(12)372 『BLUE PROMISES 4』



4.

衝撃は、来なかった。
どれくらい目を閉じていたのかはわからないが、そう長い時間ではないはず。
身体を叩く雨の強さは、さっきまでと変わっていないようだった。

ゆっくりと目を開く。
目の前には、石化したように停止している男の姿があった。
ナイフを振りかぶって、今にも振り下ろそうとするその姿のまま。

止まって、る?

愛は必死に状況を把握しようとしたが、上手く頭が回らない。
身体を動かそうにも、どこにも力が入らなかった。
さっきまではまったく感じなかった傷の痛みを感じて、愛は顔をしかめた。


ぴちゃっ。
濡れた地面に足音が聞こえ、音のした方へと顔を向ける。

「…誰、や?」

ぴたり、ぴたりと、足音は確実に近づいてきていた。

目の前で動きを止めている男たち。
近づく不気味な足音。
そして、

「―――あたしが、彼らの精神を止めたの」

何もかもがこの堕落した闇には相応しくない。
立ち止まったのは、ここでは見慣れぬ、黒いローブを纏った女。


「あんた、は、誰や…」

愛は同じ言葉を繰り返した。
女の顔は黒いフードに覆われてうかがい知ることはできない。

だが、敵だとは思わなかった。
彼女からは攻撃の意志は感じられない。
逆になぜか彼女の声に懐かしさを覚えた。
ずっと、近くで聞いていたような。
それが誰だったのか、どこでだったのか、いつのことなのか…

「あなたにとっては、初めましてかもしれない」

女は愛の顔の近くにしゃがみ込み、見下ろす格好になった。
それなのにフードの中の素顔は見ることができず、愛は苛立った。

「でも、あたしはあなたに何度か会ったことがある」
「どういうこと…」
「この男たちは、あたしが精神干渉を応用して止めておいた」
「精神…干渉…?」

愛の最初の疑問は、女が一方的に話し続けたせいで遮られてしまったが、
続けられた言葉に愛は驚き、問い返した。

「精神干渉…、ガキさんと、同じやんか…」

一瞬、女の動きが止まった。
愛の言葉の何かに反応したかのように。
だが、何もなかったかのように女は言葉を続けた。愛はまったく気づいていない。


「…普通の精神干渉ではもちろん動きを止めることはできない。
 能力を増幅させるこの腕輪を身につけたことで…、
 精神から入り込んで、神経の操作が可能になる…」

右腕に着けられた小さな腕輪。
何の飾りもないシンプルなものだが、愛はこれにも見覚えがあるような気がした。

「リゾナント・アンプリファイア…、れーなといっしょやな、その腕輪の…ちか…、ら……」

言葉の語尾がかすれるように小さくなっていく。
痛めつけられた身体が悲鳴を上げ、限界を迎えていた。

「なぁ…? あーしとあんたは…、どこで会ったことがあるんや…?
 あんたは…、何者…、な、ん…」

相変わらず、愛には女の素顔は見えないでいた。

 あんたは、誰?
 どうしてこんなにも、懐かしさを感じさせる?
 あーしが、まったく知らないような人やない…
 あーしはきっと、この人を知っている…、それなのに、何で…

薄れゆく意識の中、愛は必死で記憶を辿っていた。
感じ取れるこの女の雰囲気を、持っているピースに何度も当てはめようとしていた。
それなのに、答えが見つからない。

本能のままにフードに向けて手を伸ばそうとする。
素顔を、見たいという想いで。
目的を果たさぬまま力尽き、だらりと地面に打ち付けられそうになった手を、女は右手でつかんだ。


女は、目を閉じた愛の顔をじっと見つめていた。
血だらけの口の端を、ローブの袖でそっと拭う。

女は愛の身体を抱き起こし、自分のひざの上に乗せる。
ローブの袖に隠していた小さな箱から錠剤を取り出すと、それを愛の口に含ませた。
それは、体力の回復効果のあるもの。
少し時間が経って意識が戻る頃には、かなり回復しているはずだった。

ローブを脱ぎ、濡れて冷えていく愛の身体を包んだ。
緩くウエーブのかかった長い髪と彼女の素顔が、よくやく露わになった。

「…愛ちゃん、やっぱ覚えてたんだ…」

女は小さなため息をついて一瞬微笑み、それから切なそうに首を振った。
愛に、その記憶さえなければ。
予定通りに、記憶が消去されてさえいれば。
愛がこんな目に遭うこともなかった。
愛をこんな目に遭わせたのは、自分の責任なのだと彼女は思った。

「…こんなに、傷だらけの身体になっちゃってさぁ…」

傷だらけの身体を抱きしめ、涙をこぼす。
許してほしいなんて、とても言えないけれど。
今はまだ、自分の正体なんて、とても明かすことができないけれど。

せめてほんの少しだけでも、あなたの力になることができるのならば―――


雨粒と涙が、髪を濡らしてゆく。

―――女は、女こそが、里沙だった。




















最終更新:2012年11月24日 20:02