(13)417 『優しい雨』



私達は同じ夢に向って走っていた
6人だけのチアリーダーAngel Hearts
私は運動オンチだったけど、同級生の愛に頼まれて渋々入部した
最初は気持ちがバラバラだった
コーチの厳しい指導に逃げ出したくもなった
でも愛の真摯な姿勢にいつしか皆が惹きこまれていった
目標だった大会では結果こそ残せなかったけど、それでも燃焼しつくしたという充実感があった
あれから何年たったのだろう、愛ちゃん、里沙、麻琴…



――目を覚ますとそこは私に与えられた研究室のデスク
特殊能力に関する興味深い論文を学会のデータベースからダウンロードし、紙に印刷する間も惜しみパソコンのディスプレイで読み耽っているうちに、眠っていたらしい
私とした事が何たる

でも今見ていた夢は、現実の私の経験してきたこととぜんぜん違う
Angel Heartsという名は、あの6月の雨の日
愛ちゃん、でなくi914から情報を入手する為に彼女と接触し、催眠に誘導した際に使った記憶がある
でも何故あんな出鱈目で言ったことが私の夢の中に、という疑問はすぐに解けた

「安倍さん、いつのまに」

「短い間だったけど随分楽しそうに眠っていたね」

「今の夢は、安倍さんが?」

「ここんとこあさ美ちゃん疲れてるようだったしね
 でもどんな夢なのかは私にはわからないよ 
 ただあさ美ちゃんが良い夢を見れるようにと、願ってただけだよ」


今の私はダークネスに対して秘密を持っている
上層部には特殊能力の創造と称して莫大な研究費を承認させている
でも本当は能力者から忌まわしい能力を消去するという研究
それは能力がもたらす恐怖で世界を支配するというダークネスの目的とはかけ離れたもの
明らかになれば私は間違いなく粛清の対象になるだろう
そのこと自体は恐ろしくない
でもあの悲しみを、能力がもたらす悲劇を防ぐ為の研究が完成するまでは
私は死ねない
だからこそ自分の心には何重もプロテクトをかけていた
無意識下で自分の真意が読まれることを防ぐ為、夢さえ見ないよう強力な自己暗示を施してきた
熟練の催眠術師、最高の読心能力者ですら私の心には踏み込めないだろう

でもこの人は、安倍さんは幼児のように無邪気なタッチで私の心を揺れ動かす
本来なら抗議すべきなのだろう
少なくとも抵抗感があることを遠回しにでも伝えるべきなのだろう
でも、出来ない
もしそうすればこの人の笑顔はたちまちに曇るだろう
そしてそのことに私は罪悪感を覚える筈



科学技術担当の私が戦いの前線に出るケースは少ない
それでも実戦練習と称して精神干渉の能力者と模擬戦を行った事はある
彼らの精神干渉はおぞましい触手に脳髄の中を掻きまわされるような不快感を私の中に残しただけだった
でも安倍さんは私の心の中に積もっていたどす黒い澱を優しい雨で洗い流してくれた

だから言えない
たとえ安倍さんでも私の心の中に無断で立ち入らないでくださいとは

「ええ、ここのところ実験が立て込んでいましてね
 中々ベッドで眠る時間が無くて」

「駄目だよ、夜は寝る為に暗くなるんだよ」と子供のように話す安倍さんに相槌をうちながら
白衣のポケットに手を忍ばせ、お守りを握り締める
安っぽい指輪をチェーンに通したもの
それは私達がまだ子供だったあの頃
不幸な事故が彼女を私の前から連れ去ってしまう前に、お互いで贈りあったささやかな宝物
i914の滅びの光によって消滅してしまった麻琴が唯一この世に残した名残


ねえ麻琴
人は悲しみを経験すると優しくなれるというけれど
だとしたら私はどれぐらい優しくなったのかな
あの時の私は心の中を覆い尽くしたあの感情が、悲しみだとは気付く余裕も無かったから
涙すら出なかったけど
でも寂しいよ、マコがいなくて
私のやろうとしてることは人と違う力からというだけの理由で、悲しむ人をなくす為のもの
だから、見守っていてよね
私は眼鏡をずらし疲れた目を揉み解す振りをして、目元に湛えられた涙を拭った
「コーヒーでも入れますね」
数ヶ月ぶりの夢と数年ぶりの涙をもたらしてくれた愛すべき先輩の為に私は席を立った
最終更新:2012年11月25日 15:24