(19)195 『蒼の共鳴特別編第6夜-紫雲の予知夢-』



夕暮れ間近の駅のホームは、帰宅の途に着く学生達の姿が目立った。
髪を染め、シャツのボタンを第2ボタンまで開け、短い丈のスカート姿の学生達のグループもいれば、
校則をしっかり守った服装をし、参考書片手に電車を待つ学生もいる。

少女もまた、この駅を利用している学生の一人だった。
耳が隠れる程度の黒髪、膝が隠れる程度の丈のスカート。
猫背気味に立つその姿は活発な雰囲気からは程遠かった。
むしろ、教科書を片手に電車を待つ姿は優等生そのものである。

やがて、電車がホームへと滑り込んできた。
降りる人間が降りたのを見計らいながら、少女は電車の中に入って一番端の手すりがある席に座る。
少女が座ってから程なく、電車は動き出した。

隣に座った人間に迷惑にならないようにしながら、少女はホームで電車を待っていた時と同様に
教科書を片手に勉強を開始した。
揺れる電車の中で文字を読んでも酔わないのか、少女は顔色一つ変えることなく不定期にページを捲っている。

時折、眠そうに目を擦りながらも少女はけして教科書から目を離そうとはしなかった。
内容をよく咀嚼ように、ゆっくりと、時には前のページに戻りながら少女は教科書を読み進めていく。

少女が電車に乗ってから約一時間。
次の停車駅を告げるアナウンスが流れてから数秒ほど遅れて、少女はそのアナウンスに反応する。
教科書を鞄へとしまい、制服のポケットから携帯電話を取りだして時刻を確認し、少女は席を立ち上がった。


 * * *


ドアの前へと立ち、電車がホームに到着するのを待つ少女の瞳はどこか曇っている。
数分後、電車がホームに到着しドアが開いた瞬間、少女は素早く電車から降りて歩き出した。


少女は早足で改札を抜け、そのまま住宅街がある方向へと歩いていく。
十分程歩いただろうか、やがて少女の目の前には建築されてから数年程度と思われるマンションがあった。

少女はマンションの中へと進み、エレベーターに乗って8というボタンを押す。
程なく、少女を乗せたエレベーターは目的の階に到着した。

エレベーターを降り、少女は一番奥のドアまで一直線に歩く。
鞄から鍵を取り出し、ドアを開けて少女は素早く中へと体を滑り込ませるように入って鍵を閉めた。

ただいま、と挨拶をすることなく少女は廊下を進み、リビングへと足を踏み入れる。
部屋の灯りを点け、黒い革張りのソファーへと鞄を放り投げて少女は大きく溜息を付いた。

そのまま、少女はリビングから一旦姿を消す。
次にリビングに現れた少女は、部屋着と思しき淡い紫のジャージを着ていた。

少女は携帯電話を操作し、アラーム設定をした後…ソファーへと浅く腰掛ける。
先程放り投げた鞄から教科書、ノート、プリントの束そして筆記用具を取り出した少女は、それらをソファーの目の前にある
焦げ茶色の低いテーブルへと広げた。

間を殆ど置くことなく、少女はシャープペンシルを片手にプリントへと視線を向ける。
A4サイズのプリント数枚の束にぎっしりと詰め込まれた問題、それらを少女は教科書やノートを見ながら一心不乱に解いていった。

少女がそのプリントの束を半分ほど片付けた頃、携帯電話のアラームがけたたましい音を立てる。


「ここまでしかでけへんかった…早くご飯食べて片付けんとあかんなぁ」


シャープペンシルをテーブルに置き、携帯電話のアラームを止めた少女はうーんと一つその場で伸びをする。
携帯電話の時刻は、夜の六時半だった。

少女は立ち上がるとリビングからキッチンへと移動し、冷蔵庫の中身を確認する。


「あー、そろそろ買い出しにいかんとなぁ。
今日はもう買い物行きたくないし、ある材料で何とかしよ」


そう言って、少女は冷蔵庫から鮭の切り身、バター、ほうれん草を取り出した。
少女は手際よく調理を進めていく。
二つあるコンロを同時に使い、かたやほうれん草を煮るためにお湯を沸かし、かたやフライパンをしかけて火をかけ。

料理を作ることに手慣れているのだろう。
少女は二十分もしないうちに鮭のバター焼きとほうれん草のおひたしを完成させた。
インスタントスープの素を開封し、マグカップに中身を零し入れてお湯を注ぎ入れ、淡いピンクのご飯茶碗へと軽くご飯を盛ってリビングへと戻る。


「…いただきます」


抑揚のあまり感じられない声が無音のリビングへと響く。
テレビを点けることもなく、目の前の食事を淡々と少女は片付けていった。
無表情に食べ進めていく姿は、食事を楽しむと言うよりも食べなければいけないから食べるというような義務感すら漂わせていた。

食事を片付けた少女は、素早く食器類をまとめて流し台へと運ぶ。
手早く洗い物を済ませた少女は、晩ご飯を食べる前と同様にテーブルの上に勉強道具を広げて勉強を再開した。

少女がプリントの束を片付けた時には、既に時計の針は夜の十一時を回った頃だった。
勉強道具を片付け別室へと鞄毎戻った少女は、机の所に貼られた時間割に視線を向ける。
明日の授業に必要な教科書類を鞄へと詰め、ハンガーに掛けられた制服のポケットにハンカチとティッシュを詰め、
少女はタンスから下着を取り出して浴室へと向かった。

シャワーを浴び、髪と体を洗った少女は湯船へと浸かる。
目を伏せ溜息をつきながら、少女の視線は浴室の天井へと向いていた。


「あー、しんど。
早く中学卒業したいわほんまに」


温かい湯船に浸かりながら、少女は過去を思い返す。
今も尚少女を苦しめる、悲しい過去を。


 * * *


少女が生まれたのは、滋賀県にあるそこそこ大きな街だった。
天真爛漫でおてんばだった少女の人生がねじれ始めたのは、少女が八歳になる年のこと。

両親に連れられ、ドライブに出かけていた少女は突如―――車が大破する“ビジョン”を見た。
自分の乗る車ではなく、その前を進行する他人が乗った車、それが反対車線から来たトラックとぶつかるというビジョン。

両親はそのことを知る由もなく、少女を横目に楽しそうに会話している。
話さなければ、そうしなければ巻き込まれてしまう。
少女は楽しげに会話をしている両親へと、自分の見たビジョンを話した。

そんなわけないじゃない、そう言って微笑む母親。
それに同調し、速度を緩めることなく前の車の追うように車を運転する父親。

両親の頬が引きつったのは、少女がその未来を告げた数分後。
たまたま、信号に引っかかった少女達が見た光景は―――僅か百メートルほど先でトラックと衝突し大破した乗用車だった。

その一件から、少女は不定期にビジョンを見るようになる。
小学校でも、家にいる時でも…不意にそのビジョンが現れ、少女はその度に周りの人間に見たビジョンの内容を告げ続けた。

最初のうちは、ただの偶然だろう、そう周りの人間は高をくくっていた。
だが、どんな些細なことでもそうなると“予言”する少女は―――いつしか、両親から疎まれ、級友達からはイジメを受けるようになる。


進学し、中学生になっても尚そのイジメは続き、両親の態度は変わらない。
深く傷ついた少女は、転校すればこのイジメから逃れられるのではないかという想いから、両親に転校させてほしいと願い出た。

その願いは聞き入れられ、少女は中学二年生の春に故郷から遠く離れた都会の街の中学校へと転校する。
だが、そこでも―――少女はイジメのターゲットに選ばれてしまったのだった。

ビジョンを見れるようになった頃から受け続けたイジメによって、少女は幼い頃の天真爛漫さ、活発さを失っていた。
誰と会話をするにしても、何処かおどおどとした態度は―――いじめる理由としてはうってつけである。

少女にとって不幸だったのは。
彼女達は、けして目に見えるような痕跡を残すようなイジメ方をしないということだった。
ねちねちと罵詈雑言を浴びせ、周りの目を盗んでは脇腹などの服に隠れて見えない部分を少し強く殴るだけ。
だが、周りの目を盗み常に心ない言葉を浴びせ続けられ、時には暴力を振るわれるのは多感な年頃の少女にはかなり辛いことだった。

少女が電車での移動時間も、家に帰ってからも勉強に精を出す理由。
それは、いじめてくる少女達から逃れるために、少女達ではけして進学出来ないようなレベルの高校へ進学するためだった。

元々勉強が出来る部類だった少女だが、地方と都心部の学校ではかなりレベルが違う現実があった。
故郷の進学校なら余裕で進学できる程の成績を修めていても、都会の方の進学校を目指すとなると事情が変わってくる。
息抜きにテレビを見たり、読書する時間などを惜しんで少女は勉強に励んでいた。

レベルの高い高校にさえ進学すれば、イジメから逃れられるに違いない。
だが、少女は気付いていなかった。
それこそは、かつての自分が取った行動と何の変化もなく、自分自身が変わらなければ今と同じ結果になるのが目に見えているということを。

少女は風呂から上がり、服を着替えてベッドに入る。
明日もまた、周りの目をかいくぐっての罵詈雑言に身を晒されることに諦念を覚えつつ、少女は眠りの淵へと落ちていった。


少女は夢を見ていた。
自分に心ない言葉を浴びせ、今までにないくらいの暴力を振るう少女達。
いつまで続くのかと思った光景は場面転換し、少女は駅に一人立っていた。
自分とは思えぬほど、目の前の少女は暗い空気を纏って佇んでいる―――それこそ、電車が来たら飛び込んでしまいそうな程に。
その光景に、早く終われ、終われと叫ぶ少女が最後に見たのは…涙を流しながら自分へと話しかける、見たことのない女性の姿だった。


「…嫌な夢見たわ。
てか、この夢…まさか、予知夢じゃないやろな…」


携帯電話のアラームと共に起きた少女は、起きて早々溜息混じりに呟いた。
背中にかいた汗、起きても尚まざまざと思い出せる程のリアルな夢は―――予知夢なのではないかと思わせるには十分すぎる程だった。

少女が有する能力―――“予知-プリゴニクション-”。
その名の通り、未来に起こる出来事について前もって知ることができる超能力であり、現在の知識・情報を基にした推測や演繹の類いではなく、
全く未知の事柄をも知覚することができる能力である。

物心付いた頃とは違い、今ではその能力を自在に行使出来るようになった少女。
だが、こうして…眠っている間に予知能力が発動することは今まで無かったことだった。

当たって欲しくない、そう思うのとは裏腹に、少女は見た夢が的中することを感覚的に悟る。
いっそ、その未来を現実のものにしないために学校を休むことさえ考えたが、少女は結局シャワーを浴びた後学校へ行くことを選択した。


レベルの高い進学校に行くことを希望する以上、成績も勿論のことだが、内申書のことを考えると体調が余程悪くない限り
欠席することは躊躇われる。

少女は溜息を付きながら、制服に着替えて家を後にした。


 * * *


心ない言葉を浴びせられながらも、今日の授業は全て終わった。
早く帰宅して勉強しなければと、少女はいつものようにいそいそと帰宅するために教科書類を鞄に詰めていた、その時だった。


「光井ー、この後予定ないよな。
うちらと一緒に遊びにいこうぜ」


少女―――“光井愛佳”は背後から聞こえてきた声に、背中が震えるのを感じた。
愛佳をいじめる主犯格の少女が発した言葉は、言葉だけならただ遊びに誘っているようにしか聞こえない。
だが、愛佳はその言葉が純粋な“遊び”ではないことを感じる。

拒否して逃げ出したかった。
だが、そうしたら―――言葉と“軽い”暴力だけで済んでいるイジメが、さらにエスカレートするかもしれない。
今でも心ない言葉に傷つき、時には学校に行きたくないと思いながらも必死に登校しているというのに、
これ以上何かされたら心が折れてしまいそうだった。

声がした方に振り返り、愛佳は不本意ながらも首を縦に振る。
ニヤリと笑った少女達の顔に寒気すら覚えながら、愛佳は鞄を両手に抱えて少女達の後を追いかけていった。

少女達の後を追った愛佳が見たものは、寂れた児童公園。
人っ子一人見当たらない公園は、遊具がさび付き、漂う空気はただただ寂しさだけを伝えてくる。


嫌な予感がして、愛佳は思わず立ち止まる。
だが、愛佳の背中を少女達の一人は乱暴に押して、砂場の方へと無理矢理歩かせていった。


「てかさー、いい加減お前学校辞めろよ。
見ててうざいんだけど」

「そーそー、いつも勉強できるんです、あんた達とは違うんだって言わんばかりに、
偉そうにしちゃってさー、勉強出来るから何だっつーの」

「超絶ブスだし、勉強以外何も取り柄もない暗くてつまんない子だしねー」

「何とか言えよ、その口は何のためにあるんだよ!」


言葉と共に、愛佳の鳩尾にめり込んだ蹴り。
痛みもかなりのものだったが、それ以上に精神的ダメージの方が大きかった。

今まで、言葉でごちゃごちゃ言うのと軽く殴る以外何もしてこなかった少女達が、いきなり激しい暴力を振るってきた。
監視の目がない時でもそこまでの暴力を振るってはこなかった少女達の行動は、体よりも心に遥かに大きなダメージを与える。

砂場に転がった愛佳は、為す術もなく少女達の暴力をその身に受け続けるしかなかった。
愛佳の耳に、顔とか目に見えるところは止めておかないとまずいぞという声や、目に見えない範囲ならどこ殴ってもいいんだよね、
という耳を覆いたくなるような確認の声が届く。

太ももに、鳩尾に、腕に、肩に。
制服に隠れて見えない箇所へと、今まで堪えていたものを吐き出すかのように繰り出される攻撃に、愛佳はただただ歯を食いしばる。
早く終わって、早く終わって、そう念じ続けるしかなかった。

やがて、愛佳への攻撃の手が止む。
ようやく終わったのかと息をついたその瞬間、愛佳は身に起こったことが信じられずに固まった。


「あー、ごめーん。
埃まみれで可哀想だったから、つい水かけちゃった」

「うわー、この季節に水かけるとかひどくない?」

「えー、綺麗にしてあげようとしただけだしー」

「そうそう、別に悪いことしてないしうちら。
あ、鞄も埃まみれで可哀想だから洗ってあげようか」


その言葉に、愛佳は思わず止めてと叫んだ。
だが、その願いは叶えられず―――愛佳の鞄は水をかけられていく。

愛佳のアイデンティティとさえいえる、大切な勉強道具が濡れていった。
水によって教科書も、ノートも参考書の類も…何もかもが濡れていく。


「てか、本当ブスでガリ勉しか取り柄ないくせに男に色目使ってんじゃねーよ」

「そうそう、あんたがどんだけ好きでも無駄なんだし、ガリ勉はガリ勉らしく勉強だけしてればいいんだよ」

「ま、勉強できてもその容姿じゃ彼氏なんてこれから先出来ないだろうけどねー」

「はは、勉強が恋人ってねー、ほーんと、可哀想」


口々にそう言いながら、少女達は鞄を放り捨てて去っていった。
後に残されたのは、濡れ鼠になった愛佳と無残な姿になってしまった大切な勉強道具達。

痛みに顔を引きつらせながら、愛佳は這うように鞄の元へと歩み寄る。
暴力を今まで振るってこなかった少女達が何故急にこんなことをしたのか、愛佳には見当が付かなかった。


鞄を抱え、立ち上がった瞬間に愛佳の中にストン、と答えが落ちてくる。
今日、愛佳は隣の席の男子が教科書を忘れたので教科書を見せてあげたのだ。
せいぜい、思い当たることと言えばそれくらいしかない。

まだ異性に興味を覚えたことのない愛佳は知らなかった。
その男子は、イジメの主犯格である女子が密かに好意を寄せていた男子であったことを。
取り立てて会話があったわけじゃない、ただ見せて欲しいと言われたから見せただけで、それ以上の他意はなかった。
無論、仲良くなる気なんてなかったし、寧ろ、忘れてくるくらいなら置き勉でもすればいいのにと思ったことを覚えている。


「…そんなしょーもないことで、何でうちがこんな目にあわなあかんねん!」


言葉と共に愛佳の口から漏れてきたのは嗚咽だった。
何も悪いことなんてしていないのに、何故こんな目に遭わなければならないのか。
教科書を見せてあげただけ、たったそれだけのことすら彼女達は許してくれない。

とぼとぼと駅へと向かう愛佳の胸に過ぎったのは、これから先への不安だった。


 * * *


電車を待つ愛佳の目は何処までも虚ろだった。
ずぶ濡れの姿に加え、水が滴り落ちる鞄を持った愛佳を周りの人間は遠巻きに眺めるだけ。

愛佳の心を支配するのは、暗い感情だけであった。
能力に目覚めた時からイジメを受けながらも自分なりに必死に頑張ってきたけれど、頑張るだけ無駄なんじゃないか。
一生懸命頑張って、希望通りの進路に進めたとしてもまたこういう目に遭うんじゃないか。


そもそも、何故こんな力を持って生まれてきたのだろうか。
この力さえなければ、今頃故郷から遠く離れた地で一人孤独に暮らすことなく、友達や家族と共に笑いあえていたはずだった。
未来なんて見えなくたっていいのに、こんな力必要なんて無いのに。

この力がある限り、これから先生きていてもいいことなんて訪れないのではないか。
例えこの力を使わなくても、この力を有している限り自分にとって不幸な出来事がずっと続くかも知れない、愛佳はそこまで思い詰めた。

暗い感情に支配された愛佳は、まもなく電車が来るというアナウンスに導かれるようにふらふらと歩き出す。
一歩一歩、黄色の線を越え、後一歩踏み出せばホームへ落下する。

その刹那だった。
愛佳の体は突如後ろへと引かれる。
ホームに尻餅をついたのと、電車がホームへ滑り込んだのはほぼ同時だった。


「…何があったかあーしには分からんけど、でも、そう簡単に命を粗末にしたらダメやよ」


低く、怒気を孕んだ声に愛佳はとっさに後ろを振り返る。
愛佳と同じように尻餅をついていたのは、愛佳の視た“予知夢”の最後に現れた女性だった。


 * * *


女性に促されるまま、愛佳は一旦駅の改札を出た。
そのまま、女性が歩いていく方向に着いていった先にあったのは、先程とは別の児童公園。
女性はベンチに座ると、隣に座るように促す。

スカートが乾いていないままベンチに座ったせいか、ひどく冷たくて気持ちの悪い感覚が愛佳の下肢に走った。
顔を顰めた愛佳の姿に女性は小さく微笑みながら、何があったか話して欲しいと懇願するように呟く。


その声に込められた切実さに突き動かされるように、愛佳は口を開いた。
物心付いた時に目覚めた能力のせいでイジメにあっていたこと、そのせいで都会の学校へと転校することになったこと。
転校してきたけど、結局昔と変わらずイジメを受け続けていること、そして、さっき今までになかったようなことまでされて、
もう、生きていても仕方ないんじゃないかと思ったことを一気に話す。


「―――努力したって、未来なんて変わらへん。
幾ら未来が見えても、それを変える為に努力しても何も変わらん。
努力しても何も変わらへんのに、ただ今の辛い時間が続くだけなのに生きるとか正直アホくさいですわ」


言い切った愛佳は、女性の方を振り返って目を見開く。
見ず知らずの愛佳のために―――女性は涙を流していたのだった。


「ちょ」

「何で、何で転校してくるくらい行動力あるのに、その子達に抵抗せんの?
未来は変えられへんってキミは言うけどさぁ、未来は変えられるんだよ、キミ次第で。
はっきり止めてって言って、暴力振るわれるなら全力で抵抗すればいい」

「そんなん出来たら苦労せんわ!
何も知らんと偉そうに言わんといて!」

「確かに、あーしは何も知らんよ、キミがどれだけの想いを抱えているかなんて、100%分かるわけじゃない。
でもね、未来なんか変わらへんなんて言ってても、心の何処かで未来を変えたい、そう思ってることくらい分かる。
後ほんのちょっとや、今あたしに食ってかかったみたいに想いをぶつけて、精一杯抵抗すればいい。
そうせんと、何も変わらんよ、本当に」


涙を流しながら、真剣な眼差しを向けてくる女性に愛佳はただ呆気に取られるしかなかった。
どうして、この女性は見ず知らずの他人の話を信じ、他人のために涙を流すことが出来るんだろう。


今まで、自分のために涙を流して真剣な想いをぶつけてくれた人間はいなかった。
いじめてくる人間、それを見て見ぬ振りをする人間ばかり。
そういうものだと思っていたし、自分のことを想ってくれる人間が現れるなんて考えも及ばなかったこと。


「―――あーしも、キミと同じ、能力者や。
助けを求めるキミの声が聞こえたから、ここにいる。
でもな、あーしはキミにこうして説教は出来ても、それ以上の行動は出来ん―――何でか、分かるよね?」

「…自分の未来は、自分で切り開くしかない。
誰かや何かが未来を変えてくれるって期待したって、自分の思い通りになんて動いてくれへん。
せやから―――自分で頑張るしかない」

「そういうこと。
周りに一人でも信頼出来る人間がいるなら、その人と一緒に頑張ることも出来るだろうけど、
今キミの周りにそういう人がいないのなら、辛くても自分だけで頑張るしかない」


そう言って、女性はベンチから立ち上がって歩き出す。
背筋をピンと伸ばして歩くその姿は、自分とさほど身長は変わらないはずなのにとても大きく見えた。
その背中が去っていくのが名残惜しくて、愛佳は女性へと声をかける。


「あの、よかったら―――愛佳と友達になってください!」

「キミがちゃんと勇気を振り絞って行動することが出来たら、その時はここに来ればええ。
―――ここは、過去と向き合いながらも一生懸命未来を切り開いていこうとしている子達が集う場所やから」


言葉を紡ぎながら、女性はポケットからメモ帳とボールペンを取り出し、さらさらと何か書いていく。
程なく、女性はボールペンを仕舞い、メモ帳から切り破いて少女へと手渡し―――微笑みながらその場から“消えた”。


突然の事態に驚きながらも、愛佳は手渡されたメモ帳の切れ端を大事そうにその手に包む。
愛佳のために泣いて怒って、真剣に向き合ってくれた女性。

この女性、そしてそこに集う人達の元へと行くためには、今の自分のままじゃいけない。
事態を変えるために大した努力もせず、心ない言葉や暴力を受け止め続けるしかない自分のままでは駄目なのだ。

まだ、正直怖くないかと言えば嘘になる。
嫌だと言葉で、態度で示しても結局何も変わらない可能性だってあるのだから。

それでも、何もしないままでは本当に何も変わらない。
神様なんていやしない、自分の未来は―――この手で切り開くしかないのだ、例え、そのために深く傷つき涙を流すことになろうとも。

愛佳は大きく息を吸い込むと、ベンチから立ち上がって駅へ向かって歩き出す。
体はズキズキと痛むし、濡れた服の感触が気持ち悪い。
顔を顰めながら、少し猫背気味に歩く愛佳の姿は、何故か不思議と明るい空気を纏っている。

帰り道を歩く愛佳の胸を満たすのは―――未来への希望だった。


 * * *


翌日、愛佳はいつものように学校へと姿を現す。
相変わらず、少女達は愛佳に向かって心ない言葉を浴びせた。
だが、愛佳はその言葉に対しておどおどとした様子を見せるどころか、少女達をキッと睨み付ける。

放課後になり、愛佳はいつもと同じように帰宅準備をした。
今までとはどこか違った空気が面白くないのか、案の定―――少女達は鞄を持って帰ろうとする愛佳に声をかける。


「光井、これから一緒遊びにいこうぜー」

「帰宅部だし、どうせ用事もないでしょ」

「…ええで、ちょうどうちもあんたらに言いたいことあったし」


低く小さな声だった。
だが、確かに―――今までの愛佳とは違うことを感じ取った少女達は、そのことに内心驚きながらも愛佳を連れて歩き出す。

昨日と同じ公園へと連れて来られた愛佳。
調子こいてんじゃねーよ光井のくせに、という主犯格の少女の声が合図となり、少女達は一斉に愛佳に向かって襲いかかる。

抵抗なんてするはずがない。
所詮光井、少し生意気な態度を見せていても殴ればいつも通りだと想っていた少女達に―――愛佳は飛びかかった。

蹴られたら蹴り返し、殴られたら殴り返し。
必死になって愛佳は少女達に抵抗する。
向こうは四人、こっちは一人というかなり不利な状況など今の愛佳の頭にはこれっぽっちも浮かばない。

先に根を上げたのは少女達の方だった。
地面に膝を付きながら愛佳を睨み付けてくる少女達に向かって、愛佳は大きな声を上げる。


「あんたらがいくらいじめてきても、うちはもう逃げへん!
殴ったら殴り返すし、蹴ったら蹴り返すし、言われたら言われ返したる!
覚悟しとき、今までやられてた分も含めて今度からきっちり返したるからな!!!」


愛佳の叫びに、少女達は弾かれるように公園から退散する。
殴り合いの際に放り投げた鞄を拾い上げ、愛佳は駅に向かって歩き出した。


いつも乗る電車とは逆方向に行く電車が来るホームへと立つ愛佳。
背筋をピンと伸ばして立つ姿は、もういじめられっ子には見えないほど凛とした空気を纏っていた。

電車に乗り込んだ愛佳は、鞄から教科書の代わりに小さな紙片を取り出す。
その小さな紙片を見つめて、愛佳は小さく微笑んだ。


(待っててくださいね、うち、ちゃんと勇気出して頑張ったから)


小さな紙片に書かれていた文字―――“喫茶リゾナント”とその建物の住所。
電車に揺られながら、愛佳はその紙片を大切に胸ポケットへと仕舞い込む。

女性、そしてそこに集う仲間達のために何が出来るだろうか。
何が出来るかなんて分からないけれど、分かっていることがある。

未来を予知出来る能力“予知-プリゴニクション-”。
それで未来を知ることが出来るならば、そこに集う“仲間達”と共に…今日のように未来を切り開くために戦おう。

虚ろな目をした少女はもう何処にもいなかった。

超能力組織リゾナンターへと、この日第6番目の能力者が加わる。
誰も知りうることのない未来を視ることのできる、幼き予知能力者“光井愛佳”。


その目が見つめるのは、希望か絶望か。
その答えは―――愛佳以外誰も知ることはなかった。




















最終更新:2012年12月02日 13:42