(14)859 『共鳴者~Darker than Darkness~ -11-』



高橋愛は寺田光男の執務室にいた。
国防の施設らしく、部屋には一切の窓がない。
部屋の最奥、執務机の向かいでは、寺田が自失した表情で革張りの椅子に身を預けている。
新垣により思考能力を奪われたその残骸だった。
彼にはまだ用途がある。命まで奪うのはその後だ。
部屋の外、廊下の方からは断続的に銃声が木霊してくる。
まだわずかに残る職員が空しい抵抗をしているのだろう。

外部への連絡手段は高橋の能力ですべて絶ってある。
一部の無線が一時的に外部へこの建物内の異常を伝えはしたが、
そこで出された警告も警告を出した職員自らにより撤回させてある。
誤差の範囲内の些細なアクシデントに過ぎない。警戒する必要はないだろう。

すでに施設の制圧は九割以上完遂していた。
新垣の兵隊と高橋の能力で"子供達(キッズ)"の残党はすべて処理した。
残る職員もまだ役立てられるものは身柄を確保し、他はやはり処理済だ。
千人もの人間を制御下に置ける新垣里沙の異能は、ここへ来て十全にその役割を遂行してくれている。
直に制圧も終わるだろう。
新垣の兵隊はヤクザ者やホームレス等、
失踪しても世間が騒ぎ立てない人種を間引いて構成されている。
頃合を見て兵の数は減らし、新垣には寺田を手始めに主要省庁の事務次官クラス、
果ては政治家という流動的な性質のため共鳴者や"闇"について知らされていない
内閣の要人洗脳にも回ってもらうつもりだ。


「あと、少しやよ。マコト」

呟いて、高橋は次に打つ手を思案する。
部屋には三人、高橋の演算処理用に新垣の兵が残されていた。
その脳髄にアクセスし、思考のプロセスを組み立てていく。
あと必要な駒は、残りひとつ。
その獲得に必要な膳立ても、徐々に整いつつあった。

  *  *

田中れいなは考えていた。
後藤真希から聞かされた事実。
そのどれもが驚愕に値するもので、仲間には軽いパニックに陥る者も出た。
自身の寿命が常人より遥かに短いという事実。
"五番目(フィフス)"の面々の寿命は、それより更に短いという事実。
症状の進行を遅らせる薬物も存在するという話だが、それは気休めにしかならなかった。
しかし今、田中の脳裏を占めるのはそれらとはもっと別の事案だった。
小川麻琴。
田中自身も面識がある。
存命当時はとても良くしてくれた先輩だ。
そもそも彼女が死亡していたこと自体、田中たちには秘匿されていた。
彼女は似ていた。
田中れいなと小川麻琴は、その内に抱く理想があまりに似通り過ぎていた。



正義の味方。
悪しきを挫き弱きを助ける英雄。
そんな存在に、自分も彼女も憧れていた。

分不相応な願いだとは理解している。
そもそもが自分には、――そしておそらくは彼女にも――絶対的に力が足りなかった。
自身の身を守るのが精一杯のこの拳で、一体何人の人々を救えるというのか。
どこか"五番目"計画に期待を寄せていたという彼女の心理も、田中にならば容易に想像ができた。
力が欲しかった。
それは田中にとって、養護施設にいた頃からの願いだ。
孤児という身分は、それだけで周囲から孤立するのに十分な理由だった。
田中自身イジメにはよく遭ったし、同じ施設の仲間が同様の目に遭っているのも知っていた。
かつて一人、それを苦にして自らの命を絶った仲間がいた。
その亡骸の前で彼女は願った。

正義の味方がいたならと。
正義の味方になれたらと。

挫けなかった悪がある。
救えなかった命がある。
だからせめてこの先は、ひとつでも多くの悪を、ひとりでも多くの弱者を、
微々たるものでも異能を授かったこの身が倒せないなんて、救えないなんて、そんなのは嘘だ。
だから力が欲しかった。
より多くを救う絶壁の力が。
今、この瞬間にも、"五番目"のような計画があれば田中は飛びつくだろう。
彼女にとっては、それだけ切実な願いだった。

疑問なのは高橋愛の行動だった。
彼女も小川麻琴の願いは了解していた筈だ。
それが何故、闇にその身を染める必要があったのか。
彼女は自分達"リゾナンター"を守ると言った。
その為に、必要なことだったのだろうか。


田中れいなは考える。
わからない。
すべてを知っても、彼女には理解し難いことばかりだった。

  *  *

"黎明"後方支援部、省内本部司令室。
公式の書類上「存在しない」筈のその部屋で、
准尉は俄かに割り切れない思いを抱え歯噛みしていた。
数刻前、本省の敷地内に侵入者の警告があった。
だがその数秒後、警告は解除された。
先の警告は誤報だったと、無線越しの職員が淡々と告げてきたのだ。
淡々と。あまりにも淡々とだ。
何かがおかしい。
どこかが狂っている。
同じような違和感を抱く者は他の職員にも在っただろうが、
おそらく彼らのそれはささやかな違和感のままで終わる。
だがこの准尉は違った。
"異界"発生時の現場保全を担う彼らだけが知らされている、現存の科学では割り切れない不条理。
その存在が、彼の抱く違和感を疑念へと変質させていた。


もし仮に。
侵入者が実在したのだとしたら。
そして侵入者が、例の反政府組織の人員だとしたら。
そう仮定するのなら、直に後方支援部へは正式な通達が来る筈だ。
有事の際に、「動くな」という通達が。
馬鹿げた疑念なのかもしれない。
それならその方が良い。
しかし、先手は打っておくべきだろう。
なぜならば――。

准尉は建物の外へと出た。
正式な手続を踏んでゲートを出て、夜の繁華街へと赴く。
尾行がないと確信できたところで、個人的な携帯電話を取り出した。
繋いだ先は寮住まいの部下の一人だ。

――なぜならば、仮に彼の疑念が真実の核心をついているのだとすれば、
   "彼女達"には危機が迫っているからだ。




















最終更新:2012年11月25日 17:00