(15)589 『蒼の共鳴特別編第1夜-盲目の正義-』



この日最後の客が店を出て行った。
客が出ていったのを確認して“少女”はCLOSEDと書かれた札を手に持って表へと出る。
札をドアにかけて、表の通りに出してあった“喫茶リゾナント”と書かれた看板を持って少女は再び店の中へと戻った。

午後10時、喫茶リゾナントは本日も恙なく営業を終えた。
だが、営業を終えても少女の仕事は終わらない。

テーブル席とカウンター席を見て回り、切れている物があったら補充する。
それが終われば、台拭きでテーブルとカウンターを丁寧に拭いていった。
その間、最後の客が座っていた席に置かれているコーヒーカップとソーサーをカウンター内に下げるのは忘れない。

テーブルとカウンターを綺麗にした後、少女はモップを取り出して床磨きを始めながら物思いに耽っていた。


 * * *


少女が生まれたのは、大金持ちとまでは言わなくともそれなりに裕福な家庭だった。
小さい頃から何一つ買い与えて貰えぬ物はなかったし、他の家庭が羨むほど旅行にもしょっちゅう行っていた。

何一つ不自由のない幸福な生活は、ある日終わりを告げた。
それは、少女が7歳になった年のことであった。

少女以外誰もいない部屋をたまたま覗いてしまった両親が見たものは、少女がぶつぶつと何かを言いながら笑っている姿。
それだけなら、薄気味悪いと思うだけで済んだかもしれない。

何を話しているのと声をかけた両親に向かって、少女はこう言い放ったのだ。

―――お母さん、薄気味悪いってなぁに?

その言葉に動揺した両親に気付くことなく、少女は次々と…まるで両親の心が読めるかのように言葉を紡いでいく。


変な子ってあーしのこと?
何で考えてることが分かるのって、あーしには聞こえるんやもん、お母さん達の心の声が。
こんな子だと知っていたら最初から引き取らなかったのにって、あーしは、お母さん達の子供じゃないってこと?

得体の知れない恐怖に両親は部屋のドアを閉め、鍵をかけた。
リビングに戻り、少女の事をこれからどうしようかと話し合う両親は視線を感じて振り向いて―――絶句した。

そこに立っていたのは、あどけない微笑みを浮かべる少女であった。
少女の部屋の鍵は内側から開けることは出来ない作りになっている。
窓こそ一応あるものの、幼い少女がその窓を開けて外に出て入ってきたという線はありえない。

何故なら、少女の部屋は二階に存在する上に、ベランダはないのだ。
仮に、雨樋を伝って下へ降りてきたとしても…玄関や窓には鍵がかけられているため、中に入ることは鍵を破壊しない限り不可能である。
普通に考えて、少女がこの場に立っているはずがないのだ。

悲鳴を上げて倒れる母親、少女に向かって“化け物”と言い放ち持っている物を手当たり次第投げつけ始めた父親。
尋常ではない両親の様子に、幼い少女はようやく理解した。
自分は両親の子供ではなく―――“化け物”なのだと。


少女の存在を恐れた両親は、少女を父方の祖母へと預けることにした。
少女は知る由もなかったことだが、両親は少女を引き取って育てることになったのはある“契約”に基づくものであった。
少女を引き取って育てる者に惜しみない金銭を与える、その代わり責任持って少女を育て上げること。

その契約を不履行にしてしまうことがあった場合、今の裕福な生活は失われる。
少女が死んでしまったり、行方不明になってしまうようなことがあった場合、金銭援助は断ち切るという条件が契約には盛り込まれていたからだ。

だが、少女…“化け物”と共に暮らすことは難しい、否、不可能である。
今の裕福な生活を失うことなく、それでいて少女を自分達から遠ざけることが出来る妙案に両親はほくそ笑んだのだった。


幼い少女をどうにかこうにか宥め賺し、両親は遠く離れた祖母の元へと少女を連れてきた。
少女が成人するまで十分な金銭は援助するから、それまでしっかり少女を育ててくれという両親の身勝手な願いを祖母は聞き入れた。
だが、祖母はその願いを聞き入れる代わりに両親にこう告げた。

どういう理由があってのことかは知らないが、お前達は今後一切うちの敷居を跨ぐな。
この子は私が責任を持って育てるから、もう二度と私とこの子に構わないでくれ、と。

両親が帰り、一人残された少女に祖母は穏やかに微笑みかけた。


『お前の名前は…何て言うのかねぇ?
あの子達は薄情だから、お前が生まれたことは教えてくれても名前までは教えてくれなかったんじゃ』

『あーし、愛っていうの。
おばあちゃん、あーし、もうお母さん達と会えないの?』

『愛が大人になったら会ってもいいかもしれないねぇ、でも、もう会わない方がお互いのためなんじゃよ。
あの子達はお前を育てるのを放棄したんじゃ、そんな親とやり直せるなんて思わない方が幸せじゃろうて』

『…あーしが“化け物”だから、だからお母さん達はあーしを捨てたんだ。
おばあちゃんも、きっとあーしを捨てるんだ…あーしは“化け物”やから…』


それまでニコニコと笑っていた愛の様子がおかしいことに祖母が気付いた瞬間だった。
愛の体から金色にも似た黄色の光が放たれ―――祖母の肩に焦げ付いたかのような傷が生まれた。
苦痛に顔を歪めながら、祖母は両親が愛を自分に押しつけた理由をまざまざと思い知らされた。

普通の人間がけして持つことのない、得体の知れぬ“力”を愛は持っている。
ほんの少しだけ、祖母は両親に同情した。

愛は祖母の肩に生まれた傷を見て、狂ったように泣き始めた。


わぁわぁと泣きじゃくる愛の姿に、祖母の中に一瞬生まれた恐怖は消え去った。
苦痛に顔を歪めながらも、祖母は愛をしっかりと抱き寄せてこう言った。


『お前は“化け物”なんかじゃないよ、だって、お前はこんなにも優しい心を持っているじゃないか。
人を傷つけたことに対して、ちゃんと後悔して反省する心を持っているお前は…あの子達よりも余程人間じゃよ。
大丈夫、わしは絶対にお前を捨てたりはしないよ』


祖母の優しい言葉を聞きながら、愛は自分の持つ能力を無意識のうちに解き放つ。
“精神感応-リーディング-”すなわち、相手の心を読み取る能力を。
読み取った祖母の心は、まだ少しだけ震えていたものの―――愛に対する愛情に溢れていた。

生まれて初めて会った孫に対して、祖母は何処までも温かな心を向けている。
そのことが嬉しくて嬉しくて、愛は再び泣きじゃくった。


それから数年、祖母との日々はそれはそれは楽しいものであった。
喫茶店を経営する祖母は、休みの日には必ず愛を舞台や映画へと連れて行ってくれた。
能力を制御しきれない愛を普通の学校に行かせてあげることが出来ない代わりに、祖母は毎日のように読み書きを教えてくれた。
本屋に連れて行っては本を買い与え、愛が眠る前には必ず読み聞かせてくれる。

祖母の献身的な愛情によって、愛はすくすくと成長していった。

ある日、愛はいつものように祖母と二人で舞台を見に行った。
その舞台の内容は、今まで友達がいなかった少女が友人達を得てあらゆる困難に立ち向かっていくというものであった。
主演の少女は様々な困難に直面しながらも、友人達と共に一つ一つその困難を乗り越えていく。
キラキラと舞台で輝く人達に、愛は自分も同じように舞台に立つことが出来たらと考え―――その考えに素早く蓋をした。


舞台を見終わって喫茶店へと帰った愛は、口に出したら祖母が傷ついてしまうと分かっていても思わず呟いてしまう。


『いいなぁ…舞台女優になりたいなぁ、そうしたらきっと沢山友達出来るんだろうなぁ…』


その呟きの切実さに、祖母は黙り込むしかなかった。
愛が普通の人間であれば、今頃は多くの友達に囲まれた普通の生活を送っていたに違いない。
だが、愛が自分の有する能力を自分の思うように制御できない以上、学校にいかせることは危険極まりないことであった。

いつ、あの時のように…感情が暴走し、人を傷つける光を放つとも限らない。
そうなってしまったら、愛の心は深く傷つき壊れてしまうに違いなかった。
その小さな願いを叶えてあげたい、それは誰よりも自分が望んでいることではあった。
だが、愛の願いを叶えてあげることは今のところは出来ない相談である。

祖母はテーブルに突っ伏す愛に近づいて、そっとその頭を撫でながら口を開く。


『…いつか、愛のことを分かってくれる人が現れるじゃろ。
それまでは、このワシが愛の友達じゃ、それじゃ駄目かのぉ』

『…ありがとう、ばぁば。
でも、本当にそんな人いるのかなぁ…』

『おるさ、きっと、愛と同じような人はこの世界の何処かにおる。
そして、その子もきっと…友達が欲しいって、そう思っておるに違いないて』


そう言ってくれた祖母は、つい半年前―――愛が17歳の時に他界した。
病魔に冒され、思うように動けなくなっても尚、愛の世話をするんじゃと言って最後の最後まで病院に行くことを拒否した祖母。
もっと早く来てくれれば後半年は生きられたでしょうと言った医者の言葉に、愛の涙はいつまでも止まらなかった。


そして、今―――愛は祖母の残した遺書通り、“喫茶リゾナント”を一人で経営している。
祖母が他界してからも、変わらずに足を運んでくれる客のために愛は日々努力を重ねていた。
少しでも、祖母のように温かい空間と美味しい飲み物を提供出来るように、寝る間を惜しんで勉強する日々。


「…いっけない、つい物思いに耽ってしまったがし」


昔を思い返しているうちに、時計の短針は11を差していた。
慌てて、愛はモップ掛けを始める。
床を磨き上げ、その後は食器類を洗浄し、布巾で水分を拭き取って棚へと仕舞っていく。
それが終われば、明日のモーニングに備えて寝るばかりであった。

だが、それらが終わっても…愛は就寝するべく準備を始めることはなかった。
軽く息を吐きながら、愛は自身が有する能力の一つである、“精神感応-リーディング-”を解き放つ。
その途端、けして終わることのない、人が放つ“心の旋律”が愛の心に次々と届き始めた。


「…うーん、少し狂ってきとるな。
あんまり気は進まんけど、そろそろ“調律”せんと」


そう呟いて、愛はリゾナントの二階へと上がり、服を着替えて浴室へと向かう。
脱いだ服を洗濯機に放り込み、愛はもう一つの能力“瞬間移動-テレポーテーション-”を解き放った。

数秒程で、愛の姿はその場から消失した。



 * * *


愛が瞬間移動した先、それは喫茶リゾナントから徒歩二十分程度の場所にある廃ビルの屋上であった。
無論、こんな時間に誰かがいるわけもない。
愛は目を伏せると、廃ビルを外界から隔離するべく“結界”を張った。

刹那、愛の体を中心に半径数百メートルの範囲は外界から切り離された“異空間”となる。
異空間上で何をやっても、外界には何の影響も及ぼさない。
どれだけ物を破壊しようとも、結界を解いたら―――元通りである。

愛はその結界の中で、自分の持つ能力“精神感応-リーディング-”を最大限に出力する。
幼かった頃と違い、今では自分の持つ能力を自在に制御できるようになった。
愛は最大限に出力した能力で、拾い上げれる限りの人の心の声を拾い上げる。

普段は使うことのないように制御している“精神感応-リーディング-”を解放する理由。
それは、愛の精神状態を平常な状態で保ち続けるためであった。

精神感応を制御するということは、すなわち、聞こえる声に耳を塞ぐということである。
本来なら、その声が聞こえている状態が愛にとっては正常な状態なのだ。
それを無理矢理制御して聞こえなくするということは、愛の精神状態を崩しかねない行為である。

それでも、日常生活においてはその声が聞こえない方が余程平和に生きていける。
だから愛は基本的に制御を続けているのだが…ある一定の期間を超えると、何処か精神が不安定になるのだ。

何の理由もないのに何故か涙が止まらなくなったり、かと思えば自分でも訳が分からないくらい笑いが止まらなくなったりする。
その状態は、愛にとっても…愛と接することになるリゾナントの客にとっても迷惑なことである。

そのため、愛は定期的に自らの能力をフル開放していた。
耳を覆いたくなるような声が聞こえてくることも少なくはないが、それでも耳を塞いだ状態を維持するよりは大分楽になれる。
愛はこの行為を専ら“調律”と呼んでいた。


聞こえてくる声に心を傾けないようにしながら、それでいて聞こえる限りの全ての声を拾い上げる。
愛が能力をフル開放して十数分が経過していた。
もう、十分すぎるくらい人の心の声を聞いた愛は、いつもと同様に再び能力を制御し始めた、その時だった。


「…またか」


思わず愛はそう呟くと、結界のある一点を見つめる。
愛が張った結界を無理矢理破こうとする強い攻撃を感じて愛は顔を顰めた。
何故、望まない“戦い”に巻き込まれねばならないのか。
愛は心底うんざりしながらも、警戒を怠らない。

愛が結界を攻撃してくる気配に気付いてから数十秒後、ついに結界の一部が破られる。
結界が元の形を維持しようと“修復”を始めるよりも早く、ソレは結界内へと飛び込んできた。


「こんな街の中で結界張って何やってるのかなー?
気になっちゃったもんだから、つい矢口結界にちょっかい出しちゃったー」

「…無理矢理結界破いて突っ込んできたくせに、よくそんなことを…。
あーしが何をやってようと、あんたには関係のないことや」

「キャハハハハ、高橋愛ちゃん、だっけ…冷たいこと言うなぁ。
大人しくしてれば、こっちだって気付かないってのに」


目の前に立つ愛よりも小柄な金髪の女の物言いに、力の限り反論したい気持ちをグッと堪えた。
女の物言いも一理あるのだ。
変な人間…能力者に目を付けられたくなかったら、こういうことはしない方がいいことくらい自分でも承知している。


だが、調律しない状態を続けていたらいずれ愛の精神は崩壊し、人としての心は永久に失われるのだ。
その能力のまま、誰彼構わず傷つけ―――命すら奪うことを躊躇わぬ、正真正銘の“化け物”と化してしまうだろう。

“化け物”じゃない、そう言って愛を育ててくれた祖母のために。
誰に邪魔されようとも、調律を辞めるつもりはなかった。

女はニヤニヤと笑いながら、愛に向かって片手を突き出した。
刹那、愛の体目がけて闇色のエネルギー弾が放たれる。
愛は不格好な体勢になりながらも、何とかその攻撃を避けた。


「ま、高橋がどんな理由で結界張ってたとか、何してたとかはどうでもいいや―――矢口と遊ぼうよ」


その言葉と共に、複数のエネルギー弾が愛目がけて次々と放たれる。
避け切れないと踏んだ愛は、自身の持つ能力である瞬間移動を行使しようとして…エネルギー弾をその身に食らって崩れ落ちた。
焼け付くような熱と衝撃が、愛の体にけして小さくはないダメージを与える。
呻きながらも何とか立ち上がった愛に向かって、女は口を開いた。


「残念でした、おいらの得意能力は“能力阻害-インペディメント-”なんだよね。
相手の持つ能力を二つだけ、完全に封じることが出来る能力…どう、自分の得意な能力を封じられた感想は?」


女の言葉は愛の耳には入っていなかった。
愛は相手の言っていることが本当か確かめるべく、精神感応を使おうとして…絶望する。
先程まで嫌になるくらい聞こえていた心の声は、全く聞こえない。

愛の背中を冷や汗が伝う。
瞬間移動、精神感応を封じられた愛に残された選択肢は―――“光使い-フォトン・マニピュレート”という第三の能力である。
その能力を使えば、おそらく、この危機的な状況を逃れることは出来るのだ。


だが、愛は躊躇っていた。
今までにも、こういった形で得体の知れない者から“ちょっかい”をかけられることは何度かあったのだ。
その度に愛は―――瞬間移動で逃げ帰っていた。

相手がそれこそ、人の見た目をしていない、文字通り“化け物”のような姿をしていれば光使いの能力を使うことに躊躇いはなかった。
だが、相手は人間…自分と同じように、その能力故に苦しんできたのかもしれない。
そう思うからこそ、愛は自分に残されているこの攻撃手段を行使することに躊躇いを覚えざるを得ないのだ。

この能力は、瞬間移動や精神感応のような能力とは違う。
―――人の命を奪うことが出来る、凶悪な力なのだ。

愛の脳裏を過ぎる、あの日の祖母の姿。
愛が放った光線により、肩に傷を負ってしまった祖母。
あの光を、人に向けるということは―――人を殺す、そういうことである。

お前は“化け物”ではない、祖母はいつもそう愛に言い聞かせていた。
人を傷つける能力を持っていても、それさえ使うことがなければ普通の人間と何も変わらないのだと。
自分が助かるために“化け物”になるか、このまま何も為す術無く殺されてしまうか。

何も言い返してこない愛に、女は舌打ちすると。
再び、エネルギー弾を愛に向かって撃ち出し始めた。

エネルギー弾をひたすら避けながら、愛は自問自答していた。
このまま、この女の手にかかって死んでしまっていいのだろうか、と。

愛の脳裏に過ぎる、祖母、そして毎日のようにリゾナントを訪れてくれる客の姿。
ここで自分が死んでしまったら、皆深く悲しんでしまうことになる。
愛を信頼してリゾナントを託してくれた祖母、祖母がいなくなって前と同じような味を楽しめなくなっても尚通ってくれる客。

皆を悲しませないためには、この力を使うしかなかった。
それが、正しいことでないことは十分に分かっている、だが、もう…目の前の女を倒すか、倒されるかしかないのだ。
皆を悲しませたくない、理由はそれだけだったし、それ以外の大義名分など愛の中には存在しなかった。


愛は覚悟を決める。
正しいか、正しくないか、そう言った価値観に捕らわれていては皆の笑顔を守ることは出来ない。
誰も悲しませないためならば―――“化け物”になろう。
こうなることを祖母は望まないだろう、だが、それでも…今ある穏やかな生活を守るために愛は“化け物”になることを選択した。

女に向かって手を翳し、愛は集中を開始する。
五秒程の時間を経て、愛の手から鮮やかな黄色の光線が放たれた。
女はその光線を無駄のない動きで避けながら、ニヤニヤと笑う。


「へー、そういう能力も使えるんじゃん。
いっつも逃げ回ってばっかりのくせに、どういう風の吹き回し?」

「…逃げてばかりじゃ、何も変わらん。
どうせ、逃げたところで…あんた達はあーしが何かやる度にそこに駆け付けるんやろ。
そして、あーしを…殺すために攻撃してくるんやろ。
あーしには守りたいもんがある、やから…あーしは“化け物”になる、この力で皆を守り続けてみせる」

「大層な演説ありがとうございました、だが、お前…甘いよ。
この世は弱肉強食、お前の様に理由が戦えないような甘ちゃんにやられる程、この矢口…弱くはない!」


再び、攻防が開始された。
女が撃ち出してくるエネルギー弾を避けながら、愛は必死に光線を女目がけて放つ。
女と違い、撃ち出す迄に若干のタイムラグが生じる愛の攻撃は、いつ撃ち出されるか女には手に取るように分かった。
愛の攻撃を避けながら、女は少しずつ愛を追い詰めていく。

やがて、愛はフェンス際へと追い詰められた。
普段から使っている能力ではないものを行使し戦う愛の体力は、既に限界に近づいていた。
だが、そんなことは知る由もない女の容赦ない攻撃は続く。
女のエネルギー弾が、ついに愛の足を捕らえた。



「ああああっ!!!」


焼け付くような痛みが利き足に走り、愛は思わずその場に膝を付いた。
うっすらと肌は赤く染まり、内部の神経は愛の脳に常に痛覚を訴え続ける。
足を動かそうにも、これではもう満足に動けそうもなかった。

動きの止まった愛の傍へと、女はじわりじわりと距離を詰める。
愛の脳裏を過ぎるのは―――“死”という一文字であった。

祖母の笑顔が、客の笑顔が愛の脳裏にフラッシュバックする。
ここで終わりたくなかった。
だが、利き足の動きを封じられ、先程のようにはもう動けない。

唇をキツく噛みしめながら、愛は無駄だと知りつつも…心の中で叫び声をあげる。


(誰か、ねぇ、誰か…助けて!!!)


女の手が、愛に止めを刺すべく今までよりも大きくエネルギーが凝縮された弾を撃ち出そうとしたその時だった。
ヒュンという音と共に、女の体に絡みついたのは―――月夜に艶やかに煌めくピアノ線。

そのピアノ線はキツく、女の全身を締め上げる。
突然の事態に、愛が戸惑っていたその時―――愛の左側から声が聞こえてきた。


「早く今のうちにトドメ刺して。
こういうのは苦手だから長時間持たないし」


その声に従い、愛は今までよりも集中して…身動きを封じられた女の体目がけて強力な光線を放つ。
その光線に胸を貫かれ、女は絶命した。

砂のように消えていく女のヌケガラを見つめながら、ついに“化け物”になってしまった自身を愛は嘲笑った。
後悔はしていない、だがついに自分は人であることを放棄してしまったのだという想いが愛の胸を締め付ける。

愛の耳に、コツンコツンという靴が奏でる足音が聞こえてきた。
その音の方へと愛が顔を向けると、そこには愛とさほど年齢も身長も変わらないであろう少女が立っていた。
この少女が、女を倒すために助けてくれたのだろう。
愛は小さく微笑みながら、少女に声をかける。


「ありがとう、あなたのおかげで助かった」


だが、愛の言葉に対して少女が放った言葉は何処までも辛辣であった。


「こんな程度の能力でダークネスと渡り合おうっていうの?
ありえない、無茶を通り越して無謀すぎる」

「え、何?
ダークネスとか言われてもあーしには分からん」


愛の率直な言葉に、少女はありえないと呟いて天を仰いだ。
愛としては素直に疑問を口に出しただけなのだが、その疑問は少女に取っては文字通り“ありえない”疑問だったのであろう。
少女は盛大な溜息をついた後、愛に向かって口を開く。

愛が今まで戦っていた相手はダークネスと呼ばれる超能力者組織に属する人間であること。
ダークネスの目的は、超能力を使いこの世界とそこに住まう人間全てを支配しようとしていること。
何故ダークネスが愛に目を付けたのかは分からないが、今後も愛が望む望まないに関わらずこういう戦いは訪れること。


全てを聞き終えた愛は、少女を見つめて微笑んだ。
その不可解すぎる微笑みに、少女は戸惑いを隠せなかった。
何故、こんな重大な場面で笑っているのかとその目は愛に問いかけている。
少女の瞳に浮かぶ光を知ってか知らずか、愛は笑顔のまま口を開いた。


「…あーしの助けを呼ぶ声が聞こえたから、あなたはここに来てくれたんやろ。
あーし一人だけやったら挫けてしまうかもしれんけど…あなたはあーしのこと、これから助けてくれるんやろ?
嬉しい…今まで友達なんてばぁば以外おらんかったから、あーし、すごく嬉しい」

「…誰があんたのこと助けるって言ったのよ。
たまたま、今回は助けただけだし…」

「助けてくれないの…じゃあ、何でさっきは助けてくれたの?」


愛の率直すぎる言葉に、少女は絶句せざるを得なかった。
先程まで真摯な眼差しで敵と渡り合っていたとは思えないほどの、無邪気な微笑みを愛は浮かべていた。
その無垢な微笑みに、思わず少女は見とれる。

幾らかの間をおいて、少女は口を開いた。


「…一人じゃあんた何にも出来ないだろうから…しょうがないから、あたしが助けてあげる。
あたしの名前は新垣里沙、得意能力は“精神干渉-マインドコントロール-”」

「里沙ちゃんって言うんやね、あーしの名前は高橋愛、得意能力は瞬間移動と、後人の心を読むことと、
光線を相手に放つことやよー」

「…“瞬間移動-テレポーテーション-”と“精神感応-リーディング-”と、
“光使い-フォトン・マニピュレート-”ね…あんた本当、何にも知らないのね…」


「確かにあーしは何も知らんけど…でも、これから、里沙ちゃんが色々教えてくれるんやろ?
よかったぁ、里沙ちゃんに会えて。
里沙ちゃんと会えんかったら、何も知らんままずっと一人でこれから先も戦うしかなかったから」


愛の言葉に少女―――里沙は溜息をついて、再び天を仰ぐ。
里沙が何故そんな風な態度を取るのか、愛は知る由もなかった。
里沙は本当ありえない、一人しかいないとかマジで勘弁してと呟きながら―――愛の方を見つめて口を開く。


「あんたとあたしだけじゃ、どう考えてもダークネスへ対抗なんて出来ない。
さっき、あたしは…あんたの呼ぶ声が聞こえたから、手助けすることが出来たの。
ひょっとしたら、あんたの声を聞くことが出来る人間があたし以外にもいるかもしれない」

「…いるんかな、他にも」

「可能性がゼロでない以上、探す価値はあるでしょうが。
あんたとあたしと二人だけで倒せるって分かってたら、一々こんなこと言わないって」


冷たく突き放すようでありながらも何処か温かい言葉に愛は微笑むと、うんと頷いた。
その頼りない姿に苦笑いしながら、しっかりしなさいよ、リーダーと言いながら里沙は愛の肩を叩く。
里沙に何気なく言われた言葉に、愛は戸惑いを隠せない。


「あーしが、リーダー?
ええんかな、あーしで…」

「いいも何も、あんたの声に引き寄せられてあたしはここにいる。
それに…今後複数の人間が集まってきたら、どうやっても皆をまとめる人間は必要よ。
…心配しなくても、あんたのことはあたしが支えてあげるわよ」


里沙の力強い言葉に、愛は再び笑顔になってうんと頷いた。
その笑顔に釣られるように、里沙も笑顔になる。

結界を解き、今からようやく眠る為にリゾナントへ戻ろうとする愛に里沙は声をかける。


「そういや、あんた…組織名、どうすんのよ?」

「え、そんなん考えてもなかったわ…ねぇ、里沙ちゃん、何かいい名前ない?」


愛の言葉に、これから先が思いやられるわと呟きながら里沙は少しの間口を閉ざす。
愛もまた、何か自分でいい名前が思いつかないものかと思案して―――諦めた。
元々、ネーミングセンスなんてものは持ち合わせていない。

新メニューを作る度に名前を付けるものの、そのネーミングに常連達は思わず顔を顰める程、愛のセンスのなさは致命的なのだ。
なので、一見さんは必ずメニューを見た後…愛に説明を求める。
この“うええおええ丼”って一体何ですかとか、“遊びじゃキスしないパスタ”には一体何が使われているんですか等々。
そんなネーミングセンスしか持ち合わせていない愛が組織名を考えたところで、ろくなことにならないのは目に見えていた。

やがて、里沙は愛の方を振り向いて口を開いた。


「“リゾナンター”、っていうのはどうかな?
リゾナントっていう単語をちょっと捩ってみたんだけど。
“共鳴する者”って意味になるのかな、うん」

「いいね…あーしの経営する喫茶店の名前にも似とるし、大切な者を守りたい、その想いに共鳴する人達、
そんな感じになるんかな…よーし、今日からあーし達はリゾナンターや!」

「あーし達って、まだあんたとあたししかいないし…」


愛の暢気な言葉に、里沙は苦笑せざるを得なかった。
この暢気な人間が本当にリーダーでいいのだろうか、そう思ってしまうのも無理はないくらい、愛ははしゃいでいる。
“ばぁば”を除いて、愛に出来た初めての“友達”が里沙であった。

これから先、どんな過酷な戦いが待ち受けているかを愛は知らない。
まるで正義の味方みたいやなぁと言いながら微笑む愛の無邪気さに、里沙は思わず冷ややかな眼差しを浮かべそうになる。
何も知らずに、正義の味方みたいやなぁと繰り返し言い続ける愛。

愛が無意識のうちに掲げるのは―――“盲目の正義”。
何も知らないまま、何も分からないまま、ただ己が守りたい者のためだけに戦うと決めた愛。
その拙い正義を笑うのは誰か。

青白い月が煌々と辺りを照らす深夜。
愛と里沙が出会ったこの夜に―――ダークネスへの対抗組織“リゾナンター”は生まれたのであった。




















最終更新:2012年12月02日 13:15