2ch黒猫スレまとめwiki

『黒騎士の微笑み』:(直接投稿)

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集
原作において、黒にゃんが弁天高在学時のゲー研の話は非常に面白くて
もっともっと黒にゃんの部活動を見てみたかったものだと常々思っていました。

そんなわけで、無いなら自分で書いてしまえ、とばかりに
転校後だって黒にゃんは同じように部活動を頑張っているに違いない、
という妄想を題材にしたSS『黒騎士の微笑み』を投稿させて頂きました。

この話は原作12巻から1年後の話として拙作

『光のどけき春の日に』
『かわらないもの』
『呪いの果て』
『父の教え』

から話が続いています。

あれこれと以前の話から設定が続いている上に、転校先での部活メンバーとして
オリジナルキャラが沢山出てしまっているので、読み辛い話で恐縮ですが
少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。

------------------------------------

「この技は5フレームほどキャンセル受付時間を早くして
  機敏に次の行動に移れる様にしておきましょう。
  そのほうが他の技との差別化も図れるし……何より爽快感に繋がるわ」

期末テストも無事に終わって夏休みも間近に控えた
僕達『コンピュータ部』、通称『コン部』のほぼ全員で
作成に勤しんでいるアクションゲーム『シュバルツリッター』。

昨年の学祭が終わった後、企画コンペで黒猫さんが出したアイディアが
採用されてから、ここ1年近くずっとその作成作業を続けてきた。

クォータービューでアクション要素の強い昔ながらのゲームをコンセプトに
発案者の黒猫さんが世界感、ビジュアル、各種設定を作っているのは
勿論の事、ゲームバランスや難易度調整なども一手に引き受けている。

ただ、アクション要素が強いとはいえ、ゲームシステムのほうで
幅広いユーザー層に応えられるように、難易度設定に関しては
黒猫さんの要望で、内部でかなり細かく調整が効く様にと
様々な仕組みが用意されている。

だから最高ランクは黒猫さんの超絶プレイに堪えうるような
難易度になっているけれど、ビギナーなら初めてゲームをやる
女の子でもガチャプレイだけでも遊べるレベルを目標としている。

『一部のコアユーザーに対象を絞るのも一つの手法だけれども。
  ゲームである以上、より多くの人が遊べるのが筋じゃないかしら』
それが黒猫さんが常々主張していることでもあるからね。

その分黒猫さんの調整作業は本当に大変なんだけれど。
1,2度のプレイですぐさま問題点を抽出すると担当者と綿密に打ち合わせて
次々に仕上げていく様子は、傍で見ていても惚れ惚れするくらいだった。
さすがは世界レベルのゲームプレイヤーの黒猫さんならでは、だと思うよ。

今もプレイヤーのプログラム担当の北條君の席で、新しく設定された
攻撃技の感触を確かめながら、黒猫さんが一つ一つ改善案を出していた。

「でもそこまで早いと逆に技の手応えがなくなりませんか?
  フォロースルーのモーションあってこその余韻だと思います」

北條君は僕と同じ2年生だけど、元々自作でのゲーム制作の経験もあるし
なにより様々なゲームをやりこんでいるヘヴィプレイヤーでもある。
その磨かれたゲーム感性は、このコン部でも一目置かれているんだけど。

でも北條君はその分、自分の信念を貫き通す性格でもある。
加えて歯に衣着せぬ言い方で、ずばずばと遠慮なく思った事を
口にするものだから、そういう意味でもコン部で目立った存在なんだよね。

昨年は、そんな彼と黒猫さんの意見が真っ向から
衝突して揉めに揉めた事なんてそれこそ日常茶飯事だった。
その度に黒猫さんと同学年で今は部長と副部長になった
青井さんや山上さん、勿論僕も必死になって取り成してきたけれど、
あわや二人の退部騒動にまで拗れてしまったこともあったくらいに。

「確かにあなたの言う事も一理あるわ。ただ、この技としては
  コンボや繋ぎとしての意味合いを一番に持たせたいの。
  決め、としての技は他に考えてあるからここは任せてくれないかしら」
「なるほど、わかりました。このゲームは元々五更先輩のディレクションと
  なっているんですから、そういうことでしたら異論はないです」

でもあの時に本気でぶつかりあったのが、二人としても
コン部としても結果的に良い方に向かってくれたのだと思う。

北條君だけでなく、黒猫さんも厳しい物言いや
より完全を求めるストイックな姿勢がコン部の中でも
煙たがられているところも少なからずあったんだけど。

でも北條君との衝突で、その問題がはっきりと表面化した上で
自分自身が過労で倒れるくらいに作業に没頭する黒猫さんの姿に触発されて
逆に部内が一致団結するきっかけになってくれたから。

おかげで昨年の黒猫さんが中心になってコン部の皆で協力して作った
『天使と巨神と黒猫と』は学祭展示で学校中に話題になるくらいだったし
ネットでのコンテストでも特別賞を取るほどの高評価を得る事ができたんだ。

その後も二人はこうして忌憚なく意見を交換しながら
互いの考えを尊重してより良い作品を目指している。
僕は黒猫さん相手にそこまでの主張なんてできないから
それが少し羨ましく思えてしまうこともあるくらいだけれども。

「ええ、ありがとう。後は判定や前後の繋ぎも問題ないと思うから任せるわ。
  ひとまず夏コミ版の予定通りにプレイヤーは仕上げられそうね?」
「了解です。ええ、進捗に関しては自分の心配は無用ですよ」

それでも、こんな風に黒猫さんに安心して任せられて、それに自信を持って
応えられる北條君はやっぱり凄いなぁ、と素直に感心してしまう。
それに二人が協力して作業に当たる姿は、友達として、
同じコン部のメンバーとして、自分にとっても嬉しいものだしね。

まあ、そんな僕の性格はきりりんさんあたりからは
『あんた本当、基本幸せ一杯な思考してるよねぇ。
  そういうところは正直羨ましいくらいだケド』
なんて散々に言われるくらいなんだけど。

それでも自分のそういうところは嫌いじゃなかったりもする。
だって自分の憧れの人や、仲の良い友達がその才能を生かして
活躍している様子を自分のように嬉しいって思えるんだしね。

「小川君、随分愉しそうに見えるけど、頼んでおいた
  エネミーのAI制御の機能追加の方はどうなのかしら?」

そんなことを考えていた僕の所に、いつの間にか黒猫さんがやってきていた。
いけない、いけない、考え事をしているといつの間にか
自分の世界に入ってしまうのは、自分でも治したいと思っている
僕の悪い癖の一つだったりする。

「はい、五更先輩の要請どおりに、AI制御用にスクリプトの
  関数追加とプログラム側のAPIを実装しておきました」

後輩として先輩に失礼のないよう、僕は慌てて表情を引き締めて応えた。
最近黒猫さんに依頼を受けて追加した制御関数一覧をモニタに表示させて
黒猫さんに一通りの説明をしていく。

「後、AIマネージャーの全体的な最適化と高速化も
  ほぼ完了していますから、今までの1.5倍くらいまでなら
  エネミーの同時制御をしても問題ないはずです」
「そう……それならもう仮配置じゃなくて
  本格的にバランスを見ながら調整ができるわね。
  このゲームは有機的に連携するエネミーとのやり取りが肝だから
  これで私が本当にやりたい事を表現することができるわ」

ありがとう、小川君、と柔らかく微笑みながら続ける黒猫さん。
その笑顔に吸い込まれるように目が離せなくなった僕は
黒猫さんに返事をすることすら忘れてそのまま固まってしまっていた。

「お、結優。AIの方が一区切りついたんなら
  そろそろボスの特殊処理の所に手をつけようぜ?」
「……え?あ、ああ、そうだね、北條君!
  すぐにボス側のインタフェースの準備をするよ」

北條君の声でようやく我に返った僕は、これ以上醜態を
見せないようにと、慌てて北条君の方に顔を向けた。
それで自分の赤くなった顔が黒猫さんに気付かれて
なければいいんだけど……

そんな僕を見て黒猫さんは少し不思議なそうな顔をしていたけど、
すぐにそれじゃそちらもよろしくね、と言葉を残すと
今度はキャラデザを担当している川岸さんの所で
さっきの新技のエフェクトに関して話し始めた。

自分の失態をなんとか誤魔化せたことにほっと一息ついた僕は
我ながら調子の良い事に、その原因の黒猫さんの笑顔を思い返していた。

それにしても……黒猫さんは普段から優しい顔をするようになったなぁ……

黒猫さんはいつもの所謂厨二的な言動や一見気難しい態度が
とっつきにくくて誤解されてしまう事も多いけれど。

その実、情が深くて思いやりがあって、家族や友人、仲間を
心から大切にする、とても優しい女性だってのは
オタクっ娘あつまれーや学校の部活動を通して十分にわかっている。

いいや、そもそも始めて実物の黒猫さんを見たあの決戦の舞台から。
沙織さんとお姉さんとの蟠りを拭い去って、二人が寄り添う姿を
きりりんさんと一緒に優しい微笑みで見守っていた姿を見たときから、かな。

あの時に黒猫さんが浮かべていた笑顔は、それから僕が
オタクっ娘に入ったり、黒猫さんと同じ学校に進学して
一緒の部活に入ってからもなかなか見られない貴重なものだったけれど。

ここ最近の黒猫さんは、何気ないやり取りの中でも
さっきのように穏やかな笑みを浮かべるようになっていた。
それこそ今まで無理に押さえ込んでいたものの枷が外れたかのように。

まあ黒猫さんの笑顔が見られるのは嬉しい事ではあるんだけど。
その理由が僕としてはやっぱり気になるところなんだよね。

家では家事や妹さんの世話を一手に引き受けながら
自分の趣味や創作、コン部の活動にも打ち込み、
年明けに控えている受験のための勉強にも余念がないような
ハードな生活を黒猫さんはずっと過ごしている。

そしてその上で、黒猫さんを取り巻く人間関係の問題もまた
黒猫さんのあの華奢な双肩に重く圧し掛かっている。

だからなのか黒猫さんは、オタクっ娘でのきりりんさんや沙織さんたちと
心から楽しんでいるような場でも、ときたまどこか影を感じるような
憂いを秘めた表情をしている時があるくらいに。

その理由を……僕はそれなりには把握している。

僕が初めてオタクっ娘の裏の集まりに参加したとき。
高坂さんが自己紹介代わりにと、彼がこの集まりに入ってから
妹のきりりんさんとで辿った出来事を面白おかしく語ってくれた。

それはもう、まるで流行のラノベのような波乱万丈な物語だった。
最初は仲が悪くて互いを疎んじている位だったのに、それでも大切な
妹のために時に自らの身体を張り、友人や仲間達と協力して難題を解決して
最後には妹の幼少時からの想いに応えて、恋人にまでになったという。

普段の僕ならそんな現実離れした突飛で破天荒な話を
高坂さんのハイテンションな語りにつられて
笑い転げながら聞いたのかもしれない。

でもそのときの僕は、思わず零れてしまった涙を
慌てて隠すことで精一杯の状態だった。

なぜなら、オタクっ娘の裏側の集まりに参加させて貰うために
沙織さんに必死になって頼みこんだ時に、そこまでの熱意でしたら、と
あらかじめ沙織さんにその話を聞かされていたから。

高坂さん、きりりんさんの兄妹を中心に、二人の掛け替えない
友人となった黒猫さんと沙織さんが知り合ってから辿った本当の物語。

波瀾万丈な出来事を過ごした上で行き着いた一つの命題の答えとして。
深い想い故に迎えた幸せと哀しみとを縒り合わせたようなその結末を。

それを皆が笑い飛ばせるようにと楽しげに語る高坂さんの、
そしてそこにいる皆の本心を考えると、居た堪れない気持ちで
一杯になってしまった僕は、顔を押さえて笑いを堪える振りをしながら
必死に涙を拭っていた。

こんなことで僕がこの場を壊してしまうわけにはいかなかったし
それが沙織さんとの約束でもあったからね。

そもそもオタクっ娘に入ろうとしたきっかけは、ネットで見かけた
スーパープレイヤーとしての黒猫さんへの憧れに過ぎなかったけれど。

裏の仲間入りを果たしたときの沙織さんとの約束はもちろんのこと
その話を聞いた時には引っ込み思案で優柔不断で自分自身が
嫌になるような僕が、この人たちの力になりたいって
自分でも驚くほど強く願ってきたから。

……まあ、結局僕に出来た事なんて、こうしてコン部やオタクっ娘で
黒猫さんと一緒にオタク趣味や部活動に励むことだけなんだけど。

実際、もしもこの黒猫さんの変化が、最近のなんらかの
出来事による結果なのだとしたら、僕は自信を持って
なにもしていない、って言えるくらいなんだから。

まあ、そう思うとちょっと自分が情けなく思えてしまうけど。

それでも、黒猫さんが心から笑えるようになっているなら
そんな事は本当は取るに足らないことだと思うんだけどね。

「この技の炎はもう少し剣に合わせて巻き上がるように出来ないかしら」
「そこまで変えるんなら、元の素材から結構手を加えにゃいかんからなぁ。
  うーん、ボス周りの作業が終わってからだなぁ、そりゃ」
「そうね、ボスのデータの方も大変でしょうから
  最悪そこはコンテストに出すまでに間に合えばいいわ。
  川岸君も活動制限時間一杯なのでしょう?」
「らしくないことを言うじゃないか、五更。
『自分が納得が行かないものを頒布しようなんて『創造者』失格ね』
  ってな具合に発破かけてくれなきゃこっちの調子が狂っちまう。
  夏コミ版のデータ〆までには間に合わせるからそのつもりでいてくれ」
「ふふっ、あなたの場合はこういう言い方の方が励みになるでしょう?
  その意気込みがあるなら締め日の2日前には欲しいものね」

聞こえてくる川岸さんとのやり取りの声にも、黒猫さんが
オタクっ娘の集まりで沙織さんやきりりんさんと遊んでいたり、
黒猫さんの妹さんたちと一緒にいる時のような
穏やかで楽しげな感じが伝わってくる。

その声を聞いているだけで、自分の口元が緩むのが判ったけれど。
今度はそれを隠す必要もなく、一頻りそんな心地よい気分を味わってから
僕は目の前のモニタに意識を戻して自分の作業に集中した。

さあ、僕もみんなの足を引っ張らないように頑張らないと!



    *    *    *



「ひとまず夏コミ版のボスはこれでいけそうだね」
「後は地形変化対応があるけど、ステージ側が出揃ってからじゃないと
  本格的な作業に入れないからな。最悪今回オミットするって手もあるが」

7月とはいえすっかり日も落ちて夕闇に包まれた部活からの帰り道。
北條君と駅までの道を一緒に歩きながら、彼との話題の中心は
やはり現在作成中のゲームのことだった。

「で、でも、そこは五更先輩が夏コミ版で是非とも見せたい所って
  言ってたし、何より優先的にやらないといけないんじゃないかな」
「そう捲くし立てるなって。最悪だって言っただろ?
  だけどプログラムの方は順調でも、ステージの進捗は思わしくないしな。
  思い切ってその部分を切れば他の作業にまわす時間も出てくるのも確かだ」
「そうだね……ステージ全体を完成させる方が先なのもわかるけど」

今日の進捗確認で、順調に行くと思っていたステージ3のボス作成だけど
僕の思っても見なかったところに心配の種があるらしい。
せっかく黒猫さんが詳細な仕様をあげて準備しているのに
下手をすると夏コミ版の締め切りまでにステージ側の作業が
間に合わないかもしれない。

それを指摘する北條君の言葉は何時だって的確で理に適っている。
だから僕もそれに反論する事もできずに頷くしかなかったけれど。

今回の夏コミ版に用意するボスは、ボスの攻撃で地形が変化していって
その高度差を生かした駆け引きを楽しませるのだと、仕様説明会で
力説していた黒猫さんからしてみれば絶対に外せない要素なんだと思う。

だから僕としてもそれを実現できるようにボス用のAI制御や
攻撃作成用のスクリプトAPIも早いうちから用意しておいたんだ。
黒猫さんは自分の納得が行くまで何度でも作り直すのがいつもの事だし
決して妥協なんてしないから、早いに越した事はないからね。

だけどステージ作成が予定通りに進まないとなると
今回のボスの実装はかなり厳しいものとなるのかもしれない。
担当の賀川さんが先週まで夏風邪を拗らせて学校を休んでいたから
多分それが影響しているってことかな……

「まあやれるところまで俺達は進めておこうぜ。
  仮のデータだけでもなんとか賀川さんに用意して貰えば
  五更先輩もボスの攻撃のあたりくらいは見られるだろ」
「うん、それは勿論だけど……」
「なんだよ、何か気になることがあるのか?」
「だって、ステージデータが間に合わないなら、さ。
  きっと五更先輩は自分で作っちゃうんだろうなって」

もしも僕たちが今想像しているような状況になったなら。
間違いなく黒猫さんはそうするだろうって僕は確信している。

昨年、まだコン部が各々でゲーム制作を進めているのが当たり前だった頃。
学祭発表用の作品としてはさすがにプレイアブルな物を出さなければならず
一番進捗が捗っていた黒猫さんの『天使と巨神と黒猫と』を、ひとまず皆で
協力して仕上げることになったんだけど。

昨年の部長は良い意味でも悪い意味でもみんなの自主性に任せていたから
部員の作業の調整や補佐なんかもあまり動いてくれるわけでもなくて。
部として決めたというのに、各々が自分の作業を優先してしまって
黒猫さんの手伝いにほとんど手が回っていなかった。

さらに黒猫さんの要求クオリティが高い事もあって
他の人が作ったものもリテイクの連続になってしまって
なかなか成果物として仕上がらなかったこともそれに拍車をかけていた。

それに加えて、北條君との見解の相違から
部を巻き込んでの対立があったのも丁度この頃だったと思う。
だから結局、黒猫さんが一人で作業していたときと
変わらないような状態がその後もずっと続いていた。

だけど黒猫さんは、その遅れを取り返すために
本来他の部員に割り振られていたはずの作業まで
全部自分で作成していきながら学祭までの進捗を合わせていた。

でもさすがの黒猫さんとはいえ一人だけで全てをこなすには
あまりにも時間が足りなかった。それでも一切妥協せずに
毎日毎日無理な作業を続けて黒猫さんは目に見えて消耗していった。

そんな黒猫さんの様子に、僕は勿論、オタクっ娘メンバーや
黒猫さんのクラスメイトの皆が心配していたのだけれども。

『これは私に課せられた宿務なのよ。故に私の力で乗り越え成し遂げてこそ
  『創造主』としても、『運命の対峙者』としても、漸く私は胸を張って
  立つことができる。だから今は私の心配や余計な手出しなど一切無用よ』

そういって、あの時の黒猫さんは普段にも
増した敢然な表情で、全く取り合ってくれなかった。

だから当時、きりりんさんが黒猫さんと顔を合わせると
その度にその事で言い合いになって喧嘩ばかりしていたけれど。
一度だけきりりんさんは僕達に黒猫さんの心情を慮って
その本心を話してくれた。

『あいつは多分……本気で今の自分を試したいんだと思う。
  普段あんな風に振舞ってても、ずっと自分に自信がなかったあいつが、
  瑠璃が、今の自分にとって必要な目標だと考えているんじゃないかな。
  それが瑠璃の言う『理想』を叶えるためのステップてことなんでしょ」

まったくそれで無理して倒れたらどうするんだってーの。
まるで黒猫さんが目の前いるかのように、最後にはいつもの
悪態をついていたきりりんさん。でもそんなきりりんさんの顔は
いつもの喧嘩の時のそれとは違って、とても穏やかなものだった。

それを聞いた僕たちは、今後の方針を改めて話し合ったのだけど。
最後には、沙織さんがいつものぐるぐる眼鏡の奥の瞳を
きらりと光らせながら、黒猫さんへの対応策を取りまとめた。

『一先ずは、黒猫殿のご意思を尊重すると致しましょうぞ。
  とはいえ、黒猫殿も、一旦集中してしまうと周りが見えなくなってしまう
  典型的な職人気質の御仁。何気なく様子を伺いつつ
  拙者たちもお節介にならない程度にフォローをしていくでござるよ』

そんなわけで同じ学校の僕やきりりんさんが黒猫さんの状態に
細かく目を配りながらも、普段と変わらぬ日々を送っていった。
沙織さんや高坂さんも普段のネットでのやり取りや休日の集まりでは
いつも以上に黒猫さんに負担の掛からないよう配慮はしていたけどね。

その間も黒猫さんは過酷なゲーム制作を続けていった。
僕もプログラミングに関しては出来る限り協力したけど
グラフィックやサウンド、スクリプト書きなどは
ほとんど全て黒猫さんが作業しなければならなかった。

黒猫さんの作成していた『天使と巨神と黒猫と』は
基本的なシステムは脱出系アドベンチャーゲームと呼ばれるもので
画面内のオブジェクトをクリックしてそこに隠された
ギミックを発動させたりアイテムを収拾して
閉ざされた場所からの脱出を目指すゲーム内容だったんだけど。

一般的なそれと違って、画面内のおおよそすべてのオブジェクトが
クリックすると細かに反応を返すように徹底して作り込まれていたし
さらにその結果が後の展開にも様々に影響を与えてストーリーも
マルチに枝分かれしていく、というのがコンセプトな意欲作だった。

でも、それを実現するには、無数のフラグと分岐の管理が必要になる。
単純なテキスト量も膨大な上に、矛盾無くシナリオを展開させるには
ゲームの内容以上に複雑怪奇なパズルを組み上げる状態遷移を構築して
それらを繋ぐためのシーンもまた気が遠くなるほど用意しなければならない。

それを学祭までの期間に一人で作り上げることなんて
とてもじゃないけどできるわけがないって誰もがそう思っていたけれど。
でも、例え未完成でも、学祭の時にそれなりに遊べればいい、
と当時の部長だって考えていたから誰もが問題にしてなかった。

でも黒猫さんは決して未完成でもいい、なんて妥協をしなかった。
鬼気迫る勢いで作業を熟していきながらも、それでいて完成を目指して
他の部員への協力の取り付けも決して諦めていなかった。

粘り強く、根気よくコン部のメンバーへの説得と請願を行う
黒猫さんの熱意を目の当たりにさせられて、青井さんや山上さんを始め
いつしか多くの部員が一丸となって作業にあたってくれるようになった。

北條君との見解の対立は相変わらず続いていたけれども。
その上で彼の力を正当に評価し、作品を完成させるために真っ向から
助力を願い出ていた黒猫さんの直向さが、遂にはその問題も解決させたんだ。

おかげで黒猫さんの作品は、学祭にぎりぎりに完成させることが出来た。

でも、そこまでの無理が一気に出てしまったのか
学祭中に倒れてしまった黒猫さんは、丁度遊びに来ていた高坂さんに
横抱きにされて保健室に運び込まれたりもする一幕もあった。

あの時は本当、黒猫さんのすぐ近くにいて
それと気付けなかった自分が情けないったらなかったよ。

まあ、倒れた原因が単なる寝不足と過労だけだと
わかったときには皆胸をなでおろしたものだったけれど。

それでも黒猫さんがあんな無茶なことをしないで済むのだったら
それに越した事はないからね。だから昨年の二の舞にならないように、
今回のことだって早めに手を打っておきたいものだと思ってるんだ。

「確かに五更先輩ならそうするだろうけどな。
  でも、昨年と違って今の部長は何よりチームでの成果を重視してるだろ。
  多分副部長と一緒にいろいろと対応策は考えていると思うぜ」
「そうだね、部長も『シュバルツリッター』を最優先にしてくれているし。
  比較的手の空いている部員を上手く調整してくれるかもしれないね」
「まあ、副部長がより現実的な判断を下すかもしれないけどな」

それもまた的確な意見過ぎてやっぱり僕は何もいえなくなってしまう。

昨年の学祭の時のそんな騒動が学校中に話題になってしまって
コン部は学校側から1日当たりの活動時間の制限を始め
いろいろとペナルティを課せられてしまったんだけど。

部員のスケジュールや進捗、活動内容なんかを
こと細かく学校側に報告することもその一つで
昨年の学祭後に3年生が引退して、新しく副部長になった
山上さんがその役目を引き受けていた。

元々物腰や口調は丁寧ながらも、冷静に客観的な判断を的確に下せる
山上さんにはまさに適任ではあったんだけど。ついつい興に入って
いつのまにか活動時間をオーバーしてしまうようなことも
厳しく戒められてしまうので部員に密かに恐れられてもいる。

今回も全体的な判断として、一部の進捗に無理があるなら
それ自体を取りやめると副部長は考えそうなものだったからね。

でも、副部長だって別段好き好んでドライな考えをしているわけではなく
誰かがそんな実利に即した判断を下さなければいけないからだけど。

それが判っているからこそ、部のためにその役割を率先して
引き受けている副部長の本当の気持ちを考えてしまうから。

「じゃあボスのプログラムのほうは今週中にでも終わらせておこうよ。
  僕はグラフィックの方は全然駄目だけど、キャラを打てる人の
  担当分まで僕が受け持てれば人手も確保できるかもしれないし」
「確かにそれが俺達の今できる最善手だろうな。
  いざとなったら俺がステージデータを平行して作っておいてもいい。
  テクスチャとかは勿論後で仕上げてもらうけどな」

それまでと変わらぬ口調でそう言ってのけた北條君だけど
普段はなかなか表に出さない情熱的なところを垣間見たようで
僕は思わず口元を緩めてしまった。

「……なんだよ、何かおかしいのか?」
「いや、なんでもないよ。北條君はやっぱり頼もしいなぁ、と思って。
  さすが次期部長候補の最有力ってところかな?」
「そんな話は学祭が無事に終わった後ですればいいさ。
  今は『シュバルツリッター』の完成に集中しようぜ」
「勿論だよ、皆で選んで決めた大作プロジェクトなんだしね。
  五更先輩の、ううん、今年で卒業する先輩たちのためにも、ね」

昨年の学祭が終わって今の部長に交代してから
僕達コン部は今後の方針として、部員全員が協力して
1つの大きな作品を完成させることになった。
それまでは部員が個々にやりたいものを作っていてのとは対照的に。

それは今年の部長になった青井さんが兼ねてからやりたいと
思っていたことだそうだし、昨年の五更先輩の一件も
大きくその決定に影響を与えていたと思う。

みんなが力を合わせたときに出来た高いクオリティと強い達成感。
それを経験した僕らは一も二もなく部長の提案に賛成した。

それに。それは僕にとっても黒猫さんと一緒にゲームを作れる
最高のチャンスでもあるからね。

「卒業するといえば……結優はどうするんだ?」
「え、なにが?」
「惚けるなよ、その五更先輩のことだよ。
  さっきだってずっと五更先輩の顔を見蕩れてたじゃないか。
  このまま先輩が卒業する前に、何か行動しておかなくていいのか?」
「な、なな、何を言い出すんだよ!突然!!」
「おいおい、そんな取り乱してたら図星じゃないか。
  まあ結優と五更先輩と一緒にいれば、誰だってそう思うだろうけどな」
「か、鎌をかけたんだね……前言撤回だよ、次期部長候補さん……」

いきなり北條君が突拍子もない方向に話を振ってくれたおかげで
頭が追いつかなくて自分でも思った以上に慌ててしまった僕だけど。
その事に関してなら今更狼狽える必要もないからね。
溜息を付きつつ、僕は自分の気持ちを正直に北条君に明かした。

「それはまあ、僕は確かに五更先輩の事を憧れてはいるけれど。
  特に付き合いとか、恋人になりたい、とか、そういうわけじゃないんだよ」
「そうなのか?そんな風には見えなかったけどな。
  部活でも何かと親しくしているし。それに憧れているのは事実なんだろ?」
「そうだね、まあ理由から話すと結構長くなってしまうけど。
  僕自身いろいろと考えた事もあるけれど、結局僕は」

そこで僕は一旦言葉を切って、改めて自分の気持ちを顧みた。

初めてネットにアップされた黒猫さんの対戦動画をみて興味を持って。
あの決戦の場で初めて実物の黒猫さんを目の当たりにした時には
その超絶的な技術とそれに見合う求道者然とした立ち振る舞いに感動して。

でも、それ以上に。沙織さんたちのために浮かべていた透き通るような
笑顔の魅力に惹き込まれて以来、ずっと僕は黒猫さんに夢中になっていた。

同じサークルメンバーとして。同じ学校の先輩後輩として。
そして同じ部活の仲間として。ここ2年間くらいその人の近くで
まるで夢のように賑やかで楽しい日々を過ごしてきた。

だからこそ。

黒猫さんが本当に望んでいるものはよくわかっているつもり。

だから僕は自分で出した結論を胸を張って答えられる。

「アイドルの熱烈なファンみたいなものなんだよ。
  その人のことを考えるだけでも楽しくなるし
  その人が喜んでくれるならなんだってしたいって思うけれど。
  だけど、実際に付き合うとか恋人になるなんてのは全然実感が湧かないよ」
「……なるほど、確かにそういうものなのかもしれないな。
  絶対に手に入らないとわかっているからこそ、一層に惹かれる、
  ってものもあるだろうしな」

何か得心するものがあったのか、北條君は目線を下げて軽く頷いていた。
彼らしくない神妙な態度が事が少し気にはなったものの
まあ、この場はこれで納得してくれるならそれはそれでありがたいかな。
僕だって言葉にして人に納得してもらうにはややこしい話でもあるし。

「そうそう、北條君が好きなゲームキャラに思い入れているようなものだよ」
「おいおい『榛名』と一緒にされちゃ困る。
  彼女は『ケッコン』もしているれっきとした『俺の嫁』なんだからな」

……確かに黒猫さんと2次元キャラでは話は全然違うんだけどさ。
さっきとは一転して、いつもの彼らしい生真面目な調子で
そう言ってのけられる、いつでもぶれない姿はある意味羨ましいよ。
まあ、真似したい、とは思わないけれどね……

「そういや五更先輩といえば、最近雰囲気変わったよな」
「ああ、やっぱり北條君もそう思う?」
「そりゃあな。今まではデフォが仏頂面だったじゃないか。
  それこそ『シュバルツリッター』のPCのようにな。
  それがあんなに笑うようになったら誰だって気がつくだろ?」
「デフォが仏頂面だった、という所はちょっと物申したいけどね……」

確かに黒猫さんがイメージボードやデモシーンで描いている
このゲームの主人公の女の子は、戦士らしく厳しい表情が多いけど。
さすがに仏頂面、なんてのは酷い言い掛かりだと思うなぁ。

「でも先輩は笑顔の方が断然いいよね。見てるこっちまで嬉しくなってくるよ」

さっきの黒猫さんの華やかな笑顔を思い出すだけで口元が綻んでしまう。
いつもの凛とした姿も黒猫さんの気高さを表していて素敵だけど
笑顔の黒猫さんこそはなかなか見せてくれない本音の姿だと思うから。

「まあおかげで結優は勿論だけど、コン部の部員のモチベーションも
  あがってるしな。これも紅一点としての五更先輩の狙い通りなのかも知れん」
「そ、そんなこと絶対に考えてるわけないよ、五更先輩は!」

確かに五更先輩は物事にあたるには、幾重にも考えを巡らせてから
実行に移すくらいに思慮深くて策略家なところはあるけれど。

それでも、いつでも周りの人への配慮を忘れないし
特に人の気持ちを軽んじるようなことは絶対にしないって断言できる。

だから言った自分自身が驚いたほどの声で、僕は北條君に反論していた。

「……いや、すまん、冗談のつもりだったんだが……
  ここは俺の配慮が足りなかったかな、申し訳ない」
「え?あ、ああ……そうなんだ。
  ごめん、僕のほうこそ大きな声をだして」

僕の剣幕に、北條君は珍しく気まずそうな顔で
やっぱりなかなか聞いた事のない謝罪の言葉を口にしていた。
それにしても君は普段も冗談も、真顔で言うからわかりづらいよ……

それでも自分の非を素直に認めて謝れるっていうのは
なかなかできることじゃないと思う。昨年の黒猫さんと
意地の張り合いをしていたころが嘘のようだよ、本当。

きっと北條君も今までのコン部での活動を通して
良い刺激を受けてきたのかもしれないね。

「まあ、その勢いでまずは夏コミまで頑張ろうぜ。
  3年生は受験だって控えているんだし、10月の学祭で正式に引退だ。
  それまでには俺達2年生がこの部をひっぱっていかないとな」
「うん、そうだね。じゃ、北條君、また明日」
「ああ、それじゃあな」

入部した時にはその実力から、自分の作品作りだけに
興味を向けていた北條君だったのに、今ではこんなにも
コン部としての活動を大切にしているんだから。

家が逆方向の僕達は、駅の改札を通ったところで
別々のホームに向かうために、いつものようにそこで別れの挨拶を交わした。
そして、一人になってからホームへの階段を上る間にも
僕はすぐに自分の作業のことを考え始めていた。

そうだね、北條君。黒猫さんたちが安心して僕達に後を任せられるように
絶対に今回の『シュバルツリッター』夏コミ版も成功させよう。

そう固く胸に誓いながら。



    *    *    *



「そんなわけで賀川は今週も風邪がぶり返しちまって学校を休んでいる。
  だから夏コミ版に入れる予定だったボスに関してなんだが……
  今回は実装を見送って、その分を作成予定の3ステージ分の内容を
  学祭版レベルまで作りこむのが、まあ妥当な線だと考えている」

コン部の定例ミーティングで、開口一番部長がそう切り出してきた。
もっともいつもの彼らしからぬ、歯切れの悪い物言いとその表情は
青井君にとってもそれが苦渋の選択だと雄弁に物語っていたわね。

「今後のスケジュールを考えると次ステージ作成と
  クオリティアップの期間とを入れ替えれば、学祭とコンテストに
  向けての最終的なマスターアップへの予定には問題はありません」

副部長がスクリーンにOHPでスケジュール表を投影させてから
レーザーポインタで項目を示しつつ部長の言葉を補足した。

確かにステージ作成担当の賀川君が長期の病欠ともなれば
地形ギミックを生かしたバトルを遊びの根幹とする
ステージ3のボス『フルングニル』の完成が覚束ないのは
純然たる事実でしょうね。

それに副部長の示したスケジュール変更を実施すれば
夏コミ版のボリュームこそ減ってしまうものの
プロジェクト全体としての進捗には特に大きな問題はなさそうだった。
勿論、その目処が立っているからこその提案なのでしょうけれど。

「待って頂戴。ステージ1は中ボスの『ベリ』
  ステージ2はほぼ完成している『ゲイルロズ』で良いとしても
  今回の夏コミ版の最終ステージのボスがいないのでは締りが悪いわ。
  それでは、最後が間延びしているプレイ感だけ残ってしまって
  全体的な印象もかえって良くないものになってしまうでしょう。
  それに夏コミのマスターアップにもまだ時間もあるのだから
  その決断は少し早いのではないかしら。他にも打つ手はあるはずよ」

私は挙手をするのももどかしく、部長と目があった瞬間に
立ち上がると、部長達の提案に真っ向から反論した。

そもそもこの夏コミ版では最終ボスとなる『フルングニル』との
地形ギミックを生かした見栄えのあるバトルでプレイヤーの注目を集める、
というのが一番の目的だったのだから、進捗が遅れそうだからと
そう簡単に引き下がるわけにはいかないわ。

「いえ、全体的なスケジュールを見直せるタイミングはもう今だけです。
  夏コミ後にもまだ作業が続く事を考えると、ここだけに作業時間を
  費やす事も、そして全力を傾けるわけにもいかないですから」

でも、私の反論など見越していたように、副部長が落ち着き払って応えてくる。
さすがに部のスケジュールと進捗管理、果ては部員の体調までを把握して
適切に作業量をコントロールしている鬼の副部長、というところかしらね。

「そういうことだ、五更。お前のことだから作業が遅れた分は自分がやる、
  とか言い出すんだろうが、まだまだ学祭版マスターまで作業は続くんだ。
  昨年のようにお前にここで倒れられちゃ、コン部の活動そのものが
  これ以上出来なくなっちまうぞ」

痛いところを指摘されてしまって思わず私も言葉を詰まらせてしまった。

昨年の学祭中に不覚にも倒れた私のために、その場に居合わせた先輩が
保健室を探して私を抱きかかえながら学校中を走り回ってくれた騒動のおかげで
二度とそんな無茶な活動をしないようにコン部はきつく言い付けられている。

もしもそれを破ったときには部活動の停止処分もありうる、とまで
言われてしまったこともあって、今年は副部長がきっちりと作業時間の
管理をして毎月報告書を顧問の先生に提出しているくらいなのだから。

「……ええ、それもわかってはいるわ。でも、それを踏まえたとしても
  夏コミ版で『フルングニル』を諦めるわけにはいかない、ということもね」
「だが実際に専用ステージもギミックももう10日以上は遅れてるんだ。
  五更はもちろんの事、他のメンバーだって自分の作業で手一杯だし
  これを今から取り返すってのはさすがに無理がありすぎんぞ」

確かに私もこのゲームのメインプランナー兼ゲームデザイナーとして
ボスの攻撃ルーチンだけに限らずに、シナリオテキストや
キャラクターやステージのイメージボード、エネミーのアルゴリズムや
AI作成、BGMの曲作り等々、平行して取り組んでいるものを多々抱えている。

それに自分の作業だけではなく、部室にいる間は
世界感の統一やゲーム性の調整などのディレクションも行っているので
部長の言うとおり、今の私は現状でギリギリの状態ではある。

でもその分、コン部のメンバーほとんどと、仕様の打ち合わせや
成果物の確認を通して、数多くのやり取りをしてきたわ。
時に激しく主張をぶつけ合い、時に形を成す手応えを分ち合い
常により高い品質を追い求め、皆でその完成を目指してきたのだもの。

だからこそ、今回だってそう簡単に諦めるわけにはいかないし
この問題だって決して乗り越えられないものではないと判るから。

「そうね、今の私がさらにボスステージのギミックと攻撃を
  夏コミまでに作ってボスとの調整まで取る、というのは
  確かに現実的ではないでしょうね」

そこで私は一旦言葉を切ってこの場にいるコン部のメンバーに目を向けた。
私の予想外の台詞に驚いている人、それが妥当と頷きつつも落胆を隠せない人
そして、ただ熱心な強い眼差しを私に向けている人。

その表情は人それぞれではあるけれど。
皆が私の次の言葉を真剣に待ってくれているのだと判る。
この作品に対しての真摯な想いがひしひしと伝わってくる。

だからこそ私はそれに応えなければならないわ。
この作品のプランナー兼ゲームデザイナーとして、ね。

「でも、それならば私の作業の分担を皆にお願いできないかしら?
  勿論全てを受け持ってもらうわけにはいかないでしょうけど
  ほぼ一任できるものもいくつかあるからそれで調整は出来ると思うわ」
「……まさか五更からそんな案が出るとは思っても見なかったが……
  いいのか?今までもずっと五更が担当していた所は
  頑なに自分がやるんだって譲らなかったじゃないか」

部長は私の提案を聞くと、隣の副部長と
一瞬顔を見合わせてから改めて私への疑問を投げかけてきた。

確かにそう思うのも当然のことではあるわね。
私の負担が多いからと何度も作業を振り分けようとした
部長や副部長の指示を突っぱね続けていたのは私自身だったもの。

「ええ、今までは作品の方向性を明確にするためにも
  メインプランナーとして私にはその必要があったから。
  でも今となっては」

私はもう一度部員全員を見渡してから自らの言葉を継いだ。

「それぞれの担当者に任せても問題ないと思っているわ。
  勿論、できることなら最後まで私が責任を持ちたかったのも
  正直な気持ちではあるけれども、ね」

だけどそれ以上にこの作品を予定通りに完成させなければならない。
それがこの企画を選んでくれた、皆への私の成すべき義務でもある。
私一人が我武者羅に足掻いても届かない高みに至るためにもね。

「それで本当に間に合う算段が立つってんなら
  最初の予定通りに夏コミ版に3ボスを組み込んみたいと俺も思うが……
  念を押すようだが部長としてここでの無理は認められんからな?」

ええ、勿論その原因となった私自身が肝に銘じているつもりよ。

まだこの『シュバルツリッター』は学祭やコンテスト提出用に向けて
作業を進めなければいけないし、そも真の完成は来年の夏を想定している。
だからこれからもこの部活動が続けられないようでは意味がないものね。

でも、だからこそ私達今年の3年生が主導して進めている間は
想定通りにこのプロジェクトを進めておく必要も責任もあるでしょう?
この後を引き継ぐ後輩達のためにも、ね。

「いえ、大丈夫です、ボスの実装は僕と北條君で引き受けられますし
  後はデモシーンと敵のアルゴリズムの担当さえ割り振れば夏コミまで
  間に合うと思いますよ!」
「自分がボスは勿論、プレイヤーに関しては責任を持って仕上げますよ。
  五更先輩の調整時間が削れれば、負担は一気に減るでしょうからね」

そんな後輩達がなんとも頼もしい事を言ってくれている。

そしてユウや北條君だけでなく、彼らを皮切りにして
他の部員たちも次々に部長に私の作業の引き受けを進言していた。

「ああ、わかった、わかったからまずは落ち着け、お前ら。
  ひとまずこの場は解散して、俺と山上で順々に
  皆の意見を聞きにいくから各々自分の意見をまとめといてくれよ」
「それから五更さんも分担できる作業のリストを作っておいてください。
  それらを参考にしてもう一度リスケをしてみますから」
「ええ、すぐにメールするわ。10分だけ待って頂戴」

ミーティングがそこで一旦終了となると、私はすぐに自分の今後の
作業を書き出してから、その中で他の部員に任せられそうな作業を抜き出して
担当者の候補と作業予想日数を取りまとめていく。

元々私達3年生が引退したら、この『シュバルツリッター』の作成も
後に残った後輩たちに完全に引き継いでもらわなければならないのだけれど。

そのときのために今までも『夜魔の女王』として
奉ずべき『闇の朋友』への薫陶を行ってきたつもりでもある。
だから私の文字通り同胞として、我が意のままに自在に、
いえ、もはや我が意が無くとも、自らの力で
『闇の創世』を成し遂げてくれるはず。

ふふっ、それでもまさか私が手ずから創り出してきた『魂の創生』を
人に託せることをこんなにも誇らしく感じられるなんて、ね。

私はそんな今までの自分にはなかった奇妙な充足感を抱きながら
リストをまとめ終えると、メールの送信ボタンを力強くクリックした。
それがそのままこの難題の解決への力添えになるように、ね。



    *    *    *



部員のヒアリングと私の作業リストを部長と副部長とで
検討した後、再びミーティングの場が設けられたけれども。

「結論を先に言えば……夏コミまでに3ボスを
  一通り完成させることは可能です。……可能ですが」

常日頃からきちんと情報を整理して、理論的に筋道立ててから
話しを進めるはずの副部長が珍しく言い淀んだ。

「……それこそ作るだけ、が精一杯ってことだ。
  バグチェックはおろか、調整時間も満足に取れん」

後を継いだ部長の無理に感情を抑えた固い声を聞いて
重苦しい沈黙が部室を包んでいた。

夏コミという不特定多数の人に有料で頒布することになる作品で
そんな投げっぱなしの代物を出すことの意味。

それは『創作者』として決してあってはならない、
慙愧に堪えない行いだとその場の皆全員が理解していたから。

「やはり今回はー」
「いえ、まだよ。まだ諦めるのは早いわ」

それでも私は部長の言葉を遮って、その決定への反駁を示す。

「五更、お前の気持ちだってわかるが……どうスケジュールを
  やりくりしても、俺達の力ではもうどうしようもないんだぜ」
「ええ、そうね。私達の力ではどうしようもないのはその通りでしょう。
  私が真の力を解放すれば話は別でしょうけど、それではコン部の存続が
  危うくなってしまうものね。だからその手を使うわけにはいかない。
  でも、だからといってまだ手詰まりになった、というわけではないはずよ」

私は右手で髪を掬い上げてから、部長の方に向けてまっすぐに差し出す。

「あなた達はこのコン部の部員として、いえ一人の
  『創造者』としてこんな手段を用いるのは不服かもしれないけれど。
  もしもそれでも。是が非でもこの作品を、私達が目指す
  あるべき姿を成し遂げたいと希求しているというのなら」
  
そして艶然と微笑んでみせた。救いを求める哀れな民草に
気まぐれな慈悲から仕組まれた破滅への契約を持ちかける
おとぎ話の魔女のような表情で。

「私の『謀略』に乗じてみる気はないかしら?
  『創造者』としての矜持が傷つくことにも厭わずに。
  『求道者』としての研鑽から惑うことすら懼れずに。
  全てを賭してでも理想を成就させ、そして……
  それを次代に継承させるために、ね」

そして『創造者』としての矜持と覚悟を各々に問い質す。

それ次第では私の胸に秘めた方法を強要するわけにも行かなくなるし
或いは昨年のように部内の対立を生み出すことになってしまうかもしれない。

それでも、まだ可能性があるのならば。
私は『マスケラ』で象った蠱惑な面持ちを崩すことなく
唯、皆の答えを待ち続けた。

再び部室が沈黙に支配される。その場にいる誰もが
私の言葉を吟味して、己の採るべき道を見定めていたのでしょう。

「望むところだぜ!こうなりゃ手札は出し惜しみせずに切るってもんだ。
  五更、その謀略とやらをまずは聞かせてもらおうじゃないか」

その沈黙を切り裂いて真っ先に応えてくれたのは部長だった。

昨年に部長になってからは、良きリーダーたらんと
自らを律している時が多い青井君だけれど。
ゲーム制作にかける意気込みは誰にも負けない熱いものを持っている。

そんな彼がより無難な選択だとしても、意にそぐわない状態で
作品を世に出すことなんて、彼の信念が許さなかったのでしょうね。

「あくまでまずは話を聞いてから、ですよ。それが単なる
  無謀な精神論とかなら勿論認めるわけにはいきませんからね」

そんな部長を見ながら、副部長が溜息を付きつつ愛用の眼鏡を直していた。
でもそんな彼の口元には、微笑みが浮かんでいるのも私は見逃さなかった。

山上君も副部長になってからは常に沈着な態度で鎧ってはいるけれど。
私が昨年この部に入部してからというもの、親友の青井君に劣らぬ程の
この部活に対する熱い想いをぶつけてきたのを見てきたわ。

昨年私が数多の問題を起こしながらもコン部でやっていけたのも
ひとえにこの二人がその熱意で部を支えてくれたおかげでもあるものね。
本当、事が成就した暁には、私はあなた達にはどれだけの
感謝の言葉を贈ればいいのかしらね。

見渡せば他の部員達も皆、我が『謀略』を支持してくれるようだった。

まったく、まだ肝心の内容を明らかにしていないというのに
そんなにあっさり承諾されてはせっかくの演技の意味がないじゃない。
そんなことでは容易く『闇の者』に騙されてしまうわよ?

ふと昨年の今頃を思い返して、この正反対な状況が感慨深く思えてしまう。
あの頃の私では皆の協力を得るのに幾星霜の刻を要したというのに、ね。

ふふっ、ならば今こそ託宣を下しましょう。
この状況を打破し、『遥か遠き理想の地』を目指すためのその方法を。



    *    *   *



「で、あたし達はひたすらバグチェックを手伝えば良いってワケ?」

昨日のチャットでも既にあらかたの事情は説明はしていたのだけれども。
部室に来て貰った桐乃と秋美に私は改めて一通りの手順を詳しく伝えた。

「ええ、なにか不具合や不自然な挙動とか、気がついたことがあったら
  すぐにこの掲示板に書き込んでおいて欲しいの。
  こちらで担当者にすぐに割り振って確認してもらうから」
「ふーん、どんなことでもいいのかな?これじゃ難しすぎるよー、とかは?」
「難易度要請に関しての修正は、不具合修正に対して優先的には
  かなり後回しになってしまうけれど。勿論後々の参考にはさせて貰うわ」

手順の説明をしていたときには、部室内の様子を興味深げに
見回していた秋美も、どうやら話はしっかり聞いていてくれたようだった。

「あたしは自分の部活が終わってからこっちにくることになるから
  学校ではあんまり出来ないケド。家のPCからやってもいいんでしょ?」
「バグトラッキングのサーバーは、パスワードで
  外部からでもアクセスできるようになっているから大丈夫よ」
「ま、あたしは夏休みに他にやる事もないし
  一日中でもここに来てやっていてもいいけどねー
  他にも面白そうなゲームや漫画とかも沢山あるみたいだし」
「それは心強いけれど、私達の手伝いをすることになるのだから
  あなたたちにも1日の活動時間の制限を課せられる事になるわ。
  秋美も1日中というわけにはいかないからその点は気をつけて」
「ああ、その辺は心配しなくても大丈夫大丈夫。
  五更ちゃんと違って、そもそもあたしの集中力がそんなに続くわけないって」

どうしてあなたはそんな情けない事を自信満々で言えるのかしらね……
まあ色々なゲームを浅く広くプレイしている秋美の協力は
今回のバグチェックの人材として欠かせない所でもある。
根を詰めて無理をしたりしない分、むしろ適任でもあるのかもしれないわね。

「あたしはインターハイも目の前だしそこまで時間はかけられないけど
  その分は家で京介にもやらせておくから安心して」
「……まあ、先輩も骨折が治ったばかりだし、大学はもう夏休みでも
  外で遊び回ったり出来ないでしょうしね。私からも後でお願いしておくわ」
「まー瑠璃が直接言った方があいつもやる気出すかもだしねー。
  怪我してた間、いつも以上に家でぼーってしててウザかったけど
  あたし達の手伝いできるんなら久しぶりに一生懸命になれるんじゃん?」

桐乃はもううんざり、といった態度でそんな事を言っていたけれど。
ふふっ、私の『対素直になれない妹翻訳装置』を持ってすれば
あなたの本心などお見通しではあるのだけれどもね?

「ひとまず今日からこの二人には、バグチェックのために
  部室に来てもらうことになるわ。後、ここには直接はこれないけれど
  他にも私の友達や知り合い何人かにもテストプレイして貰うけれど
  大丈夫かしら、部長?」
「おう、その辺りは打ち合わせどおり、五更が良い様に進めてくれ。
  バグ報告の方は俺と山上で、可能な限り早いうちに確認出来るように
  しておくから遠慮なくいつでも書き込んでくれてかまわないぜ。
  正直、部外者にここまでしてもらって申し訳ないが……どうか宜しく頼む」
「「いえ、こちらこそ、よろしくお願いします」」

深々と頭を下げた部長に対して、桐乃と秋美も揃って応じていた。

私の『謀略』を受け入れてくれたコン部の皆、私の要請に
快く応えてくれた桐乃と秋美、そしてオタクっ娘のメンバーにも
声をかけてくれている沙織にも、私こそ頭が下がる思いだったわ。

そう、私の『謀略』とは、種を明かせばなんのことはない。
コン部のメンバーだけでは人手が足りないというのならば
それ以外の人たちに協力を要請する、というものだった。

ただ、それは『創造者』としては甚く矜持を傷つけるものでもある。
自らの想いを形にするために、他の人の力を借りてしまうようでは
己の力の無さをより鮮明に明らかにするようなものなのだから。

きっと私一人でこの『創作』をしているのなら
私自身がこの『謀略』に乗る事などない、と言い切れるものね。

でも、これは私だけではない、皆の力をあわせた『創作』なのだから。
互いの力を束ねることで独りでは決して成し得ない高みを目指す事も
その過程においても掛け替えのない充実感を得る事もできる。
それならばむしろ関係者は多いほうがいいでしょう?

それに自身の執心に拠って周囲を見失う事は二度とすまい。
今までの人生において、何より昨年のコン部の活動を通して
私は自分にそう誓ったのだもの、ね。

幸い、コン部のメンバーのほとんどは
私が思っていたよりもすんなり私の提案を受け入れてくれた。
さすがに部長と副部長は部外者にバグチェックとはいえ
作業をさせる事に暫し考えこんでいたけれども。
コン部の部員としての制約を徹底する事と、表明者には
部長自らが確認を取ることを条件に最後には認めてくれたわ。

部の了承が得られた後、私は早速夜のチャットやメールで
桐乃や沙織、秋美たちに協力してくれないかと頼み込んだ。
それこそ文字通りに『女王』自らが三跪九叩頭の礼を尽くして。

『へぇー、瑠璃にしてはやけに素直じゃん?
  昨年はあんなに『あなたたちの力は借りないわ』とか強がってたのにねー
  まあ、そこまでいうなら手伝ってあげない事もないケド』
『そういうことでしたら私に任せてください、黒猫さん。
  私は勿論、オタクッ娘のメンバーの中にもアクションゲームを
  お好きな方も何名かいた筈ですから私の方から話を振ってみます。
  それに、姉さんならきっと喜んで手伝ってくれますわ』
『ん~いいよ、期末テストも終わってヒマだしねー。
  でもその代わり、今度あたしが高坂にアタックするときには
  五更ちゃんにも協力してもらうからね!』

ある程度は予想していたとはいえ、改めてこうも快く応えてくれると
この私の『闇の心』にも込み上げてくるものがあったわ。
秋美に言われるまでも無く、この埋め合わせは必ずさせて貰うのだから
精々『夜魔の女王』の応報を楽しみにしていなさいな。

なんにせよ、これでバグチェック専用の人員を確保できたことで
コン部のメンバーでのチェック時間を大幅に削減することが出来る。
特に実際に製作者だからこそ、つい見落としがちな不具合や
思ってもみない操作をしてくれる事はとてもありがたいことだから。

それにチェックを通してゲームそのものに慣れてきてくれれば
今度は調整部分でも有益な情報を得ることができるものね。
それも作成作業と平行してできるのだから、スクラップアンドビルドを
早めに実行に移せるメリットもある。

これで打てる手は全て打ったわ。後は夏コミ版のマスターアップとなる
残り半月余りの間、私達の持てる力の全てを使って制作に打ち込むだけ。
もっともそれとて残り時間を考えれば簡単なことではないでしょうけれども。

でも、どこか心が軽くなるのを実感している自分もいる。
ふふっ、結局私は慣れない『調停者』として立ちまわっているよりも
一人の『創造者』として、『創作物』と正面から向き合い
己の想いを具現化させることが一番あっているのかもしれないわね。



    *    *    *



夏休みに入ってからも、私達コン部のメンバーは
ほとんど毎日学校の部室にやってきては制作作業に没頭した。

私達3年生は夏期講習なんかも勿論あったし、夏休み中の学校行事や
受験勉強、そして休みの日でも適用されるコン部の活動時間制限を
守りながらも着実に完成に近づけていった。

バグチェックに協力してくれたメンバーも、最初こそ勝手がつかめず
その対応に私や部長が追われているときも多かったけれども。
ずっとコン部に直接詰めてくれていた桐乃と秋美が
いち早くノウハウを掴むと、率先して他のメンバーのフォローに
回ってくれたおかげで、すぐに私達は自身の作業に専念できるようになった。

さらに、沙織の話を聞いた香織さんや、どこからか話を聞きつけた
三浦さんまでもチェックに協力してくれたのも大きな力になってくれたわ。

『君にはあの時の借りを返さないといけないからな。
  まあ見ていたまえ。君の代わりに最高難易度ではどんなゲーマーでも
  唸らざるをえないくらいに調整してみせるから安心して任せるがいい』
『にしても、五更。そっちの学校でもお前らしく頑張ってて安心したぜ。
  あんときゃ引越しちまったのが残念だったが、今だってこうやって
  いつでも一緒にゲーム作れる機会もあるってことだよな。
  ま、そのうち俺の作ってるゲームの方も手伝ってくれよ』

世界トップのプロゲーマーの香織さんのこれ以上にないゲームセンスと
大学でプロとしてのゲーム制作を目指して日夜励んでいる三浦さんの
確かな指摘のおかげで、こちらの想定以上のペースで、ゲーム部分の
調整と仕上げを行うことができたものね。

そのうちに賀川君も病気が完治して作業に復帰してくれたので
私も本来の自分の作業に戻ることもできたわ。とはいえ、他のメンバーに
割り振った作業は問題がなければそのままお任せすることにしたのだけれど。

『ボスの地形隆起攻撃のヒットデータはまだ入ってないのか?』
『仮なら今日中に入れるよ。吹き飛び処理がまだだけど調整しておいて』
『エネミー03のAIはこれでひとまず仕様は十分だろ?』
『いや、『fairy』から改善案が沢山きてるぞ。一通り確認しておいてくれ』
『ここの背景物、これだけじゃ寂しいだろう。
  前のステージの建造物でも手を加えて入れられないか?』
『メニューの遷移が回りくどい上にバグ報告もあったぞ。
  俺がチャート組んだからシーケンス修正よろしく!』
『おい、これランク・ヘルだと絶対クリアできる
  気がしないんだが、こんな難易度で大丈夫か?』

だって、もう私の手を離れても十分に作業が進んでいるものね。
おかげでデモシーンとストーリー演出に注力できた私は
思う存分に自らの『創世の衝動』を叩き付ける事が出来たわ。

闇の宿世から『シュバルツリッター』となって唯一人戦い続けていた少女が
本来敵である光の使徒と友人となり、戦いの中で志を同じくする仲間を得る。
その暖かさに戸惑い、時に支えられながら、次第に少女の凍てつき
閉ざされていた心が解放され、運命と対峙し生きる意味を見出していく。

そんな紋切り型のありきたりなストーリーではあるけれど。
それこそが今の私がもっとも表現したい『物語』なのだものね。

私は普段の『創作』通りに主人公の少女と自らを『同調』させ
自らの心の赴くままに彼女の辿る『運命』を紡ぎだしては
それをデモシーンのスクリプトに変換して打ち込んでいったわ。



    *    *    *



そうして、夏コミまで後2週間となった日のお昼過ぎ。

「よし、じゃあみんなチェックを終了してくれ!お疲れ様!!」
「「「「「お疲れ様です!!!」」」」」

部長の高らかな宣言に合わせて、コン部の全員が歓声を上げた。
そのまま互いの奮闘を称え、労いの言葉を掛け合っていく。

今日は朝早くからコン部のメンバー全員で部室に集まって
皆でマスターアップに向けて『シュバルツリッター』の
最終確認をしていたのだけど。

今まで部室を満たしていた、物音一つ許さぬ程の張り詰めていた空気が
そこで一気に解放されて、誰もが自然と頬が緩むのを抑えられなかったわ。

「これで『シュバルツリッター夏コミVer』のマスターアップとする!
  後は俺と副部長で入稿作業をしておくから、みんなこの場は解散して
  今日くらいはゆっくり休んでくれ!以上!!」

普段から楽しげに部活動に打ち込んでいる部長は勿論の事、
泰然自若で通っている副部長にしても物珍しくにこやかな表情で
部長の言葉に頷いていたくらいに。

それは勿論他の部員も同じ事。マスターアップの達成感と充実感。
さらにずっと根を詰めてきた疲労感と、最終チェックの緊張感と
開放感も綯い交ぜになって、皆抑えきれない高揚を胸に喜び合い、
そして笑い合っていたわ。

ふふっ、本当、この瞬間はいつ迎えても悪いものではないわね。
まだまだ道半ば、といえども、それに向けての確かな手応えと
一時でも憩いを感じさせてくれるもの。

それに苦楽を共にした『闇の朋友』たちが喜び合う姿を見るのも
『夜魔の女王』として誇らしい事であるものね。

「お疲れ様です!く、いえ五更先輩!」
「お疲れ様、小川君。あなたもよく頑張ってくれたわね」

しばしそんな感慨に耽っていた私にユウが声をかけてきた。
結局ユウと北條君にまかせきりになってしまった
『フルングニル』作成は私の期待以上のものを仕上げてくれた。
それはあの『fairy』をして『見事』と言わしめたくらいにね。

「いえ、そんな……それに頑張った、というなら
  五更先輩のほうが大変だったじゃないですか。
  結局お一人でボスステージとギミックのほとんどを作って
  デモシーンまでしっかり間に合わせたんですから」
「ふっ、久しぶりに『創造主』としての我が能力を
  限定的にとはいえ全力で解放させてもらったわ。
  おかげで私の思惟を思う存分に昇華することができたのだから
  その歓びこそあれ、何も大変などと思うことなどなかったわね」

私は得意げに胸を張ると、鷹揚にユウに応えていた。

え?そんな強がりばかりか無いものを強調なんてするな、ですって?
どうやらあなたは決して触れてはならない『聖域』を侵してしまったようね。
二度とそんな不遜な言葉を口にできない様に、私が『真言封じ』で
縫い付けてあげるからそこに黙ってお坐りなさいな。

……まあ確かに。部活の後輩に対して、先輩としては
ちょっとした見得が入っているのも否めないところではあるわね。

昨年の新学期、ユウと一緒にこの部活に入部した時には
いつものように新たな場所の人間関係に頭を悩ませた私だったけれど。

私以上に引っ込み思案で人見知りなユウの面倒を
オタクっ娘のよしみで何かと見ているうちに、いつの間にか私自身が
自然と部内に溶け込んでいたりもしたのよね。

だからユウに対しては、私の柄にもなく
つい先輩たらんと必要以上に気構えてしまうことも多いけれども。
そのことに常々感謝したいとも思っている。

それにまあ、創作に対する生みの苦しみの中でも
それ以上の創造する愉しみを味わっていたのには間違いがないのだから
まるきり強がりばかりでもないのも本当よ?

「そうですね。先輩、とても嬉しそうに作業していましたよね。
  どんな大変なときでもいつも微笑んでいる感じでしたし
  コン部のメンバーとのやり取りでも、笑顔が多かったと思います」
「そ、そう?自分ではそんな能天気にしているつもりはなかったのだけれど」
「はい、おかげで修羅場でもみんな先輩の笑顔に助けられたと思いますよ」
「そう、それはきっと本当に楽しかったから……かしらね。
  一人では堪え続けるだけの苦しみも、皆で分かち合えれば
  こんなにも心躍るものになるなんて。本当、不思議なものよね」

3年前に気付かされて。2年前にそれを実践することになって。
1年前には自ら率先して動いて。そして今年は一丸となって目指した。

いまや『闇の宿命』に囚われたこの身にさえ確かなものとなっているけれど。
改めて思えば、そんな運命を辿れた事がとても不思議で。
そして何よりもそれを気付かせ、共に歩んでくれた人に感謝したいものだわ。

「あ、でも先輩の笑顔をちょくちょく見るようになったのは
  つい最近のことでもなくて、先々月くらいのことからでしたけど」

ユウは何かを考え込むように俯むいて、そこで一旦言葉を切った。
そして勢いよく顔を上げると、私の瞳を正面から見据えてから続ける。

「あの時、なにかいいことでもあったんですか、五更先輩?」

その予想外の指摘に、私は言われるままに先々月の出来事を思い出す。
そして確かに身に覚えがあったことに、思わずユウの顔を
まじまじと見返してしまったけれど。

普段通りの大人しそうな面差しのユウなのに、眼鏡の奥に
見える瞳だけは彼に似合わずとても真剣に見えたものだったから。

私も意を決すると、驚きで波立った心を沈めるように静かに答えを紡ぎ出した。
彼のその気持ちに応えるために、私自身の素直な心を見つめ直して。

「……そうね。一言で言えば迷いが晴れた、というところかしらね。
  私がずっと悩み続けてきた答えがようやく見付かったから。
  だからこれからどんな試練が待ち受けても、私は笑って乗り越えて見せる。
  自分の理想を目指すために、決して歩みを止める事などないわ。そう」

私の本当の心を改めて自覚すると、胸の奥から止め処なく
湧き上ってくる想いが自然と私の顔を綻ばせていた。

「それは今回のように、ね」

しばらくそんな私の顔を黙って見返していたユウだったけれど。

「そうですか。それはなによりでした。
  では今度は学祭版の完成を目指して頑張りましょうね」
「ええ、そうね。今度はこれから1ヶ月半でステージを1つ追加して
  納得の行くまでの作り込みをしないといけないものね。
  でも、小川君、今日くらいはゆっくりと休んで頂戴」
「はい、ではお先に失礼します、先輩」

彼らしい、いつもの柔らかな微笑みと眼差しに戻ったユウは
北條君に声をかけると一緒に部室から出て行った。

「そういうお前も今日くらいは休んでくれよ、五更」
「判っているわ。私達の戦いはこれからだ、ものね。
  戦士にとって大切なことは必要なときに身体を休めることよ。
  今日は家に帰って精々のんびりさせてもらうわ」
「そう言いながら家で作業を始めないでくださいよ。
  あなたは只でさえ作業制限時間ぎりぎりなんですから」

それも気をつけるわ、と部長たちに応えてから
私も通学用のカバンを手に取ると部室を後にした。
心の中ではこれから入稿作業に取り掛かる二人に感謝の言葉を送りながら。


帰宅の道すがら、私は先ほどのユウとのやり取りを思い出していた。

自分でもまったく意識はしていなかったのだけれども。
私はそんなに笑うようになっていたのかしら、ね?

思わず自分の頬や口元に両手を当てて確かめてみたけれど。
我が手に触れるのは確かに毎日鏡で見慣れている自分の顔に違いはなく。
勿論、普段から口元が弛んでいるわけではなくて、私の心の在り様が
あの時から変わってきているということなのでしょうけれども。

改めてそれを自覚すると、なんとも言い難い恥ずかしさが
込み上げてきて、顔が熱くなるのが抑えられなかった。
ここが自分の部屋だったのなら、それこそ愛用の
クッションを抱えてその場を転がりまわりたいくらいに。

まったくこの気高き『夜魔の女王』たる私が、なんて為体かしらね……

それでも、不思議とそんな自分の変化が悪い気はしていなかった。

だって、それは私の目指す『真の理想の世界』へと至るために
歩み続けた一つの成果なのだから。自らの無力を思い知ってなお
それ故に支え助けあいながら前に進んで得たものなのだから。

だから今の私はそれに誇らしささえ感じることができるもの。

そしていつか。闇の運命を皆と乗り越えて暖かな未来を掴んで見せるわ。

つい先日、描き上げたばかりの夏コミ版のエンディングで
『シュバルツリッター』の少女が漸く浮かべることが出来た微笑みのように。

まあ、彼女がこれから辿る運命は直に私たちの手から離れて
来年のユウたちの手に委ねられるのだけれども。

とはいえ、それも何も心配はいらないのでしょうけど、ね?

さて、家に帰ったら先ずは協力してくれた皆にお礼を言わないといけないわ。
それから部活の作業で手一杯でずっと簡単な献立で済ませてしまっていたから
たまには夕飯を奮発してあの子たちを喜ばせてあげようかしら。

本来『闇の者』として天敵であるはずの眩い夏の真昼の陽射しの下を
私はそんなことを考えながら、足取りも軽く帰路を急ぐのだった。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

記事メニュー
目安箱バナー