(14)311 『魔法なんていらない -1-』



何度も続いたカーテンコールもようやく終わり、リゾナンターのリーダー高橋愛と新垣里沙は
名残惜しげに舞台を振り返りながら、劇場を後にした
里沙は愛にせがまれて初めての観劇だったが、愛はこれまでに三回は見に来ていたらしい
最初は小春が芸能界の伝手で入手した招待券を無償で譲ってもらっての観劇だったが、あと
の2回に加え、今日の里沙の分も加えて合計4枚以上のチケットの代金は愛にとって馬鹿に
ならないものだと思う。
里沙は自分の分の代金は払うと言ったのだが、愛は
「いいよお、あたしが無理に頼むんやから、里沙ちゃんは身体だけ持ってきてくれたら」と取り合わない
しょうがないから、観劇が終わってからの食事代は自分が払おうと決めて、今日の観劇となった

最初は童話だと馬鹿にしていたが、進行していくうちにどんどん舞台に引き込まれていった
劇の展開は平坦だと思うが、主演者の演技、歌、踊りの迫力に時間を忘れた
もっとも里沙にとっては、舞台の上以上に自分の隣の席で身を乗り出さんばかりに、劇に見入っ
ている愛を見ているほうが、楽しかったが

子供のように目を光らせて、歌声に酔いしれて
そんな愛を見ていると、もし彼女が超能力を持たずに生まれて、普通の家で育っていたら、きっと
舞台女優を目指したのだろうなと、里沙は思う

劇場の熱気が伝染ってしまったのか、少しお酒でも飲んでいこうという話になった
喫茶リゾナントに居る時、リゾナンターとして行動する時、里沙や愛がアルコールを摂取することは
まずない
メンバーに小春や愛佳を初め未成年者がいることもあるが、それ以上にいつリゾナンターとして出撃
して戦うかわからない事情が、二人に自分を律することをさせてたのだろう
それが今夜こうしてショットバーに入るというのは、やはり楽しさに酔ったのだろう
愛も里沙も


お酒を飲むといっても、ほとんど飲んだことの無い二人には、軽いカクテル1,2杯が限界だった
その程度の量でも愛は顔を真っ赤にして、先ほど見たばかりの舞台について熱く語り出す
いつもの訛り言葉で

これさえなければいい女なんだけどね―と可笑しく思いながら里沙はひやひやしていた
酔いに任せていつかのように、ミュージカルの再演をやり出さないかと思ったからだ

「ガキさんが王子さまやよ」
どんなに恥ずかしくても、あの愛らしい表情と声で訴えかけられたら、自分はダンスのパートナー
を務めるだろう
ただ流石に場所をわきまえたのか、今日は口を動かす方に専念するつもりらしい
それはそれで恥ずかしかったが

「なあガキさん知っとーか
シンデレラちゅうたら、ほんまもんの原作は結構エグイ話らしいよ
意地悪なお義姉二人は、ガラスの靴が入るように自分の足をのう」…とか
「シンデレラがガラスの靴を落としたんは、やっぱりわざとやないかねえ」とか
どこからそんな情報や発想が湧いてくるか、里沙は知っている
愛は意外と読書家だ
その守備範囲も広く、恋愛マンガや児童虐待を扱ったノンフィクション
ついこの前は「本当は残酷な○○童話」という本が、リゾナントのカウンターの内側に置いてあった
のを見た

この人も大人の女なんだなあ
着てるものは地味だが、内面から立ち昇る空気は、街を歩いている女性達では及ばない気品を
備えている
そんなものが養われるような環境には身を置いたことは殆どないというのにだ


幸せを掴んだお姫様に負けないぐらいの気品を湛えた女性は、少々夢の無いことを口にし出した

「もし魔法が無ければ、シンデレラと王子様は巡り合わんかったんかなあ」
「お城の舞踏会には出れなかったわけだけど」

「やっぱり魔法のお陰かのう」
「でも最後は見つけ出したじゃん」

「けど、ガラスの靴が合わんかったら、どうなんたんやろうな
足がむくんだりとか」
「何、馬鹿なことを言ってるの」

こんな他愛も無いことを言い合って笑える日が来るとは思ってもいなかった
あの日、あの時、あの場所では




――愛が施設の娯楽室で、自分を罵倒し攻撃した少年の身体に、光の矢で穴を穿った翌日
施設に入所している”力”を持った子供達は、施設の責任者から説明を受けた

一、少年は負傷したものの、一命を取り止め病院に入院中であること
一、高橋愛は現在も興奮中で、落ち着きを取り戻すまで、別室で安静に暮らすこと
一、君達は今までどおり、既定のカリキュラムを消化すること
一、愛が合流してきたら、優しく受け容れるようにということ

その説明を受けているとき、仲間の麻琴は嬉しそうだったが、あさ美は何か侮蔑したような笑みを
浮かべていた
里沙と目が合うと、取り繕ったように、殊勝げな表情を作ったが

自由時間になって、里沙はあさ美と話をする為に、彼女のたまり場、図書コーナーに出向いた
「あさ美ちゃん、さっきのは一体」
「何で、馬鹿にしたような顔をしてたかって?
里沙ちゃん、それを聞いてどうするつもり」

「どうするって、あれは事故だったって
あの男の子も無事だって、先生達が」
「はっ、自分でも信じてないくせに
確かに心臓に刃物や、鉄の棒が貫通したって、生存した例は幾つでもあるよ
でも昨日のあれはそんなもんじゃない
胸に拳大の穴が開いて、内部の組織が完全に欠落していた
あいつは、もうこの世にいないよ」

「でもそれも目の錯覚…」
「里沙ちゃんの気持ちはわかるよ
でも私があの時、あいつの足の指に触れたのは見てたよね
あの時、わたしは治癒の波動を送った
別にあいつを助けるというよりも、愛ちゃんの為に
あと、あの”力”がどういう現象なのか知りたいという好奇心」


「あさ美ちゃん」
そう里沙たちの仲間、紺野あさ美は天才的な治癒能力者(ヒーラー)だった

「でも何の反応も無かった…
私は先生たちがそういう風に事実を歪めて言うことを否定はしない
その方が、愛ちゃんが戻ってきやすいからね
ただ、私自身は真実に触れていたい、そういうことかな」
常のあさ美からは考えられないくらい、しっかり口調で話し終えると、年下のこども達の玩具にされている
麻琴に笑いかけた

「愛ちゃん、戻ってこれるよね」
「それは、わからない
ただここの施設、というよりも組織としては愛ちゃんを、処分したり、警察に引き渡したりとかするつもりは
無いんじゃないのかな」

「愛ちゃんは今もこの施設に」
「居るんじゃないかな
研究室の近くなんか怪しいと思うけどね」

聡明なあさ美と話すことで、不安が減るのではと期待したが、却って増すばかりだった

その夜、どうしても愛のことを確かめたくなった里沙は、自室を抜け出した
部屋には外部から施錠されていたが、両親の元を逃げ出してから、社会の底辺を彷徨っていた里沙にとって、
そんな鍵を解除する事はたやすい事だった
――こんな所で、役に立つとは
自嘲しながらあさ美の言っていた研究室付近を捜してみることにする


研究室には里沙も何度か行ったことがある
頭に脳波の測定装置を付けて、”力”を使わせられたり、血液を採取されたり
決して痛いとか辛いとかは感じなかったが、研究員の目が冷たいように感じた
この組織の人間は総じてそうだが、それでも毎日顔を合わせ言葉を交わしていれば、親しみが湧いてくるのが
普通だと里沙は思う
でも研究室の人間だけはそういうところがなかった

人の出入りを考えれば、愛がずっと研究室に留め置かれる事は無いと思う
だとしたら、あさ美の言った周辺の部屋が怪しいのか
研究室から間に一つ部屋を隔てた場所にある小さな部屋
その部屋のドアの前に立った時、里沙は胸騒ぎがした
部屋の番号の下に何かのプレートが掲示してあるのが目に付いた
消灯され、非常灯の薄暗い光を頼りにプレートを見た
そこにはこう書いてあった
”i914”

ここだ、という気がした
確証は無いし、推定する材料すら無いが
何か心が呼ばれている気がした
ドアを開けようとしたが、ロックされていた
手製のツールで解除しようとしたが、通用しない
自室の部屋のセキュリティと比べても、数段厳しいその部屋の様子に触れて、里沙はますます
この部屋の中に、愛がいるという思いが募った
何とかしてこの部屋に入りたい
入れないなら内部の様子を見てみたい
自分が透視能力を持っていたら、何の問題もなくその思いは現実のものとなるはずなのに
里沙は研究室を訪れた際の記憶を辿り、解決策を練った


やがて出た結論
確か研究室からは隣の部屋がガラス越しに見えた
その隣の部屋からも今i914と掲示されている部屋が覗けたような、小さなガラス窓があったような気がする
自分の記憶に間違いが無ければだが

i914と掲示された隣の部屋のドアのロックの解除を試みた
……驚くほどあっけなく開いてしまった
高鳴る胸を抑えて入室する
的中だ
大人の背の高さほどの壁の部分、1メートル四方程がガラス仕様になっている
踏み台になる椅子を持ってきて、その上に乗る

…見えた
愛の姿が
ベッドの上に居た
両手をベッドの上枠に拘束されている
生気のない目
あの長かった髪の毛は短くカットされ、何かの計測用なのかコードが取り付けられている
監視用なのかカメラがベッドの傍にセットされている
あるいはガラス越しに自分の姿が捉えられている危険性も忘れて、里沙は愛の名を呼んだ
聴こえないはずがない
今里沙の居る部屋からは、愛の居る部屋に設置されている計器の作動音が聴こえるからだ
構わずガラスを叩いた
愛の顔がこっちに向いた気がする
でもすぐに横を向いてしまう


「愛ちゃん!!」

里沙は絶叫しながら、ガラスを椅子で叩いた、それを破壊し愛の居る部屋に押し入る為に
強化ガラスに虚しく阻まれている内に、警報が鳴り響き、職員が駆けつけてきた
里沙はガラス窓から引き離された
そんな騒ぎが耳に入っているのか、いないのか
愛は生気の無い目で虚空を睨むばかりだった

「愛ちゃーん」

里沙は自室ではなく、懲罰房に連れて行かれた

「この部屋の壁からはお前達、能力者の”力”を妨害する波長が出ている
何をしても無駄だし、”力”によって外部と連絡をとることも出来ない
詳しくは明日本部から来る調査官によって、事情を聴取することになる
今夜はおとなしくしていろ」

ベッドも毛布すらない懲罰房の硬質の床に腰を下ろしながら、里沙はさっき見た愛の様子を
思い出す
あれは、あんな愛ちゃんは普通じゃない
とんでもないことが彼女の身の上に起こっている事は事実
里沙は最後の手段を使うことにした



――「本当はいけない事なんだけどね、えこひいきだとか思われちゃうし
でももしあんたが辛かったら、連絡しておいで」

自分のことでは決して使おうとは思わなかった安倍さんへ助けを求めるという手段を



「いいかい、もしなっちに助けを求めたくなったら、里沙ちゃんの腕の手首
そこの通信機から、話しかけてきな
母さん、助けて、って」
「はぁー」

「あ、今なっちのこと馬鹿にしたでしょ
そういう顔してるよ、里沙ちゃんは
ひどいんだ」
「いえいえ、そうじゃなくってですねえ
何というか私の手首に通信機なんか付いてませんし」

「ええ人間って皆付いてるんじゃないの」

今思えば、自分と離れることで不安な表情をしてたであろう里沙を元気付けようとした
冗談だったかもしれない
仮に通信機が有ったって、自分にテレパシーの力が有ったって
この懲罰室の厚い壁を透して、外部と連絡をとることなど出来ないに違いない
でも、でも今はあの人、安倍さんに助けを求めるしか、あたしには何も出来ない
自分のちっぽけさが、自分の弱さが、これほど憎いと思ったことは、里沙には無かった

安倍さん、お願いします
助けてください
私の事じゃありません
私の友だちのことなんです
いえ、本当はまだ友だちにはなってないかもしれません
でもあの子のとこが好きなんです
まだあの子のことは何にも知りません、だからもっと話して、もっといろんなことを知って、そしていつか
自由に街を歩けるようになったら、いろんな場所へ連れて行ってあげたいんです
だから、安倍さん、来てください、来て来て来てください、お願いします、安倍さん
――里沙の哀しい願いが懲罰室に響いた




















最終更新:2012年11月25日 16:38