2ch黒猫スレまとめwiki

◆MsHTck9REk

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集
「ボタン」

いつものように、五更瑠璃はノートパソコンに向かい、プログラミングに勤しんでいた。
いつもの場所――高坂京介の部屋、そのベッドの上で。
デバッグに協力する、と忙しいはずの時間をわざわざ割いてくれる京介。自分にとって彼は
なんなのだろう、と考える。
彼の部屋を制作場所に選ぶ自分はなんなのか、とも。
彼は自分にとって友人の兄。学校の、部活の先輩。そして――?
考えようとしても、いつも思考はまとまらない。
わかるのはこの場所、京介のベッドの上、彼の匂いがしみついている寝具の上が自分にとって
心地よい場所である、ということだけだ。
実際、自分の部屋でパソコンに向かっている時よりも、制作がはかどるような気さえする。
デバッガーが常駐している場所で制作をするのはより効率的なことだから、と自分を納得させようと
するが、それが確実に自分の心に嘘をついていることだけはわかってしまい、どうにも心が落ち着かない。
心が落ち着かないと言えば、別に暑いわけでもないのに、顔が火照って仕方がない。

<>
「先輩、ちょっと見て欲しいのだけど」

制作が一段落し、チェックを頼もうと身体を起こし机に向かって声をかける。
問題集に没頭しているのか、京介が気づく様子はない。
せっかく声を掛けているのに、ともう一度、少し大きな声で呼ぶ。

「セ・ン・パ・イ?」
「……ん? おお、悪い悪い」

声に気付き、京介が振り返る。

「そんなに夢中になるくらい勉強が好きなの? それとも、そうしないといけないほど成績が
悪いのかしら?」

私のことは見てもくれないくせにそんなものに夢中になって、と筋違いないらだちが湧いてくる。

「どっちでもねえよ。こっちだって受験生なんだぜ、一応な」

そう言いながら頭を掻く京介の顔が可愛い。
見つめていることに気付かれたくなくて、上半身に視線を移す。
その視線の先で、緩んだネクタイの陰になっていたワイシャツのボタンが取れかかって
いるのが見えた。

「あら、先輩。ワイシャツのボタンが取れかけているわよ」
「え、どこだ?」
「上から二番目の、ネクタイの後ろのところよ」
「ありゃ、本当だ。こりゃみっともないな」
「顔がみっともないのだから、せめて服装くらいはきちんとしておいた方がいいわよ」
「失礼なことをしれっと言うのな、お前……」
「事実を言ったまでよ。それより、そのままじゃ困るでしょう。つけ直してあげましょうか?」

座り直し、鞄を引き寄せる。

「お前、そんなこと出来るのかよ?」
「当然よ。我が『闇の衣』を地上に具現化させているのはすべて私自身の魔力によるものなのだから」
「要するに全部手製ってことか……それはそれですげぇな。ま、それなら頼むわ」

そう言ってネクタイを外し、シャツを脱ぎ始める京介。
程なくしてボタンがすべて外され、右腕が袖から引き抜かれる。
その結果として、はだけられた裸の肩と胸を目の当たりにし、思わず息を呑む。

「ちょ、ちょっと! 何をするのよいきなり!」
「何って、脱がなきゃ留め直せないだろうが」
「だからって! いきなり女の前で脱ぎ出すなんて何を考えているの!?」
「お前が留めてやる、って言ったんだろうが……じゃあ、着たままで縫ってもらうか?」

出来ない、ということはないだろうが、それをしようとすれば彼と自分との距離はほぼゼロ、と
言っていいくらい狭まる。彼の寝具に残る体臭に安らぎを覚え、顔を火照らせている自分が、
そんなことをして冷静でいられるだろうか?

「ダメよ、針が刺さりでもしたらどうするの? それに縁起が悪いわ、着たまま服を縫うなんて」

自分でも考えていなかったような言い訳をして拒絶する。

「縁起が悪いって……それ、お前のキャラで言うことなのかよ」
「いいから、裸にならないでシャツだけこっちによこしなさい!」
「お前は俺を一休さんにでもしたいのかよ……ちょっと待ってろ」

京介はタンスからシャツとパンツを取り出し、小脇に抱えた。空いた手で机の上に置かれていた
コップの載った盆を取り、そのまま廊下に出て行く。しばらくして、ドアが細めに開けられ、ワイシャツ
だけが放り込まれた。

「下で着替えてくるわ。ついでに茶も持ってくる」
そう言い残し、足音が階段を下りていった。

<>
放り出されたシャツを手に取り、ボタンの状態を確認しようとする。
今し方まで着たままになっていたシャツ。その残り香が気になる。

「先輩の匂い……」

思わず胸に抱き、顔を埋めてしまう。
ベッドに残るそれと同じ匂いが心を安らがせ、同時に昂ぶらせる。

「こ、これじゃ変態じゃないの。あのビッチを笑えないわ」

思わず荒くなった息をなんとか整え、改めてボタンを見る。
生地そのものが破れていたり、ボタンが欠けたりしているわけではなさそうだ。
これならほつれた糸を外し、新しい糸で留めてしまえばいいだけのことだろう。
鞄からソーイングセットを取り出し、針に白の木綿糸を通そうとしてふと手が止まる。
白糸だけを鞄の奥にしまい直し、針に黒糸を改めて通す。
これはあの人に私が残す標(しるし)。
あの子にも、ベルフェゴールにも見抜くことはできないであろう標。
そう思いながら、針を進めていく。

<>
ボタン付けそのものはさして時間のかかるものではない。放心していたり、多少の逡巡が
あったにせよ、人一人が着替えて台所に立ち寄っている間で十分に間に合う程度のものだ。
縫い終わったボタンの留まりを確認し、シャツの形を軽く整えて椅子の背中に引っかけた
ところでドアがノックされる。

「おーい、終わったか?」
「当然よ。椅子に掛けてあるわ」

ドアが開き、盆を持った京介が入ってくる。

「そんなことまでさせちゃって悪いな。何もないけどよかったら」

そう言いながら机に盆を置き、麦茶の入ったコップを手渡してくる。
いつもの麦茶。
それが自分の気持ちもいつも通りに戻してくれそうな気がして、コップを受け取り口に運ぶ。
麦茶が喉を通った時、自分がとてつもなく喉が渇いていたことに気付いた。
それでも喉の渇きが癒えるに連れ、気持ちも多少平静に近くなる。

「あれ? おい黒猫、この黒い糸で留まってるボタンだよな、外れかけてたのって」
「ごめんなさい、ちょうど白い糸を切らしていたのよ」

シャツを検分しながらの京介の言葉に、一瞬ドキリ、としつつも言い繕う余裕も戻った。

「構わないさ、別にそんなに目立つところでもないし」
「……そうね」

そうでなくては困る。このボタンが黒糸で留められていることを知っているのはこの人だけでいい。
そして、その意味は誰にも知られてはならない。

「でもよ、ずいぶんしっかり留まってるな。色以外は他のと全然見分けつかないぜ」
留められたボタンを指でいじりながら、京介が言う。
「本当は蝋引きした糸の方がいいのだけれど、そんなにすぐには駄目にならないと思うわ」

照れくさくて、どうでもいいことを口にする。

「蝋引き?」
「木綿糸に蝋を染ませてアイロンで固めるの。よれたりほつれたりしにくくなるから、
ボタンを留めるにはちょうどいいのよ」
「お前って、結構家庭的なのな」
「そうかしら?」
「ああ、案外いい嫁さんになるかもな」

少し厨二病を控えればな、と続けて言おうとした京介の動きが止まる。

「え……おい、黒猫さん?」

顔を下げ、肩を震わせる瑠璃の姿に戸惑う京介。

「帰るわ」

ややあって、顔を伏せたまま言葉を発する。

「帰るって、デバッグはいいのかよ?」
「ええ、今日はもういいわ。受験生なのでしょう? そんなことをしている暇があったら勉強なさいな」
顔を上げ、睨み付けるようにしながらベッドに置かれていたパソコンや資料を鞄に詰め込む。
「じゃ、さよなら」

それだけ言い残すと、そのまま階段を駆け下り、玄関を飛び出していく。

「なんだよ、急に怒り出して……あいつって、ホントわかんねえな」

取り残された京介は困惑するしかなかった。

<>
『いい嫁さんになるかもな』
言われた瞬間、心が嬉しさに震えた。
別に自分と結婚して欲しい、と言われたわけでもないのに。
その場に居続けたら何を言い出すかわからなかった。
そのまま表情が崩れてしまいそうで怖かった。
だから睨み付けるような顔で、必要最低限のことだけを伝えて飛び出した。

「莫迦なんだから……」

そう言いつつも、あの人の言葉が耳の奥でリフレインするたび、顔が微笑んでしまう。
微笑んでしまうのがどこか気恥ずかしく、顔が赤くなってしまう。
それを誰かに見られたくなくて、自宅への道を走る。
あの人は次にいつ、あのシャツを着るだろうか?
その時にあのボタンを見て、自分のことを思い出してくれるだろうか?
そう考えると顔がよけいに赤くなる気がして、瑠璃は自宅への道を走り続けた。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

記事メニュー
目安箱バナー