(15)849 『哀しき黄昏の夢物語』



自分を呼ぶ声が聞こえた気がして、光井愛佳はゆっくりと目を開けた。

まだ完全に覚醒しきらない愛佳の意識に飛び込んできたのは、何時見ても何故か同じ感想 ――なんか淋しそうやな・・・―― を抱く新垣里沙の心配そうな顔。
そして、そのちょうど背後にある窓を端から端まで覆い尽くす、真っ蒼に晴れ渡った空だった。
喫茶リゾナントのテーブルでいつものように勉強をしているうち、いつしか眠り込んでしまっていたらしい。


「めずらしいね、愛佳が勉強中に居眠りなんて。それに・・・何だかうなされてたみたいだけど・・・」

やや心配げな顔でそう言う里沙に、愛佳はぼんやりと体を起こしながら頷いた。

「・・・あ、はい・・・。ちょっと変な夢を見てたみたいで・・・」
「夢?もしかして私たちの誰かに関係するような?」

愛佳が頷いたのを受けて、里沙の声がやや緊張をはらむ。

何をそんなに固くなってはるんやろ・・・?
ようやく醒め始めた思考回路に疑問符を灯しながら、愛佳は再び頷いた。

「まあ・・・・・・ある意味では」


そんなに気になるのならば、話しておいた方がいいのかもしれない。
夢の中での出来事を。
ジュンジュンに起こった信じられない異変を・・・


「そのときです、ジュンジュンが言いました。『ミツイ!私カラ離レテイロ!』と・・・」

いよいよ「夢」の話は佳境に入った。

今しがた見たばかりの夢を、愛佳は臨場感たっぷりに里沙に語っていた。
最初は淡々と話すつもりだったのだが、里沙があまりに真剣に聞くので話す方もつい力が入ってしまっている。

「私はジュンジュンに言われた通りに慌てて距離をとりました。ジュンジュンはそれを確認した後、敵を睨みつけて言いました。ただ一言『シヌナ』と・・・」
「『死ぬな』?それはつまり・・・」
「そう、ジュンジュンは敵に最後の警告したんです。次の瞬間です。ジュンジュンの体中の筋肉が膨張を始め、着ていた服は一瞬で破れ去りました」
「獣化・・・ね。そこまではいつもと特に変わらないようだけど・・・」
「あっという間に白い体毛が全身を覆い、所々に漆黒の体毛が生え揃っていきます。私は思わず息を飲みました」
「大熊猫(パンダ)へのメタモルフォシス・・・いつも通りじゃない。何が問題だったの?」
「頭からは鋭い突起が見る見るうちに盛り上がり、やがてそれは壮麗たる2本の角となりました」
「つ、角ぉ!?パンダに角ぉ~?」

いよいよクライマックスだ。
愛佳は小さく息を吸い込み、その驚くべき場面を口にした。

「メタモルフォシスを終えたジュンジュンの口から声が漏れました。・・・・・・『ンモォォ~~~ウ』・・・と・・・」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

長い沈黙が、傾きかけてきた陽の差し込む喫茶リゾナントを支配する。


「牛・・・ってこと?」

ようやく沈黙を破り、振り絞るような声で里沙が訊ねた。

「あ、結構頑張って鳴き真似したんですけど・・・似てませんでした?はい、牛ですね。ホルスタインですね」
「ホ、ホル・・・・・・あの牛乳出すやつ・・・・・・のこと・・・だよね?」
「牛は豊饒のシンボルなんですよー。それに太陽神や月の女神の持ち物とされてて神聖な動物なんです。それが夢に出てくるいうのんはええことですよ」
「あの・・・愛佳・・・夢って・・・その・・・」
「特に雌牛は母性の象徴や言いますね。愛佳意外とジュンジュンに母性感じてるんかもしれへん。なんか恥ずいわー」
「ねえ、愛佳。盛り上がってるとこごめんだけど」
「あ、はいなんですか?」
「それってあの・・・ただの夢なわけ?予知とかじゃなく?」
「ただの夢に決まってますや~ん。ジュンジュンが牛になるとかありえへん~。何言うてはるんですか新垣さ~ん」
「あ、あはは・・・あは・・・そうだよね。最初っから夢って言ってたもんね。あは・・・あはははは・・・はぁ・・・・・・」

何かどっと疲れたような表情を見せると、里沙は冷め切ったカフェモカの入ったマグカップの置かれたカウンター席へと帰っていった。
その後ろ姿を見て、愛佳は自分が大きな失敗をしてしまったのかもしれないと悩んでいた。

(しもた・・・。「ホルスタイン」とかもしかして禁句やったんやろか・・・)


・・・・・・2つの心は交わらぬまま、喫茶リゾナントは今日も哀しき黄昏を迎えようとしていた。




















最終更新:2012年11月25日 17:48