(15)064 『蒼の共鳴-望まぬ旅立ち』



静かに、息を殺しながら。
少しずつ、少しずつ目的の部屋へと近づいていく一人の女性。
普段の人の良さそうな雰囲気は消え、目に輝くのは鋭い光。

部屋への唯一の出入り口は、武装した下級兵二名が塞いでいる。
そして、常に作動している監視カメラと侵入者検知のためのセンサー。
正面から突破することは不可能ではないが、そうするわけにはいかなかった。

誰にもバレないように、部屋に侵入し。
その上で必要な情報を手に入れなければならない。
女性は一旦、監視カメラの死角になっている場所まで引き返してチャンスを窺うことにした。


(…誰かあの部屋に入る子いないかな、そうしたらテキトーに理由をつけて一緒に入るのに)


通気口からの侵入という手は、通気口がとても人が通れる大きさではないことから断念せざるを得なかった。
攻撃系能力を使えれば、無理矢理にでも自分が通れるくらいの穴を開けることも出来るのだが。
攻撃系能力どころか、何の能力も使えない自分ではそういった方法は使えない。
穴を開けれそうな武器類を調達するにしても、許可証がなければ入ることの出来ない部屋に格納されている。
この時点で、天井裏からの侵入は不可能。

安倍なつみの世話係でしかない女性―――小川麻琴。
実質下級兵よりも下の立場である麻琴に、重要なデータ等が保管されている部屋へ入る権限は当然なかった。
ましてや、“M”がダークネスに変わる際になつみ、里沙と共にその方針に逆らったのだ。
何の能力も持たないから、なつみと同様に一般の居住室での生活を許されているだけにすぎない。

そんな麻琴が唯一、誇れるものは。
“M”時代から徹底的に訓練してきたスパイとしての侵入技術と。
必要な情報のみをその場で瞬時に精査し、極力痕跡を残さずにその情報のみを手に入れる技術。






監視室へ侵入してカメラやセンサーを一時的に使用不可にすることも考えたが、それは余りにもリスクが高い。
ダークネス幹部クラス並の能力を持たねば侵入することは100%不可能な、
何十にも重ねて張られた巨大な結界内に存在するダークネスの基地。

上手いこと目的の部屋周辺だけの監視を一時不可に出来ればいいのだが、さすがにそこまでの知識は持ち合わせていない。
それに、外部の人間が侵入することはまず不可能といえる基地でそういう異常が起きたら。
内部の人間の仕業だと誰もが思うだろう。

ましてや、麻琴がこれから侵入しようと思っている部屋は。
なつみの首に取り付けられた拘束具の解除方法等、ダークネス独自の技術に関する情報が置かれている。
監視システムを一時的に停止しても、数分程度で復旧し…その原因を突き止めるべく調査班が動き出すだろう。
その短い時間で膨大過ぎる機密の中に埋もれているなつみの拘束具に関する情報を精査し、
何事もなかったかのように部屋から抜け出してなつみの元に戻るのは幾ら何でも厳しすぎた。

誰にもバレないように部屋に入り込み、必要な情報を確実に入手してなつみの元へ戻らねばならない。
言葉にするのは簡単でも、その内容は余りにも難しかった。
だが、それでも。
麻琴は必死に考える、どうすればあの部屋に無事に侵入することが出来るだろうかと。

“M”時代のなつみに助けられたあの時から、麻琴にとってなつみは命の恩人であり何かあったら力になりたい存在だった。
そして、共になつみの妹のように育ってきた里沙もまた、麻琴にとってはかけがえのない存在。
里沙のピンチを救うためにも、何とかしてなつみから頼まれたこの難しすぎる願いを叶えなければならない。


「…何してるの?」


背後から聞こえた訝しげな声に、麻琴は反射的に振り返る。
白衣に身を包んだ女性は、おそらく“Awesome God”の関係者。
刹那、麻琴の脳裏に浮かんだ案。








麻琴は素早く女性の懐に飛び込み、女性が何か言うよりも早く鳩尾に掌底を叩き込む。
声もなく崩れ落ちた女性を床に座り込ませて、麻琴はその白衣をはぎ取った。
白衣を身に纏ったのと、女性が意識を取り戻したのは同時。
声をあげようとする女性の口を素早く塞いで、麻琴は女性に声をかける。


「…少し協力してもらうよ、いいね?
妙な気さえ起こさなければ、あなたを傷つけたりはしない。
あの部屋に入りたいだけだから」


低く、殺気を伴った声に女性が頷く。
白衣を纏った麻琴は女性を伴い、堂々と目的の部屋へと足を進めた。


「ご苦労様。
そうそう、あなた達。
先程吉澤さんがあなた達のことを呼んでいたわよ?
何だか怒ってたみたいだから、早く行った方がいいかも」


麻琴の声に、下級兵達は顔色を変えて駆けだしていく。
下級兵達が見えなくなったのを確認して、麻琴は女性に部屋のドアを開けるよう指示する。
音声認証、指紋認証、虹彩認証の三段階の認証をパスしないと解錠することの出来ない部屋は、
麻琴ではどうやっても入ることは不可能。

無事にドアが解錠され、麻琴は部屋に女性を先に入れた。
背後でドアが閉まった音が耳に届いた瞬間、麻琴は素早く女性の首へと手刀を叩き込んで気絶させる。
部屋を探索し、再び女性の元へと戻ってきた麻琴の手が持っているものは、ガムテープだった。
素早く女性の口を塞ぎ、両手両足をガムテープでぐるぐる巻きにする。






女性が何らかの能力を持っていた場合、こんな子供だましの拘束では即破られる可能性はあった。
だが、麻琴は知っていた。
“Awesome God”に集う研究者達は、超能力を使えない者が大多数であるというのは公然の秘密であることを。
女性がその例から漏れる存在である可能性は、かなり低いと言えた。

麻琴は軽く息を吐いて、部屋の中央に置かれた検索用PCへと歩み寄る。
膨大すぎる量の情報を管理する検索用PC、ここでまずは検索をかける必要がある。
片っ端から、キーワードになりそうな言葉を入力して検索し続ける麻琴。

検索に長時間かけるわけにはいかない、この後必要な情報が保存されているであろうデータ保存用のPCに
アクセスしてデータを抜き取らねばならないのだ。

そして、データを抜き取った後、極力元の状態に近くなるようにしなければならないが。
誰がどの情報にアクセスし、データを取得したかということはこの部屋にはない別のPCによって全て管理されている。
そんなことをしたところでいずれはバレる、だが、誰かが常にそのPCに集まる膨大なデータを監視し続けていない限りは…
情報を持ち帰り、なつみと里沙と麻琴三人揃ってダークネスから脱出出来るだけの時間は稼げるはずだ。

キーワードを打ち込んで検索結果を見てはまたキーワードを打ち込む。
単純な作業だが、一瞬でそれが必要な情報に関係する検索結果なのかを判断するだけの頭脳が必要であった。
一瞬で画面に浮かぶ文章の数々を読み取る速読技術、そして判断能力。

キーボードを打つ手の平は、既にじっとりと汗ばんでいた。
まだ数分くらいしか時間は経っていないはずなのに、もう既に何時間も作業しているかのような疲労感。
極度の緊張からくる疲労感と焦りに歯を食いしばりながら、麻琴は数十回目のキーワードを打ち込んだ。


「…あった。」


目的の情報を見つけるのに必要な情報を頭に叩き込み、麻琴はPCの検索履歴を消去する。
そして、今度はそのPCから離れた場所にあるデータ保存用PCへと駆け寄った。
素早く目的のデータへとアクセスし、麻琴は白衣のポケットをまさぐる。









再び麻琴がポケットから手を出した。
その手に握られていたのは―――USBフラッシュメモリ。
パソコンに繋ぎ、データ転送を開始する。

白衣の女性が通りかかった時、瞬時に閃いたのは。
この女性はこの部屋にある情報が必要でここまで来たのだということ。
そして、その情報を持ち帰るために必要な道具を持っているであろうということ。

無論、情報を持って帰るために必要なものくらいは持ってはいたが。
そもそもどうやってあの部屋に入ろうかと思案していた麻琴にとって、女性が現れたのは奇跡といってもいい出来事だった。

データを転送出来たのを確認して、USBフラッシュメモリをPCから外したのと女性が覚醒したのは同時。
麻琴の方を見て声にならない声を上げ続ける女性を横目に、麻琴は素早くPCの状態を自分が触るよりも前の状態に戻した。

女性には悪いが、白衣はまだ借りておく必要がある。
麻琴は女性を抱えると、部屋の死角へと女性を置き去りにして。
まるで何事もなかったかのように、部屋を出て行った。

途中、必要のなくなった白衣をゴミ箱へと放り込み。
駆け足で自室へ戻る麻琴。
自分の部屋のPCで、持ち帰った情報をじっくりと読んで理解する必要がある。

こういう時、もっと色んなことを学んでおくべきだったと痛感する。
専門的な知識を持ち合わせていない麻琴にとって、何とか持ち帰ることの出来たこの情報は。
理解することが出来なければ、ただのゴミでしかなかった。

それでも、何とかするしかない。
麻琴はPCを立ち上げ、必死に情報を読んでいく。
ところどころ分からない用語もあったが、7割方は何とか理解できた。

息を整え、そして机の引き出しを開ける麻琴。
引き出しに入っていたのは、数万円程度の現金と通帳。












脱出した際、この現金だけがリゾナンターの元へと辿り着くための資金となる。
通帳も持って行くことも考えたが、おそらく脱出したのと同時に使えなくなるようにダークネスが手を打つだろう。

もっと手元にお金を置いておくべきだったと思いながら。
麻琴は現金をポケットにねじ込み、部屋を一瞥して。
もう戻ってくることはない部屋を後にした。

なつみの部屋のドアをノックして。
ドアが開いたの同時に部屋へと滑り込む麻琴。
ようやくここまでこぎ着けた安堵感に、自然と微笑みが浮かぶ。


「…よかった、無事に帰って来れて…」

「全くですよー、本当」


軽口を叩きながら、麻琴はさっそくなつみの首に取り付けられた拘束具に手をかける。
時間があるわけではない、一刻も早くなつみを解放しなければ。
手に入れた情報に書いてあった通りに、拘束具に付いているボタンを操作していく麻琴。
外れてくれと祈りながら、必死に麻琴はそれを操作して。

数十秒後、パチンという音と共になつみの首に取り付けられた拘束具が外れた。
これでなつみは自由の身となった、これで三人揃ってダークネスから脱出することが出来る。
麻琴の微笑みに微笑みを返しながら、なつみは数年ぶりに自らの力を解放して―――その場に膝を付いた。


「安倍さん!!!」

「…裕ちゃん…」








膝を付き、右肩をきつく掴むなつみ。
何の能力も持たない麻琴にすら分かる、右肩から溢れている邪悪な気配。

言葉を失う麻琴に、なつみは弱々しく微笑みながら告げた。
拘束具が外されてしまうようなことがあった時のために、中澤裕子がなつみへと施した“呪い”が発動したのだと。

一瞬で、麻琴も…なつみも絶望の淵へと立たされた。
力を使おうとすれば呪いが発動し、なつみの体を苛む激しい苦痛となる。
こんな状態では、三人揃って脱出するなんて不可能。
仮に出来たとしても、この状態のなつみでは里沙や麻琴を守りながらリゾナンター達の元へと辿り着く前に追っ手に倒されるに違いない。

そして、里沙と麻琴だけ脱出させたとしても。
麻琴は何の能力も持たない人間、里沙にしても強い能力を持たない能力者。
並程度の能力者なら何とか逃げ延びることは出来るかもしれないが、おそらく、
二人じゃどうやっても倒せないレベルの能力者を追っ手として放つだろう。

里沙にはある秘密があり、その秘密ゆえに利用価値があるのだと言ったなつみ。
里沙を取り返すためなら幹部クラスを数人動かすくらいのことはしかねない、
そうなってしまっては…何のために脱出したのかということになる。

現金を手に取って出てきたときの妙な高揚感は消え。
麻琴の心を支配するのは絶望だった。


「…麻琴、よく聞いて」

「…何ですか…」


肩を押さえながら、真剣な瞳で麻琴を見つめてくるなつみ。
その目に嫌な予感がして、麻琴は思わず拳を握りこんだ。
数瞬の間をおいて、なつみの口から零れた言葉。







「この状態じゃ、一人しか脱出させることが出来ない。
だから、麻琴…麻琴だけ、ここから逃がす」

「そんな!」

「あたしは見ての通りだし、多分彼女達のところに辿り着く前に倒されちゃう。
それじゃ駄目なの、彼女達に伝えられなければ何の意味もない。
麻琴しかいないの、麻琴は自分のこと何の能力も持ってないって思ってるかもしれないけれど。
麻琴一人なら、きっと、彼女達の元へ辿り着ける」

「でも、安倍さんと里沙ちゃんを残していくなんて…」


言葉を失う麻琴に、なつみは鋭い声で告げる。
このままでは、麻琴にわざわざ危険を冒させた意味がなくなるということ。
呪いをかけられていなかったならともかく、今の状態で麻琴と共に脱出したとしてもただの足手まといにしかならないこと。
仮に里沙だけを逃がしたところでリゾナンターの元に辿り着く前に連れ戻されるだろうし、辿り着いたとしても
今の彼女達では里沙を守りきることは無理であること。
だが、麻琴一人だけであれば…ダークネスは追っ手を放つことはおそらくないということを。

ドアを激しく叩く音がする。
一瞬とはいえ、大きなエネルギー反応が放たれたのだ。
今頃、下級兵達は幹部クラスの人間に報告を上げているに違いない。
そうなったら、何もかもが意味のないことになる。

涙を流す麻琴に、なつみは微笑みかけて。
麻琴の頭に手を置き、苦痛に顔を顰めながら能力を解き放つ。
麻琴の脳に直接、なつみの意思が流れ込んできた。

ある場所の映像、そしてそこにいる人物達。
それとは別に、またある場所の映像が流れ込んできた。








「…彼女達と共にそこへ行って。
麻琴、後は頼んだよ」

「…は、い…」


麻琴の体をゆっくりと包み込んでいく銀色の光。
苦痛に身を苛まれながら、微笑むなつみの顔を目にしっかりと焼き付けて。


―――ドアが破られたのと同時に、麻琴はダークネスから転送された。




















最終更新:2012年11月25日 17:08