(18)427 『蒼の共鳴番外編-けして重ならぬ想い-』



喫茶リゾナントから徒歩10分程度のところにあるビルの屋上。
トン、という音を立ててそこに一人の女性が“降り立った”。
肩に付かない程度の茶色の髪に、ライトグレーのジャージを着た女性は目を伏せる。

ゆらゆらと、女性の体から立ち上る淡い黄色の“オーラ”。
オーラの放出が収まるのと同時に、ビルを中心とした半径五百メートル圏内は外界から隔離された空間となった。


「…邪魔もんがこんうちに、とっとと“調律”すまさんとね」


女性はそう呟いて、再び体からオーラを解き放った―――その瞬間だった。
外界から隔離されたこの空間に侵入しようと、女性の張った“結界”に何者かが手を触れる。
その気配が、よく知った人間のものであると感じた女性は、触れられた箇所の結界をわざと綻ばせた。


「愛ちゃん、相変わらず結界大きく張りすぎだよね」


よく通る声が女性の鼓膜を震わせたのと同時に、女性―――“高橋愛”の目の前に現れた長い茶髪の女性。
膝のあたりまで丈のあるモスグリーンのコートをひらひらさせながら、女性はゆっくりと愛の方へ近づいてきた。


「そんなこと言われても、小さく出来んのはしょうがないやよ、里沙ちゃん」


愛は女性―――“新垣里沙”の言葉に苦笑いしながら返事をした。
里沙の言う通り、もう少し小さく結界を展開することが出来るなら苦労はないのだが。

結界の範囲は、能力者の能力レベルで展開される最低限の大きさが決まっている。
能力が強ければ強いほどその最低限の範囲が大きなものになる以上、今よりも小さく結界を張ることは不可能と言えた。
そのことを過去に愛に教えた張本人である里沙が、それを忘れているはずがない。


里沙が自分と二人だけの時は、どこか突っかかるような口調になるのは昔から変わらなかった。
他の人間と一緒に居る時は優しい母親のような感じの里沙が、自分と二人だけの時は年相応に見える。
けして里沙本人に告げたことはないが、愛はそのことを密かに嬉しく思っていた。

里沙が他の仲間達に心を開いていないわけではない。
ただ、他の仲間達と一緒に居る時よりも素を見せてくれている、そう感じるのが嬉しいのだ。
里沙は“ばぁば”以外に初めて出来た友達で、大切な仲間だから。


「調律?」

「うん、出来る時にしとかんと…いざっていう時に精度が鈍ってると命取りになることもあるしの」


そう言って、愛は里沙が来る前と同様に自身の体からオーラを解き放つ。
里沙が傍にいるから、万が一“敵-ダークネス-”から襲われるようなことがあっても、何とかなるだろう。
先程とは違い、愛の唇には自然と笑みが浮かんだ。


「…あれから四年経つんやね」

「そうだね、もうそんなになるんだね」


微笑みながら自身の能力の一つ“精神感応-リーディング-”を解き放つ愛、そしてその姿を見つめる里沙、二人の脳裏に同時に蘇る過去。
四年前のあの日、愛は今日と同じように結界を展開し“調律”をしていた。
その時、ダークネスの人間から攻撃を受け、絶体絶命のピンチに陥った愛を救ったのが里沙だった。

あの時、里沙が敵の動きを止めてくれなかったら今の自分はなかったに違いない。
こうして今、ここで人の心が奏でる終わらない旋律に耳を傾けることもなかった。
里沙は次々と聞こえてくる音に耳を傾けている愛の傍に歩み寄ると、そっと手を愛の髪へと伸ばす。


「…もう、伸ばさないの?」

「伸ばさないつもりはないけど…今はまだ伸ばせんよ、これはケジメやから」


苦笑いしながら返事をする愛に、里沙はそっかと呟いたきり黙り込む。
初めて愛と出会った時、愛の髪は背中程まであるストレートの茶髪だった。

ある“出来事”をきっかけに、愛はその髪の毛をばっさりと切り…それから、愛はずっとこの長さを維持している。
そして、髪を切ったその日から、愛は仲間達をまとめるリーダーとして“覚醒”した。
それまでは、何処か頼りなかった愛。
髪を切ったのは、きっとそれまでの自分を変えるという意思表示だったんだろう。

無邪気に笑っていた少女の面影はもう、何処にもない。
二人だけだった“リゾナンター”に仲間が増え、皆で絆を築き上げてきたこの四年間という歳月は、
愛をしっかりとした大人の女性へと変えた。
そのことを嬉しいと思う反面、少し寂しいと思ってしまう自分に苦笑いしながら、里沙は髪へと伸ばしていた手をそのまま
愛の手へとスライドして包み込む。

自分とさほど変わらない大きさの手。
その手は“あの人”とよく似た温もりを持っていた。

愛の体からオーラが消える。
もうそろそろ、調律も終わりなのだろう。
目を開けてふわっと微笑む愛の姿は、似ているところなんて何一つないのに“あの人”を思い出させた。


「…里沙ちゃん、これからもよろしくやよ」

「何よ、急に改まって」

「んー、何となく。
もう四年経つんだなって思ったら、何か言いたくなった」

「変なの」


そう言ってそっぽを向いた里沙の手を引き寄せ、愛は自分よりもほんの少しだけ背の高い里沙を軽く抱き締める。
そのまま、二人は何も言わずにしばらくの間その場に佇んだ。

感謝の気持ちや、これからも共に在り続けたいという想いを口に出すのはそれなりの期間共に過ごしてきたからこそ口に出すのは照れくさい。
この抱擁は、言葉の代わりなのだ。
それが分かっているからか、里沙は愛を振り解くことなく、返事の代わりにそっと愛の背中に手を回す。
華奢な背中だな、と思ったことが伝わったのだろう、そんなことないよという愛の小さな呟きが里沙の鼓膜を震わせた。

静寂を破るように、携帯の着信音が鳴り響く。
着信音が聞こえた瞬間、里沙の心が一瞬だけ大きく震えたことに気がつかない振りをして、愛は里沙を腕の中から解放した。


「出ないの?
あーしに遠慮してるんなら、あーしもう帰るから気にせんで出ればええよ」

「え、ああ。
ごめんね気を遣わせちゃって」

「別にええよ、じゃ、また明日、リゾナントでね」


そう言って愛は一瞬だけ、里沙を再び軽く抱き締めた後―――その場から“消えた”。
結界を張った本人が消えると同時に、外界から隔離されていた空間は元の状態へと戻る。

何もこんな時にかけてこなくても、と舌打ちしたくなる衝動を堪えながら里沙は携帯のディスプレイに浮かぶ着信者の名前を見て溜息をついた。
出ようかどうか迷っているうちに着信音は途切れ、里沙は何だかホッとしたような、泣きたいような気持ちになる。

これからもよろしくと言ってくれた愛の笑顔、想いが里沙の心に焼き付いていた。

だからこそ、愛を、そして仲間を“裏切っている”ことがいつもよりも余計に里沙の胸を締め付ける。
後どれくらい、彼女達の傍にいれるだろうか。
それが分からないからこそ、こうしたささいな時間を大切にしたかったのに。

心が大きく乱れた声を上げそうになる前に、里沙はぐっと唇を噛みしめる。
仲間達、そして自分と“共鳴”の相性のいい愛にこの気持ちの乱れを知られてはいけない。
“裏切り者”であると知れてもいいのは、彼女達の元から去るその時だけなのだから。

乱れる心を無理矢理押し殺して、里沙は携帯を操作して“大切な時間”を邪魔した人間へと電話をかけ直す。

何の感情も浮かべていない里沙の横顔を、銀色の月が見ていた。




















最終更新:2012年12月02日 13:06