(18)074 『ステルス・ループ』



昨夜、急に指令が出た。自分のランクでは珍しいことに単独での任務だ
その任務とは、敵の総本山へ乗り込み、特殊な方法で動向をスパイするというもの
ただ、宛がわれた観察、実験のみを行えとのことだった。

普段は簡単な活動しかしてない。同じような能力者はごまんといるのだ
にも関わらず、自分がこのような大きい仕事を任じられたのは、
特殊な方法に結びつく、ある試験中の重要アイテムと適合したからだ

このような好機が二度もあるとは思えない

  だからこの命と引き換えになっても 私は…
  たった一人良い思いをする、あいつを許すことなんか、出来ないから。

 *  *  *  *

 手入れの行き届いたすてきなお店ですね。

店内にいるのは数人の客と、それより少し少なめの店員

普通の客を装い、サービスを受ける。
あくまでもこのアイテムの効果を調べるためなのだ、そう言い聞かせながらも
どこか居心地の良いこの店に心が休まるのも確かだった。


この店に自分が日常=客として溶け込んだその時を見計らって、
支給された重要アイテム―腕のブレスレットに少し力を込める
安物のような、赤黒いビーズがぼうっとテーブルの下で妖しく光り始めた

     ―壊す、この店を。殺す、この店員を―

笑顔を崩さぬまま、ありったけの憎しみを、レジのところにいる背の低い女に投げかける

『強い感情には、いくら心を読む力を隠していても反応するものだ』
私は、この任務を要請してきた、開発局のあの女の顔を思い返す。
リゾナンター最強の女は、やはりこの店の主、高橋愛。―あの、i914。
幽閉されていた、使い捨ての下級兵時代から知っていた、その最強の能力者の名

対して、試用段階のこのブレスレットに込められた力は、精神隠密(サイコ・ステルス)
その名の通り、自己の精神を他人に隠避する力がある。対一般人なら持っていても役には立たない。
だが精神感応に対して効果があると実証でき、実用化にこぎつければ、彼女を打ち破る大いなる助けとなる。

  だが…所詮、能力者の世界だって、人物ではないのだ  
  持って生まれた、能力が、役に立つのか、どうか
  そして、役に立つのかどうかは…時の運。
  事実、このサイコ・ステルスも、あの時は…何の役にも立たないとそう判断されていたのだから

美味しかったです、そうi914に微笑みかけながら料金を払う。
またいらしてくださいね、店員のそして彼女の曇りのない笑顔に、苛立ちさえ感じる。

  なぜ、同じ能力者として生まれたのに、私はこのように日陰の中で生き
  あいつらは、のうのうと陽だまりのなかで暮らしているのだろうか




店の外はどしゃぶりの雨だった。私にはお似合いだ。
良かったら、と透明なビニール傘をi914に差し出され、申し訳なさそうに受け取る


  ああ、でも。一番許せないのは…


店の角を曲がったところで、その傘を下ろし、雨を一心に浴びる


  同じであったのに、そこを抜け出したあいつ…


傘を持つ手に輝くのは、あのブレスレット


  まだぬけぬけと…生きている、あの女…


かしゃり、と骨を折った傘を道端に投げ捨てると、私の身体は地球上から見得なくなった


  ―これが生まれながらに持った“重大で”それでいて“しょうもない”私の力
  ―身体隠密(フィジカル・ステルス)


まるで当たり前にように、女が傘を差して雨空を潜り、早足で喫茶店へ向かっていた
お生憎様だけど、もうお前がそこに行くことはない。出来ない。

お前以上に精神感知能力の高いi914を騙し通したこのサイコ・ステルス
そして、わたし自身の持つフィジカル・ステルス
この二つを持ってすれば、何人たりとも私を見つけることはできない。
組織に支給された、一発限りの弾が込められた拳銃を道の真ん中でその額に向けて構えていても、
彼女は気づかず、その歩みに迷いはない。

しゃらり、とブレスレットが動いた。わかってる、あなたも悔しいんだよね?

何の役にも立たないとして、幽閉され、肉体労働をさせられ、新薬の実験台にされ、
逃げだそうとして、捕まり、簡単にその命を奪われながら
一度、利用価値があるとわかるや、その力を宿した血液を採取され、新技術によって結晶化され
こんな形になって、蘇ることになった…私の兄さん

世間に存在を否定され、ダークネスに能力で選別、否定され、命を弄ばれ、
その死によっても、この地から解き放たれることなく、地上に繋がれたままのその呪われた人生

そうまでしても兄が、いや、多くの仲間たちが欲しようとも手には入らなかったものたち
それら、すべて手に入れたのに…
すべて捨てて、陽だまりに走ったお前を…私は許さない…
たとえ命令違反となり、罰を受けるけることになったとしても…

  ―裏切り者、新垣里沙に地獄の俘囚から死の鉄槌を


 * * * *

「やめて下さい」

もう外すことはない距離に近づきながら、拳銃の引き金はぴくりとも動かなくなった
雨が、おかしな方向に流れていく。私の銃から伸びた何かに水滴が伝っているのだ
それが新垣里沙のピアノ線であると気づいた瞬間、私の背中に雨のそれとは違う何かが流れる

「監視者がいるのを知っていますか?4人。あなたからは死角。」

不審がられずに知りたければ、そのまま私の鞄の留め具に映るビルの陰を見ればいい
静かにそう告げる新垣の言葉通りにすると、組織の誰かが見張っている

「どうして…」
幾重にも重なった疑問の言葉だった。

  どうして、私ごときに監視がつく?
  どうして、私に気づいた?

「私になんの恨みがあるかは知らないけど、
 私を攻撃する意思を見せたのは、任務の内容に含まれてはいないでしょう?」

すべて知っていたかのように彼女が言うと、がくっと私の拳銃を持つ手が下がった
彼女が、ピアノ線の拘束を解いたのだ

「私を消すのは、ある一定の幹部以上のみに任されています。最良の時に始末できる情報と先見の明と腕を持った人間に」

さも当たり前のように、見えないはずの私に対して言葉を続ける新垣


「でも、それをおもしろくないと思う人間が多い。彼らは秘密裏に私を亡き者にしようと謀っています」

  自分たちには火の粉のかからない方法で。
  不満を持った中級兵が、任務を無視して新垣を殺しましたってそんなシナリオを夢見てね。

「不満を大きくして、力を大きくして、けしかける。そんな被害者を何人も作り続ける」

雨の音がまったく違うものに聞こえた
信じたくない、もっとも憎んでいた新垣の言葉が今は世界で一番正しい言葉のように聞こえた

「…っるさい…」

  雨も、新垣も、あの研究員も、ダークネスも
   『能力者だからって、気後れすることのない世の中を作りたいだろ?』
  兄も、私も…
   『何があっても、生きるんだ』

「五月蠅い!!!」

力任せに、腕を上げ、引き金に力を込める。
その弾はわたしの手が触れている拳銃から離れた瞬間に世界に現れ、
新垣の手に繋がった、見えない流線に触れた瞬間、霧散した。

…ただ音だけが、主を置いて世界に発現した


「諦めて下さい。確かにあなたもあなたの攻撃も私には見得ない。
 でも、この線が近づくものをオートで捕縛し、私の許可と共に撃破します。」

まるで編み目のようにふよふよと糸が浮いている…これがあるから新垣は私を捕まえることが出来たのか。
いくら私が消えたとしても、色を失っても…世界からいなくなったわけではない。
彼女に触れずに、攻撃することは出来ない…私の力では…

雨の中、見えない自分の膝が地につく音だけが生きている証だった。

終わりだ。たとえここから逃げたとしても、任務を失敗した、死。組織から、抜け出しても粛正による、死。
『何があっても生きる』その兄の言葉が再び脳内に駆け回る。

口ではそう言いながら私を置いて、世界から逃げたくせに…
私は思わずブレスレットを引きちぎり、地面に投げた

それは雨に流されて散り散りになる。まるで、血のように…
認めたくなかった自分の感情が、雨と死に向き合うことで、明らかにされていく

 本当は憎い、ダークネスがニクい。世界が憎い。
  自分のものさしにあったものしか愛さない、すべてが憎い。
  それを平気で捨て去り、見えているのに見えないフリが出来る、すべてが憎い

 本当は羨ましい、新垣里沙が羨ましい。
  能力者としての居場所も、人間としての居場所も得た彼女が羨ましい
  私たちが命を刈り取られる組織を軽々と抜けた、彼女の力が羨ましい


「くそ…くそぉ…」

  そして…何よりも 自分が 自分の弱さが 自分の存在が 情けない

私には力がないから、ダークネスを壊せない。
私の力がしょうもないから、対リゾナンターとして、活躍することも出来ない。
所詮は、世界から無用とされた、無視された存在。見えているのに、見えないのと同じ。
見える人間からは、自由におもちゃにされても、命を長らえさせるためには、這いつくばって命乞いをするしかない、ちっぽけな自分

失敗したときのために、自分を消滅させる弾薬は今、世界から消えた
命を張ったとしても、この命では敵に傷一つ与えることはおろか、自分を消すことも出来ない

  ああ、どうして。命には位階が存在するんだろう。

惨めなわたしに、新垣の審判が下る時がきた
きっと彼女は、私を逃がす。自分の手で殺すのを嫌がって…
組織に帰れば殺されるとわかっていても、それに目を瞑って、わたしの命をどこかに差し出す
彼女が殺さない判断をすれば、だれかが私を殺すだけ。
彼女に不利益はないのだ。それならば何も、自分の手は汚さないだろう。



「あなたは、何事もなかったかのように、組織に帰って下さい。」

不意に届いた信じられない言葉。私は理解できず、彼女を見上げた。


「監視者は、私が始末しますから」

  って言っても、ちょっとだけ今日の記憶を弄らせてもらうだけだけですけど。
  あなたはわたしと接触なんかしなかった。その事実を植え付けます。
  あなたに命令を回した人間は失望しても、組織の信頼は損なわれない―任務は、成功。

「黙って帰らせれば、あなたの命を助けることができる。」

裏切り者は、悲しげな、それでいて意思の強い笑顔で私を助けようとする
あなたは私を知らない。姿さえ見てはいない。命を狙った。それなのに。
甘いよ。それじゃ、あんたを殺そうとする人間からとても逃れることなんてできな…

「甘くても、なんでも、私のいたい世界では、こうなんです。」

  もう、ただ、いたいだけじゃない。
  みんなの仲間として相応しい人間で居続けるために、私はなんの努力も苦難も厭わない
  私は、ここにいる。それに、ホントはもっとわがままで…
  闇の中から、私と同じようにみんなを…あなたを、救いたいと願ってしまっている…それなのに…

「あなたを組織に帰すことしかできない、私を許してくれませんか?」

  本当は、あんな組織に帰すのはイヤで…
  でも、まだ準備の整わない私たちではあなたの裏切りに対する粛正からあなたを守りきれない可能性がある。
  命が失われてしまっては、何にもならない。もう守ることも、できません。  


私の言葉を遮ってまで言い切った、彼女の本心。やっと私は理解した。

彼女自身もずっと、辛い戦いの中に身を寄せていた。
闇の中を歩むしかなかった、自分に訪れた好機を生かすために、死にものぐるいで戦ってきた。
裏切りの心痛を心に隠して。組織の中で苦しむ、顔も知らない仲間を想って。
凛とした瞳で、この雨の中、私を助けようともがいてくれていた。

「それに、甘いのは、あなたもでしょう?」

  今まで殺そうと思うほど憎んでいた相手の言葉を信じてくれようとするなんて

ありがとう。そう、本来こちらから言うべき言葉を放つと、
両の手からそれぞれ色の違うピアノ線が4本ずつ、四方に伸びていく。
透明なラインは攻撃の為、黄緑のラインは精神の乗っ取りの為。
それは、彼女の強さに憧れた、生前の兄から聞いたバトルスタイルだった。

そして同時に、彼女の右手の人差し指から、私の頭に向かって黄緑のラインが伸びる
私の記憶まで、…消す…の?
私は無我夢中で、彼女に姿を晒す。嫌だから、あなたのことを忘れるのは…

「私は仲間と共に、組織を壊して、必ず、あなたや他のみんな…解放すると誓います。
 それまで、私たちを待っていて下さい。そして…何があっても生き延びて下さい。」

  …ああ、ある種の生き甲斐となっていた、あなたへの恨みを…わたしのために残すのか…

  フラッシュが何度も脳内に起こり、私の意識はそこ、で……



 *  *  *  *

「くぁああ…」

一日の労役で酷使した体を休めるため、ベッドに体を転がした
あの刺激的な任務以来、相変わらずの下っ端仕事しか回ってこなくなった
新開発兵器サイコ・ステルスはi914には効果がなく、私は命からがら組織に逃げ帰った
『効かない』という実験結果を命がけで得てきた報酬として、わたしにはこのブレスレットが与えられた。
何が報酬だ。これ不良品だし…そもそも私の兄自身。最初っから私のもんだ。

あの夜は、兄を失った悲しみ、組織や世界への憎悪に変化をもたらすようなことはなかった
それなのに…なんだか時折、穏やかな気持ちになってしまうのだ。
特に、あれほど憎み、羨んでいた新垣のことを考えるときに、
なにかしら言葉にならない甘い希望を胸にしてしまっている。一体なんなんだろ。

  わたし、リゾナンターになんかされたんかな…

なら生きてないわな…なんて独りごちて、見えない夜空に向かって手を挙げると、
しゃらり、とあの夜から少し軽くなった気がするブレスレットが手首から下がった
その瞬間―珠を繋ぐ透明な線が、不思議な色に光った気がして、目を擦る。

  それは、空の青色と希望の黄色を混ぜたような、黄緑色

 私が、その色の意味を知るのは、それからしばらくしてからのこと
 いつなのかは、まだわからなくても、きっと訪れるその未来でのこと





















最終更新:2012年11月25日 22:32