(12)399 『蒼の共鳴-叶わぬ願い-前編』



「ここは…」

「ここは…じゃないよ、里沙ちゃん。
何やってんの本当」


目を開けた先には、怒りを露わにした愛と。
そして、里沙を取り囲むように立つ7人のリゾナンター。

ジュンジュンとリンリンの病室から出て、医師を呼びに行こうとしたその後の記憶がない。
おそらく自分は倒れてしまったのだろうと、他人事のように想う。

夕方から翌日の朝まで一睡もしないで付き添うなんてことを数日も続けて、それで倒れない方がおかしいのかもしれない。
朝になって病院を後にしても、その後殆ど一睡も出来ない状態で夕方を迎えていたのだから。
脳裏を過ぎる、ダークネス幹部の一人である吉澤ひとみの言葉。


『やり過ぎってお前は言うけど、お前、自分が何者か分かって言ってるのか?
お前は、ダークネスのスパイなんだよ。』

『次の調査はあたし一人で行うから、まぁ、この間のようにはならないように努力はするよ。
でもな、新垣、忘れるなよ。
お前はリゾナンターじゃない、ダークネスのスパイの新垣里沙だ。
お前がダークネスを裏切りリゾナンターに付くのなら…分かってるよな』


情けをかけてもらっている、それが分からない程愚かではない。
他の幹部がこの任務に就いていたら、とっくに里沙をスパイ任務から切り上げさせて『処理』に回し。
里沙が裏切らぬようにと人質に取っている安倍なつみを処刑する、そのくらいのことはされているだろう。





吉澤には『M』時代から世話になっていて、なつみとはまた違った意味で師弟のようなもの。
お互い洗脳系能力の持ち主ということもあり、あらゆる洗脳系能力に関する知識を教えてもらう日々を過ごした。
自分の弟子みたいなものだという感覚があるからこそ、吉澤は里沙にああ言うのだろう。
弟子に『処理』を施す真似はしたくない、だから、里沙に忘れるなと言い聞かせるのだ。

人質を取られていることを忘れ、リゾナンターに与することがあるならば。
その時は問答無用で里沙を『処理』し、なつみを抹殺にかかるぞ、と。


「ガキさん、何でそんな無茶するんですか?
一人で背負い込まなくても、絵里もさゆも夜間の付き添いくらい出来たのに」

「うん、それは分かってた。
でも、2人のこと心配だったから」

「心配なのは皆同じです、ガキさん何も分かってない。
ガキさん1人が無茶して倒れる必要なんて何処にもないじゃないですか。
さゆみ達、そんなに頼りにならないですか?」


さゆみの言葉に、そういう訳じゃないと言って里沙は口を閉ざす。
頼りになるならない、そういう観点で言うなら。
今のさゆみも絵里も充分すぎると言ってもいいくらい、頼れるメンバーとして成長した。

夜間の2人の付き添いを、絵里とさゆみにも協力するように言わなかったのは。
2人のことを自分自身への戒めとしたかったから。
ダークネス幹部の中でも比較的温厚な吉澤がいながら、2人があそこまで手ひどく傷つく事態になったのは。

吉澤は最近の里沙との会話で気付いてしまったのだ。
里沙が徐々にリゾナンターの方に引き寄せられている、と。
それを確認する為にわざと2人を手ひどく傷つけ、里沙の反応を見たのだろう。





里沙がほんの少しでもリゾナンターの皆に対する好意的な感情を見せることがあれば、
吉澤は容赦なく、またあの2人のように手ひどく…場合によっては死に至るレベルで皆を傷つけるに違いない。
一度目は確認の為だっただろう、だが次は、里沙に対する警告の1つとして。

それを避ける為には、吉澤に対して余計な感情を見せないこと。
2人のことを自分自身への戒めとすることが、間接的に皆を守ることになる。
意識の戻らない2人に付き添いを続けることで、里沙は自分自身を厳しく律していた。
忘れるな、吉澤に対して余計な感情を見せてしまえばまたこのような事態になるのだ、と。

何も言わずに黙り込む里沙に、皆が一様に不思議そうな表情を見せる中。
愛が大きく1つ、ため息をつく。


「あー、もう、この頑固もんが。
…皆は戻ってええよ、後はあーしが言っておくから。
ジュンジュンとリンリンの退院準備頼むわ、皆」


愛の一言に、皆渋々といった表情で部屋を出て行く。
皆を遠ざけてくれたのはありがたいが、愛と2人というのもそれはそれで気まずかった。
仲は悪いどころかリゾナンターで最も仲のいい仲間、だが今最も隣に居てほしくない相手は間違いなく愛である。

精神感応の能力を使うことなくとも、愛は人の心の機微に敏感な人間だ。
そして、今の自分は体調の崩れから精神的にも大分隙がある状態。

普段の里沙なら、皆に自分の本当の心の声が聞こえないようにしっかりガード出来るのだが。
今は、しっかり気をつけていないと本当の心の声をあげてしまいそうなくらい、自分の心が弱っている。
気をつけないと、愛に余計なことを知られてしまうかもしれない。

警戒する里沙の心が伝わっているのか、愛は静かに口を閉ざしたままベッドの横の椅子に腰掛ける。
―――その横顔は、最初に出会った頃と比べると随分頼もしく見えた。






初めて出会った時、愛はダークネスの下級兵を相手に必死で戦っていた。
超能力組織と聞かされていたのに、彼女はたった1人で戦っている。
事前に与えられていた情報と実際の彼女との差に、これは一体どういう事だろうと首をかしげる里沙。

組織というからには、何らかの戦闘訓練を受けているのが普通だろう。
だが、里沙の視界に映る彼女はお世辞にも戦闘訓練を受けてきた人間とは言えないくらい、素人丸出しの動き。
そして何より、彼女を援護する仲間は辺りを何度見渡してもいない。

超能力者組織と言っていたが、まさか1人、しかもダークネスの一般兵クラスに手こずるレベル。
こんなくだらないことの為に、なつみを人質に取って里沙をスパイとして潜り込ませようとするなんて。
ふつふつと湧き上がる怒りを堪えることは難しかった。

足を傷つけられ、焦りを全面に出す彼女。
冷たいようだが、見殺しにしていいだろうと里沙はこの時思っていた。
この程度の能力者、倒されるならそこまでの能力者ということである。
わざわざ、スパイ活動をするまでもない、そう思っていたその時。

里沙の心を揺るがす、大きな声が聞こえた。

誰か助けて、その声が聞こえた瞬間、里沙は思わず自分の能力を解き放つ。
精神干渉の応用、意思を持たぬ無機物に自らの意識を半分乗せて操る技。

本来ならば精神干渉を使用する際、里沙の意識は肉体から完全に離れる状態になる。
それは相手の意識をのっとる為に、自らの意識をその意識に覆い被せて包み込むようにする必要があるからだ。
だが、この技はその必要がない。
戦闘系能力を持たぬ里沙が戦いで生き抜く為に身につけた、戦闘術の1つ。

一瞬で仲間である下級兵の動きを封じきった里沙は、愛に声をかける。
この技は本来の能力の使い方に反する能力の使い方をしているため、著しく精神力を消耗するのだ。
長引かれるようなことがあっては、彼女共々、共倒れしかねない。






光使いの能力を使い、一瞬で下級兵の存在を消し去った彼女。
幼い笑顔で、ありがとうと言ってきた彼女に里沙は冷たい言葉を投げかける。


「あの程度の相手に手こずって、それでダークネスと戦っていくつもり?」


本心から出た言葉だった。
彼女が戦っていた相手は、ダークネスの中でも最弱の層に位置する。
そんな相手に手こずっているようではダークネスという巨大能力者組織と戦っていくなんて、
無茶という次元を超えてありえない、あり得なさすぎて失笑すら出来ない。

黙り込む彼女に声をかけたのは、スパイ活動をする為だけではなかった。
無謀を通り越して絶望的ですらある戦いに挑む彼女が、余りにも哀れで仕方なかったから。

そうして、スパイ活動をする意味があるのか分からないような状態から、里沙のスパイ活動は始まった。
どうしたらええんやざと困った顔で言う彼女に、半分呆れながら仲間を探すように言い。
徐々に集まっていく仲間達が起こす、下らなさすぎる喧嘩に真剣に悩む愛を叱咤し。

今や、そんな日々を笑い話に出来るくらい。
愛は立派に成長し、すっかり組織のリーダーらしくなった。

―――もう、自分が側に居て支えなくても大丈夫なくらいに。


沈黙に耐えきれなくなって、里沙は愛に声をかける。






「リゾナントはいいの、愛ちゃん?」

「あぁ、臨時休業にしたし。それよか、里沙ちゃん。
何があったん?」

「何が、って?」

「ここのところ、調子よくなさそうにしとったけど。
眠れない理由でもあった?」


里沙の目を覗き込むように聞いてくる愛に、里沙は無言を貫く。
愛は自分に対して甘い。
だから、こうすれば愛は何も言えずに引き下がる。

長年の付き合いの中で、愛は里沙のことに関してはリゾナンター1分かっているだろうが。
その逆もまた然りで、里沙は愛のこと、特に扱い方に関してはリゾナンター1分かっていると言い切れる。

卑怯だなと自分でも思う、だが、愛に何を思っているか知られるわけにはいかなかった。
ほんの少しでも変だなと思うところを見せたら、彼女はきっと里沙が本当のことを言うまでじっと待つだろう。
絶対に諦めないよ、絶対に聞き出してみせる。
そんな目で見つめられたら、今の自分はきっと、言うまいと思っていることまで話しかねなかった。

再び訪れる沈黙。
さっきまでの横顔とは違い、愛の目にはどこか昔を懐かしむような切なげな光が宿っている。
心が共鳴しているわけでもないのに、愛は里沙がさっきまで昔を思い返していたように、
自分も昔を思い返しているのだろうか。

出会った時には背中くらいまであった髪は、頬くらいまでの長さに変わり。
年齢以上に幼く見えた顔立ちは、どこか凛々しくなった。
何より、頼りなげだった瞳には皆を守るという強い意志が常に浮かぶ。






人というのは、こんなにも変われるものなのだとしみじみと想う。
愛ももちろん、他の皆も昔とは比べものにならないくらい成長し、立派な能力者となった。
吉澤の確認の任務のうちに、何故か愛は含まれていないことを考えると。

そう遠くないうちに、本当にこの日々が終わるのだ。
どちらにも真に所属することが出来ないなら、せめてこの日々が長く続けばいいと祈ったけれど。
神様は自分に辛いことばかりを押しつけて、何がしたいのだろうか。

もう自分がいなくても彼女達はちゃんとやっていける、そう心の底から想うのに。
それでも何故か、寂しいと想う気持ちに苦笑したくなる。


「しかし、本当色んなことがあったよね」

「何、急に」

「いや、何か振り返ってみて色々あったなぁって思うから。
愛ちゃんだってそう思うでしょ?」

「まぁ、確かにね」


何を考えていたか分かるのに、こうして愛に話を振る自分の気持ちが分からない。
そんなことを話したところで、自分の中にある寂しさが深まるだけなのに。

もうすぐ、終わりを迎えるのなら。
せめて、少しくらいは自分の中の何か得体の知れない気持ちに正直になってもいいのかもしれない。
そう思ったら、止まらなかった。
溢れ出る気持ちをそのまま言葉に乗せる。






言葉が切れたのと、愛の両腕が里沙に伸びたのはほぼ同じタイミング。
背丈の割には大きい手のひらで優しく髪を撫でられ、そして背中に細い細い両腕が回されたのを感じながら。
愛の声が鼓膜を震わせながら、心まで震わせるように伝わってくるのは気のせいだろうか。

両腕に込められた力、心の扉を叩き続ける愛の強い想い。
まだ完全に彼女達に流されるわけにはいかないのだと分かっていても、
その想いは応えたくなるだけの強さを持って里沙の心の扉を叩き続ける。

おそるおそる手を伸ばして、その華奢な背中を抱きしめようとしたその時。


「新垣さん、回診の時間ですよー。」


その声に反射的に愛から離れながら、里沙は助かったと心の底から思った。
やはり、体が弱っている分、精神的にも隙が出来ている。

スパイ任務を終えるその日まで。
いや、スパイ任務を終えて彼女達と二度と会うことがない状態になるまでは。

―――この心のガードは、けして解いてはならないのだ。




















最終更新:2012年11月24日 20:05