(09)803 『Memory 未来に射す光』



明け方から降り出した雨は、次第に勢いを増し、会議室のガラス窓を強く叩いている。

 この日、圭織は永田町の議員会館の一室で行われていた、ある会議に参加していた。
ここ数年、組織の政界進出は目覚しく、十数名の議員を国会に送り込み、ひとつの党派を成していた。
圭織はその予知能力によって、組織の政党を、政権の中枢へと導くことを期待されていた。

会議の議題は専ら、与党との連立政権に関する、細かい条項の取り決めだった。

圭織はうわの空で、窓を叩く雨ばかりを見ていた。

すると、会議にざわめく周囲の声は消え、 雨音だけが耳に響く。

心は、雨音に引きずられて、妹を失ったあの日へと立ち戻る。

――――――――――14年前の6月――――――――――

 その日もどしゃ降りの雨だった。

圭織は母親に、“お使い”を頼まれ、玄関で長靴に足を通す。

すると、突然、視界が白く飛んで、脳裏に不吉なイメージがよぎる。

自分が乗ったバスが事故に会い、血だらけになりもがき苦しむ自分の映像が見える。

その時の圭織にはそれが何を意味するのか、分からなかったが、
募る恐怖心に煽られた圭織は、お使いを拒み、部屋に閉じこもる。


部屋で絵を描いていると、またもや視界が白く弾け飛び、脳内に映像がなだれ込んで来た。

―――それは先程、見たバスの事故現場の映像―――

 先程とは違い、その映像の中に自分の姿は無く、代わりに絶命した妹の姿があった。

圭織は、慌てて部屋を飛び出し、母親の所に行くと妹の居場所を尋ねた。

母親は、不機嫌そうに言った。

「もうバスに乗ってる頃かしら?……あなたの代わりに、お使いに行ってもらったのよ」

 そのバスには、自分が乗るのはずだった。
だが、実際にそのバスに乗り、そして事故によって命を落としたのは・・・妹だった。

圭織は、幼い妹の命を死神に差し出したのだ。
自分の命の身代わりとして。


意識はふと、会議室に戻り、圭織は頭を振って会議に集中しようとするが、降り止まぬ雨音がそれを許さない。

雨の降る日は、何も手に付かなくなる。

心の奥底に閉じ込めようとも、雨が降れば、あの日の光景は鮮明に蘇り、意識は惨劇の現場へと、立ち尽くす。

血だらけになった妹の死体。
自分が見殺しにした小さな命が、雨に濡れ、転がっている。

妹の左腕はあらぬ方向に曲がり、右足は膝から下が無い。

右手で、胸の前に一冊の絵本を抱きしめ、それを守るように背中を丸めていた。

画用紙をホッチキスで留めた、手作りの絵本。
圭織が妹に書いてあげた絵本だ。
お話の最後が思いつかずに、書きかけのまま渡した絵本。

妹はその絵本が大好きだった。
何処へ行くのにも、持って行き、何度も読み返しては、早く続きを書いてくれと圭織にせがんだ。

圭織が机に向かいペンを握っていると、必ず飛んできては 「続きを書いてるの?」 と聞いた。

圭織は結局、続きを書いてやれずに、妹は死んだ。

生々しく再現されたその光景の中で、血だらけになった妹に握り締められた未完の絵本は雨に濡れていた。


―――遠くで自分を呼ぶ声がする。「……さん!予知のレポートをお願いします」
圭織は、ハッとして我に返り、慌ててバックをまさぐると、
予め用意しておいた、政局を予知したレポートを黒崎に渡した。

黒崎孝雄。この政党の党首を務める切れ者。微力ではあるが精神感応力を持つ。
圭織は、目的の為には手段を選ばないこの策略家を、好きになれなかった。

 黒崎は圭織に、矢継ぎ早に質問を投げかける。
「で、どっちの党派につけば良いんだ?」「それは、いつ起きる?」「俺の得になる選択は?」
圭織はそのスピードに狼狽しながらも答える。
ひと通り予知を聞くと、黒崎は言った。
「じゃあ、その事務次官を失脚させれば、我が党に有利な流れになるな……」
その刹那、圭織の脳内に新たな未来視(ビジョン)がなだれ込んで来た。

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   黒崎の足元に倒れる事務次官。   黒崎は、銃を突きつけている。   事務次官は何事か叫ぶ。     

       発砲。    額を撃ちぬかれる。    事務次官の瞳にもう、生命の光は無い。

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 一点を見つめたまま、微動だにしなくなった圭織に、黒崎が尋ねる。「何か、見えたのか?」
圭織は今しがた見た、未来視(ビジョン)の生々しさに眩暈を覚えながらも答える。

「彼を失脚させたいのなら、いくらだって方法はあるわ。殺すことは無い」

黒崎が興奮して尋ねる。

「奴の死が見えたのか?」

「マインドコントローラーを使って、政治的失策をいくつか演じさせればいいわ」

黒崎がイラッとして言う。

「俺に指図をするな。あんたは予知した事だけ言えば良い」

黒崎は、普段から『予知能力者は神だ』などと、うそぶく圭織を疎ましく思っていた。
しかし、利用価値の高い予知能力者を、怒らせるのは得策ではないと思い直し、慌てて言葉を付け加える。

「まあ、考えて置くとしよう。今日は大変、参考になった。また、力を貸して欲しい」



黒崎はそう言って、立ち上がると握手を求めた。
圭織のおざなりに差し伸べられた手が、黒崎の手に触れた。
すると、突然、視界が白く失われ、
今までに見たことも無いほどはっきりと、未来視(ビジョン)が見えた。

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   《十数年後の未来》 
           《首相官邸》

   総理執務室の長テーブルに大臣達と、幕僚達が席につき、
                     その主席には、黒崎が深々と腰を下ろしている。

   テーブルの上には、乱雑に新聞が置いてある。【日本の核兵器保有量が米国についで2位】

              【黒崎首相、共産圏各国に宣戦布告】【黒崎政権、亜細亜諸国より孤立】

         立ち上がる黒崎。 幕僚たちに、 敵国への 核攻撃 を命じる。 

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

黒崎が、抜け殻となった圭織の肩を、揺すって言った。

「ちぇ!また、未来と交信してやがる」


黒崎は握手した手を振りほどこうとするが、意識が飛んで硬直した手は簡単には、ほどけなかった。

「ええい!離せっ!」

黒崎が乱暴に指をこじ開け、圭織の肩を突き飛ばした。
すると、またもや、圭織の脳内に未来視(ビジョン)が
強烈な生々しさを伴って、なだれ込んできた。

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    網膜を灼く一瞬の閃光  きのこ雲  焼け爛れた世界が現われる  何万と言う死体 

    血膿の焦げる臭い   その修羅場   凄惨のうめき  子供の内臓を抱いて泣き叫ぶ母

  倒壊した建物からもがき苦しむ手が見える 人間が燃えていた 子供が その母が全てが燃えていた

              無限に続く夥しい、死 死 死 死 死

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 意識が圭織の身体に戻ると、全身がガタガタと震えだした。
黒崎が何か声を掛けたが、耳には入らなかった。
圭織は逃げるように、その場から走り去った。




~それから、数日後~
組織の幹部会議の席で、黒崎は頭を抱えていた。
党内から、政治スキャンダルがマスコミにリークしてしまい、
ここ数年来、内密に話を進めてきた与党との連立政権の話が白紙に戻ってしまったのだ。

今はまだ、巨大政党の議席かせぎの連立の盟約ではあったが、
将来、政権を取るにあたって、重要な過程であると、黒崎は考えていた。

黒崎は、マスコミにスキャンダルを流したのは、圭織であると確信していた。
漏洩した情報を知る者は限られていたし、圭織以外の者には全てリーディングを行い潔白が証明されていた。
何よりも、圭織はここ数日、姿を消し、消息がつかめない。

黒崎は圭織の顔を思い浮かべると、怒りが腹の底から湧き上がった。

黒崎は立ち上がり、幹部たちを前に演説をはじめた。

「私は、能力者がこの社会のトップに立つべきだと考えている。そのために、これまで尽力してきた。
 我が党は、あと少しのところで与党に名を連ねるはずであった。
 それを、あの女が潰した……自らを神と称し、未来を改ざんする事に無常の喜びを得る、あの女がだ!
 これは、許すまじ行為である。死を持って償うのが妥当と思われる。
 どうか、幹部の皆様の同意を頂きたい!」

幹部たちから、同意の声が上がり、圭織の処刑は決定した。



圭織は焦っていた。

黒崎を失脚させたにも関わらず、あの日、見た未来視(ビジョン)が変わること無く、見え続けるのだ。

被爆し、焼けただれた、この世の終わりの風景が、依然として未来に鎮座している。

黒崎の未来から首相の座を奪ったとしても、奴は黒幕となり、あの未来を実現させるのであろう。

奴は何度、失脚させようともその度、這い上がり自らの意思を貫くであろう。

圭織は静かに眼を閉じると、意識を未来へと解き放つ。

 (私は未来を予見できる。そして、予見した未来を人為的に改変することも。

  でも、私という変数によって未来は無限に分岐し、霧散してしまう。

  私に視えない未来の死角を無数に過去へと流しつつ、また新たに生まれた未来を視る。)

 無数の立ち現われては、消える未来を覗き込み、
疲れ果てた意識が、身体に舞い戻ってきたその時
圭織の目から、もう迷いの色は消えていた。


 圭織は携帯を出すと、黒崎に電話を掛けた。
「あなたにとって重要な未来が見えたの。明日、時間を空けてもらえるかしら?」

「わかった。朝から党本部で待っているよ」

「それじゃあダメなの。前にも説明した通り、予知にはそれに関わる場所と人物が重要なの。
 私の指定する場所に来てもらわなければ意味が無いわ」

「場所は?」

「日野原市に自衛隊演習所があるでしょ?そのすぐ側に廃村があるわ」

「自衛隊に関する予知か?」

「そうね、まだ確固たるものではないけど、軍とあなたの行く末に関わること。
 詳しくは、明日。その場所で、ひとまずの予知を話して、あなたがその未来を知ってどのような
 選択を望むかで、また未来は違う顔になるわ。」

「わかった。必ず行く」

「詳しい場所を言うわ。日野原市の……」



東京のはずれ、今はもう、廃村となった山間部。

長い間、放置され、朽ち果てた無音の風景に、時折、遥か上空を軍用ヘリコプターが横切る。

捨て去られた民家が点在する田舎道を抜けると、廃校となった小学校跡がある。
その廃校の体育館の中で、圭織は一人、奴らが来るのを待っていた。

【これより先はこちらのBGMと共にお読み下さい】





体育館の片隅に積み上げられていた、机と椅子を一組運んできた圭織は、光の差す場所を選んで座った。
圭織は机の上に画用紙を広げ、色鉛筆を顎に当て、物語の最後を考えていた。
すると、圭織はふいにペンを走らせ、女の子の顔を描いた。
描き上がった絵を満足そうに眺めると「さあ、今度はドレスを着せてあげる」と言って鉛筆の色を変えた。


体育館の外では何台もの車のエンジン音が校庭に轟き、奴らの到着を知らせた。
圭織は色鉛筆を置いて、奴らが入ってくるはずの扉を眺めた。

 (入ってくるのは18人)

(その内、ピストルを持っているのが6人)

(はじめに撃つのは、先頭に居る背の低い男)

(でも、それは威嚇射撃だから当たらない)

(次に、黒崎がこう言う)「お前の処刑が、幹部会議で決定した」黒崎のドスの利いた声が、体育館に響いた。

予知した事と寸分違わぬ奴らの行動に圭織は、思わずクスリと笑う。

その笑顔を見て、先程、威嚇射撃してきた男が「舐めてんのか!コラッ!」と言いもう一度、引き金を引く。

(しかし、これは偶然、不発に終わる)

(だから、私はこう言う)

「あなた達の銃に予め、細工をして置きました。勇気のある方は引き金を引いて下さい」

男達は、慌てて自分の銃を見る。

「私の予知では、三人の手が、吹き飛ぶのが見えました」そう言って手をヒラヒラさせて見せる。


「嘘だ!さっき確かめたばかりだ」若い男が、ムキになって言う。

「そう思うのなら、どうぞ」

(私はこの若者に肩を撃たれる)

「コノヤロウ!」怒声と共に若い男は、発砲する。圭織の肩が撃ち抜かれる。

身体を貫く衝撃に、圭織は気絶しそうになるが、どうにか踏みこたえる。(今はまだ)

黒崎が笑って言った。「撃たれるのを、予知できなかったのか?……俺によこせ」銃を若い男から取り上げる。

(もう、少し……あと、少しだけ)

圭織は、男たちの顔を確認する。あの総理官邸の長テーブルに、座っていた“未来の大臣たち”が揃っていた。

(一人も、生きて未来には行かせない)


黒崎が銃を発砲した。銃弾は、腹部を貫き、圭織は一旦のけ反った後、反動で机に突っ伏した。
黒崎が嬉しそうに言う。「予知能力者は、神じゃなかったのか?」

圭織はゆっくりと顔を上げて、黒崎を見ると言った。

「結末を知っているのは、神様と私だけ。でも、未来を変えられるのは……私しか、いない」

圭織は痛みに顔をしかめながら、天を見上げた。

すると、突然、体育館の天窓の日が遮られて、暗くなった。外からは空気を切り裂くような轟音が聞こえる。

男達が何事かと、天井を見上げた。天窓からプロペラが停止したヘリコプターが、落下してくるのが見えた。

次の瞬間、爆音と共に天井を突き破り、軍用ヘリコプターが落下してきた。

一瞬の出来事だった。体育館に居た男達はヘリコプターの下敷きになった。 

 全員、即死だった。


男達の居た所から、少し離れた場所に居た圭織も、全身にガラスの破片を浴びて瀕死の状態を迎えていた。

圭織は腕時計を見た。ヘリの墜落は、予知した時間と一致していた。

予知に誤差が無いとすれば、まだ少し時間がある。

圭織は、這うようにして光の差す場所まで行くと、
握り締めてしわくちゃになった画用紙を手で伸ばし、物語を綴りはじめる。

初夏の日差しが、割れた天窓を抜け、体育館の床にまだら模様を揺らしている。

もう、未来は見えなかった。

圭織はふいにペンを止めて、陽だまりの中に何かを見つけ、愛しげに微笑むと、もう 二度と動かなくなった。








 「続きを書いているの?」   


 「そうだよ」

                 ―完―




















最終更新:2012年11月24日 15:21