(15)267 『共鳴者~Darker than Darkness~ -13-』



異界。
現界とは空間位相の異なる、十一次元の異様なる空間。
その内部には常に"闇"が巣くい、生きた人間を糧としてその養分を貪り尽くす。
内部の核となっている"闇"を物理的手段で排除せねば、異界は現界への侵食を留めることはない。
発生は不定期。
発生時刻は夜間に集中することが多く、
また人口の密集した都心部への出現率の高さが顕著な数字として表れている。
紺野あさ美の独自研究論文によれば、
異界とはそのもの人間の内に潜む何かに呼応して現れる。
仮に異界を独自の生態系を持った生命体として考えてみよう。
この仮説に則れば、確かに餌となる人間の密集した地域への発現率の高さの裏付けともなりうる。
だがここで問題なのは、異界は発展途上国より先進国での発生数が人口ひとり当たりに対して大きいことだ。
ゆえに、異界を単純な生命体として捉える先の見解には疑問を呈さざるを得ない。
途上国より先進国に高い異界発生率。
類似するものとして連想されるのは精神病発症率、自殺率、異常犯罪率だった。
陳腐な表現を用いるなら「人間の心の闇」。
具体的にはうつ、悲嘆、絶望、嫉妬、憎悪、破壊衝動、敵意、そして殺意。
異界の発生率はこれらの人間の感情と密接に関わっていると、紺野は論文内で指摘している。
もちろん、物理的な空間の侵食という現象についても数学的、物理学的な検証を含め論文内では触れられていた。
一般、特殊相対性理論の引用や量子力学の観点、波動関数による表現など数々の定理を応用した数式や証明を経て、
紺野は論文の最後にこう結論づけている。

――"共鳴能力"の使用法次第では、異界の人為的発生、拡大は可能であると。


高橋の目的はその、異界の人為的発生と拡大にある。
新垣の精神干渉能力により人々の「内なる闇」に働きかけ、
高橋の空間制御を用い三次元空間への異界発生を誘発させる。
一度発生させてしまえば、後は放って置いても異界は勝手に拡大していく。
人間を喰らい、その罪を贖わせ、自らの闇によって多くの愚民が葬られることだろう。
異界の発生数が増大すれば政府はやがてその存在を公表せざるを得ない。
同時に、対抗勢力としての"共鳴者"の存在をもだ。
現状のまま共鳴者の存在を公表しても、起きるのはわずかな混乱と、差別だけだろう。
だから人間にとっての脅威である異界を人為的に増やす必要がある。
異界の存在が我が身に迫る脅威と知れば、人間は共鳴者を無為には扱えない。
その存在に縋り、懇願するしかなくなる。
日本国内でのこのシナリオが順調に進むように、政府内での新垣による工作も無論欠かすことはない。
国内での対応が成功すれば、異界発生数を海外でも増大させ、日本の例に習わざるを得ない状況を生み出す。
状況に従わない国家があるなら、また新垣にひと働きしてもらうだけだ。

やがて共鳴者という英雄は歴史にその存在を刻み、人間の上位種としての恩恵を受ける。
それが高橋の構想する共鳴者にとっての理想社会。
もう、誰にも共鳴者の人権は踏みにじらせない。
それでもなお踏みにじろうとする危険のある人物のリストアップと、彼らに早期から消えてもらう手筈も整えてある。


紺野あさ美を論破した高橋の計画案がこれだった。
だが、ここにはあとひとつ、不足している不可欠な要素がある。
それが田中れいな。
彼女の持つ"共鳴増幅能力"だった。

これらの計画は極めて迅速に、できる限り早期に実現する必要がある。
なぜなら、計画の中枢を担う高橋たち"五番目"に残された時間はそう長くないからだ。
かなりの数の異界を発生させ、なおかつ政界、財界への工作も怠ることはできない。
しかしそれを成すには計算上、現在の高橋や新垣、紺野の能力を以ってしても不足がある。
計画の完璧な完遂にはその不足分を補う能力の"増幅"が必要だった。
そしてその能力を持つ者は、確認できている共鳴者の中に田中れいなを置いて他にない。

  *  *



「理解してもらえんかな。
 これが、あーしがアンタを必要とする理由。
 もし大人しく協力してくれるんなら、手荒な真似はしなくて済むんよ。
 言っとくけど、れいなの意思を無視してこちらに従わせる方法はいくらでもある。
 フェノバルビタールBとかその手の薬剤を使うでも、個人的な友人を人質に取るでも、いくらでもな。
 もちろん養護施設時代からのアンタの交友関係についても調べはつけさせてもらっとる。
 ……共鳴者の人権を声高に主張するあーしからしたら、それはできる限り避けたい。
 もう一度だけ言う。これはもう脅迫、命令や。
 あーしらに協力しぃ、れいな。そうすればこの店の安全は保障する。
 異界の拡大時にも、この店の常連には被害が出んように配慮さしてもらう。
 つまり、アンタが大人しく来れば、この店は今まで通りの平穏をしばらくは保てるんよ」

高橋はそう言って、真っ直ぐと田中れいなの瞳を見据えた。
そこには虚ろな、けれど確かな決意があるように見て取れた。
その意識を探れないのが今は歯がゆい。
布石は完全に、田中れいながこちらの手中に収まらざるを得ないよう配置した。
それでも絶対というものは存在しない。
彼女の決意はこちらの意に添うものなのか、それとも。
田中の背後では息を呑み、何かを言いかけ、
しかし何を言えばいいのか判断しかねているかつての仲間達の動揺が錯綜している。
田中は不意に、その仲間達を振り返った。


「ごめん。みんな」

田中は言って、腰元に手を伸ばした。
取り出したミネベア9mm自動拳銃の銃把を握り締め、
彼女は迷いなく高橋の眉間にその銃口を照準する。
そして、決然とした口調で、告げた。

「その申し出。お断りします」

高橋は溜息を吐いた。

「交渉決裂、か」

瞬間、無数の銃声と共にすべての窓が砕け散り、
"喫茶リゾナント"を慈悲もなく蹂躙した。




















最終更新:2012年11月25日 17:18