(09)387 『RとR(4)』



「あら、怯えちゃって、可愛いとこあるじゃない」

黒衣の粛清人の冷たい視線が、里沙の全身を嬲る。

「誰が怯えてるって?ちょっと意味分かんないですけど」

精一杯の演技力を駆使して、里沙は余裕を装った。
――呑まれるな、考えろ。
押し潰されそうになりながら、必死に思考をめぐらせる。
考えろ、考えるんだ―


―精神干渉も鋼線も通じない相手とどうやってたたかうんだ私が田中
がちがちっちみたいにケンカが強かったら話はがちがち違うんだろう
けどそんなこと考えてもしょうがないがちがちどうする考えろどこか
に弱点ががちがちあるはずだ粛清人だってがちがち無敵じゃがちがち
ないがちがちがちがち煩いな何の音だ気が散るなもうがちがちどこか
ら音がするんだ近いぞどこだ私だ!私の奥歯が鳴ってるんだ――

―違う、全身だ。震えているんだ私は。
そう気付いたとき、体中から冷たい汗がふきだした。
里沙の肉体がたたかいを拒絶している。
―バカ、うろたえるな。
必死に肉体を叱咤して構えをとろうとした時
突風のような蹴りが里沙を襲った。



―!!

わき腹を乱暴に蹴り上げられ、里沙の体が宙に浮く。

「なーにをボンヤリしてんのよアンタ」

里沙は見た。粛清人の暗く、黒く、冷たい瞳を。
そして理解した。
―これはたたかいではない。粛清だ。
粛清するものはR。粛清されるのは私。
絶望的な現実は、Rの繰り出す怒涛のような連撃と姿を変えて
里沙の体に叩きつけられる。


数瞬、意識を失った。
気が付いたとき、里沙はぼろきれのようにコンクリの床にうずくまっていた。
里沙を見つめる粛清人の表情からは、どのような感情も読み取ることが出来ない。
濃厚にたちこめる死の気配。
恐怖が、里沙の心を塗りつぶしていく。

「安倍さんにね」

意外な名前がRの口から発せられた。

「アンタとやりあうって言ったのよ、そしたらあの人、なんて言ったと思う?
お願いだから命だけは助けてやってくれって、だからうーんまあ、しょうがないからさ、今日のところは見逃してあげる」
「え?」
「嘘よ」

黒のボンテージに身を包んだ悪魔は、そう言って笑みを浮かべた。



―馬鹿にしている
ふいに視界がぼやけた。見ると、床に水滴の跡がある。涙だ。
里沙は泣いていた。悔しくて、恐ろしくて、なによりあの女の言葉に
一瞬でも心を動かされた自分が情けなくて。
恐怖と絶望に押しつぶされて、また涙がぽろぽろと溢れ出した。


しかしこの少女は、これ程まで追い詰められても、己の死を濃厚に
予感しながらも、それでも尚、死神に背を向けはしない。


―新垣里沙
かつて闇の組織のスパイとして
闇と光の狭間でたった一人、孤独なたたかいを続けてきた。
誰にも知られてはならない秘密を抱えて、
いつだって心は孤独にむせび泣いていた。
それでも、必死に生きて、生き抜いて、立ち向かう。
新垣里沙。彼女の真の強さは肉体や精神にはない、魂だ。
魂にこそ、この少女の凄みがある。
決して揺るがないものが、そこにある。


―たとえ勝てなくても、相討ち、それが無理ならば腕の一本くらいは

里沙の瞳は凛とした輝きをたたえ、粛清人を見据えていた。



「あら、ごめんねえ、泣かせるつもりじゃなかったんだけどさ」
「なめるな!」

里沙の放った鋼線を黒衣の粛清人はいとも簡単にかわした。

―避けた?

「何よ、まだやる気なの?アンタ、本当しつこいわね」

女の声に苛立ちが混じる。

―何故こいつは屈服しないんだ―
最大の恐怖と苦痛と屈辱を与え、屈服させて、殺す。
それでこそ粛清が完成するのだ。なのに、なんだってこのガキは…!

「ダークネスが誇る恐怖の象徴、粛清人Rともあろうものが、随分イラついてんじゃない」

里沙の声が挑発的に響く。

「ネズミが一匹ちょろちょろ煩わしくてね。共鳴とかいうまやかしに憑りつかれたネズミがさ」
「ふーん、ネズミ一匹殺すのにもてこずってるんだ」
「何だとテメエ」

ブーツの踵から、しゃきんと無機質な音をたてて刃がとびだした。

「ネズミに噛まれんのが怖いのかって言ってんのよ!」

里沙は賭けに出ている。

「うぜえんだよ!死ねえ!」



死神が夕日の中を跳躍した。
よほど里沙の言葉が頭に来たのか大技を繰り出す。
粛清人R伝家の宝刀、かかと落し。
刃は空気を切り裂いて、里沙に襲い掛かる。

―命を燃やせ、焼き尽くすまで
里沙の瞳に炎が宿った。



腕の一本
腕の一本くらい
腕の一本くらいは―

くれてやる!

左腕で頭部を守り右手で支える。
―止める。
止められなければ、死ぬ。
自分が死ねば粛清人の恐怖は仲間に向けられることになる。
それだけは絶対に、小春や愛佳達をこんなに恐ろしい目に遭わせるわけにはいかない。

粛清の鉄槌が振り下ろされた。

―衝撃
粛清人の踵は骨を砕き、ブーツに仕込まれた刃は里沙の腕を貫く。
刃は腕を貫いて、里沙の眉に触れて、止まった。



―止めた?

一瞬の隙をつき、里沙は鋼線をRの首に巻きつけた。

「こんなもんが私に通用すると思ってんの」
「アンタさっき、私の鋼線避けたわよね。何で避けたのかしらね?」
「何」
「アンタの鋼質化能力はある程度の集中力が必要なはずだわ。だからさっき、アンタは私の放った鋼線を避けたんだ。油断して、鋼質化していなかったから」
「それがどうした!」
「今、鋼質化が解けたらどうなるかって事よ!」

里沙は、意識の触手を結集して、粛清人の心をおもいきり、押した。
すべての力を振り絞った里沙の魂の一撃に、Rの鉄の心が揺らぐ。

―どうして、こんな力が―

揺らいだ心から恐怖が生まれ、黒衣の粛清人を守る鋼鉄の城塞が崩れた。
そして、粛清人Rの首に血の首飾りが咲いた。



夕日に照らされた彼女の顔は悲しい美しさに溢れていて、里沙のこころをぎゅっと締め付ける。

―もう、殺さなくていいのか

殺戮の日々から解放されたRは眠るようにその人生に幕を下ろした。


「勝った…」

ぽつりと里沙は呟いた。
ダークネス最強の一角、粛清人Rを倒したという高揚感は無く
里沙のこころには不思議な寂しさと悲しみがあった。

「つらかったんだろうな、この人も」

鋼鉄だって、疲労する。
本当に倒すべきなのは人の心を省みない組織。
そして、組織が生み出すかなしみと孤独。

―そうだ、私がやらなきゃならないのは悲しみを断ち切ることなんだ

たたかいの後には、少女の決意があった。


「そうだ、愛ちゃん」

共鳴者のリーダーである高橋愛も近くでもう一人の粛清人と死闘を繰り広げているはずだ。

―行かなければ

里沙はぼろぼろの体をひきずって、夕日に染まる廃ビルを後にした。




















最終更新:2012年11月24日 14:31