(19)929 『蒼の共鳴特別編第8夜-緑炎使いは仲間を欲す-』



柔らかな日差しが降り注ぐ、昼下がりの商店街。
エコバッグやスーパーの買い物袋を片手に提げた主婦の姿が目立つ、小さくも活気ある商店街を一人の少女が歩いていた。
主婦達に混じり立ち並ぶ商店を覗くその姿は、とても十代の少女とは思えないくらいしっかりとした空気を纏っている。


「そレ、一つ、くださイ」

「あいよ、180円ね」


八百屋の店主に、ちょっト待ってテ下さイと言いながら少女はポケットから財布を取り出して小銭を一つ一つ数える。
そのたどたどしさは店主を苦笑いさせるには十分過ぎるくらいだった。
数え終わった少女は、店主にお金を手渡すと白い無地のビニール袋に入れられた野菜を受け取って微笑む。


「…お嬢ちゃん、ひょっとして外人さんかい?」

「そウでス、すいマせン、にホんご、まダ、ヘタ」

「いいっていいって、お嬢ちゃん若いからこれからすぐに日本語も覚えられるって。
…これはおまけしておくよ、またおいで」

「ありガとウござイまス!」


店主がおまけと言ってくれた林檎をビニールに放り込むと、少女は店主に深く頭を下げてから再び歩き出した。
ビニール袋を片手に、少女は一軒一軒覗きながら必要なものだけを買っていく。
その度に、気のいい店主達から色々貰ったおかげで買い物袋はもうパンパンになっていた。

商店街を抜けた少女は、そのまま自分の住むマンション目指して歩いていく。
のんびりとした足取りで、時に鼻歌を歌いながら歩く姿はとても可愛らしい印象をすれ違う人間に与えていた。


程なく、自分の住むマンションに着いた少女は階段を上っていく。
築二十年、三階建てのマンションの二階にある角部屋、それが少女の城だった。

風呂とトイレが別で、おまけ程度の収納付きのワンルームマンション。
まさに小さな箱のような部屋でも、駅や商店街からそこまで離れていないというだけで数万円もの家賃がかかる。
欲を言えばもう少し広い部屋に住みたいところだったが、今のところは物が溢れているわけでもない。
狭いということを除けば、今のところは快適な住処だった。

少女はまず、冷蔵庫の中に買ってきたものを手際よく仕舞っていく。
次に、ベランダへと出て干してあった洗濯物を取り込むと一つ一つ畳んでいった。
畳み終われば、それらをプラスチックの衣装ケースへと次々に仕舞い込む。

洗濯物を仕舞い終わった少女は、今度はパソコンののった机やテーブルの埃をハタキで叩いていった。
それが終われば、今度は床をモップがけしていく。
綺麗好きなのだろう、部屋の掃除が終わったら今度は風呂場に行って軽く浴槽や床をスポンジで磨く少女。

一連の家事が終わる頃には、もう窓から差し込む光は暖かなオレンジ色へと変わっていた。
少女は満足げに微笑むと、携帯電話を操作してアラームをかけてベッドへと横たわる。

とろとろとした温かさに引き込まれるように、少女は眠りに落ちていった。


 * * *


アラームの音と同時に目覚めた少女は、一つ伸びをしてから冷蔵庫の前へと立つ。
冷蔵庫を空けて適当な食材を取り出した少女は、備え付けの小さな台所へと食材を持って移動した。

小さなまな板を何とか置けるようなスペースがあるだけの、ガスコンロと流し台のみの台所。
そこで少女は、材料を洗ったり刻んだりしながら手際よく調理を進めていく。


数十分後、テーブルの上に並べられていたのは麻婆豆腐と青椒肉絲、杏仁豆腐という中国料理の数々だった。
テレビを見ながら、少女はゆっくりとテーブルに並んだ料理を食べていく。
食べ終わったら、使った食器類を洗って備え付けの戸棚へと仕舞った少女は、そのままテレビを見始めた。

バラエティ番組、ニュース番組と…少女がテレビを見始めてから、数時間が経過していた。
少女は壁に掛けられた時計を見た後、徐に立ち上がる。
衣装ケースの前に行き、次々に服を取り出して着替えていった。
全身を黒い衣服で統一した服装になった少女の表情は、昼間見せていたような愛らしさはどこにもない。

午前0時になったのと同時に、少女は携帯電話を服のポケットにねじ込み、携帯プレイヤーを装着して部屋の電気を消す。
部屋の鍵をかけて、少女はそのままマンションを飛び出していった。

軽快な音楽を聞きながら、マンションを出て人気のない裏路地へと移動した少女は―――高く跳躍して、壁を駆け上って行く。
小さなビルの屋上に上った少女は、そのままビルからビルへとまるでSF映画の主人公のように飛び移っていった。

その姿は、獣のようですらあった。
普通の人間ではありえない身体能力を有した少女は、重力を感じさせないような軽やかさで数メーター以上離れたビルとビルの間を飛び移る。
その姿を見た人間は、おそらく自分の目を疑わずにはいられないだろう。

まるで何かを探しているかのように、少女は周りを見渡しながら移動していた。
時折、十数秒程立ち止まって目を閉じたり、方向を変えたりしながら少女はひたすらに夜の街を駆け抜けていく。

どこか焦ったようなその表情を、銀色の月が照らし出していた。


 * * *


少女が育ったのは、中国のとある都市だった。
緑も豊かでありながら、それなりに発展した街に生まれた少女。

だが、少女は普通の少女が辿るような人生を送ることはなかった。


少女が育った家、それは非公式ではあるが国家認定を受けた超能力組織“刃千吏-バッチリ-”の創設者の家だった。
子宝に恵まれなかった創設者は、その当時まだ赤子だった少女を引き取り育てることを決意する。

“念動力-サイコキネシス-”、そして“発火能力-パイロキネシス-”。
生まれながらに二つも能力を宿していた少女は、まさに組織の後を継がせるのにはうってつけの人材。
その上、少女は成人まで育て上げれば莫大な金銭を得られるという“契約”が付いていた。
組織の跡継ぎと莫大な活動資金を同時に得られるという、創設者にとっては非常に美味い話だった。

幼い頃から、少女には過酷な訓練が課せられた。
能力の制御及びその知識、格闘訓練、密偵訓練等々、幼い少女に課するには余りにも厳しい訓練の数々。

だが、少女はそれらの訓練を投げ出すことはなかった。
幼いながらも、自分の置かれた立場を少女は誰よりも分かっていたのだ。

国家認定超能力組織“刃千吏”、その創設者の娘である自分。
いずれは一万人を超える組織のトップに立ち、組織を統轄していかなければならない。

そのことを誰に言われるでもなく悟っていた少女は、訓練で手を抜くことはけしてなかった。
組織に属する能力者として必要な技術、知識を必死に自身に叩き込みながら生活していく少女。

どこまでもストイックに、組織のために訓練に明け暮れる日々。
それは、少女にとっては孤独の日々でもあった。

小学校などの、公共の施設で勉強を学ぶことを許されなかった少女。
周りは大人ばかりの超能力者組織の施設では、当然友人と呼べるような人間はいなかった。
友と呼べるような人間のいない環境で、ひたすら少女は己に課せられた訓練をこなしながら生きていく。

十六歳になり、組織に属する能力者としてかなりの成長を遂げた少女。
今日も無事に訓練を終え、そろそろ家に戻って寝ようかという少女の耳に届いたのは、組織の人間の嘲笑う声だった。


「おい、見ろよ。
こいつら馬鹿じゃねーの、ダークネスの能力者相手に喧嘩売ってるぜ」

「刃千吏ですら喧嘩売らないような組織相手によくやるぜ。
日本人ってのは、本当狂ったようなヤツが多いんだな」


その声に、少女はふらふらと施設内部にある監視室へと足を踏み入れた。
そこの巨大なモニターに映されていたのは、黒づくめの衣装に身を包んだ“ダークネス”の能力者相手に
血を流しながらも果敢に立ち向かう数人の少女達の姿だった。

仲間達の言うように、はっきり言って馬鹿としかいいようのない光景だった。
刃千吏を超える構成員数を誇る超能力者組織“ダークネス”、その一員である能力者に数人で立ち向かわなければいけない程弱い能力者達。
こんな巨大な組織を敵に回して、生きていけるわけがないのは明白だった。

だが、少女はその光景から目を離すことが出来なかった。
必死にダークネスの能力者相手に食らいつく少女達の姿を見ていると、何故だか胸が熱くなる。

不思議な感覚だった。
常に、次期総統としての立場を自覚した行動を求められた、年齢よりも遥かに大人びた少女の胸を揺るがす熱い想い。

やがて、モニターに映る少女達は…力を合わせて、ダークネスの能力者を倒してしまった。
その光景に、個々の能力はそこそこあるんだな、ちゃんとした組織で鍛えられたらもっと強いだろうにと言った声が次々に上がる。


全てが終わっても、少女はその場から立ち去れずにいた。
胸に湧き上がる、強い感情が少女の胸を大きく揺るがし続ける。

ポン、と肩を叩かれ、もう家に帰って寝なさいと言われるまで少女はその場に立ち尽くしていた。


 * * *


その出来事から数日経った。
だが、少女はその出来事を忘れられずにいた。

強大な組織に果敢に立ち向かう少女達の姿、そして画面越しに見ていた自分に訴えかけるような熱い“想い”。
その場にいないのに、まるでその場にいて想いを共有しているかのような、得体の知れない感覚が今も尚少女の心を占めていた。

訓練に身が入らない。
いつもと同じように訓練に臨んでいるつもりでも、何処か動きの鈍い少女。

訓練後、少女は別室へと呼び出された。
少女にとっては父親であり、属する組織のトップである総統の部屋。


「琳、今日は一体どうしたというのだ。
報告によると、今日はいつもよりも成績が悪かったというではないか。
困るぞ、お前は私の跡継ぎ…この刃千吏の次期総統になる人間なのだからな」

「申し訳ございません、総統。
あの…」

「何だ、琳」

「…私に、お暇をいただけないでしょうか」


突然の少女の申し出に、少女の父でもある組織の総統は絶句した。
今まで従順に、課した全ての訓練をこなしながら立派に成長してきた少女の突然の申し出。
それは、総統にとってはある種の裏切りにも近い言葉だった。


「何故だ、琳。
これまで、お前には厳しい訓練も課してきたが、それ以上にお前に対する愛情は注いできたつもりだ。
一体、何が不満だと言うのだ琳よ」

「総統、いえ、お父様。
不満があるから言ったわけではないのです。
全ては、私自身の問題なのです」


そう言って、少女は先日の出来事、そして今も尚続く不思議な感覚について語る。
話し終えても尚、理解出来ないといった眼前の父親に対して少女は悲しげに微笑んだ。


「愚かなことだと承知しています。
中国随一であり、最強の能力者組織刃千吏をいずれは率いねばならぬ立場であることも、重々承知しています。
ですが、私は…この、今も胸を締め付ける切実な叫びを無視することが出来ないのです。
このまま、何もなかったかのように今までの日々を送ることなど出来ません。
私は、誰に止められようとも…彼女達の元にいかねばならない、そう思っています」

「…それは、いずれ得られる刃千吏の総統の座、そして名誉を捨てる行為だと分かっていてもか?」


鋭い眼光を隠さずに少女を見つめてくる父親から目を逸らすことなく、少女ははいと澄んだ声で答えた。
揺るぎない眼差しを浮かべた少女を、父親はしばし何も言わずに見つめる。

どれほどの時間が経っただろうか。
溜息を吐きながら、父親はゆっくりと口を開いた。


「―――分かった、琳。
日本に行き、彼女達と共に戦うことで得られる何かもあるだろう。
ただ一つ言っておく…絶対に、死ぬんじゃないぞ」

「お父様…ありがとうございます」


それから数日、少女は以前と変わらない時間を過ごした。
日本に行くために必要な手続きなどの類は、全て父親が少女の代わりに行ってくれた。
家具の類は、先に日本に行かせておいた組織の人間があらかじめ住居となるマンションに設置してくれる。
そのため、少女が特にやることはなく…以前と変わらず、訓練に打ち込む以外すべきことはなかったのだ。


少女が日本に行くことは、瞬く間に組織の人間達に知れ渡った。
次期総統になる者の突然の行動に、少女を見かけた人間は口々に止めておけと声をかける。
文化の違う国に行っても馴染めずに辛いだけだ、ここにいればそんな苦痛を味わうことはない、そう言ってくる人達に少女は曖昧に笑ってみせた。
分かっていても、それでも行かねばならないと思う程の強い感情、それを話して分かって貰えるとは到底思えない。

そして、少女は一時休職扱いで組織から離脱し、日本へと旅立ったのだった。


 * * *


少女が日本に来て、一ヶ月が経過していた。
東京に来た当初と比べて、少しは日本語も話せるようにはなった。
それこそ、日本に来てから二週間は会話どころか、全く日本語が理解出来ない状態だったため、困ったことがあってもどうにもならない状態。
簡単な会話が出来るようになるために、本屋に日本語の会話に関する書籍を買いに行くのですら一苦労だった。

日本語が読めないから、地図が読めない。
場所を聞こうにも日本語が話せないから、道行く外国人に英語で話しかけて案内してもらうしかなかった。

やっとの思いで本屋についても、今度はどの棚に目的の本が置かれているのか分からない。
幸い、話しかけた店員が英語を少しは理解出来たため、何とか本を購入することが出来たのだった。

店員が勧めてくれたのは、単語と単語を組み合わせて、意思の疎通を図ることを目的とした会話帳。
単語の下に、日本語の読みと中国語で単語の意味が記載されている会話帳のおかげで、少女は徐々に日本語を覚えていった。

まだまだ、難しい会話は出来なかったが、日常生活で困らない程度のコミュニケーションはとれる。
そして、ようやく少女は本来の目的を果たすために本格的に行動を取るようになったのだった。

ダークネスの能力者が活動する時間帯は夜であるため、少女は夜はダークネスの能力者及び少女達の探索、
昼間は買い物などの家事に加えて、人のいない空き地等で超能力の訓練を行っていた。


「きょウは、モう、だメでスね」


額に汗を滲ませた少女は、携帯電話を取りだして時間を確認する。
時刻はもう、明け方に近い時間だった。

もう少し探索を続けてもよかったが、数時間殆ど休むことなく飛び回っていた少女の体にはかなりの疲労が溜まっていた。
少女は呼吸を整えると、再び跳躍しながら自分のマンションへと戻っていく。

いつになったら、彼女達と出会えるのだろう。

不思議な感覚に導かれるまま訪れた日本で、毎日探索を続けても誰一人遭遇することの出来ぬ状態は、少女を苛立たせるのには十分だった。
彼女達どころか、ダークネスの能力者にも出会うことがない日々。

住む街を間違えただろうか、そう思わずにはいられない。
だが、確かにあの時モニターに映し出されていた街はこの街だった。

ひょっとしたら、彼女達はこの街に住んでいるわけではないのかもしれない。
自分が思っているよりも彼女達の行動範囲が広ければ…あの時はたまたまこの街で戦闘しただけで、彼女達の住む街は別にある可能性がある。

探索範囲をさらに広げる必要があることに溜息をつきながら、少女はマンションに帰り着いた。
シャワーを浴び、部屋着に着替えた少女はアラームをセットしてベッドへと潜り込む。

何かを思う間すらなく、少女は深い眠りに落ちていった。


 * * *


アラームの音で目覚めた少女は、ゆっくりとベッドから起き上がるとタオル片手に洗面所へと向かう。
顔を洗ってきた少女は、冷蔵庫を空けて中から、先日八百屋の店主からタダで貰った林檎を取り出した。


包丁で適当に等分した林檎の芯と皮を取り除き、少女はテレビを見ながらのんびりとブランチをとる。
林檎以外には、パックの牛乳しかないというとても簡素なブランチ。

食べ終えた少女は、後片付けを済ませて今度は歯磨きをする。
しっかり時間をかけて歯を磨き上げた少女は、出かける準備を始めた。

服を着替え、携帯電話と携帯プレイヤー、何かの詰まった袋を持った少女はゆっくりとした足取りで近所にある河原へと向かう。
平日の昼間ということもあり、片手で数えられる程度の人間しかいない河原。

少女は人のいない方向へと進んでいく。
数百メートル程歩いただろうか、周りを見渡しても人がいない場所に辿り着いた少女は立ち止まると―――“能力”を解放した。

深緑色の光がゆらゆらと立ち上り、十数秒程で半径数百メートルの範囲を覆い尽くす光のドームが完成する。
この光に覆われた空間は、周りの外界から隔離された異空間と化す。
外敵からの攻撃から身を守り、また周囲の建物や人間に被害を及ぼすことなく超能力を駆使することのできる空間―――“結界”。

結界を張り終えた少女は、袋を持って数十メートル程離れた場所まで歩いていく。
立ち止まった少女が袋から取り出したのは、空き缶だった。

少女は空き缶を一つ地面に置くと、今度はその缶から数十センチ程離れた場所に空き缶を置く。
その行為を十数回繰り返した少女は、空になった袋を持って再び元の位置に戻った。

軽く息を吸い、少女は空き缶の一つへと手を翳す。
刹那、少女の体から深緑色の“念動弾”が解き放たれた。

カーンと小気味よい音と共に、念動弾の命中した缶は宙を舞う。
それに構うことなく、少女は次々に念動弾を残った缶目がけて放っていった。

凄まじい連射だった。
打ち上げられた缶が地面に落下するよりも先に、次の念動弾が再び缶を空中へと浮き上がらせる。


エネルギーを絞った、空き缶を浮き上がらせる程度の念動弾。
念動弾をコントロールし、確実に標的に当てるための特訓なのだろう。
少女は気を緩めることなく、ひたすら缶を撃ち続けていく。

徐々に、空き缶の形が変わっていく。
小さな凹みが幾つも生まれた缶は、塗装が剥がれて最早元の形を成していない。

一時間ほど、延々と缶を撃ち続けた少女は一旦手を止める。
額に滲んだ汗を服の袖で拭うと、少女はストレッチを始めた。

二十分程かけて、丹念に体をほぐした少女はその場で腕立て伏せを開始する。
胸が地面につくギリギリの体勢で一分停止した後、腕の力だけでゆっくりと上体を起こし、再び先程と同じ状態にして一分停止。
普通の腕立て伏せの何倍も筋肉に負荷のかかる腕立て伏せを数十回、少女は淡々とこなした。

腕立て伏せが終われば、今度は腹筋である。
膝に胸が付くくらいの姿勢で一分停止、その後ゆっくり上体を倒してから再び同じ体勢に戻して一分停止という、これまた
通常の腹筋よりも負荷のかかるやり方で、少女は己の体を鍛えていく。

刃千吏に居た時のような、密度の濃い格闘訓練が出来ないのがもどかしかった。
筋力が衰えないように体を鍛えたり、念動力のコントロールといった能力系の訓練は一人でもそれなりに出来る。
だが、格闘訓練だけはどうしようもなかった。

せいぜい、相手がその場にいるかのように拳を突き出し、蹴り上げたりといった程度の、訓練と呼ぶには程遠い“お遊び”しか出来ない。
何処かの道場にでも入門すればいいのかもしれないが、刃千吏では一般人のいる普通の道場に入ることは禁止されている。
能力者は裏の存在、表に出てはならないのだ。

だが、ここは日本、刃千吏の人間が監視しているわけではない。
その言いつけを破ろうと思えば出来なくもなかった。


だが、誰が見ていなくても、自分が見ている、知っている。

自身に対して誠実でありたい、その想いが胸にある限り。
例え自分のためとは言えど、禁を破ることは出来なかった。

いずれ、彼女達と共に戦うことが出来るようになったら、その時は幾らでも組み手の相手がいる。
それまでは格闘訓練に関しては我慢するしかない。

少女の訓練は夕方まで続いた。


 * * *


帰宅した少女は、シャワーを浴びて部屋着に着替えるといつものように部屋の掃除にとりかかる。
掃除が終わったら、今度は晩ご飯を作るべく冷蔵庫の前に立ち必要な材料を取り出した。

淡々と料理を作りあげた少女は、テレビを見ながらご飯を食べる。
くたくたになるまで訓練に励んだおかげか、今日の晩ご飯はいつもよりも美味しく感じた。

後片付けを終えた少女は、ベッドに横たわりながらうつらうつらと船を漕ぐ。
面白いテレビも特にない日ということもあり、少女はいつもの日課である夜の探索の時間まで寝ることにした。

少女が目覚めたのは、いつも探索に出かける時間の十分前だった。
寝惚け眼をこすりながら、顔を洗ってきた少女は服を着替え、携帯電話と携帯プレイヤーを持ってマンションを出て行く。

アップテンポの音楽を聴いていても、なかなか意識がすっきりとはしない。
無理にでも起きているべきだったかと想いながら、少女は人影のない裏路地へ移動する。

高く跳躍し、壁を駆け上った少女はゆっくりと伸びを一つして、いつものように夜の街を飛び回り始めた。
ただ、今までと違うのは捜索範囲を広げたことである。


いつもなら、自分の住むマンション付近を起点として周回するように移動するのだが、少女はひたすら街の外に出るような進路を取る。
無論、その間も神経を研ぎ澄まし、彼女達の発する“声”を聞き漏らさないように注意しながらであった。

ひたすら飛びながら、やはり、何一ついつもと変わらない空気の漂う夜に諦めを覚えかけたその時だった。


「…!?」


少女は一旦立ち止まると、携帯プレーヤーの電源を落とし、イヤフォンを外してポケットの中に仕舞い込んだ。
そして、目を伏せて…周囲の“気配”を探り始める。

数十秒ほど、少女はその場から動かなかった。
やがて、目を開けた少女の口元に浮かんだのは…鮮やかな微笑み。

少女は今までよりも加速をつけて、ビルからビルへと飛び移りながら移動していく。
移動を開始して数分、少女の目の前に広がるのはダークネスの能力者特有の黒い“結界”だった。

少女は大きく息を吸い込むと、その結界目がけて“念動刃”を解き放つ。
能力のコントロール訓練の時とは違う、強いエネルギーを凝縮させた念動刃は結界に大きな切れ目を生み出した。
結界が再び元の形に戻るよりも早く、素早く少女は結界内部に侵入する。

そこには、突然の事態に驚くダークネスの能力者と―――ずっと探していた彼女達の姿があった。


「お前、一体何者だ…?
服装だけならうちの能力者と間違えそうだけど、ここに割り込んできたってことは…敵、だよな」


その問いに答えることなく、少女は一気に黒づくめの女性へと駆け出していく。
少女は舞うように拳を突き出し、女性の顔を鮮やかに蹴り上げ、目にも止まらぬ速さで連続攻撃を仕掛け始めた。


「…あの子は一体…?」

「どこかの組織にいたんだろうね、動きが明らかに素人じゃない」

「すごい、絵里達が力を合わせて戦わないといけない相手を、たった一人であそこまで圧倒してる…」

「あの子も仲間なの?」

「分からんけど、仲間だったらすごく頼もしいと!」


少女の華麗な戦い振りを見ながら、少女達はただただ呆然としていた。
自分達と何も変わらないような外見の少女が、たった一人でダークネスの能力者と渡り合っている。
衝撃的な光景だった。


「なかなかやるな、少なくともあいつらを相手にしてるよりは楽しめる。
だが、これで終わりだ」


至近距離で放たれた、鋭い氷塊。
だが、その氷塊が少女を傷つけることはなかった。
少女はその氷塊を手で受け止め―――完全に溶かしてしまったのだった。


自分の放った攻撃を、こういう形で無効化されるとは思っていなかったのだろう。
目を見開いて動きを止めた女性に向かって手を伸ばしながら、少女は冷たい表情を浮かべて口を開いた。


「消失」


その言葉の意味を理解するより早く、女性の体は深緑色の炎によって焼き尽くされた。
“発火能力-パイロキネシス-”、熱源の存在しない場所・物に火を発生させることのできる超能力であり、
その炎の威力は能力者の能力レベルに左右される。

生み出した炎を自在に操り、近距離でも遠距離でも攻撃することが出来る能力者もいるが、少女の場合は
手で掴んだものを発火させることしか出来ない。
そのため、少女は女性に対して接近戦を挑んだのであった。

もう一つの能力である“念動力-サイコキネシス-”で戦ってもよかったのだが、折角敵がいるというのに、
いつでも訓練できる能力で攻撃するのは“勿体ない”。
こういう時こそ、普段訓練しにくい能力と格闘術を駆使した戦いをするべきなのだ。
もっとも、相手が格上の能力者かつ体術にも優れているという場合は、もっと違った戦い方をする必要があるのだが。

視線を感じた少女は、ゆっくりと後ろを振り返る。

「わタしのなマえは、“銭琳-チェン・リン-”。
あなタたチをさガして、このマちにやっテきマしタ」

驚いた表情を隠すことなく浮かべる少女達に向かって、少女は続けた。


「わタしも、あなタたチとトもに、たタかわせテくダさイ」




















最終更新:2012年12月02日 13:49