(23)444 『弱虫シチュー-Noise of mind-』



自分が理解できるのは自分だけ。
強くないと解っているのも自分だけ。
強がって、自分と言う弱い人間を隠し続けて生きてきた。

夜、部屋に居るのは一人だけ。
誰かに慰めてほしいのに、存在する人間は一人しか居ない。
見もしないのにテレビをつけたまま寝る。
寂しさを紛らわせたくて、ただその音のみを聞いて眠るのだ。

放送を終了して画面がノイズのみを映し出す。
ザーザーザー、耳障りな音はそれでも心を少しでも満たしてくれる。
砂嵐が起こっているかのよう。
何もかもを巻き込んで、全てを"無"にしてくれるかもしれない。

全てを。全てを。
この、新垣里沙の全てを消してほしい。
思い出も、存在も。
プツン。
テレビを消せば、其処は静寂の闇の中。

 「孤独が似合うタイプだよね」

何て言われ、冗談でも確かにそうだと笑って頷く。
誰にも頼らない、そのしっかりした姿が、そう思わせてしまったのだろうか。
誰も、理解してくれないのか。
自分だけが居る世界。自分だけが存在し、生きる世界。
静かで、悲しくて、苦しい世界。

携帯を取り出す。
画面を開き、メンバーとは違う欄に記された電話番号を見つめる。


 「辛くなったら電話するんだよ?」

そう言ってくれた人物の顔は、少し切ないながらも笑顔だった。
だが、あの人もまた、組織の上層部にとって欠ける事は許されない立場の人。
邪魔になるかもしれない。
自分自身の私事で迷惑を掛ける事は絶対にしてはいけないのだ。

我慢。我慢。我慢。
そんな日々が、後どれくらい続くのだろう?
全てを隠して、隠して、隠して。
震える手は震える瞼を隠し、小さく涙を流した。




そんな時に、あの出来事が起こる。
喫茶『リゾナント』には「今日は行けない」と連絡をした後。
タクシーの窓から見えた光景に目を疑った。

 「停めてくださいっ」

気付けば、タクシーから飛び降りていた。
雨がぱらついたかと思うと、それはバケツを引っくり返した様に酷くなる。
視界が曖昧で、電灯や住宅の光さえもぼやけて上手く見えない。

 そんな所に、道重さゆみが居た。

全身をずぶ濡れにし、ただただ何も無い道のど真ん中に佇んだ状態で。
傍に駆け寄る人影を見た途端、その表情は驚愕で色褪せる。


 「さゆみんっ、何やってるのっ!?」
 「新垣さん…?」
 「とにかくほら、乗ってっ」
 「でも…」
 「良いからっ」

無理やり腕を引っ掴み、タクシーへとさゆみを乗せた。
喫茶『リゾナント』に連れて行くと色々と厄介になりそうだった為
とりあえず里沙の家にへと行こうと提案したがさゆみが少し考え、言った。

 「良かったら、さゆみの家に来ませんか?」

さゆみが住んでいるマンションは『リゾナント』からもそう近くない場所にあった。
亀井絵里が通院している病院からも徒歩で10分程度の場所と言う事もあって
いつも何処かで待ち合わせをしてからお店にやってくるのだろうとぼんやりと考える。

鍵でドアを開け、玄関の明りをつけると視界が一気に晴れた。
「ただいま」と誰に言うでも無く呟いて、「どうぞ」と里沙を出迎える

廊下を渡ると、其処はリビングへと繋がっていた。
ソファとテレビ、そしてキッチンと簡素なモノだが、その中には彼女が選んだのだろう
と思われる家具と小物がそこかしこに乱立している。
まるでオモチャ箱を連想させ、だがどこか寂しさを感じた。

 「はい、新垣さん」
 「あ、ありがと…」

寄越されたタオルで濡れた所を拭い、里沙はソファに座って辺りを見渡す。
さゆみはいつの間に着替えたのか、新しい服に身を包んでキッチンの方で何かを準備をしていた。
手伝おうとしたが、その場で待っているように言われてやむ終えず座り直す。


現れたのはインスタントのココアが入れられたマグカップ。
色違いなだけで柄は同じなのを見ると、どうやらペア仕様らしい。

 「それ、新しく買い換えたんですよ。意味は無いんですけど、何だか欲しくなっちゃって」

そういえば先月の週末に亀井絵里と買い物をするのだと話していた事がある。
いかにも彼女らしいセンスが伺えたが、飲み心地は悪くない。
タオルを頭に被せながらさゆみは笑って里沙を見ていた。

不意に、誰かのお腹が鳴った。
グゥーッといういかにもな空腹の合図に二人して苦笑いを浮かべる。

 「何か作ります?一応材料はあるんですけど」
 「じゃあ、さゆみんが好きなので良いよ、何が良い?」
 「えーと、シチュー…とか?ほら、愛ちゃんが試食品で作ってた」
 「あーあれ?でもさゆみん、作れる?」
 「…そこは新垣さんの腕を信用しての提案という事で」
 「はいはい、じゃあさゆみんは調味料とか、味見してくれるだけで良いから」

さゆみが言うのは冬の時期だからと新メニューで提案されていたモノだ。
現在も考案中との事だが、何度も作った事でレシピも覚えている。
冷蔵庫の中に入っていた具材を取り出し、里沙とさゆみは調理を始めた。

 「…何も聞かないんですね」
 「聞くのなんて、これを食べてからでも十分だしね」

無理に問い詰めても、それは相手にとっては重い言葉でしかない。
何があったのかを聞いても、その答えを里沙は持ち合わせていないのだから。

自分が理解できるのは自分だけ。
強くないと解っているのも自分だけ。


だからこそ、里沙は何も言わないし聞く事はしない。
鍋の中にある野菜達のように少しずつ、その冷たくなった気持ちを溶かしてあげるだけ。
そうすれば、少しでも温かさが生まれるかもしれない。

 「最近、ちょっといろいろありすぎて消化できないって言うか。
 何をやっても上手くいかないっていうか…」

「時々、絵里が凄く羨ましく思えるんですよね」と、さゆみは苦笑を浮かべて言った。
テーブルに置かれたパンを齧り、シチューをスプーンで掬い上げ、野菜サラダに箸を入れる。
久しぶりに自分ではない誰かと食べる夕食。
いつもは味がしない料理は、まるで嘘のように美味しさを口に広げていた。

 「いろんな所に行ったり来たりする毎日を過ごしてると、見る夢もリアルに見えてきて。
 頼られているのは凄く嬉しいのに、時々それが、凄く重いんです。
 たくさん人が居る中で、まるで自分だけが解ってもらえないような…そんなカンジが凄く辛い」

誰かと分かり合えないのに臆病になる自分。
誰かに分かってほしいのに弱気になる自分。
なんて弱虫な自分。誰にも伝えられない思いを抱いたまま、ただただ涙を流すことしか出来ない。

 「…全部を受けるっていうのは難しいかもしれない。
 私はさゆみんじゃないから、それがどれくらいのモノなのか分からない。
 それでも、話してくれてありがとね。ほんの少しでも、気持ちが聴けて良かったよ」
 「新垣さんも、何かあったんですね」
 「うん。でも、ね、自分だけじゃないって思ったら少しだけ楽になったから」

弱虫な自分。
弱い自分を隠し続けながら、それでも同じ人間であればどこかで同じ気持ちに会う事もある。
存在、想い、価値、理由、記憶、世界。
全てとはいかないけれど、出会う事が出来たらその中の1つでも伝わるかもしれない。
『共鳴』という繋がりは、だからこそ存在するのではないか。


 「…それって、喜んで良いんですか?」
 「何でよー、少しでも解り合えた気がしない?」
 「私は絵里や新垣さんみたいに単純じゃないんです」
 「うわー、カメと同じ立場とか複雑だわ…」

居場所というのは、誰にでもあるものらしい。
何処にでも、例えば道端に落ちている石ころにも。
どちらが先なのか分からないくらいに、二人は笑った。

 弱虫な二人。消えない傷を抱えて、それでも今は、今だけは幸福を感じよう。
 不器用な自分達にとって、それが一番重要な事だから。

今夜はあの耳障りな音は無い。
静寂の闇の中で、それでも一人じゃないと感じる人の温かさ。
ソッと、携帯を取り出して電話帳を開き、指は其処で止まった。
既に深夜を回っている時間に、あの人を起こすのはあまりにも酷な事だ。

 「―――おやすみなさい」

あの人に届くように願いながら、里沙は眠りに落ちた。




翌日。
喫茶『リゾナント』に立ち寄るといつもの様に二人の姿が伺える。
里沙の姿を見つけた此処のマスター、高橋愛は「いらっしゃい」といつもの調子で出迎えてくれた。
ポケットから取り出した紙を差し出すと、愛はキョトンとそれを見つめる。


 「ねぇ、愛ちゃん。これで新メニュー作ってくれない?」
 「へぇ?珍しいやんか。ガキさんがそんなこと言うん」
 「まぁ、たまにはお客様のリクエストにお答えするのも良いじゃん」
 「言うねー。えっと…あれ?これって…」



数日後、喫茶『リゾナント』には新たな看板メニューが追加された。

"弱虫シチュー"と呼ばれるそれは、特殊な圧力鍋によって調理時間を短縮させ
なおかつ和洋中のどんな料理にも合うようにした当店オリジナル料理。
その完成に至ったのは、二人の常連客によるリクエストから生まれ、後に
"泣いちゃうかもオムライス"と並ぶ強力メニューになるのは、まだ誰も知らない近未来のお話。





















最終更新:2012年12月02日 07:07