(14)029 『誓い』



その夜の喫茶リゾナントはミュージカル『シンデレラ』の話題で持ちきりだった
といっても、話しているのは専ら高橋愛で、他のメンバーはその犠牲者だったが
小春が芸能界の伝手で入手した招待席で観劇してきたのだった
主演を務めたアイドルグループのリーダーの可憐さや、宝塚歌劇の女優達の優美さについて
熱に浮かれたように話している愛の様子を見ていると、新垣里沙は不安と安堵が入り混じった
複雑な感慨に捉われていた

―大丈夫みたいだね、愛ちゃん

その施設に入っている子供達―下は乳児から上は15歳前後まで―は世界中から集められていた
その身に備わった特殊な力ゆえに、親に疎まれ、社会から排除された子供達
彼らはそこで教育を受ける
能力の抑え方、能力の使い方、能力の上限を上げること



ある日里沙は親を棄てた
彼らに棄てられる前に
そして社会の底辺を彷徨っていた
自分の人生を終わらせるために
里沙の心の中は闇で占拠されていた
だがある日あったあの人のお陰で里沙の心に光が射した

「あんたは本当は優しい子だと思うよ」
最初はその人の優しさすら拒否した
いつかきっとこの人も私のことを嫌いになるに違いないから
でも、ある日かけられたこんな言葉で里沙の頑なだった心が解けていく

「あそこに生えている草や花をご覧よ
 太陽の光が勝手に降り注いでるからといって、お天道様に背を向けたりしない
 潤してくれる雨が煩わしいからって、傘をさしたりしない
自然の恵みをあるがままに受け入れてるでしょ
あんたはもっと私に甘えてくれてもいいんだよ」

生まれて初めて嬉しくても涙が出ることを知った里沙
そんな里沙にあの人はある施設への入所を勧める

「あんたはもう少し力の使い方を学んだ方がいいね
あたしも最初の頃はそこで色々と教えてもらったんだ
力を持つこと、使うことには大きな責任が伴う
だから少し厳しいけど、そこで色々と学んだ方がいい
大丈夫、里沙ならできるよ
だって、なっちだってできたんだから」

あの人、安倍さんと同じ道を歩ける
いつかは安倍さんの横で戦える
その為ならどんなことにも耐えてみせると、里沙はその施設への入所に同意した


そこには世界中から様々な人種、様々な年齢の子供達が集められていた
彼らの共通点は”力”を持っていること
そして瞳が怯えていること
その中で彼女達は違っていた
自分がそこにいることに何の疑問も、不安も抱いていない高橋愛
自分がそこにいることの理由を探求することに喜びを覚えているような紺野あさ美
自分はどこにいても自分なんだと達観してるような小川麻琴
里沙を含めて眼差しの向う先は違っても、その目に力の宿ってる4人はいつのまにか一緒に行動
する事が当たり前のこととなっていた

高橋愛は4人の中では一番年上で容貌も大人びている反面、その言動は一番子供っぽかった
最初は何故かわからなかったが、やがて職員達の会話からその理由を知った
彼女はその施設で生まれて、その施設で育ち、その施設から一歩も外の世界に足を踏み出した事が
無いらしいこと
彼女の両親は生存していないらしいこと
そのことを知ると里沙は思った
自分の能力を疎んで棄てようとした両親だったがそれでも能力が発動するまでは、自分に優しく接して
くれた
ほんの僅かな間だけだったが、幸せな記憶を持っている私は幸せなのかも

その施設は最新の技術で建てられていて、清潔で、館内には光が満ちていた
最初の内はあの人と巡り合うまでの自分のいた環境とのあまりの違いに毎日が驚きの連続だったが
やがて気付く
大した違いは無いことに
その施設には最新鋭の設備、医療、教育、―子供に必要なものは全て揃っていた
ただ一つ、愛情を除いて
一見親切そうに見える職員の瞳の奥に、愛情が存在していないことに気づいた里沙



「本当はいけない事なんだけどね、えこひいきだとか思われちゃうし
でももしあんたが辛かったら、連絡しておいで」
そう言ってあの人は自分との連絡手段を教えてくれた
それを使って施設の状態を訴えようかと思ったが、夜寝床に着くとそんな考えは捨て去った
この道はあの人も歩いた道
あの人と同じ地面に立つ資格を得る為には、愛情の無いことなど耐えてみせれる
だってあの人と出会うまでずっとそうだったし
それに仲間らしき存在も出来たし

高橋愛に関する幾つかの事実
この施設で生まれ育ち、両親と思しき存在がいないということは里沙以外の子供達も知る事となった
閉鎖された施設内での生活に飽き始めていた子供達は遊びを始めようとする
高橋愛は実験で生まれたモルモットだ
高橋愛は究極の人間兵器だ
そんな残酷な噂話を流そうとする者に、憤然と立ち向かっていくのが小川麻琴だった
里沙はというときっと傷ついたであろう愛を慰める為に、その傍らに急行するのであった
しかし当の愛はというと
「モルモットて何なん、 あーしはへいきやよ」
とケタケタと笑い飛ばしていた
紺野あさ美はそんな愛の様子を興味深げに見守っていた
大部分の友情と僅かな知的好奇心を持って
そんな感じで保たれてきた施設の均衡が破れる日がやってきた

子供達はその施設の外に出ることを許されなかった
それは健康上の理由だとか、安全対策だとか尤もらしい理由が設けられていたいたが、実際は”力”を
持った子供達を逃がさない為である事は明白であった
施設の職員達は子供だからと見くびっていたが、能力のある子供達にはそのことが判っていた

でも子供達はその事実と直面しようとしなかった
施設から出て行っても行き場所の無いことを知る子供達にとって、施設が実は牢獄であるという事を認める
ことは自分の未来を否定することだった


外部に出ることを禁じられていた子供達に、外界の景観を見せることは、逃走心を芽生えさせる事に
なると考えたのかどうか、ふんだんに陽光が取り入れられているにも関らず、施設の外の様子はあまり
窺い知れない構造になっていた
とはいえ完全に遮蔽するわけにもいかず、外を見れる場所もあるにはあった
子供達には個室という名の独房が宛がわれていたが、社会性を完全に損なうわけにはいかないと考えた
のかどうか、共同のスペースも設けられていた
その一角からそれは見えた―何の変哲も無い森
森というには貧弱だったかもしれないが、施設の構造物の間隙を縫って見えるその木々の群生を森と呼んだ
のは高橋愛だった
そうシンデレラの森と

「あの森で魔法使いのばっちゃんが魔法でかぼちゃを馬車に変えるやよ
それに乗ってこのシンデレラ城にやってくるやよ
ここは舞踏会が開かれる大広間やよ」
そう言って愛は踊り始める
おそらく誰にも習った事がないはずなのに、天成の資質なのか見事な舞いを見せる愛
その軽やかで優美なステップに見とれていると、愛は言った

「里沙ちゃんが王子様やよ」
やっぱりな、そう来ると思ったよと思いながら、不慣れなステップで愛のパートナーを務める里沙
辛うじて1曲分―といっても実際に音楽が流れるわけでなく、愛の奏でるハミングだったが―のダンス
パートナーを務め上げると、息も絶え絶えに仲間にタッチする里沙
だが里沙との1曲分の半分にも満たない時間でダンスを切り上げると、愛は里沙の前に立つのだった
そして笑いながら語りかける

「里沙ちゃんが王子様やよ」
「もう勘弁してよ、麻琴とあさ美にも王子様役やらせてあげようよ」
「だって、麻琴は鼻息荒いし、あさ美ちゃんはすぐ足が縺れるし」

何なんだかなあ―と思いながら、それでも里沙は誇らしかった
愛が自分を選んでくれた事に


内部からの逃亡を防ぎ、外部からの進入を妨げる為に閉鎖的な構造をしているその施設は、
確かに城塞と呼んでいいかもしれなかった
だが子供の夢と希望、親の愛情で一杯のシンデレラ城という名は、その施設には最も似合わない
名称だった
にもかかわらず、その施設のことをシンデレラ城と言い張る愛に、負の感情を最大限に刺激された
少年が愛に現実を告げる
「いいか、ここはシンデレラ城なんかじゃないし、お前もシンデレラじゃない
 だからお前の事を迎えに来てくれる王子様もいないんだ
 わかったか、このモルモットが」

これまで施設の外の世界を知らないこと、両親がいないことを揶揄した悪意の矢を、天使のような
軽やかさでかわしてきた愛が、その時だけは表情が曇った
それをどう受け取ったか、言葉の刃をぶつける少年
いつものようにかかって行こうとする麻琴だったが、その行く手を少年の仲間達が阻んだ
なおも勢いを増す悪意の嵐に、ついに泣き出した愛を助けに行かなくてはと思ったとき、それは起こった
「いややぁーっ」
そう叫んで愛が両手を突き出した瞬間、少年の動きが止まった
愛の手が届く距離でなかったにもかかわらず
里沙は見た
少年の目から急速に生命の灯が失われて行くのを
少年の胸に穴が穿かれているのを
そこからは血も何も出てきていない
完全な空白
まるで空間を切り取ったように
そしてその穴からは少年の背後にいる子供達の表情が見えた
そのどれもが怯えきっていた


やがて少年の残骸が崩れ落ちた
それを潮に子供達が遠ざかっていく
災厄から逃れようと
フロアを満たす警報音
化け物という囁き

涙の止まない愛に近づこうとした里沙だったが、足が動かなかった
そんな中麻琴だけが愛に近づいていく
何のためらいもなく
それを見た里沙は遅れを取り戻そうとするかのように愛に走りより、愛の傍の位置を麻琴から奪い取った
愛の手を握り締め、慰めの言葉をかける里沙を見て麻琴は歩みの方向を換えた
その眼差しは心配そうに愛に向けられたままだったが、あさ美と話を始める




喫茶リゾナントではついに愛によるミュージカル再演が始まった
夜も深くなってのことなので、小春と愛佳はもういない
愛に負けじと盛り上がるれいな、目が死にかけている絵里、うっとりとした目で愛を見つめるさゆみ、
ニコニコと微笑みながらリズムを取っているジュンジュンとリンリン
里沙がそんなメンバーを何気に眺めていると、愛が目の前で止まって笑い、話しかける

「ガキさんが王子様やよ」

慌てて立ち上がり、一緒に踊る里沙
あの時と違って、多少あやふやだが何とかリードできるぐらいにはなっている
あの時と同じように愛のハミングで踊りながら、里沙は思う

あの時、貴女が一番大変な時に、私は貴女を守る事を躊躇ってしまった
こんな私が貴女の横にいる資格はあるのだろうか
もしあの時麻琴の方が早く貴女の手を取っていたら、今こうして貴女と踊っているのは麻琴かもしれない
私の卑怯な振る舞いは、貴女に王子様と呼ばれる資格は無い
でも、誓う
私は貴女のことを自分の生命に賭けても守ることを




















最終更新:2012年11月25日 15:55