(20)534 『コードネーム「pepper」-ガイノイドは父の夢を見るか?-3 』



第11話 :  Wings of darkness

それは、20XX年8月。「pepper」たちの逃亡事件が起きるおよそ3年前の事だった。

ロサンゼルス市警・組織犯罪対策部のハイラム刑事課長は、ビル破壊テロの予告を受け、ロサンゼルス中心部のイーストストリート・ランドマークタワー、通称「E・ビル」へと向かっていた。
その夜のロス市内は豪雨と雷鳴に襲われていた。時刻は既に0時を回っている。

ここ数ヶ月、軍需企業を中心としたビル破壊テロが相次いでいる。
当初から、それは実行者に強力な「能力者」を擁している事から、「ダークネス」と呼ばれる、反社会的「能力者」集団の仕業と疑われていた。
しかし、世界各国での反政府活動の支援、煽動等を活動の中心とする「ダークネス」
に対し、今回の一連の破壊テロについては、ある種の「経済効果」を狙ったテロである、という見方が確定的になって来ていた。

要するに、常に間接的にではあるが、特定のある企業グループ、コンピューター、航空機、重車両、銃器等、数々の企業を擁する、現代では稀有な巨大コングロマリット、「イーベックスグループ」の利益に結びつく破壊行為なのだ。
イーベックスグループ、あるいはグループが株式を保有する企業の、対立勢力の生産拠点、本社等のビルが突然、ほとんど一瞬にして「粉砕」と言える程、徹底的に破壊されて崩れ落ち、瓦礫の山と化す。

その度に大きく変動するグループ企業の株価は、グループに天文学的な額の富をもたらしているはずだった。

動機はあまりにも明瞭でありながら、告発には全く証拠が無い…。そんな現状に、ハイラム刑事課長は焦燥感を募らせていた。
しかも、なぜか常に行われる「犯行予告」により、ロス市警が擁する「能力者」のチームも常に極秘裏に現地に駆けつけていたのだが…。
逆に次々と敵に葬られ、無残な死体となって発見されると言う、最悪の事態を迎えていた。


「また雨か…」
ハイラム刑事課長は現場へと向かう車の中でつぶやいた。いつも雨だった。事件の起こる直前から、現場は激しい豪雨に見舞われる。
「ヤツは天候も操れるのか…?」
嬉しくも無い想像に、さらに嫌気がさす。すでに現地に帯同できる「能力者」はロス市警にはおらず、「能力者」相手ではいささか心許ない拳銃を手に、現場へと車を走らせる。

「なんてこった!!」
夜の闇の中に見えてくるはずの、70階建て“だった”ランドマークタワーは、既に半ば崩壊し、いつもの半分ほどの高さしかなくなっていた。
既に到着していた消防隊と市警の保安隊の隊員たちが、唖然としてビルを見上げている。
豪雨の中、車から降りたハイラムは、しかし何か解せないものを感じた。確かに凄まじい破壊が行われてはいるが、通常はこんなレベルではない…。
完全に跡形もなく瓦礫の山となっているのが、いつもの「ヤツ」の仕事なのだが…。

「ヤツは何かしくじったのか…?」
と口に仕掛けた時、ハイラムは突然、全身が総毛立つ様な寒気を感じた。
豪雨に打たれ、全身が冷え切っているにもかかわらず、背筋を嫌な汗が伝わる。
「ヤツがいる…!!」
ハイラムが恐る恐る視線を上げていく。見上げると、豪雨の中、半ば崩壊したランドマークタワーの頂点に、漆黒の衣装を身に纏った悪魔の姿があった。

激しい雷鳴が轟き、稲妻が陶磁器のように白い女の顔を浮かび上がらせる。
「Goto…!!」
後藤真希。S級国際指名手配犯にして、「ダークネス」最強とも噂される「能力者」。
激しい豪雨を気にする事も無く、ただ佇んでいるだけのように見えるが、周囲は既に禍々しいオーラに満たされ、ハイラムは全身の震えを抑える事が出来ない。


「つ、翼…!?」
目の錯覚か現実か…? 時折光る稲妻に照らし出されて、後藤の背からは闇夜を覆うかのような、巨大な黒い蝙蝠に似た翼が拡がっているように見えた。
ばさり… と、その巨大な翼がはばたくと、後藤はゆっくりとタワーの頂点から舞い降りてくる。

後藤が地上に近づくと共に、その翼は折りたたまれるように徐々に実体を失い、後藤の背に吸い込まれていった。
ゆっくりと地上に降り立った後藤は、ビルを取り囲むハイラムらを一瞥する事も無く、崩壊したビルの中に歩みを進めて行く。
ハイラムもいったんは拳銃を構えるが、後藤の手配書の
「一般銃器の使用は基本的に無効、一般人は対応を控えるべき」
との文言が頭をよぎり、「くそっ…」と呟きながら後藤の後を追う。

ガラスの割れた吹き抜けの大きな窓から、恐る恐る、崩壊しかけた真っ暗なビルの中、恐らく30数階であっただろうフロアに入る。かなり危険な行為である事は間違いない。
「これは…!?」
ハイラムは何か不思議な感覚を感じた。空間が暖かい何かに満たされているような、あるいは重力が軽くなっているかのような…。

後から入ってきた消防隊員たちの持つ、強力なライトがビルの中を照らし出す。
数十台のPC、様々な医療機器にも似た機材が大量に置かれたフロアは、何かの研究施設のようだった。
「なんだ?これは…!」「何が起こっているんだ!?」
消防隊員らが口々に叫びだす。崩れかけたビルの瓦礫が、フロアの中で宙に浮いているのだ。大きい物も、細かいチリに近い物もあるが、まるで時間が止まったかのように、宙に浮いたまま止まっている。


「ここで何が起こっている…!? 後藤は…どこだ!?」
フロアの中、目を凝らして探すハイラム。フロアの奥に立つ後藤の姿がライトに映し出され、壁に大きな影を映し出す。
そして、その足元には既に絶命しているのか、ぐったりと倒れ付す女性と、それをかばう様に座り込む少女の姿があった。

ショートカットの黒髪に、黒目がちな大きな眼を持った東洋系の顔立ちを持った少女は、12~3歳くらいに見えた。自らも怪我をしている様だが、側の女性をかばう様に抱え、勝気そうな光を放つ眼差しで、目の前に立つ後藤をにらみつけている。

「…“コレ”をやってるのはアンタね?」
後藤がゆっくりとビルの中を見渡しながら少女に話し掛ける。少女は後藤をにらみつけたまま答えないが、後藤は構わず言葉を続ける。
「たいしたものじゃない? 30階以上のビルの倒壊を念動力で支え続けるなんて…」「そんな『能力者』は『ダークネス』にもいないわ。 …まあ、アタシには出来るだろうけど、あんまりやりたい仕事じゃないわね…」
「…その人は、お母さん? …亡くなったのね、可哀想に…」
「…殺したのはアタシよ」
後藤が言い放つと、崩壊しかけたビル全体がブウンッ…と低い音を立てて震える。
後藤をにらみつけたままの少女の眼に、怒りの炎が灯ったように見えた。

「そうだ!あなた、アタシを殺しに来てよ。 …アタシの名前は後藤真希…。アンタのお母さんの仇よ」
少女の怒りに気付く様子も無く、後藤は言葉を続ける。
「最近つまらなくてね…。 ずっと待ってる連中はいるんだけど、いつ来てくれるかわからないんでさ…」
「じゃあね、待ってるわよ」
謎のような言葉を残し、後藤は振り返る。
「アンタたち、なにボケッとしてるの? …あの子が何の為にここを支えているか…わからないの?」


後藤の声に、ハイラムと消防隊員たちはハッと我に帰った。消防隊員たちはビルの中に残る被害者達を探す為に、全速力で階上へと駆け上がっていく。
ハイラムと一人の救護隊員が少女の下へと駆け寄る。
「大丈夫か!?」
ハイラムは聞くが、側の少女の母親と思われる女性は、やはり既に絶命していた。
さらに見ただけで少女もかなりの重傷を負っている事がわかった。大量の出血が床に血溜りを作っている。
「すぐに病院へ運んでくれ!!」
ハイラムが叫ぶ。

「…待って…」
少女がはじめて声を出した。
「…私が… ここを支えています… みんながここを出るまでは…」
「…お母さんを先に…」
「…わかった」
後藤と少女の言葉によれば、今このビルの残存部分の倒壊は、この少女の巨大な「能力」によって支えられているらしい…。
信じがたい事だが、周囲の異常な状況を見れば、信じる他は無かった。

「ちょっと待ってくれ」
ビルの外に出た後藤を、二人組の男が呼び止める。こんな夜中にサングラスまでかけた、ダークスーツの長身の男たちだった。
「あの子は殺さないのか?」
「なんで? …アタシが請負っているのは『ビルの破壊』よ。みみっちい殺しなんか請負っちゃいないわ」
「アタシはビルを完全に破壊した。今それをあの子が支えているのはあの子の勝手…。 アタシの知ったことじゃないわ」
「うむ…。ならば仕方ないな…」
男たちは胸ポケットから拳銃を取り出すと、ビルの方へと歩みを進める。


「…待ちなさいよ。アンタたち、この後藤の仕事に文句があるわけ…?」
後藤の声に、男たちがギョッとしたように振り返る。
「アタシに文句があるなら、特別に相手してあげてもいいわよ? …最近、市警の『能力者』も全員潰しちゃったみたいで、楽しみが無いからね…」
後藤が笑いもせずにそう言うと、男たちは慌てて拳銃をしまう。
そして「文句など…」とよく聞こえない言い訳をブツブツと言いながら踵を返し、逃げるように立ち去っていった。
「フン… つまんないヤツラ…」
後藤は呟くと、再び夜空に巨大な翼を拡げる。そして、バサァッ…!!っと周囲に風を巻き起こすと、一気に上空へと舞い上がり、漆黒の雲の中に姿を消して行った。

「もう大丈夫だ!! 残存者はすべて救出した!!」
消防隊員の声が響いた時、少女もまたハイラムともう1人の救護隊員の手によって、ゆっくりとビルの外に運び出されていた。
「君! もう大丈夫だよ! みんな助け出されたよ!」
救護隊員が少女に語りかけると、
「…よかった…」
とだけつぶやき、少女は目をとじた。それと同時に、たった今まで皆がいたビルが、完全に崩壊し音を立てて崩れ落ちる。
「オオオ~ッ!!」と言うどよめきが周囲に響き、大量の瓦礫の落下から人々が逃げ惑う。ハイラムたちも危うく瓦礫の下敷きになるところを、辛くも難を逃れた。
「おい、大丈夫か!?」
ハイラムが少女に問い掛けるが、少女は既に昏睡状態にあった。
「急げ!この子を救わなくては!」
ハイラムが叫び、救護隊員たちが少女を救急車へと運ぶ。

少女を乗せた救急車が立ち去り、ハイラムは祈るような想いで見送った。
ふと足元を見ると、少女の物と思われる入館者証が落ちていた。ハイラムが拾い上げて確認する。
名前は「都倉 愛」。先程の少女の、可愛らしい笑顔の写真が貼られていた。


翌日の朝。
雨があがり、真夏にしてはやや冷え込むロサンゼルスの街角を、黒いコートにサングラスの女が歩いていた。
ふととニューススタンドに立ち寄り、一部の新聞を抜き取ると、スタンドの少年に10ドル札を渡す。お釣りを、と呼び止める少年にひらひらと手を振ると、歩きながら広げて読み始める。
「…あの子、死んじゃったかあ…。 惜しい事したね…」
「…天才科学者と呼ばれる、戸倉博士と旧姓・岩崎博士夫妻の愛娘…か。天才同士の結婚で、クローンでもないのにあんなスゴイ子が生まれたのかね…?」
「しかし、他人を助けて自分が命を落とすなんて、馬鹿としか言い様が無いね…」 

突然、新聞が炎を上げて燃え始める。すれ違う人々がギョッとして振り返る中、最後の炎でタバコに火をつけると、煙を吐きながら女は独り言を続ける。
「アイツラもそう…。 なんであんなくだらない生き方を選ぶのかね…? せっかくの『能力(ちから)』があるのに…」
「まあ、結局前と変らなかったな…。アイツラが育つのを待つしか無いのか…。 次は東海岸にでも行ってみるかな…」

女はもう一度大きく煙を吐いた。そして
「早くおいでよ、愛、れいな。 早く来てよ、 …あたしを殺しに」
そうつぶやくと、女は頬の端に少し笑みを浮かべながら、ロサンゼルスの雑踏に消えていった。



第12話 : Light of life

その夜、ロサンゼルスのカリフォルニア州立病院にはランドマークタワー破壊テロの被害者が多数運び込まれ、職員は対応に多忙を極めていた。
しかし、職員達が浮き足立っている理由は他にもあった。バイオテクノロジーの若き権威、シュン・都倉博士の家族が運び込まれ、まもなく博士が来院するというのだ。

まもなく、セーターにジャケット姿、8フィート程だろうか、アジア系にしては長身の都倉博士が受付に駆け込んでくる。
居合わせた医師に案内され、病室へと向かう都倉博士の背中を、事情を知る職員達は深い同情を持って見送った。博士は、一夜にして最愛の妻と娘を同時に失ったのだった。

病室に入ると、博士はその現実と直面する事になる。そこにはすでに生前の命の輝きも、温かさも失った妻と娘の姿があった。
手に、頬に触れてもそこは冷たく、何の温もりも伝わっては来なかった。

「奥様は運び込まれた時は既に亡くなられていました…。死因は脳挫傷です。おそらく即死と思われる状態でした。苦しまれる事は無かったでしょう…」
医師の説明する声が、水の中の様に聞こえる。

「お嬢さんもまた、搬入時には心肺停止の状態でした… また大量の失血があり、我々も蘇生に全力を尽くしましたが… 残念ながら救う事が出来ませんでした…」
既に、都倉博士の耳には、医師の言葉は届いていないかのように見えた。

「残念です…」
医師の説明の声を遠くに聞きながら、博士は一言も発する事が出来ず立ちつくしていた。

… … …


病室の外のベンチに腰をおろし、じっと床を見つめ続ける博士の視界に、盛大にコートから雨を滴らせた男の靴が入ってくる。

「失礼ですが…、都倉博士ですね?」
ゆっくりと顔を上げた博士の前には、少々腹の出た巨漢の中年男性の姿があった。
「私はロス市警のハイラム・ブロックといいます。この度は本当に残念な事で…」
都倉博士は夢から覚めたように立ち上がると、男性と握手を交わす。
「都倉です…」
「こんな時に申し訳ありません…ただ、ぜひお伝えしたい事がありまして…。 実は私は…、お二人の救出の現場に立ち会っていました」

博士の眼に若干の光が戻った。
「私が現場に着いた時には、残念ながら奥様は既に亡くなられていました…。しかし、お嬢さんはそこで…、博士、お嬢さんのあの“力”の事は…、もちろんご存知なのですよね?」
ハイラムの問いに博士は無言でうなずく。

「お嬢さんが…あの不思議な力で、破壊されたビルの倒壊を支え続けてくれたのです…。素晴らしい、本当に素晴らしい力です…。おかげで、少なくとも100人近い人間が、命を助けられたはずです」
「…そうでしたか…」
「…ただ…、 …それによって…、ひょっとしたら助かるかも知れなかった、お嬢さん自身の命が失われてしまった事は、本当に残念でなりません…」

「お嬢さんの高潔な魂と自己犠牲の精神に、心からの尊敬と感謝を…」
ハイラム刑事課長はそういってもう一度両手で博士の手を取り、力強く握り締めた。


「私たち家族は…、ずっと娘の“力”を押さえる為の戦いを続けてきました…。それが…、他人を救う事になるとは…本当に皮肉な事です…」
都倉博士が絞り出すような声で応える。
「いえ、博士!お嬢さんは素晴らしかった!…あの不思議な力も!お嬢さんを誇りに思って下さい! …私は一生、お嬢さんの事を忘れないでしょう!」
ハイラムは、もう一度握った博士の手に力を込めて言った。

立ち去りかけたハイラム刑事課長は、ふと振り返るともう一度博士に語りかける。
「博士…。お嬢さんのお名前ですが…、あの文字には…どういう意味があるのですか?」
「…“愛”の意味は…  “LOVE” です」

「…やはりそうでしたか。 …私も以前に見た事がありました…」
「博士、お嬢さんの“愛”はいずれこの世界中に満ち溢れるでしょう… そして、きっとこの世の闇を打ち払う… ( Love fills all over the world. and Love will beat off the darkness of this world surely. ) 私はそう信じますよ…」

「神のご加護を…!」
ハイラムはそういい残すと、またしても盛大に雨水を撒き散らしながら、病院の廊下を引き返していった。

… … …


それから2週間後…、妻と娘の葬儀を終えた都倉博士は、所属していたカリフォルニア州立工科大の研究所を既に辞し、自宅に引き篭もっていた。

自宅とは言っても、数々の特許や新薬の開発で若くして巨万の富を得た都倉博士の邸宅には、小規模ながら最新鋭の研究機器の数々が備えられていた。
いわばその私設研究所の一室で、博士は培養液の中の、小さな生体細胞を見つめ続けていた。

あの夜…。都倉博士の前に、一人の若い医師が現れて言った。
「都倉博士…! この度は本当にお気の毒な事で…、お察し致します…」
「…あなたは…?」
「私はこの病院の外科医でウィル・リーと言います。娘さんの…、愛さんの治療を担当したチームの一員です。…お力になれず申し訳ありませんでした…」

そして、続けて彼は驚くべき事を博士に告げた。
「…愛さんが亡くなられた直後…、私は愛さんの生体細胞を採取しました。ご家族の許可も得ず、申し訳ありませんが、何かお役に立ちたくて…」
「…なぜ、そんな事を…?」
「博士なら、娘さんのクローンを作る事も可能でしょう? …もしそのお気持ちがあるなら…、そのチャンスを失いたくないと思ったのです」


しかし、都倉博士は悲しげに首を振って答えた。
「…いいえ…。クローンと言うのは…、単に“同じ遺伝子構成を持つ個体”と言うだけであって、所詮その本人の“再生”ではないのです…」
「私の顧客にもその点を誤解して、亡くなられたお子さんやパートナー、あるいは深く愛していたペットの“クローン”を求める方が多いのですが…」

「姿形は似ていても、結局は別の人格である事がわかり、クローンに愛情が持てなくなる…。これは双方にとっての悲劇です」
「あるいは…、違いに気付かず、クローンを本物として愛してしまうケースもありますが…、これは逆に元の人格の存在も、その死さえも、忘れ去ってしまう事につながります…。これもまた不幸な事でしょう」

「私はその点を充分に説明して、あくまでも“新たな人格”としてのクローンを理解してくれる方にしか、私の技術は提供してきませんでした」
「もちろん、私は娘の代用としてのクローンを造るつもりはありません…。お気持ちはありがたいですが」

「…おっしゃるとおりですね…」
若い医師は肩を落として言った。
「浅はかな考えで、出過ぎた事をしてしまいました…。採取した細胞については…、いかがなさいますか?」
「では、私の研究所へ…。娘と一緒に埋葬する事にいたします」


しかし…、都倉博士はその生体細胞を破棄、埋葬する事が出来なかった。
かすかな残り火のような娘の最後の命の光を、自らの手で消す事がどうしても出来なかったのだ。

誰もいない冷え冷えとした研究室の中、ときおり、適温に調整された培養チューブのガラスの温もりを指先で確かめながら、ただ時間だけが過ぎていく。

そんな都倉博士の生活を一変させたのは、一本の国際電話だった。
デスク上の電話が、よどんだ室内の空気を切り裂くように鳴り響く。
それは大学時代からの親友であり、今は日本で警察庁科学技術局の局長を務める、阿久悠博士からの電話だった。































最終更新:2012年11月27日 09:09