(15)515 名無し募集中。。。 (髪を切る)



前髪が鬱陶しい。
閉店後、床にモップがけをしていた愛は心底そう思った。

忙しくてなかなか美容室に行く機会が無かったのだ。
店の事、ダークネスの襲撃の事も考えると、愛には本当の
意味での『自由』が無かった、と言っていい。

「……れいなー?」
「なんねー?」

カウンターの向こうから返事だけが返ってきた。

「あのさ、梳き鋏持ってたよね?」
「あるある」

貸してほしいんやけど、と愛が言うと、カウンターの下から
れいながひょこっと顔を出した。手には布巾を持っている。
一方れいなから見た愛は、モップの柄の先に片手を添えて、
もう片方の手で前髪を摘まみあげていた。

「前髪切ると?」
「うん、そう」
「れいながやったげようか?」

れいな器用やけん得意よ、こーゆーの。
すでにやる気なのか、自分の前髪を指で作った鋏で切るような
ジェスチャーをしている。
愛はそんな自信満々のれいなに噴き出しながら、じゃあお願い
しようかな、と彼女に言った。


依頼されたれいなは早速二階からレジャーシートとバスタオルを
持って来て、まず店内で一番広いカウンターと玄関ドアの間に
シートを広げた。

「愛ちゃん椅子ここ置いて」

掃除の途中だったので、テーブル席の椅子は全てテーブルの上に
載せてある。愛はそのうちの一脚を持ちあげて、シートの上に置いた。

椅子を置いてぼうっとしていた愛にわざとらしく会釈するれいな。

「いらっしゃいませぇ~」
「えっ?」
「こちらへどうぞ」
「あっ、ハイ」

突然始まったごっこ遊びに戸惑う愛だったが、素直にその椅子に
腰掛けた。

タオル失礼しま~す
今日はどうなさいましょうかぁ~

妙に芝居がかった台詞とともに、れいなはテキパキと準備を整える。

ええっと、前髪がぁ

愛が言いかけると、突然目の前にれいなの顔が迫ってきた。
驚いて顎を引いてしまう。


「駄目だ、暗くてよう見えん」

店内は間接照明を使用しているので薄暗いのだ。
れいなは舌打ちをひとつして、また二階へ行こうとした。
愛が呼び止める。

「物置に懐中電灯が」
「それだ!」

妙案得たりとばかりに、階段の横にある物置から赤いボディの
懐中電灯を持ってきて、カウンターの上に置くれいな。
スイッチを入れて光の方向を椅子に座っている愛の方へ向けると、
丁度良く全身に光があたる。

「……けど、横からしかあてられんっちゃけど」
「あらら」

愛は苦笑いして、なんとなく光とは反対の方向へ目を向けた。
店の壁に、影絵のようになった自分の姿が映っている。
宝塚が好きな愛はこれを見てまるで舞台のようだと喜び、
れいなは外国のアニメーションのようだと笑った。

「やっぱここじゃ無理だ。鏡見て自分でやるわ」
「えー? 超やる気やったのに……れいなプロ級よ?」
「それただ切りたいだけやろぉ?」

そんな事はない、れいなは強く首を振った。
刃物の扱いなら仲間内で自分の右に出る者はいないのだ、と
無い胸を張っている。
愛は少し困惑して、ならばまず自分がやってみて、失敗したら
修正を頼む、と提案した。
れいなは不満そうだったが、しぶしぶ了解してくれた。


残った掃除はテーブルを拭くくらいだったので、楽々こなして
終わらせ、れいなは二階の洗面所へ向かう。

洗面所のドアは開けっ放しになっていて、愛が鏡面に身を乗り出す
ようにして立っているのが見えた。
近づきながら話しかける。

「愛ちゃん終わったよー」
「あ、ありがとー」
「そっちはうまく切れたと?」
「アヒャ、やっぱあかんわぁ」

そら自分の出番だ、れいなはニヤリとしながら愛の真後ろに立った。

「あーダメダメ、れいなに任せなサーイ」

愛から梳き鋏を奪うように受け取って、鏡の中の彼女と
目を合わせたその瞬間。

「!」

れいなの視界が白く光った。


一瞬の白い光はなかなか視界から消えない。
ゆっくり、ゆっくりと透けてゆき、完全に消滅した時、
れいなは奇妙な場所に立っていた。

土の地面と、真っ青な空がどこまでもどこまでも広がっている。
そうとしか言いようの無い場所にれいなは居た。
傍に居たはずの愛が居ない。
自分一人だけだ。

「なんコレ……」

ぽかんと口をあけながら周囲を見渡す。
振り返ると、背後に、



たくさんの黄色い風船が浮かんでいた。



「えー……? 超意味わからん……」

そう漏らしつつも、れいなはその風船の方へと歩き始めた。

青空に浮かぶ風船の群は、個々がテニスラケット大のよく
見かける大きさのものだったが、近づくにつれその形を変えていった。
ひとつは隣接する他の風船と重なり合ったかと思うと、
泡のように融合して歪んだ形の新たな風船となった。
ひとつはそのいびつな形のものと更に重なり合い、すっぽりと
飲み込まれてしまった。
多くの風船がそうして集まり、中央に核のようなものを形成していく。


「なんか……ヤバくね?」

れいながポロッとこんな事を言ったのには、訳があった。
よく目を凝らすとそれらは全て糸で繋がれていたのだが、
その根元にあったのは、小さな花壇の真ん中にぽつんと存在
している、盆栽のような一本の木。
枝という枝に風船の糸が巻き付いていて、れいなが花壇に気付いて
傍まで寄って見た所、少しずつその土が盛り上がっていたのだ。
黄色い核が融合を繰り返すたびに、繋がった糸が枝を引っ張り
あげて持ち上げようとしているため、ゆくゆくは木そのものが
土から剥がされてしまうのではないかと思われた。

そして……
とうとう枝のひとつから、パキンと弾けた音がしたのだ。

「うわっと!」

れいなは直感で危機を察し、慌てて枝を押さえようとして、
そこで初めて自分が梳き鋏を手にしていた事に気付く。
ついさっき愛から受け取ったものだが、何故これがここに?
そんな疑問が一瞬脳裏を過ぎったが、今はそれ所ではない。

れいなは枝に巻きついたたくさんの糸を、梳き鋏で切り刻み
始めた。
よくわからないが、とにかくこの小さな木をあの不気味な
風船群に根こそぎ持っていかれるのだけは、絶対に食い止め
なくてはいけない。
ただその一心で、必死に鋏を動かした。
だが……


「あー切れん! くそぉ!」

梳き鋏は刃の部分に数ミリの隙間があり、その形状は櫛に似ている。
糸は数本の繊維で出来ているので、数ミリの隙間に残りの繊維が
入ってしまってなかなか断絶できない。
れいなは苛立って、鋏を左右に引っ張るなどして強引に糸を
引きちぎっていった。

「っく、このおっ!」

力の要る作業を繰り返し続け、手に力が入らなくなってゆく。
指の腹が痛い。
汗だくで息も切れ切れだ。

「はぁ、はぁ……きっつ……」

とうとう手を下ろして項垂れると、盛り上がった土の隙間から
木の根が覗いているのに気付いた。
このまま健闘虚しく、木は風船群に持ち上げられてしまうのだろうか……

「あああ切れろ! 切れろ切れろ切れろ切れろおおおおおお!」


れいなは絶叫しながら遮二無二に鋏を振り回した。
すると、急に手ごたえが無くなった。
今までと違う感覚に疑問を抱いたれいなが顔を上げる。

「うわ……」

巨大な核を成していたはずのそれは、元の風船の大きさで拡散し、
全てが空高く舞い上がっていた。



れいなはその、上昇する黄星群を呆然と見届けた。
が、見た。確かに見た。
色の違う風船がいくつかあった。

黄緑やオレンジやピンクや……

そうか、そういう事か。

最後に……青……

黄色に護られるようにして、八つの色の風船が悠々と
舞い上がって行ったのを……見た。



……そして、その場にへたり込んでしまった。


目の前には小さな花壇がひとつ。
木は、無事だ。
しかし……

「ひとつだけ……残りよう」

枝ばかりに気をとられていて気付かなかったが、幹の部分に
一本の糸が絡みついたまま残っていた。
その糸を目線で辿っていくと……木の真上に浮かんでいる、
黄色い風船がそこに。



黄色い……風船……内側から張り詰めたもの……

黄色は愛ちゃんの色……

愛ちゃんの……最後の風船……



……これはきっと、切り離してはいけないものなんだろう。








「ありがとう、かなりスッキリしたわぁ」

こちらの世界では、まばたき程度の出来事であったらしい。
向こうの世界で散々酷使した右手も、全く問題なく動かせたので、
れいなは無事、愛の前髪を綺麗に仕上げる事が出来た。

「どういたしまして」

愛が他の仲間達の事ですら責務として負っていたのには
何となく気付いてはいたが、あの時、八色の風船も解放された。

れいなは思う。
彼女が彼女によって集められた自分達リゾナンターは、
しかし彼女の重荷ではない。
皆それぞれリーダー高橋愛を信じてついて来た、仲間達だ。
どうか、心から信頼して欲しい。



「愛ちゃん、これからも、れいな“達”に任してくれて良かよ」
「そうだね、これからもよろしくね」




















最終更新:2012年11月25日 17:34