(21)876 『スパイの憂鬱9』



「ねぇねぇ、ガキさん、今日リゾナントでご飯食べていくと?」

「あー、今日はいいわ、あたしうち帰ってやらなきゃいけないことあるし」

「えー、里沙ちゃん最近付き合い悪い…はっ!
ま、まさかあーし以外に他の女が!!!」

「…いないから、てか、愛ちゃんとあたし付き合ってないし」

「えぇぇ!
あの日の夜交わした口付けは嘘やったの!?」

「そうね、嘘ね、ていうか、口付けも何もそのこと自体ねつ造じゃない…んじゃ、またね」


今日も宿敵ダークネスの構成員との戦いを終えたリゾナンター達。
いつものように戦いの後は“喫茶リゾナント”で晩ご飯を食べて帰るリゾナンター達の列から、里沙は華麗に抜け出した。

前までだったら、食事代が浮くという理由で一緒にリゾナンター達と夕食を食べていた里沙。
だが、今はそういう訳にもいかなくなったのだ。

原因は―――新居への引っ越し。
ただ新居に引っ越ししただけならよかったのだが、里沙の新居は喫茶リゾナントの裏に出来たばかりの新築マンション。

リゾナンターの面々にそのことを知られたら…間違いなく、喫茶リゾナントと同様、彼女達のたまり場にされてしまう。
ただでさえ、毎日心労がひどくて家でしかリラックスできないというのに、彼女達が押し寄せるようになった日には発狂しかねない。

最近でこそリゾナンター達の扱いにも慣れ、少しは気が楽に生活出来るようになったものの、
それでも、プライベートだけは死守したかった。

プライベートが充実しているからこそ、リゾナンター達と共に過ごす時間を耐えられる。
だが、その領域に踏み込まれるようなことがあったら…心労が重なって倒れてしまうに違いない。


そう、里沙は―――ダークネスがリゾナンターへと送り込んだスパイ。
スパイとしての任務を全うするためにも、プライベートは絶対に死守してみせる。

リゾナンター達の背中が完全に見えなくなったことを確認した里沙は、彼女達とは逆の方向へと歩き出す。
彼女達にバレないように後ろをつけていってもよかったが、念には念を、というやつである。

里沙が歩き始めたルートは、先日のオフにあらゆる可能性を想定した上でたたき出した、
絶対に誰にも出くわすことなく自宅へと帰り着けるルートだった。

彼女達一人一人の自宅の位置、使う駅、リゾナントから自宅まで帰る際の通り道、彼女達が立ち寄りそうな建物。
集めた情報を元に、何通りものルートを一日中歩き回った結果、生み出すことに成功したルート。


(食材は充分あったから買い物はする必要ないし、この間超人戦隊パンダンガーのCDは買ったし。
あー、仮面ファイター熊二郎DXのCDは買ったっけ…)


里沙は携帯電話のサブディスプレイを見て時刻を確認する。
寄り道して帰宅しても、就寝するまでの自由時間はたっぷりあることを確認した里沙は、
ルートを外れてCDショップへと向かうことにした。

給料をあげてもらった里沙の財布は、例え限定フィギュア付き(通常10種類+シークレット)CDを大人買いしても、
問題内くらいに潤っていた。

以前は、食費や交際費を削って一生懸命CDを買い集めていたが、そこまでしなくてもよくなったことは素直に嬉しい。
里沙の頭の中はただ一つ、何枚買えば全種類コンプリートできるか、それだけしかなかった。


「うぉーうおー♪
倒せ巨悪!かざせ正義!
鋼の意思で世界を救え、仮面ファイター熊二郎~でーらっくすぅ♪」


通り道に人がいないことを確認して、仮面ファイター熊二郎DXのテーマソングを歌う里沙。
里沙は密かに、仮面ファイター熊二郎DXには期待していた。

仮面ファイターであるはずなのに、変身するとただの熊。
光線銃もロボットもいらねぇ、己の前足のみで巨大な怪獣をぶち倒す。
そして、仲間も熊に変身するのだが、その仲間達ももちろん武器は己の前足のみ。

前衛的過ぎて視聴率がとれるどころか、一話で打ち切られるかと思った仮面ファイター熊二郎。
だが、便利なアイテムなしに己の体のみで事態を切り開いていくという斬新さがマスコミに取り上げられ、
視聴者も食いついた結果…放送開始からわずかワンクールで、超人戦隊パンダンガーと並ぶ人気特撮物となったのだった。

音楽もいいし、暇な主婦層をターゲットにしたイケメンが出るわけでもない、そこにあるのは熊のみ。
その潔さはこれからの戦隊物のあり方を変えるに違いない、特撮ヲタとしてはまさに見逃すわけにはいかない新機軸なのだ。

楽しげに歩く里沙―――だが、里沙は不意に怪しい気配を察知して振り返る。
視界に入った人物を見て、里沙はこれはまずいことになったのだと心の中で呟いた。


「あら、新垣。
ちょうどよかった、あたしあんたのこと探してたのよ」

「…どうも。
っていうか、ダークネスの幹部がこんなところぶらぶらしないでくださいよ…」


強烈なウィンクと共に現れたのは、ダークネス幹部の一人“保田圭”だった。
これがマンガだったら、背景に書き込まれる花は間違いなく人食い花だろうなと思いながら、里沙は圭にバレないように溜息をつく。


「いちいち細かいことは気にしないの。
さぁ、行くわよ―――今日は有休貰ってきたから、明日の朝まで付き合って貰うからね」

「…あのー、明日あたしは休みじゃないんですけど」

「えー、あんた大体夕方にあいつらのところ行くじゃない、朝まで起きてても昼過ぎまで寝れるんだから、
今晩はとことん付き合って貰うわよ、いいわね、これは命令よ」

「…はい」


先程までの浮かれた気持ちよさようなら、そしてこんにちわ悲しみさん。
歩き出した圭から半歩程距離を空けて歩き出した里沙の脳内に流れるBGMはもちろん○ナ○ナである。

あの子牛の如く、市場に売り渡されるような心境だった。
今日はCDを買って家に帰ったら、夕食をとってその後はCDをエンドレスリピートしながらフィギュアを眺めようと思っていたのに。

だが、組織の上下関係は絶対である。
先日ようやくアルバイトに毛が生えた程度の扱いから、一人前の構成員に昇格したとはいえど、
ダークネス幹部の命令には逆らえない、否、逆らったら何をされるか分からない。

圭の後を付いていった里沙の目の前に現れたのは、駅に程近いビル。
圭が迷うことなくビルの中へと入っていくので、里沙もそれに倣うようにビルの中へと入った。

チェーン店の居酒屋、カラオケ屋が入っているちょっと古めかしいビル。
エレベーターに乗った圭が押した階にあるのは―――予想通り。

チン、という音と共にエレベーターのドアが開き、圭と共に里沙はフロアへと足を踏み入れる。


「いらっしゃいませー」

「予約していた保田ですけど」

「保田様ですね。
ご利用時間はどうなさいますか?」

「朝まで、後飲み放題で。
部屋はどこでもいいわ」

「かしこまりました。
では、スーパーデラックスルームご利用、フリータイム、飲み放題込みで」

「これ使える?」

「こ、これは…プラチナ会員証!」

「これ使うといくらになるの?」

「お、お代は結構でございます!
後、飲み放題のメニューは通常ですと選べるメニューが限定されますが、
保田様は全てのメニューをお選びいただけます」

「ふーん、まぁ何でもいいけど。
リモコン頂戴」


店員からリモコンを受け取った圭は、里沙の方に向かって必殺ケメコウィンクを飛ばす。
そのウィンクを見なかった振りをしながら、里沙はこれから始まる地獄のような時間を思って心の中で涙を流した。


     *    *    *


「だからさー、折角うちも資金が潤ったんだし、これからは人を雇って色々してもらう方がいいって話をしてるのよ。
でも、裕ちゃんケチだから出来ることは自分達でやるって言って聞いてくれないし。
そりゃ、お金は無限じゃないしうちらの活動資金っていったらもっぱらコスプレ喫茶での売り上げと、藤本、石川、
松浦、後藤、吉澤の五人が路上で売ってるCDの売り上げだけなんだけどねー。
でも、一人くらい人雇って、炊事洗濯掃除とかやってもらってもいいとあたしは思うワケよ、どう?」

「はぁ、そうですね」

「てか、そもそもうちは栄養状態偏り過ぎなのよ。
裕ちゃんは魚しか焼けないし、矢口、松浦、吉澤は面倒臭がりだからスーパーのお総菜で済ませちゃうし。
藤本は焼き肉以外の料理作らないし、石川の料理は論外だし。
なっちと後藤以外でちゃんとした料理作れる人間いないのよ、どうなのよ、それ。
毎日きちんとした食事をとることで、心身共に健康になれるのよ、食が人をつくるのよ、分かる?」

「さ、さすが保田さんだなー、あたし尊敬しちゃいます。
あ、あたし保田さんの○アス越え聞きたいなぁ、歌ってくれますよね?」

「新垣、あんたのセレクトさすがよ!
幾らでも歌ってあげるわ、さあ、入力なさい!」


自分の料理の腕を棚に上げて言いたい放題の圭に苦笑いしながら、里沙はリモコンを操作して番号を入力する。
10回ほど同じ番号を入力した里沙は、圭にバレないように溜息をついた。


圭は酒に強い、だが強い人間だっていつかは酔う。
時刻は夜中の二時、既にカラオケ店に入店してから7時間が経過していたその間、圭は店中の酒を飲み干す勢いで酒を飲み続けていたのだ。

酔っぱらってくだを巻く、どこのサラリーマンかと言いたくなる衝動を堪えながら、里沙は早く朝が来ることだけを祈る。
歌っている間だけは圭の相手をしなくてもいいが、歌が終わればまた圭は里沙相手に、
言われても里沙にはどうしようもない愚痴を延々と言い出すのだ。

圭が歌っている間に、次何の曲を歌って貰おうかと里沙は本をぱらぱらと捲る。
自分も歌っていいよとは言われたが、歌い出したら圭は必ずケチをつけてくるのだ、新垣、あんたソウルが足んないわよと。

こっちだって、大好きな特撮物のテーマソングを歌うときは全力全開で歌っているつもりだ。
だが、圭はそれでもまだまだねと鼻で笑い、酒を呷って愚痴を吐く。

冗談じゃない。
今日こそ、圭をギャフン(死語)と言わせてやるのだ。

歌い終わった圭が口を開くよりも先に、里沙は番号を入力してマイクを持つ。
見てろ、日頃の鬱憤や重圧から解放され、熱く激しく特撮ヲタとして魂を燃え上がらせた新垣里沙の歌唱は、一味も二味も違うぜ。
流れ出すイントロ、高鳴る鼓動、さあ、今こそ立ち上がれ!


「うおぉおおおおおおお、じゃあすてぃいいいいいいいいす!
ときはなてよばーにんはあああああああああと!」


サビから入るタイプの楽曲は最初のでだしが肝心。
そして、そこから再びサビに至るまでの間に己のテンションを高めまくる、サビが来たら後はもう、燃え上がるだけ。


喫茶店にバナナの樹を植えようとしないで、ジュンジュン!
バナナの樹に対抗して南国気分でフェニックスの樹でも植えようかなとか言わないで、小春!
ろくに料理も出来ないのに、リゾナントがハワイ風になるなら何かレシピ考えなきゃとかありえないから、さゆ!

絵心もないのに、じゃあ喫茶店の看板絵里描くーじゃない、カメ!
名物ショーとしてファイヤーダンスでも踊りましょうとか、店が燃えたらどうするのよリンリン!
ハワイ風にするなら、ウェイトレスの格好じゃなくてビキニでも着ればいいのとか、出るところ出てから言いなさい、田中っち!
そこ、何も聞いてない振りして参考書読んでるとかひどいから、みっつぃー!
お客さんも店員も皆水着着用でうはうはやよー、なんて、そんな風になったら絶対リゾナント来ないからね、愛ちゃん!

溢れ出る思いを燃え上がらせ、里沙はひたすら歌に没頭する。
里沙が正気を取り戻した時には、既に圭は口をポカーンと開けて里沙を見つめていた。


「新垣…今日のあんた最高だわ…。
今までのあんたは、上手いんだけど無難な出来、みたいな歌だったのに…。
今日のあんたは文句なし、歌にパッションもソウルも十二分にのってた、
これなら…あんたがダークネスに戻ったら、後藤達のユニットに入っても大丈夫よ!」

「あ、ありがとうございます!」

「今日の感じを忘れないでこれからも精進なさい。
さぁ、新垣の歌にソウルが宿った記念に―――乾杯!」

「乾杯!」


圭が笑いながら出してくれたジョッキをとり、里沙はぐいっと呷る。
ダークネスの中でもかなりの歌唱力を誇る圭が、ついに自分の歌を認めてくれた。
そのことが嬉しくて、里沙は思わずジョッキの中身を一気に飲み干す。


「さぁ、まだまだ歌うわよ、飲むわよ!」

「はい、保田さん!
あたし、保田さんに一生付いていきます!」


店に来た当初からちびちびと酒を飲んでいた里沙のテンションは、最高潮に達していた。
さっきまではまだ酔っていない段階だったが、普段褒めてくれない人間から褒められたということ、
そして―――圭が何気なく差し出した40度のブランデーをストレートで一気飲みしたことによって、今までにないくらいハイになる。


「保田さん、あたし次、超人戦隊パンダンガーのテーマ歌います!」

「おー、歌いなさい歌いなさい!
…何なら、あたしがイントロのところ歌ってもいいわよ!」

「お願いします!」


曲名が画面に表示されたと同時に、圭が歌い出す。


「ぱんだだだぱんだだだぱんだばだーぱんだー!
ぱんだだだだだっだだっだーだっだーっだだだだん!」

「うなれぇぇーごうわあああん!
ちょーうじーんせんたーあああい、ぱんだんがーぁぁぁ、いんふぃにってぃー!」


合いの手を入れだした圭と視線を交わしながら、里沙は思うがままに歌い出す。
スパイとして敵対組織に潜入して活動する重圧から解き放たれた里沙の歌声は何処までも伸びやかで、
それでいて酒に酔っているせいか呂律は回っていない。


だが、酔っぱらった二人はそんなことは気にしない。
歌が終われば一杯飲み、そして再び歌い出し…憂鬱だったはずの夜は熱狂の夜へと変わっていく。

そして、二人は店員から時間を告げるコールが来るまで延々と酒を飲み歌い続けたのであった。


     *    *    *


「ぬきあしぃ、さしあしぃ、ちーどーりーあしぃ♪」


圭と別れた里沙は、朝の眩しい光にしかめ面しながら家へと帰る。
また今度、圭とカラオケに行く約束を交わした里沙はしかめ面であるものの、気分は上々であった。

圭は約束してくれた、今度はなっちも誘うからね、と。
なっち―――“安倍なつみ”と一緒にカラオケ、きっと楽しいはずだ。


(安倍さんの歌声楽しみだなぁ。
安倍さん歌上手いんだろうなぁ…今度特訓して、恥ずかしくないようにしないと。
で、安倍さんに褒めてもらうんだ、ガキさん歌上手いねぇ、可愛いだけじゃなくて歌も上手いとか、
なっち惚れ直すべ、って、きゃああああああ!!!)


酒の酔いが抜けないということもあってか、里沙の暴走は留まるところを知らない。
もはや、里沙の“妄想”は既に人様に知られるようなことがあったら絶句される領域だが、里沙は何処までもハイテンションだった。


「…新垣サン、おはヨうゴざいまス。
お酒一杯飲んダんでスね(正直、ありエなイくらイ酒臭いでス)」

「おー、リンリンじゃない!
おはようおはよう、今日また、夕方にリゾナント行くから、またね!」

「アー、そンなふラふらトした足じゃ、家まデ帰り着けマせんヨ」

「ぬきあしぃ、さしあしぃ、ちーどーりーあーしー♪」

「そレは忍び足デーす、リンリン、新垣サン送っテいキまス」

「マジでー、いいよー。
あ、住所はここねー」


酔った里沙は気がつかない―――目の前にいるのは、リゾナンターの一員であるリンリンであるということ。
リゾナンター達には絶対に新居の住所を知られたくないと、必死にルートを導き出したというのに、
今まさにその努力を水泡に帰すことを言っているということを。

リンリンに背負われたことにも気がつかないまま、里沙の意識は一瞬にして深い闇へと落ちていった。


     *    *    *


「うー…頭、痛い…」


喉から声を絞り出した里沙は、天井を見上げて唖然とする。
圭と別れて帰宅しようと歩き出したことは覚えているが、一体いつの間に家に帰ってきて眠ったというのだろうか。


ともかく、水が飲みたい。
ゆっくりと身を起こしていった里沙は―――口を開けて固まった。


「もー、里沙ちゃんったら、リゾナントの裏に引っ越してきてたなら言ってくれればよかったのにー。
あーでも、嬉しいなぁ、里沙ちゃんがこんな近くに住んでるなら、リゾナントの営業が終わった後は通い放題やよ、
ぐふふふふふふふ」

「いいなぁ、ガキさん。
れーなもこういうところ住みたいけど、家賃バリ高いよね…」

「新築っていいですよね、あ、ガキさん、壁が殺風景だったから絵里がイラスト描いておきましたよ」

「二日酔いには卵酒を飲むといいってさゆみ聞いたの、だからさゆみ、卵酒作ろうと思ったんだけど…
卵なかったから、代わりにカスタードクリーム買ってきて作ってみたの、甘くてきっと元気になるの」

「帰りが遅くなりそうな時は新垣さんの部屋に泊めてくださいね、あ、小春、狭いベッドで寝るの嫌なんで、
よかったら今度ダブルベッド買って贈りますよ」

「愛佳も、終電なくなった時には泊めてほしいですー、あ、ちゃんと一宿一飯の恩義は返しまっせ」

「新垣サンの部屋、広くて羨ましいです、使ってない部屋二つもあります…ジュンジュン、ここ住んじゃ駄目ですか?」

「あー、ジュンジュンずるいです、リンリンも住みたいでーす」


里沙の目の前には、まるで我が家のように寛ぐリゾナンター達。
賃貸マンションだというのに、壁紙には既に絵里画伯のイラストが所狭しと描かれ、
甘ったるいカスタードクリームの匂いが充満する部屋は突っ込む気力どころか生きる希望まで奪った。




頭が痛いのはきっと、二日酔いのせいだけではない。


―――ダークネスのスパイである新垣里沙の憂鬱は、まだまだ続くのであった。





















最終更新:2012年12月01日 16:21