(14)543 『魔法なんていらない -3-』



里沙は思い出す
この施設に入って初めて愛に会った時のことを
―こんなに綺麗な子っているんだ

初めて言葉を交わした時のことを
―えーっ、随分イメージが違うなあ

愛の踊りに目を奪われた時のことを
―凄いな、こんなの私には無理

愛に誘われて踊った時のことを
―ちょっと恥ずかしいなあ、でも私を選んでくれて嬉しい

「やります、精神潜航を」
「絶対ダメ」
「でも、行きます」

「ダメ、行かせることは出来ない」
「それでも行きたいんです」
「ダメだよ、もうあたしとも話せなくなるかもしれないんだよ
それでも里沙ちゃんは行くの」

「は、はい」
自分を気遣ってくれるなつみの心は嬉しい、とても嬉しい、でも
「行きます、何があっても後悔しません
本当は今も安倍さんの仰ることに、逆らってることはひどく悲しいし、後悔してます
でも、今愛ちゃんのために何もしないことのほうが、絶対後悔すると思うんです」

「そっかあ、私がこれだけ行くなといっても行くんだね、里沙ちゃんは」


「何でなの、なぜそこまでするの」
「わかりません、言葉には出来ません、けど、けど…」
言葉を詰まらせる里沙

「実はね、私は”力”を持ってると言われてるけど、自分ではあんまりそんな自覚は無いんだ
ただね、心の中で思えば、こうなればいいって願えばそうなるもんだと
他の誰でもそうなんだって思ってた、夢は願えば叶うもんだって」

安倍の口から飛び出す思わぬ言葉に瞳を凝らす里沙
「でね、今私はこれまでに無いぐらい強く思ったわけさ
里沙ちゃん、行っちゃダメだって
お願いだから行かないでって」

「安倍さん」
「でも行くんだよね、里沙ちゃんは
なっちの”力”は初めて破られたかもしれない
強くなったね、里沙ちゃん」

「……」

「優しくなったね、里沙ちゃん」

「いいえ」
――私は強くも優しくもありません、ただ、前にあなたが私にしてくれたように…

「なっちは寂しいよ、あんなに可愛かった里沙ちゃんが、こんなに、こんなに
でも嬉しいんだ、何かうまく言えないけどさ」

「…はい」


「いいよ、お行き
この子のことを助けてあげられる人間がいるとしたら、里沙ちゃんしかいないよ
行ってこの子の魂を闇の中から引き摺り出しておやりよ
私は誰の邪魔も入らないように、この場を守っていてあげる
それぐらいしか出来ないみたいだね」

「安倍さん」里沙は泣きながら抱きつこうとするが、安倍なつみはそれを制した

「早く行きな
1分でも、1秒でも早い方がいい
でね、約束しようよ
2人して戻ったら、この子のことをちゃんと私に紹介するって」

「はい、必ず」


ベッドに横たわる愛の傍らに、椅子を持ってきて腰を下ろす里沙
愛の手を握り締め、精神を集中する
愛の息遣い、鼓動と自らのそれを合わせ、同調させてゆく
今自分の傍にいる愛と自分の脳裏の中の愛を並立してイメージする
やがて里沙の精神の中で、2つのイメージが交差し、立体的な愛のイメージが構築される
精神の触手を愛のイメージにに伸ばし、絡みつかせる
そして触手を手繰り寄せるようにして、自分の精神を愛に忍び込ませた
―里沙の精神は、愛の闇に侵食された精神の中に侵入するのに成功した

そこは月はおろか星一つさえ見当たらない真っ暗な海
波が無いのが却って不気味だ

―これが愛ちゃんの精神の中?
外界と遮断された空間に居る不安を押し殺しながら、五感を駆使して周囲の状況を探ろうとする
思念を送ってみるが、何も反応は無い
数分か、数時間か、暗黒で静寂な海を漂っていた里沙は、意を決して海中に潜る
愛の精神の深層へ

呼吸の心配が無いのをいいことに、どんどん深く潜っていく
――これは安倍さんの言ってた通り、取り込まれて帰れなくなるかもしれない
そんな思いを抱きながら、躊躇うことなく愛の精神の海のより深みを目指す里沙

急に奔流に巻き込まれた
何とか脱出しようとするが、全く叶わない
里沙は抵抗をやめて、流れに身を委ねる
見当もつかないぐらい流され、感覚を揺り動かされた後、どこかに抜け出たような気がした
この精神世界に来てから初めて、何かが見え、何かが聴こえた
そこは――


里沙はベッドに拘束されていた
目の前には、安倍なつみが眠らせた筈の研究員がいた
研究員は食事をスプーンですくって里沙の口に運ぶ
飲み下すことを拒否すると、冷え切ったスープが口元を、身体を汚す
研究員は舌打ちすると、里沙の頬を平手で叩き、点滴液を持ってきて、点滴の針を乱暴に腕に突き刺す
――これは…

暗転の後
里沙はあの娯楽室にいた
目の前には愛が倒した意地の悪い少年がいた
邪悪な笑みを浮かべた少年の身体に穴が開いた
その穴からは少年の背後にいる子供達の表情が見えた
最初は呆気に取られたようだったが、やがて恐怖に彩られていく
何十もの恐怖の声、化け物という声が里沙の脳裏を満たす
やがて誰かが駆け寄ってきて、手を握り話しかけてくる
「大丈夫、愛ちゃん」
この声は私の声
私、ひょっとして愛ちゃんの記憶を遡ってるの
それにしても、ここはなんでこんなに寒くて、暗くて、哀しいの

少し暖かく、明るくなった
楽しい気分になる
目の前には麻琴がいる
里沙の、いや愛のダンスパートナーを務めている
――麻琴ったら、鼻息が荒いよ
今度は紺野あさ美と踊っている
あさ美は緊張しながらも懸命に踊っていたが、やがて足がもつれ出す



麻琴、あさ美と踊ったら、次は
目の前に里沙自身がいた
愛の記憶を通して見える自分の姿は、必要以上にカッコよく見えた
それと――私って愛ちゃんと踊ってた時こんなに嬉しそうに笑ってたんだ
愛の意識を借りて、自分自身と踊る里沙
優しい旋律が流れ、暖かで明るい感覚が満たす
この時間がずーっと続けばいいのに
そう思っていたら、周囲の光景がぼやけた

目の前に男がいる
男は愛の首を大きな手で絞めている

「悪く思うなよ
お前を殺れば、俺の死刑は執行停止になり、仮釈放されるんだ
せめて、楽に死なせてやるからな」
そう言う男の表情は暗い愉悦で満ち満ちている
恐怖する愛、救いの声すら上げられない
苦悶しながら、何かが弾ける感覚がした
男の身体から力が抜け、目から生命の輝きが失われていた
――愛ちゃん、あの力を使ったんだね
それにしても、何てひどいことを

駆け寄ってくる研究員
愛は手術台に運ばれ、血液を採取され、関節や骨髄にも針を注され、体液を採取される
頭には測定用のセンサーが取り付けられ、何十時間も眠らされずに、検査が続く
――ひどい、一体何の権利があって、この人たちはこんなことをするの
絶望と哀しみに満ちた記憶を抜けると、また少し嬉しげな旋律が聞こえる


実験室に犬の入ったケージが持ち込まれた
犬種は獰猛なドーベルマン
珍しげに覗きこむ愛を唸り声で威嚇するが、愛は怖がらない
自分の食事を分けて友達になろうとする
最初は吠え掛かるばかりの犬だったが、直向な愛に心を開いたか、ケージ越しに頭を撫でるのを許すまでになる

研究員が犬に何か注射をしている
10日後、狂犬病を発症した犬がケージから放された
愛は必死に宥めようとするが、犬はもう愛のことがわからなくなっていた
襲い掛かる犬
悲鳴を上げる愛
光が放たれた
犬が実験室に横たわっている
実験の成功に興奮した研究員は、犬の死骸を解剖する
愛も採血され、検査機材を取り付けられ…

――愛ちゃんは十数年しか生きてないのに
もう何回その身体に注射器の針を突立てられ、身体の組織を採取されたのだろう
100回?、1000回?
愛の記憶を遡っている里沙の意識は麻痺しかかっていた
一人の少女に容赦ない仕打ちをする人間の悪意に対して
里沙が追体験している愛の意識は哀しみで満たされている
それでも愛は自分の感覚が捉える、仄かな日差し、遥か遠くに見える雲の形、僅かな音
些細な変化に意識を向けて、物語をつくり、おとぎの国に逃げ込もうとするが
踏みにじられ、破壊される
研究員によって
――もう、いいから、もうわかったから、お願いだから、もうやめてあげて
絶叫した里沙は愛の記憶の海から投げ出された――

漆黒の闇の中、城が建っていた




















最終更新:2012年11月25日 16:48