(20)864 『スパイの憂鬱8』



「…てか、あたしいつまでスパイやってればいいわけ?」


黄昏時の街を歩く、醸し出す雰囲気が明らかに年齢とそぐわない少女。
苦労しているのだろう、何処か疲れの滲むその表情は子供の世話をするのに疲れた主婦そのものだった。

彼女の名前は新垣里沙。
“精神干渉-マインドコントロール-”と、ピアノ線を用いた戦闘術が使える超能力者である。
だが、もっかその能力を表立って使う機会には恵まれない日々を里沙は送っていた。

世界征服を企む悪の超能力組織“ダークネス”の構成員である里沙に与えられたのは、事ある毎に
組織の邪魔をしてくる正義の超能力組織“超能力戦隊リゾナンター”へ潜入し、彼女達の弱点を探ることである。

スパイとして潜入することに成功した里沙を待っていたのは、個性の強いメンバー達。
相手をしているだけで発狂しそうになるほど、彼女達は里沙を困らせる。
今まで、何事もなく平穏に一日が過ぎたことなどなく、むしろ何かがあるのが常であった。
最早それに対して何かを言う気力など、里沙にはない。

今日も彼女達の相手を終えた里沙は、自宅である築三十年(推定)のボロアパートへと向かっていた。
いつもは彼女達が集う“喫茶リゾナント”で夕食を済ませて帰るのだが、今日はダークネスの幹部に提出する一次報告書の締め日である。

早く書き上げてゆっくりしたいのはもちろんだが、明日は久々のオフ。
スパイ任務を頑張る里沙にたまには休みをという、ダークネス首領“中澤裕子”の心遣いだった。

もっとも、オフは嬉しいのだが。
溜まっている用事もなければ、何かしなければならないということもない。

里沙は暇を持てあますのが嫌いだった。
暇を持てあますくらいならいっそ、報告書を明日に回してしまってもいい。
どうせ締め日に遅れたところで、せいぜいお小言の一つを貰う程度。


報告書を明日に回そう、そう決めた里沙の目に飛び込んできたのはよく見慣れたボロアパート。
だが、里沙はボロアパートを見上げて、その場に立ち止まる。


「あれ、あたし部屋の電気消さないで出てきたんだっけ?」


自室の窓から漏れる灯りに、里沙は不可解だと言わんばかりの表情を浮かべる。

確かに今朝、家を出る際に消したはず。

里沙は首をかしげながら、階段を上っていく。
見慣れた古いドアを開けて―――里沙は素早くドアを閉じた。

今見た光景が信じられない、否信じたくない。
そう、これは幻に違いない、ドアを開ければいつもの日常が帰ってくる。
里沙はもう一度ドアを開けて―――その場に膝を付いた。

狭苦しい4畳半。
部屋の中にいたのは、久々に顔を合わせたダークネス構成員達。

“麗しの血薔薇”という字を持つ念動力使い、石川梨華ことR。
“氷の魔女”という字を持つ氷使い、藤本美貴ことミティ。
“精神を統べる者”という字を持つ洗脳使い、吉澤ひとみ。
“永遠殺し”という字を持つ時間停止使い、保田圭ことK。

濃い面子が勢揃いしているというだけで、回れ右して帰りたくなる。
だが、ここが今の里沙の住処。
一体何の用事があって集まったのか知らないが、はっきり言って大迷惑である。
こめかみの辺りを押さえながら、里沙は四人に向かって口を開いた。


「あの-、皆さん。
何故ここに来られたんですか?」

「細かいことは気にしないの。
それにしても、こんな狭いところよく住めるわね…おまけにピンクの物が一つもないとかありえない」

「そうそう、細かいことは気にすんなって。
しかし、本当ここ狭いな…前転したら壁にぶつかったし」

「細かいこと気にすると禿げるよガキさん。
てか、四人座ったらもう座るところないとかひどくない?
あたし絶対こんなとこ住めないわ」

「何で来たかは追々話すから。
とりあえず、あたしの膝の上にでも座る?」

「…謹んで遠慮します。
っていうか、ここ五月蠅くすると後が大変なんで、皆さん騒がないでくださいね」


家主を差し置いて狭い狭い言うなと言いたいのを堪えながら、里沙はとりあえず押し入れを開けると。
荷物を端の方に無理矢理避けて、座るスペースを確保した。


「ガキさんド○○モンみてー、超カッケー!」

「誰がド○○モンですか…」

「じゃあ、の○太君?」

「石川さん、それも違いますから」

「分かった、じゃあの○太君のママだ!」

「藤本さん…の○太君のママ、いつから押し入れに入るキャラになりましたっけ?
っていうか、皆さん、大分酔ってますね」


押し入れの段の上に座った里沙。
目に飛び込んできたのは数多の空き缶であった。

誰が捨てると思っているんだ、こっちはまだ未成年だぞと心の中で呟きつつ。
ふと、里沙は周りの物音が一切聞こえないことに気がつく。

空き缶の山から視線をずらすと、こっちに向かってウィンクしているKと目が合った。
目眩がするウィンクだなと思いながら、周りが静かなのは彼女の持つ能力、時間停止によるものなのだと里沙は一人納得する。

他の住人の時間を止めているから、本来ならとっくに苦情が出てもおかしくない状況だというのに、
壁を叩いたり、五月蠅いという声が上がらないのであった。
無駄なことに超能力を使うのはどうかと思うが、これである意味大声で怒鳴ったりしても問題はないということでもある。

どんな発言でもばっちこい。
完璧にツッコミいれてやんよ、フルボッコにしてやんよ。
だが、一人エキサイトしてみたものの―――よくよく考えたらこの人達に口で勝てたことなど一度もない。


おまけに、家主を差し置いて皆好き放題やりはじめるからたまったものではなかった。

部屋にピンクがないと落ち着かないと言ったRは、とりあえずピンクの服を狭い畳の上に広げたものの、
まだまだ不満のようで、これからピンクグッズ買いにいってくると言い出し。

それを止めるべくRを説得しようとしたら、横からミティが一輪車やればいいじゃんと訳の分からないことを言い出し。
意味を把握しようとするよりも早く、酔っぱらった吉澤が大声で四畳半カッケーと叫び出し。

助けを求めて視線をKへと向ければ、伝家の宝刀ケメコウィンクが里沙に牙を剥く。

神様、一体あたしが何をしたというのでしょうか。

里沙の問いに答えられるものはなく、ただただ酔っぱらいの相手をし続けて四時間。


「―――で、そろそろ本題に入って貰ってもいいですか?
あたし、もう疲れました…」


里沙の弱々しい声が、静かな部屋に響く。
酔っぱらい達は、Kを除いては完全に酔いつぶれて眠ってしまっていた。

Kはニヤリと笑いながら、ブランデーをぐいっと一気に呷る。
見ているだけで吐いてしまいそうな飲みっぷりに、里沙は失笑せずにはいられない。


「えーとね、裕ちゃんがさー、先日○ワイに行ってきたんだわ。
で、そこで宝くじ買ったら1等が大当たりしちゃったわけよ。
おかげさまで、我らがダークネスは潤沢すぎる程の活動資金をゲットできました。
なので…」

「なので?」

「新垣も先日二十歳になったことだし、一人前の構成員扱いをしようということになったのよ。
だから、これからは給料もあがるし…今住んでる家も、これだと生活するの大変だろうからってことで、
何と、何と…大大大奮発で、新しくて綺麗なマンションを借りてあげることになりました」

「ほ、本当ですか!?
やったあ!
本当、ここでの生活は気を遣ってばっかりで大変だったんですよ…」


そのまま、今までの苦労を切々と語り出す里沙を見ながら、Kは苦笑いした。
里沙の様子を見つめながら、Kは過去を思い返す。

ある日突然、組織№2の安倍なつみが連れ帰ってきた少女、それが里沙だった。
精神干渉という能力は使えるが、それ以外はてんで普通の少女だった里沙。

最初の頃はやっていけるんだろうかと心配しながら見守っていたのだが、どうだろう。
この数年間で、随分立派に成長したものだ。

スパイという、けして誰にでも出来るわけではない任務をちゃんとやっている。
いつも頑張っているのを知っているからこそ、誰もが里沙を一人前の構成員として認め、待遇をよくすることに反対しなかったのだ。


「で、さっそくなんだけど。
引っ越しするわよ、今日で出ていくって契約にしちゃったから」

「えええええ!」

「大丈夫、大丈夫。
うちには便利な運送屋がいるから」


Kの発言に、そんな人いたかなと思いを巡らせる里沙の“目の前”に突如、栗色の髪をなびかせた女性が現れた。
“空間の支配者”の字をもつ、空間使いこと後藤真希である。

あぁ、確かに後藤さんの能力なら引っ越し作業超余裕ですよね。
っていうか、本当この人達って無駄なことに能力使いすぎだよね。

心の中でツッコミを入れているうちに、後藤は部屋の全ての荷物を何処かへと“転送”してしまった。
ついで、と言わんばかりに後藤は寝転がっているR達をダークネスへと勝手に転送し、疲れたから帰ると言って消えた。
後に残されたのはKと里沙だけである。


「ほい、これが新しいマンションへの地図ね。
もう電気とかの類は手続き済みだから、後は新垣が行けばそれで引っ越しは終わり。
こっちの方の手続きはあたしが全部しておくから」

「保田さん、ありがとうございます」

「ほら、早く行きなさい。
それとも…あたしと別れるのが寂しい?」

「いえ、まったくそんなことないです、失礼します」


Kの怒号が炸裂するよりも早く、里沙は部屋を飛び出した。
そのまま、後ろを振り返ることなく全力疾走でボロアパートの階段を駆け下り、地図を片手に夜の街を走る。

メールが届いたことを告げる着信音を聞こえない振りをし、里沙は走る、走る。
さようならボロアパート、これからよろしくねピカピカのマンション!
スパイ活動で疲れて帰ってきても、今度からは周りの人間にそこまで気を遣うことなく、
好きな時間に音楽を聴いたり、テレビを見て大笑いしたり、夜遅くに風呂に入ったって構わない。

ビバ、マンション!
新しい部屋で心機一転、これでスパイ活動も頑張れる!

だが、里沙の足取りは新しい住処に近づくにつれて徐々に重くなる。
そんな馬鹿な、そんなことがあるわけがない、そう思いながら歩く里沙の目の前に現れた、一件のマンション、それは。


―――喫茶リゾナントの裏に出来たばかりの、新築賃貸マンションであった。





















最終更新:2012年11月27日 09:29