(20)933 『勇気の一歩-Day of Christmas-』



注文をし、コートとショルダーバッグを座席に置き
スカートがはためかないようにゆっくりと席に腰を降ろす。
運ばれた紅茶に口を付け、彼女の眉が深くひそめた。

 「……………マズ」

安物の香り、手順もまともに踏まず、これであの金額とはぼったくりだ。
思わず溜息が出そうになるが、それはあまりにも格好が悪い。
店員を呼ぼうかとも考えたが、面倒な事に成りかねるのは確実。
そこまで考えると、彼女は窓の外に視線を移した。

雪は、降っていない。だが既に時期は冬になり、明日はクリスマスだ。
はぁ、と息を吐くと、窓は白く曇る。
クリスマスだからといって、特番の収録や撮影の仕事は無い。
今日も午前中に雑誌のインタビューを受け、午後はほぼオフだった。

"あそこ"に行っても構わないのだが、明日会うと思うと、今日だけは一人だけで外に出てみようと思った。
毎日毎日"あそこ"に行くというのもどこか気が引ける。
何故か?―――何故か。

 「…ま、あそこの方が断然おいしいけどね」

彼女は会計を済ませると、店の外に出た。ヒヤリとする冷気が頬を撫でる。
バッグのストラップを肩からしっかりとかけ、彼女は街の中を歩き出す。
時刻は夕方。世間はもう冬休みに入り、こんな時間に彼女がひとりで歩いていても誰も気にする様子は無い。
帽子を被っている為、"もう一つの姿"も晒すことは無い。

今、彼女と同じくらいの年齢の女の子と行き交った。
着ているモノは上品で高価な感じであること以外、彼女は完全に街の中に溶け込んでいた。
自身は身なりのことなどあまり意識してはいないが、邪魔が入らないように携帯の電源は消している。
邪魔。何に?―――何かに。


 「………あ」
 「あれ?久住さん…?」

知った顔に出逢ったのは偶然なのだろうか。
だが制服姿はいつもの事なのだが、さすが名門校と言ったところか。
世間では冬休みで喜んでいる学生の筈が、今まで勉強していたかのようなその雰囲気がどこか可笑しかった。
巻いたマフラーの隙間にある口から白い吐息が溢れた。

 「今日は行かないんですか?」

多分"あそこ"の事を言っているのだろうか。
何度も会う度に彼女との壁は徐々に剥がれ、初めて会った時よりもその言葉には怯えを含む事はなかった。

 「ミッツィーこそ、こんな所で珍しいね」
 「あーはい…ちょっと明日クリスマスやから、良いのが無いかなーって」
 「ふーん」

だからごく普通の調子で聞いてくるその言葉に、ふと思った。
―――これは、逆に都合が良いのだろうか、と。

彼女―――小春はずっと見つめてくる視線にどうすれば良いのか分からずに首を傾げる彼女―――愛佳にそう思った。

通信教育だが、度々通う学校の中で自分と同じ学年の女子に出会う。
それはほぼ同じ人間という認識しか持てない。
何の苦労も、何の思いも、何の感情もほぼ一定でしか無い人間としか。
だが、愛佳はどこか違った。
自然体とでも言うのか、初めは同じ人間だと思っていたのに。

変化。それは、狭くて小さな世界から飛び立つような。
自分は自分で変えなくてはいけないと言う、自己の強さ。
名門としての、規律を重んじる学校の中で、人形だった存在が本当の人間になった瞬間を、小春は知っている。


小春は愛佳のことは嫌いではない、だがまだ好きとも言い難い。
ただ、その変化を手に入れた彼女が、どこか気になっていたのは事実。―――ただ、それだけだった。

 「…ミッツィー」
 「あ、はいっ」
 「ちょっと、付き合ってくれる?」
 「え?」


 「大人二枚」

つい去年までは中学生料金だったのに、時が過ぎるのは本当に早いと悪態をつく。
窓口で受け取った二枚のパスのうち、愛佳に一枚渡した。

 「でも、やっぱりお金は割り勘にした方が…」
 「いいってば。小春がむりやり連れてきたんだし」
 「でも付いてきたんは愛佳やから…」
 「じゃあ、後でアイスでも奢ってよ、それでチャラね」

これには愛佳も苦笑いを浮かべるしかなかったのか
突きつけられるパスを少し戸惑いながらも受け取った。

二人がやってきたのは、きぐるみキャラクターがマスコットになっている遊園地型のテーマパーク。
園内に入ると早速きぐるみが二人を迎えたが、小春はあっさりと横を通り過ぎる。
普通なら嬉々として駆け寄るのだろうが、高校生にもなってそこまで晒すというのは
じゃっかん痛々しい…少なくとも小春の中ではそう認識していた。

愛佳は固まったままのキグルミに励ましの言葉と謝罪の言葉を投げかけると
小春との距離を埋めるように小走りに近寄ってきた。

 「ほら、あれ乗るよ」


瞬間、小春が愛佳の手を掴んで駆け出した。
あまりにも意外な行動に愛佳は言葉も出せないまま引っ張り出されて行く。
転びそうになるのを必死に堪えながら、意外と強い握力に負けそうになる。
だが嫌な気はしない。
それよりも小春からの誘いが嬉しい程だったのに。

 「…あの……久住さん?」
 「これ、回した方が面白いんだよね」

乗り込もうとしているコーヒーカップは確かに自分達で回せる。
早く回せば回すほどその回転も速くなる。
愛佳も知っていた、知っていたが、彼女は"加減を知っているのだろうか"?


 「…………あー…目が…回る……」

ギャーギャーと叫んでいたのも束の間、異常な高速回転をするコーヒーカップから
降りようとするものの、二人同時にその場に崩れ落ちる。
だが先に回復した小春は愛佳の手を掴み上げると、次から次へとありとあらゆるアトラクション、乗り物へと挑戦していった。
それらの待ち時間の間、小春は無意識なのか、表情が柔らかくなっていくのが分かった。
そして最後に小春が指名したのは。

 「何か…観覧者って初めてです」
 「小春も、一人じゃつまらないしね」

外はすっかり陽が沈み、ライトアップされた園内が他の灯りと美しい景色に映える。
ふと―――何を思ったのか。

 「きゃっ、あ、あのあのく、久住さん!!?」


途端に愛佳が騒ぎ出す。
小春が急にゴンドラを揺らし始めたのだ。しかも思いっきり左右にグラグラと。
ガタガタとどこかの軋む音が聞こえ、体から血の気が引くのを感じる。
瞬間、まるで風船の空気が抜けたかのような息が口から噴出した。

 「フハッ、アハハハハ…!」

突然小春は、まるで悪びれた様子など微塵も見せずに笑い出した。
その表情は、どこか悪戯に成功したような笑顔で。
呆気に取られた愛佳は引きつった笑みを浮かべて、笑った。

ゴンドラの空間の中で笑い声だけが響く。
不器用な人との接し方、それは紛れもなく「久住小春」だ。

ディスコミュニケーション―――上手く他人と関係を保つことが出来ない。
加えて、何でも人並み以上にこなしてしまう彼女は、余計相手に『上から見てる』印象を与えるのだろう。
人間は何かに優れているだけで尊敬されたり羨望の眼差しを受ける。
だが、それはヒトから距離を置かれる事も常だった。

少し違う、だけど同じ世界を見た小春と愛佳。
だが、徐々にだが、そこはいつもとは違う"未来"が待っている。

変化。ずっと、人形のように、冷たく心を閉ざしてしまっていた表情の無い顔。
それは優しいだけの言葉でもなく、優しいだけの同情でもなく、ひとりの人間としての彼女に出来た、微かな兆し。

自分がそんなたいそうな人間では無い事は知っている。
元々、彼女にかける言葉も見つからなかったのだから。

 「一緒に『リゾナント』に行きませんか?」


その言葉さえも。
だからこそ今日は、偶然だけど、良い機会だった。初めて、チカラで見た"未来"などではない。
この人の傍に居て、笑った顔が見れたという贅沢な願いが叶った。

 それは、ヒトの中に宿る可能性と言う名の―――『共鳴』が叶えた奇蹟なのかもしれない。

少し前を歩く小春。少し後ろを見守るように歩く愛佳。
通路を抜けると、そこは遊園地の広場だった。
ライトアップされ、照らし出される遊戯達が闇夜に浮かぶ。

人影は無い。今はキグルミのイベントショーでそちらに集中しているのだ。
二人の手ににはそれぞれ季節外れの二段重ねのソフトクリームがある。
いちごとバニラが一つ。チョコレートとバニラが一つ。
落とさないようにバランスを保ちながら、一つ一つ消化していく。

 「今日はありがとね」
 「え?何がですか?」
 「…ホントは、"あそこ"に行きたかったんでしょ?」
 「あ…」
 「あそこは本当に楽しい気分になるんだろうね。でも小春…ちょっとそういうのがよく分かんないから…」
 「でも、愛佳は楽しかったですよ」
 「え?」
 「楽しいって言うのは、誰かと分け合うから楽しいんですよ、愛佳は、今日すっごく楽しかったです」

イヒッと笑う愛佳、それを見つめて苦笑を浮かべる小春。
だが今笑っていても、明日には笑えなくなるかもしれない。
今は、此処にあるモノを明日には失っているかもしれない。

 だとしたら、自分はどうしたら良いのだろう?


やがてアイスクリームはなくなり、遠くからは盛大で軽快な音楽が聞こえる。
手がとても冷たく、真っ赤になって感覚が無くなってきた。
伸びる先、同時にそれもまた、まるで氷のように冷たくなっていた。

 「…明日、一緒に行かない?」

出来るだけ優しく、出来るだけ穏やかに。冷たさはやがて温かさへ。冬は終わりやがて春へ。
その前に、ちゃんと今笑っているのだと知っている内に。

 ―――Merry Christmas

今、此処に捧げる祝福を告げに。





















最終更新:2012年11月27日 09:33