小春が声を上げて泣いている。
泣いた彼女の顔を見たことがないわけじゃない。
でも、その涙は愛佳の心を揺らすのには充分すぎるくらい、重い。
その涙を止めたくて、手を伸ばす―――
「…どうせ視るなら、もっといいもん視たかったわ」
のそっと、愛佳はベッドから身を起こす。
時刻は夜の3時過ぎ、まだまだ目覚めるのには早い時間。
背中を伝う汗が気持ち悪くて、愛佳はシャワーを浴びに風呂場へと向かった。
肌くらいの温度のシャワーが、愛佳を濡らしていく。
熱すぎず、冷たすぎず。
気持ち悪さの原因となっていた汗を洗い流しながら、愛佳は物思いに耽る。
愛佳の得意能力と言ってもいい、予知能力。
その名の通り、これから起こりうる事態を予め知ることが出来る能力だ。
普段、愛佳はその能力を必要な時にしか使わない。
その能力で予め視たいものを指定して視ることが出来るようになったものの、
未だに愛佳を困らせることもあった。
それが、予知夢である。
愛佳本人の意思とは無関係に予知能力が発動して、夢うつつの中でこれから起こりうる事態を視てしまう。
こういう形で視えてしまうことは大概、愛佳にとって思わしくないことだったりするのだ。
現に、今さっき視た夢の中で小春は泣いていた。
思い返すだけで、胸が締め付けられて身動きできなくなるくらいに。
リゾナンター全体に影響があるような大きなことは今のところ見えてはいないので、
おそらくリゾナンターの小春ではない、普通の久住小春に何かが起きるのではないだろうか。
そこまで考えて、愛佳はシャワーを止める。
視えてしまったものは仕方がない、もう視えなかった自分には戻れないのだから。
今の自分が考えるべきことはただ1つ。
―――小春の涙を止めてみせる、何があっても。
今度は何も視ませんようにと願いながら、愛佳は布団へと潜り込んだ。
*
授業が終わると、愛佳はダッシュでリゾナントへと向かう。
小春からメールが着ていたのだ。
みっつぃーに見て欲しいものがあるから、学校が終わったらリゾナントへ来てください。
そう書かれたメール。
ちょうど小春に会いたいと思っていた。
見せたいものが何なのか気にならないわけじゃないが、こっちも言いたいことがある。
駅へと走る今この瞬間も、小春の泣き顔が頭から離れない。
ミーを失ったあの日から少しずつ築き上げてきた、2人なりの絆。
―――小春の涙を拭うのは、自分。
いつも乗る電車から見る風景なのに、今日だけは無性に苛ついた。
早くリゾナントに行きたい、その思いとは裏腹に。
救護人が出たり、ドアに荷物を挟まれて引きずられそうになる人がいたりで、電車はどんどん遅れる。
リゾナントの最寄り駅に着く頃にはぐったりとしてしまった。
それでも、愛佳は駅に着いてからダッシュする。
早く、1秒でも早く。
あんな未来は変えてみせる、自分の力で。
「こんにちわー」
「あ、みっつぃー、来てくれたんだね、遅かったからちょっと心配しちゃった」
「久住さん、こんにちわ」
小春は、リゾナントの店内に置かれているテレビに近い席に座っていた。
その片手には、湯気が立ち上るマグカップ。
制服姿なところを見ると、高校から直接リゾナントへと来たのだろう。
いつもは私服で来ている小春の制服姿は見慣れなくて、でも何だか嬉しい。
そんなことを考えている場合じゃなかった。
小春の涙を止めなきゃいけない。
愛佳は神妙な顔で小春の隣へと腰掛ける、と同時にテーブルに置かれるマグカップ。
視線を上げると、愛がにっこり笑っていた。
愛佳の好きな、ちょっぴりほろ苦いキャラメルマキアート。
愛にありがとうございますと言って、愛佳はマグカップを手に取る。
口に広がるキャラメルの仄かな甘みと、ほろ苦さ。
甘い味が苦手な愛佳のために、甘さ控えめで作ってくれたのだろう。
自然と微笑んでしまった愛佳を見て、小春も小さく笑った。
「もうそろそろ時間だ、高橋さん、テレビつけてもいいですか?」
「ええでー」
そんな会話を耳にしながら、愛佳はどうやって小春に話を切り出そうかと思う。
少なくとも、今の小春はとても何か泣いてしまうような何かを抱えているようには見えない。
だけど、自分は確かに視たのだ、涙を流す小春の姿を。
このままだと、切り出すタイミングを失ったまま時間が流れてしまう。
テレビに見入る小春に、愛佳は意を決して話しかけた。
「久住さん、愛佳、視たんです」
「…見たって、何を?」
「愛佳がたまに予知夢を視るって話は、前にしましたよね?
昨日…日付的には今日なんですけど。
視たんです、久住さんが泣いてるところ」
「へ?本当に?」
本当にと言った小春の横顔は、いつもと変わらない平然としたもので。
こんなにも自分は小春のことを心配しているのに、小春は何も思わないんだろうか。
悔しくて悲しくて、涙が溢れてくる。
愛佳が言葉を発しないことに気付いた小春は、愛佳の方を向いて驚いた。
慌てて鞄からハンカチを取り出して、愛佳の頬へと小春は手を伸ばす。
その手を払いのけながら、愛佳は小春を睨み付けた。
「愛佳は久住さんのこと、本気で心配してるんです。
なのに、テレビの方ばっかり見て愛佳の話なんか全然聞こうとしてくれへん。
久住さんが泣いてる夢を見たから、愛佳、学校終わってからすぐにここまで来たのに、
久住さんはヘラヘラしとるし…愛佳じゃ、頼りないですか?
泣くようなことがあっても教えられんくらい愛佳は久住さんにとって頼りにならん存在なんですか?」
「みっつぃー?
あたしはみっつぃーのことすごく頼りにしてるよ。
本当、何か泣くようなことがあったら
真っ先にみっつぃーに相談する。
何でみっつぃーがそんな夢見ちゃったのか分かんないけど、
あたし、泣くようなことはここ最近…あ!」
何か思い当たることがあったのだろう。
小春は1人で納得したような顔をしている、それが気に食わなくて愛佳はさらに言葉を続けようとしたが。
いいからテレビ見てと言われ、愛佳はぶすっとした顔でテレビの方を見る。
何かの特撮物だろうか、怪人とヒーロー達が戦っていた。
怪人は敗れ、変身を解くヒーロー達。
その瞬間、愛佳は声をあげそうになる。
ヒーロー達の1人に小春がいた、黒いフード付きのロングコートに、黒いインナー、黒いブーツ姿で。
小春の顔がアップになる。
『ごめんね、もっと早く助けてあげれたらこんな目には遭わせなかったのに…』
画面の中の小春が、泣いていた。
怪人との戦いに巻き込まれたと思われる、もう動かない女性を抱きしめながら。
そのまま、番組はエンドロールが流れ始めた。
「多分、みっつぃーが見た小春の泣き顔ってのは、これなんじゃないかなー。
本当、泣くようなことってこれくらいしか小春には思い当たらないんだけど」
「…穴があったら入りたいですわ、ほんまに」
「ふふ、心配してくれてありがとう、みっつぃー」
そう言って優しく微笑む小春に、愛佳もぎこちない笑顔を返す。
確かに予知夢は当たっていた、小春は泣いていたのだから―――画面の中だけれど。
冷めてしまったキャラメルマキアートを口にしながら、愛佳はホッとした。
演技の涙でよかった、と。
あの後はというと。
せっかくの小春の晴れ姿を見てくれなかったとぶーぶー言う小春を宥めたり、
一連のやり取りを見ていた愛とれいなに冷やかされて大変だった。
―――もう、予知夢は見たくない。
最終更新:2012年12月02日 12:47