7.
「…おかえり」
里沙が目を覚ますとそこはあさ美の研究室ではなく、自室のベッドの上だった。
機械の力を使ったとはいえ、非日常的な空間移動を二度も行ったせいで、
里沙の身体には目に見えぬ形でのダメージが残っていた。
ぼんやりとした頭で声のした方に顔を向けると、
そこには白衣をまとったままのあさ美がいた。
…ここは自分の部屋なのに、なぜ?
里沙は動かぬ頭を整理しようと何かを考え始めたが、
すぐにあの光の中の約束を思い出し、布団をはね除けて飛び起きた。
あさ美はそんな里沙の姿を見て、やれやれと首を横に振る。
「…まだ寝てないと、ずいぶん消耗してたんだよ?」
「あたしは、ここを出て行く」
「研究室に戻されたガキさんをここに連れてきてあげて、
幹部の定時観察に間に合わせてあげたの、私だよ?」
「…あたしは、ここにいるべきじゃない。
もっといるべき場所を見つけたの」
「そもそもいろんな道具だって渡してあげたのに、ガキさん全然お礼も―――」
「聞いてんの!?」
「聞いてるよ」
無表情のままに淡々と事実を並べていくあさ美。
交わした約束のために、己の意思をぶつける里沙。
一方的な言葉のぶつけ合いは平行線をたどるばかりだったが、より冷静だったのは、やはりあさ美の方だった。
里沙はぐっと言葉を飲み込んだ。
確かにあの時あさ美が手渡してくれた物がなかったとしたら、
愛を助け出すことも、愛と再会することすらできなかっただろう。
「…こんこんのおかげで愛ちゃんに会えたし、愛ちゃんを助けられた。
…ありがとう。ホントに感謝してる。でも…」
「ガキさん、ちょっと落ち着いたら?」
「あたしには、大事な約束がある、だから…」
「この部屋から、そしてダークネスから逃げる、と」
「もう、自分の気持ちに、嘘はつけないんだよ」
ポケットの中に手を伸ばす。
このお守りを返すためにも、このままでいるわけにはいかない。
そうと決めたら、一刻も早く。
だが、里沙は内心焦っていた。
目の前にいるあさ美が、あまりにも冷徹な視線を自分に向けていることに。
愛の危機を知らせてくれたのは、他でもないこのあさ美だった。
あさ美が教えてくれなければ、そしてあの装置や錠剤が渡されなかったら。
きっとどこかで、あさ美はダークネスに戻された里沙の本心を見抜いているのだと思っていた。
だから、愛を助けるために協力してくれたのだと。
ダークネスの有力幹部でありながら、同期の絆を重んじてくれた。
そう思っていたから、この瞬間もあさ美は里沙の考えを後押ししてくれると思っていたのに。
「愛ちゃんを逃したのはあたしの実験のため。
そうだったとしたら、どうする?」
「…!!!!」
その希望が、あさ美の言葉で打ち砕かれた。
「こっちの支配下に置いといて得るデータなんかより、
実際にリゾナンターとして動いてるときのデータの方がよっぽど効果的だもん。
所詮、あのままにしておいたら使い物にならないデータしか出ないしね」
あさ美は、あくまで静かに言い放った。
ダークネス最高の科学者。里沙が頭脳戦ではとうてい太刀打ちできるはずもない。
もし…本当に、あさ美の言うとおりに全てが計算の上で行われていたのだとしたら。
すーっと血の気が引くのを感じ、里沙はよろめくように一歩下がった。
先ほどまで寝ていたベッドに身体がぶつかり、改めてここには逃げ場がないことを思い知らされる。
一歩一歩近づくあさ美に対して、里沙はじり、じりと横に移動する。
あてがわれているこの自室も、そう広い部屋ではない。
飛びかかろうと思えば一瞬。飛びかかられれば一瞬。
軟禁されている身分だから、部屋には簡素な物しか置いていない。
対して、あさ美はどうだろう。
あの白衣の中に、何を隠し持っていたとしてもおかしくはない。
里沙は、圧倒的に不利だった。
「…全部が、罠だった、ってこと?」
「そういうことになるかな」
あさ美は不敵な笑みを浮かべながら答える。
里沙の視界に部屋の扉が映る。だが、脱出できるような状況ではない。
自分と扉との線上には、あさ美がいる。
おそらくはこの状態を作り出しているのも、あさ美の計算の上なのだろう。
「どうやってここを出るつもり?」
里沙の視線が不安げに部屋の中を彷徨っていたことを、あさ美は見逃さなかった。
相手に弱みを見せたらその時点で終わり。
そう言い聞かせていたのに、いとも簡単に指摘されるなんて。
「…こんこんを倒してでも行くよ」
里沙は、精一杯虚勢を張った。
マインドコントロールをかけてどうにかなる相手でもないことはわかっている。
里沙の力ではあさ美には通用しないだろう。
それでも何万分の一の確率でも可能性があるのならば、それに賭けるしかない。
だが、里沙の望みはあさ美の言葉でことごとく壊されていく。
「…ガキさん、甘いなぁ」
あさ美は里沙の退路を断つように距離を詰める。
里沙はその拍子に、床にぺたりと尻もちをついた。
「…私がガキさんにここで倒されたとしよう。
でも、この部屋の外はダークネスの構成員ばっかりだよ?
忘れたの? ガキさんは、軟禁の身。
この施設から逃げ出すためには、何百人もの相手を倒さなくちゃいけない」
忘れていたわけではない。何もかも、頭には入ってはいる。
でも、リゾナントへと戻らなくてはならない。
仲間のためにも、正体を知ってなお信じてくれた愛のためにも。
二人の距離はもう、手を伸ばせば触れるくらいにまで迫っていた。
里沙は動けない。それでも、あさ美の目を見据え続けた。
待っているのは、反逆者としての拷問か、それとも凄惨な死に様か。
あさ美は小さなカプセルを取り出すと、里沙の顎をつかんで上を向かせた―――。
最終更新:2012年11月24日 20:29