(17)085 『満月の夜は』



「ちょっと散歩しませんか?」

リゾナントの扉に「CLOSED」と書かれた板をぶら下げていると、中から出てきた
カメに声を掛けられた。

「別にいいけど…」

いつもならこんな思い付きのようなカメの言葉には、手厳しいツッコミを入れている。
でも、今日は私も夜風に吹かれながら散歩でもしたい気分だった。
それは今日が満月の夜だからかもしれない。

私の返事を聞くと、カメは意外そうに目を見開いてから、いつものようにふにゃりと笑った。

「じゃあ、行きますよー」

カメは私の手を握ると、どこかに向かって歩き出した。
どこに行くのと聞いても、カメは内緒だと言って笑うだけだ。
だから私もそれ以上は何も聞かなかった。

「着きました!」

そこは町を一望できる丘だった。
私も一度だけ来たことがある。
スパイとして、この町に来た時だ。
愛ちゃんを探す為に、一人でここから町を見下ろした。



「ガキさん?聞いてました?」
「え?」
「もー!ちゃんと聞いて下さいよー!」
「ごめんごめん」

少しだけ過去のことを思い出して、少しだけ胸が痛んだ。
だけどもう、過去のことだ。

「じゃあ特別にもう一回だけ話しますから、聞いて下さいよ?」
「はいはい」

現在(いま)は、過去とは違う。
こうして馬鹿みたいな話をして、笑い合える仲間がいる。

「絵里、ここかられいなとさゆと協力して、幸せを飛ばしたことがあるんです」
「あぁ…」

それなられいなから聞いたことがある。
絵里の思いつきだと聞いた時は、びっくりしつつも、どこか納得している自分がいた。
みんなが幸せになることを、きっと誰よりも願っているカメだから。

「ガキさんにも届きました?」
「…届いたよ」
「本当に?」

直接感じたわけではない。
でも、きっと届いてる。


「うん、だって今…すごく幸せだから」

自分がリゾナンターの一員だと、胸を張って言える。
ずっと望んでいた未来が現実となったのだ。
今でも夢じゃないかと思う時がある。

「ガキさんは絵里達の仲間ですよね」
「そうだよ」
「夢じゃ、ないんですよね?」

カメが月を見上げながらそっと呟いた。
月明かりに照らされたカメの横顔はなんだか幻想的で、
遠くに行ってしまうような感覚に襲われた。
今、月に帰らなきゃと言われたら、素直に頷いてしまうだろう。

「聞いてます?」

すぐに返事をしない私に不安になったのか、また話を聞いてないと思ったのか、
カメは眉を八の字にしながらこちらを向いた。
…きっと、前者なんだろうな。

「それはこっちのセリフ」

なんでカメがそんな顔するのさ。
私が笑うと、カメは恥ずかしそうに「だってガキさんが!」と声をあげて、
その場にしゃがみ込んだ。


「じゃあ逆に聞くけど、夢じゃないんだよね?」
「…夢じゃ、ないです…よね?」
「私が聞いてるんだけど」
「最初に聞いたのは絵里なんですけどぉー」

カメは口をとがらせながら、手元の草をブチブチと抜き始めた。

「そうだけど、それはどっちかと言うと私のセリフでしょ?」
「まぁーそうですね」
「毎日夢みたいだよ、本当に」

またみんなと笑い合えるだなんて思わなかった。
またみんなに会えるだなんて、考えもしなかった。

「ガキさん」
「ん?」
「ちょっと月まで行ってみませんか?」
「はぁ?」

私を散歩に誘った時と同じように、カメはそう言ってのけた。

「だって、あんなにまーるくて綺麗なんですよ」
「…どこからツッコんだらいいのかわからないんたけど」

いくらカメがpppだからって、月まで行こうだなんて。
なんか目もキラキラしてるし。
そんな顔で見られても行けないってば。


「ガキさんは行ってみたくないんですか?」
「そりゃ行ってみたいけどさ、行けるわけないでしょーが」
「絵里は行けますよ」
「え」
「見てて下さいよー?」

カメはそう言うと、月に向かって走り出した。

「え、ちょ…」
「とぅっ」

月に向かって思いきりジャンプしたカメは、
まるで月に帰ろうとするウサギのようだった。
やっぱり、月に帰るの?…なんて、少し心がざわつく。

「…カメ?」

アンタはウサギじゃなくてカメでしょ?
そんな軽口も飲み込んでしまった。
着地すると思ったカメの姿は、そこには無かった。

「カメー?」

過去にここに来た時は、一人でも平気だった。
一人が当たり前だったからだ。
だけど今は…。

「ガキさーん?」
「っ…絵里!」

慌ててカメが走って行った方へ向かうと、
そこにはいつも通りの笑顔を浮かべるカメがいた。


「うへへ。びっくりしました?」
「も…、バカカメ!!」

下の窪みに落ちただけだったのだ。
フニャフニャした笑顔で、八重歯を見せながら私を見上げている。

「あははは。行けるわけないじゃないですか」
「はぁぁぁぁ?」
「だって、夢じゃないんですよ?」
「…!」
「現在(いま)ここにいるガキさんは、夢じゃないんです」

ね?って言いながら、私に向かって差し出された手を握った。

「絵里は、家に帰ってベッドに入ってから、ゆーっくり月へ行ってみようと思います」

私の力を借りながら立ち上がったカメは、手やお尻についた草を掃いながら、そう呟いた。

夢じゃない。
私がここにいることも。
カメがいなくなって、寂しく思った気持ちも。
今在ることは、全て夢じゃないんだ。

まさか、カメに気付かされるとはね。
私はカメに気付かれないように、口元を緩めた。


「じゃあ、私もそうしようかな」
「一緒に行きましょうよ」
「そうだね。カメ一人じゃ心配だし」
「絵里だって、ガキさんを現実の世界に戻らせるギムがありますから」
「心配しなくても戻ってくるから」
「現実に?」
「現実に」
「リゾナンターに?」
「リゾナンターに」
「…じゃあ、リゾナントで待っててあげます」
「わかった」

なんで上から目線なのよ。
まぁ、言わないけど。

「そろそろ帰りましょーか」
「うん」
「早く帰って、愛ちゃんお手製のカフェオレでも飲みましょうよ」
「寒くなってきたし、きっといつも以上においしいよ」
「おー!そうですね!じゃあ急ぎましょー!」
「え!ちょっと…カメ待てー!」

亀の癖に足の速いカメを追い掛けて、私は丘を駆け降りた。


アスファルトの道路に足を着いた時に、足を止めて空を仰いだ。

「本当にまんまるだ…」
「ガーキさーん!早く来ないと置いていきますよー!」
「わーかってるけど!私はそんなに足速くないのー!」

そう叫んでから、手を振って笑うカメに向かって走り出した。
月を見上げて、今夜行くから待っててねと呟いたのは、
カメには内緒にしておこう。

「追ーいついたー♪」
「ちょ、痛いですよ!」

追いついたカメの背中を、感謝の気持ちを込めて思い切り叩いてやった。
「ありがとう」は、満月の上で―





















最終更新:2012年11月25日 20:09