(11)828 『蒼の共鳴番外編-比翼連理すなわち共鳴-』



いつの間にか、眠っていたようである。
微睡みからゆっくりと覚醒していく意識、開いた目に飛び込んでくるオレンジ色の夕日。


「あ、目ぇ覚めたん?」


柔らかい関西弁が耳に届いて、リンリンは視線を声がした方に向ける。
リンリンが座っているテーブルの反対側のテーブルで、愛佳が小さく笑っていた。
そのテーブルに広げられている、教科書とノート。


「光井サン、こんにチわ。
あレ、高橋サンと田中サンはどこでスか?」

「高橋さんと田中さんは、2人で買い出しに出かけてん。
で、愛佳はその間だけ店番。
そういえば、リンリン、疲れてたん?
めっちゃよう寝とったで」

「アー、最近、夜眠れないんでス。
そノ代わりに、お昼寝すルようになりましタ」


リンリンは苦笑いしながら、愛佳を見つめる。
刻々と変わっていく未来を読み取り、リゾナンターを不測の事態から守る不戦の守護者。
こうして勉強道具をテーブルに広げている時は、年相応の幼さを感じさせるというのに。
予知能力を発動し淡々と未来を読み上げる姿に、人知れず見入ることもしばしばだった。

その瞳が見つめる先にある未来は、どんな色をしているのだろう。
希望に満ちた明るい色なのか、深い深い闇のような色なのか。
必要以上に予知能力を発動せず、ただその瞬間に視えた未来だけを語る愛佳。
その予知能力の精度は、リンリンが知りうる限りの能力者界隈ではトップクラスと言えた。

そもそも、未来とはこれから訪れる時であり。
そして、その数は無数とさえ言える。
愛佳はその膨大すぎるあらゆる未来の中から、瞬時に自分やリゾナンターに関わる未来を読み取るのだ。
未来を読むために生まれてきたのではないかと思わせるくらい、愛佳が読み取る未来には寸分の狂いもなかった。

だが、愛佳はその視えた未来を皆に伝えはしても。
伝えること以上の行為は逸脱した行為やから基本的にはせぇへんと言う。
日常生活程度のことならまだしも、リゾナンターの未来に関わることをその手で変えようとは絶対にしない愛佳。

未来を視る、使いようによっては攻撃能力よりも絶大な力を持ちながらも、
あくまでも人間でありたいと言う愛佳の姿は年齢以上の落ち着きを漂わせていた。

それでも。
視ることが出来るのならば、教えて欲しかった。

―――リゾナンターの中に、裏切り者が本当にいるのかどうかを。


夜がくる度に、あの時の言葉が思い出されてリンリンの胸を締め付ける。
その度に涙が溢れて、息が止まりそうで。
裏切り者なんていない、そう信じたいのに信じ切れない自分。
先の未来が見える愛佳なら、ひょっとしたら裏切り者が誰か発覚する未来を見れるかもしれない。

だが、知りたいと思う気持ちを愛佳にぶつけることは出来なかった。
その未来を読み取った愛佳が深く苦しみ傷つくことくらい、付き合いの短い自分でも十分分かっているから。
その予知能力故に、幼い頃からリゾナンターに出会うまで友や家族に退けられてきた愛佳。
大切な居場所を見つけて心から笑えるようになったのだと嬉しそうに笑う愛佳を、
自分の苦しみに巻き込むことは出来ない。


「余り人の心に土足で入るようなことはしたくないんやけど。
リンリン…ジュンジュンがめっちゃ心配しとったで。
もちろん、愛佳達もやけど。
何があったか知らんけど、いつまでも落ち込んだままやとジュンジュン可哀想やで」

「アー、ごめんナさい」

「謝らんでもいいから、リンリン、こっちおいで」


言われた通り、愛佳のいるテーブルへと近寄るリンリン。
手を伸ばせば触れられる距離まで近づいたリンリンを、愛佳はそっと抱き寄せる。
どんなことを思っているのか明確な言葉で聞こえるわけじゃない、だけど抱き寄せられた体に伝わってくる彼女の優しさ。
その優しさは純粋で、何の打算も感じられない。

温かな優しさに触れているというのにそう思ってしまう自分が悔しくて、大嫌いで。
きつく唇を噛みしめて、こみ上げてくる涙を無理矢理飲み込む。
あの言葉さえ聞かされなければ、この温もりを疑うことなんてなかったというのに。

―――どんなに願っても戻らない時間が、言葉が、リンリンの心を今も尚深く傷つけ続けていた。


何も言えずに黙り込むリンリンを、優しく包み込む温もり。
何も知らなければ、この温もりをただただ素直に受け止めて微笑むことが出来た。

知ってしまった今は、こんなに純粋な優しさですら疑いの目で見てしまう。


「あんなぁ、リンリン。
比翼連理、って四文字熟語知ってる?
元々は、中国の詩人、白居易の代表作の1つ『長恨歌』の一文から出来た言葉なんやけど」

「比翼ノ鳥と、連理の枝ガ合わさっタ言葉ですカ?」

「そうや、天に在りては願わくば比翼の鳥と作り。
地に在りては願わくば連理の枝と為らん、この一文から生まれた言葉や」

「何故、そんなことを聞くのでスか?」


中国に生まれ育ったリンリンにとっては、愛佳の言い出した言葉の真意が分かりかねた。
その文の意味合いはもちろん知っているが、今このタイミングでそんな話になるのかが分からない。
誰かに恋でもしているのだろうか、愛佳は。


「あ、リンリン、今愛佳が誰かに恋でもしてるのかって思ったやろ。
ちゃうで、そういうことやない」

「じゃあ、何なのでスか?」

「この言葉は確かに、男女の相思相愛の関係を例える言葉やし、そういう意味や。
だけど、愛佳、この言葉を習った時に違うこと思ったんよ。
この言葉、まるでリゾナンターの皆みたいやな、って。
恋とかそういう感情じゃないけれど、共鳴によって呼び合って響きあって、
そんな深い感情で繋がってる、皆」


愛佳の言葉は静かに、リンリンの心を揺らしていく。
本来の言葉が持つ意味とは違うだろう、だが、愛佳の言いたいことが何となく分かってきて。
あの時から続いている悲しみの色が、少し和らいできたような気がした。
リンリンの心が少しずつ変化しているのを感じながら、愛佳は再び言葉を発する。


「仲がよくて離れがたい、そういう意味もあるんや、この言葉には。
な、何か愛佳達みたいやろ。
もちろん、辛いことだって一杯あるし、これからもきっとある。
だけど、離れたいなんてこれっぽっちも思わんのは。
悲しみも喜びも全部、共鳴して分かち合えるからやって、そう思うんよ」

「光井、サン…」

「そりゃ、時には共鳴するのが辛い時もあるけど。
思ってること全部何となく伝わっちゃったりするから、隠しておきたいことでもバレちゃうこともあるけど。
それでも、愛佳はこのよう分からん感覚があってよかったって思うよ。
それがなかったら、皆に出会えてへんかった」

「出会わナければよかっタと、思ったりシないノですカ?」


リンリンの問いかけに、愛佳は小さく微笑む。
そして、問いかけに答える代わりにリンリンの背中に回した腕に力を込めた。
伝わるだろうか、この想いは。
きっと伝わる、そう思いながら愛佳は言葉を紡ぐ。


「そんなこと、全然思わん。
この苦しみを一緒に乗り越えようとしてくれる、喜びを分かち合うことができる。
そんな仲間が出来て、何でそんな風に思わんといかんの?
仲間に傷つけられることももしかしたらあるかもしれん、
やけど、愛佳は出会わなければよかったなんて思わん、だって」


皆で分かち合ってきた想いは、全部ほんまもんやって信じてるから、と。
そう呟いて、リンリンの肩に顔を埋める愛佳。
愛佳の背中に手を回して、嗚咽を堪えるその小さな背中を撫でるリンリン。
フラッシュバックする記憶とダイレクトに伝わってくる悲しみに、リンリンは頭を抱えたい衝動を堪える。


『たまに、寝てる時に予知能力が勝手に発動するんよ。
大概、そういう時に見る夢って嫌な夢ばっかりで、
起きてからずっとブルーやで。
忘れることも出来んし、下手に誰にも言えんような夢を見ることもあるし』


あぁ、この少女は。
―――きっと、あの時のことも視えていたのだ。

愛佳の心境を思えば思う程、胸が苦しくなる。
知っていて、その未来を口にすることが出来ない苦しみは如何ばかりか。
想像することすら、おこがましい気がした。

視えた未来がどんなものであろうと、その未来を大きく変えてしまうことは出来ないししたくない。
だけど、能力者としての自分でないただの人としては、その未来を変えてしまいたい。
相反するものを心に抱えながら、愛佳が愛佳としていられるのは。

誰よりも皆と、共鳴して伝わってくる気持ちを信じているから。
どんな暗い未来も、気持ち1つで変えていけるのだと強く強く信じているから。

あの時に打ち砕かれたはずの想いが蘇ってくる。
そうだ、あの時自分は確かに言った。

私は皆を信じる、と。


「あー、もう。
泣くつもりなかったんやけどなぁ、格好悪っ」

「格好悪くなイですよ、光井サンは。
あ、でも、鼻垂れテるのはちょっト、どウかと思いマすけド」

「うっさいわ!
誰が泣かしたと思っとるねん!
もういい、リンリンなんて知らん」


そっぽを向いてしまった愛佳に、ポケットティッシュを差し出しながら。
リンリンは愛佳に向けて心の中で大きく、ありがとうと言う。

信じるだけで変わるのなら苦労などない、そんなことは子供でも分かること。
だが、皆を信じるこの想いが皆にしっかりと届いているのなら。
例え裏切り者がいたとしても、きっとその人の心は変わるはずだ。
誰よりも強く信じれば、既に決まっている未来が変わるなんて奇跡も起きるかもしれない。

今はまだ、すぐには気持ちがすっきりとはしないし、ふとしたタイミングであの言葉を思い返して苦しむだろう。
元のように素直な気持ちで笑えるようになるかは分からない、でも、この気持ちを持ち続けることができたらきっと大丈夫だ。

とりあえず、愛佳の機嫌を直さなければ。
こんなところを小春にでも見られた日には、電流ビリビリどころでは済まないに違いない。


「久シ振りに着たTシャツがピチピチにナったよ、でモそんナの関係ネぇ!」

「…古い、もうそのギャグは古すぎて寒いだけやわ、リンリン。
しかもTシャツピチピチとかきっついわぁ」

「でモそんナの関係ネぇ!」

「はいはい、分かったから別のギャグにして」

「じゃあ、エアーロデオやりマす!」


もうそれは見飽きたって、と言いながらため息をつく愛佳。
それにもめげずにハイッハイッと珍妙な動きを繰り返すリンリン。
端から見たら寒い光景でしかない。

だが、2人とも心の中では穏やかに笑い合っていた。
笑い合う2人の心の声に、何か楽しいことでもあったのかと次々に話しかけてくる声。
心と心が繋がって、柔らかくて優しい声が共鳴して増幅していく。
それぞれの声に宿る温もりが、ひたひたとリンリンと愛佳の心を満たし。


―――今日は久し振りに夜に眠ることが出来そうだと、リンリンは小さく微笑んだ。




















最終更新:2012年12月02日 12:48