1933年三陸津浪からの復興計画
- 山田町の復興計画については、内務大臣官房都市計画課『三陸津浪に因る被害町村の復興計画報告』、1934年に、図版番号34「山田町」、図版番号32「船越村田ノ浦」、図版番号33「船越村船越」の各集落の飛行写真測量図並びに計画図が収録されています(ただし、「船越村船越」は飛行写真のみ)。
- 『三陸津浪に因る被害町村の復興計画報告』は、津浪デジタルライブラリィ(津波ディジタルライブラリィ作成委員会)に全頁がアップされています。
- 大羅(1987)では、明治29年津波から昭和8年津波にかけての山田町船越田ノ浜集落の移動の歴史的変遷が研究されています。明治期の開拓地地割(南区画)の図面(山田町役場税務課保管「船越村第拾五地割字前家口絵図面、新住宅地潰地見取図」により作製)が掲載されています。
参考
- 北原糸子・今村文彦他「昭和8年津波と住宅移転 岩手県下閉郡山田町船越・田ノ浜地区の事例-」津波工学研究報告、15、pp.51-76、1998年
- 大羅陽一「津波による住居移動とその後の変化-岩手県山田町船越田ノ浜の場合-」『日本の風土と災害』、古今書院、1987年
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最終更新:2011年10月16日 17:18