(15)353 『共鳴者~Darker than Darkness~ -16-』



まったく人間の脳というのは恐ろしい。
1000テラフロップスの処理演算機能を隠し持つそれ。
たとえ三人分の脳を用いた高橋の演算能力を以ってしても、
完全にそこから起こりうる発想を予測することは不可能だったというわけだ。

田中れいなの拳が頬骨を砕きにくる。
頭を振ってかわし、懐に潜り込んで掌底をその顎めがけて突き上げた。
空振り。
上体をそらすことでこちらの攻撃から逃れた田中の爪先が跳ね上がる。
右上段廻し蹴りを左腕で受け、そのまま掴みかかりテコの原理で足首の骨を折りにいく。
が、より早く身をよじった田中は不安定な姿勢のまま跳び上がり、中空で左後ろ廻し蹴りを披露してみせた。
顔面めがけて飛んでくる踵を後退して避ける。案の定掴んでいた右足は手放す結果になってしまった。
腰元から特殊警棒を取り出す。
同調するように田中も警棒を振って伸縮式のそれを伸ばしていた。
互いに銃は使えない。
高橋は下手をすれば田中の命を奪ってしまう恐れがあるし、
田中も高橋が精密さを無視して銃弾を歪みに取り込めば背後で支援している人員に怪我人が出かけない。
だから、これは純粋な近接戦闘だった。

この状況は高橋にとってまったくの計算外だった。
まさか彼女が、これほどの布陣を張って一騎打ちに持ち込むとは予測しきれなかった。
これだから人体の脳の発想力というものは侮れないのだ。

互いに地を蹴る。
引き寄せられるように国道の中央で衝突し、握り締めた警棒で鍔競り合う。



「やるやないか、れいな。あーしもこれは計算外や」
「れな一人の力じゃありません。光井の予知と小春の念写で将来の闇の増加と拡大を知って、
 それが高橋さんの目的だってこともある程度予測できました。
 接触して来てくれた准尉さんのおかげで後方支援部との連携も取れた。
 今も、さゆと絵里が負傷した人員の手当てしてくれてるお陰で後方支援も十分保てとぅ。
 ジュンジュンやリンリンも、バリケードから出てこっちに加勢しようとすることで敵の弾幕をかなり引き受けてくれちょる」

予測できないわけだ。
これだけの人数の人間が、ただ高橋愛を出し抜いて田中れいなとの一騎打ちに持ち込もうと頭を捻ったのだ。
己の脳と物言わぬ兵士の脳を使っただけの演算で、そもそも見抜ける筈がなかったのか。

周囲の状況は文字通り乱戦状態だった。
装甲車のバリケードを盾に後方支援部の人員がこちらの兵を次々に撃ち抜き、
新垣がその穴を埋めるためダークネス本部内から補充要員を呼び出している。
こちらの兵の銃撃で負傷した後方支援部の人員は亀井が傷を請け負うことですぐ前線に復帰。
道重が共有した亀井の傷を治し、また別の負傷者の手当てに向かう。
人数と多少の負傷では動じない兵を所有する点ではダークネス側が有利でも、これでは戦闘はジリ貧にならざるを得ない。
さらに光井や久住は銃撃戦に参加。
李純と銭琳はそれぞれ獣化、発火能力で兵を薙ぎ払いつつ念動力で銃弾を阻止し、こちらに近づいて来ようとしている。
高橋は彼女達の命を奪うことも自らの正義に賭けてできない。
必然、彼女らの阻止の為に兵の人数を割かざるを得ず、
結果的に高橋と田中は二人きりの決闘を演じることになっている。



必ずうまくいく保証などなかった筈だ。
それでも彼女は、この賭けに勝つために、存在しない筈の勝機を無理矢理にでも作り出して見せた。
高橋は苛立つ。
本来ならとうの昔に知っていた筈なのに。
彼女達の、"リゾナンター"の"共鳴"の真価、その恐ろしさを。

だがそれでも高橋は負けられない。
目の前に立ち塞がる彼女達を守る為にこそ、負けるわけにはいかないのだ。
負ければ田中は高橋の命を奪うだろう。
でなければ意味がない。
高橋愛を生かしていては計画は実現しない。
だから彼女は、自らの信じる正義の為に、高橋愛に断罪を下す。
その覚悟も既にある筈だ。
だがそれは許容できない。
その先にあるのは残された新垣と紺野による、共鳴者と人類の戦争なのだ。

高橋愛は、田中れいなを否定する。
だから、高橋は握った警棒を力の限り彼女の頭蓋へと叩きつけた。



  *  *

頭蓋を屠られ、流石に田中は数歩の後退を余儀なくされる。
脳震盪に視界がブレる。
高橋愛の追撃が来る。
鬼気迫る形相で、彼女は握った警棒を田中の急所へ振り抜いていく。
辛うじてそのすべてを凌ぎきる。
だが尚も高橋の連撃は止まない。

「わからんのかれいな! あーしが死ねば、残るのは共鳴者と人類の戦争や!
 そんな事態になっても、まだアンタは自分の正義を主張し続けられるんか?!」

共鳴者と人類の戦争。
口から出任せというわけではないだろう。
紺野あさ美と新垣里沙をこの場で殺害するのは現状、不可能だ。
なら、高橋を欠いた彼女達がどんな暴挙に出てもおかしくはない。
戦争。
そうなれば多くの血が流れるだろう。
大勢の無実の人が死ぬだろう。
それは嫌だ。すごく嫌だ。
けど、それでも。



「れなは、それでもれなは、一人でも多くの人を救ってみせるッ!」

それが田中れいなの正義だった。
理想かもしれない。あるいは妄想でしかないのかもしれない。
悪を挫き、弱者を救う。
そんな理想に縋っていれば、いずれは痛い目に遭うのかもしれない。
けれどわずかにでも可能性があるのなら。
少しでも、その望みがあるのなら。
たとえ一縷の望みでも、田中れいなはそれに殉じる。

「戦争なんて、とめてやる。
 誰がなんと言おうと、れなはそれが出来るって信じとぅ。
 少しでも可能性があるんなら、絶対なんて言わせない!
 だから、自分から多くの無垢な弱者を殺す計画に荷担するなんて、そんな選択、断じてしない!」

田中れいなは、高橋愛を否定する。
だから田中は、左腕が折られるのも躊躇せず、彼女の頭蓋に警棒を叩きつけた。




















最終更新:2012年11月25日 17:24