(18)382 『AとA(1)』



戦士が二人。
高橋愛と粛清人Aの間を風が吹き抜けていく。
町外れの工場跡。その空間がピンと張りつめている。
決闘には都合のいい場所だ。
自分達の存在を公にしたくないのは共鳴者達も組織も同じだから、
人目につかない場所をたたかいの舞台に選ぶというのは暗黙の了解のようなものになっていた。
粛清人Aは黒の戦闘服に身を包み、値踏みするような視線を愛に送っている。
胸元で風になびくスカーフの赤が血を思い起こさせた。

―流石に、隙がないな。

愛は目の前の敵の戦力を測りきれずにいる。
どういう能力を使うのかは里沙も知らないと言っていた。
粛清人の最大の武器は超人的な身体能力と圧倒的な戦闘センスであり、基本的に能力に頼った戦法は取らない。
完全無欠な能力など存在しないと言われているし、使えば使うほど消耗する。
そして、粛清人の能力を見た者は粛清された者だけだ。もうこの世にはいない。
ゆっくりと、Aが口を開いた。

「今は、高橋愛っていうんだっけ?よく一人で来たね」
「仲間を連れて来れば、誰かが殺される。でも一対一なら…勝つか負けるか、どっちかだ」
「いいね。気に入った」

粛清人はニコリともせず、懐から出した銀色の球体を空中で上下させ始める。
―何だ?何かの武器か?

「ヨーヨー」

愛の心の声が届いたかのように、Aが答えた。


「ふうん、まだオモチャで遊びたい年頃なんだ」

愛が挑発的に微笑を頬に貼り付けてみせた時、空気を切り裂く音がした。
頬をかすめて銀色の球体が素っ飛んで行き、背後の壁にぶつかる。
がきぃ、と鈍い音の後に、ごとり、と音がした。
背後に視線を送ってみると、コンクリートの壁が抉れている。

「じゃ、遊んでもらおうか」

粛清人の双眸が、高橋愛を見つめている。
端正な顔立ちをしているが、眼だけが異質だ。
獣のような眼をしている。
恐い眼だ。
余計なものが混じっていない。
ただ、目の前の敵を倒す。
粛清人の眼だ。
粛清人Rが豹ならばAは狼。
獲物を追い詰めて仕留める狩人の眼だ。

―心が読めない。
元々期待はしていなかった、粛清人ともあろう者がそう易々と心の声を聞かせてはくれないだろう。

「ならば」

愛が動いた。駆け出して距離を詰める。
右足での回し蹴りが粛清人の鼻先をかすめ、そのまま、左の後ろ回し蹴りに繋げる。
水のように滑らかな動きだ。天性のバネとバランス感覚の賜物だろう。
しかし左足も空を切る。
さらに一回転して裏拳。これもかわされた。
次は、フェイント。ハイと見せかけてローキックを放つ。
当たらない。見切られている。


「チィ!」

一瞬、愛は焦れた。
その隙を見逃す粛清人ではない。掌底がわき腹を穿つ。
体がくの字になって2メートル程吹っ飛ばされた。

「くっ!」

追撃のヨーヨーが頭上から襲い掛かってくる。
愛は身をよじってコンクリートの床を二転、三転し、なんとかそれを避けた。
ギャリィ!という音をたて銀色の球体がコンクリートを削る。
まるでヨーヨーが自らの憎悪を地面にぶつけているかのようだ。
ふいにヨーヨーの動きが止み、すうっと粛清人の手に吸い込まれていく。

「あんたって―共鳴者―リゾ・・・なんだっけ」
「リゾナンター」
「そう、それ」

お前らの名前なんて知ったこっちゃない――とでも言いたげな口調だった。

「そん中で一番強いんだろう?だったら」
「だったら?」
「そろそろ本気出しても良いんじゃない?」

Aはスッと眼を細めた。視線に、侮蔑のニュアンスが香る。
突風のように高橋愛が粛清人に突進し、眼前で跳躍した。


「ふん」

―あっけない、こうも簡単に挑発に乗るかね。

空中では身をかわすことが出来ない。
粛清人の手から放たれたヨーヨーが愛のみぞおちを捕らえ――

瞬間消えた。

高橋愛がリゾナンター最強と言われる所以はこの瞬間移動能力に拠るところが大きい。
自由に相手の死角に回り込むことが出来るし、間合いも自在だ。
たたかいに於いてはこの上ないアドバンテージとなる。

粛清人の手から放たれた鋼鉄のヨーヨーが愛のみぞおちを抉るかと思われた瞬間、
愛は粛清人の背後の空間に跳んでいた。
後ろから稲妻のような蹴りを後頭部へ振り下ろす。

もらった!!

衝撃――

!!??

蹴りを振り下ろそうとした瞬間、愛のわき腹にヨーヨーがめり込んでいた。
みしり、と骨の軋む音がやけに鮮明に響く。

「ぶふっ」

呻き声と共に意識までもが体外に抜け出していきそうになる。


こらえろ
―裏をかいたつもりだったのに
追撃がくる
―何で
もう一度、跳べ
―こいつ後ろに目がついてるのか

正確には事態が掴めないが、今自分が窮地に陥っている事は確かだ。
粛清人が振り返った。
眼が合う。
闇を駆ける狩人の唇が左右に吊り上げられる。

「やっぱり、そこにいたか」

しゃっと鋭い音を立てて粛清人の右足が愛の頭部を薙ぎ払った。
間一髪、愛はもう一度空間を跳躍してそれを避け、10メートル程距離をとる。
粛清人の左右の手に握られたヨーヨーが沈みかけの太陽を反射して鈍く銀色に輝いていた。

ヨーヨーは二つあったのだ。
一つはかわしたが、もう一本の牙が愛を捉えた。
しかし、――愛の脳裏に疑念がよぎる。

―私はあいつの死角に跳んだ。なのに、喰らった。
―まさか当てずっぽうというわけではあるまい、どうやって察知した?
―何かの能力か?

呼吸する度わき腹に鈍痛が走る。


「あいつの報告通りの所へ跳んだね」
「?」
「優秀だな、――新垣は。あそこまでのスパイはそうはいない。
流石は、安倍なつみのお気に入りという事か」
「――」
「おかげで対策が立てやすかったよ」

とろけるような笑みが、粛清人の唇に浮かんだ。

「彼を知り、己を知れば百戦危うからず。
 彼を知らず、己を知れば一勝一負す。
 彼を知らず、己を知らざれば、戦う毎に必ず危うし」
「――孫子か」
「お前はどこまで知っている?リゾナンター」

風が吹いた。
風は、黒衣の狩人のスカーフを、愛の睫毛を撫で、
彼女の腰に付けたお守りをゆっくりと煽った。
縫い付けられた緑色のRの文字が風にそよいでいる。


「あんた、新垣里沙が今頃Rと戦ってるって、まさか本気で思ってるの?」




――私の心がぎゅって硬くなる。





















最終更新:2012年11月26日 21:57