも落ち着かなかったものだし、桐乃
辺りには散々に揶揄われたものだったけれど。
 これで三度目ともなれば、自分でもそれなりに馴染んできた実感もあるわ。

 或いはそれは。
 ドレスに見合うくらいは、あれから私も成長出来たということなのかしら?

 もっとも、昨年は京介の仕事仲間のコーディネーターの方が、このドレスに合
わせた髪のセットやメイクを、文字通りプロの手際でしてくれたのだけど。
 今日は全て自前なわけだから、全体の完成度は比べるべくもないのだけどね。
 それでも出来る限りの化粧もしたし、髪にしても時間を掛けて整えた心算よ。

 それに首元にはあなたから初めて贈られた、十字架の銀細工もかけているもの。
 どんなアクセサリーで飾るよりも、私のドレス姿を際立たせてくれると思うわ。
 ちなみにこのネックレスは、京介からプレゼントされた時は、逆十字になるよ
うにチェーンに取り付けられていたのだけど。
 これを造った御鏡さんにお願いして、正位になるように付け直して貰ったわ。
 丁度一年前の私の誕生日までは、密かに身につけていたのを最後にして、ね。

「そりゃそうだが……でもまさか、うちでそのドレスを着てくれるなんて思って
もみなかったぜ。って、ひょっとして」
「ええ、そうよ。昨年、あなたがこの指輪をプレゼントしてくれた時の、思い出
深いドレスだもの。そのお返しも籠めて、今日は一日、あなただけにこの私の姿
を見て貰いたいのだけど、良いかしらね?」

 私は右腕で左の肩口を押さえたまま、左手の甲を京介へ向けた。
 その薬指には、昨年に京介から贈られた婚約指輪をはめている。
 窓から差し込む幽かな光でも、金剛の輝きを煌めかせながらね。

「お、おう、そりゃ勿論だ。俺だって瑠璃の綺麗な姿が見られるのは嬉しいから
な。そのドレス、やっぱりよく似合っているよ」

 そうはいっても戸惑いは隠せない様子の京介。まあ、それはそうでしょうね。
 古来より奇襲を仕掛けるのなら、『夜討ち朝駆け』と言われるくらいだもの。
 朝に弱い京介がいきなりこの姿を見せられたら、その威力は計り知れないわ。

「ふふっ、あなたならそう言ってくれると思っていたわ。では早速だけど、そん
なあなたに一つお願いがあるのよ」

 それでも私は、間髪入れずに仕上げの一手を放つ。
 自分にしては、少々優雅さに欠ける手法だと解ってはいるのだけど。
 今日の主題は『まったりお家で誕生日』だとはいえ、やはり時には場を盛り上
げる演出の一つも欲しくなるというものでしょう?
 それにいきなり山場イベントから入って、一気に作品に惹き込む展開というの
も物語構成では定石の一つだしね。
 勿論、最初だけではなく、今日はこの後にも色々施策を用意しているけどね。

「背中のファスナーを閉めて貰えるかしら?私の身体の硬さだと、腕がこう……
上手く届かないから」

 私はベッドの端に腰かけると、京介へと背中を向けた。
 背部のファスナーが殆ど開いたままになっているので、大きく素肌が晒されて
いる状態の、ね。
 だから今まではドレスがずり落ちないよう、手で押さえる必要があったのよ。

「あ、ああ……じゃあ、じっとしててくれよ」

 京介は微かに喉を鳴らすと、完全に布団から出て私の方へと身を乗り出した。
 そして開いたドレスの上を手で押さえて合わせると、腰骨の辺りから恐る恐る
ファスナーを引き上げていく。
 押さえた手から伝わってくる温もりと微かな震えから、京介の胸の内がこちら
にまで伝わってくるようだったわ。

 ふふっ、私の背中なんて、あなたは見慣れているでしょうに。
 例え飽きがくるほど慣れた事柄でも、ちょっとシチュエーションやタイミング
を変化させてみれば、新たな感情を想起させることも出来るのよ。
 これぞ『演出の妙』というものだわ。少し効きすぎたかもしれないけど。

「……最後にこの紐も結んでくれるかしら?」

 後ろ手に背中の紐を掴んで示すと、京介はそれにも黙って従ってくれた。
 ああ、いえ、正確には『蝶結びでいいのか?』とは聞かれたけれどもね。

「ありがとう、京介。そんなわけで、今日のテーマは『何時でも二人一緒に』と
したいと思っているのだけど、どうかしらね?」

 私の突然の振りに、京介は実に呆けた顔を浮かべていた。

「ああ、今日は瑠璃の好きなようにして貰う約束だからな。とはいえ、俺の方が
上手く出来なくても、その辺はご容赦願うぜ?」

 でもすぐに私の意図を察してか、にかっと笑って右手の親指を立てた。
 親友そっくりに見えた健やかな笑みに、私も安心して笑顔で応えたわ。

 本当、今更心配することなんて何もないと、頭では解っているのだけど。
 大好きな人の反応というのは、何時になっても不安に思えてしまうもの。
 さっきの京介の初々しい反応のことも、私が言えたものじゃないわよね。

「では、次にあなたの着替えをしないとね。流石にあなたにはタキシードを着て、
なんて言わないから安心して頂戴」
「い!?いやいや、普通の着替えくらいは、流石に俺一人でやるって」

 ベッドの上を後ずさった京介は、布団を頭から被って隠れてしまった。
 今更そんな初心な反応をされるなんて、流石に想定外過ぎたのだけど。
 とはいえその理由も察しがつくから、この辺で勘弁しておこうかしら。

 それに今日はまだ、始まったばかりだものね。
 こんな風に私から攻勢をかけるのも、たまには良いアクセントでしょう?

 今日はあなたから直々の御墨付きだって、しっかり貰っているのだしね。


        *        *        *


 京介の着替えを済ませてから、次に私達は朝食の準備に取り掛かった。

 さっき京介自身は『上手く出来なくても』なんて、謙遜していたけれど。
 京介には大学で一人暮らしを始めた時から、私が一通りの家事のやり方を教示
しているのよ。誰であろう、桐乃達ての頼みだったもの。
 確かに最初は、京介は食器一つ洗うのも覚束ない体たらくだったのだけど。
 でも今の京介の腕前なら、十分に主夫だって務まるレベルだと思っているわ。
指南役の私が、客観的な評価をしてみてね。

 もっとも、私が京介と同棲を始めてからは、私に家事を一任してくれているか
ら、京介が率先してしなければならない機会は殆ど無くなっている。
 勿論、それは京介が面倒臭がって、私に家事を押し付けている訳ではなくて。
 私の意思-京介には自分の仕事に専念して貰う-を尊重してくれているのよ。

 それが結婚前だというのに、こうして同棲をしている一番の理由だもの。
 京介の当面の目標である『桐乃が日本に帰ってきた時にマネージャーになる』
をまずは無事に叶えることが、私達の目指す理想の一つでもあるのだから。

 ……いけない、すっかり話が逸れてしまったわね。
 ひとまず京介には、朝食のお味噌汁を受け持って貰ったのだけど。
 横目で見てもてきぱきと調理を進めていて、腕は錆びついてはいないみたいね。
 それに一緒に料理する際の阿吽の呼吸も忘れていなかったようで、二人で並ぶ
と随分と手狭になる台所でも、並行して調理を進められたしね。
 まあ、ドレスの幅があった分、更に狭くなってしまったのは御愛嬌だけど……

「たまには自分で作ってみるのもいいもんだよな。何時も通りの朝飯でも、やけ
に新鮮に思えるぜ」
「ふふっ、そうね。このお味噌汁も、私とは少し違った味付けだけど。こうして
普段と違ったものを楽しむのも、大切なことだと思うわ」
「といっても、やっぱ瑠璃の作ってくれた方が旨いんだけどな?」
「それは光栄ね。早々弟子に負けてはいられないもの。とはいえ、あなただって
これからも師の業を研究して、何時かは乗り越えて貰わないと」
「おう、そのうち瑠璃を唸らせるようなみそ汁を作ってみせるさ。まあ、俺が爺
さんになるくらいはかかるかも知れないけどな」

 威勢のいい返事とは裏腹に、随分と気の長い話だと思ったけれど。
 その意味を考えると、私も自然と零れた笑みのまま頷いていたわ。


 朝食を済ませ、一緒に片付けをしてから、私達は撮り溜めていた今期のアニメ
やドラマを見ることにした。
 普段は居間の壁際にあるソファをテレビの前に持ってきて、テーブルにお菓子
や飲み物を十分に用意すると、私達は本格的にくつろぐ体制を整えた。

「今期のアニメは花澤さんがやってるキャラが多い気がするな?野球少女とかの
元気な役もいいけど、やっぱこっちの先生とか、落ち着いた雰囲気に可憐な表情
を垣間見せたりする女の子がハマり役だよなぁ」
「そうね。でも、あの人がそういうキャラに声を当てていると、この物語の内容
的にもきっと辛い展開ばかりになりそうで堪らないわね……まあ、そんな魅力的
で薄幸な役こそ向いているのだから、仕方ないのでしょうけど」

 私は元々の趣味もあるし、仕事柄、世間の流行り廃りを把握する為にも、なる
べく多くの作品を見るように心掛けているのだけど。
 そんなある種、義務的になってしまった見方ではなくて。
 こんな風に親しい人と一緒になって気ままにお喋りしながら見るのは、本当に
楽しいことだと再認識させられてしまうわ。
 そういえば最初にその楽しさを教わったのも、元を正せばあなただったわね。
 本当、あなたや桐乃、沙織には、今でも心から感謝しているのよ?

 それに。こういう時なら、あなたと落ち着いて触れあっていられるもの。
 ソファで身をぴったりと寄せ合って座ったまま、私達は手を繋いだり、互いの
肩に頭を預けたりしながら、想い人の温もりを心行くまで堪能していたわ。
 ふふっ、普段はこんな風にゆっくりする機会は、休日でも中々ないものね。

 もっとも、そんな穏やかで安らか過ぎる雰囲気に包まれていたお陰で。
 何時の間にか二人とも眠ってしまって、気が付いた時にはお昼の時間をとっく
に過ぎていたのは、我ながら不覚という以外なかったわ。
 ドレスも皺が付いてしまったし、この後の予定も調整せざるを得なかったもの。

 まあ、それでも。
 目覚めた時にもあなたと手を繋いだままだったのは、悪い気はしなかったわよ?

 お昼ご飯は、元々調理しておいたお弁当仕様のおかずを、大皿に並べるだけの
心算だったから、すぐに準備出来たのは幸いだった。
 今年はこんな状況で満足にお花見も出来なかったし、そも先月から人が集まる
ような催しは、沙織も断腸の思いで自粛しているくらいだもの。
 家の中ではあるけど、少しくらいそんな雰囲気を楽しみたいと考えていたのよ。
 京介にはおかずの盛り付けと居間の準備をお願いすると、私は昨晩のうちに八
分方調理を済ませてあるポタージュスープの仕上げに掛かった。

「そういや、瑠璃のサンドイッチも久しぶりだな。普段の弁当箱だとご飯になる
しな。しかもこれ、中身は豚カツに竜田揚げに山賊焼きと、肉尽くしじゃないか」
「こんな時は、好きな食べ物を好きなだけ味わいたいでしょう?それに週ごとの
トータルで栄養バランスは考えてあるから、心配せずに食べて頂戴」

 昼食の用意を済ませた私達は、居間に青いピクニックシートを引いて向かい合
わせに座っていた。
 その中心にはサンドイッチや総菜を沢山並べて、好きなように摘まんでいたわ。

「まったく恐れ入るぜ。勿体なさすぎる彼女を持った俺は、本当に果報者だよ」
「何度も言うけど、そこは私の矜持だもの。あまりあなたに有難がられてしまう
と、却って面映ゆいものがあるわよ。ほら、今はそんなことばかり気にしないで、
もっと料理を味わって頂戴」

 私は手近なサンドイッチにピックを刺すと、左手を添えて京介の口元に運んだ。
 京介も慣れたもので、すぐに口を開いて狙い違わずサンドイッチに齧り付いた。

「ん~、旨い。冷めてるカツなのに、すっげージューシーに感じるよ。さ、今度
はこっちの番だぜ」

 今度は京介が私へとサンドイッチを差し出してくる。
 私も同じように口を開けてサンドイッチを頬張ると、ゆっくりと噛み締めた。
 溢れる肉汁の美味しさと。大好きな人と交す、甘酸っぱい気持ちと共に、ね。

 良い歳をして、なんて、桐乃や日向に見られたら間違いなく言われるでしょう
し、それを恥ずかしく感じていたこともあったのだけど。
 こういう気持ちを何時までも失わないというのは、きっと大切なことだと今で
は思っているわ。
 決して負け惜しみとかではないのよ?下手な勘繰りはやめて頂戴。

 私のお父さんとお母さんが、何時までも学生時代の恋人のような仲睦まじさを
見せていた理由が、今の私には実感出来るもの。
 もっともそんな理屈なんか実は関係無く、あの二人はただお互いのことを大好
きなだけでしょうけどね。本当、羨ましいものだと心から思うわ。

 少し遅めのお昼を済ませた後は、今度は京介とゲームを遊ぶことにした。
 私との対戦形式になってしまうと京介が楽しみにくくなってしまうから、協力
プレイが出来るタイトルを予め幾つか見繕っておいたのだけど。

「そっちに3人は行ったぞ、瑠璃!援護に回らなくて大丈夫か!?」
「クククッ、一体誰に言っているのかしら?この程度の戦力ではまったく問題に
ならないから、あなたは疾くコアを破壊して、己の使命を果たしなさいな」
「よし、ガーディアンは倒したぜ!もうちょっとの辛抱だからな!」

 私も盛り上がった余りに、つい封じていた闇が顔を覗かせてしまったけれど。
 京介もまたノリノリで楽しんでいたようだから、良しとしておきましょうか。

 京介は就職してからこっち、ゲームで遊べる機会も少なくなっている。
 それに仕事が忙しくなると京介も疲れ切って帰ってくるから、そこからさらに
負荷のかかるようなゲームは、遊ぶ気力が無くなってしまうみたい。
 私としてはやはり自分の好きな物で、好きな人と一緒に遊びたいものだけど。
 京介の頑張る姿を見ていると、私の我が侭に付き合わせてはいられないもの。
 一昔前では当たり前だったのに、これも社会に出る代償というものかしらね。

 だからこそこの何気ない一時も、私には掛け替えのないものだと思えるのよ。
 儘ならないことへの負け惜しみではなく、あるがままを受け止めることでね。
 こういうのが或いは、大人になる、ということなのかしら?


        *        *        *


 夕方になってからいよいよ誕生日の主役、誕生日ケーキを造ることにした。
 私がスポンジの生地を焼き上げている間に、京介には2つのボウルで其々で泡
立て時間を変えた生クリームを用意して貰った。

「これ、何でわざわざ2種類の生クリームを作るんだ?」
「スポンジ全体を覆う為に塗るものとデコレートに使うものでは、生クリームの
硬さを変えないといけないのよ。飾りに使うクリームはより柔らかいものでない
と、繊細な形に絞り辛いでしょう?」
「ああ、成程なぁ。普段ケーキを食べてた時には、そんなことまで考えたことも
なかったぜ。最近は物の仕組みを知れば知る程、自分がどんだけ何も解ってない
のかって恥ずかしくなるよ。社会に出てみたら尚更だしな」
「ふふっ、そういうものでしょうね。けれどプロなら、自分の作業をお客様に気
付かせないようにするものよ。パティシエにしてみれば、自分が凄いと思われる
よりも、ケーキを素直に美味しいと思って欲しいものでしょうし」
「ああ、確かになぁ。でも、それを作る腕前をありがたいと思えば、もっと旨い
と感じたりもするよな。こうやって自分で作ったりすると良く解かるよ」

 そうね、と私は微笑みながら頷いた。それに関してはまったく同意だったから。
 それにプロとて、自分の仕事も褒めて貰った方が、嬉しいのが人情でしょうし。
 まあ、だからと顧客の厚意を当てにしてしまっては、プロ失格でしょうけれど。

 スポンジと生クリームが揃うと、私は早速ケーキのナッペを始めた。
 因みにナッペとはスポンジをクリームで塗り上げて、ケーキらしくすることよ。
 私は何枚かにスライスしたスポンジに生クリームを均一に塗り込むと、その間
にたっぷりの旬のフルーツを並べていく。
 そしてその上をさらにクリームで覆って、ケーキを一層ごとに重ねていった。
 京介にはその間にナパージュ-ゼラチンと砂糖で作るゼリーのような食材ね-
を小鍋で融かして、何色もの色粉と混ぜ合わせて貰っていた。
 これはケーキの上面に描くイラストの色付け、つまりは絵具として使うわけね。

 全体のクリームを整えナッペを終えると、私はいよいよイラストを描き始めた。
 とはいえ、私もイラスト入りのケーキなんて久しぶりに作るから、チョコペン
で描くラインが乱れてしまうのではと、気が気ではなかったわ。

「では色塗りはお願いするわね、京介。見本としてはこの写真を参考にして頂戴。
もっとも、幾らでもアレンジして貰って構わないのだけど」
「お、昨年俺が撮った写真を元に描いてくれたんだな」
「自分自身のイラストを描くというのも恥かしかったのだけどね……でも今まで
花楓が作ってくれた誕生日ケーキは、私のイラストが必ず描かれていたでしょう?
お陰でそうでないと、なんだか落ち着かなく思えてしまって」

 高校時代に友人になった花楓とは、今でもずっと友達付き合いは続いている。
 料理が得意な花楓は、オタクっ娘主催の誕生日パーティでは何時も特製ケーキ
を作ってくれたから、今年はそれを食べられないのが残念だけどね。

「確かになぁ。二村さんのケーキは、イラストも含めて完全に売り物レベルの出
来だったしな。でもこのケーキだって、全然負けちゃいないだろ?何たって瑠璃
と俺の合作なんだから」
「ええ、そう、ね。ではイラストの仕上げはあなたにお願いするわ。私はその間
に、夕飯の準備をしておこうと思うから」
「おう、任せておいてくれ。お前も知ってる通り、俺の絵心は壊滅的だが、気合
と想いの強さってヤツで、何とかカバーして見せるぜ!」

 確かにこの時の京介からは、迸るオーラのようなものまで感じたわね……
 ま、まあ、そこまで気合を入れてくれるのは、私としては嬉しいのだけど。
 こういう時の京介は、何時だってトラブルに真っ向から飛び込んでいくのが常
だから、どうにも嫌な予感がするのを抑えられなかったわね……

 まあ、それは兎も角。
 ケーキの色付けは居間で京介にして貰うことにして、私は台所に戻って夕飯の
支度に取り掛かった。

 夕飯は京介の好物の一つでもある、ビーフシチュー。
 昨晩のうちに牛肉がトロトロになるまで煮込んでから、こうして一日たっぷり
寝かせて味を馴染ませた代物だもの。きっと京介に満足して貰えるわよね。
 何時のまにか鼻歌交じりにシチューを温めていたらしい私は、それに気付いた
時には思わずおたまを鍋に放り出して、両手で口元を押さえてしまった。

「こんな感じになったんだが、どうだろう、瑠璃」
「ひゃあ!?は、はい!」

 そんなタイミングを見計らったように、京介から声を掛けられたものだから。
 自分でもどこから出たのか解らない声を上げながら、背筋を伸ばして直立不動
の体勢を取ってしまっていたわ……

「……ごめんなさい、ちょっと手が塞がっていたものだから。すぐに行くわ」

 ひとまず誤魔化してはみたけれど。
 なにせ居間と台所は暖簾でしか区切られていないのだから、京介には全て筒抜
けだったことでしょうね……
 私は一度咳払いをしてから、居間に戻ったのだけど。

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「……とても綺麗に出来ているじゃない。正直、驚かされたわ。クリームの上か
ら色を付けるなんて初めてでしょうに、よくここまで出来たものね」
「そ、そうか。瑠璃にそう言って貰えるんなら安心だ。にしても、こんなに真剣
に色を塗ったのは、高校で美術の単位が掛かってた時以来だぜ。もっとも出来上
がった喜びは、あの時と比較にもならないけどな」

 さっきの失態なんて、すぐさま頭から吹き飛んでしまったわ。
 私の賛辞に、京介は心底安心したように深く息を付いていた。
 どうも京介の方にしても、それどころではなかったみたいね。
 描き始める前のあの勢いは、どこにいってしまったのかしら?

 ふふっ、でもあなたは今までもそうだったわね。
 本当はプレッシャーに圧し潰されそうな時でも。

 いえ、そんな時だからこそ、大事な人の為には底力を発揮できる人だもの。
 もっともケーキ作りで例えに出すのは、ちょっと大仰な話でしょうけれど。

「そんなお疲れのところを悪いのだけど、今度はシチューの加減を見ておいてく
れるかしら。私はイラスト周りのデコレートをしておきたいから」
「今日は何でも二人一緒に、だろ?夕飯の準備もやらせてくれなきゃ、その約束
を果たせないからな。遠慮なくびしばしこき使ってくれていいんだぜ?」

 びしっと親指を立てて、精一杯の決め顔を浮かべた京介。
 私達はひとしきり笑い合うと、其々の作業に取り掛かる。

 お陰でその後のディナーも。誕生日の花であるバースディケーキも。
 私達二人の力を合わせて、最高の物が用意出来たと自負しているわ。

 昨年とまた違う意味で、京介と二人きりの誕生日になったわけだけど。
 お陰で昨年と同じくらい、生涯忘れられない誕生日に出来たかしらね。


        *        *        *


「……ふぅ。こうしていると、心地よくて溶けてしまいそうよ」
「……だな。ま、欲を言えば、もう少し大きい風呂だと、もっと身体を伸ばせて
ゆったり出来るんだけどなぁ」

 今日一日の締めくくりに、私達は二人でお風呂に入っていた。
 互いの身体を隅々まで洗ってから、私達は湯舟でゆっくりと身体を温めている。
 ドレス姿で気が張っていた分も、お湯の温もりが全身に染み渡るようだったわ。
 もっとも、我が家の標準的なユニットバスの大きさでは、二人一緒に入るには
京介に背中から抱きかかえられる恰好になるわけだけど。

「あら?このくらいの方が、あなたにとっては嬉しいのだと思っていたけれど?」
「そりゃ、そういう面もあるけどなぁ。でも例え広くなったとしても、その辺は
あんまり変わらないだろ?」

 後ろから回していた両腕に力を籠めて、京介は私の身体をさらに引き寄せた。
 背中越しに伝わる京介の温もりも、それに比例して一層に熱く感じられたわ。

 まあ、でも。確かに京介の云う通りでもあるのよね。
 身体を伸ばせるよりも、こうしている方が安らげると私自身、思っているし。

「このまま眠ってしまいたいくらいだけど……そろそろ上がらないと、逆上せる
か湯冷めするかのどちらかよね」
「明日は俺も仕事に出ないといけないしな。流石に風呂でうたた寝して風邪なん
て引いたら、今は冗談じゃ済まされないぜ」

 後ろ髪惹かれる思いを全力で振り払って、私達はお風呂場を後にした。
 そして身体を拭く間もあらばこそ、私の身体は京介に横抱きに抱えられる。

「……聞くまでもないとは思うけど。明日は仕事に行くのよね?」
「そうだな。ま、貫徹になっても1日くらいは全然問題ないぜ?」

 京介は何の迷いもなく、清々しいまでの笑顔で言ってのけた。

 ま、まあ、そうよね……ずっと二人きりで過ごした一日だったけど。
 幾つか布石は打ったのに、京介は敢えて乗らなかったと思えたもの。

「ちなみに私だって勿論仕事はあるのよ?在宅ではあるけれど」
「朝飯は俺に任せてくれ。瑠璃はギリギリまで寝てて大丈夫だからな」

 私はあなたが望むのであれば、何時でも良いと思っていたのだけど。
 それでは誕生日を満足に祝えないとか、考えてくれていたと思うわ。
 もっともその配慮も、後は休むだけとなれば必要ないでしょうしね。

「さっきは風邪を引いてはいけないと言ってなかったかしら?」
「なら風邪を引かないように、しっかり身体を動かさないといけないかもなぁ。
あ、でも瑠璃には無理はかけないよう、善処はするつもりだぞ」

 今日という私の誕生日も、そろそろ日付が変わろうとしているし。
 それなら私からの最後のお願いは、こちらから言葉にしないとね。

「そ、そう……それならその前に、あなたに伝えておくわね」

 私は抱き上げられたまま、両腕を京介の首に回して身体を密着させた。
 お風呂の時とは違い、直に伝わる京介の体温が一層熱く感じられたわ。

「今日は本当にありがとう。愛しているわ、京介」
「どういたしまして。勿論俺も愛してるぜ、瑠璃」

 京介もまた抱えた腕に力を籠めて、私達は互いをより強く抱き締め合った。

 後は全てあなたに任せるわ。

 そう告げようとした、矢先のことだった。

「あっ!……無理といえば、大事なことを忘れてたぜ」

 まったく今のこの場の雰囲気にそぐわない声を、京介は口にしてくれた。

「……な、何、かし、ら?」
「いや、肝心のメインイベントをやってないじゃないか。誕生日の、さ」

 一気に脱力していた私に諭すように、京介はやけに楽しそうにそう続けた。

 い、いえ、私は勿論、最初から気が付いていたわよ?
 でも、私の方から切り出すなんて出来ないじゃない、こういうものは。
 中々言い出さないのは、何か機を計っているとばかり思っていたしね。

「……ひょっとして、プレゼントのことを言っているの?」
「おう、大正解だ!といっても、実はまだ実物はないんだけどな。今日に合わせ
て注文しようと思ってたんだが、やっぱ本人の好みが一番だと思ってさ」
「つまりはプレゼントされるものは、私自身で選べということかしらね?それで
一体、あなたは何を用意してくれたの?」
「ああ、知り合いの伝手で、良い品が安く手に入ることになったんだ。後でそこ
のサイトを見て、気に入った物を選んでくれ。ちなみに、だ」

 そこで京介は、意図的に言葉を切った。
 桐乃と実に良く似たドヤ顔でこうも勿体付けられるのは、私の本能的な部分で
妙に癪に障るものがあったのだけどね……

「プレゼントはデスクワーク用の椅子だ。しばらく瑠璃は、在宅勤務が続くんだ
ろうしさ。なるべく良い椅子で、身体に無理が掛からないように仕事をして貰い
たいと思ったんだよ」

 でも続くあなたの話を聞いて。
 そんな苛立ちも、雰囲気を台無しにされたことすらも、吹き飛んでしまった。

「そ、そう……なの。私のことをそこまで考えてくれたなんて、本当に嬉しいわ」

 在宅勤務をするに当たって、そこまで自分のことを考えたこともなかったもの。
 滞りなく仕事を熟して、進捗を遅らせないことで、頭の中は一杯だったものね。

「まあ、俺の方も丁度そういう伝手があったから、気が付けたって話だけどな。
でも、瑠璃に喜んで貰えたんなら俺も嬉しいよ」

 京介は実にお兄さんらしい、見る人を安心させるとても優しい顔をしていた。
 私は暫くの間、その笑顔を前にして目を、いえ心すらも奪われてしまったわ。

 でも、我に返った次の瞬間には。
 私は堪えきれずに、思いっきり吹き出してしまったわ。

「……ふふふっ、あ、あなたと言う人は、本当に仕方がない人ね」
「って、おいおい、今のでどうして俺がディスられる流れになるんだ?」
「ふっ、それが解らないから、あなたは仕方がない人なのよ」

 困惑している京介をよそに、私は笑い続けた。

 だって、本当に可笑しくて仕方なかったから。

 こんな状況で誕生日プレゼントの話を振ってきた、京介のことも。
 そんな京介の心遣いで思い知らされた、己の浅慮さ加減にも、ね。

 まったく、どれだけ己の足元が見えてないかと、呆れてしまったわ。
 世情を憂う暇があるなら、もっと大切なことから考えていかないと。

 そして何よりも。愛する人からの気持ちを素直に受け止めなければ。
 私一人だけで小賢しく立ち回ろうと思っても、この体たらくだしね。
 これでは共に歩む伴侶に、余計な心配ばかり掛けさせてしまうもの。

 一頻り笑って気持ちを落ち着けると、私は再び京介に両腕をまわした。
 そのまま京介の顔を引き寄せると、こちらからも近付けて唇を重ねる。

 もうこの身体にはとても抑えきれない、あなたへの想いを伝える為に。

「……こんな不束者ですが、これからも宜しくお願いします、京介。来年も再来
年も、その先もずっと。こうして私の誕生日を祝福してくれると嬉しいわ」
「今のでそこにどう繋がったのかは、良く解からんが……それはこっちのセリフ
だろ?こんな仕方がない俺だって、大好きな彼女の誕生日なら全力でお祝いする
さ。俺の方こそこれからも宜しく頼むよ、瑠璃」

 私の意図をどこまで汲んでくれたのかは、流石に解りようもないけれど。
 それでもきっと、京介も私と同じ想いを抱いてくれたのだと信じている。

 そういえば、私も一つ思い出したことがあるわね。

 落花流水。

 落ちた桜の花が水に流されていたあの時の情景は、本来は漢詩に詠まれている
通り、凋落や別離、災厄に見舞われることに例えられるのだけど。

 水を想ってそこへと自ら落ちる花と。
 花を想って受け止め共に流れる水と。

 どんな境遇になろうともお互いを信頼し慕い合い、何処までも運命を共にする
という、相思相愛の男女の仲を意味する言葉でもあるらしいのよ。

 まるでこれからの私達の行く末を示す、道標のような言葉にも思えるもの。

 24歳という節目となる誕生日に、改めてそのことを考えさせられたのは。

 私達の目指す暖かな未来へ、確かな足掛かりになってくれることでしょう。

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