(16)770 『月も一緒に笑ってる』



「うわー、何か寒くなってきてますやん」

ドアを開ければ吹き込んでくる風。
昼間はあったかかったんやけどのー、と、高橋さんの声が聞こえてくる。

「また明日も遊びに来ますねー!」

店内にそう言い残して帰ろうとした時、誰かにトントンと肩を叩かれて、愛佳は振り返った。


  久住さんが「一緒に帰ろう」なんて言い出すのは、本当に珍しかった。
  そもそも、超売れっ子アイドルの久住さんと高校生の愛佳が、
  同じ時間にこの喫茶店から帰ろうとすることじたい、あまりないことやった。

  「ええですよぉ」とカンタンに返事をしたけれど、
  さて、愛佳はこれからこの人とどんな話をしながら帰るんやろうと、
  一瞬、そんなことを考えてしまっていた。

  だって、まだあんまりしゃべったことないんだもん。
  久住さんと。



  愛佳と久住さんは同い年ではあるけど、
  久住さんの方が1年か2年早くリゾナンターのメンバーに入ってて、
  だから、やっぱ先輩って感じがする。
  芸能人やからかなぁ? オーラもすっごいあるし。
  愛佳なんかが近づいたら何か場違いやと思う。

  芸能活動が忙しいからやろうけど、なんかいっつも疲れてそうな感じするし、
  別にまったく話さへんってわけやないけど、
  話しかけづらいっていうか、こっちからはあんまり話しかけへんっていうか…

  それでも「リゾナント」はいろんな人が来るから楽しかったし、
  久住さんやって、悪い人やないのはわかってるし、
  一緒に何かをやるメンバーって言ったって、みんながみんな仲良いとかもないやろし、
  そんなに必死に何かを考えんでもいいのかなぁって、そう思ってた。

  ここから駅まで、いつも通りに歩けば20分くらい。
  でも、二人で歩くからもうちょっとはかかるのかな。


  ほら、並んでこうして歩いとっても、会話がまったく弾まへん。
  お仕事大変ですか? なんて話を聞くのもどうかと思うし、
  あんまり出動ないといいですね、ってのも話続きそうにないし、
  あ、じゃあ、学校のこと聞いてみよっかな。
  久住さん、通信やし、どんな感じかちょっと興味あるし。

  「あのー、学校の勉強、通信って、どんな感じなんですか?」

  突然口を開いた愛佳に久住さんはちょっとだけビックリした顔をして、
  それから、あー、うーん、と唸りながら、

  「小春ねぇ…、勉強、好きじゃないんだよなぁ…」

  そう言った顔はどこか恥ずかしそうに、困ったようにも見えて、
  え、この人、めっちゃかわええやん、と、芸能人相手に当たり前すぎる感想を抱いた。

  「みっつぃは、勉強できる方なんだよね?」

  聞き返された愛佳は、きっとどこかで久住さんから話しかけてくれるのを待ってたはずやのに、
  いざ、そうなってみると、なんでか慌ててしまって、

  「え、あ、うーん、まぁ」

  と、意味わからんことを言っていた。


  「だってみっつぃ、いっつも勉強してるもんねぇ?
   すごいなーって、小春いっつも思ってたんだ」

  いっつも?
  愛佳は思わず久住さんを見上げた。
  あ、久住さんて、こんなに身長高いんやなと、その時初めて思った。

  「えーでも、久住さんはテレビの中でめっちゃ輝いてはるし」

   愛佳にはそっちの方がすごいと思うんですけど。

  そうかなぁー。
  そうですよぉー。
  だって、アイドルなんて、なりたくてなれるもんやないですよ?

  「愛佳、ソンケーしますもん、久住さんのこと」

  愛佳がそう言うと久住さんはまた、照れたように、困ったように笑った。

  初めて久住さんの前でこんな笑顔してると思う。そんだけ、愛佳は嬉しかった。
  久住さんのこんな顔を見るのも、初めてやった。
  なんやぁ、学校の話一つで、こんなに話って弾むんや。
  勉強の話をしてるうちに、久住さん、記憶力には自信があるってことがわかった。
  セリフ覚えたりしはりますもんね。愛佳も記憶力は負けへんけど!


  「あー、久住さん、この公園知ってます?」

   ちっちゃい公園なんですけどね?
   おっきな木があって、この街じゃみんなが知ってるいい公園なんですよぉ。

  駅までの通り道にあるこの公園、実は、愛佳もちゃんとは来たことがなかった。
  時間あるならちょっと寄って行きましょうよぉ、と、
  愛佳は無意識に久住さんの手を引っ張っていた。

  「久住さーん、月、めっちゃキレイですね!!!」

  ベンチに腰掛けて上を向くと、もう真っ暗になった空にまぁるい月。
  愛佳は空を指さしてはしゃいだ。
  隣の久住さんは、空を見上げて、黙ったまま。

  あれ、もしかして、あんまり好きじゃなかったんやろか…

  そう思って久住さんの顔をのぞき込むように身体をねじって、ギョッとした。

  「え? え、ええ?」

  慌てた愛佳の声に久住さんも慌てて、違う、違うと言いながら目元を拭った。

  久住さんは、泣いていた。


  「あああああ、あの、あのっ」

  愛佳は慌ててポケットからハンカチを取り出すと、久住さんの目元に当てた。
  久住さんは小さく、ありがと、とつぶやいて、また首を振った。

  「違くてね、小春ね」

  久住さんは夜空を見上げた。
  愛佳もつられて見上げそうになったけど、月明かりに光る濡れた睫毛に目が釘付けになった。

  「あんまし、こうやって月なんて見たことないなぁって」

   小春、いっつも下ばっか向いて歩いてたし、
   月とか星とかなんて気にもしたことなかったの、ちょっとバカみたいだなぁって。
   月島きらり、なのにね。

  そう言って目を豪快にグイッとこすった。
  あああ、そんなんしたら目が腫れちゃいますやん!!!

  「お月さまって、こんなにキレイだったんだね?
   虫だって、こんなにキレイな声で鳴いてたんだね」
  「そうですよぉ」

   秋って夏暑かったのがウソみたいに涼しくなるし、
   中秋の名月 なんて言葉があるくらい月がキレイになる時期だし、
   虫の声聞いてると、秋やなぁって思うもんですよ?

  久住さんが空を見上げたままだったから、今度は愛佳も空を見上げた。
  大きな木の上に、まんまるお月さま。
  自信たっぷりに秋を説明したけど、それにしてもこの風景はかなり幻想的かも。


  「みっつぃ、小春はね」

   友達って呼べる友達も作れなくって、
   ほら、小春たちみたいな能力持ちって、バレたら避けられちゃうじゃん?
   それに芸能界に入っててあんまり学校も行けないし、
   一人で家にいることなんて何にも淋しいと思わなかったのに、
   一人で家に帰ることがものすごく淋しかったの。
   だから、いつも下だけ向いて、ヘッドホンかけて、早足で何も見ないで歩いてた。

  「今日、こんな素敵なことわかったの、みっつぃのおかげだよ」

  久住さんはそう言って笑った。
  やっぱこの人笑ったらめっちゃかわいいやん、そう思っていると両手をつかまれた。

  「…あのさ、もし、よかったらさぁ…」

  急に真剣な顔になるから、愛佳も身構えてしまう。
  なんですか? そんなに言いにくいことなんですか?





  「小春の、友達になってくれませんか?」






  愛佳、たぶんぽっかーんって口開けてたと思う。
  愛佳が何も言わんから、久住さんはちょっと泣きそうになってた。

  「な、な、何言ってんですか」

  その言葉で久住さんはもっと泣きそうになって、
  ああ違うんです違うんです、そうじゃなくて、と、愛佳は久住さんの手を握り返した。


  「だって、愛佳と久住さん、とっくに友達なんやないんですか?」


  なんて言いましたけど、久住さん、愛佳も同じこと考えてました。
  久住さんと友達になれたらどれだけ楽しいんだろうって。
  久住さんはあこがれの人やから、そんな人と友達になるってどんな気分なんやろうって。

  でも、そうじゃないですよね。
  うちら、自覚してへんだけで、だいぶ前から友達やったんですよね。
  二人とも遠慮ばっかりして近づかんかっただけで、仲良くなりたいって思ってたんですね。

  愛佳の言葉に久住さんは数秒固まって、それからわーっと抱きついてきた。
  なんか、久住さんって冷たい人やって思ってたけど、こんなにあったかかったんやなぁ。


  「みっつぃ、また一緒に帰ろうね。
   キレイなもの、素敵なもの、たくさん教えてね」

  久住さんが愛佳の腕に腕を絡めて言うから、もちろんですよぉ、と愛佳も答えた。



「みっつぃー! 帰ろー!!!」
「っちょ、久住さん耳元で大きな声出すのやめてくれませんかー!!!」

どたばたと鞄を手にして愛佳を追いかけてきたこの人は、
おっつかれさまでしたー!!! と脳天気で大きすぎる声を店内に残して出てきた。

「みっつぃ! 月、月!!!」

外に出るなり久住さんが指さす空は、まんまるのお月さま。
そういえば、ちょうど1年前くらいですね、愛佳と久住さんが初めて一緒に帰ったのは。

「ねー久住さん、あの公園に寄っていきません?」
「いいねぇー、ベンチ♪ ベンチ♪ 大きな木♪」

ヘンな歌を歌いながらスキップで先を行く久住さん。
誰の作詞作曲ですか? ゼッタイに売れませんよそれ。


「久住さん、覚えてます?
 ここからこうして見る、あの木、あの月」


  久住さんも愛佳も、本当は誰かに甘えたくて、誰かの体温を知りたくて、
  でも、一人で過ごしてきた自分たちには、きっとそんな権利なんて無いんだって思ってた。

  本当の「友達」を見つけたうちらは、その日を境に何かが変わったと思う。
  変な遠慮とか、いらなくなった。それはお互いに対してだけやなくて、他のメンバーにも。
  だからみんな、ビックリしてた。大人しかった二人の急変化。

   違いますよぉ、たぶん、これが本当の愛佳と久住さんなんです。

  高橋さんと新垣さんだけは、何も言わずに微笑んでた。
  きっとわかってはったんやと思う。うちらがなかなか破れんかった壁を破ったってことを。


人生って、些細なきっかけで変わるもんなんですね。
愛佳、それで悪い方に転がるって経験はしたことありますけど、
こんなにいい方に転がることもあるなんて知らなかったです。


「忘れるわけないじゃーん、小春、たぶん一生忘れないもん」

 大きな木の上の、まんまるお月さま。

久住さんが月を指さすから、愛佳もマネして一緒に指さしてみた。
ベンチで二人、月を指さしてるカッコがどうしても可笑しくて、二人で顔を見合わせて思いっきり笑った。


遠い向こうで指さされた月も、きっと一緒に笑ってる。





















最終更新:2012年11月25日 19:45