(14)221 『蒼の共鳴-闇すなわち原初の力-』



号泣する里沙の声が聞こえてくる。
部屋へ通じるドアに背を預ける形で立っている1人の女性の耳も揺らす、悲しすぎる泣き声。
その声の悲痛さに、おそらく今傍にいるであろうなつみも涙を流しているに違いない。

弟子のような存在である里沙の泣き声を聞いても、涙は出てこない。
昔の自分であればひょっとしたら泣いたのかもしれないと、女性はため息をつきながらその声に耳を傾け続ける。
気分はお世辞にもいいとは言えなかった。

里沙が組織支給の携帯電話をぐしゃぐしゃに潰して行方をくらますことがなければ。
今頃里沙はここまでの泣き声をあげることなく、自分もこんな気持ちになることはなかったのにと、女性は苦虫を噛み潰したような表情になる。

脳裏に蘇る、今朝の出来事。


女性の部屋へと駆け込んで来た下級兵が告げたのは、GPSによる位置把握が出来なくなったという報告。
その言葉に、舌打ちをしつつ女性は思考を巡らせる。

GPS機能を搭載し、しかもその機能は電源を切られても有効であるダークネス開発の携帯。
電源を切られてもGPS機能は有効だが、携帯を破壊された場合里沙を探すことはぐっと困難になる。
携帯のGPS以外に里沙の位置を知る方法は、彼女から放たれる能力の気配を感知するか、
後は人海戦術で下級兵を街に放って探すしかなかったから。

里沙の能力は洗脳、発動しない限りは普通の人間とまるで変わらない状態になるので気配察知は使えない。
強制転移させようにもまずは位置を把握出来なければ実行することが出来ない、一旦里沙を捜し出す必要がある。
下級兵を使って捜索することを提案しようとした女性は、彼女を統べる者の声に黙って頷くしかなかった。


「圭織がな、面白い未来を見たんや。
高橋やったかな、あの子の能力である精神感応。
それを応用して新垣を捜し出す未来。
能力を最大限に増幅して、あらゆる心の声を拾い上げるなんて正気の沙汰やない。
見てみたいやん、きっと綺麗な光を放っとるで…」


楽しそうに、それでいて恍惚とも言える表情を浮かべながら。
女性を統べる者―――ダークネスの総統「中澤裕子」は、グラスに継がれた血のような色のワインをぐいっと飲み干す。
その姿に、恭しく一礼して。
女性は組織内部にある監視室へと足を運んだ。

そこで見た映像に、思わずこいつら馬鹿じゃねぇのと女性は唖然とした表情で呟く。
超一級の能力者でもやろうとは思わないであろう愚行、それを彼女達は里沙を捜し出したいという想いだけでやっていたのだった。
何十万もの人が一斉に放つ心の声全てに耳を傾け、その中に必ずあるであろうおかしな一点を見つける。
言葉よりも遙かに大変な行為なのは、精神系能力者である女性には嫌すぎるくらい分かるから。

彼女達が本当に里沙を捜し出すことが出来るのか、見届けてやろう。
一人一人は取るに足らない能力者だが、共鳴という感覚により尋常ではない力を行使することもある彼女達。
普通だったら捜し出すよりも先に潰れる、だが、彼女達は捜し出せるかもしれない。
ボスの言ったとおり、面白いものが見れそうだと小さく苦笑いしながらモニターを見つめ続けた。

あれから十時間が経過し、もうそろそろ彼女達も限界なのは見て取れる。
下級兵の手配をするかとゆっくり立ち上がった女性の目に映ったのは。
念写能力の使い手でもある雷使いの子供が、念写を行い里沙のいる場所を念写している姿だった。

ひょっとしたら、彼女達は。
自分が思っていたよりは強いのかもしれない。
だが、その強さは女性にとってはまだまだ恐るるには足りないレベルであった。

ボスも自分の部屋でこの光景を見ていただろう。
見たいと言っていた光景は終わりを迎えつつある、後はもう、彼女達が里沙を見つけ出してくれるのをここで見ていればいい。
里沙の位置を特定することが出来たら、後は1分程度で強制転移で連れ戻すことが可能だ。

ようやく長い一日が終わるとため息をついた女性の元へ、再び現れた下級兵。
嫌な予感がするなと思いながら用件を聞いたら、案の定、その予感は的中した。


直接連れ戻しに行けという、意味の分からない命令。
わざわざそんなことをしなくてもと、言うだけ言いに行こうとする女性の目の前に現れたのは、白衣姿の女性だった。
女性が組織の中で苦手にしている存在の一人。

巨大超能力者組織ダークネス。
そのダークネスが裏世界に誇る超能力研究機関「Awesome God」を統括する最上位研究者。
日本語に意訳して、「素晴らしき主」と名付けられた研究機関。
それを統括する最上位の位置にいるのが、白衣姿の女性であった。
すなわち、彼女こそが「素晴らしき主」でありまさに「神」と崇められる存在である。

白衣姿の女性は柔和な微笑みを浮かべながら、女性の元へと歩み寄る。


「吉澤さん、中澤さんの命令は絶対ですよ。
彼女がそうしろというのなら、それに黙って従うのが当然のこと」

「そりゃそうだけど、それをする意味が分からねぇし…てか、
いつものように『クローン』に行かせてもいいよな、あいつら消耗してるし、何かあっても普通に連れ戻せるだろ」

「吉澤さん、今はちょっとそれだけのために『クローン』を作る暇がないんです。
リゾナンター達のデータをまとめて、彼女達みたいな能力者を量産できるか実験に入らなきゃいけないんで。
いいじゃないですか、たまには本体自ら出向いて…絶望を与えてあげても」


そう言って楽しそうに微笑む彼女―――紺野あさ美の姿に。
この命令を下したのはボスであっても、そうするように進言したのは彼女なのだと女性―――吉澤ひとみは舌打ちする。
あさ美に直接言われたのなら、里沙の位置を特定した後に強制転移でいいだろと無理矢理突っぱねることが出来た。
権限の差はともかくとして、あさ美よりも自分は先輩だから。

だが、あさ美は自分が突っぱねるであろうことを予測した上でボスに進言した。
何のためにそうする必要があるのか。


その理由や意味が分からない以上は出来るならばやりたくない、それがひとみの本音だった。
あさ美はひとみの困惑した表情を見ながら、婉然な笑みを浮かべる。


「ただ迎えに行くだけじゃありませんよ、吉澤さんのやるべきことは。
リゾナンター達にその圧倒的すぎる力を見せつけ、絶望の淵に叩き込むこと。
全ての誕生は、闇から光への誕生なのであると、かのフリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・シェリングが
『人間的自由の本質』で言及しているこの言葉を解釈すると。
光は闇から誕生するが、闇は光からは誕生できない。
つまり闇とは諸々の清濁すべてを内包する"混沌(カオス)"そのものである。
混沌から万物は生まれ、万物は混沌に内包されている。
つまり闇とは原初。
闇とはすなわち万物すべてをありのままに受け入れるという茫漠にして広大な概念であり、
本来ならば私達の行使する力は闇という名よりも原初の力と名付けられるべき力」

「あのなぁ、紺野。
あたし、お前のそういうところ本当大嫌いなんだよ、いきなり話飛ぶし。
そんな訳の分からん遠回しすぎる言い方しないで、もっと簡潔に言ってくれ、頭痛くなるから」

「吉澤さんはもっと色々学ぶべきですよ、戦闘バカの石川さんに影響されて少し頭悪くなったんじゃないですか?
つまり、私が言いたいのはただ一つ。
光ではけして闇を…原初をかき消すことは出来ない、闇が光を塗りつぶすことはあっても。
それを彼女達に叩き込んであげて欲しい、そういうことです」

「…何故、そうしなくちゃいけないのか、説明できるか?」


ひとみの問いに、あさ美は微笑みながらこう答えた。

―――この世にはどうやっても拭い去ることのできない絶望があると知った人間の表情は美しいでしょう、それだけです、と。


ドアに寄りかかり、今日あった出来事を思い返すひとみの思考を妨げるように。
コツンコツンと、リノリウムの床に響く靴音。
その足音だけで誰がここに現れたのが分かって、ひとみは舌打ちする。


「ひどく泣いているようですね、Ri1020…新垣里沙は。
ふふ、いい声ですね、人の泣き声は綺麗ですけど、彼女の泣き声はなかなかない声です」

「そりゃそうだろ、人の数だけ泣き声はあるんだから。
てか、何の用だ?」


ひとみの声に、ここでは話しにくいから移動しましょうかと微笑みながら、白衣を翻して歩き出すあさ美。
内心面倒くさいことを言われそうだと思いながら、ひとみはその後に付いていく。
何を言われるかは分からないが、少なくともここから立ち去るきっかけをくれたことには感謝せざるをえない。

―――里沙のことが気がかりで、とてもじゃないが自分から立ち去る気にはなかなかなれなかったから。


あさ美に通された部屋には、先客がいた。
またしても自分の苦手な存在である一人、ダークネスの不戦の守護者と呼ばれる予知能力者『飯田圭織』。
圭織がいることを気にする様子もなく、また圭織も自分とあさ美の姿を見ても顔色一つ変えないということは。
あさ美が話そうとしていることに圭織も何らかの関係があるのだろう。

「素晴らしき主」と「不戦の守護者」という組み合わせに、背筋を伝う汗。
彼女達はどちらも戦闘系能力者ではない、だからこんな風に身震いをする理由はどこにもないのに。
何故か震える自分に思わず舌打ちをしたら、二人揃って苦笑いしながら見つめてきた。


「で、何なんだよ、紺野。
こっちは朝から色々あって疲れてるんだから、早く用件言ってくれ」


「せっかちですねぇ、吉澤さんは。
まぁいいでしょう、こちらも早く研究に戻りたいので手短に言います。
そう遠くないうちに安倍さんが行動を起こしますから、
吉澤さんは見ない振りをして、中澤さんには報告を上げないでほしんです」

「…どういうことだ?」

「あー、吉澤。
その件はカオから説明させてもらうわ。
カオ視たのよ、なっちが麻琴に指示を与えてリゾナンター達に有益な情報を与える未来を。
どうしようかなぁとも思ったんだけど、紺野がそのままの未来に進むようにして欲しいっていうから。
そのままの未来に進ませるためには、一番に様子の変化に気付くだろう吉澤に何も知らない振りをしてもらうのが
一番手っ取り早いかなぁって思ってね」

「何のためにそうするんだ、紺野…そして、何でそれに飯田さんは協力するんだ…」


ひとみの問いかけに、二人は場違いなくらい穏やかな微笑みを浮かべて。
二人の声が輪唱のように重なり響く。

―――全ては、想い描く未来のために。

その言葉は寒気がするくらいはっきりと、ひとみの鼓膜から脳に侵入して体を震わせる。
何を彼女達が考えてるか想像はつかない、だが、少なくともこの震えは恐怖によるものではなかった。

ひとみの中にある闇が告げている、これは楽しいことになりそうだと。
どんな未来が訪れようとしているのかは分からないが、おそらく自分の勘が当たっているならば。
彼女達に協力することによって、血湧き肉躍るような戦いに身を投じることが出来るであろう。

この身に宿した、強大すぎる闇…あさ美流に言えば原初の力。
それを全力で行使し戦い、勝つことによって己の存在証明としたい。
そう、あの日闇に身を委ねたその時から己の中に湧き上がった強い衝動。


その衝動に何もかも一切を忘れ、身を委ねたくなる。
先程まで里沙を気にかけていたことは、もう既にひとみの脳から消えていた。
ひとみは身を翻し、ダークネス施設内部にある戦闘訓練ルームへと向かう。
おそらく、この時間であればR…石川梨華や、ミティ…藤本美貴がいるに違いない。

この衝動を解き放ち、限りなく全力に近い戦闘が出来る。
今はそれで我慢するしかなかった。
強い衝動に身を委ねたくなりつつも、さすがに仲間を殺すわけにはいかないから。
―――戦闘訓練ルームに向かいながら、ひとみはニヤリと微笑んだ。


ひとみが立ち去ったのを追うように、あさ美も部屋を後にしようとする。
じゃあ、飯田さんおやすみなさい、そう言って白衣の裾を翻して歩き出すあさ美の背中に圭織は声をかけた。


「ねぇ、紺野…いいの?
このまま未来を進めれば、リゾナンター達は今までとは比べものにならないくらい強くなる。
そうなったら、裕ちゃんも黙ってあたし達の言うことなんて聞かなくなるよ」

「ご心配なさらずとも、あの人を説き伏せるのは私がやりますから。
それに、あのままでいてもらっちゃ困るんです、あの子達には力を手に入れてもらわないと。
強くなった彼女達のデータを収集し、彼女達を超える『傑作』を生み出す…そのためにはこのまま進めないといけない。
…実験がありますので失礼します、またそのうちお会いしましょう」


そのまま振り返ることなく歩き去るあさ美の姿を、圭織は無表情に見つめる。
影で裕子を意のままに操る、裏の総統…いや、盟主であるあさ美。
あさ美の持つ闇に惹かれたその時から、圭織にとって真のダークネス総統はあさ美になった。
何故リゾナンター達にそこまで固執するのか、その理由はいずれ彼女の口から聞けるだろう。
今はまだ、パートナーである自分にすら全てのことを話そうとはしないが。

―――圭織は軽く息を吐いて目を伏せると、次なる未来を視るべく力を解き放った。




















最終更新:2012年11月25日 16:02