2ch黒猫スレまとめwiki

『春の禊』:(直接投稿)

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集
今日は楽しい雛祭り~

3姉妹の五更家では毎年しっかりと祝っていそうな
雛祭りにちなんだSSを投稿させて頂きました。

この話は俺妹HD家庭派ルートをベースにした拙作

『家庭派アイドルの11月29日』
『聖なる夜に幸いあれ』
『新年の母と娘のガールズトーク』
『With You Forever』

から話が繋がっています。
今回は少々以前の作品の描写も絡めて書いていますので
宜しければ上記のものも合わせてお読み頂ければと思います。

それでは少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。

-------------------------

「下あごに力を入れるな!それじゃあすぐに喉を潰してしまうぞ!!」

今日何度目になるかもわからない怒声が講師から飛ぶ。
今までも何度も注意を受けているのだけれど、いまだに高いキーを
出そうとすると、顎から喉にかけて力が入るのが抑えられない。

そしてその度に『悪鬼講師』から叱責を繰り返し受けてしまっている。

「声量が足りないからそうなるんだ!トレーニング、倍やっておけよ!」

ここのところ毎日続けている複式呼吸のトレーニングだけれど
いまだにコツというものが掴めてこない。何度繰り返しても一向に
声量が増えたように思えず、すぐに息切れしてしまうし高音を出すのに
あごや喉に無理な力がかかってしまっているのよね……

ふっ、そもそもこの仮初の肉体では、私の意のままに
動かすことなど叶わないのだからそれも詮無きことだわ。

なんて言い訳を実際に口に出す事も、仮に口にできたとしても
『悪鬼講師』に通用するわけもないでしょうし。
私は今日も散々に叱られながら歌のレッスンを続けるのだった。


ようやく『煉獄』から解放された私は、休憩室の椅子に深々と腰掛けて
自販機で買ったスポーツ飲料でくたくたになった身体の隅々まで
水分を行き渡らせていた。

ふぅ、今日のレッスンはまた一段と厳しかったわね。
でもそれも仕方ないことでもある。歌手を正式に目指すことに
なってからというもの、毎日レッスンを続けているというのに
一向に上達している手応えも評価も得ることができないのだから。

やはりこの身では荷が勝ちすぎることだったのかしら……
そもそも学校の通知表の音楽を4以上の評価を取ったこともないし
カラオケだって人前で歌うようなことは恥ずかしくて
桐乃や沙織と一緒に行ったときでもまともに歌えた試しもない。

……でも歌を歌うこと自体は嫌いじゃないのよね。
音楽の時間に声を上げて歌うのは気持ちが良かったし
好きな歌-といってもアニソンばかりだけど-を密かに
口ずさんだりするのもよくあること。

そういえば、マスケラ放送時にはそれが高じて
『マスケラのオープニングを歌ってみた』なんてタイトルで
私の歌声をネットに投稿したこともあったわね。

まあ、ついたコメントは散々なものだったけれど……
ふっ、所詮人間風情には『夜魔の謳い手』たる私の魔声を
理解することなど未来永劫適わないことでしょうからね。

そ、それでも中には評価してくれたコメントもあったのよ?本当よ?
といってもそのコメントも『声は激甘』やら『超癒しオサレソング』やら
『厨二歌詞なのに異常な安らぎ』やら。まったく『夜魔の女王』に対して
不遜極まりないものではあったわね……

でも今に見ているがいいわ。あの時私を理解できなかった者たちも
いずれ己の浅薄さに気付き、そして後悔の念に苛まれることになるでしょう。
すぐに『夜魔の謳い手』の真の力を目の当たりにすることになるのだから!
ククク、その様が『真紅の神眼』にはっきりと浮かび上がってくるわ。

私がいつものように『未来視』の力を発現して
我が身が『比類なき偶像』に至る『栄光の軌跡』を垣間見ていたのだけれど。

「よう、こってり絞られてたわりには随分幸せそうじゃん」

突然かけられた無遠慮な声に、思わず持っていたペットボトルを
慌てて取り落としそうになってしまったわ。

「ふっ、私は自らの目指す高みに向かって常に最善を尽くしているわ。
  ゆえにあの修練をも我が歓びの一つということよ。蝶が美しいのも
  幼虫の姿を経てのこそ。すぐに私の飛躍の姿を見る事になるでしょう」

私は気だるい身体に鞭打って毅然と立ち上がり『堕天聖の見得』を切る。

「アイドルとしてすっかり有名になってきたって言うのに
  あなたは自身はあいかわらずそんな調子なんですね……」
「あら、『デミ・メルル』だけじゃなく『闇天使』まで一緒なのね?」
「誰が『デミ・メルル』だ!」
「誰が『闇天使』ですか!!」

普段はでこぼこコンビといってもいいくらい、友達だというのが
不思議なくらい共通点の少ない加奈子とあやせだけれども。
こういうときには息のあった反応を返すのはさすがは長年の親友同士、
というところなのかしらね?

まあ私と桐乃や沙織だって傍から見ればこんな感じなのかもしれないわ。
『夜魔の女王』たる私が余人と一線を画すのは仕方がない事としても。
桐乃も沙織も強烈なまでの個性を持っているものね。

「で、私の修練を盗み見ていたあなたたちが一体私に何の用なのかしら?」
「別に盗み見てなんていないけどヨ。おまえが怒鳴られてる声が
  フロア中に響いていれば誰でも気がつくだろ」
「今日はわたしたち、加奈子の収録にこのスタジオに来ていたんです。
  そしたら黒猫さんのレッスンの声が響いてきたから
  ちょっと様子を見に行ってみようぜって加奈子が」
「そうそう、おまえがずーんって落ち込んでる姿を見て
  思いっきり笑ってやろうと思ってたのになー」

加奈子はいつものようにニヤニヤとした表情を貼り付けて
私に挑発的に言い放ってくる。私がアイドル活動を始めて以来
加奈子とこんな感じに顔を合わせる機会も少なくないのだけれど。

まあ、始めて顔を合わせたあのパーティの時と同じように
加奈子とは万事こんな調子なので、私もすっかり慣れてしまったわね。
今ではそんなやり取りもむしろ楽しんでしまっている気がするわ。

「そう、それならばお生憎様ね。それに私のことはともかく
  自分自身のほうは上手くいっているのかしら?
  なにやら監視役がついているようだけれども?」
「ったりめーよ。この加奈子サマをなめんなよ」
「まあ加奈子は本番中は全然心配ないんですけどね。
  その前後の素行の悪さが問題なんですよね……」

心の底から吐き出すような溜息をつくあやせ。確かあやせは加奈子が
リアルメルルとしての活動を始めるきっかけになったらしいけれど。
その責任もあっての監視役、ということなのかしらね。

「んだよ。与えられた仕事はきっちりこなす。それがプロってもんだろ?
  それ以外がどうだろうが文句を言われる筋合いはねえよ」
「……そう、相変わらずそういうことをいうんだね、加奈子……」

な、なにかしら。私達を取り巻く気が突然変異した気がするわ。
先の修練で火照っていた身体に震えが来るくらい『凍てつく波動』に
周囲が満たされていく。

その正体を誰よりも知っているだろう加奈子は
蛇に睨まれた蛙よろしくすっかり涙目になって萎縮してしまっている。

まあ、こんな場所で『闇天使』の力を解放して惨劇の舞台を現出させる
わけにもいかないでしょう。『暗黒同盟』のよしみで引き止めてあげるわ。
なにも私の様子を気にして見に来てくれたことへのお礼、
なんて俗な理由ではないのよ?勘違いしないで頂戴。

「確かに今のままでは私は仕事も任せられない半人前なのは間違いがないわ。
  我が務めが果たせるよう一日でも早く修練を終わらせないといけないわね」
「そ、そうだろ、そうだろ!なんならこの加奈子サマが
  プロの仕事っぷりの見本を見せてやってもいいぜ。
  半人前との違いをきっちり見せてやんよ」

渡りに船とばかりに呪縛の解かれた加奈子が話に飛びついてきた。
……まあ、幾分調子に乗りすぎな気はするけれど。
あやせも再び溜息を付きつつも、波動の放出を止めていたので
この場の雰囲気も元の落ち着きを取り戻しつつあったわね。

「ふっ、せっかくだからその機会は私が修練を修めてからにしましょう。
  あなたも今の私よりも、プロとして一人前になった私と
  はっきりと決着をつけたほうがいいのでしょう?
「へっ、上等だぜ。こっちの事までおまえに負けるつもりはないかんな」
「はぁ、まったく。二人が勝負するのは勝手ですけれど
  変に盛り上がって他の人に迷惑をかけないようにやってださいね」
「なにいってんだ。そん時にはどっちが上か判定する役がいるだろ?
  そんなのあやせが一番の適任にきまってんじゃんか」
「ええ!?どうしてわたしが。それにわたしじゃ友達の
  加奈子が有利になってしまって公平じゃないでしょ」

厄介ごとに巻き込まないで、とばかりにあやせが反論するけれども。

「はっ?そんなんあやせなら大丈夫だろ?」
「そうね。そういうことで身内贔屓ができる性格ではないものね、あなた」

私達は二人揃ってそれを却下した。加奈子は勿論、私だって
すっかりあやせの性格を把握できるくらい浅からぬ付き合いがある。
そんな性格のおかげで損をしているところもあるでしょうけど
きっとそれ以上に周囲の人からの信頼を集めてるのがわかる程には。

「はぁ、もういいですよ。二人共にお墨付きがもらえているなら
  わたしが立ち会ってあげますから精々二人とも頑張ってくださいね」

この手のことに振り回されるのももう慣れっこなのでしょうね。
あやせは何度目かの溜息を付きつつも、笑顔で応えていたわ。

まあ、加奈子は勿論、桐乃とも友達をしていればそれもむべなるかな、ね。
学校では猫を被っているとはいえ、あの娘は先輩同様
厄介事には首を突っ込まずにはいられない性格でしょうし……

だ、誰も、それも楽しそうね、なんて羨ましく思ったわけではないわよ?
根も葉もない言いがかりはやめて頂戴。

「それにしても……こっちの事まで、とはどういう意味かしら?」

先の加奈子の台詞で気になった言い回しを、私は改めて問い質した。
加奈子は私と顔を会わせる度に絡んできて、何かにつけて
勝負を挑んでくるので、勝った事も負けた事も勿論沢山ある。

でも、それもどうでもいいような勝負ばかりなので
(どっちが声援を集めたかとか、サイン会でより多くファンに渡せたかとか)
逆に言えばこんな風に負けたことを根に持たれるなんて
今までなかったはずだけれど。

「ん?加奈子そんなこと言ったっけー?」
「ううん、確かに言ったよ。『こっちの事まで負けるつもりはない』って。
  どういうことなの?加奈子」

惚けて誤魔化そうとした所を、すかさずあやせに指摘されて
ばつが悪そうにあやせを睨む加奈子。まったく身内にも厳しい
正直者の友達を持ってあなたも大変なことね?

どうやら先の台詞はあやせも気になっていたらしくて
顔は笑顔のままでも、加奈子を見る目には鋭い光が込められていた。

「あー、もう、言えばいいんだろ、言えば。
  まあ、その、あれだよ。京介に関してのことだって」
「な!?で、でもまだ先輩は誰を選んだわけではないでしょう?」
「そ、そうだよ、加奈子。それにお兄さんは今、
  桐乃との問題が片付くまでは誰とも付き合うつもりはない、て」

私もあやせも予想外の加奈子の言葉にすっかり動転してしまった。
いまだに『神魔の和約』は履行中だというのに、いつの間にか私達の
預かり知らぬところで決着がついたかのような事を言い出すのだから。

「ああ、わりぃわりぃ。クリスマス前にチャンスがあったんで
  つい京介に迫っちまったんだよ。この加奈子サマと付き合えってな」
「な、なんてことしてるのよ、加奈子!お兄さんは受験もあるから
  なるべくみんな負担にならないようにって話し合ってたのに!」
「あー、まあそうなんだけど。でも、ま、目の前にチャンスがあったら
  逃す手はないべ?唯でさえ他のライバルに比べて、加奈子は京介との
  付き合いが浅いんだしー。そのくらいのハンデは貰って当然じゃね?」

真相を話してからは、全く悪びれることなく加奈子は言い放った。
そのあっけらかんとした言い様に、さすがのあやせも
呆気に取られて二の句が告げないでいたのだけれども。

……なるほど、先輩がクリスマス会で珠希へプレゼントした
メルルフィギュアを加奈子から譲り受けたときのこと、かしらね。

最初の衝撃から立ち直った私は、加奈子のチャンスとやらに想像がついた。
いくらメルルの作品自体には興味がないとはいえ、イベントの記念に
高名のフィギュア造型師から贈られたはずの世界に一つしかないフィギュアを
そう易々と加奈子が先輩に譲り渡したとは思ってはいなかったけれど。
その時の交換条件として交際を持ちかけた、ということなのかしらね?

でも、私は即座にその考えを否定した。私の知っている加奈子なら
いくら大事なものでもそれを条件に突き付けるようなマネはしないから。

きっとフィギュアの件は二人きりで会う機会を設けるためで。
告白自体は間違いなく正面からぶつかりに行ったのでしょうね。
いつだってそんな加奈子の男らしいまでの高邁さは
私自身、見習いたいものだと思っているくらいなのだし。

「ま、どっちにしたってあれじゃん?加奈子にゃ京介は
  振り向いてはくれなかったんだから抜け駆けもなにもないって。
  さすがに例の宣言中だから誰を選ぶとかは言ってなかったけどヨ」
  
加奈子はそこで一息ついて、私とあやせを順々に見据える。

「どっちにしたってあとはおまえ達の誰かだろ?
  師匠やあのでか女の可能性だってあるだろうけど。
  ま、ナンにしたってそっちはともかくこっちの事でも負けるようじゃあ
  加奈子の女がすたるってもんだ。ぜってー負けねぇから覚悟しとけよ!」

どやっ、とSEでも聞こえてきそうなくらいの決め顔で
加奈子は改めて私への宣戦と必勝を表明する。
その気持ちのいいまでの啖呵は確かに桐乃の友人に相応しいといえるわね。

「ふふっ、望むところよ。やはりあなたも我が宿敵に相応しい存在ね。
  『デミ・メルル』などという呼び名を改めさせてもらうわ。
  これからは『戦少女』と認定呼称しましょう。
  あなたと雌雄を決するその時を今から楽しみにしているわ」

私も負けじと『堕天聖の見得』を切って加奈子に応じる。
最近の私には公私とも『宿敵』が現れてばかりで心休まるときがないけれども。
『闇』に囚われたものとして常に戦いを課せられるのも私の宿命なのでしょう。
そうでなければ『宿敵』との戦いにこんな高揚感を覚える事もないものね。

「はいはい、まったくもう。すっかり息があっていることですね。
  案外似たものどうしなんじゃないですか、加奈子と黒猫さん」
「そんなわけねーだろ」
「そんなわけはないわ」

先の二人と同じように、私達は即座に異句同意に否定した。
いくら『宿敵』と認めたとはいえ、この高貴なる『夜魔の女王』と
猛々しい『戦少女』が似た者同士などとは無礼の極みだわ。

「まあわたしはアイドルになったりはしませんし、二人がそうやって
  互いに競争しながら活躍していくのを影ながら応援させてもらいますよ」
「随分お優しいことだけどよ、あやせ。こっちのことはともかく
  受験も終わってんだし、そっちは早めに勝負かけた方がいいんじゃね?
  ノンキなこといってたらあっという間に終わっちまって後悔すんぞ」
「なっ!?わ、わたしだってその辺は心配しないでもしっかり考えてるよ!」
  
顔を真っ赤にしながらあやせは加奈子を睨みつけていた。
でも、その視線にはいつもの彼女の見せる威圧感や鋭利さは感じられない。
ふふっ、まったく名立たる『闇天使』だというのにあなたも大概乙女よね。

「そうね、あやせ。あなたも自分の想うがままに行動する時よ。
  勿論、私だって私の目指す『理想の世界』に向けて邁進しているわ。
  だから……あなたの殺戮衝動のように遠慮なく気持ちをぶつけなさいな」
「な、何が殺戮衝動ですか!?はぁ、本当にあなたは……」

あやせは今日一番の深い溜息を付きつつも、やはり今日一番の笑顔を浮かべた。
なるほど、その華やかな微笑みは桐乃の親友と呼ぶに相応しいのでしょうね。

「まあ覚悟していてくださいね、黒猫さん。お兄さんがこの間まで
  あなたのマネージャーだったからといって、そんな優位点など
  些細なことだったと思い知る事になりますよ」

柔らかい笑顔から一転、思わせぶりな表情になりながら私に宣言するあやせ。
それに対して私もいつもの不敵な笑みで応える。ふっ、それでこそ、よ。

しばし火花を散らしあう私達だったのだけど。

「そういや今度は師匠のとこにも対決にいくそーじゃんか」
「ええ、対決、というのは語弊があるけれどもね」
「今更師匠と二人きりで話をすんのに他になんの理由があんだよ。
  ま、師匠もすっげー気合入ってたかんな。精々気張ってけヨ」

そんじゃな、と後ろ手に軽く手を振って加奈子は休憩室から出て行った。

「もう加奈子ったら自分の用事が済んだらとっとと行っちゃうんだから……
  それでは黒猫さんもレッスン頑張ってくださいね」
「ええ、あなたもいろいろとね、あやせ」

私に軽く会釈をするとあやせも慌てて加奈子の後を追いかけていく。
あの二人がいなくなった途端に、まるで嵐が過ぎ去ったかのように
あたりが静かになった気がする。

時計を見るとすっかり休憩時間も終わりに差し掛かっていた。
今日はこの後ダンスのレッスンもあるから、そろそろ準備に
取り掛からないと間に合わないわね。

今日はせっかくの雛祭りだというのに家に帰るのはまだまだ遅くなりそうね。

残っていたペットボトルを一気に飲み干して私も休憩室を後にする。
あやせや加奈子とのやり取りで、ゆっくり休憩なんて出来なかったけれど。
思いのほか疲労は抜けていて身体に力が入るのが感じられる。

……いえ、きっとこれは私の魂が奮われたから、でしょうね。

同じ願いを抱いて凌ぎあう『宿敵』にして『輩』と
改めて己の決意を表明しあったのだもの、ね。


    *    *    *


今日は3月3日のひなまつりです。
うちでもひなだんをかざったり、ひしもちをよういしたりして
1年に1度のおんなのこの日をおいわいします。

「あ、たまちゃん、雛壇の飾りつけおわった?
  うんうん、綺麗にできてるよ。たまちゃんはすごいねー」

さっきまでだいどころでお母さんといっしょに
今日のごはんのじゅんびをしていたひなたおねぇちゃんが
おひなさまをかくにんすると、わたしのあたまをなでてくれました。

「はい、たまきももうすぐ2年生ですから!」

じぶんでも今日はきれいにならべられたと思います。
まえのひなまつりでは、わたし1人ではうまくできなくて
泣いてしまって、さいごにはるり姉さまにてつだってもらいました。

これならきっと姉さまもよろこんでくれますよね?
おねぇちゃんにほめてもらえたばかりか、アイドルのお仕事から
かえってきた姉さまが、たくさんよろこんでくれるすがたをそうぞうすると
わたしもとってもうれしくなりました。

「じゃ、もう少し待っててね、たまちゃん。
  ルリ姉が帰ってきたらみんなでご飯にするからね」
「はい、おねぇちゃん」
「あ、そうそう、そろそろ高坂君がうちにくるんだった。
  たまちゃん、ルリ姉が戻るまで高坂君の相手をお願いできるかな?」
「わー、おにぃちゃんがうちにきてくれるんです?
  それならおにぃちゃんといっしょにあそんでますね」

今日のひなまつりにはおにぃちゃんもきてくれるそうです。
わたしもおにぃちゃんとあそべるのはたのしみですし
なにより姉さまももっともっとよろこんでくれると思います。

おにぃちゃんといっしょにすてきなえがおをうかべる姉さまを思いうかべて
さっきよりもいっぱいいっぱいしあわせなきもちになりました。

姉さま、はやくかえってきてくださいね。
わたしはいつもよりもいっしょうけんめいにおねがいしました。


    *    *    *


「ただいま。……ごめんなさい、遅くなってしまったわ」
「姉さま、おかえりなさいです」

姉さまがのただいまの声をきいたとたん、わたしはげんかんにはしりました。
すこしでもはやく姉さまによろこんでほしかったからです。

「あら、珠希。どうしたの?そんなにあわてて」
「えへへへ、姉さまに見てもらいたいものがあるんです!」

わたしはとまどっている姉さまの手をひっぱるように
ひなだんがかざってあるおへやにいそぎました。
おそとはさむかったはずなのに、姉さまの手はいつものように
とてもあたたかでまるでお日さまのようです。

「おかえり、黒猫。お邪魔させてもらっているよ」
「せ、先輩!?ど、どうしたの突然。
  今日はうちにくるような予定はなかったはずと記憶しているけれど」
「ああ、それに関しては後で説明するけどな。
  先に珠希ちゃんの見せたいものを見てあげてくれよ」

ドアをあけるとおにぃちゃんがでむかえてくれました。
でもすぐに姉さまをへやのおくにみちびいてくれました。
おにぃちゃんのこんなところはとてもやさしくてすてきです。

「あら……これを珠希が飾ってくれたのかしら?」
「はい!どうですか、姉さま」
「ええ、とても綺麗に出来ているわ。五人囃子も正しく並べられているし
  小道具の配置も完璧ね。菱餅もおいしそうで日向も喜びそうね。
  すごいわ、珠希。良く頑張ったわね」
「えへへへ」

思ったとおり姉さまはすごくやさしいおかおになって
わたしのあたまをなでてくれました。姉さまの手からぽかぽかが
つたわってきてわたしの心もあたたかくなります。

「それにしても立派な雛飾りだよな。
  うちにも一応あるけど全然ちっちゃいやつだからなぁ。
  桐乃が中学になる前くらいからは飾ったりもしなくなっちまったし」
「ええ、私が生まれたときにお母さんの実家から頂いたらしいわ。
  昔はこんな大きさの雛壇も当たり前だったみたいだけど」
「今では核家族化も進んでしまっているしなぁ。
  一戸建てでもないとなかなか飾る場所も確保できないしな」
「そうね……この日の本の国の伝統ある儀式が失われて
  風土に根付いた秘術が消え去っていくのは悲しい事でもあるわね」

姉さまとおにぃちゃんのおはなしは、いまのわたしには
やみのことばのようにむずかしくてりかいできませんでしたが
姉さまがとてもとおいところを見るようなおかおで
さびしげにはなしているのがむねがしめつけられるようでした。

「……ごめんなさい、珠希。
  あなたを放ってつい先輩と話し込んでしまったわね」

かなしいきもちになっていたわたしに気がついた姉さまが
わたしをやさしくだきしめてくれました。それだけでわたしの心は
さっきのようにぽかぽかになります。

「さて、私も今日の雛祭りのご飯を手伝ってこないといけないわ。
  先輩、申し訳ないけれど今日の用事は後回しでもいいかしら?
  代わりに夕飯をご馳走するから。珠希も先輩の相手をよろしくね?」

姉さまがいつものようにお夕はんのお手つだいにむかおうとしました。
でも、姉さまはいま、かしゅになるためにとてもたいへんな
おべんきょうをしていてくたくたにつかれているはずです。

「だめですよ、姉さま。おにぃちゃんのおあいては
  やっぱり姉さまじゃないといけないですから!
  わたしがてつだってきますから姉さまはここにいてください」

だからわたしは姉さまに休んでもらうために
すこしつよめに姉さまにそういっておねがいしました。
そしてすぐにへやを出て二人きりにさせてあげました。

ドアをしめるときに、ぼうぜんとしていた姉さまが
「珠気が……反抗期に……」といって、なきくずれていたのが
とても気になったけど、これもすべては姉さまのためです。

姉さまにとって今はたいせつなときです。だからちょっとむりやりにでも
姉さまをたすけてあげないといけない、とおねぇちゃんもいってましたから。

だから……おにぃちゃん、どうか姉さまのことをよろしくおねがいしますね?


    *    *    *


「さ、ご飯できたよー。ルリ姉、高坂君も早く早く」

思ったよりも時間がかかっちゃったけど、ようやく夕飯の
準備ができたので、ここにいない二人を呼び出した。

たまちゃんが上手くルリ姉に言い含めてくれたようだから
ルリ姉は高坂君とちょっとはゆっくりできたかな?
まあ、ルリ姉はたまちゃんに気を使われたのが
ショックでまた落ち込んでいるかもしれないけれど……

それにまあ。ルリ姉のことだから先に高坂君の用件を片付けようとするかな?
まったく好きな人とたまに顔を合わせるときくらい
ゆっくりと逢瀬を楽しめばいいのにねぇ?

「……甘いお酢の匂いがするわ。今日はやっぱりちらし寿司なのね」

ルリ姉が高坂君と一緒に居間に入ってくるなり
本人のハンドルよろしく本当の猫のように鼻を利かせていた。
可愛い仕草だとは思うけど、ちょっと行儀が悪いんじゃない?ルリ姉。

「うん、やっぱり雛祭りのご飯といえばちらし寿司だからね!」

あたしは胸を張ってルリ姉に応える。まあ、毎年五更家における
雛祭りのメニューはずっと変化ないから当たり前なんだけど。
このあたりはお婆ちゃんが一緒に暮らしてたころからのお約束だったしね。

でも今年のメニューはいつもと違う意味合いもあるんだよね。
なにせ今日はあたしの日と言っても過言じゃない『ひな祭り』。
家族の誕生日とクリスマスとお正月とお肉の日の次くらいのお祝いの日。
その大切な日を飾る、あたし五更日向の初のちらし寿司なんだから!

って勿論今日ぶっつけ本番で作ったわけじゃないよ?
最近はルリ姉が歌手になるためのアイドル活動が忙しくなってきて
あたしがご飯の用意をする機会もそれに合わせて増えてるから
料理の腕もどんどん上がってきているんだよね。

加えてお母さんに教えてもらいながら地道に基本の練習もしているし
今日の日のためにちらし寿司だって何度か試しに作ってるからね。

でも実際に五更家の食卓にちらし寿司をお披露目するのは今日が初めて。
だから普段とは違った感慨もあるんだよ。

「ふふっ、自信たっぷりのようね、日向。いいでしょう。
  あなたの実力、この『夜魔の女王』自らが見定めてあげるわ」
  
ルリ姉はいつもの調子で片足立ちに左手を突き出すポーズを決めていた。

お正月にも着ていた赤い晴れ着姿で。

……どうしてあたしのたった一人の姉は、黙っていればこんな着物姿が
一際映える和風美人で、アイドルでもかなりの人気を集めているのに
こんな残念な性格なんだろう……

まあでも。このギャップがアイドルとしての人気の秘密でもあるんだよね。
あたしからみると10年以上時代を先取りしているイメージなんだけど
本当、世間のニーズが追いついてきてくれてよかったね、ルリ姉。

それにまあ。あたしたち家族だけじゃなくて
そんな面も受け入れてルリ姉を支えてくれる人たちもいるんだし。
そんなに悲観しなくてもいい……のかな?

「ま、まあともかく席についてよ、ルリ姉。
  うしろで高坂君もお腹が空いた顔をして困ってるよ」

とりあえずその辺は置いといて、ルリ姉を宥めて席に促した。

いつもは自分の事は二の次にして人の心配ばかりしているのに
いったん自分の世界に入るとてんで周りがみえないんだから。
それこそ周りで心配する身にもなって欲しいもんだよねぇ?


「それじゃあお夕飯をはじめましょうか」
「「「「はい、いただきます」」」」

お母さんの合図に合わせて、みんなで声を揃えて
今日の雛祭りのご馳走の開始を宣言した。

「ねぇねぇ、どう!どう!?あたしの作ったちらし寿司は!」

そしてみんながちらし寿司を食べたのを見計らってから
あたしはうきうきしながらその感想を聞いてみた。

味見の時にももちろん自分で食べてみたけれど
我ながら結構おいしく出来てるって思える自信作だからね!
まあ、ちょっとばかりきゅうりや卵の千切りが上手に
できてなかったりするけど、その辺はご愛嬌ってことで。

「ああ、旨いよ、日向ちゃん。今度桐乃にも教えてやってくれよ」
「ひなたおねぇちゃんのおすし、すっごくあまくておいしいです!」

高坂君とたまちゃんが口を揃えて褒めてくれる。たまちゃんは嘘なんて
絶対につけない性格だからその評価はすっごく嬉しいなぁ。

あ、勿論高坂君の方もほめてくれているのは嬉しいよ?
でもまあ……相変わらずだよねぇ、高坂君。
その辺に関してはルリ姉は重々承知の上だから特にツッコまないけどさ。

お母さんはみんなの様子を見ながらいつものようにニコニコと笑っている。
まあ、お母さんはわたしと一緒にご飯の用意をしていたし
練習しているときからあれこれ細かく指摘も受けてたから問題ないんだけど。

そんなわけで残った一人の感想が気になるところなんだけど。

「……珠希の言ったとおり、合わせ酢のお砂糖の割合が多くて甘いわね?
  これは日向の好みにあわせた、ということかしら?」
「う、うん……このほうがみんなおいしいかなって思って……
  これだとルリ姉の口には合わなかった?」

さっきまで目を閉じながら無言でゆっくりと寿司飯を味わっていたルリ姉が
そのままの姿勢であたしに尋ねてきた。

練習ではお母さんから教わったレシピ通りにちらし寿司は作ったんだけど。
少しは自分なりの工夫をしたくて合わせ酢の配合を変えてみたんだよね。
自分としてはもっとおいしくなったと思ってたんだけど。

あれ、ルリ姉甘いのだめだったんだっけ?
確かに積極的に甘いもの好きってわけではないけど
ケーキだって和菓子だっていつもおいしそうに食べていたよね。

「いいえ、辛党の人には確かに口に合わないかもしれないけれど
  お父さんもどちらかというと甘いもの好きだし、先輩にも好評の
  ようだからその問題はないでしょう。でも、ね」

ルリ姉は一旦言葉を切ると、閉じていた目を開いてあたしと視線を合わせる。
その表情は良く見知っている。あたしが悪戯をしたときとかに
それを聞き咎める時のそれと同じ厳しいものだったから。

「ご飯の後には、甘酒や菱餅、ひなあられも食べるのでしょう?」
「あっ……そっか……」
「毎年作っていたお婆ちゃん直伝のレシピは伊達ではないのよ?
  いつだって料理全体の調和と均衡を考えて作られているわ」

ルリ姉の鋭い言葉があたしの浅はかな考えをざっくりと切り裂いていた。
さっきまでの自信満々な気持ちやみんなに褒めてもらえていた嬉しさが
一気に破裂してなくなってしまうくらいに。

「でも……美味しいわよ、日向」
「え……?あ、でも」
「『料理で一番大切なのは、技術でも調理法でもない。
    美味しく食べてもらおうという気持ちなんだよ』
  これがお婆ちゃんの口癖だったわ。だからね、日向」

気がつけばいつの間にかルリ姉の厳しい表情が変わっていた。
それもやっぱり見覚えのあるものだったけどね。
あたしを怒った後にいつも見せてくれる、優しいおねぇちゃんの顔だから。

「あなたの作ってくれた料理はその気持ちに溢れていてとても素晴らしいわ」

そしてあたしにはなかなか見せてくれない笑顔を向けてくれた。

「う、うん……ありがとう、ルリ姉」
「まあ、野菜の切り方とか、レンコンのアク抜きとか
  まだまだ至らないところは沢山あるのだけれどもね。
  これからは私も時間が空いた時に、あなたに五更家代々に
  口伝されてきた厨房術を叩き込んであげましょう」

でもすぐにいつもの澄ました表情で厨二なノリに戻ってしまう。
まあ、そんな素直じゃないところもやっぱりいつものルリ姉だよね。

でも今回ばかりはいろいろと教えられたことも多いからね。

「はい、よろしくお願いします。瑠璃おねぇちゃん」

だからあたしの方はいつもとは違う呼び方で素直な気持ちでルリ姉に応える。
ルリ姉はちょっとだけ驚いたようにあたしを見たけれど
覚悟しておきなさい、なんて言いながらそっぽを向いてしまった。

はいはい、精々覚悟していますよ。そして次の機会には今度こそ
ルリ姉がびっくりするくらいの御馳走を作って見せるんだからね。

気がつけばそこにいるみんなが笑顔で見ていて恥ずかしかったけど。
あたしは改めて心に誓うのだった。


    *    *    *


夕飯を食べ終わってから、私は先輩の用事の続きを済ませるために
もう一度雛壇を飾った部屋に戻っていた。

「よし、今度はここで甘酒を飲んでいるポーズでじっとしていくれ」
「ええ、こうかしら?」

初詣にも着ていた赤い晴れ着姿のまま、一度正坐の姿勢を正してから
私はお茶碗を口元に引き寄せた状態で自らの動きを止めていた。

昔は写真撮影でこんなちょっとした姿勢を続けることすら大変だったわね。
桐乃に「あんたは体幹を強くしないとモデル失格だかんね!」と
指摘されてから密かに身体を鍛える修練も積んではいたのだけど。

最近は歌手に向けたダンスの練習などもしているせいかしらね。
こういった撮影のポーズを取ったりそれを維持することも
以前と比べると、無理なくこなせるようになったわ。

「よし、OKだ。じゃあ最後に雛壇の正面で笑顔を撮ってみるか」
「か、簡単に言ってくれるわね……」

でもいまだにカメラの前で笑顔を作るのは難しいのよね……
どうしても意識してしまって不自然なものになってしまうから。
不敵な笑み、というのなら得意中の得意なのだけれども。

だからといって余計な力が入らないようにリラックスしようとすると
やっぱり桐乃に「あんたって普通にしているとお母さん?」なんて
現役高校生アイドルとしては有り難くない評価を貰ってしまうことだし。

「ほらほらルリ姉ー。笑顔が固いよー今更緊張しないでよー」
「姉さま、がんばってください!」

さらに妹達の観客付きともなれば、なおさら意識してしまうじゃない……

「あなたたち!約束通り黙って見られないなら居間に戻ってなさい!」
「はーい、ごめんなさーい」
「しずかにしてます、姉さま」

私の一喝に素直に応える日向と珠希。まあ日向は形ばかりでしょうけど。

「まったく、もとはといえば日向。先輩が今日うちに来ることを
  隠していたあなたも悪いのよ?私にもプロとして写真を撮るときには
  いろいろと準備や心構えというものがあるのだから」
「まあまあ黒猫。そう言うなって。俺も確認しないで悪かったよ」

……つくづく先輩は、年下の女の子が責められているのを見ると
庇わずにいられないのかしらね?あなただってこの謀略の被害者でしょうに。

聞けば今日の写真撮影は、河上さんから私が着物姿で雛祭りを祝う写真を
取ってほしいと先輩が依頼を受けたのが発端だった。

なんでも、お正月の初詣のときの晴れ着姿の写真が大好評だったらしいわ。
私としても『夜魔の女王』として和の正装でこの身を鎧うのは
嫌いではないからそれは構わないけれども。

問題は、先輩は河上さんから「妹さんに連絡済みだよ」と伝えられていて
何の疑問も持たずに今日うちに来たことなのよね。

それなのに肝心の私がそのことを聞かされていないということは。
つまりは河上さんと日向が共謀していた、と考えるのが妥当よね?

まったく、二人揃って余計な気をまわしてくれるのだから。
びっくりして今日の修練の疲れなんてどこかに吹き飛んでしまったじゃない。

そもそも今日1日。いえ、ここずっと、かしらね。
私が家族と相談して歌手活動を行っていくと決めたその時から。

日向は私の代わりに家事を受け持ってくれているし
そのフォローのためにお母さんも仕事を減らしてまで早めに帰宅している。
その分はお父さんが一層仕事に励んでカバーしているらしい。
さらにはさっきのように珠希までもが私に何かと気を使ってくれている。

「まあいいわ。日向への教育は後でじっくりするとして……
  先に撮影を終わらせましょう、先輩」

そんなお節介で愛しい家族のことを想うと、揺らいでいた心も自然と落ち着いて
暖かな気持ちに満たされてくるわ。だから今ならきっと撮れると思うから。

まばゆいフラッシュにも、いつも心を乱すシャッター音にも屈することなく
私はカメラに、いいえ、先輩に向かって笑顔を向け続けた。

「よし!いいぜ、黒猫!最高の笑顔だ」
「うわぁ、ルリ姉。決めるときは決めるんだね!さすがアイドル様!」
「姉さま……とってもおきれいです」

ふふっ、ありがとう。あなたたちのおかげよ。

「さて、これで依頼分は大丈夫だろうし、俺もそろそろお暇するよ。
  平日なのに遅くなったら迷惑かけちゃうしな」
「あー、高坂君、そんなこと気にしないでいいよいいよ。
  せっかく受験も終わったんだしゆっくりお茶でも飲んで行って。
  さ、たまちゃんもお茶の準備、手伝ってくれるかな?」
「はい、おねぇちゃん」

先輩がカメラ機材を片付けながらそう切り出すやいなや
日向と珠希はそう言って慌てて部屋から出て行ってしまった。
いきなり取り残された私たちは、しばし会話に詰まってしまう。

……まったくあの娘たちときたら。
それでは気を使っているのあからさますぎて対応に困るじゃない。

でも……せっかくあの娘たちが作ってくれた機会だものね。
それに、今日は私もちょうど魂を奮い起されたところでもあるし。

私は一旦目を閉じて、昼間の心の昂りを思い返すと
意を決して先輩に話しかけた。

「ねえ先輩。雛人形は何のためにあるか知っているかしら?」
「ん?女の子が健やかに育つように、って願うためなんだろ?」
「そうね。でも本来の意味は、この雛人形たちが女の子が受ける
  様々な災いを肩代わりして守ったり、冬の間に溜まった様々な穢れを
  春を迎えるために祓う力があると言われているわ」
「へぇ、そんな由来があったのか。じゃあこの人形たちは
  体を張って黒猫たちを守るために頑張ってくれているんだな」

感慨深げに先輩は雛人形たちを見まわす。
そう、まるで身体を張って大切な人を守ってる誰かさんのことみたいに、ね。

「ええ、だから私もこの機会に、この人形たちに守ってもらって
  暖かな春に向けての一歩を踏み出そうと思うのよ」
「黒猫?」

私は文字通り先輩に一歩近づいて真っ直ぐに先輩の顔を見つめる。
怪訝そうに私を見た先輩だったけど、私の表情を見て取ると
先輩の方も私にしっかりと向かい合ってくれた。

「ねぇ、先輩。私は今、歌手デビューに向けて、毎日修練に励んでいるわ」
「ああ、毎日大変そうだって日向ちゃんや珠希ちゃんにも聞いたよ」
「ええ、確かに容易なことではないわね。でも決めたからには
  今回もやり遂げてみせるわ。私がアイドルになってから
  ずっとそうだったように、ね」

本当、随分と意地になって続けてきたものよね。
でも途中で挫けるのは、何かに負けてしまう気がして
ずっとここまで歯を食いしばって走り続けてきたわ。

きっかけはなんとも恥ずかしい理由からだったのに、ね。

「黒猫が頑張ってきた事は傍で見てきた俺にはよくわかってる。
  だから今回もきっと黒猫は立派な歌手になれるって確信してるぜ」

だから、あなたのそんな優しい表情を見る度に
いつでもどんなことでも成し遂げられる気がしてきたから。

「ありがとう、先輩。だから、ね、その……
  私が無事に歌手としてスタート出来たその時には」

だから今は、私の気持ちをしっかりとあなたに届ける力を頂戴ね。

「私の話を……聞いてくれる?」

先輩は私の言葉を聞いて、ひと時何かを逡巡したようだった。
でもその表情はすぐに強い意思を感じさせるものになって。

「ああ、いいぜ」

落ち着いた声で、力強く先輩は応えてくれた。

うん、あなたならきっとそういってくれるって思ってた。
それに応えるためにも、私はいよいよ覚悟を決める時がきたようね。
あの娘と。『熾天使』と向き合う決意を。


「あれあれ?なにこの流れ?違うでしょ?そーじゃないでしょ?
  ここはどう考えたって一気に告白するところじゃないの!?」
「おねぇちゃん、しーですよ」

……まあその前に。不埒者に教育を果たさなければならないようね?

いつの間にかほんの少し開いていたドアの死角にすばやく回り込んで
一気にドアを開け放つと、ドアに身を寄せてその隙間から中を覗いていた
日向と珠希がもんどりうって部屋の中に倒れこんできた。

「うひゃあぁ!?」
「はうぅぅ」

クククッ、姉の秘密を覗き見ようなどと不届きな妹達には
どうやら普段の教育だけでは不十分だということね。

「……ククク、ハハハ……さああなた達の畏れ多い罪に
  今から罰を下しましょう。なにか言い残す事はないかしら?」

渾身の発言を覗き見られていたことの恥ずかしさを覆い隠すように
私はこの身に封印せし闇猫の力を発現して、闇のオーラを解放する。
狩人の闇の瞳に射すくめられ、日向と珠希が抱き合って震えていたけれど。
でも今回ばかりはそんな顔しても許してあげないわよ?

私が大きく目を見開いて二人へと一歩を踏み出した途端。

「うわああぁぁぁ、ごーめーんーなーさーーーい、ルリ姉ーーーーーー!」

ついに私の闇のプレッシャーに耐えかねた珠希がその場に倒れこみ
日向は後ろ手にドアを開けるや一目散に逃げ出してしまった。

まったくあなたが逃げてしまったら珠希はどうするのよ。
これは本当に日向にはあとできつく教育をしないといけないわね。

「ごめんなさい、先輩。ちょっと珠希を布団に寝かせてくるわ。
  日向たちのもってきてたお茶でも飲んでいてくれるかしら?」
「あ、ああ……」

私は気絶してしまった珠希を静かに抱き起こすと両手で抱え上げた。
そのときに振り返ってみた先輩が、蒼い顔をして何度も勢い良く
頷き続けていたのが不思議だったけど、ね。


部屋を出て珠希たちの寝室に向かう中、以前こうしたときよりも
僅かに増した手応えが、珠希の順調な成長を物語っていた。

きっとすぐに日向のように、珠希も私の腕ではこうやって
横抱きに抱えることなんて出来なくなってしまうのでしょうね。

ふふっ、いつの間にかあなたたちに支えられるようになっているわけよね。
それがとても誇らしくて……ちょっぴり物寂しくも感じてしまう。

それにあなた達だけでもなく、お父さんもお母さんも。
そしてお婆ちゃんが贈ってくれた雛人形にも見守れて
今の私があるのですものね。

だから、こうして支えてくれるみんなの想いに応えられるように
私はこれからも自分の目指す道を胸を張って進んでいくわ。

桃の節句に禊を済ませた私には、もう春を迎えるしかないのだもの。
そう、この先にある暖かい未来を、ね。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

記事メニュー
目安箱バナー