(04)122 『蒼の共鳴-守るべきモノ-後編』



ミーがリゾナントで飼われるようになって、数日が経過した。
小春と愛佳の関係は、以前よりも確実によくなっている。
無垢な動物と触れ合い、その動物に関する会話をする内に小春とリゾナンター達の距離は縮まっていった。

相変わらず、愛佳に対する小春の態度は素っ気ない。
だが、以前と比べると口調が柔らかくなり、時折笑顔すら浮かべるようになった。

良い傾向だと愛は言葉には出さないものの、そう思っている。
小春の冷たい態度が原因で、時には一触即発の危険を孕んだ状態になることもあった。
それを考えると、今の状態は小春のみならずリゾナンター達にとっても非常によいものと言える。

授業を終えた小春はリゾナントへと向かっていた。
ここ数日は“敵”との戦闘は生じていない、そのため、リゾナントへと小春が顔を出す理由は特に無いと言える。
だが、リゾナントへ顔を出すのは最早小春にとっては日課となりつつあった。
ミーに会いたいというのも勿論だったが、それ以上にリゾナンターの面々に会えるということが今の小春にとっては心地よいものとなっていた。


「誰だろ?」


立ち止まり、小春は鞄から携帯を二つ取り出した。
“月島きらり”用の携帯と、プライベート―――久住小春用の携帯。
プライベート用の携帯に着信のランプが点っていることを確認した小春は、仕事用の携帯を鞄に仕舞った。

二つ折りの携帯を開き、着信が誰であるか確認する―――愛佳からだった。
ミーと出会う以前の小春だったら、かけ直すことを躊躇ったことだろう。
何を話せばいいのか見当も付かないし、口を開けば愛佳を傷つける言葉しか出てこなかったから。

躊躇うことなく、小春は愛佳の携帯へとかけ直した。


「久住さん、大変なんです!
ミーがリゾナントにおらん!」

「分かった、すぐに行くから!」


素早く通話を終了し、携帯を鞄に放り込んで小春は走り出した。
ひたすらにアスファルトを蹴り上げ、全力で走りながら小春はミーのことを想った。

何故、ようやく歩けるようになったくらいの子猫がリゾナントからいなくなったのか。
いい方向で考えるなら、愛とれいなが目を離した隙に寝床から抜け出して店の外に出ただけだと片付けられなくもない。
あるいは、店を訪れる一般客が愛とれいなの目を盗んで連れ帰ってしまったのかもしれない。
今の時点で分かることは、ミーがいなくなったら皆とても悲しむということだけだった。

どれくらい走ったのか自分でも分からなかった。
小春は“本日臨時休業”と書かれた紙が貼られているリゾナントのドアを勢いよく開けて、中に飛び込んだ。


「高橋さん!」

「小春、早かったね。
今皆で周辺を手分けして探しとる。
誰かが連れ去ったとかじゃない限り、ミーの足じゃ遠くには行けないはずやから」


客のいないリゾナントには、愛が一人で待機していた。
息を切らし何も言えずにいる小春へと、愛は水の入ったコップを突き出す。
そのコップを受け取りながら、小春は自分が感情のままに突っ走ってきて喉が枯れそうな程に乾いていたことを自覚した。

口に含んだ水はよく冷えていて、乾いた喉をしっかりと潤す。
水を口にしたことで幾分か落ち着きを取り戻した小春は、状況を把握すべく愛に話しかける。


「一体、どうしてこんなことになったんですか?
まだ小さいから、お店の中から外には出さないようにしてたはずですよね」

「それはもちろんや。
それに、ミーはカウンターの中に作った寝床に入ってた。
普通に考えて、あーしとれいなの目を盗んでミーを連れ出すなんてことは無理なはず」

「じゃ、リゾナンターの誰かが外に連れ出したってことですか?」

「それはないやろ、ついさっきまであーしとれいな以外リゾナントにはおらんかった。
…だから、皆焦って探しとる」


愛の言葉に、小春は思わず胸の辺りを掴んで座り込む。
嫌な胸騒ぎが止まらなかった。
それは、愛も、今必死になって辺りを探している皆も同じことである。

普通に考えて、ありえない事態だった。
歩けるようになったミーが、二人の見ていないうちにカウンターから抜け出して外に出ただけたったらいい。
そうであってほしくはないが、カウンターから抜け出したミーを客の誰かが連れ帰った可能性もなくはない。

それなのに、胸騒ぎは消えるどころが強くなっていく一方だった。
小春は立ち上がって、鞄を愛に渡した。
体力は回復したとは言い難い、だがここに留まっていたら不安に飲み込まれてしまいそうだった。


「高橋さん、後お願いします!」

「分かった。何かわかったらすぐに連絡するからね」


小春は来た時以上の勢いを持って、リゾナントを飛び出した。
ミーが何処に消えたかなんて小春にはまるで見当も付かなかったが、直感を頼りに走る。
胸騒ぎが強くなる方へ、ひたすら、全力で。

自分の直感が今、リゾナンターの誰よりも働いていることに小春は絶対の自信があった。
リゾナンターの誰よりもミーの存在に心を癒され、救われたのは小春だ。
その直感だけを頼りに、痛いくらい拳を握りしめアスファルトを蹴り出し、跳ねるが如く街を駆け抜けていく。
その刹那だった。


(久住さん…来たらあかん、殺されてまう)

「!? みっついー?」


聞き慣れないはずなのに知っている“声”が、小春の心に直接届いた。
その声を放つのが愛佳であること、そして切羽詰まったとしか言いようのない声に小春は動揺を隠せなかった。
愛のように、精神感応能力を持つわけでもないのに聞こえてきた愛佳の心の声は―――恐怖に震えていた。


「…いかないわけにいかないじゃん、みっつぃーはあたしの大事な仲間なんだから!」


以前の小春であったら、けして言えなかった言葉だった。
リゾナンターの一員となってからもなかなか皆と馴染めずに浮いていた小春。
そんな小春に積極的に話しかけてきてくれたのは、愛佳だった。

あの、心優しい愛佳が今、大きな危機に瀕している。
その状況を見なかった振りをして逃げ出せる程薄情であったならば、最初から小春にはリゾナンターという存在自体が不要のものだった。

自分の有する能力―――“念写”と“幻術”が戦闘補助系であり、直接的な戦いには役に立たないことは百も承知だった。
勝てるかどうか、それも問題ではない。
愛佳を助ける、その一心で小春は声がした方へと走り出した。


やがて、小春の目の前に現れたのは、黒い障壁。
外界を遮断する“結界”に、小春はここに愛佳がいることを確信した。

自分で破れるかどうか分からなかったが、小春は躊躇うことなくその障壁へと両手を突き出し、こじ開けた。
元の状態を維持しようとする結界にその身を潰されるよりも先に、小春はその中へと飛び込む。


「遅かったじゃない、待ちくたびれちゃったわ」


小春の視界に映るのは、黒いドレスに身を包んだ一人の女性だった。
そして、女性からさほど離れていない位置には…腰から下の部位と腕を青白い氷に覆われた愛佳。

目の前の光景に、沸々と怒りが湧き上がってくる。
女性は手に何かを持っているのか、落ち着きなく手に持っているものをお手玉のように弄んでいた。
その手が弄ぶモノが何であるのか視認できた瞬間、小春は反射的に女性へ飛びかかっていた。

女性は、飛びかかってきた小春へと、瞬時にその手から氷塊を生み出し放つ。
考えもなく飛びかかった小春の腹部へと、氷塊はクリーンヒットした。
腹部を中心に広がる鈍い痛みに、小春は思わずその場に膝を付かざるを得なかった。
小春を一瞥すると、女は冷ややかな視線を保ったまま口を開く。


「大人びて見えても、ガキはガキ…動物に弱いんじゃないかと思って仕掛けてみたけど、ビンゴね」

「どういう、こと?」

「どうもこうも、今聞いた言葉で何となく分からない?
全て、私の計画通りってわけ。
お前にこれを拾わせたのも、これを連れ出すことでお前をここに呼び寄せることも…計算外は、あのガキだけど。
まぁ、邪魔者を2人もいっぺんに片付けられるって点ではある意味ラッキーってことにしておくわ」

「久住さん、逃げてください!このままじゃ2人ともやられてまう!」


愛佳の叫び声に、女性は煩そうに顔を顰めた。
こいつ、ウザイという女性の呟きと共に、身動きの取れぬ愛佳の周りに鋭く尖った氷塊が出現し、無防備な体を切り裂いた。
余りにも突然の惨劇に、小春はその場から動くことすら出来なかった。
結界内に響き渡る愛佳の絶叫が、小春の心を容赦なく切り裂く。


「さて、お前を呼び寄せることに成功したことだし、これも用済みね」


女性はそう言いながら、その場で固まる小春に見せつけるかの如く。
女性の手の中で震えるミーを一瞬で氷漬けにし―――砕いた。

目の前で起きた新たな惨劇に、小春の心の中で“何か”が大きく弾ける。
―――それは、激しすぎる怒りと深い悲しみであった。


「許さない、あんただけは何があっても、絶対に許さない!!!」

「許さないって、お前は一人じゃ何も…!?」


細い小春の体から、ゆらゆらと赤い光が立ち上る。
その赤い光は輝きを増し、結界を貫き空へと届く程であった。
女性は動揺を隠せなかった。
“スパイ”の報告書の小春に関する項は、小春が有する能力は“念写”及び“幻術”でありそれ以外の能力は有しないと書かれていた。

だが、目の前に立つ小春からは明らかにその報告にはなかった能力の気配を感じる。
女性の背中を冷や汗が伝い、今まで女性が知ることの無かった“恐怖”が女性の心身を完全に支配した。

また、傷つき血を流す愛佳の体からも紫の光が立ち上る。
まるで、小春から放たれる赤い光に“共鳴”するかの如く。
愛佳の動きを押さえつけていた氷は、その紫の光に溶けて消えていた。

満身創痍と言ってもいい愛佳を動かすのは、目の前に立つ女性への激しい怒りだった。
小春の心を激しく切り裂き命を命と想わぬ所業に、愛佳は激しい怒りを解き放つ。
傷ついていることを感じさせぬ程の力強い歩みで愛佳は小春の隣へと並び立つと。
強く握り込み過ぎて血が滴り落ちる小春の拳を、そっと包み込むように握った。


「こんなのは報告にない!
あいつ嘘の報告をしていたのか!?」

「ごちゃごちゃとうるさい…みっつぃー、いくよ!」

「うん!うちらを怒らせたの、後悔させたるわ!」


二人の言葉に、女性はこの場から脱出すべく“転移能力”を行使しようとして―――動きを止めた。
小春と愛佳、二人の力が“共鳴”した結果、辺りの空間に歪みが生じていた。
空間が乱れる中で転移能力を行使しようものなら、何処に転移するか予測することは出来ない。

地上の何処かにでも転移出来ればいいが、最悪海の底や火山のマグマの中へと転移してしまう可能性がある。
そうなってしまっては、さすがに生存することは難しい。

追い詰められた女性へと与えられた選択肢は二つ。
一か八か転移するか、勝ち目の見えぬ戦いに挑むか。
女性は迷うことなく、前者を選択する。

女性の周りの空間が歪み始めた刹那―――女性の体を赤い“電撃”が走り抜けた。
体の中から焼かれるような苦痛に、女性はその場へと座り込む。


「逃がすわけないじゃん、あんただけはあたしと…みっつぃーが倒す!」

「何しようと無駄や、うちがおる以上あんたが何をするかなんて全てお見通しやからな!」


激しい怒りと深い悲しみに、小春が覚醒した第3の能力。

それは“発電-エレクトロキネシス-”であった。
その名の通り、電気を発生させそれを自在に操作・行使する能力である。
スタンガン程度の電流から、雷まで…能力者のレベルによって生み出される電流の激しさは変わる。

電気とはそもそも、電荷の相互作用によって発生する物理現象の総称である。
電流を引き起こし、それを行使し物体を動かすエネルギーとすることもあれば。
電流をそのまま相対する物体にぶつけ、物的ダメージを与えたりすることもできる。
また、電流を引き起こすことにより、その場の磁場を狂わせることが可能である。

愛佳に握られていない方の手から、小春は一瞬で相手を行動不能レベルに陥れる電流を放ったのであった。
そして、小春が女性を転移させることなく撃ち抜くことが出来たのは、握られた手から伝わってくる愛佳の“ビジョン”のおかげてある。

愛佳が有する“予知能力”、それを行使した愛佳が視た、ほんの数秒足らずの“未来”。
そのビジョンを愛佳が小春へと視せることができたおかげで、小春は女性を素早く撃ち抜くことが出来たのであった。

普段の愛佳では、自分にしか見ることの出来ぬビジョンを他人へも視せるという芸当は出来ない。
だが、小春と愛佳が“共鳴”したことにより、ほんの数秒先の未来はあったが、愛佳は小春にそのビジョンを視せることが出来た。
二人の力が強く共鳴し合わさった結果が―――地面に膝を付いてもがく女性であった。


「くそ…事前に知っていれば、もっと違う闘い方があったのに」

「残念だったね…でも、同情はしてあげない」

「尊い命を奪ったあんたに、勝利の未来なんか最初からなかったんや。
うちらは…そんな奴には絶対に負けへん、何があっても」


小春は、握られていた愛佳の手をそっと振り解いた後、改めてしっかりと指と指を絡めて繋ぎ直した。
そして、二人はお互いの意思を確認することなく、繋がっていない方の手を空へと翳す。

赤い光と紫の光が、絡み合い同化するように空に立ち上っていく。
その光景に何が起きようとしているのか察知した女性は、今度こそ逃走するべく全身を駆け巡る痛みを堪えて転移能力を展開しようとする。

後数秒あれば転移できる、その瞬間だった。

轟音と共に、避けることは不可避である速度で赤紫の“雷”が女性の体目がけて落ちる。
―――女性は断末魔を残すことなく、一瞬で炭の塊と化したのであった。

肩を大きく上下に揺らしながら、小春は低い声で呟いた。


「…言ったじゃん、逃がすわけないって」


小春の低い呟きを聞き終えると同時に、愛佳は地面に膝を付いた。
身動きの取れぬ状態で、鋭く尖った氷塊に無防備な体を切り裂かれたのだ。
その上、自らが有する能力をフル開放して小春をサポートするという行為―――とっくに、愛佳の体は限界を超えていた。

また、小春も自らの内に眠っていた能力を解放したことによる反動がその身へと押し寄せていた。
小春はその場に座り込むと、優しく愛佳の肩を引き寄せてその華奢な体をしっかりと抱き締める。
愛佳もまた、小春の背中へと手を回してその行為に応えた。

戦闘には勝利した、だが、何と空しい勝利か。
尊い命を犠牲にし、大切な仲間を傷つけられねば何も出来ずに死亡していたであろう自分に、小春は悔し涙を流す。
戦いが終わっても尚、小春と愛佳の胸を締め付ける深い悲しみ。


「はは、涙が止まんないや。
本当、マジで馬鹿みたいだよね。
…あたしがミーを拾ってこなければ、ミーもみっつぃーもこんな目には遭わなかったのに」

「久住さん、自分を責めんといてください。
例えミーを拾ってこなかったとしても、あいつは何らかの形でうちらを陥れようとしとったはずやから」

「でも、でも」

「ミーは助けられへんかったけど、久住さんもうちもこうして今ここにおる。
亡くなった命はどんなに悲しんでも戻ってきぃひん、やけど、これからは変えていける。
これからは、誰も何も傷つけさせへんように…強くなりましょう、もうこうやって泣かんですむように」


背中にしっかりと回されていた腕の力が緩む。
ついに意識を手放した愛佳をキツく抱きしめながら、小春は声を殺して泣き続けた。

苦い勝利だった、犠牲は大きかったが勝つことは出来た。
小春がこの戦いで得た新たな能力は、リゾナンターにとっては貴重な戦力の一つとなるであろう。

だが、それは何の慰めにもならなかった。
失ったものの大きさは、それだけでは到底埋めることの出来ぬ大きな穴だった。


愛佳を抱きしめ涙を流す小春を遠くから見つめる、一人の人物がいた。
その手に握られているのは、鈍く輝く黒塗りの携帯電話。


「久住小春、並びに光井愛佳の警戒レベルを大幅に引き上げてください。
特に、久住小春は…戦闘系能力が覚醒しています。
能力のコントロール面などは未知数ですが、自在に能力を行使出来るようになった際は大きな脅威になると思われるので。
では、失礼します」


通話を終了し、携帯を閉じるとその人物は小春達の元へと駆け出した。


―――あたかも、たった今小春達を見つけたかのように。






















最終更新:2012年11月23日 21:17