『タイトルコール』
チッチッチッチ……
チッチッチッチ……
時計だけが静寂を拒絶している。
なんだろうね、この緊張感。
リビングには俺と桐乃、そして親父とお袋がいた。
チッチッチッチ……
チッチッチッチ……
二杯目のお茶を飲み干した頃、
ピンポーン……ピンポーン……
「あ、俺が出るよ」
来客の知らせに席を立ち、玄関へ。
「いらっしゃい。待ってたぜ」
「……お邪魔します」
彼女は黒猫。
ショート丈の黒いコートを脱ぐと、スノーホワイトのセーターの胸元に銀のロザリオが揺れている。
「それ、あの時の?」
「……うん。貴方がくれたものだから……」
これは、彼女の本が初めて完売したあの日……黒猫の小さな願いが一つ叶った日に俺が彼女に買ったものだ。
願掛けの様なものだろうか? 大丈夫、きっと上手くいくさ。
「やっぱいいな、それ。よく似合ってる」
「……有難う」
ロザリオに軽く手を触れ、はにかむ黒猫。
うん、可愛い。
だがずっとこうしてても始まらない。
「さ、あがってくれ」
「……お邪魔します」
俺は黒猫を連れてリビングに戻った。
今日は俺の彼女を両親に紹介するという、大切な日なんだ。
・
・
・
「彼女は五更瑠璃。うちの高校の元後輩で、部活の仲間で桐乃の友達だ。
何度もうちに遊びに来てるから初めてじゃないだろうけど、
俺たち、その……色々あったけど、ちゃんと付き合うことになったんで、改めて挨拶に来てもらったんだ」
「……五更瑠璃です。
いつも京介さんと桐乃さんには大変お世話になっております。よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げる黒猫。
だが親父とお袋は真っ青な顔で固まっていた。
息子の彼女ってのもそんなにショックなものかね?
さすがにおかしいと思って声をかけた。
「どうしたんだ? 親父。顔色悪いぞ?」
すると親父は震える声で答えた。
「五更……瑠璃さんと言ったね。君のお母さんの名前はひょっとして千夜子さんといわないかね?」
「はい、そうですが……?」
「やはり、そうか……」
ふう……と大きく溜息をつき親父は言った。
「すまないが、俺はお前達の交際に賛成する事はできん」
黒猫は服の裾をギュッと握ったまま俯いてしまった。
桐乃も思わぬ展開にどうしたらいいのか分からないようだ。
「な?! なんでだよ親父! そりゃあ受験を控えたこの時期にふざけるなってのはあるかもしれないけど、
よく知りもしないでいきなり反対はないだろ? どういう事なのか説明してくれよ!」
「……お前達が悪いわけではない。すべては俺の罪だ」
だからそれがなんなんだよ!
イラつく俺に親父が口を開いた。
「京介。お前と瑠璃さんは……兄妹かもしれん」
「……は?」
血が上っていた頭が真っ白になる。
「な、何言ってんだよ親父。馬鹿も休み休み……」
「昔、京介が産まれて暫くたった頃だったか……俺は過ちを犯した。
所謂浮気というヤツだ。その相手が……千夜子さんだった。
全て母さんにバレて俺達は別れ、その後千夜子さんは結婚したと風の噂で聞いた。
そのお相手が五更……珍しい名前なので記憶に残っている。
時期を考えると瑠璃さんは俺の娘の可能性が……」
「ふざけるなよ親父! そんな馬鹿な事があってたまるかよ!
だいたいお袋だって今迄に何度も会ってるのに気付かないわけねえだろ!」
「ご免なさい。黒猫さんがまさか千夜子さんの娘さんだなんて思わなかったのよ。
……言われてみれば確かに彼女の面影があるわね」
そう言うお袋も辛そうに視線を逸らす。
桐乃は黒猫の隣りに移り、ガタガタと震える彼女の肩を支えている。
ちょっとまてよ。なんだよそれ。
俺が今まで黒猫に魅かれていたのは、唯の拗らせたシスコンだったとでも言うのか?
ありえねえ! そんなの絶対認めねえ!
「親父達の過去に何があったかなんて知った事かよ!
俺達は何も間違った事なんてしてねえんだ。
それにもし、それが事実だったとしても戸籍上は五更の娘だろ?
だったら法的にだって問題ないじゃねえか!」
「……それはダメよ」
遮ったのは黒猫だった。
「……私は、私達は、もう過去を知ってしまった。
例え法には触れなくても……私達と、家族の感情は、今迄と同じ様にはいかないわ」
「ならお前は納得できるのか? 明日からただの先輩後輩に戻れるっていうのか?」
「それ……は……」
「そうだよ……好きになったのがたまたま兄だっただけじゃない!
全ては俺の罪だなんて言っておいて、それならなんで子供が罰を受けなきゃいけないの?
そんなのって……ないじゃない……」
黒猫も、親父を睨みつけている桐乃も泣いていた。
ごめんな。こんなはずじゃなかったのに。
黒猫の涙と、親父への怒りと、どうしようもない自分の不甲斐なさと、
いろんな気持ちがぐちゃぐちゃになって頭がおかしくなりそうだった。
「……こうなった以上、俺達だけで済む話ではなくなったな。
桐乃。済まないが彼女の親御さんと話がしたい。番号を教えてくれないか」
親父とお袋は、桐乃から受け取ったメモを手にリビングを出て行った。
静まり返るリビングで、むせび泣く二人の妹に俺は声をかける事ができなかった。
やがて、小さく溜息をついた黒猫は、
「……フフッ、皮肉なものね。
散々シスコンだ、ブラコンだと揶揄した結果がこれなんて……」
自嘲するような泣き笑いで言った。
「……兄さんなんて、呼ばなければよかった……
……告白なんて、しなければよかった……
…………貴方を好きになんて……ならなければよかっ……」
「それは違う!」
言わせるかよ!
「俺達が魅かれ合ったのは血が繋がっているからじゃねえ! 心が、気持ちが繋がったからだろ?
今更兄妹だなんて言われて、はいそうですかなんて、
簡単に納得出来るほど半端な気持ちで惚れちゃいねえよ!」
「……なら教えて頂戴。私達は……どうすればいいの?」
答えられるはずもなく、唇を噛んだ俺の耳に、
時計の音がヤケに煩かった。
・
・
・
「……大介さん、奥様、ご無沙汰しております」
我が家を訪れ、深々とお辞儀をしたのは黒猫の母、千夜子さんだ。
親父に促されて席に着いた千夜子さんは、俺達を見廻して言った。
「大凡の話は電話で伺いました。……それにしても貴女が好きになった人が
まさか大介さんの息子さんだったなんて……なんの因果かしらね……」
「お母さん……」
「それで、あの……」
親父との関係を知り、言い淀んでいると、
「……そうね。瑠璃の父親が誰か、という話だったわね」
「はい」
頷く俺達。
「単刀直入に言うわね。……瑠璃。貴女の父親は……大介さんではないわ。今のお父さんよ」
「……本当に?」
「ええ。貴女を産んだ私が言うのだから、間違い無いわ」
「やったー!」
「……よかった」
俺と桐乃の間で揉みくちゃにされながら、安堵する黒猫。だが……
「でも、貴方は納得していないようね、大介さん」
「……ああ。その通りだ」
「……本当は血縁があるのではないか? 確たる証拠が無い事を利用し、
娘の倖せを願って偽証しているのではないか? ……といったところかしら?」
「申し訳ないが肉親の証言だけでは弱い……警察官の悪い癖だな」
「……そうね、無理もないわ。頑固だとは思うけれど。
それならば貴方も納得せざるを得ない証拠が必要ね……」
しばし眼を閉じて黙考した千夜子さんは親父に言った。
「……大介さん。貴方のお知り合いにDNA鑑定のできる方はいないのかしら?」
・
・
・
親父がどこかに連絡し、五更の両親と黒猫、そして親父からサンプルを採取してから数日後、
俺達は今、検査結果を待っている。
ちなみに日向ちゃんと珠希ちゃんはお留守番だ。
確かに子供には聞かせたくない話だよな。
コンコン、カチャ
「いやあ、お待たせしたのう」
「先輩、この度はご無理を言って申し訳ありませんでした」
立ち上がり頭を下げる親父に倣って俺達もお辞儀をする。
この爺さんは親父が昔世話になった人らしい。
「ああ大介よ、頭をあげなさい。皆さんも楽になさって下さい」
席に着いて爺さんの言葉を待つ。
「此度の依頼はこちら、五更瑠璃さんの親子関係を確認したい、という事でしたな。
瑠璃さんとご両親、そして大介から採取したDNAサンプルを用いて鑑定した結果がこちらです」
封筒から取り出した書類を俺達に示した。
「結論から申しましょうかの。
瑠璃さんの血縁は99.99%の確率で……五更夫妻です。大介とは赤の他人じゃな」
「ほ、本当ですね?」
「ああ、間違いないですぞ」
「よっしゃあ!」
思わず黒猫を抱きしめていた。
「ちょっ……皆が見てるじゃない……」
真っ赤になってちょっと苦しそうな黒猫。
「構うもんか! これで証明されたんだ。
もう俺達が遠慮する事なんて何も無いんだよ!」
だが彼女は俺の腕からそっと逃れ、
「……いいえ、まだよ」
「……え?」
彼女はお袋の前まで歩み寄って言った。
「……私と京介さんが兄妹ではない事は証明されました。
ですが……私が千夜子の娘である事に変わりはありません。
それでもどうか……私達の交際を御許し下さい」
深々と頭を下げる彼女の横で、俺も慌てて頭を下げる。
「お袋、お願いだ。俺達の事を認めてくれ。この通りだ」
俺は馬鹿だ。
お袋からすれば、旦那の浮気相手の娘が今度は息子に言い寄って来たようなものじゃねえか。
内心、穏やかであるはずがない。
複雑な表情でずっと考え込んでいたお袋は、やがてポツリポツリと語り始めた。
「……桐乃がね、たまに電話で喧嘩しているの。汚い言葉で、大声で。
それなのに話が終わると妙にスッキリした顔で、なんだか楽しそうなのよ。
その電話の相手が瑠璃さん、きっと貴女だったのね……
あんな態度は学校や仕事の友達といる時には絶対にしないわ。もちろん私達両親の前でもね。
本音をぶつけて喧嘩になっても、絶対壊れないと無意識に信じている……甘えているのかもしれないけど。
そんな相手はあたしの知る限り、京介の他には瑠璃さん。貴女だけなのよ。
だからきっと……貴女はとてもいい娘なのね。恐らく京介には勿体ないくらいに」
そこで言葉を切り、深く溜息をついた。
「頭では分っているのよ。ただ……心がね、気持ちの整理がまだつかないの。
だから、わたしの答えは保留にしてもらえないかしら。
もう少し時間を貰えればきっと……貴方達を心から祝福できると思うのよ」
「……はい。有難う御座います」
今はこれでいい。
あとは二人を認めて貰えるように俺達が努力すればいい。
俺達は再び頭を下げた。
「ふむ。どうやら一件落着のようじゃな。
……ところで大介よ。ワシは最近歳のせいか物忘れが激しくなってのう。
特に深酒をすると綺麗さっぱり記憶が無くなってしまうのじゃが……どうじゃ?」
「はい。ぜひご馳走させて下さい」
「いやあ、催促しちまったみたいで、悪いね」
爺さんはカッカッカと笑いながら親父の背中を叩いていた。
何も聞かなかった、知らなかった事にしてくれるのか。いい人だな。
「奥さんもどうだい? ご一緒に」
「……そうですね。幸いここにお父さんのお小遣いがタップリありますから」
ちょっと可哀そうな気もするが自業自得だな、親父。
「……京介。これを」
お袋から渡されたのは小さな財布だった。
「……えっと、これは?」
「今回、一番辛い思いをしたのは瑠璃さんなのよ。
だから彼女のことは京介にお願いするわ……優しくしてあげなさい。
それはお父さんのお小遣いの一部だから遠慮はいらないわよ」
「ああ、解った」
「それと……もしあんたがお父さんみたいな事をしたら……あたしがブチ殺すわよ。あんたを」
「あ、ああ。解った」
「さあ、桐乃。あんたも行くわよ」
「ええ?! あたしも?」
「あんたねえ……空気読みなさい」
ううっ……と俺達とお袋達を交互に見比べて悩んでいた桐乃は、
「きょ、今日は特別なんだからね!」
「……ええ。有り難う」
お袋達の方へ駆けて行った。
「……お父さんはね、全てを知っていたの。
それでも私を支えてくれた……愛してくれたの。そして授かったのが貴女よ、瑠璃」
「お母さん……」
いつの間にか黒猫のご両親が近くにいた。
「……瑠璃。京介さん。
私の所為で二人には大変な迷惑をかけたわね……御免なさい」
「……ううん、いいの。私は……私達はもう大丈夫だから……」
「そうですよ頭を上げてください」
「有り難う…………京介さん」
「はい」
「こんな莫迦な母の子で、とても不器用な娘ですが……どうか、瑠璃を宜しくお願いします」
「……はい!」
・
・
・
二人で街を歩いている。
信じられるか? 俺達、手を繋いでるんだぜ?
大きな壁を越えたからだろうか。
今まで出来なかった事が、ごく自然に出来るようになった。
左手の温もりに倖せをかみしめながら、頭ではデートコースを考えてたりするんだけどね。
まず食事にしようかな。
そうだ、こいつ魚好きだったよな。なら寿司、寿司にしようか。それも回らないヤツ。
幸い軍資金ならタップリあるし、特別な日なんだし……そのくらい、いいよね?
黒猫がくすりと笑った。やべ、見透かされた?
「ど、どうしたんだ?」
「いえ……思い出してしまって。私達が兄妹だなんて莫迦な話もあったものね」
「そうだな……確かに親父達の事には驚いたぜ。
まあ、俺達が兄妹だなんて話は全然信じちゃいなかったがな」
「……あら? それにしてはかなり動揺していた様に見えたけれど?」
「そりゃあ、いきなりあんな話になれば焦るけどよ、
冷静になって考えれば、有り得ない事だってすぐ解るさ」
「そう……参考までに、理由を教えてもらえないかしら」
そう言って俺を見つめる、君の瞳が眩しくて、
「簡単な事さ。あの日、俺達が出会って、
……俺達の物語が始まった時から、解りきってた結末だったんだ」
「……そう」
傍で微笑む、君の笑顔が嬉しくて、
だから俺は、瑠璃の肩をそっと抱き寄せてこう言ったのさ。
「俺の妹が、こんなに可愛いわけがない」
ってな。
チッチッチッチ……
チッチッチッチ……
時計だけが静寂を拒絶している。
なんだろうね、この緊張感。
リビングには俺と桐乃、そして親父とお袋がいた。
チッチッチッチ……
チッチッチッチ……
二杯目のお茶を飲み干した頃、
ピンポーン……ピンポーン……
「あ、俺が出るよ」
来客の知らせに席を立ち、玄関へ。
「いらっしゃい。待ってたぜ」
「……お邪魔します」
彼女は黒猫。
ショート丈の黒いコートを脱ぐと、スノーホワイトのセーターの胸元に銀のロザリオが揺れている。
「それ、あの時の?」
「……うん。貴方がくれたものだから……」
これは、彼女の本が初めて完売したあの日……黒猫の小さな願いが一つ叶った日に俺が彼女に買ったものだ。
願掛けの様なものだろうか? 大丈夫、きっと上手くいくさ。
「やっぱいいな、それ。よく似合ってる」
「……有難う」
ロザリオに軽く手を触れ、はにかむ黒猫。
うん、可愛い。
だがずっとこうしてても始まらない。
「さ、あがってくれ」
「……お邪魔します」
俺は黒猫を連れてリビングに戻った。
今日は俺の彼女を両親に紹介するという、大切な日なんだ。
・
・
・
「彼女は五更瑠璃。うちの高校の元後輩で、部活の仲間で桐乃の友達だ。
何度もうちに遊びに来てるから初めてじゃないだろうけど、
俺たち、その……色々あったけど、ちゃんと付き合うことになったんで、改めて挨拶に来てもらったんだ」
「……五更瑠璃です。
いつも京介さんと桐乃さんには大変お世話になっております。よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げる黒猫。
だが親父とお袋は真っ青な顔で固まっていた。
息子の彼女ってのもそんなにショックなものかね?
さすがにおかしいと思って声をかけた。
「どうしたんだ? 親父。顔色悪いぞ?」
すると親父は震える声で答えた。
「五更……瑠璃さんと言ったね。君のお母さんの名前はひょっとして千夜子さんといわないかね?」
「はい、そうですが……?」
「やはり、そうか……」
ふう……と大きく溜息をつき親父は言った。
「すまないが、俺はお前達の交際に賛成する事はできん」
黒猫は服の裾をギュッと握ったまま俯いてしまった。
桐乃も思わぬ展開にどうしたらいいのか分からないようだ。
「な?! なんでだよ親父! そりゃあ受験を控えたこの時期にふざけるなってのはあるかもしれないけど、
よく知りもしないでいきなり反対はないだろ? どういう事なのか説明してくれよ!」
「……お前達が悪いわけではない。すべては俺の罪だ」
だからそれがなんなんだよ!
イラつく俺に親父が口を開いた。
「京介。お前と瑠璃さんは……兄妹かもしれん」
「……は?」
血が上っていた頭が真っ白になる。
「な、何言ってんだよ親父。馬鹿も休み休み……」
「昔、京介が産まれて暫くたった頃だったか……俺は過ちを犯した。
所謂浮気というヤツだ。その相手が……千夜子さんだった。
全て母さんにバレて俺達は別れ、その後千夜子さんは結婚したと風の噂で聞いた。
そのお相手が五更……珍しい名前なので記憶に残っている。
時期を考えると瑠璃さんは俺の娘の可能性が……」
「ふざけるなよ親父! そんな馬鹿な事があってたまるかよ!
だいたいお袋だって今迄に何度も会ってるのに気付かないわけねえだろ!」
「ご免なさい。黒猫さんがまさか千夜子さんの娘さんだなんて思わなかったのよ。
……言われてみれば確かに彼女の面影があるわね」
そう言うお袋も辛そうに視線を逸らす。
桐乃は黒猫の隣りに移り、ガタガタと震える彼女の肩を支えている。
ちょっとまてよ。なんだよそれ。
俺が今まで黒猫に魅かれていたのは、唯の拗らせたシスコンだったとでも言うのか?
ありえねえ! そんなの絶対認めねえ!
「親父達の過去に何があったかなんて知った事かよ!
俺達は何も間違った事なんてしてねえんだ。
それにもし、それが事実だったとしても戸籍上は五更の娘だろ?
だったら法的にだって問題ないじゃねえか!」
「……それはダメよ」
遮ったのは黒猫だった。
「……私は、私達は、もう過去を知ってしまった。
例え法には触れなくても……私達と、家族の感情は、今迄と同じ様にはいかないわ」
「ならお前は納得できるのか? 明日からただの先輩後輩に戻れるっていうのか?」
「それ……は……」
「そうだよ……好きになったのがたまたま兄だっただけじゃない!
全ては俺の罪だなんて言っておいて、それならなんで子供が罰を受けなきゃいけないの?
そんなのって……ないじゃない……」
黒猫も、親父を睨みつけている桐乃も泣いていた。
ごめんな。こんなはずじゃなかったのに。
黒猫の涙と、親父への怒りと、どうしようもない自分の不甲斐なさと、
いろんな気持ちがぐちゃぐちゃになって頭がおかしくなりそうだった。
「……こうなった以上、俺達だけで済む話ではなくなったな。
桐乃。済まないが彼女の親御さんと話がしたい。番号を教えてくれないか」
親父とお袋は、桐乃から受け取ったメモを手にリビングを出て行った。
静まり返るリビングで、むせび泣く二人の妹に俺は声をかける事ができなかった。
やがて、小さく溜息をついた黒猫は、
「……フフッ、皮肉なものね。
散々シスコンだ、ブラコンだと揶揄した結果がこれなんて……」
自嘲するような泣き笑いで言った。
「……兄さんなんて、呼ばなければよかった……
……告白なんて、しなければよかった……
…………貴方を好きになんて……ならなければよかっ……」
「それは違う!」
言わせるかよ!
「俺達が魅かれ合ったのは血が繋がっているからじゃねえ! 心が、気持ちが繋がったからだろ?
今更兄妹だなんて言われて、はいそうですかなんて、
簡単に納得出来るほど半端な気持ちで惚れちゃいねえよ!」
「……なら教えて頂戴。私達は……どうすればいいの?」
答えられるはずもなく、唇を噛んだ俺の耳に、
時計の音がヤケに煩かった。
・
・
・
「……大介さん、奥様、ご無沙汰しております」
我が家を訪れ、深々とお辞儀をしたのは黒猫の母、千夜子さんだ。
親父に促されて席に着いた千夜子さんは、俺達を見廻して言った。
「大凡の話は電話で伺いました。……それにしても貴女が好きになった人が
まさか大介さんの息子さんだったなんて……なんの因果かしらね……」
「お母さん……」
「それで、あの……」
親父との関係を知り、言い淀んでいると、
「……そうね。瑠璃の父親が誰か、という話だったわね」
「はい」
頷く俺達。
「単刀直入に言うわね。……瑠璃。貴女の父親は……大介さんではないわ。今のお父さんよ」
「……本当に?」
「ええ。貴女を産んだ私が言うのだから、間違い無いわ」
「やったー!」
「……よかった」
俺と桐乃の間で揉みくちゃにされながら、安堵する黒猫。だが……
「でも、貴方は納得していないようね、大介さん」
「……ああ。その通りだ」
「……本当は血縁があるのではないか? 確たる証拠が無い事を利用し、
娘の倖せを願って偽証しているのではないか? ……といったところかしら?」
「申し訳ないが肉親の証言だけでは弱い……警察官の悪い癖だな」
「……そうね、無理もないわ。頑固だとは思うけれど。
それならば貴方も納得せざるを得ない証拠が必要ね……」
しばし眼を閉じて黙考した千夜子さんは親父に言った。
「……大介さん。貴方のお知り合いにDNA鑑定のできる方はいないのかしら?」
・
・
・
親父がどこかに連絡し、五更の両親と黒猫、そして親父からサンプルを採取してから数日後、
俺達は今、検査結果を待っている。
ちなみに日向ちゃんと珠希ちゃんはお留守番だ。
確かに子供には聞かせたくない話だよな。
コンコン、カチャ
「いやあ、お待たせしたのう」
「先輩、この度はご無理を言って申し訳ありませんでした」
立ち上がり頭を下げる親父に倣って俺達もお辞儀をする。
この爺さんは親父が昔世話になった人らしい。
「ああ大介よ、頭をあげなさい。皆さんも楽になさって下さい」
席に着いて爺さんの言葉を待つ。
「此度の依頼はこちら、五更瑠璃さんの親子関係を確認したい、という事でしたな。
瑠璃さんとご両親、そして大介から採取したDNAサンプルを用いて鑑定した結果がこちらです」
封筒から取り出した書類を俺達に示した。
「結論から申しましょうかの。
瑠璃さんの血縁は99.99%の確率で……五更夫妻です。大介とは赤の他人じゃな」
「ほ、本当ですね?」
「ああ、間違いないですぞ」
「よっしゃあ!」
思わず黒猫を抱きしめていた。
「ちょっ……皆が見てるじゃない……」
真っ赤になってちょっと苦しそうな黒猫。
「構うもんか! これで証明されたんだ。
もう俺達が遠慮する事なんて何も無いんだよ!」
だが彼女は俺の腕からそっと逃れ、
「……いいえ、まだよ」
「……え?」
彼女はお袋の前まで歩み寄って言った。
「……私と京介さんが兄妹ではない事は証明されました。
ですが……私が千夜子の娘である事に変わりはありません。
それでもどうか……私達の交際を御許し下さい」
深々と頭を下げる彼女の横で、俺も慌てて頭を下げる。
「お袋、お願いだ。俺達の事を認めてくれ。この通りだ」
俺は馬鹿だ。
お袋からすれば、旦那の浮気相手の娘が今度は息子に言い寄って来たようなものじゃねえか。
内心、穏やかであるはずがない。
複雑な表情でずっと考え込んでいたお袋は、やがてポツリポツリと語り始めた。
「……桐乃がね、たまに電話で喧嘩しているの。汚い言葉で、大声で。
それなのに話が終わると妙にスッキリした顔で、なんだか楽しそうなのよ。
その電話の相手が瑠璃さん、きっと貴女だったのね……
あんな態度は学校や仕事の友達といる時には絶対にしないわ。もちろん私達両親の前でもね。
本音をぶつけて喧嘩になっても、絶対壊れないと無意識に信じている……甘えているのかもしれないけど。
そんな相手はあたしの知る限り、京介の他には瑠璃さん。貴女だけなのよ。
だからきっと……貴女はとてもいい娘なのね。恐らく京介には勿体ないくらいに」
そこで言葉を切り、深く溜息をついた。
「頭では分っているのよ。ただ……心がね、気持ちの整理がまだつかないの。
だから、わたしの答えは保留にしてもらえないかしら。
もう少し時間を貰えればきっと……貴方達を心から祝福できると思うのよ」
「……はい。有難う御座います」
今はこれでいい。
あとは二人を認めて貰えるように俺達が努力すればいい。
俺達は再び頭を下げた。
「ふむ。どうやら一件落着のようじゃな。
……ところで大介よ。ワシは最近歳のせいか物忘れが激しくなってのう。
特に深酒をすると綺麗さっぱり記憶が無くなってしまうのじゃが……どうじゃ?」
「はい。ぜひご馳走させて下さい」
「いやあ、催促しちまったみたいで、悪いね」
爺さんはカッカッカと笑いながら親父の背中を叩いていた。
何も聞かなかった、知らなかった事にしてくれるのか。いい人だな。
「奥さんもどうだい? ご一緒に」
「……そうですね。幸いここにお父さんのお小遣いがタップリありますから」
ちょっと可哀そうな気もするが自業自得だな、親父。
「……京介。これを」
お袋から渡されたのは小さな財布だった。
「……えっと、これは?」
「今回、一番辛い思いをしたのは瑠璃さんなのよ。
だから彼女のことは京介にお願いするわ……優しくしてあげなさい。
それはお父さんのお小遣いの一部だから遠慮はいらないわよ」
「ああ、解った」
「それと……もしあんたがお父さんみたいな事をしたら……あたしがブチ殺すわよ。あんたを」
「あ、ああ。解った」
「さあ、桐乃。あんたも行くわよ」
「ええ?! あたしも?」
「あんたねえ……空気読みなさい」
ううっ……と俺達とお袋達を交互に見比べて悩んでいた桐乃は、
「きょ、今日は特別なんだからね!」
「……ええ。有り難う」
お袋達の方へ駆けて行った。
「……お父さんはね、全てを知っていたの。
それでも私を支えてくれた……愛してくれたの。そして授かったのが貴女よ、瑠璃」
「お母さん……」
いつの間にか黒猫のご両親が近くにいた。
「……瑠璃。京介さん。
私の所為で二人には大変な迷惑をかけたわね……御免なさい」
「……ううん、いいの。私は……私達はもう大丈夫だから……」
「そうですよ頭を上げてください」
「有り難う…………京介さん」
「はい」
「こんな莫迦な母の子で、とても不器用な娘ですが……どうか、瑠璃を宜しくお願いします」
「……はい!」
・
・
・
二人で街を歩いている。
信じられるか? 俺達、手を繋いでるんだぜ?
大きな壁を越えたからだろうか。
今まで出来なかった事が、ごく自然に出来るようになった。
左手の温もりに倖せをかみしめながら、頭ではデートコースを考えてたりするんだけどね。
まず食事にしようかな。
そうだ、こいつ魚好きだったよな。なら寿司、寿司にしようか。それも回らないヤツ。
幸い軍資金ならタップリあるし、特別な日なんだし……そのくらい、いいよね?
黒猫がくすりと笑った。やべ、見透かされた?
「ど、どうしたんだ?」
「いえ……思い出してしまって。私達が兄妹だなんて莫迦な話もあったものね」
「そうだな……確かに親父達の事には驚いたぜ。
まあ、俺達が兄妹だなんて話は全然信じちゃいなかったがな」
「……あら? それにしてはかなり動揺していた様に見えたけれど?」
「そりゃあ、いきなりあんな話になれば焦るけどよ、
冷静になって考えれば、有り得ない事だってすぐ解るさ」
「そう……参考までに、理由を教えてもらえないかしら」
そう言って俺を見つめる、君の瞳が眩しくて、
「簡単な事さ。あの日、俺達が出会って、
……俺達の物語が始まった時から、解りきってた結末だったんだ」
「……そう」
傍で微笑む、君の笑顔が嬉しくて、
だから俺は、瑠璃の肩をそっと抱き寄せてこう言ったのさ。
「俺の妹が、こんなに可愛いわけがない」
ってな。