(14)876 『青空はこの胸の中に』



「――ねえ愛佳」

自分を呼ぶ声に、私はノートから目を上げて振り返った。

「何ですかー?新垣さん」

先ほどまでカウンターでカフェオレを飲みながら高橋さんと話をしていた新垣さんが、体ごとこちらに向き直っているのが目に入る。

高橋さんの姿はカウンターの中にはない。
どうやら(少しの間だろうけれど)席を外したらしい。
閉店後の喫茶「リゾナント」の店内には、だから今は私たち2人の姿しかない。

のんびりと振り返った私だったが、新垣さんの表情が妙に真剣だったので急いで体ごと正面を向き居住まいを正す。

「あ、いや、そんなあらたまった話とかじゃ全然ないんだけどさ」

私の様子を見て、慌てたように手を振りながら新垣さんは苦笑した。


「愛佳はさ、“未来”を変えることができるじゃない?」

また少し真剣な表情に戻ると、新垣さんはそう言う。



プリコグニション――未来予知のチカラ。

生まれたときから私に備わっていた異端のチカラ。
長い間、私を苦しめ苛んできた忌まわしいチカラ。

だけど・・・誰かを救い、自分を変えてゆくこともできるチカラ。
今は、私が私であることの証だと思えるようになったチカラ。


「・・・はい、まあ。でも、変えるって言ってもそれはあくまで自分が予知した“未来”であって、厳密には実際の未来を変えてるわけやないと私は思ってますけど」

新垣さんの話の意図が分からないままに、私はそう答えた。

―“未来”は自分で変えられる。
―でも未来は一つ。

私はそう思っている。
自分の予知する“未来”はいわば未確定の“可能性”であると。
だからこそ、努力次第で変えることもできる。

だけど・・・本当の未来はただ一つ。
実際に訪れる未来は確定しているのだと思う。
・・・正確に表現すると、「確定した現在の積み重ねが唯一の未来になる」のだと。

「未来は確定しているのだから努力しても無駄」なのではない。
努力した結果、確定するものこそが本当の未来なのだと私は思う。
そう思えるようになった。


「うん、愛佳の考えは分かってる。・・・っていうかさ、ほんとそこまで真剣な話じゃなくて単なる雑談と思って聞いて欲しいんだけど」

そやったらそんな思いつめたような顔して話さんといてくださいよ・・・と心の中で呟きながら、私は黙って新垣さんの話の続きを待った。


「過去を変えたい・・・って思ったことはない?」
「過去・・・ですか・・・?」

思いもよらなかった質問に、私は少し戸惑って言葉に詰まった。

過去・・・私が今まで歩んできた人生(みち)・・・正直言って、いい思い出は少ない。
幼い頃から両親に恐れられ、学校では陰湿なイジメを受け、どこにいても何をしていても孤独だった。
死にたいと思ったことも一度や二度ではなかった。

でも・・・

「今ここにこうして居られる私は過去の自分があってこその私やと思いますし、過去を変えたいとは・・・というより変えるべきではない気がします。何より自分が今生きているのは、確定した未来の積み重ねの上なわけですし」

キッパリとそう言い切った自分に自分でも驚いたが、新垣さんはもっと驚いた顔をしていた。

「愛佳・・・あんたほんと強くなった・・・ううん、強いね」

暫時の沈黙の後、新垣さんはそう言いながらどこか複雑な表情で微笑んだ。


「ほんまやのー」
「うおぉっ!びーっくりした!いつからいたの!?愛ちゃん」

そのとき、いつの間にかカウンターの中に戻っていた高橋さんにいきなり話に入ってこられ、新垣さんは椅子から転げ落ちそうになりながら目を見開いた。


「地球ってさあ、長い長い歴史があるわけやん?あーしらが生まれてくるずっと前から」

だが、高橋さんは新垣さんの質問には答えず、唐突に地球の歴史について語りだした。

「そりゃそうだろうけどそれがどうしたの?」

また始まったよという顔を一瞬こちらに向けた後、やれやれといったように新垣さんは高橋さんの方に向き直る。

「ほんであーしらが死んだ後もずっとずっと続いていくわけやん?」
「うん、そうだろうね」

いつものように、投げやりながらも温かい相槌を打つ新垣さん。

「ほやけど、あーしらの短い一生も地球の歴史の一部なんは確かや思うんよ」
「あーまあ確かにね」
「ほやからそれでええ思うんよあーしは」
「・・・うん、全然意味分かんないから。何がそれでいいわけ?完全に話変わっちゃってるから」
「あっひゃ~!」
「笑うとこじゃないでしょうが!」


再び戻ってきた2人のやり取りをお腹を抱えて聞きながら、何故か私はこの前高橋さんが言っていた言葉をふと思い出していた。

「こんな青空がいつまでも続くような未来やとええね」

窓から覗く、雲ひとつなく晴れ渡った空を見ながら、高橋さんが涼やかな笑顔で言っていたその言葉を。
今高橋さんが唐突に始めた話は、その言葉に繋がるような気がして。



だけど・・・同時にどこかその青空を覆う灰色の雲のような、モヤモヤとした引っ掛かりを私は心の片隅に感じていた。
その正体が何なのかは自分でも分からない。


ただ―――

何故かそれは新垣さんのさっきの表情に起因しているように思えた。
新垣さんには・・・・・・どうしても変えたい過去があるのだろうか。


私には過去は変えられない。
新垣さんの過去に何があったのかを知ることもできない。

でも、やがて訪れるただ一つの未来の中の新垣さんに笑顔を浮かべていてほしいと、心から願うことはできる。
そして、その未来を掴むために私ができることだってあるはず。

高橋さんの、新垣さんの、みんなの・・・そしてこの地球の未来が、どこまでも蒼く晴れ渡った空の下にあるよう、私は私にできることをすればいいと思う。
微々たる力かもしれないけれど、それでも地球の一部であるのは確かなのだから。
何より私は一人ではないのだから。


「あ、ごめんね愛佳、勉強の邪魔して・・・」

そう手を合わせる新垣さんに「いえいえー」と微笑み返し、私は再びペンを持ち直してノートに向かう。


一瞬、そこに抜けるような青空が広がったような気がした。




















最終更新:2012年11月25日 17:02