(04)571 『名前』



その日、喫茶リゾナントに一人の女子高生が、光井愛佳を訪ねて来た。
木崎アユミ。
光井が転校する前の高校のクラスメイト。
彼女は、光井をイジメていたグループの中心的存在だった。

 「いらっしゃいませ」と声をかけたのはカウンターで、新垣里沙と話をしていた高橋愛だけで、
テーブルを拭いていた光井愛佳は、呆然と立ち尽くしていた。

 高橋が言う「お好きな席に、どうぞ。・・・愛佳、お冷をお持ちして、オーダーを取って来て」
一瞬の間があって、返事をした光井は客席に水を運ぶ。水を出す手は震えていた。
「ご、御注文、お、お伺いいたします」

木崎アユミが言う「探したよ、光井ぃ。……勝手に転校しやがって。クソ光井が!」

目も合わせずに、震えた声で光井が言った「ご、御注文が、お、お決まりになりました頃に、う、伺います」

「もう決まった。ランチセット頼むわ、光井のおごりで。大至急ね」木崎が言う。

「ラ、ランチのセットは三時で終了しました・・・」

木崎が光井の脛を蹴って、言った。
「うっせぇ!早く持って来いよ。友達だろ?融通を利かせろよ。クソ光井」

光井は怯えてはいたが、今度はしっかりと木崎の顔を見て言った。
「ラ、ランチはもう出来ません。お、おごったりもしません。お、お金を払う気が無いなら、帰って下さい」

木崎がおもむろに携帯を取り出して「光井ぃ、そういう口きいてると、この画像ばらまいちゃうぞ」と言って光井に画像を見せた。

それは、教室の床に、全裸で正座させられている光井の画像だった。画像の中の光井は全身にアザを作り、笑っていた。


笑うまで服は着せない、そう言われ、ホウキの柄で殴られて作った笑顔はひきつり、怯え、恥にまみれていた。
いじめを受けた数ヶ月間、光井はこの画像に操られていた。
光井は画像を見せられる度に、自分を嫌悪し、「あんな無様な生き物ならいじめられて当然だ」と抵抗する意欲さえ失ってしまう。

光井の心が折れかかっているのを見透かしたように、木崎が言った。

「ランチ食ってここで待ってるから、今から10万円、用意しな。でなきゃ、この画像をネットでばら撒いてやる」

光井は押し黙り、木崎を見つめる。

「アッ!間違って、画像をアップしちゃった!ゴメン、ゴメン」木崎が笑う。

黙ったままの光井。

「早くしろよ。10分ごとに色んな場所に画像を流して行くからな……ホラッ!光井!ゴー」

エプロンを外し、リゾナントを飛び出す光井。


高橋愛が「愛佳!ちょっと!どこに行くの!」と声をかけるが光井は振り向きもせず行ってしまう。

木崎がとぼけて言う。「光井さん、来る途中に寄ったコンビニで、お財布を落としたんで探しに行くって言ってましたよ」

高橋が尋ねる。「あなたは?」

木崎が「光井さんの同級生です」と答えると、カウンターに座っていた新垣里沙が振り返って言った。
「あ、そうなんだ!愛佳の友達なら、奢ってあげなきゃね!何でも好きなもの食べなさい」

木崎が言う「ごちそうさまで~す」

「あら、あんた、イイ子ねぇ。ナ・マ・エ・は?」新垣が聞く。

「木崎アユミです」そう答えると木崎は、何故だか頭がぼんやりとして、強烈な眠気が襲ってきた。

「そう、いい ナ・マ・エ・ね……私は新垣里沙」

「ニ・イ・ガ・キ・リ・サ……」全くの無意識だった。木崎はその名前を声に出してつぶやいた。

「もう一度、言ってごらん」遠くに新垣の声が聞こえる。

「ニ・イ・ガ・キ・リ・サ・・・」そう言うと、木崎は深い眠りに落ちた。


高橋が新垣を咎めて言う。

「ガキさん……やっぱり止そう。この子は最低だけど、どんな理由があっても、一般人に能力を使って干渉するのは良く無い」

 ため息混じりに、新垣が言う。
「あのねェ、愛ちゃんがあの子達の話をリーディングして私に聞かせたんだよ。能力を使って盗み聞きしたのは、そっちが先。
 私に任せて。心配なら、そこでリーディングしていて貰ってもかまわない」

「ガキさん、いったい何をする気なの?」

「15歳にして、“一生”を生きて貰うの」

 新垣に言われた通り高橋は、木崎アユミの心を覗いた。

 ~木崎はもの凄いスピードで人生を体験していた。
学校を卒業し、就職をして、いくつかの出会いと別れを繰り返し、一人の男性とめぐり合う。
二人は燃えるような恋をして結婚し、新築のマンションを購入し、やがて子供が生まれる。
玉の様にかわいい女の子で、抱きしめると人生の喜びを感じた。~

高橋が新垣に尋ねる。「この仮想体験は、ガキさんが見せているの?」

「違うわ。この子が本来持っている、願望や不安が具現化しているの。私はそれを後押ししているだけ」



~木崎アユミは懸命に子育てをし、働き、気が付くと40歳になっていた。
最近は旦那との会話も減り、子供も14歳になり、親離れをしてあまり側に寄ってこない。
家庭からはかつての様な笑い声は消え、皆、無表情にすれ違う。
自分の体も若い頃の様には動かず、「少し人生に疲れたのかな?」と感じていた時の事である。

洗い終わった洗濯物を持って娘の部屋に入ると、娘は居らず、サッシが開いていてカーテンが揺れていた。
ふと、ベランダに目をやると、娘は室外機の上に立ち12階下の歩道を眺めていた。
木崎アユミは、慌てて洗濯物を放り投げ、娘の腰にしがみつき、部屋まで崩れるようにして引きずり込んだ。

「あんた!何やってるの!」震える手で娘の顔を挟み、叫ぶ。

娘が母親の顔を見たのは、本当に久しぶりの事だった。娘は堰を切ったように泣き出した。
木崎アユミは、今しがた娘が自ら消そうとした命を、力いっぱい抱きしめた。

しばらくして、木崎アユミが口を開いた。それはいつもの母親の口調では無く、まるで友達にでも言うように言った。
「一人で死のうとなんてしないでよ……死ぬんなら、ママも一緒に死んであげる」


娘は心の奥底に閉じ込めてきた、言葉や感情を少しづつ、語り始めた。
学校でイジメられている事や、生きるのが辛くて、どうしようもない事を、初めて母親に話した。

木崎アユミは「話してくれて、ありがとう……今までに、何度もこんな事してるの?」と娘に尋ねる。

娘の瞳からまた涙がこぼれ落ち、顔をくしゃくしゃにして言った。
「何度も死のうとしたよ……わたし、自分の事が嫌いになっちゃったんだよ!ママ!わたし……」
涙はこらえるほどに溢れ出し、嗚咽となる。娘はそれでも、嗚咽を縫って母親に何かを伝えようとする。
「ママ、あたし、ママ、あたしね、学校で……学校で……クソ女って呼ばれているんだ。誰も、誰も名前では呼ばないんだ!」

その者が生まれた時、喜びと共に名づけた名前は奪われ、その存在を踏みにじる。

「ママ、あたし、人間じゃないんだって!あたしね……ごめんね、ママ」

木崎アユミは自分の学生時代を思い出す。いじめられ、転校して行った一人のクラスメイトを。
いじめる側は常にそうだ、人間として認識していないから、罪悪感も無く、
いじめた事はおろか、出会った事さえも覚えていない。もちろん名前すら。

「謝らないで、どうか。あなたには名前がある。あなたはれっきとした人間よ。人間じゃないのは、あなた以外の人達だわ」

私はあの時、人間じゃなかった。彼女から、人間のプライドを根こそぎ奪い取り、貪り食う“化け物”だったに違いない。
木崎アユミは娘の頬に伝う涙を、愛しげに指で拭って言う。

「生きていてくれて、ありがとう」


木崎アユミが、再び目を覚ましたのは喫茶リゾナントの前の歩道だった。
意識は、夢から醒めた後の様に朦朧としていた。
今しがた娘と抱き合っていた自分と、制服を着てここに立っている自分の、どちらが現実なのか分からずにいた。
あたりは、もう暗くなっていた。
夜風が吹いて頬に触れると、今の自分の輪郭が、少しづつ取り戻されるようだった。

ふと見ると、喫茶店の扉の横に、光井愛佳がしゃがみ込んでいた。
光井も気が付いて、ゆっくりと立ち上がり木崎の方を見た。
しばらく、二人は見詰め合っていた。

すると、木崎は胸の辺りに何か熱い物が込み上げて来て、ハラハラと涙がこぼれ落ちた。


泣きながら木崎が言った「光井、ウチ……あんたに何て言ってたら良いのか、分からないよ」

光井も泣いていた。

木崎は自分の携帯を取り出して、地面に叩きつけ、何度も踏みつけた。

木崎が言う「凄く都合が良い事なんだけど……もし、光井がいつか、ウチの事を許してくれる時が来たら。
      そんな時が来たら、友達になってくれるかな?」

光井が不器用に微笑み、わざと偉そうに顎を上げて言った。「もう、許した」

二人は、泣きながら笑った。

木崎が言う「光井って笑うと、子供みたいな顔になるね」
「そうだ、下の名前で呼んでもいい?光井じゃ……ねぇ…」そこまで言った木崎が、何かに気付いて黙り込み、下を向いてしまう。

光井は「いいよ」と優しく言った。

木崎は涙でクシャクシャの顔を上げて、言った。
「ウチ、本当に最低だね。……今日まで、あなたの下の名前、知らなかった」

「愛佳。……光井愛佳。……愛佳って、呼んでよ」そう言って、光井が手を差し出す。

すると二人はまるで、初めて会ったかのようにして、握手を交わした。


喫茶リゾナントでは、高橋愛と新垣里沙が頭を抱えていた。
先程、木崎アユミによってアップロードされた光井愛佳の画像は、不特定多数の人間に流れてしまっていた。
新垣里沙はカウンターにノートパソコンを開き、どうしたものかと、腕組みをして画面を見つめていた。

そこへ、仕事を終えた久住小春がふらりとリゾナントに立ち寄った。
深刻そうな顔をした二人に、久住が何事かと尋ねると、これまでのいきさつを高橋が説明した。

久住は、少し考える素振りをしてから言った。
「わたしに任せてください。新垣さん、そのノートパソコンちょっと借りますね」

「いいけど、何をする気?」

「白いイメージを念写してしまえば、画像は消せますから」

「念写ってハードディスクにも出来るの?」

「媒体がどのように移り変わろうとも、問題は有りません。霊的エネルギーは万物に宿りますので」

「でも、ネットは広大よ。探し出せるの?」

「やってみます」

「あまり無茶しないでね、それ買ったばっかりだから」

「心配要りませんよ。パソコンには一切、触りませんから」小春がキッパリと言う。

「何か、今日は頼もしいね、小春」高橋が言った。

小春がパソコンの前に座り、目を閉じると言った。
「それじゃあ、はじめます」



(作者注:これより先はBGMと共にお読み下さい)









目を閉じた久住が、フラフラと左右に揺れ出したかと思うと、突然
背筋を伸ばしたままで、首だけカクンッと後ろに倒れた。
久住の口が大きく開き、白い塊が出てきた。
エクトプラズムである。
その白い塊は行き場を探し、宙をさまようと、パソコンの画面を見つけその中に吸い込まれて行った。
すると、DVDドライブが勝手に開き、中にあったDVDが飛び出た。

新垣が慌てて言う「ちょっと!小春!」

高橋が制する「ガキさん!こらえて。今、小春に話しかけたら危険よ」

後ろに倒れていた久住の首がゆっくりと元に戻り、目をカッと見開く。
その瞳は完全な白目で、微かに光を放っていた。
リゾナントに霊的エネルギーが充満して行く。
食器やテーブルがガタガタと音を立て始める。
気が付くと久住は床から30センチほど、浮き上がっていた。

パソコンを危惧した新垣が「一旦、ストップ!」と言って近づこうとしたが、
霊的エネルギーはさらに増し、新垣と高橋は、壁に身体を押し付けられて身動きが取れなくなる。


喫茶リゾナントの店内に、嵐が吹き荒れていた。

久住自身も霊的エネルギーにより、身体が上昇し、天井にピタリと貼り付いてしまう。
手を左右に開いた久住は、まるで十字架に磔にされたキリストのようだった。
霊的エネルギーの暴走は止まらず、リゾナントを震源とした地響きが東京中に波紋の様に広がる。
床から1メートルの高さの壁に、磔にされた新垣が、同じくカウンターの食器棚に磔にされた高橋に向かって叫んだ。

「愛ちゃぁ~ん!小春の意識に直接、語りかけてぇ!」

吹き荒れる風の中、高橋も叫ぶ。
「さっきからやってるけど、小春の中には巨大な霊的エネルギーが渦巻いているだけ!他には、何も居ない!」

二人は能力者の直感で、地球規模の何かが起きている事だけは分った。

リゾナントから巻き起こる霊的エネルギーは地球全体を包み込み、嵐を起こしていた。
地球上のいたる所に存在する霊能力者たちが、その嵐の空を見上げていた。
彼らは、この地球の何処かで起きている霊的事象を察知し、あまたの神々が慌てふためくのを感じていた。

ちょうどその時であった、落雷が轟き、リゾナントから天に向かって、巨大な光の柱が立ち昇った。
霊的エネルギーはしばらくの間、宇宙の神々と共鳴しあい、やがて天に吸い込まれていった。
すると、店内に充満していたエネルギーも消え、嵐もおさまった。
一瞬のしじまの後、天井から久住が落下し、真下にあったノートパソコンを額で真っ二つに割り、バウンドして席に座った。

リゾナントと世界に静寂が訪れた。高橋、新垣、久住はまだ、気を失ったままだ。


  この日、世界中のインターネット上から、全ての画像が消えた。 


                    三人はまだ、それを知らない。




















最終更新:2012年11月23日 22:59